軽口ばかりの魔術師が、私を救う白銀の守護獣だったなんて〜婚約破棄された聖女は、死に戻りの果て、人外の彼に溺愛される〜 作:鈍色シロップ
「私……フェルが好き」
口にした途端、顔どころか耳まで熱くなる。
けれど、もう引き返せなかった。
フェルはしばらく、黙ったままだった。
なにか言おうとしているのか、視線だけがわずかに揺れる。
風が枝葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……僕を?」
ようやく落ちてきた声は、からかうでも拒むでもなく、ただ意外そうだった。
「君が、僕を……本当に?」
「……嘘じゃないわ」
顔を背けたくなるのをなんとかこらえて、フェルを見たまま言い切る。
珍しく、彼の眉がわずかに寄った。
「どうして僕なのか……聞いてもいいものなのかな?」
フェルは小さく首を傾げる。
「えっ……ええと……私のこと、ずっと助けてくれて……それで、だから……」
口にした理由は、自分でも頼りなかった。
彼のそばに、ずっといたい――その気持ちだけは、こんなにはっきりしているのに。
「……僕が君を助けたから?」
「それだけじゃ、ない……けれど……」
続きが出てこない。
実際、巻き戻りのなかで、私はずっと助けられてばかりだった。
(どうしてうまく言えないの……)
悔しさに、目の奥が熱くなる。
「エステア」
穏やかな声で、名を呼ばれる。
「僕が君を助けたのは、初代との約束があったからだ。彼女が遺した封印と、ラグレイン家を見守る――その約束のなかに、君もいた」
そこで一度、言葉を切る。
軽く流すわけでも、突き放すわけでもない言いかただった。
「だから、君を助けたことを理由に、僕を特別に想ってくれるのなら……その気持ちを受け取っていいのか、わからない」
「……」
なにも言えなかった。
私だから助けたわけではない。
私がラグレイン家の聖女だから。
初代との約束があったから。
そんなことは、もう知っている。
それなのに、胸の内側をぎゅっと掴まれたように、息が苦しくなった。
フェルはさらに言葉を重ねる。
「それに、僕はこうして人の姿を取っている。君のそばで、人のように振る舞ってきた。だから君が、僕を人間と同じだと思ってしまうのも……無理はないのかもしれない」
「それは違うわ……! 私、ちゃんと覚えてる……広間で見た、あなたの本当の姿。あの姿だって、私にはフェルだった。神聖で……美しいって、そう思ったの」
「……そこまで言われると、少し照れるね」
どこか困ったように、彼は口元を緩めた。
「だっ、だって……本当にそう思ったんだもの。フェルが人間じゃないなんて、関係ない……それでも、私は……」
ついに、目の端に涙がにじんだ。
もう、抑えきれなかった。
「好きに……なっちゃったんだもの。フェルのこと……うぅ……っ」
逃げるように目を瞑ると、溜まっていた涙が頬を伝ってぽたりと落ちた。
また、フェルの前で泣いてしまった。
あの時は、縛られたうえに怪我までしていた彼を、どうにか助けたかったからだけれど。
今度は、ただ自分の気持ちをどうにもできなくて泣いている。
とうとう鼻を啜り始めたところで――
「泣かないで、エステア」
指先で、優しく涙を拭われた。
目を開けると、フェルが柔らかく微笑んでいた。
「君の泣いている顔は、本当に見たくないんだ。……言っただろう? エステアは、笑っているほうが可愛いって」
「そっ……そういうところよ! そんなふうに、可愛いなんて言ってくるから……!」
「君、『嫌じゃない』って言ってなかった?」
「嫌じゃ……ないけど……嬉しいけど……って、そうじゃなくて!」
「はいはい」
軽く流しながら、フェルは私の目元から指先を離した。
涙がにじむ時とは違う熱さが、そこに残った気がした。
「……君がそこまで言ってくれたんだ。僕もちゃんと、言葉にするよ」
「フェル……?」
「僕にとって、君は特別な存在だ。代々のどの聖女とも、それこそ初代とだって違う。……ただ、人間の恋心と同じものだとは言えない」
白銀の長い髪が、風に吹かれてさらりと揺れる。
「それでも、君の気持ちに応えることで、君が笑っていてくれるなら……僕は、君の隣に立つことを選ぶよ」
「私の……隣に? それって――」
問い返すより早く、フェルの手が私の頬に触れた。
涙を拭われた時よりも近い距離で、彼に覗き込まれる。
息が詰まった。
囁くように告げられる。
「僕のエステア……この命にかけて、生涯離さないと誓うよ」
心臓が止まるかと思った。
その言葉の意味は、すぐには頭に入ってこなかった。
けれど……少し遅れて思い出す。
大神殿の広間で、フェルが私の新しい婚約者として口にした、あの時の台詞だ。
「フェ……フェル!? こんな時まで冗談は……」
「冗談なんかじゃないよ」
「……っ」
平然と返されて、言葉を失う。
「それに、演技でもない。君を離したくない気持ちは……いまはちゃんと、本物だよ」
頬に触れていないほうの腕が、そっと私の背中に回る。
強く抱きしめられたわけではない。
ただ、枝の上で体勢を支えるみたいに、フェルの腕が私を離さずにいた。
それだけなのに、もう十分だった。
離さないという言葉が、腕の中で本当になっていく気がした。
「……本当に、いいの? こ……後悔しない?」
「しないってば。君って案外、疑り深いんだねぇ」
「だって……一度は婚約者に裏切られてるのよ? それに、長く生きるフェルが、本気で命をかけるだなんて……大げさにしか聞こえないわ」
「まあまあ。大げさかどうかは、これから判断してもらうとして……君こそ、後悔したってもう遅いよ?」
「……しないわよ。後悔なんて」
頬に添えられたフェルの指先に、自分の手を重ねる。
そのまま彼の手を下ろさせると、私はフェルの肩口に額を寄せた。
ふわりと、今度は髪を撫でられる。
以前みたいに、子どもを褒めるような手つきではなかった。
(なんだか、現実味がないわね……)
もしかして、いま私は夢のなかにいるのではないか。
つい、そんなことまで考えてしまう。
何度も同じ日を繰り返していた時のほうが、よっぽど現実離れしていたはずなのに。
どれくらい、そうしていただろう。
ふいにフェルが、私の髪から手を離した。
「フェル……?」
顔を上げないまま、問いかける。
「さすがにそろそろ、木から降りようか。君の正式な婚約者になるなら、やることも増えるだろうしね」
「……それは、そのとおりね」
私はフェルから身を離した。
「でも……魔力を温存するために、木の上で休んでいたのでしょう? もう少し、調子が戻ってからでも……」
「なに言ってるのさ。エステアと一緒にいられる時間のほうが、よっぽど大事だもの。いつまでも休んでなんていられないよ」
まっすぐそう言われて、むず痒くなる。
確かに、望んだのは私だけれど……すぐには慣れそうになかった。
フェルが、枝の上で私に手を差し出す。
その手を取ろうとして――私はようやく、ここへ来た理由を思い出した。
「あっ、待って……! そもそも私、あなたにこれを渡すために来たのよ」
懐から、小さな包みを取り出す。
包みの布をほどき、細い鎖につながれた飾りを手のひらに乗せた。
「初代の髪飾りなんだけど、細工職人に直してもらえたって言ったでしょう? でも、髪飾りとしてはもう難しいみたいで……代わりに、首飾りにしてもらったの」
とはいえ、ひびの跡も、欠けたところを補った跡も、残ってしまった。
失われずに済んだものの、これを見たフェルがどう思うかまでは、想像できなかった。
「せめて、フェルに返したくて。大切な……初代の形見だものね」
「……」
フェルはしばらく、首飾りをじっと見ていた。
やがて、その指先がゆっくりと飾りに触れる。
「エステア」
「なに?」
フェルは、細い鎖を指先で広げた。
その手が……私の首元へ伸びてくる。
冷たい感触が肌に触れて、ぴくりと肩が跳ねた。
「フェ、フェル……?」
「動かないで」
首の後ろで、フェルの指先が小さな留め具を合わせる。
やがて、胸元に首飾りのわずかな重みが落ちた。
「これはもう、君が災いを封じた証になったんだ。だから、君が持っていたほうがいい」
「私が……? いいの?」
「うん。それに……僕は散々、この髪飾りを武器みたいに使ってしまったし。もうすっかり、嫌われてそう」
「なにそれ……」
くすりと、自然に笑みがこぼれた。
たぶん、フェルの言う「エステアに笑っていてほしい」とは、こういうことではないんだろうけど。
彼の隣でなら、こんなふうにずっと笑っていられる。
素直にそう思えた。
それから、彼は私の手を取って、木から下ろしてくれた。
足が地面についたところで、ほっと息を吐く。
「ありがとう、フェル。……それじゃあ、行きましょうか」
裏庭から屋敷に戻る道へ向きかけたところで。
「ああ、ちょっと待って。エステア」
「えっ?」
今度はフェルが、私を呼び止めてきた。
振り向こうとした、その瞬間。
大きな影が、私を覆った。
頬にふわりと、柔らかな毛並みが触れる。
目の前にいたのは、人の姿のフェルではない。
いつのまにか、巨大な白銀の獣がそこにいた。
獣の鼻先が、私の頬へ寄せられる。
そして――ぺろりと、優しく舐められた。
「ひゃっ……! フェ、フェル!?」
『この姿なら、まだ親愛のしるしで済むだろう?』
「済まないわよ!? それに、誰かに見られたらどうするのよ……フェルの正体が、バレちゃうじゃない……!」
『その時は……うまく誤魔化してみるさ。それとも――人の姿のほうがよかったかな』
「ちっ、違……」
『冗談だよ。エステア、顔が真っ赤だけど……婚約するのに、大丈夫?』
「大丈夫じゃ……いえ、大丈夫よ! 大丈夫……!」
思ったより大声になってしまったけれど、自分でも、まったく大丈夫に聞こえなかった。
フェルは、どこか楽しげに喉を鳴らした。
『それなら安心したよ』
(もうっ……)
文句を言いながらも、頬に残った温もりが消えるのは……少し惜しかった。
頬を押さえて視線を落とすと、胸元で、初代の髪飾りだった首飾りが小さく揺れていた。
巻き戻れば、壊れる前の姿に戻っていたはずのもの。
それがいまは、別の形になって、ここにある。
壊れたことも、直されたことも、なかったことにはならない。
もう、同じ日を繰り返してはいないのだ。
死で閉ざされていたはずの結末を越えて、私はフェルと一緒に、未来を選んでいける。
家のことも、考えなければならないことも、まだまだたくさんあるけれど、それでも――
「あの巻き戻りを、乗り越えられたんだもの……きっと、大丈夫」
『うん? なにか言った?』
「……なんでもないわ! ほら、早く屋敷へ戻りましょう」
白銀の魔術師であり、封印の守護獣であり――私の婚約者になった彼の隣で。
これから始まる時間へ、私は一歩を踏み出した。
【完】
お読みいただき、ありがとうございました!
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