灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第6話 守られるもの

 グレイランスの食堂へ入ると、そこには今夜だけの子ども専用区画ができていた。

 

 床に敷かれたマットには細い縁取りが入り、角ごとに小さな区画灯が置かれている。青い光が、子ども用の机と椅子をゆるく囲んでいた。強い線ではない。ただ、ここから内側は少しだけ別の場所だと分かる程度の光だった。

 

 子ども連れは、自然にその灯りの内側へ入っていく。大人の大きな荷物は、外側の集積スペースへ寄せられていった。境目はただの線なのに、越えた瞬間に居場所が分かれていく。

 

 ここに入った子どもたちは守られる。そう思える一方で、守られなければならないものとして、はっきり分けられてしまったようにも見える。

 

 食堂の片隅では、ガンモとポチが黙々と手を動かしていた。ザクレロ兄弟、と誰かが呼んでいた二人だ。

 

 ガンモは通路を塞いでいた荷物を「ほいっ」と持ち上げては、脇へ寄せていく。大きな荷物が退くたび、詰まっていた人の流れがほどけた。

 

「ほら、こっちだ。通れ通れ。足元、見ろよ。転ぶと俺のせいにされるからな」

 

 言い方は雑なのに、荷物を置く手つきは慎重だった。毛布の束を床に落とす前に、下に子どもの足がないか一度だけ見る。その一度が、妙に目に残る。

 

 ポチはしゃがみ込み、キャスターが固まったベビーカーの足元を覗き込んでいた。工具を当てて少し叩き、噛んでいたブレーキを外す。車輪を手で回してから、軽く押してみせた。

 

「固まってただけだ。……ほら、動く。たぶん乱暴に押すとまた噛むから、段差だけ気をつけて」

 

 抱っこした子どもの重みを抱えたまま、母親が頭を下げる。ポチは片手を振っただけで、もう次の荷物へ目を向けていた。

 

「いいって。俺らのほうがヒマしてんだ。……いや、ヒマじゃないけど、今はそういうことにしといてくれ」

 

 母親が小さく笑った。

 

 スープの匂いが立ち、皿とスプーンの音が増えていく。紙椀のこすれる音。椅子を引く音。子どもが湯気を避けて息を吹く音。食堂が、少しずつ「食事をする場所」に戻っていく気配があった。

 

 兄弟も列に並び、手洗い場で無言のまま消毒液を擦り込んでいる。ガンモの袖口には落としきれない油じみが残っていた。ポチは歩くたび、腰の工具か何かが小さく鳴る。

 

「兄貴、腹の音がこの艦の唸りよりデカいぞ」

 

「艦のほうが俺の腹に合わせて鳴ってんだ」

 

「そのうち主機関に謝れって言われるぞ」

 

「主機関がスープくれるなら謝る」

 

 近くにいた避難民が、思わず笑った。

 

 傭兵というものは、もっと荒い人間たちだと思っていた。声が大きくて、目が鋭くて、子どもが近寄ればすぐ怒鳴る。町で聞く噂は、だいたいそういう言い方をしていた。

 

 けれど目の前の二人は、軽口を叩きながらも手元が丁寧だった。子どもの前を通る時は歩幅を落とし、距離を取る。大きな体や油じみより先に、場を回す手つきが目についた。

 

 それが少し意外で、けれど、すぐには信じきれなかった。

 

 こんな場所で優しく見える人間が、外では何をしてきたのか。そう考えかけて、やめる。

 

 今は、子どもたちを座らせなければならない。

 

 そのとき、食堂の隅で金属トレーが小さく鳴った。

 

 *

 

 隅のテーブルで、アキヒトは端末を持ち上げていた。画面を一度だけ確認し、低く言う。

 

「……先週の観測班、未復帰のままだ」

 

 先週、カルディア社の依頼で観測班に同行し、旧研究所へ入ったという話は、断片だけ聞いていた。

 

 入口は整然としていたらしい。だが奥へ進むほど焼け焦げが増え、主要な扉は外側から封じられていた。中層で骸蛾と交戦し、翅を落として退けた。けれど、吐き出された白い液で視界が潰れた瞬間があったという。

 

 その話を聞いた時、どこまで想像すればいいのか分からなかった。

 

 ただ、声に残っている硬さだけは分かった。終わった任務の話をしているのに、まだどこかで終わっていない。

 

 回収した記録と物は、カルディアへ送ったらしい。手元に残っているのは、転送された数字と分析の一覧だけだという。肝心の所属記録も、死亡報告も、見当たらない。

 

 向かいに座るヒロは、缶コーヒーを置いた。目線を落としたまま言う。

 

「詳しい話は明日でいい。まず食え」

 

 スープの湯気が、テーブルの上を細く渡っていた。

 

「生きて戻る。それが仕事だ。そこから先は、戻ってから考える」

 

 小さくうなずき、スープを口へ運んだ。肩に入っていた力が、ほんの少し落ちる。塩気と温かさが広がったのだろう。顔には出さないが、スプーンを持つ指先が一度だけ緩んだ。

 

「しかし、カルディアらしいな」

 

 ヒロが低くこぼした。

 

「金で雇った側は、傭兵に何も知らせない。事前情報が薄いのも、まあ、珍しくない」

 

「カルディアは企業であって、国じゃない」

 

「国のほうが、もうほとんど機能してないだけだろ」

 

 ヒロは肩をすくめる。

 

「白帯も橋も資源都市も、今は企業の持ち物だ。軍も役所も看板だけ残して、結局あいつらの管理下にある」

 

「住んでる人間は、市民じゃなくて、顧客か社員番号……か」

 

「守るかどうかも採算で決まる。そういう連中だ」

 

 ヒロが皿を指先で少し回し、口の端だけで笑った。笑っているのに、目は笑っていない。

 

「外側の穴埋めは、うちみたいなのに回ってくる」

 

 アキヒトはスプーンを置き、端末の画面をもう一度だけ見た。

 

「観測班は、カルディアの人間だったはずだ」

 

「だろうな。欲しいのはデータだ。人は、その次」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 食堂の音は続いている。子どものスプーンが紙椀に当たる音。誰かが椅子をずらす音。スープを配る兵士の、素っ気ない声。

 

「……気に入らない」

 

「同感だ」

 

 それ以上、言葉は続かなかった。

 

 湯気だけが静かに立ち続ける。

 

 *

 

 ヒロが空になった缶コーヒーを潰した。

 

 乾いた音がテーブルに残った直後、食堂の空気が変わった。

 

 匂いが沈む。スープの湯気の奥に、灰霧の濃い夜だけに混じる嫌な匂いが入り込んだ。金属と焦げが溶けたような、喉の奥に引っかかる匂いだ。

 

 照明が一度だけ落ちる。

 

 完全な停電ではない。艦が姿勢を変えた時、系統が一拍遅れる落ち方に近い。壁の継ぎ目から細い水の筋がにじみ、床の区画灯が点滅を始めた。

 

「いまの、何?」

 

 どこかで声が漏れた。

 

 子どもの一人が、スプーンを持ったまま固まっている。隣の子は紙椀を両手で抱え、湯気の向こうから大人たちの顔を見上げていた。

 

 アキヒトは椅子の背から腰を浮かせないまま、耳だけを外へ向けた。

 

 艦内では音が嘘をつく。反響で距離が潰れ、近いものも遠く聞こえる。遠いものが、すぐ壁の向こうにあるように響くこともある。

 

 だが、外殻を叩く鈍い連打はごまかせない。

 

 一定の間隔。硬いものが当たっている。波ではない。風でもない。

 

「停電じゃない。艦が揺れてる」

 

 隅にいた整備員が顔を上げた。

 

 衝撃はまだ続いている。強くはない。だが、止まらない。食堂の床が、わずかに横へ逃げる。紙椀の中のスープが遅れて揺れた。

 

「子ども、席から立たせないで!」

 

 配膳台の向こうから、はるゑの声が飛んだ。

 

 泣きかけた子どもが、その声で息を飲み込む。食堂の空気が一斉に張った。

 

 短い電子音のあと、艦内警報が鳴り響いた。

 

「動くな。この区画から出るな」

 

 ヒロの声が低く通った。大声ではない。それでも、食堂の端まで届く。ガンモが即座に荷物を脇へ寄せ、通路を作った。

 

「そこ、立つな。いや、立ちたいのは分かるけど、今は座れ。転んだら俺が拾う前に次が来る」

 

 ポチは端末を確認してすぐ顔を上げ、青い区画灯の内側を見回した。

 

「青い灯りの中にいて。出なくていい。大人が動くから、子どもは座ってろ。……怖くても座ってろ」

 

 周囲の大人が、その動きに釣られて姿勢を直す。椅子を引こうとしていた手が止まり、通路に出かけていた足が戻った。

 

 アキヒトはまだ立たなかった。足の裏に力を入れ、次の衝撃を待つ。床がどちらへ逃げるか。揺れは縦か、横か。艦の外殻を叩いているものが、移動しているのか、同じ位置に当たり続けているのか。

 

 耳の奥で、警報が鳴っている。

 

 その向こうで、女の声が聞こえた。

 

「ここは、大人がみんなで守ってる。だから、立たないで。椅子に座って、私の顔を見て」

 

 アキヒトは視線だけを動かした。昼間の白帯で子供の数を数えていた、あの女だった。

 

 女は子どもたちの前に膝をつき、ひとりずつ顔を見ていた。子どもの一人が、女の袖口をつかんでいる。小さな手が布を握り込み、離さない。

 

「痛くしていいよ。離さなくていい」

 

 青い区画灯の内側で、子どもたちの体が固まっていた。息だけが小さく動いている。ひとりは椅子の縁を両手で掴み、ひとりは紙椀を膝の上に抱えたまま、湯気が薄れていくのも見ていない。

 

 もう一人だけ、外を見ていた。

 

 誰とも手を繋がずに座っていた子だ。青い灯りの外側、食堂の出口のほうを見ている。

 

「こっち」

 

 女が呼ぶと、子どもの目だけが動いた。

 

「外は大人が見る。あなたは、こっちを見て」

 

 警報は鳴り続けている。外殻を叩く音も、まだ止まらない。衝撃の間隔はわずかに詰まっていた。

 

 アキヒトは椅子に座ったまま、右足を半歩だけ引いた。

 

 スープの湯気は、まだ白く上がっていた。

 

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