灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
グレイランスの食堂へ入ると、そこには今夜だけの子ども専用区画ができていた。
床に敷かれたマットには細い縁取りが入り、角ごとに小さな区画灯が置かれている。青い光が、子ども用の机と椅子をゆるく囲んでいた。強い線ではない。ただ、ここから内側は少しだけ別の場所だと分かる程度の光だった。
子ども連れは、自然にその灯りの内側へ入っていく。大人の大きな荷物は、外側の集積スペースへ寄せられていった。境目はただの線なのに、越えた瞬間に居場所が分かれていく。
ここに入った子どもたちは守られる。そう思える一方で、守られなければならないものとして、はっきり分けられてしまったようにも見える。
食堂の片隅では、ガンモとポチが黙々と手を動かしていた。ザクレロ兄弟、と誰かが呼んでいた二人だ。
ガンモは通路を塞いでいた荷物を「ほいっ」と持ち上げては、脇へ寄せていく。大きな荷物が退くたび、詰まっていた人の流れがほどけた。
「ほら、こっちだ。通れ通れ。足元、見ろよ。転ぶと俺のせいにされるからな」
言い方は雑なのに、荷物を置く手つきは慎重だった。毛布の束を床に落とす前に、下に子どもの足がないか一度だけ見る。その一度が、妙に目に残る。
ポチはしゃがみ込み、キャスターが固まったベビーカーの足元を覗き込んでいた。工具を当てて少し叩き、噛んでいたブレーキを外す。車輪を手で回してから、軽く押してみせた。
「固まってただけだ。……ほら、動く。たぶん乱暴に押すとまた噛むから、段差だけ気をつけて」
抱っこした子どもの重みを抱えたまま、母親が頭を下げる。ポチは片手を振っただけで、もう次の荷物へ目を向けていた。
「いいって。俺らのほうがヒマしてんだ。……いや、ヒマじゃないけど、今はそういうことにしといてくれ」
母親が小さく笑った。
スープの匂いが立ち、皿とスプーンの音が増えていく。紙椀のこすれる音。椅子を引く音。子どもが湯気を避けて息を吹く音。食堂が、少しずつ「食事をする場所」に戻っていく気配があった。
兄弟も列に並び、手洗い場で無言のまま消毒液を擦り込んでいる。ガンモの袖口には落としきれない油じみが残っていた。ポチは歩くたび、腰の工具か何かが小さく鳴る。
「兄貴、腹の音がこの艦の唸りよりデカいぞ」
「艦のほうが俺の腹に合わせて鳴ってんだ」
「そのうち主機関に謝れって言われるぞ」
「主機関がスープくれるなら謝る」
近くにいた避難民が、思わず笑った。
傭兵というものは、もっと荒い人間たちだと思っていた。声が大きくて、目が鋭くて、子どもが近寄ればすぐ怒鳴る。町で聞く噂は、だいたいそういう言い方をしていた。
けれど目の前の二人は、軽口を叩きながらも手元が丁寧だった。子どもの前を通る時は歩幅を落とし、距離を取る。大きな体や油じみより先に、場を回す手つきが目についた。
それが少し意外で、けれど、すぐには信じきれなかった。
こんな場所で優しく見える人間が、外では何をしてきたのか。そう考えかけて、やめる。
今は、子どもたちを座らせなければならない。
そのとき、食堂の隅で金属トレーが小さく鳴った。
*
隅のテーブルで、アキヒトは端末を持ち上げていた。画面を一度だけ確認し、低く言う。
「……先週の観測班、未復帰のままだ」
先週、カルディア社の依頼で観測班に同行し、旧研究所へ入ったという話は、断片だけ聞いていた。
入口は整然としていたらしい。だが奥へ進むほど焼け焦げが増え、主要な扉は外側から封じられていた。中層で骸蛾と交戦し、翅を落として退けた。けれど、吐き出された白い液で視界が潰れた瞬間があったという。
その話を聞いた時、どこまで想像すればいいのか分からなかった。
ただ、声に残っている硬さだけは分かった。終わった任務の話をしているのに、まだどこかで終わっていない。
回収した記録と物は、カルディアへ送ったらしい。手元に残っているのは、転送された数字と分析の一覧だけだという。肝心の所属記録も、死亡報告も、見当たらない。
向かいに座るヒロは、缶コーヒーを置いた。目線を落としたまま言う。
「詳しい話は明日でいい。まず食え」
スープの湯気が、テーブルの上を細く渡っていた。
「生きて戻る。それが仕事だ。そこから先は、戻ってから考える」
小さくうなずき、スープを口へ運んだ。肩に入っていた力が、ほんの少し落ちる。塩気と温かさが広がったのだろう。顔には出さないが、スプーンを持つ指先が一度だけ緩んだ。
「しかし、カルディアらしいな」
ヒロが低くこぼした。
「金で雇った側は、傭兵に何も知らせない。事前情報が薄いのも、まあ、珍しくない」
「カルディアは企業であって、国じゃない」
「国のほうが、もうほとんど機能してないだけだろ」
ヒロは肩をすくめる。
「白帯も橋も資源都市も、今は企業の持ち物だ。軍も役所も看板だけ残して、結局あいつらの管理下にある」
「住んでる人間は、市民じゃなくて、顧客か社員番号……か」
「守るかどうかも採算で決まる。そういう連中だ」
ヒロが皿を指先で少し回し、口の端だけで笑った。笑っているのに、目は笑っていない。
「外側の穴埋めは、うちみたいなのに回ってくる」
アキヒトはスプーンを置き、端末の画面をもう一度だけ見た。
「観測班は、カルディアの人間だったはずだ」
「だろうな。欲しいのはデータだ。人は、その次」
短い沈黙が落ちた。
食堂の音は続いている。子どものスプーンが紙椀に当たる音。誰かが椅子をずらす音。スープを配る兵士の、素っ気ない声。
「……気に入らない」
「同感だ」
それ以上、言葉は続かなかった。
湯気だけが静かに立ち続ける。
*
ヒロが空になった缶コーヒーを潰した。
乾いた音がテーブルに残った直後、食堂の空気が変わった。
匂いが沈む。スープの湯気の奥に、灰霧の濃い夜だけに混じる嫌な匂いが入り込んだ。金属と焦げが溶けたような、喉の奥に引っかかる匂いだ。
照明が一度だけ落ちる。
完全な停電ではない。艦が姿勢を変えた時、系統が一拍遅れる落ち方に近い。壁の継ぎ目から細い水の筋がにじみ、床の区画灯が点滅を始めた。
「いまの、何?」
どこかで声が漏れた。
子どもの一人が、スプーンを持ったまま固まっている。隣の子は紙椀を両手で抱え、湯気の向こうから大人たちの顔を見上げていた。
アキヒトは椅子の背から腰を浮かせないまま、耳だけを外へ向けた。
艦内では音が嘘をつく。反響で距離が潰れ、近いものも遠く聞こえる。遠いものが、すぐ壁の向こうにあるように響くこともある。
だが、外殻を叩く鈍い連打はごまかせない。
一定の間隔。硬いものが当たっている。波ではない。風でもない。
「停電じゃない。艦が揺れてる」
隅にいた整備員が顔を上げた。
衝撃はまだ続いている。強くはない。だが、止まらない。食堂の床が、わずかに横へ逃げる。紙椀の中のスープが遅れて揺れた。
「子ども、席から立たせないで!」
配膳台の向こうから、はるゑの声が飛んだ。
泣きかけた子どもが、その声で息を飲み込む。食堂の空気が一斉に張った。
短い電子音のあと、艦内警報が鳴り響いた。
「動くな。この区画から出るな」
ヒロの声が低く通った。大声ではない。それでも、食堂の端まで届く。ガンモが即座に荷物を脇へ寄せ、通路を作った。
「そこ、立つな。いや、立ちたいのは分かるけど、今は座れ。転んだら俺が拾う前に次が来る」
ポチは端末を確認してすぐ顔を上げ、青い区画灯の内側を見回した。
「青い灯りの中にいて。出なくていい。大人が動くから、子どもは座ってろ。……怖くても座ってろ」
周囲の大人が、その動きに釣られて姿勢を直す。椅子を引こうとしていた手が止まり、通路に出かけていた足が戻った。
アキヒトはまだ立たなかった。足の裏に力を入れ、次の衝撃を待つ。床がどちらへ逃げるか。揺れは縦か、横か。艦の外殻を叩いているものが、移動しているのか、同じ位置に当たり続けているのか。
耳の奥で、警報が鳴っている。
その向こうで、女の声が聞こえた。
「ここは、大人がみんなで守ってる。だから、立たないで。椅子に座って、私の顔を見て」
アキヒトは視線だけを動かした。昼間の白帯で子供の数を数えていた、あの女だった。
女は子どもたちの前に膝をつき、ひとりずつ顔を見ていた。子どもの一人が、女の袖口をつかんでいる。小さな手が布を握り込み、離さない。
「痛くしていいよ。離さなくていい」
青い区画灯の内側で、子どもたちの体が固まっていた。息だけが小さく動いている。ひとりは椅子の縁を両手で掴み、ひとりは紙椀を膝の上に抱えたまま、湯気が薄れていくのも見ていない。
もう一人だけ、外を見ていた。
誰とも手を繋がずに座っていた子だ。青い灯りの外側、食堂の出口のほうを見ている。
「こっち」
女が呼ぶと、子どもの目だけが動いた。
「外は大人が見る。あなたは、こっちを見て」
警報は鳴り続けている。外殻を叩く音も、まだ止まらない。衝撃の間隔はわずかに詰まっていた。
アキヒトは椅子に座ったまま、右足を半歩だけ引いた。
スープの湯気は、まだ白く上がっていた。