灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
昼が近づいても、灰に覆われた空はほとんど明るくならなかった。
太陽はどこかにあるはずなのに、厚い灰雲の向こうに隠れたまま、戦場全体を薄暗い色で押さえつけている。地上では、RFの脚音と戦車砲の響きが途切れず続いていた。
その音の中へ、別の低い唸りが混ざった。
第8歩兵連隊の塹壕で、若い兵士がふと顔を上げる。
「今の音、聞こえたか」
隣で弾倉を抱えていた兵士も、泥と灰で汚れた頬を上げた。砲声とは違う。RFの足音とも違う。もっと空気を細かく叩くような音だった。
ハンセン軍曹が、塹壕の縁から少しだけ空を見た。
「ローター音だ。ヘリが来るぞ」
「ヘリって……この灰の中を飛んでくるのかよ」
「飛べるやつだけが来る。だから厄介なんだよ」
その頃、UDF司令部でも警告音が高く鳴っていた。
「上空に反応多数。東から接近中。カルディアの攻撃ヘリ、二個中隊を確認。数、十六!」
戦術士官がモニターのマーカーを睨みつける。
AH-15K〈アロゴ〉。
カルディアの攻撃ヘリだ。灰雲の低いところを這うように飛び、戦場の東側から回り込んでくる。細い胴体に双発エンジンを積んだ黒い機影が、いくつも編隊を組んでいた。
地上から見れば、最初は黒い染みのようにしか見えない。
だが、その染みはすぐに輪郭を持ち始める。腹部のハードポイントには対地ミサイルとロケットポッドが吊られ、機首下の機関砲が地上を探るように動いていた。
アロゴ一番機のコクピットで、パイロットは灰色の空を見ながら短く息を吐いた。
「ここも灰か。どこを飛んでも変わらんな」
隣の射手が、照準表示を切り替えながら答える。
「変わらないなら、まだましです。地形が見えるだけ、今日は親切な方ですよ」
「親切な戦場なんてあるか」
「ないですね。仕事に戻ります。目標、UDF戦車群。ロックオン」
パイロットは、編隊回線へ声を流した。
「アロゴ一番から四番、高度維持。対地ミサイルは戦車を優先。砲兵陣地は二番隊が叩け」
灰雲の切れ間から、黒い機影がいくつも顔を出す。
低高度を保ったアロゴが、戦場の上をなめるように進入してきた。
*
戦車陣地では、ライオンの車長が上空の影に気づいた。
「ヘリだ、頭上にいるぞ!」
車内に緊張が走る。砲手が潜望鏡を切り替えようとしたが、主砲は空を撃つためのものではない。砲塔を上げても間に合わない。
「ライオン一番から四番、散開しろ! 固まるな!」
命令より先に、空からの攻撃が始まった。
アロゴ一番機の翼下から、対地ミサイルが滑り出す。細い煙の筋を引きながら、ミサイルはライオン戦車の頭上へ向かった。
「来るぞ、退避!」
車長が叫ぶ。
だが、戦車はRFのように横へ跳べない。土盛りに半分埋めた陣地から抜け出すには時間がかかる。
一両のライオンの砲塔が、真上から叩かれた。
薄い天板装甲が焼き抜かれ、内部で爆発が重なる。車体が大きく跳ね、砲塔の隙間から黒い煙が噴き出した。
「ライオン三番、沈黙! 撃破されました!」
報告が司令部へ飛ぶ。
アロゴ一番機の射手は、声の調子を変えずに次の目標を拾っていた。
「一両撃破。次、砲塔露出中の車両」
「急ぐな。対空が来る前に二両叩ければ十分だ」
「十分かどうかは、下にいる連中が決めることです」
「言うようになったな」
「長く乗ってますから」
軽口の直後、二発目のミサイルが切り離された。
別のライオンが後退しようとして履帯を滑らせる。灰に混じった砂が足を取った。そこへミサイルが落ち、車体の後部で爆発する。
戦車が完全に吹き飛ぶわけではない。
だが、エンジン区画から火が上がり、車体はその場で動かなくなった。
戦車隊の火力は、確かに強かった。
しかし、上から狙われたときの弱さも、古い設計のまま残っていた。
*
別のアロゴ編隊は、砲兵陣地とスケルトンの防衛位置を狙っていた。
二番隊の編隊長が、灰の下に並ぶ砲列を見下ろす。
「アロゴ五番から八番、ロケット弾照準完了。目標、砲兵陣地と軽RF。まとめて叩く」
「七番、了解。目標FからHを狙う」
灰を裂いて、ロケット弾が束になって降り注いだ。
砲兵陣地の近くで、地面が連続して爆ぜる。砲を支えていた土盛りが崩れ、弾薬箱がひっくり返った。野戦砲の一門が横転し、近くにいた砲兵が土煙の中へ消える。
さらに前線では、スケルトンの列にロケット弾が降ってきた。
「上からかよ!」
スケルトンのパイロットが空を仰いだ瞬間、軽装甲の機体が爆炎に飲み込まれた。
直撃を受けた機体は、胴体から折れるように崩れた。直撃を免れた機体も、至近弾の破片で肩や頭部を削られる。小柄な上半身にセンサーを集めたスケルトンにとって、上からの攻撃は致命的だった。
「スケルトン、さらに十数機ロスト! 上空攻撃への対応が追いつきません!」
司令部への報告は、ほとんど悲鳴に近かった。
前線の塹壕でも、その光景は見えていた。
若い兵士が、壕の底で頭を低くしながら呟く。
「動く棺桶って、誰が言い出したんだろうな」
ハンセン軍曹が、土煙の向こうを見ずに答えた。
「乗ったことがあるやつだろうよ」
「笑えないですね」
ローター音が、頭上をかすめていく。
灰と布切れが巻き上がり、塹壕の中へ降ってきた。兵士たちは目を細め、口元の布を押さえた。
地上ではRFが迫っている。
上空からはヘリが撃ってくる。
どちらか片方だけでも十分にひどいのに、戦場はもう片方を待ってはくれなかった。
*
UDF司令部から、全隊へ指示が流れた。
「攻撃ヘリを優先目標に指定する。対空攻撃が可能な部隊は、射程に入り次第、撃ち落とせ。戦車隊と砲兵隊をこれ以上削らせるな」
稜線に据えられたトライデント級〈ポートランス〉の甲板上で、対空砲塔が一斉に空へ向く。
レーダーは灰と熱源で乱れていた。それでも、接近するアロゴの機影は捉えられる。艦の側面に並んだ対空ミサイルランチャーが角度を変え、発射準備に入った。
「対空班、目標確認。距離、五千。高度、低い」
「灰雲の下だ。誘導が乱れるぞ」
「乱れても撃つしかない。目標、東側の編隊。発射!」
白い軌跡が、灰色の空へ伸びた。
アロゴ二番機のコクピットで、警告音が鳴る。
「対空ミサイル!」
パイロットが叫び、機体を横へ倒す。
「ブレイク! ブレイク!」
高度を削り、灰の濃い層へ逃げ込もうとする。だが、間に合わなかった。
ミサイルの光が、アロゴ二番機の横腹で弾ける。機体は炎をまとい、ローターの片側を失った。制御を失った黒い機影が回転しながら落ち、灰の平原に叩きつけられる。
「一機撃墜!」
対空班の声が上がる。
だが、歓声はすぐに別の報告にかき消された。
「高度を落としたヘリが、艦の対空砲の追尾外に入っています。砲塔が追いきれません!」
「低く入り込まれたか」
ポートランスの対空火器は、戦場全体を守るためのものだ。だが、地形と灰、味方部隊の位置が邪魔になる。あまり低く入り込まれると、味方の前線ごと撃つ危険があった。
撃てるが、撃てない。
そういう角度が、戦場にはいくつもある。
*
戦車陣地の近くでは、別の対処が始まっていた。
バッファロー隊長が、射撃の合間に叫ぶ。
「ファルコン、上を撃てるやつはいるか!」
少し離れた位置でエクイテスを押さえていたファルコンの一機が、短く応じる。
「こちらファルコン三番。高角射撃ならできる。落とせるかは保証しない」
「保証はいらん。撃ってくれ!」
「了解。バッファローは俺の前を空けろ。空を撃つのに味方を撃ちたくない」
「了解!」
ファルコン三番機が、膝を落として空を仰いだ。
手にしたライフルを限界まで上へ向ける。通常、RF用ライフルはヘリを撃つための武器ではない。照準も射角も無理がある。
それでも、距離が近ければ届く。
「距離七百。高度二百。近いな」
コクピットの中で、パイロットは照準を合わせた。
モニターの隅を、黒い影が横切る。
アロゴ六番機が、低高度で戦車陣地を抜けようとしていた。腹部にまだロケットポッドが残っている。
「今だ」
ファルコン三番機が引き金を絞る。
高角度で放たれた弾が、アロゴの腹部装甲に噛みついた。数発は弾かれたが、続く弾がローター軸の近くへ入る。金属片が飛び散り、ヘリが不自然に傾いた。
アロゴ六番機のパイロットが、制御桿を押さえ込む。
「姿勢が戻らない!」
射手が叫ぶ。
「ローター系に損傷。高度が落ちてます!」
「分かってる。言われなくても落ちてる!」
機体は横滑りし、そのまま灰の地面へ叩きつけられた。
ファルコン三番機の回線に、周囲の声が重なる。
「一機、墜ちたぞ!」
「上を見てる暇はない!」
ハンセン軍曹の怒鳴り声が、歩兵回線でそれをかき消した。
「頭を下げろ。次が来る!」
*
崩れた建物の影では、第8歩兵連隊の対空班も動いていた。
「携帯対空ミサイル持ち、どこだ!」
ハンセン軍曹が叫ぶ。
少し離れた塹壕の端で、若い兵士が肩に担いだ発射筒を持ち上げた。
「ここにいる! 一発だけだ!」
「一発あれば十分だ。外したら、十分じゃなくなるがな」
若い兵士の隣に、誘導役の兵士が身を寄せる。二人とも、頭の上を通り過ぎるローター音に肩をすくめた。
アロゴの一機が、低高度で砲兵陣地をなめるように通り過ぎる。機首下の機関砲が短く火を噴き、土嚢の列が裂けた。ローター風が灰と布切れを巻き上げ、塹壕の上を流れていく。
若い兵士が発射筒を上げようとした。
誘導役が、すぐに肩を押さえる。
「まだだ。今撃てば、正面から機関砲をもらう。通り過ぎてから尻を追え」
「そんな余裕あるのかよ」
「ない。だから一回だ」
アロゴが旋回に入る。
尾部が、ほんの一瞬だけこちらを向いた。
「今だ、撃て!」
トリガーが引かれ、ミサイルが肩から飛び出した。
熱源を追った弾が、旋回に移ろうとしたアロゴの尾部へ食いつく。爆発が起き、尾翼とテイルローターが吹き飛んだ。
アロゴの機体が、その場で回転を始める。
制御を失った黒い影は、灰の中へ斜めに落ちていった。
「やった!」
若い兵士が身を起こしかける。
隣の男が、襟首を掴んで壕の底へ引きずり戻した。
「喜ぶのは後だ、何回言わせるんだ!」
直後、別のアロゴの機関砲弾が塹壕の上を削った。
若い兵士は、壕の底で顔をこわばらせたまま、小さく頷いた。
*
空の上では、アロゴ隊も損害を数えていた。
一番機のパイロットが、編隊表示を確認する。十六あったマーカーのうち、三つが消えていた。
「三機撃墜。これ以上同じ空域に留まると、数を削られる」
射手が、地上の戦車反応を見ながら言う。
「まだ叩けます。戦車と砲兵は残っています」
「叩けるのと、帰れるのは別の話だ。補給と再編のため、一度離れる」
「了解。再攻撃は」
「補給のあとだ。地上部隊には、空が完全に空いたと思わせるな」
アロゴ一番機は、編隊回線へ指示を流した。
「全機、東へ離脱。低高度を維持しろ。対空ミサイルの射程外に出るまで油断するな」
残ったアロゴが、灰雲の下を滑るように離れていく。
完全な撤退ではない。
長く同じ空域に留まれないから、一度距離を取るだけだ。補給を受け、編隊を組み直せば、また戻ってくる。
そのことは、UDF側にも分かっていた。
司令部で、戦術士官が遠ざかるマーカーを見つめる。
「空は取れませんね」
ベルナドット准将は、短く答えた。
「取る必要はない。好きに飛ばせなければ、それでいい」
「ですが、戦車と砲兵の損耗が出ています。スケルトンの損害も増えました」
「分かっている。ヘリが離れた隙に、陣地を立て直せ。戦車隊は分散。砲兵は残った砲を移動させろ。前線には、対空班を近くに置け」
「了解しました」
命令が各隊へ流れていく。
灰に覆われた空では、ローター音が遠ざかっていた。だが、完全には消えない。別の方向から、また低く響いてくる。
地上では、RF同士の撃ち合いがまだ続いている。
バッファローが盾を削られながら射撃を続け、ファルコンがエクイテスを押さえ、歩兵が塹壕の底からロケットを撃つ。戦車隊は、炎上した味方車両を避けるように位置を変え、残った砲でリミネタイを狙い続けた。
どこかが勝っているわけではない。
ただ、どちらも引いていない。
ハンセン軍曹は、塹壕の底で灰を吐き出しながら、遠ざかるローター音を聞いていた。
「行ったか」
若い兵士が、肩の発射筒を抱えたまま尋ねる。
軍曹は空を見ずに答えた。
「一度な」
「また来ますか」
「来るだろうな。向こうも、こっちが嫌がることを分かってる」
「最悪ですね」
「戦場で相手が親切だったら、その方が怖い」
若い兵士は、少しだけ黙ったあと、空になった発射筒を見下ろした。
「次は、もう撃てません」
「なら弾を探せ。なければ銃を持て。銃もなければ、負傷者を運べ。何もできない時間を作るな」
「了解。弾を吐き出した鉄屑でも、ぶん投げれば目潰しにはなりますかね」
「上出来だ。行ってこい」
その言葉に、若い兵士は一瞬だけ笑いかけた。
すぐ近くで砲弾が落ち、笑いは土煙に消える。
軍曹は身を低くし、塹壕の向こうを見た。リミネタイの影が、また灰煙の奥から近づいてくる。
空からの攻撃は、いったん遠ざかった。
だが、地上の戦いは終わらない。
灰平原の防衛線は、まだ削られ続けていた。