いつかかえるところ   作:くろまめのにまめ

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四話

「すごい……」

 

思わず漏れた声は、周囲の雑音に紛れて消えた。

所長が前を歩き出し、東雲さんがその後を追う。

遅れて足を踏み出した。

 

地上とは違う、わずかに重たい空気が肌に触れる。

乾いた涼しさと、微かな金属の匂い。

どこかで何かが規則正しく動いている——そんな気配が、空間に満ちていた。

ブースの間を、白衣の人々が忙しなく行き交う。

その手には端末や小型の機材が握られている。

整然とした動きの中に、確かな活気があった。

 

「ようこそ、研究室へ!」

 

その声は、突然響いた。

通路の奥から現れた少女は、白衣の裾を翻しながら小走りで近づいてくる。

年齢は自分と同じくらいか、やや幼く見えた。

白衣の下には無造作に纏ったTシャツとジーンズというラフな服装。

丸みを帯びた眼鏡の奥に、隠す気のない好奇心がそのまま瞳に出ている。

 

「君が噂の新人さんだね!」

 

強く握られた手が、ぶんぶんと上下に振られる。

勢いに押されるように、体がわずかに揺れた。

 

「私は咲良環!ここの研究室の責任者だよ!」

 

「黒須凪です。よろしくお願いします」

 

距離感の近さに驚きつつも名乗ると、彼女は満足げに頷いた。

 

「よろしくね!みんな、新人さんが来たよ!」

 

咲良さんが声をかけると、近くにいた研究員たちが次々と顔を覗かせた。

 

「……彼が例の?」

「待ってましたよ!」

「噂の新人か!」

「やっぱり来たんだね!」

「よろしくな!」

 

次々と投げかけられる言葉に戸惑いながらも、一つ一つ返していく。

気づけば、息をつく間もなかった。

それでも、不思議と嫌ではない。

誰もが楽しそうに声をかけてきて、笑っている。

自然と輪の中に引き込まれていくような——そんな温かさがあった。

 

「それじゃあ、今日からよろしくね。とりあえず必要な検査を済ませておいてちょうだい」

 

所長はその騒ぎを気にする様子もなく、咲良さんに向き直った。

 

「あれ?今日だったっけ?」

 

「そうよ。……もしかして忘れてた?」

 

「だって申請書類もらってないよ?いつも前日に連絡するだけじゃダメだって何度言えば……」

 

「善処するわ」

 

「……それってやらない時の返事だよね?」

 

「一応書類は有栖が持ってきてるわよ」

 

所長の言葉を受け、東雲さんが慌てて書類を取り出す。

頭を下げつつ渡してくる書類を両手で受け取り、内容を確認し始めた。

 

「うーん……まあ、ちゃんと揃ってるし……今回は許してあげようかな?」

 

「ありがとね。次は気をつけるようにするわ」

 

肩を竦めながら返事をしている。

その様子に咲良さんは少し頬を膨らませた。

 

「まったく……いつもそうやってごまかすんだから」

 

そんなやり取りを横目に、研究員たちがさらに集まってくる。

彼らの興味はこちらにあるようだ。

 

「黒須くんっていうんだよね?」

「趣味は?」

「どんな食べ物が好き?」

「出身はどこ?」

 

止まらない質問に答えていると、咲良さんが咳払いをする。

 

「こらこら、そんなにいっぺんに質問したら困っちゃうでしょ」

 

その一声で研究員たちは大人しくなった。

軽く笑いながら続ける。

 

「改めてようこそ。ここではあなたの力が必要なんだ。だから、全力でサポートするつもりだよ」

 

その言葉は、まっすぐ胸に届いた。

ここにいる全員が、自分を歓迎している——それが自然と伝わってくる。

包み込まれるような空気に、思わず肩の力が抜けた。

 

「それじゃあ凪くん!いろいろ測定するから準備しようか!」

 

いつの間にか、名前で呼ばれていた。

その自然さに、わずかに気恥ずかしさが残る。

 

「まず基本的な健康診断ね。B1のメディカルチェックブースに行くよ」

 

「メディカルチェックブース?」

 

「そう。普通の会社でやる健康診断みたいなものだよ。血液検査とか問診とかね」

 

咲良さんは楽しげに説明しながら、一緒に歩いていく。

その後ろに研究員たちがぞろぞろと続いた。

軽口が飛び交う。

「楽しみだな」「どんな結果が出るんだろうな」——そんな声が、遠慮もなく重なっていく。

 

「——君たち?」

 

ぴたり、と足音が止まった。

振り返った咲良さんの表情から、先ほどまでの柔らかさは消えている。

 

「自分の仕事はどうするのかな?」

 

静かな声だった。

それなのに背筋に冷たいものが走る。

 

「もし放棄するっていうなら……」

 

一歩、踏み出す。

 

「——わかってるよね?」

 

「ひっ……」

 

誰かが小さく息を呑む。

次の瞬間、研究員たちは弾かれたように動き出した。

 

「すみません!」

「戻ります!」

「ごめんなさい!」

 

先ほどまでの緩んだ空気はどこにもない。

まるで蜘蛛の子を散らすように、それぞれの持ち場へと駆け戻っていく。

ほんの数秒で、通路は元の静けさを取り戻した。

——何事もなかったかのように。

 

「……」

 

その光景を、ただ呆然と見ていた。

さっきまでの無邪気な印象とはまるで違う。

逆らってはいけない。

そう本能的に理解させられるだけの圧が、そこにはあった。

 

「あー、ごめんねー」

 

振り返った咲良さんは、いつもの調子に戻っていた。

 

「みんな、新人が来るとテンション上がっちゃうみたいでさ」

 

まるで今の出来事など最初から存在しなかったかのように、軽く笑う。

それじゃあ行こうか!と咲良さんに促され、エレベーターに乗りこむ。

扉が閉まり、静かな駆動音が響いた。

 

「ふぅ……まったく。新人さんが来るとああなっちゃうんだから。悪気はないし歓迎の気持ちに嘘はないから信じてほしいな」

 

苦笑いしながら肩をすくめる。

彼女の表情は先程までの厳しさを忘れさせるほど自然だった。

 

「あの……咲良さんは本当に若いんですよね?」

 

「え?あぁ、幼く見えるかもしれないけど、もう十八歳だよ?それに、ここじゃ最年少だけど立場的にはトップだから」

 

その言葉に思わず息を呑む。

 

「すごいですね」

 

「まあね。でも楽しくやってるから問題なし!」

 

彼女は笑顔で答えた。

 

「それより、凪くんのこと教えてよ。趣味とか好きなこととか!」

 

咲良さんは目を輝かせながら話題を変えた。

エレベーター内で、彼女は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

趣味のこと、一人暮らしのこと、将来の夢……。

そのどれもが真剣であり、かつ楽しさに溢れていた。

 

「あー……そろそろ着いちゃうね」

 

到着が近づくにつれ、彼女は残念そうに呟いた。

エレベーターの速度が落ちるにつれ、咲良さんの表情も少し落ち着いていく。

 

「続きは終わってから聞くとして……まずはメディカルチェックを頑張ろうか!」

 

扉が開くと、先ほどとは異なる空間が広がっていた。

白を基調とした、無機質な内装。

病院を思わせる静けさが、ゆるやかに満ちている。

 

「ここがメディカルチェックブースだよ。普通の健康診断とはちょっと違うけど、基本的には一緒だから心配しないでね」

 

咲良さんはそう言って、楽しそうに笑いながら歩き出す。

ちなみに所長は「仕事がある」と言って、そのまま地上へ戻っていった。

エレベーターに乗り込む直前まで、指先で煙草の箱を弄んでいたのは見なかったことにする。

 

通路は清潔で、どこか現実味が薄い。

左右には個室が整然と並び、いくつかの扉の隙間から淡い光が漏れていた。

かすかな機械音。

抑えられた話し声。

壁際では白衣のスタッフたちが、無駄のない動きで作業を続けていた。

 

「この部屋を使ってね。詳しいことは担当者が説明してくれるから」

 

咲良さんが指し示した扉が、自動で静かに開く。

そのまま中に足を踏み入れた。

必要最低限に整えられた室内。

検査用のベッドが一台、壁際には用途ごとに並べられた機器。

その傍らに、一人の男性が立っていた。

 

「こんにちは。黒須凪さんですね」

 

穏やかな声だった。

年の頃は四十代ほど。

落ち着いた雰囲気の人物だ。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「お話は伺っています。では、基本的な測定から始めましょう」

 

無駄のない動きで機器を操作しながら、淡々と説明が進む。

血圧、心電図、採血——。

項目は一般的な健康診断と大差ないように思える。

時折投げかけられる質問に答えながら、検査は静かに進んでいった。

 

「これで基本的な検査はおしまいです。お疲れ様でした」

 

最後の項目が終わると、担当者は柔らかく告げた。

思っていたよりも早い。

拍子抜けするほど、あっさりと終わった。

 

「次は運動能力のテストを予定しています。場所を移動しますが、このまま続けて問題ありませんか?」

 

「はい。大丈夫です」

 

「それではこちらへどうぞ」

 

再び白衣の男性に案内され、別の区画へと向かう。

通路を抜けると、先ほどとは打って変わって広々とした空間が広がっていた。

天井は高く、圧迫感がない。

壁際には各種トレーニング器具が整然と並び、中央には大きくスペースが取られている。

すでに数人が動いており、軽く体を動かしている者もいれば、機器の調整をしている者もいた。

 

「凪くん!待ってたよー!」

 

弾むような声とともに、咲良さんが手を振りながら駆け寄ってくる。

その後ろでは、東雲さんが静かに控えていた。

 

「ここでの検査は東雲さんにも立ち会ってもらうことになってるんだ」

 

咲良さんがそう補足する。

東雲さんは小さく頷いた。

 

「黒須さんの運動能力については私も知っておきたいですから」

 

そう言って彼女は壁際に控える。

どうやらこのまま見られるらしい。

 

「それじゃあ始めようか!まずは持久走から!」

 

すぐにコースの説明が始まった。

周囲にはカメラや計測機器が並び、距離もしっかり確保されている。

想像していたよりも、ずっと本格的だ。

自然と視線がそちらへ向く。

 

「準備はいい?」

 

「はい」

 

一度、深く息を吸う。

胸の奥に残る緊張を吐き出し、意識を切り替えた。

 

「よーい……スタート!」

 

合図と同時に踏み出した。

最初は抑え気味に入る。

やがて体が温まり、動きが軽くなっていった。

ペースも自然と上がっていく。

 

――いける。

 

そう思ったのが、少し早かった。

中盤を過ぎたあたりで、一気に息が上がる。

足が重い。

呼吸が乱れる。

それでも止まらず、最後まで走り切る。

ゴールした瞬間、力が抜けた。

 

「はぁ……っ、はぁ……」

 

荒い呼吸を繰り返しながら、その場に座り込む。

 

「あーあー……ちょっと飛ばし過ぎだよ?」

 

苦笑混じりに、咲良さんが水を差し出してきた。

 

「ありがとうございます……」

 

受け取り一気に飲み干す。

喉を通る冷たさが、火照った体に心地よく広がった。

 

「久しぶりで……つい」

 

「まぁ、無理もないか」

 

咲良さんは軽く肩をすくめる。

 

「じゃあ次は筋力測定ね。……その前に、少し休憩しよっか」

 

その言葉に甘え、しばらく呼吸を整える。

額を伝う汗を拭いながら、徐々に平静を取り戻していった。

 

「それにしても、思ったより体力あるね。持久走も平均以上はあると思うよ」

 

咲良さんの言葉に、東雲さんも同意する。

 

「ええ。思った以上に基礎体力がありますね」

 

こんな姿を見られて少し照れくさい。

けれど、悪い気はしなかった。

 

「でも次はペース配分、ちゃんと考えてね? まだまだ項目は残ってるから」

 

「……はい」

 

素直に頷く。

完全に反省だ。

その後の説明では、握力測定や反復横跳びなど、学生時代に経験した種目が並んだ。

ただし、使われる機器は見慣れないものが多く、精密さが段違いだとわかる。

 

「よし、それじゃ再開!」

 

休憩を終え、測定が再開される。

 

握力測定では、専用のデジタル機器が用意されていた。

指示に従ってグリップを握り込む。

数値が即座に表示される。

 

「うん、平均より少し上ってところかな」

 

続いて反復横跳び。

センサー付きのマット上で行うらしい。

 

「はい、スタート!」

 

合図と同時に体を動かす。

リズムよく、左右へ。

 

「へぇ……なかなかやるね」

 

咲良さんが興味深そうにデータを覗き込む。

その後もいくつかの種目をこなし、あっという間にすべての測定が終了していた。

 

「お疲れ様!すごく良かったよ!」

 

咲良さんが満面の笑みで称賛してくれる。

その言葉に自然と頬が緩んだ。

 

「ありがとうございます」

 

「ほとんど平均以上だね。しかも伸びしろもありそうだし、期待できそうだよ!」

 

「そう、ですか?」

 

「うん!自信持っていいと思うよ!」

 

思っていたより、悪くないらしい。

少しだけ、ほっとした。

 

「それじゃあ一旦終わりにして、お昼にしようか!有栖さんもいい?」

 

「はい。私も問題ありません」

 

東雲さんも頷く。

気付けば、時間はすでに正午を回っていた。

ちょうど空腹を覚えたところだった。

 

「じゃあ宿坊の食堂に行くよ!あそこのご飯美味しくて好きなんだよね~。食べ終わって一息ついたら今日のメインイベントがあるからね!」

 

「メインイベント?」

 

「そう。B4にある私の部屋で、本格的な能力測定をするよ。凪くんがどんな力を使えるか調べるんだ!」

 

 少し身を乗り出すようにして、咲良さんが続ける。

 

「でも、お腹が空いてたらいい結果も出ないからね。ちゃんと食べておいて?」

 

 ――能力測定。

 

これまで測ってきたのは、あくまで肉体的なものだけだ。

それとは違う、自分自身の“何か”を測るという話に、胸が高鳴る。

 

「分かりました。楽しみにしておきます」

 

「うん! きっと楽しいよ!」

 

弾むような声だった。

その無邪気さに、少しだけ気が緩む。

 

「所長にも声かけておくから」

 

「ありがとうございます」

 

軽く頭を下げながら、改めて考える。

自分にある“力”なんて、今まで意識したこともなかった。

――それが、どんな形で現れるのか。

わずかな不安と、それ以上の期待が、胸の中で静かに混ざり合っていた。

それじゃあ行こうか!と三人で宿坊へ向かう道すがら、咲良さんはさっきの話の続きをしてくれた。

 

「先に言っておくね。僕たちが使っている力は、魂魄から引き出しているものなんだ」

 

少しだけ間を置いてから、言葉を続ける。

 

「魂魄っていうのはね、人を形作ってる二つの要素なんだ。魂は精神や思考を司っていて、魄は肉体や生命力……運動能力なんかを担当している」

 

「つまり、心と体……ということですか?」

 

「うん、だいたいはそんな感じでいいよ。ただね、この二つは完全に別れているわけじゃない。常に影響し合ってるんだ」

 

咲良さんは前を向いたまま、少しだけ声の調子を落とす。

 

「例えば、魂が不安定になると、魄――つまり身体のほうにも異常が出ることがある」

 

「……逆も、ですか?」

 

「そう。逆も同じ」

 

軽く頷いてから、こちらに視線だけ寄越した。

 

「普通は魂魄のバランスは取れている。でも、ごく稀にその比重が偏っている人がいるんだ。多分だけど、凪くんもその一人だと思う」

 

思わず足がわずかに止まりかける。

 

「さっきの運動テストを見る限り、体力は平均的だった。特別優れているわけでも、劣っているわけでもない」

 

だから、と続く声がわずかに強くなる。

 

「それでも結界の中に入れた。その事実が、何よりも重い」

 

「……つまり、魂のほうに偏っている可能性が高い、ってことですか?」

 

「そういうことになるね」

 

咲良さんは小さく息をついた。

 

「まあ、どちらにしても一長一短だよ。メリットもあればデメリットもある。詳しくは、ちゃんと調べてからかな」

 

咲良さんの目が輝いている。

知的好奇心に溢れた表情だ。

 

「ちなみに有栖さんは魄に比重が寄っているタイプなんだよ」

 

東雲さんは静かに頷いた。

 

「ええ。私はどちらかといえば肉体的能力の方が優れています。あの夜にご覧いただいた動きがいつでも出来ると思っていただければ」

 

その言葉には自信が感じられた。

 

「咲良さんはどうなんですか?」

 

「私は結構バランス取れてるかな?」

 

少し考え込む様子を見せた後、話を続ける。

 

「実はここに来るまでは自分の力をコントロールするのが難しかったんだ。でも今は大丈夫。毎日訓練していたからね!」

 

得意げに胸を張る咲良さん。

 

「皆さんの努力の成果なんですね」

 

「そうだよ! いっぱい頑張ったからね!」

 

その言葉に緊張が高まる。

同時に期待感も膨らんだ。

自分が一体どんな力を持っているのか。

それを知ることができると思うと胸が躍る。

やがて宿坊の建物が見えてきた。

 

「よし!じゃあ美味しいものを食べて英気を養おうか!」

 

食堂に入ると、すでに所長が待っていた。

彼女は相変わらず煙草を燻らせながらココアを飲んでいる。

 

「お疲れ様。どうだった?」

 

「今のところ順調だよ。次は能力測定だけど、その前にエネルギー補給かな」

 

「そう。能力測定は私も見たいから一緒するわよ」

 

「はいは~い」

 

咲良さんは気楽に返しながら、スタッフに人数を伝えている。

しばらくして、次々と料理が運ばれてくる。

シンプルだった朝食と異なり、昼食は肉や魚を使った料理が多く、彩りも鮮やかだった。

 

「いただきます!」

 

「いただきます」

 

皆で手を合わせて食事を始める。

普段一人暮らしの身としては、誰かと食べる食事は新鮮だった。

会話も弾み、和やかな雰囲気の中、箸が進む。

 

「そういえば凪くんって料理とかするの?」

 

咲良さんが何気なく聞いてきた。

 

「簡単なものなら作りますよ。一人暮らしだと自炊した方が節約になりますし」

 

「へぇ〜!何が得意?」

 

「大したものじゃないですけど、チャーハンとかカレーとか……あとは野菜炒めとか」

 

「おいしそうだね!今度機会があれば食べてみたいなぁ」

 

「あ、それは私も興味あります」

 

東雲さんまで参加してきた。

 

「いえいえ、大したものではないですよ?」

 

「そんなことないですよ」

 

「いやいや……」

 

他愛もない話をしながら、食事が進んでいく。

楽しい時間が流れる中、気付けばもう食べ終わっていた。

 

「ご馳走様でした」

 

「ご馳走様〜!」

 

皆で手を合わせる。

そして席を立つと、咲良さんが声をかけた。

 

「さーて!それじゃあ次はメインイベントだよ!」

 

昼食を終え、一息つく間もなく切り出された。

彼女の目は好奇心に満ち溢れている。

 

「この後はB4で本格的な能力測定をするからね!」

 

咲良さんは張り切った様子で告げた。

その声には隠しきれない興奮が滲んでいる。

所長も立ち上がり、煙草の火を消しながら同意した。

 

「能力測定は私も見たいから一緒するわよ」

 

「はーい!」

 

咲良さんは元気よく返事をすると、再び研究棟へと向かって歩き出す。

その背中を追うように俺と東雲さん、所長も後に続いた。

 

エレベーターで再び地下へと降りる。

 

先程までの騒がしさは一旦おさまり、それぞれが黙々と目的の階に到着するのを待っている。

目的のB4に到着したことを告げるアナウンスと共にドアが開いた。

咲良さんが先導するように廊下へ出ていき、その後に続いて歩を進める。

しばらく歩いたところで咲良さんが足を止め、ひとつの扉の前で立ち止まった。

 

「ここが私の研究室だよ」

 

そう言ってカードキーをかざすと、オートロックが解除されて扉が開く。

中に足を踏み入れると、そこは想像以上の光景が広がっていた。

天井は高く、壁一面には様々な資料や試料らしきものが整然と並べられている。

机の上には無数の試験管やフラスコが置かれ、部屋の中央には大型の装置が据え付けられていた。

装置の前面には複数のモニターがあり、何やらデータが絶えず更新されているのが見て取れる。

 

「ここが研究室……」

 

思わず呟いた言葉に咲良さんが得意げに微笑む。

 

「そう!ここなら何でも調べられるよ!」

 

彼女は机の引き出しから小さな球体を取り出した。

 

「これは簡易型の術式発動媒体。うまく発動できると小規模の結界を張ることが出来るのさ」

 

発動のコツはギュって力を入れる感じだね。と球体を手渡しながら言う。

受け取った球体は見た目以上の重量感があり、不思議な感触がした。

試しに意識を集中させると、何かが吸い取られるような感覚がある。

 

「早速やっちゃおう!って言いたいんだけど、ここで発動して何かあっても困っちゃうからちょっとだけ移動するよ!奥にスペースがあるからそこでお願い」

 

咲良さんに促され、部屋の奥のドアを開ける。

中は、がらんとした空間だった。

二十メートル四方ほどの広さ。

白い壁に囲まれ、天井にはLEDの照明。

中央には、数メートル四方のマットが敷かれている。

 

「ここでお願い!その道具なら1~2メートルくらいの白っぽい結界が出たら成功だよ!」

 

楽しげな声のまま、咲良さんは三脚のカメラに向かう。

 

「黒須さん、準備は良いですか?」

 

東雲さんの声がかかる。

所長は何も言わず、ただじっとこちらを見つめていた。

 

「はい、大丈夫です」

 

意を決して、道具を握り直す。

力を込め、意識を一点に絞る。

先ほど感じた引き込まれる感覚。

そこへ、重ねるように力を流し込む。

 

――その瞬間、ふっと途切れた。

 

触れていた感覚が、わずかに変わる。

空気が、別のものにすり替わったようだった。

 

「あれ……?」

 

違和感に目を凝らす。

白くなるはずの結界は――なぜか、夜の帳に包まれていた。

範囲も1~2メートルどころではない。

感覚的には、部屋のすべてがその内側にある。

 

そこにあったのは、夜空だった。

星々が散りばめられた暗闇。

だが、本来の夜空とは違う。

星の数は少なく、どれも小さい。

遠近感すら曖昧で、まるで宇宙に放り出されたかのような錯覚を覚える。

――静寂が、満ちていく。

ほんの数秒のはずなのに、やけに長く感じる。

誰も、声を発さなかった。

 

「……なに、これ」

 

ぽつりと零れたのは、咲良さんの声だった。

困惑の奥に、わずかな高揚が混じる。

 

視界いっぱいに広がる夜空は、揺らがない。

静かに――ただ、そこに在り続けている。

 

「……」

 

東雲さんは、言葉を失っていた。

その視線は、夜空の星々に向けられている。

 

所長は何も言わない。

観察するように目を細めていた。

 

手の中にあったはずの球体は、もうほとんど感じられない。

代わりに、この空間そのものと繋がっているような感覚があった。

 

 ――これが、自分の“力”なのか。

 

胸の奥に、何かがすっと収まる。

不思議と、落ち着いていた。

この空間が——当たり前のように、馴染む。

そこで、ふと気づく。

どうして自分は、これを“当たり前”だと思っているんだろう。

その感覚に、どこか引っかかりを覚える。

 

「凪くん」

 

所長の声が、はっきりと届いた。

 

「……やっぱり君は、面白いね」

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