いつかかえるところ   作:くろまめのにまめ

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二十一話

空木さんの言葉に促され、ゆっくりと口を開いた。隣では有栖さんが微かに姿勢を正し、補足を入れるタイミングを窺っている。環さんはソファに浅く腰掛けたまま、真剣な眼差しで耳を傾けていた。

 

「築地跡地に着いたときには、現場の部隊はかなり追い詰められていました。結界で囲い込んだものの、中で魂喰が進化してしまって――」

 

空木さんが小さく頷いた。飲み干したコーヒー缶を脇に押しやり、代わりにデスクのタブレットを手に取る。指先が画面を滑り、記録用のファイルが開かれた。

 

「一相から二相への進化だね。現場の部隊は霧のようなものを目撃したと言っていたが、あれはなんだったんだい?」

 

「はい。霧そのものが魂喰でした。全身を霧に変えていて――こちらの攻撃がまったく通りませんでした。代わりに向こうが攻撃する瞬間だけ、身体を実体化させてくるんです」

 

「カウンターを狙うしかない、というわけか」

 

空木さんは小さく唸りながら画面にメモを打ち込んでいく。

 

「探知も試みました。でも反応があらゆる方向から返ってきて、位置の特定が不可能でした。結局、障壁を破られて道具も壊れてしまい……一度撤退せざるを得なくなりました」

 

「ああ。現場の隊員からも報告を受けている。結界の外に出た後、有栖くんは左腕を負傷していたと」

 

「はい。ですが、この通りです」

 

有栖さんは左手を軽く振り、袖口から包帯の外された素肌を見せる。そこには薄く線のような傷跡が残るばかりで、出血も腫れもない。

空木さんの眉が僅かに上がった。

 

「回復が早いね。君の身体機能は――いや、今はいい。次に九条氏との接触があったということだが」

 

「撤退した先で九条さんに出会いました。本社の支援部隊は出払っていたと聞いていますが――」

 

間に入ったのは環さんだった。小さく咳払いを挟む。

 

「それはわたしも不思議に思っていたの。まほろば会って組織、聞いたことないんだけど」

 

「君は知らなかったのかい?」

 

「ぼく、事務所付きだしさ。他社とか外部の異能者グループには接点が少ないから」

 

空木さんは苦笑しながらタブレットを操作し、画面をこちらに向けた。

 

映し出されたのは「まほろば会」の概略書と、九条さんのプロフィールだった。

 

「簡単に言えば宗教団体だ。ただし教義は曖昧で、大衆を扇動するような思想はない。人類の救済――要は魂喰による被害を減らすことが目的らしい」

 

「あー、そういう……。宗教っていうよりNPO法人みたいな感じ?」

 

「だいたいそんな認識でいい。今回のような緊急時には、互いに協力体制を敷いているんだ」

 

「なるほどね」

 

環さんは納得したように頷き、こちらへ視線を向けた。

 

「凪くん。九条さんって、すごい人だった?」

 

「……正直言って、驚きました。一目見ただけでこちらの状況を見抜いて、的確な助言をくれたんです」

 

「ほう」

 

空木さんの目がわずかに細くなる。

 

九条さんとの出会いを簡潔に説明した。一時撤退の直後に現れたこと。空木さんからの依頼で臨時に来た傭兵だと名乗ったこと。そして、彼の助言によって道具なしで領域を展開する方法を掴んだこと。

 

「九条さんは、自分のことを『眼が良い』と言っていました。人が持つ適性や潜在能力が見えるそうです。それで自分を見て、道具に頼らなくても力を外に出せる人だと言われて」

 

タブレットにメモを叩いていた空木さんの指が、ぴたりと止まった。

 

「道具なしで力を発現……それで、どうしたんだい?」

 

「教えられた通りにイメージを固めて、自分の中から力をそのまま外に押し出す感覚で障壁を展開しました。最初は小さな半球状のものでしたが、道具を使っていたときと比べて、嘘みたいに安定していて」

 

掌を開き、そこにまだ残っているあの感覚を確かめるように視線を落とした。あの夜の冷えた空気と、体の内側から湧き上がった密度の高い力の流れが、まだ指先に張り付いている気がした。

 

「それから九条さんに促されて、結界も同じ要領で展開しました。結界班の疲労が限界だったので、引き継ぐ形で」

 

「あの規模の結界を、道具なしで……」

 

空木さんの声が一段低くなる。無意識にコーヒーカップを口元へ運ぼうとして、それが空であることに気づいた。カップを置く指先が、微かに落ち着きを欠いている。

 

「結界の中では霧が晴れて、魂喰の姿がはっきり見えるようになりました。それで……最後は夜空の星から光を降ろして奴を拘束し、有栖さんが核を突きました」

 

室内に静寂が降りた。

コンピュータの冷却ファンが立てる低い唸りだけが、やけに大きく耳に届く。

 

「君が道具なしで結界を展開した件だが、それは非常に……特別なことなんだ」

 

言葉を選ぶように慎重に語る空木さんに対し、環さんが勢いよく立ち上がった。

ソファがギィッと悲鳴を上げる。

 

「特別なんかじゃない! それ、ブレーキのない車でアクセルを踏み抜いてるようなものなんだよ!?」

 

環さんがデスクに身を乗り出し、激しい剣幕で言葉を畳みかけてくる。

 

「道具っていうのはね、出力を制御して魂が焼き切れないように保護する『ブレーキ』の役割も持ってるの。それなしで力を出すってことは、自分の限界値をいくらでも簡単に踏み越えられちゃうってこと!……元に戻る安全装置もないままね。一歩でも踏み込みすぎたら、その瞬間に自滅するんだよ!?」

 

その迫力に気圧されながらも、正直な身体の感触を口にした。

 

「ですが、特に異常は感じていません。むしろ朝起きたらすごく調子が良くて……疲労も綺麗に抜けている感じです」

 

「調子が良い……?」

 

環さんの声がさらに鋭くなる。

空木さんも眉間に深々と皺を寄せたまま黙り込んだ。

 

環さんはしばらく唇を噛みしめていたが、やがて小さく息を吐くと、いつもの調子を取り戻そうとするようにパンと手を叩いた。

 

「わかった。じゃあ今の件が落ち着いたら色々チェックさせてもらうからね!」

 

その声にはまだ微かな不安の色が残っていたが、無理に明るく振る舞おうとしているのが伝わってくる。空木さんもまた、タブレットの画面を閉じながら重い息を吐き出した。研究者としての好奇心と、年長者としての責任感がせめぎ合っているのが、その横顔から見て取れる。

 

「そういえば」

 

不意に有栖さんが口を開いた。視線はこちらの胸元に向けられている。

 

「魂喰を倒した後、胸を押さえて俯いていらっしゃいましたが……あれは大丈夫だったんですか?」

 

その声には、戦闘直後からずっと抱えていたであろう心配が滲んでいた。左腕の傷よりも、こちらの異変のほうを気にかけてくれていたらしい。

 

「ああ……」

 

自分の胸にそっと手を当てた。今は何の違和感もない。けれど、あの瞬間の感覚だけは鮮明に覚えている。冷たくも熱くもない、形容しがたい何かが脈を打って全身に染み渡っていくような――あれは確かに、初めてではなかった。

 

「倒した瞬間に、何かが入り込んでくる感覚がありました。今思い出したんですけど……河川敷で一相を倒したときも、同じようなことがあった気がします」

 

「河川敷……あのときのですか?」

 

有栖さんが目を僅かに見開いた。彼女もあの夜のことを思い出したのだろう。堤防の傾斜に立ち込める水気と、魂喰の断末魔。そして戦いの後に自分が見せた、少しだけ遠くを見るような表情。

 

「凪くんの力が増したのって、その河川敷での戦いの後だったよね?」

 

環さんが確認を入れるように言った。声は静かだったが、研究者としての直感が働いているのが伝わってくる。

 

「確かに……」

 

「そういえば、そうですね」

 

有栖さんとほぼ同時に頷いた。空木さんは腕を組み、天井を仰ぐ。蛍光灯の白い光が眼鏡のレンズを滑り、その表情を無機質に照らし出した。

 

長い沈黙。コンピュータの冷却ファンが立てる唸りだけが耳に残る。

やがて空木さんはゆっくりと息を吐き、視線を戻した。

 

「色々検証したいところではあるが……」

 

そこで一旦言葉を切る。次に口を開いたとき、その声には重みが加わっていた。

 

「――無理は禁物だ。まずは体だね。君の体調を最優先させる」

 

環さんも慌てて同意するように頷いた。

タブレットを脇に挟み、両手を小刻みに振る。

 

「わたしも賛成! 凪くんの体、心配だしさ。報告書は今もらった情報でまとめておくから、今日は安静にして休んでいてね!」

 

その言葉には偽りのない心遣いが感じられた。空木さんは小さく微笑むと、

 

「事務所よりも設備は整っている。ここに泊まっていれば必要な検査もすぐにできるから、当分はこちらに滞在してもらえると助かるよ」

 

「もしくは……空木さんのお金でいいホテルに泊まっちゃう?」

 

環さんがいたずらっぽくウインクを飛ばす。思わず吹き出しそうになったが、空木さんのほうが早かった。静かに咳払いをし、環さんの額を指先で軽く弾く。

 

「こら。余計なことを言わない」

 

叱るというよりは窘めるような口調だ。環さんは大袈裟に額を押さえ、「あたー」と零しながらも、その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。そんな二人のやり取りを見ていると、胸の奥の重苦しさがふっと軽くなっていく。

 

「とにかく、無理に力を使わないようにね」

 

空木さんが再び真面目な顔に戻り、デスクから立ち上がると、白衣の裾がわずかに揺れた。

 

「今日はありがとう。こちらで報告とデータをまとめるから解散としよう。君たちは明日以降に備えてゆっくり休んでくれ。ここには訓練場も研究室もあるし、自由に使って構わないからね」

 

「部屋はそのまま使っていいように申請しておくから♪」

 

環さんが指をくるくると回しながら付け加える。その明るい声に、室内の硬い緊張が少しずつ解けていくのを感じた。

 

有栖さんと共に席を立ち、一礼する。

 

「では、また後日」

 

「ゆっくり休んでね〜」

 

二人の見送りを受け、研究室を後にした。

重い扉が閉まる静かな金属音が、薄暗い廊下に長く響いた。




いつも拙い作品を読んでいただきありがとうございます。
思い付きと勢いで書いた結果、当初考えていた大まかなプロットから少しずつズレ始めてしまいました。少し整理と展開を考えたいのでお時間をいただきたく思います。書いていて自分の表現力のなさも身に沁みましたので、色々頑張りたいと思います。
もしよろしければ、高評価・低評価どちらでもよろしいのでご意見を頂けると幸いです。
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