一方、都内の私立女子校に通う**美咲(みさき)**もまた、無機質なワンルームマンションで、見知らぬ男・隆の肉体として目覚める。混乱の中で連絡を取り合った二人は、互いの生活を維持するために「入れ替わり」を受け入れ、代わりの日常を演じることを決意する。
しかし、隆にとって美咲としての生活は、過酷な「自分を消す作業」だった。数万円もする重厚なドレス、きつく締め上げられたコルセット、そして慣れないメイク。完璧な「お人形」へと作り替えられていく自分。一歩外へ出れば、男時代には経験したことのない「鑑賞の対象」としての視線が容赦なく突き刺さる。
美少女という名の「檻」に閉じ込められた隆は、周囲の羨望の眼差しを浴びながら、自尊心が削られ「見られるための偶像」へと変質していく恐怖に直面する。
隆(たかし)にとって、大学生活とは「平均値」を維持するための作業だった。
適当なサークルに属し、及第点のレポートを書き、居酒屋のバイトで小銭を稼ぐ。
彼のクローゼットには、無難なモノトーンのパーカーやジーンズが並び、それこそが彼という存在の防壁だった。
目立たず、疎まれず、流されるままに生きる。その平穏が、ある日の黄昏時、新宿駅の雑踏の中で音もなく崩壊した。
電車のドアが開く瞬間の、鋭い金属音。
それが脳を刺すような高周波に変わったかと思うと、隆の視界は激しい混濁に見舞われた。
「……っ、めまいか?」
手すりを掴もうとしたが、感覚がない。意識は急速に冷え込み、深い闇の底へと沈降していく。
次に目を開けたとき、隆は自分が「花の匂い」に包まれていることに気づいた。
だが、それは自然の草花ではない。
人工的な、ひどく甘ったるいバニラとローズの香料が混じり合った、少女の部屋の匂いだ。
「……ここ、は?」
起き上がろうとして、身体に奇妙な抵抗を感じた。
まず、視界が異様に低い。
そして、寝返りを打つたびに、シャラシャラと布が擦れる未知の音が鼓膜を叩く。
鏡の前に立った隆は、その場に凍りついた。
そこにいたのは、平均的な大学生・隆ではなかった。
豪奢なレースが幾重にも重なった、漆黒とボルドーの「ゴシック・ロリータ」に身を包んだ、人形のような少女だ。
縦ロールに巻かれた長い髪、磁器のように白い肌、そして、自分の意思とは無関係にパッチリと開いた大きな瞳。
「う、嘘だろ……」
漏れ出た声は、鈴の音を転がしたような、高く澄んだ、それでいてどこか非現実的な少女のものだった。
隆は震える手で、自分の――美咲の――身体を確かめた。
胸元には、少女特有の小さな、しかし確かな膨らみがある。
コルセットできつく締め上げられたウエストは、自分の拳二つ分ほどしかないように感じられた。
重厚なパニエがスカートをドーム状に広げ、歩くたびに太ももを布の層が優しく、しかし執拗に愛撫する。
一方、都内の私立女子校に通う美咲もまた、絶望的な混乱の中にいた。
目覚めた場所は、散らかったワンルームマンション。
壁には無機質な就活のポスター、床には脱ぎ捨てられた黒い靴下。
「なに、これ……」
自分の喉から響いたのは、低く、太く、野太い「男」の声だった。
美咲はパニックになり、隆のスマートフォンをひったくるように手に取った。
そこには、自撮りさえ一枚も入っていない、殺風景なデジタル履歴が並んでいる。
二人がお互いの番号に電話をかけ、状況を把握するのに時間はかからなかった。
「……入れ替わってる、ってことだよね? 嘘みたいだけど」
美咲(の中身が入った隆)の声は、受話器越しに聞くと、不思議なほど落ち着いて聞こえた。
「僕は隆。大学生だ。……君は?」
「私は美咲。高校生。……今、鏡を見てるんだけど、信じられない。私、すごくガタイのいい男の人になってる」
二人は、周囲に怪しまれないよう、当面はお互いの生活を演じることを決めた。
しかし、隆にとって美咲の生活は「過酷な修行」に近いものだった。
まず、ロリータファッションという名の「武装」だ。
美咲の部屋のクローゼットには、一着数万円もするような豪華なドレスが並んでいる。隆は、美咲が残したメモとSNSの過去投稿を頼りに、その「鎧」を身に纏う。
ワイヤー入りのヘッドドレスを固定し、慣れないメイクで顔を作り替える。
鏡の中の少女が完璧になればなるほど、内側の「隆」という意識は、暗い井戸の底に閉じ込められていくような閉塞感を覚えた。
「これを着て、学校へ行くのか……?」
隆は、美咲として登校する初日、駅のホームで人々の視線が自分に突き刺さるのを感じた。
「見て、あのロリータ、可愛いけど気合入ってるね」
「お人形さんみたい」
囁き声が、物理的な圧力となってドレスのレースを震わせる。
男だった頃には決して向けられることのなかった、剥き出しの「鑑賞の視線」。
隆は、美咲の肉体が持つ「美しさ」という名の檻の中で、一歩歩くたびに、自分の自尊心が削り取られ、代わりに「見られるための偶像」という役割が肉に食い込んでいくのを感じていた。