軽口ばかりの魔術師が、私を救う白銀の守護獣だったなんて〜婚約破棄された聖女は、死に戻りの果て、人外の彼に溺愛される〜   作:鈍色シロップ

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20(終)

「私……フェルが好き」

 

口にした途端、顔どころか耳まで熱くなる。

けれど、もう引き返せなかった。

 

フェルはしばらく、黙ったままだった。

なにか言おうとしているのか、視線だけがわずかに揺れる。

風が枝葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえた。

 

「……僕を?」

 

ようやく落ちてきた声は、からかうでも拒むでもなく、ただ意外そうだった。

 

「君が、僕を……本当に?」

 

「……嘘じゃないわ」

 

顔を背けたくなるのをなんとかこらえて、フェルを見たまま言い切る。

珍しく、彼の眉がわずかに寄った。

 

「どうして僕なのか……聞いてもいいものなのかな?」

 

フェルは小さく首を傾げる。

 

「えっ……ええと……私のこと、ずっと助けてくれて……それで、だから……」

 

口にした理由は、自分でも頼りなかった。

彼のそばに、ずっといたい――その気持ちだけは、こんなにはっきりしているのに。

 

「……僕が君を助けたから?」

 

「それだけじゃ、ない……けれど……」

 

続きが出てこない。

実際、巻き戻りのなかで、私はずっと助けられてばかりだった。

 

(どうしてうまく言えないの……)

 

悔しさに、目の奥が熱くなる。

 

「エステア」

 

穏やかな声で、名を呼ばれる。

 

「僕が君を助けたのは、初代との約束があったからだ。彼女が遺した封印と、ラグレイン家を見守る――その約束のなかに、君もいた」

 

そこで一度、言葉を切る。

軽く流すわけでも、突き放すわけでもない言いかただった。

 

「だから、君を助けたことを理由に、僕を特別に想ってくれるのなら……その気持ちを受け取っていいのか、わからない」

 

「……」

 

なにも言えなかった。

 

私だから助けたわけではない。

私がラグレイン家の聖女だから。

初代との約束があったから。

 

そんなことは、もう知っている。

それなのに、胸の内側をぎゅっと掴まれたように、息が苦しくなった。

 

フェルはさらに言葉を重ねる。

 

「それに、僕はこうして人の姿を取っている。君のそばで、人のように振る舞ってきた。だから君が、僕を人間と同じだと思ってしまうのも……無理はないのかもしれない」

 

「それは違うわ……! 私、ちゃんと覚えてる……広間で見た、あなたの本当の姿。あの姿だって、私にはフェルだった。神聖で……美しいって、そう思ったの」

 

「……そこまで言われると、少し照れるね」

 

どこか困ったように、彼は口元を緩めた。

 

「だっ、だって……本当にそう思ったんだもの。フェルが人間じゃないなんて、関係ない……それでも、私は……」

 

ついに、目の端に涙がにじんだ。

もう、抑えきれなかった。

 

「好きに……なっちゃったんだもの。フェルのこと……うぅ……っ」

 

逃げるように目を瞑ると、溜まっていた涙が頬を伝ってぽたりと落ちた。

また、フェルの前で泣いてしまった。

 

あの時は、縛られたうえに怪我までしていた彼を、どうにか助けたかったからだけれど。

今度は、ただ自分の気持ちをどうにもできなくて泣いている。

 

とうとう鼻を啜り始めたところで――

 

「泣かないで、エステア」

 

指先で、優しく涙を拭われた。

目を開けると、フェルが柔らかく微笑んでいた。

 

「君の泣いている顔は、本当に見たくないんだ。……言っただろう? エステアは、笑っているほうが可愛いって」

 

「そっ……そういうところよ! そんなふうに、可愛いなんて言ってくるから……!」

 

「君、『嫌じゃない』って言ってなかった?」

 

「嫌じゃ……ないけど……嬉しいけど……って、そうじゃなくて!」

 

「はいはい」

 

軽く流しながら、フェルは私の目元から指先を離した。

涙がにじむ時とは違う熱さが、そこに残った気がした。

 

「……君がそこまで言ってくれたんだ。僕もちゃんと、言葉にするよ」

 

「フェル……?」

 

「僕にとって、君は特別な存在だ。代々のどの聖女とも、それこそ初代とだって違う。……ただ、人間の恋心と同じものだとは言えない」

 

白銀の長い髪が、風に吹かれてさらりと揺れる。

 

「それでも、君の気持ちに応えることで、君が笑っていてくれるなら……僕は、君の隣に立つことを選ぶよ」

 

「私の……隣に? それって――」

 

問い返すより早く、フェルの手が私の頬に触れた。

涙を拭われた時よりも近い距離で、彼に覗き込まれる。

 

息が詰まった。

囁くように告げられる。

 

「僕のエステア……この命にかけて、生涯離さないと誓うよ」

 

心臓が止まるかと思った。

その言葉の意味は、すぐには頭に入ってこなかった。

 

けれど……少し遅れて思い出す。

大神殿の広間で、フェルが私の新しい婚約者として口にした、あの時の台詞だ。

 

「フェ……フェル!? こんな時まで冗談は……」

 

「冗談なんかじゃないよ」

 

「……っ」

 

平然と返されて、言葉を失う。

 

「それに、演技でもない。君を離したくない気持ちは……いまはちゃんと、本物だよ」

 

頬に触れていないほうの腕が、そっと私の背中に回る。

強く抱きしめられたわけではない。

ただ、枝の上で体勢を支えるみたいに、フェルの腕が私を離さずにいた。

 

それだけなのに、もう十分だった。

離さないという言葉が、腕の中で本当になっていく気がした。

 

「……本当に、いいの? こ……後悔しない?」

 

「しないってば。君って案外、疑り深いんだねぇ」

 

「だって……一度は婚約者に裏切られてるのよ? それに、長く生きるフェルが、本気で命をかけるだなんて……大げさにしか聞こえないわ」

 

「まあまあ。大げさかどうかは、これから判断してもらうとして……君こそ、後悔したってもう遅いよ?」

 

「……しないわよ。後悔なんて」

 

頬に添えられたフェルの指先に、自分の手を重ねる。

そのまま彼の手を下ろさせると、私はフェルの肩口に額を寄せた。

 

ふわりと、今度は髪を撫でられる。

以前みたいに、子どもを褒めるような手つきではなかった。

 

(なんだか、現実味がないわね……)

 

もしかして、いま私は夢のなかにいるのではないか。

つい、そんなことまで考えてしまう。

何度も同じ日を繰り返していた時のほうが、よっぽど現実離れしていたはずなのに。

 

どれくらい、そうしていただろう。

ふいにフェルが、私の髪から手を離した。

 

「フェル……?」

 

顔を上げないまま、問いかける。

 

「さすがにそろそろ、木から降りようか。君の正式な婚約者になるなら、やることも増えるだろうしね」

 

「……それは、そのとおりね」

 

私はフェルから身を離した。

 

「でも……魔力を温存するために、木の上で休んでいたのでしょう? もう少し、調子が戻ってからでも……」

 

「なに言ってるのさ。エステアと一緒にいられる時間のほうが、よっぽど大事だもの。いつまでも休んでなんていられないよ」

 

まっすぐそう言われて、むず痒くなる。

確かに、望んだのは私だけれど……すぐには慣れそうになかった。

 

フェルが、枝の上で私に手を差し出す。

その手を取ろうとして――私はようやく、ここへ来た理由を思い出した。

 

「あっ、待って……! そもそも私、あなたにこれを渡すために来たのよ」

 

懐から、小さな包みを取り出す。

包みの布をほどき、細い鎖につながれた飾りを手のひらに乗せた。

 

「初代の髪飾りなんだけど、細工職人に直してもらえたって言ったでしょう? でも、髪飾りとしてはもう難しいみたいで……代わりに、首飾りにしてもらったの」

 

とはいえ、ひびの跡も、欠けたところを補った跡も、残ってしまった。

失われずに済んだものの、これを見たフェルがどう思うかまでは、想像できなかった。

 

「せめて、フェルに返したくて。大切な……初代の形見だものね」

 

「……」

 

フェルはしばらく、首飾りをじっと見ていた。

やがて、その指先がゆっくりと飾りに触れる。

 

「エステア」

 

「なに?」

 

フェルは、細い鎖を指先で広げた。

その手が……私の首元へ伸びてくる。

冷たい感触が肌に触れて、ぴくりと肩が跳ねた。

 

「フェ、フェル……?」

 

「動かないで」

 

首の後ろで、フェルの指先が小さな留め具を合わせる。

やがて、胸元に首飾りのわずかな重みが落ちた。

 

「これはもう、君が災いを封じた証になったんだ。だから、君が持っていたほうがいい」

 

「私が……? いいの?」

 

「うん。それに……僕は散々、この髪飾りを武器みたいに使ってしまったし。もうすっかり、嫌われてそう」

 

「なにそれ……」

 

くすりと、自然に笑みがこぼれた。

たぶん、フェルの言う「エステアに笑っていてほしい」とは、こういうことではないんだろうけど。

彼の隣でなら、こんなふうにずっと笑っていられる。

素直にそう思えた。

 

それから、彼は私の手を取って、木から下ろしてくれた。

足が地面についたところで、ほっと息を吐く。

 

「ありがとう、フェル。……それじゃあ、行きましょうか」

 

裏庭から屋敷に戻る道へ向きかけたところで。

 

「ああ、ちょっと待って。エステア」

 

「えっ?」

 

今度はフェルが、私を呼び止めてきた。

振り向こうとした、その瞬間。

大きな影が、私を覆った。

 

頬にふわりと、柔らかな毛並みが触れる。

目の前にいたのは、人の姿のフェルではない。

いつのまにか、巨大な白銀の獣がそこにいた。

 

獣の鼻先が、私の頬へ寄せられる。

そして――ぺろりと、優しく舐められた。

 

「ひゃっ……! フェ、フェル!?」

 

『この姿なら、まだ親愛のしるしで済むだろう?』

 

「済まないわよ!? それに、誰かに見られたらどうするのよ……フェルの正体が、バレちゃうじゃない……!」

 

『その時は……うまく誤魔化してみるさ。それとも――人の姿のほうがよかったかな』

 

「ちっ、違……」

 

『冗談だよ。エステア、顔が真っ赤だけど……婚約するのに、大丈夫?』

 

「大丈夫じゃ……いえ、大丈夫よ! 大丈夫……!」

 

思ったより大声になってしまったけれど、自分でも、まったく大丈夫に聞こえなかった。

フェルは、どこか楽しげに喉を鳴らした。

 

『それなら安心したよ』

 

(もうっ……)

 

文句を言いながらも、頬に残った温もりが消えるのは……少し惜しかった。

頬を押さえて視線を落とすと、胸元で、初代の髪飾りだった首飾りが小さく揺れていた。

 

巻き戻れば、壊れる前の姿に戻っていたはずのもの。

それがいまは、別の形になって、ここにある。

 

壊れたことも、直されたことも、なかったことにはならない。

もう、同じ日を繰り返してはいないのだ。

 

死で閉ざされていたはずの結末を越えて、私はフェルと一緒に、未来を選んでいける。

家のことも、考えなければならないことも、まだまだたくさんあるけれど、それでも――

 

「あの巻き戻りを、乗り越えられたんだもの……きっと、大丈夫」

 

『うん? なにか言った?』

 

「……なんでもないわ! ほら、早く屋敷へ戻りましょう」

 

白銀の魔術師であり、封印の守護獣であり――私の婚約者になった彼の隣で。

これから始まる時間へ、私は一歩を踏み出した。

 

 

【完】

 

 





お読みいただき、ありがとうございました!
もし少しでもお楽しみいただけましたら、とても嬉しいです。
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