軽口ばかりの魔術師が、私を救う白銀の守護獣だったなんて〜婚約破棄された聖女は、死に戻りの果て、人外の彼に溺愛される〜 作:鈍色シロップ
そうして私たちは、今日の定例の儀での作戦を話し合った。
私のとんでもない思いつきに、フェルはこれまで見たことがないくらい苦い顔をしていた。
それでも最後には、「せっかくエステアが考えたんだし、一度くらいは試してみようか」と頷いてくれた。
そのなかで、ある可能性にも気づいた。
この作戦なら、メルディアに警戒されないまま、封印の力を少しずつ注ぎ込めるかもしれない。
これまでは、一気に仕掛けるしかなかった。
そのたびに、消えかけた彼女は最後の抵抗に出た。
(やりかたを変えれば、結果だって変わるはず……どう変わるかまでは、わからないけれど)
それからもうひとつ、考えておくべきことがあった。
定例の儀にはセオドリクがいる。
彼に邪魔されないよう――たとえば私が捕らえられたりしないよう、フェルが作ったまじないの組紐をもらった。
「僕が意識を向ければ、ちょっとは力をかけられる。王子様の手首にでも巻けば、いざという時に動きを乱すくらいはできるかも」
念のため、自死用に使っている劇物の小瓶もフェルから受け取ったあと、私だけ木から降ろしてもらうことになった。
彼は「実際どう振る舞えばいいかわからないから、それだけ少し考えさせて」と言って、木の上に残った。
(……メルディアを倒すための作戦とはいえ、やっぱりこんなこと……言い出さないほうがよかったかしら? とはいえ、いまさらよね……)
そんなことを思いながら、一度自室に戻る。
朝のお祈りには間に合わなかったけれど、封印の務めならまだ時間がある。
私は定例の儀に向けた支度をきちんとしてから、大神殿の封印の間に向かった。
ずいぶん久しぶりに感じる聖女としての務めを、滞りなく終わらせる。
定例の儀の流れが、以前と変わってしまわないように。
(まあ、夜着のままフェルと木に登ったり、朝のお祈りに行かなかったりはしたけれど……それぐらいは大丈夫よね、たぶん)
そのうちに、いよいよ定例の儀の時間が迫り――フェルがようやく、私の前に姿を現した。
「お待たせ。……自信はないけど、頑張るよ」
へらりとした笑いかたは、いつものフェルらしくなくて……胸の奥がちくりと痛んだ。
(でも、ここまできたら――やるしかない)
私は、彼と一緒に大神殿の聖女の控え室へ向かった。
◇ ◇ ◇
「私、エステア・ラグレインは――セオドリク殿下との婚約を破棄いたしますわ」
「……は?」
誰のものかわからない声がした。
壇の前に進み出ようとしていたセオドリクは、以前と同じようにその場で固まった。
違うのは……私の隣に、フェルが立っているということ。
低い声が広間に響く。
「……いま、なんと言った? それに、なぜラグレイン家の魔術師が……君の隣にいるんだ」
「ですから……婚約を破棄すると、申し上げましたの。あと、フェルがいるのは……せっかくですから、皆様にも紹介しようと思いまして」
セオドリクがなにか言い返すよりも早く、高らかに宣言する。
「このかたは、私の新しい婚約者――ラグレイン家の魔術師、フェルですわ」
ざわめきすら起きなかった。
静まり返った広間は、誰もが厳かな祈りを捧げているのでは……そう錯覚するほどだった。
ガタン、と大きな音がした。
顔を向けると、ラグレイン家の席で父が立ち上がっていた。
顔色は蒼白で、目は大きく見開かれていた。
「エ、エステア、お前……魔術師殿は、私よりも年上なはずで……あれ……?」
真っ先に反応した父が、混乱していた。
フェルが周囲の認識をずらしているせいで、昔から知っているはずの彼の年齢を、父もうまく掴めなくなっているのだろう。
それでも、セオドリクとの婚約破棄よりも、そっちのほうが気になるだなんて。
「黙っていてごめんなさい、お父様。……でも、私もう決めましたの。本当に好きな人と結婚したい、と。お父様なら……わかってくれますわよね?」
父の目をじっと見つめると、「うっ……」とくぐもった声が聞こえてきた。
父と母は恋愛結婚で、両家から特に反対されることもなかったと聞いている。
そのことを持ち出されたら、父だって強くは言い返せないはずだ。
セオドリクのほうに向き直る。
「殿下だって……本当は、いらっしゃるのでしょう? ……心に決めたおかたが」
「バカな……そんなことより、君は自分がなにを口にしたのか、本当にわかっているのか? この婚約は、王家と神殿が共にこの国を支える証だ。それを破棄したうえ、どこの馬の骨ともわからない魔術師となど――」
「――馬の骨だなんて、ひどいなぁ」
セオドリクの低い声が、フェルの歌うような声に遮られる。
広間中の視線が、一気にフェルに集まった。
私でさえ、彼がこれからなにを話すのか想像もつかなくて、ごくりと喉を鳴らしてしまう。
(うまくやるのよ、フェル……!)
私がフェルにお願いしたこと。
それは、婚約破棄を宣言したあと……私の新しい婚約者として振る舞ってほしい、ということだった。
絶対に、皆の意表を突けるはずだと思ったから。
父の様子を見る限り、その予想は間違っていなかったらしい。
ちらりと、セオドリクの後ろに佇むメルディアへ目を向けると、彼女もまた呆然としていた。
果たして、私に紹介されたフェルは……物怖じすることなく、にこりと柔らかく微笑んだ。
きゃあ、と本当に小さな甲高い悲鳴が、どこからか聞こえた気がする。
(……王家か貴族の、侍女かしら)
正体を隠すためでもあるのだろう、フェルは公の場に滅多に出てこない。
彼のことを知らない人も当然いるとはいえ、まさかそんな反応をされるとは。
(でも、フェルが人でないと知ったいまは……なんだか複雑な気持ちね)
その悲鳴が聞こえたのかどうか、フェルは気にした様子もなく口を開く。
「ご紹介に預かりまして。僕はフェル。ラグレイン家に仕える魔術師で、当代の聖女であるエステアとは……彼女が幼い頃からの付き合いでね」
そこで、ふぅと物憂げに息を吐く。
「王子様との婚約も、知らないでいるほうが難しい。それでも、困ったことに……僕は彼女を、愛してしまったんだ」
「あっ、愛ぃ……っ!?」
素っ頓狂な声は、私の口から出ていた。
(って、いけないいけない……私が動揺してどうするのよ……)
頬が熱くなるのを感じながら、こほんとひとつ咳払いをする。
「たとえ重要な婚約でも……これ以上、自分の気持ちに嘘はつけませんわ。私は――フェルと幸せになりますので」
フェルのそばに寄り添うと、彼は当然のように私の肩を抱き寄せた。
一瞬、自分の肩がぴくりと跳ねてしまったのは、たぶん彼にバレている。
「僕だって、王子様の気持ちが少しでも彼女に向いているのなら……潔く諦めたさ。けれど、そうじゃないと知ってしまった。だったら――奪うしかないだろう?」
フェルは、肩に回した手で私を自分のほうへ向かせる。
彼の指先が、私の頬にそっと添えられた。
(ちょ、ちょっと……フェル?)
それは少しやりすぎでは、と思ったけれど、金の瞳をまっすぐ向けられて、つい口を噤んでしまう。
「僕のエステア……この命にかけて、生涯離さないと誓うよ」
「フェル……」
お芝居みたいなあまりに歯の浮くような台詞に、恥ずかしさを通り越して素直に感心してしまった。
だって、あれだけ苦い顔をしていたのが嘘みたいに、よどみなく言うんだもの。
たぶんフェルは、私のためにいますごく頑張ってくれている。
(それにしても……これ、いつまで続ければいいのかしら)
広間の誰もなにも言わないものだから、なんだか本当にふたりだけの世界になってしまっている。
頬に添えられたフェルの手を、さりげなく外す。
(……ちょっと、行ってくるわね)
目でそう伝え、フェルのそばからすっと離れた。
そのまま、セオドリクのもとへ向かう。
「セオドリク殿下」
彼の両手をぎゅっと握ると、ぎょっとしたような顔をされた。
その一瞬で、手のひらに隠し持っていた組紐を、素早く彼の片方の手首へ巻く。
「実は私、すでに存じておりましたの。ええと、その……女の勘、というもので。あちらの女性こそ――あなたが真に愛するおかたなのでしょう?」
メルディアへ視線を向けると、セオドリクがぽつりと呟く。
「……それは」
続きが出てこない。
恐らく、セオドリクは……決めていた筋書きが崩れると、すぐには動けなくなる人なのだろう。
とはいえ、それも時間の問題だ。
メルディアが命じれば、彼は忠実に動いてしまう。
フェルのほうを見ると、もうメルディアのすぐ背後まで迫っていた。
気配を消して動いたのか、耳打ちするような近さで声をかける。
「やあ、こんにちは。王子様の……新しい婚約者さん」
「ッ……!?」
メルディアが振り返ると、フェルは半歩踏み込んで片手でその肩を押さえた。
「おっと。……どうして知っているのか、って顔だね」
よく見れば、フェルの手の下で初代の髪飾りが布越しにメルディアへ触れていた。
彼女は、ほんのわずかに身を強張らせる。
「王城の侍従たちが噂していたよ。少し前、王子様が見知らぬ女を突然連れてきて、それからずっと離れに囲っているって」
「……下世話な連中ですこと」
吐き捨てるように言うメルディアに、フェルはゆっくりと首を振る。
「いやいや、勘違いしないでほしいな。君たちのことは、心から祝福しているんだよ。なにより……僕も遠慮なく、エステアと一緒になれるからね」
「祝福、ねぇ……なんだか信じられませんわ。だって、あなた――どう見ても胡散臭いもの」
「うん、よく言われる」
フェルはメルディアの肩を押さえたまま、くるりと向きを変えさせる。
「さあ、王子様。君も皆に、彼女を紹介しておやりよ。もともと……そのつもりだったのだろう?」
セオドリクが、ぐっと言葉に詰まった。
この流れで紹介なんて、とてもやりづらいだろう。
「……遠慮なさらずとも、よいのですよ。私では、殿下のお心がわからなかった。でも――彼女は違う。この国の誰よりも、あなた自身を見てくれたおかたなのでしょう?」
「……」
セオドリクが目を伏せる。
以前の定例の儀で、彼が私に投げつけてきた言葉を、ほとんどそのまま言ってみただけなのに。
違和感を覚えるより先に、思った以上に効いてしまったらしい。
(私からしたら、自分勝手でしかないのだけれどね……)
心のなかでため息をつき、握っていた手を離す。
ためらうような様子を見せながら、セオドリクはメルディアへ顔を向ける。
「メルディア、私は……」
「……私は、なんなの? 殿下」
彼女の冷ややかな眼差しが、セオドリクを刺す。
「こんな茶番に心を乱されるなんて……まさか、もうお忘れになりましたの? このラグレイン家の聖女は――断罪すべき偽りの聖女、と」
その言葉に、静まり返っていた広間がようやくざわめきだす。
「で……殿下……っ!」
上位神官の席で、マルクが焦りを隠せずにいる。
王家の重臣や兵たちもまた、セオドリクの態度に戸惑っていた。
彼が主導して進めていたのだから、当然だ。
セオドリクは、わずかに肩を震わせた。
「私は……君が望んだから、そうしようと決めた。だが、ここまで場の流れが変わってしまっては……」
私を処刑する時の、堂々とした態度が嘘のような弱々しさだった。
「……メルディア。いまならまだ、なかったことにできる。やはり、こんなやりかたは危険すぎた。私と君が結ばれるのに、ラグレイン家まで排除する必要などどこにも――」
「――心底見損なったわ。セオドリク」
その声には、もうひとかけらの甘さもなかった。冷たささえもなかった。
ただ、彼への関心だけが……きれいに失われていた。