軽口ばかりの魔術師が、私を救う白銀の守護獣だったなんて〜婚約破棄された聖女は、死に戻りの果て、人外の彼に溺愛される〜   作:鈍色シロップ

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「お……おはよう、フェル」

 

とっさに挨拶を返したけれど、言葉にするまでもなくおかしかった。

夢のなかで、珍しく朝早く起きていたフェルが、いままた同じように立っている。

 

「……珍しいわね、こんな朝早くから起きているなんて」

 

そう言わずにはいられなかった。

 

「そりゃあ……定例の儀がある日だもの。なにかおかしいかい?」

 

首を傾げる仕草まで同じで、奇妙を通り越して妙に落ち着かない。

 

「……おかしいわよ。あなた、そんな日に顔を出すこと自体……一度もなかったじゃない」

 

さらに問いただそうとした、その時だった。

フェルがふいに真顔になる。

 

「その髪飾り……今日はやめたほうがいいよ。もともと君には、似合わないって思ってたし」

 

「……えっ?」

 

思わず口が開いたままになる。

 

フェルの視線は、私の顔ではなく、耳の後ろでゆるく結った髪に向いていた。

定例の儀のために挿していた、ラグレイン家の紋章入りの髪飾りだ。

 

夢のなかでは、髪飾りの話なんてしなかった。

代わりにフェルは、お守りだと言って組紐を手首に巻いてきた。

そして定例の儀で、処刑のために振り下ろされたセオドリクの剣を避けようとした瞬間……私は妙な力に引かれるように、体勢を崩したのだ。

 

(……って、だからなんでいつまでも夢の話に真剣になってるのよ)

 

短く息を吐いて、頭を落ち着かせる。

 

「あのねえ、フェル……この髪飾りは、まさにその定例の儀のためにつけてるのよ。ほら、家の紋章だって入ってるでしょ?」

 

髪飾りが見えるよう、私は少しだけ横を向いた。

耳の後ろで結った髪に挿してあるから、これなら彼にも見えるはずだ。

 

けれど、フェルはなにも答えなかった。

彼の気配が、ふっと近づく。

 

「っ……!?」

 

反射的に身を引こうとして、肩が強張った。

耳の後ろの髪をすくわれ、ひやりとした指先が肌をかすめる。

そのまま髪飾りをするりと抜き取られ、入れ替わるように別の細い髪飾りが差し込まれた。

 

「そっちのほうが似合うよ。じゃ、またあとでね」

 

我に返ると、フェルはひらひらと片手を振りながら、廊下の奥へ立ち去っていくところだった。

 

「えっ、嘘……待って、ちょっと……」

 

さっきの組紐のことが、また頭をよぎる。

慌てて、差し替えられた髪飾りに触れると、ひやりとした飾りの凹凸が指先に伝わった。

そっとたどってみれば、白い花のような細工がついているのがわかる。

 

そのまま掴んで引き抜こうとして――びくともしなかった。

まるで髪ごと留めつけられてしまったみたいに、どう力を込めても動かない。

 

(なんで……どうして……)

 

フェルの背中はもう消えていた。

彼の不可解な行動に、ぞっとした。

 

(落ち着いて……落ち着くのよエステア。組紐も処刑も、ただの夢。途中までは同じだったけれど……この髪飾りだって、夢とは違うじゃない)

 

そう自分に言い聞かせても、不安は消えてくれなかった。

せめて、ここから先は夢のとおりにはならないのだと、はっきりさせたかった。

そこでふと、思いつく。

 

「……そうだわ!」

 

セオドリクのところに行ってみればいい。

婚約破棄も、偽りの聖女という宣告も――夢で最初に私を突き落としたのは、彼の言葉だった。

現実で、彼にそんな怪しげな様子がなければ、なんとか安心できるかも。

 

とはいえ、相手は王族だ。

婚約者である私でも、突然訪ねてすぐに通してもらえるとは限らない。

それでも、いまは少しでも確かめたかった。

そう決めて、私はまず朝の祈りと封印の間での務めを済ませることにした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「えっ……いま、なんて」

 

「ですから、殿下はお休み中です。どなたも通すなと命じられておりまして」

 

「どなたもって……ラグレイン家のエステアよ。殿下の婚約者である私まで、通せないというの? そもそも、お休み中って……もうすぐ定例の儀が始まるというのに」

 

大神殿の王族用控室の前で、そう食い下がってみたものの……侍従は困ったように頭を下げるばかりだった。

すぐに通してもらえないことは覚悟していたけれど、ここまで頑ななのはどこか変だった。

 

ふと脇に目をやると、昼食を運んだらしい盆が小卓に置かれていたけれど……ほとんど手がつけられていない。

 

「……殿下、お加減でも悪いの?」

 

侍従は一瞬、言葉に詰まった。

 

「いえ、その……お疲れが出ただけかと」

 

それだけでは、なぜか胸騒ぎは消えなかった。

 

「控室には……殿下おひとりでいらっしゃるの?」

 

侍従はわずかに目を逸らした。

 

「おひとりでございます」

 

納得はできなかったけれど、これ以上ここで無理を言うわけにもいかない。

 

「そう……わかったわ。困らせてしまって、ごめんなさいね」

 

そう一礼して、固く閉ざされた扉を見る。

背筋を、冷たいものが撫でた気がした。

 

(本当に、神託の巫女なんて女性がいて……この扉の向こうで、セオドリクのそばにいたら……?)

 

そう考えた瞬間、セオドリクの様子を見に来たはずなのに――控室のなかを想像することすら急に怖くなった。

 

(扉をこじ開けるわけにもいかないし……ううん、大丈夫よ。これ以上、夢のとおりになんかいくはずない)

 

不安を無理やり押し込めるようにして、その場を離れた。

……それが間違いだったと、すぐに思い知らされたけれど。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「君との婚約を破棄する。神殿にとって、君はもう聖女ではない」

 

「偽りの聖女は、いますぐここで処刑すべきですわ」

 

「……嘘でしょ」

 

目を瞬かせながら、私は呟く。

午後の定例の儀は――夢で見たとおりの流れになってしまった。

 

セオドリクには、婚約を破棄されたうえに偽りの聖女と決めつけられ。

突然現れた神託の巫女メルディアには、処刑を進言され。

 

(やっぱり……控室の扉を、無理にでもこじ開けるべきだったかしら)

 

くらくらする頭で、そんなことを思う。

……まあ、こじ開けたところでどうにもならなかった気もするけれど。その前にたぶん捕まってた。

 

目の前で、セオドリクが兵から剣を受け取っている。

夢ではこのあと、私はあの剣で殺される。

 

(にっ……逃げなきゃ……)

 

そう思ったものの、セオドリクとの距離が近すぎる。

背中を向けて走り出したところで、すぐに追いつかれて斬られる気がした。

そもそも、この広間から逃げ切れる気がしない。

出入口の扉の前には、衛兵が立っている。

 

(なんとか剣を避けるしかないのかしら……)

 

迫ってくるセオドリクが手に持つ剣を凝視する。

夢と違って、いまは手首にフェルの組紐はない。

避けるのを邪魔されることは、もうないはず。

 

セオドリクの剣が高く掲げられる。

 

「偽りの聖女に、情けは不要だ」

 

刃が振り下ろされる。

 

(――いまだっ!)

 

避けるために身を捻ろうとした、その時。

耳の後ろで結った髪の根元に、バチッと鋭い痛みが走った。

 

「痛っ……!」

 

思わず目を閉じてしまう。

 

(あっ、ダメだ……間に合わな……)

 

斬られる――そう思った直後。

ガキン、と……なにかが砕ける音がした。

 

「……えっ」

 

カラン、と遅れて音が響く。

薄目を開けると、折れた剣を持つセオドリクが映った。

下を向けば、足元には剣先の破片。

そのすぐそばに、白い花を思わせる飾り細工の欠片が落ちていた。

 

(これって、まさか)

 

片手でそっと、耳の後ろに触れる。

あれほど引き抜けなかった髪飾りが、いまはもう挿さっていない。

 

(この髪飾りが……守ってくれた?)

 

けれどその前に、避けようとした時のことが思い出される。

耳の後ろ――髪飾りを挿していたあたりに、バチッと痛みが走った。

組紐の時と同じように、また避けるのを邪魔されたのだとしか思えなかった。

 

(もう、わけがわからない……)

 

すぐにでも、壁際に立つフェルに確かめたい。

組紐も、髪飾りも、一体なんのつもりだったのか。

そもそも、ラグレイン家の魔術師なのに、どうして助けようともしないのか。

けれど、彼のいるほうへ視線を向ける余裕すら、いまはない。

 

「……忌々しい」

 

セオドリクが低く呟いた。

聞いたこともないような声色だった。

本当に……彼なのかと思うほど。

 

そのまま剣を構え直す。

剣先が折れていても、残った刀身を叩きつけられたら、ただじゃ済まない。

……と、思っていたら。

 

折れたはずの剣先が、また刀身の先にあった。

けれど、完全に元どおりではない。

先端だけが黒く変わっていて、その禍々しさはこの世のものとは思えなかった。

 

「なっ……なによそれ……」

 

一歩、また一歩と後ずさる。

セオドリクが、さらに大きな歩幅で踏み込んでくる。

 

「逃がさん」

 

ふたたび剣が掲げられる。

避けなければ――そう思うのに、なぜか黒い剣先から目が離せない。

 

真上から、叩きつけるように振り下ろされる。

刃が落ちてくる、その直前――黒い剣先からこぼれた闇みたいなものが、視界いっぱいに広がった。

気づけば、両腕を顔の前に上げていた。

 

次の瞬間、腕ごと上半身を叩き割られるような衝撃が落ちる。

熱い痛みが走り、赤い飛沫が散った。

 

「ぁ……っ!」

 

尻餅をつくみたいに後ろへ崩れ、そのまま床へ倒れ込む。

腕も、肩も、胸も、背中まで痛い。息が吸えない。

どっと温かいものが服の内側を流れていく。

 

誰かの声がした気がしたけれど、もううまく聞き取れなかった。

視界の端から暗くなっていって――そこで、意識が途切れた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

――朝。

私は寝台の上で目を覚ました。

やっぱり夢だった。

 

「……って、そんなわけないじゃない」

 

呟きながら、上体を起こす。

怪我もなければ、痛みもない。

さっきまでのことが嘘みたいに、身体のどこにも傷ひとつなかった。

 

「信じられないけど……そうとしか考えられないわよね」

 

深く息を吸い、吐く。

いまから、ありえないことを口にするという、覚悟をもつように。

 

「――時間が、巻き戻っている」

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