灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
夜になっても、グレイランスの甲板は熱を残していた。
さっきまで前線に出ていたRFが、整備区画の前に並んでいる。装甲の継ぎ目から白い蒸気が抜け、背中の冷却フィンからぬるい排気が吐き出されていた。
昼の戦闘で熱を吸った鉄板は、靴底越しにもまだ温かい。整備兵たちはその上を走り回り、焼けた装甲板を外し、弾倉を積み直し、明日の出撃に間に合わせるための作業を続けていた。
*
同じ夜の少し前。
グレイランスの艦橋は、照明を一段落としてあった。前方スクリーンには、灰の平原と、まだ燃え続ける残骸の炎が映っている。
戦闘報告は一通り終わっていた。当直の乗員だけが、最低限の操作を続けている。
背後の自動ドアが開いた。
「入るぞ」
短い声とともに、セーブルが艦橋へ入ってきた。防弾ベストは外している。戦闘服の前だけを雑に開け、肩にはまだ灰が残っていた。
「久しぶりだな、ヴァイス」
「そうでもない」
ヴァイスは腕を組んだまま、口元だけを動かした。
「お前たちUDFの厄介な部署が顔を出すときは、たいてい面倒な話を持ってくる」
「今回は、その面倒な話でお前の艦を前線に引っ張り出した」
セーブルは窓際まで歩き、甲板を見下ろした。並んだRFの影が、小さく見える。
「UDFの戦力も、ずいぶん足りなくなった。臨時防衛軍を作って、それでも足りずに傭兵まで呼ぶ。正規軍としては、あまり誇れる話じゃない」
「誇りで防衛線は持たない」
「分かってる」
ヴァイスはセーブルを見た。
「レゾナンス施設は、本当にそこまでして守る価値があるのか」
「前線に詳しい説明は降りてこない。俺が知っているのは、UDFがここを失えば、今後の灰域作戦に大きな遅れが出るということだけだ」
「それだけか」
「それだけじゃない。カルディアが艦隊を出して取りに来ている。連中が手に入れれば、白帯や避難路にとって危険な技術として使われる可能性がある」
「確証はない。だが、あの規模の戦力を出してきた以上、ただの研究資料ではない」
ヴァイスが前方スクリーンに目を向けると、そこには灰の平原と燃える残骸、そして点滅を繰り返す味方の損耗表示が映し出されていた。
「今日の戦闘は見ていた」
「評価は?」
「UDFだけなら、明日か明後日には防衛線が割れていたな」
セーブルは苦く笑った。
「はっきり言うな」
「そのために呼んだんだろう」
「そうだな」
ヴァイスは、甲板に並ぶVOLK機を見下ろした。
「ヒロは、隊長として悪くない」
セーブルが少しだけ目を細める。
「そう見えたか」
「ああ。見えている範囲を全部守ろうとしていた。あれは、部下を持つ者の顔だ」
「全部守ろうとするから危ない」
「それも見えた」
ヴァイスは静かに言った。
「だから、お前が口を出したくなるのも分かる」
「俺が言うと、説教になる」
「お前は昔からそうだ」
「お前も昔から、人を見ていないようで見ている」
セーブルは疲れたように息を吐いた。
「ヒロは若い。だが、もうただの若手パイロットじゃない。部隊を背負い始めている。だから、先に言っておかないといけないことがある」
「守る範囲の話か」
「ああ」
セーブルは頷いた。
「どこまで守るのか。どこで退くのか。どの危険を受けて、どの危険を後ろに任せるのか。隊長は、それを決めなきゃならない」
「お前は、それを決め損ねたことがあるのか」
セーブルはすぐには答えなかった。
前方スクリーンに、灰の中で燃える残骸が映っている。
「ある」
ヴァイスは追及しなかった。
「死ぬなよ、セーブル、灰風の名簿は、まだ一人分も黒く塗っていない」
「そうだったな」
セーブルは、苦笑とも自嘲ともつかない顔をした。
「最初に載るなら、俺みたいな古株だと思っていたが」
「順番などいらない。最後まで誰の名前も黒く塗らない。それでいい」
「相変わらずだな」
セーブルは背を向け、ドアへ歩き出した。
その前で、一度だけ足を止める。
「ヴァイス」
「何だ」
「コンラートは――」
そこまで言って、セーブルは口を閉じた。
艦橋の空気が、わずかに重くなる。ヴァイスは、すぐには答えなかった。
「……今は、やめておけ」
「そうだな」
それだけ言って、また歩き出そうとする。
「セーブル」
今度はヴァイスが呼び止めた。セーブルは振り返らない。
「戻ってこい」
「了解」
短く返し、セーブルは艦橋を出ていった。
ヴァイスは椅子にもたれ、灰風の頃から変わらないセーブルの背中と、その先で戦う若い隊長たちのことを考えていた。
*
甲板の端で、三人が腰を下ろしていた。
UDFの戦闘服を着たセーブル。VOLK隊長のヒロ。少し離れて、アキヒト。
背後では整備班が黙々と作業を続けている。
セーブルは紙コップのコーヒーを片手に持ち、もう片方で煙草をつまんでいた。火をつけて一口吸い、吐いた煙がRFの排熱に混じって流れる。
ヒロは足を投げ出したまま、戦場の方角を見ていた。
「俺たちは、結局何を守ってるんだ」
「レゾナンス施設だ」
「名前は聞いてる。中身の話だ」
「俺にも詳しい説明は降りていない」
セーブルは淡々と答えた。
「ただ、UDFはあれを失えば大きな機会を逃す。カルディアが取れば、白帯や避難路に危険が及ぶ可能性がある。少なくとも上はそう判断している」
「可能性、か」
「前線の仕事は、大体そうだ。全部を知らされることは少ない。それでも、守れと言われた場所を守る」
ヒロはセーブルを横目で見た。
「それで納得できるのか」
「納得とは少し違う。命令を受けて、危険を見て、自分の判断で動く。それだけだ」
アキヒトは会話に割り込まず、耳だけを向けていた。
セーブルは煙草を持つ手を少し下げ、ヒロを見た。
「いいか、隊長」
ヒロが顔を上げる。
「傭兵だろうが軍人だろうが、どこまで守るかは自分で決めろ」
セーブルは、甲板の向こうに並ぶRFを見た。
「どの場所を守るのか。どこで退くのか。誰を後ろへ下げ、誰を前に残すのか。そこを人任せにすると、最後は目の前のもの全部を抱えようとする」
「言うのは簡単だな」
ヒロは口元を少し歪めた。
「戦ってると、見えているものは全部守りたくなる」
「分かる」
セーブルは即座に返した。
「だが、全部は守れない。そこで迷い続けると、指示が遅れる。指示が遅れれば、部下が死ぬ」
ヒロの顔から、わずかな表情が消えた。
セーブルは続ける。
「あとで後悔は残る。何を選んでも残る。救えた者の名前も、救えなかった者の名前も、隊長の中には残る」
煙草の灰が、鉄板に落ちた。
「それでも、隊長の役目だけは手放すな。部下は、お前が決めるのを待つしかない時がある」
ヒロはしばらく黙っていた。
夜風の中で、整備工具の音が続いている。
「一人で全部持て、ってことか」
「違う。全部持てる人間はいない」
セーブルの声が少しだけ低くなる。
「持ちきれないものは出る。忘れたつもりでも、あとから思い出すこともある。それでも、隊長が決めるべき時に黙るな、ということだ」
ヒロはセーブルの横顔を見た。
「経験談か」
「そうだ」
セーブルは短く認めた。
「俺は一度、決めるのが遅れた。だから、お前には同じことを増やしてほしくない」
ヒロは聞き返しかけて、やめた。
セーブルがそれ以上を話す顔ではなかったからだ。
「俺は……」
ヒロは言いかけて、言葉を探した。
「隊長の仕事だ」
セーブルが先に言った。
「ああ。分かってる」
ヒロは視線をそらしたまま答える。
セーブルは煙草を指で挟み直した。
「もう一つだけ言っておく」
「何だ」
「白帯を理由にしすぎるな」
ヒロの目が、少しだけ動いた。
「理由にするな?」
「白帯を守るために撃つ。白帯を守るために見捨てる。そういう言い方は便利だ。だが、便利な言葉に頼りすぎると、その白帯の上を歩いている人間の顔が見えなくなる」
セーブルの声は淡々としていた。
「白帯そのものを守るんじゃない。そこを歩く人間を守る。そのために、白帯の外で何が削られているかも見ろ」
ヒロは黙った。
その言葉は、昼間の戦場とつながっていた。
白い道の外側で、どれだけの機体と兵士が倒れているか。そこを見なければ、白帯だけを守る判断はできない。
セーブルは、今度はアキヒトへ視線を向けた。
「前衛はお前らだ」
「了解」
アキヒトは余計な言葉を足さなかった。
「無理に遠くまで出るな。必要な距離だけ前に出ろ」
セーブルは続ける。
「お前たちが一歩前で止めれば、後ろの歩兵が撃つ時間を作れる。だが、二歩も三歩も出すぎて孤立すれば、そこを敵に狙われる」
アキヒトが小さく頷いた。
「必要な距離だけ、か」
「そうだ。前に出ること自体が目的じゃない。後ろが生き残るための時間を作る。それがお前たち前衛の仕事だ」
アキヒトは、遠くの灰平原を見た。
「分かった」
短い返事だったが、聞き流した声ではなかった。
*
コーヒーが底を見せたころ、セーブルが思い出したように口を開いた。
「ヒロ」
「何だ」
「今度、正式にグレイランスに招待しろ。にぎやかな艦だと聞いている」
「誰に聞いたんだ」
「お前のところの連中だ。筋肉を見せ合うやつがいるとか、カードで本気で揉めるやつがいるとか」
「だいたい合ってるな」
ヒロの口元が、わずかに緩んだ。
「前線ばかりだと、こっちが先にまいってくる。一度くらい、そういう空気に混ざっても罰は当たらんだろ」
「じゃあ、その前に死ぬな」
ヒロは冗談とも本気ともつかない声で言った。
「そのうち乗艦の段取りをつける。だから生きて帰ってこい」
「当然だ」
セーブルはあっさり言い切った。
「勝手に死んだら、お前たちの艦に顔を出せなくなる」
アキヒトは黙って夜空を見上げた。
灰を含んだ雲の切れ間に、星がいくつか残っている。排熱の蒸気も、焼けた金属の匂いも、まだ消えていない。
明日もまた、この防衛線を守る。
三人とも、それだけは分かっていた。