灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
戦闘三日目の夜。
レゾナンス施設の近くに設けられたUDF前線司令部は、司令部と呼ぶにはあまりにも狭かった。薄暗いコンテナの中に、通信機材と作戦端末と人員を押し込んだだけの仮設オペレーションルームだ。
壁一面のモニターには、カルディア艦隊の配置と、自軍の損耗状況が並んでいる。
赤い敵マーカーは、相変わらず南側に居座っていた。
青い味方マーカーは、消えるたびに灰色へ落ちていく。撃破。戦闘不能。通信途絶。表示される言葉は違っても、前線から一つずつ戦力が消えていることに変わりはなかった。
「第8歩兵連隊、戦闘可能率五十六パーセント。スケルトン前衛、稼働機は四十パーセントを下回りました」
通信士の声は、疲れていた。数字を読むだけでも、何度も同じ傷をなぞるような響きになる。
仮設オペレーションルームの中には、ベルナドット准将、セーブル少佐、通信士の三人が最初から詰めていた。判断を下す者と、それを前線へ流す者は、この狭いコンテナの中央に集まっている。
壁一面のモニターには、カルディア艦隊の配置と、自軍の損耗が並んでいた。赤い敵マーカーは南側に居座ったまま、青い味方マーカーだけが、時間とともに少しずつ灰色へ落ちていく。
ベルナドットは腕を組んだまま、しばらく何も言わなかった。
やがて、低く口を開く。
「UDFの増援は」
通信士が、別の画面を確認する。
「近隣司令部からの即応部隊はありません。第14機甲からの支援要請は保留のままです。第3補給中隊も、こちらへ回せる余力なし。航空支援は、灰雲とカルディアの対空圏で投入不可との回答です」
「つまり、来ないということだな」
「……はい。少なくとも、次の攻撃までには間に合いません」
セーブルは、損耗グラフから目を離さずに言った。
「このままでは、前線の穴を歩兵とスケルトンで埋め続けることになります。今日一日は持っても、次は分かりません」
「分かっている」
ベルナドットは、モニター中央に表示されたレゾナンス施設のマーカーを見た。
「UDFだけで止めるのは限界だ。外部の手を借りる」
「外部戦力、ですか」
「近くに使える外部戦力はあるか。傭兵団でも、独立部隊でもいい。ただし、数合わせはいらん。カルディアの第三世代機を見て逃げるような連中では意味がない」
通信士は手元の端末を操作した。外周監視ログと民間戦力の航跡が、画面に並ぶ。
「……一つ、候補があります」
「言え」
「クレイヴ・アクトです。陸上戦艦グレイランスが、この戦域の外周にいます。昨日の哨戒ログにも影がありました。直接交戦距離ではありませんが、契約線は開けます」
セーブルの視線が、そこで初めて通信士へ動いた。
「クレイヴ・アクトか」
通信士は、少し意外そうにセーブルを見た。
「少佐、ご存じですか」
「少しな」
セーブルは短く答え、それ以上をすぐには続けなかった。
ベルナドットが、その反応を見逃さなかった。
「知っている部隊か」
「はい。団長のヴァイスを知っています」
「評価は」
「厄介な男です。UDFの命令で簡単に動く人間ではありません。金だけで釣れるほど軽くもない。ですが、契約を結んだあとに旗色を見て逃げるような部隊ではない」
ベルナドットは黙って続きを待った。
「白帯周辺の戦闘経験も豊富です。カルディア系のRFとも交戦経験があります。少なくとも、近くにいる傭兵団の中では最も信頼できます」
「なら、そこへつなげ」
セーブルはすぐには頷かなかった。
「准将」
「何だ」
「戦術的には、正しい選択です。ですが、私はあの部隊を呼ぶことに抵抗があります」
「理由を言え」
「彼らは白帯の護衛に特化した、今時まともな数少ない連中だ。それに、あそこは若い隊長が率いている。腕はいい。呼べば来る可能性はあります。ですが、気が進みません」
セーブルがモニターへ視線を戻したそのとき、青い味方マーカーがまた一つ、力なく灰色へと変わった。狭いコンテナの壁を抜けて、遠い砲声の振動が伝わってくる。
ベルナドットはしばらく黙っていた。
「クレイヴ・アクトは傭兵団だ。契約を受けるかどうかは、向こうが判断する。こちらは条件と危険度を提示し、必要な報酬を払う。それ以上でも、それ以下でもない」
「彼らを駒として扱う、ということですか」
「戦場に出る以上、誰もが駒だ。UDFの兵士も、傭兵も、私も、君もな」
ベルナドットは、モニター中央に表示されたレゾナンス施設のマーカーを指した。
「違いがあるとすれば、誰の命令系統に属し、どの契約で動くかだけだ。傭兵は金で雇う。軍は命令で動かす。どちらも綺麗な話ではない」
ベルナドットの言葉には、悪意も高揚もなかった。そういうものとして戦場を扱っているだけだった。
「この施設は、UDFにとって起死回生の最大のチャンスだ。ここに眠っているものが本物なら、白帯の維持も、灰域での作戦も、企業勢力との力関係も変えられるかもしれん。いま我々が、兵士を削りながら守っている全てに、別の答えを出せる可能性がある」
「まだ、可能性です」
「そうだ。まだ可能性でしかない」
「だが、カルディアに渡せば、その可能性は我々の手から消える。消えるだけならまだいい。奴らがそれを白帯や避難路を縛る道具に変えた時、次に死ぬのは、ここにいる兵士だけでは済まない」
ベルナドットの言葉は、脅しではなかった。UDFの都合だけでもない。カルディアが手に入れた技術をどう使うか。それを考えれば、最悪の想像はいくらでもできた。
「予算、監査、契約書類。そういうものは後で整える。金も後でどうにかする。責任は私が負う」
ベルナドットは、セーブルを正面から見た。
「いま必要なのは、ここでカルディアを止めることだ。UDFだけで止められないなら、止められる可能性のある者を呼ぶ」
「……クレイヴ・アクトが、それだと」
「君がそう評価した」
ヴァイス艦長は信用できる。部隊も信頼できる。だからこそ、呼びたくなかった。信用できる部隊ほど、来れば本当に戦う。戦えば、誰かが死ぬ。
ヒロの顔が一瞬よぎる。
若い。だが、もう子どもではない。彼自身が選ぶことも、セーブルには分かっていた。
それでも、UDFの側からその選択を差し出すことが、軽くなるわけではない。
「分かりました」
セーブルは、ようやく言った。
「回線三、暗号層を展開。クレイヴ・アクト契約窓口へ接続しろ」
通信士は一度だけベルナドットを見て、それからセーブルに頷いた。
「了解。〈グレイランス〉への契約線を開きます」
端末の上を指が素早く走る。
短い電子音がいくつか続いたあと、暗号回線の表示が黄色へと変わった。セーブルはヘッドセットを手に取った。
これ以上、前線の穴を生身の人間だけで埋めるわけにはいかない。だが、そのために別の誰かを呼び寄せることも、決して軽い決断ではなかった。その重さを心の奥で受け止めながら、セーブルは回線がつながるのを待った。
やがて接続を示す軽い音が響き、通信士が小さく頷いた。
「クレイヴ・アクト契約窓口、応答あり。暗号認証、通りました」
セーブルはヘッドセットをつけ、声を整えた。
「こちらUDFレゾナンス臨時防衛軍、前線指揮所。担当はセーブル少佐。クレイヴ・アクト契約窓口で間違いないか」
端末の向こうから、落ち着いた女の声が返ってきた。
「こちらクレイヴ・アクト契約窓口。陸上戦艦〈グレイランス〉です。暗号認証は完了しています。回線は、現時点では安全域です。要件をどうぞ」
現場を知らない事務員の声ではない。危険な依頼が来ることにも、金額と死傷率が同じ画面に並ぶことにも慣れている声だった。
セーブルは余計な前置きを捨てた。
「傭兵部隊の増援を要請したい。レゾナンス臨時防衛軍の前線へ、そちらのRF部隊を出してもらいたい」
相手は黙って聞いている。
セーブルは続けた。
「条件は通常の傭兵契約に、危険度A相当の加算。報酬は全額、UDF側で負担する。正式書類は追って送るが、現時点では前線司令部の緊急権限で依頼を出す」
「緊急権限、ですか」
窓口の女は、少しだけ間を置いた。
「現在の戦況を教えてください。こちらでも遠距離からの観測はしていますが、現場の数字とはずれることがあります」
セーブルはモニターを見上げた。
正直に言うべきだ。
傭兵を呼ぶ以上、都合の悪い数字を隠しても意味がない。来たあとで崩れた前線を見せるより、最初から伝えた方がいい。
「UDF単独では、いずれ押し切られる」
コンテナの中で、誰も動かなかった。
セーブルの声だけが続く。
「カルディアは、コムネノス級旗艦〈パレオロゴス〉を中心に、レムノス級陸上巡洋艦四隻を展開している。主力はRF-17K〈エクイテス〉とRF-07K〈リミネタイ〉を中核にしたRF二個大隊。それにAH-15K〈アロゴ〉攻撃ヘリ中隊がついている」
通信の向こうで、何かを入力する音がした。
セーブルは、自軍の数字も隠さなかった。
「こちらはRF-06〈バッファロー〉、ST-09〈スケルトン〉、M6A1〈ライオン〉、RF-21〈ファルコン〉をかき集めて防衛線を維持している。だが、限界に近い。歩兵とスケルトンの損耗が大きすぎる」
そこで、ベルナドットがマイクへ身を寄せた。
「こちら、UDFレゾナンス臨時防衛軍、前線統合司令部。司令官、ベルナドット准将だ。これは正式な傭兵契約要請として送っている」
短い沈黙のあと、窓口の女が応じる。
「確認しました。UDFレゾナンス臨時防衛軍、司令官ベルナドット准将ですね」
「ああ。司令官として保証する。これは正式な依頼だ。支払いも公的に処理する。書類が間に合わん分は、私が責任を負う」
「ずいぶんと、追い詰められているようですね、准将」
「追い詰められているとも」
ベルナドットは、あっさり認めた。
「だから傭兵を呼んでいる。格好をつけている余裕はない。ここまでしてでも、守らなきゃならん施設だ」
「施設の詳細は」
「現時点では出せない」
「それで、こちらに命を張れと?」
「その通りだ。だが、危険なものだということは言える。カルディアが艦隊を出してまで取りに来ている。UDFが歩兵をすり潰してでも止めようとしている。これで足りなければ、君たちの団長にこう伝えてくれ。白帯にも、いずれ火の粉が飛ぶ可能性がある」
「……その一文は、こちらでそのまま上げます」
「そうしてくれ」
セーブルは、ベルナドットの横顔を見た。
施設の中身を、彼も知らない。知らされているのは、ごく限られた者だけだ。
それでも、防衛線が折れた先で何が起きるかは想像できた。カルディアが手に入れた技術を、自分たちだけで大人しく保管するとは思えない。
「依頼内容は受領しました。艦内で協議の上、折り返します。回線は一度閉じますが、こちらから再接続します」
「頼む」
通信が切れ、暗号回線のランプが黄色へと戻る。通信士は不安を隠せない様子でセーブルを見上げた。
「少佐」
「何だ」
「本当に、来てくれると思いますか」
セーブルは、モニターに並ぶ灰色の味方マーカーを見た。
「来てもらうしかない」
損耗グラフの赤い線が、視界の端で静かに更新され続けていた。
*
同じ頃。
陸上戦艦グレイランスの作戦室にも、同じ戦場が映っていた。
スクリーンには、カルディア艦隊の配置、UDF防衛線、そして問題のレゾナンス施設を示すマーカーが並んでいる。外周には、グレイランスの現在位置が小さく表示されていた。
ジルがタブレットを机に置き、集まった顔ぶれを見渡す。
「UDFから正式依頼が来た」
「レゾナンス臨時防衛軍前線への増援要請。条件は通常契約に危険加算つき。報酬はUDF負担。ベルナドット准将が、書類が遅れた分も自分の責任で保証すると明言している」
アークが、スクリーンの施設マーカーを見た。
「UDFがそこまでして守る施設に、カルディアが艦隊を投じて取りに来ている。偶然見つかった古い研究施設、で済む話ではなさそうですね」
ヴァイスは椅子の背にもたれかかったまま、広げられた地図をじっと眺めていた。
カルディア艦隊の現在地、UDF防衛線の陣形、そして点在する各施設――。
それらを順に追っていった彼の視線は、最後に、施設の少し後ろへと伸びる一本の白い帯――その支線の上でピタリと止まった。
「UDFからは、施設の詳細は出せないと言われている」
ジルが言う。
「ただし、ベルナドット准将から伝言があった。白帯にも、いずれ火の粉が飛ぶ可能性がある、と」
「上手い言い方だな。こっちが無視しにくい場所を突いてくる」
「嘘だと思いますか」
アークが尋ねると、ヴァイスは首を横に振った。
「嘘なら、もっと飾る。あの言い方は、全部は出せないが危ないのは本当、という時の言い方だ」
ジルが確認する。
「艦としては、どう見ますか」
ヴァイスは、少しだけ考えた。
UDFを全面的に信用しているわけではない。あの組織もまた、自分たちの都合で情報を隠し、人を動かす。いま目の前で歩兵とスケルトンをすり潰しているのも、UDFの防衛線だ。
だが、カルディアは別だ。
手に入れたものを、必ず自分たちの色に塗り直す。
レゾナンス関連の施設を奪ったあと、それが白帯や避難路にとって毒になる可能性を、彼らがどこまで気にするか。考えるまでもなかった。
「これは、どちらの味方をしたいかという話じゃない。カルディアに渡したあとで、こっちの守る場所に何が飛んでくるか。その方が問題だ」
アークが頷く。
「UDF側につく方が、長期的な被害は小さいと見ます」
「俺も同じだ」
ジルが、タブレットに指を置いた。
「契約を受けますか」
「受けるしかあるまい。施設をカルディアに渡したあとの方が厄介だ。UDFも信用はできないが、少なくとも今は白を維持する側にいる。カルディアよりは、まだましだ」
「契約内容は、危険度A相当で処理します」
「いい。金の話は後で詰めろ。前線に出る機体の方が先だ」
ジルが頷く。
ヴァイスは艦内通話の端末を取った。
「こちらヴァイス。RF各機、出撃準備に入れ。契約先はUDF。任務は、レゾナンス防衛線への増援だ」
スピーカーから、短い返答がいくつも重なった。
整備デッキでは、警告灯が切り替わる。
RF用ハンガーのロックが順に解除され、機体の電源系統が立ち上がっていく。モニター上のアイコンが、灰色から青へ変わった。
「ジル、配置案を出せ。アークはカルディア側の動きをもう一度洗え。向こうが傭兵投入を読んでいないとは限らない」
「了解」
「施設の正体は後回しだ。今は、ここでカルディアを止める」
そこで一度言葉を切り、ヴァイスはスクリーンを見た。
「それが、今回の仕事だ」
スクリーンの上で、グレイランス所属のRFアイコンが順に点灯していく。
灰の外周にいた傭兵団は、UDF側に肩を貸すことを選んだ。