魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第91話 『人生とは、“出会い”と“別れ”の積み重ねである』

 桜の枝がにわかにピンク色に染まりだし、暖かな風が春の訪れを感じさせるこの日。

 国立魔法大学付属第一高校は、他の高校と同じように卒業式を執り行っていた。

 閑散としたカフェテリアでコーヒーを飲みながら携帯端末で文章を書いていた達也は、風に乗って運ばれてくる喧騒に耳を傾けた。明るい未来を連想させる喜びの声と別れを惜しむ啜り泣きに、彼は卒業式が終了したことを悟った。

 式を終えた卒業生達はこの後、2つの小体育館を使ってパーティーが開かれることになっている。わざわざ2つの会場を使うのは一科生と二科生を分けるためであり、こんなときまで徹底しなくても、と思わなくもなかったが、本人達もその方が気楽なのだろう。

 とはいえ、会場を2つに分けることで苦労を(こうむ)っている者達もいる。会場の設営や料理の手配を行う業者はその分追加料金を貰っているのでまだ良いが、パーティーを主催している生徒会はまさにその被害者の筆頭だろう。

 達也が現在カフェテリアで時間を潰しているのも、その仕事に駆けずり回っている深雪達を待っているからだった。彼も「手伝おうか?」と呼び掛けたのだが、深雪が「お兄様のお手を煩わせる訳にはいきません!」とそれを拒否した。手伝ってほしそうにしていたあずさは、彼女に何も言わずにすごすごと引き下がっていた。それで良いのか生徒会長。

 それに正直なところ、3年生にとって司波達也という存在はかなり微妙なものだろう。一科生にしたら自分達の存在を脅かす者、そして二科生にしても自分達の劣等感を刺激される者。卒業式というめでたい席で彼らに下手な横槍を入れずに済んで良かった、と達也は本気で考えていた。真由美などはそれを聞いて、大層不機嫌そうにしていたが。

 ちなみに達也たちと交流のあった3年生の進路についてだが、真由美・克人・鈴音の3人は仲良く魔法大学へ進学することになった。しかし摩利だけは“実戦魔法師として身を立てたい”という夢のために防衛大学へと進学した。真由美も直前までそれを知らなかったらしく、彼女をやたらと冷やかしている姿が目撃された。いくら会おうと思えば会える距離とはいえ、別の学校というのは寂しいのだろう。

 と、達也がそんなことを考えていたそのとき、

「達也さーん!」

 遠くから自分に呼び掛けるその声に、彼は携帯端末から顔を上げてそちらへと目を遣った。大きく手を振りながら駆け寄ってくるエリの姿が見えた。

「先輩達への挨拶は済ませたのか?」

「うん。真由美さん達は、そのままパーティーに向かったよ。達也さんは行かないの? 真由美さん達、寂しがってたよ?」

 エリの言葉に、達也は思わずフッと笑みを漏らした。中学時代にはエリ達以外には特に交流が無かったために“先輩に寂しがられる”といった経験の無かった自分が、この1年で随分と変わっていったことが何だか可笑しかったのだろう。

「そうだな。パーティーが終わった頃にでも、顔ぐらい出すことにしよう」

「うんうん、そうしなよ。――ところで、何書いてたの?」

 そう問い掛けるエリの目は、テーブルに置かれた達也の携帯端末に向けられていた。

「ちょっとした覚え書きだよ。魔法の持続時間を延ばすためのシステム的なアシストに関してな」

「へぇ、見せて」

 興味津々な感じに身を乗り出すエリに、達也は携帯端末を彼女に渡した。達也は何でもないかのように言っていたが、普通さらりと流すような内容ではない。そんな文章をエリは熱心に読み込み、その内容について達也に色々と訊いてきた。

 達也も教師として講義をするような感覚で、エリの質問に答えていた。彼女の疑問は自分の書いた文章を理解したうえでのものであるし、彼女の疑問によって新たな発見をしたりすることもあるので、彼としても純粋に彼女との会話を楽しんでいた。

 だからだろう、2人は時間が経過していることにまったく気づかなかった。

「お兄様、お待たせ致しました」

 弾んだ声でそう呼び掛ける深雪の方へ視線を向けると、彼女の後ろをついてくる形で、卒業証書の入った細い筒を持った真由美と摩利が歩いてくるのが見えた。達也が腕時計をちらりと見遣ると、パーティーが終了する時間となっていたことに今更ながら気がついた。

「お2人共、どうしたのですか? 二次会の誘いが無かったは思えなかったのですが」

「その前に挨拶しておこうと思ってな」

「式が終わっても挨拶に来ないし、パーティーの間もずっとここにいた達也くんのことだから、知らんぷりして帰っちゃうかと思ってね」

 真由美の言葉は表情的にも声色的にもからかっていることは分かったが、それを言われた達也本人としては釈明せずにはいられなかった。

「生徒会役員でもない俺が、先輩達のパーティー、しかも一科生の方に顔を出せるはずがないでしょう」

「なんでよ、タツヤ! 風紀委員のタツヤがここで休んでる間に、臨時の私はパーティーの手伝いをしてたのよ!」

 彼らの会話に突如割り込んで文句を言ってきたのは、目にも鮮やかな金色の髪を風に靡かせるリーナだった。突然のことに困惑する真由美や摩利に対し、達也はあくまでも冷静な顔を崩さない。

「風紀委員は生徒会の一員ではないからな。それに休んでいたのはエリも一緒だ」

「そうだけど……、そうだけど納得できないわ!」

「何を言ってるの、リーナ。そんなこと言いながら、あなた結構ノリノリだったじゃない」

 深雪のその一言に、リーナは慌てた様子で彼女の口を手で塞ごうとした。

「何々? 何かあったの?」

「何でもないわよ、エリ!」

「臨時役員のリーナに手間の掛かる準備をさせるのもアレだから、彼女には余興を担当してもらったのよ」

 必死に止めようとするリーナの努力も虚しく、深雪が先程パーティー会場にて起こった出来事について説明を始めた。

「別に余興と言っても自分で何かをする訳じゃなくて、在校生や卒業生から希望者を募るだけで良かったの。だけどリーナは勘違いしたらしくて、自分でバンドを率いてステージに上がったの」

 深雪に全てをバラされたリーナは、「あああああ……」と嘆きながらその場に崩れ落ちそうになっていた。

「ふふっ、確かにアレはびっくりしたけど、会場ももの凄く盛り上がってたわ。リーナさん、歌も上手くて素敵な声だったわよ」

「ああ。立て続けに10曲くらい演奏してな、プロと比べても遜色ない出来だったよ」

「10曲って、もはや音楽フェスの1ステージ分くらいじゃん。ガチじゃん」

 エリの冷静なツッコミに、リーナは顔を真っ赤にして今にも泣きそうになっていた。

 それを見ていた達也は、微笑ましげな目つきとなっていた。

「良かったじゃないか、リーナ。“学校生活の良い思い出”が出来て」

「…………」

 達也の言葉にリーナは何か言いたげに彼を睨みつけるが、やがて大きな溜息を吐いた。

 そして、彼に近づいて小声で話し掛ける。

「……ちょっと訊きたいことがあるの。後で付き合ってちょうだい」

「……分かった」

 達也の答えを無視した強引な誘いだったが、彼がそれを断るつもりは無かった。

 そのときの彼女の目は、日本に留学した高校生“アンジェリーナ・クドウ・シールズ”ではなく、USNA軍最強部隊スターズの総隊長“アンジー・シリウス”だったからである。

 

 

 

 あれから真由美達とのお喋りを楽しんだ後、リーナと達也は人目の無い所で落ち合った。深雪は頻りに一緒に行くことを提案したが、彼に止められたためにこの場にはいない。

「スノウと名乗ったあの“吸血鬼”は、まだ見つかっていないの?」

 そして開口一番、リーナがそう尋ねてきた。

「残念ながら、まだ見つかっていない。そいつの調査については魔界の各国家によって行われているから、何か発見があればそちらから連絡が来ることになっている。だが、今のところ何の連絡も無い」

 厚志やリーナ達が遭遇したスノウについては、作戦に参加したエリカ達やその場にはいなかったほのか達も交えて後日説明が行われた(もちろん彼女にキスされたことは伏せて)。昔の深雪そっくりな姿、そして厚志やダッチから逃げおおせるほどの実力は、彼らに相当な衝撃を与えた。もっとも、実際に顔を合わせればその衝撃はさらに大きくなるだろうが。

 達也の答えに、リーナは明らかに残念そうに溜息を吐いた。しかしすぐに気を取り直すように大きく息を吐くと、まっすぐ達也へと向き直る。

「……タツヤ、あなたには色々とお世話になったわね」

「迷惑を掛けた、の間違いじゃないか?」

 達也の嫌味に対し、リーナは「それはお互い様でしょ?」と笑みを浮かべて返した。

「タツヤ、あなたってとても不思議な人ね。あなたみたいな人、私は今まで見たことも無かった」

「そんなことはない。俺はいたって普通の人間だ」

「それこそ、そんなことはないわ。――タツヤ、あなたはいったい何者?」

「…………」

 リーナの問いに沈黙を貫く達也に、彼女は再び話し始める。

「ちょっと付き合っただけの私でも、あなたが実戦慣れしていることはすぐに分かったわ。それにプリティ☆ベル陣営の中でも、明らかにあなたは中心的な立場にいる。――あんな無茶苦茶な能力を持った彼らが、明らかにあなたを“戦力”としてカウントしている」

「…………」

「あなたのことだから、どうせ私がここに来た“目的”も知ってるんでしょう? だから言うわ。――私はハロウィンの日に朝鮮半島で起こった“大爆発”を引き起こした魔法師を探るために、留学生として日本にやって来た。そして私のターゲットは、あなた達兄妹だった」

「…………」

 この場での沈黙が何を意味するのか、達也が理解できないはずがなかった。それを踏まえたうえで、彼は沈黙を貫いている。

「あなた達は軍がピックアップした候補者の中でも、比較的本命に近い立場だったわ。例の大爆発とよく似た現象が確認された3年前の沖縄海戦で目撃されたプリティ☆ベルに近しい位置にいたし、直前に起こった横浜事変にも遭遇していたしね」

「……それで、俺や深雪がその魔法師である証拠は掴んだか?」

 達也の問い掛けに、リーナは不敵な笑みを浮かべて、こう答えた。

「――残念ながら、尻尾は掴めなかったわ。吸血鬼の正体であるパラサイトも1体逃がしてしまったし、今回の任務は間違いなく“失敗”になるわね。これでも私、“シリウス”になってから一度も任務を失敗したこと無かったんだけど」

 その口振りとは裏腹に、リーナの表情はとても晴れやかだった。

「おそらく3学期の終了を待たずに、私は本国に帰還することになると思う。そうしたらタツヤ達とは()()()()会えなくなるわね」

「何だ、また会う気でいるのか? リーナほどの魔法師なら、そう易々と国を出られるもんじゃないだろ?」

「ええ、そうでしょうね。――でも私は、またあなた達と出会えるって確信がある」

 まっすぐ達也を見据えて自信たっぷりに言い切る彼女を、達也も同じようにまっすぐな目で見つめ返した。

「今回のことで、自分が如何に実力不足か思い知ったわ。向こうに戻ったら、今まで以上に訓練して力をつけるつもりよ。――そして今度こそ、あなたの化けの皮を剥がしてみせる」

「……それは怖いな」

 互いに見つめ合う2人の目には、まったく同じ感情が滲み出ていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 あの日以来、リーナの姿を見ることは無かった。学校には“帰国の準備で忙しいから”と説明したらしいが、おそらくそれ以前から撤収命令が出ていたのだろう。高校生としての潜入調査のためにギリギリまで粘った彼女だが、そのおかげで少しは“普通の高校生活”を楽しめたなら幸いである。

「雫の乗ってる飛行機、ちょっと遅れてるみたいだね」

 そんなことを思いながら、達也はミルクの言葉に合わせて到着便の遅延案内へと目を向けた。

 今日は、アメリカへ留学していた雫が日本へ戻ってくる日。彼女を迎えるために、この1年間ですっかりお馴染みのグループと化した面々は、空の玄関口である東京湾海上国際空港へと足を運んでいた。

 一昨日で、3学期が終了した。つまり、達也たちの高校生活最初の1年が終了したことになる。

 達也の成績は、入学したときと変わらなかった。理論科目の点数が極端に高く、実技科目の点数がすこぶる悪い、総合順位としては中の下といったところ。エリカ達についても、入学時や節目でのテストの順位とそれほど変化は無い。

 唯一挙げるとするならば、理論科目でエリが深雪を抜いて2位となったことだろうか。それでも総合順位では深雪が1位だったのだが、深雪自身はその結果にかなり悔しがっていた。達也が心配してしまうほどに。

「それにしても、アメリカ本土からだとやはり時間が掛かりますね」

「軍用機は4分の1以下で太平洋を横断するらしいけど、なんでそんなに差があるんだろうね?」

「エンジンが違うぜ。軍用機は大気圏外周まで上がるからな。民間機は安全性と経済性優先だ」

「よく知ってるじゃない、レオ。テストの成績は悪いくせに」

「何だとエリカ!」

「よしなよ、レオ」

「エリカちゃんも、いちいち茶々を入れないの」

 そんなことを喋っている内に、キャリーバッグを引きながら歩く人混みに紛れて雫が姿を現した。颯爽と歩くその雰囲気は、留学する前よりも随分と大人びて見える。

「ただいま」

「……お帰り、雫」

 留学前と変わらぬ簡潔な一言を発する雫に、ほのかが涙を浮かべて彼女に抱きついた。背中をポンポンと叩いて彼女を宥めながら、雫は自分を迎えに来てくれた“友人達”へと目を向ける。

「ただいま」

「お帰り、雫ちゃん」

 厚志がそう言ったのを皮切りに、ミルココやエリカ達が次々と彼女に「お帰り」や「無事で何よりだよ」などと口にしていった。

「それにしても、何だか大人な感じになったわね。もしかして、向こうで“イケナイ体験”でもしちゃったのかしら?」

「ちょっと、エリカちゃん!」

 からかい混じりのエリカの言葉に美月が顔を真っ赤にして反応するが、当の雫本人は何を言っているのか分からない感じに首をかしげていた。こういったところも、留学前と変わらない彼女の特徴と言えるだろう。

「ねぇねぇ、雫さん! 向こうでたくさん勉強してきたんでしょ! 向こうではどんなことを教えてるの!」

 目を輝かせて興奮気味にそう尋ねてきたエリは、まさに“わくわく”という擬態語がよく似合っていた。

 そしてそれに応えようとする雫の表情は、とても余裕に満ちたものだった。

「うん、良いよ。話したいこともいっぱいあるし。――みんな、聞いてくれる?」

 おそらくそれはアメリカで獲得した多くの知識によるものだろう、と達也は思った。

 

 

 

 雫を迎えた達也たちは、これまたこの1年の間にすっかり常連となったアイネブリーゼへと向かった。既に貸し切りの手配が成されているそこならば、周りの目を気にせずに彼女の話を聞くことができる。

 3ヶ月間で積もりに積もった彼女の話はとても長かったが、そのどれもが日本に閉じ籠もっている魔法科高校の友人達には新鮮なものだった。特に向こうの学校での授業内容はエリや達也が前のめりになるほどの興味を惹いたが、レオやエリカなどの比較的不真面目な生徒である面々は若干退屈そうにその話を聞き流していた。

 雫の話が一段落したら、今度は達也たちがここ3ヶ月間で起こった出来事について話す番だ。特に雫と入れ替わりで入ってきた留学生や、達也たちも当事者となった吸血鬼事件については雫も大いに関心を寄せ、因縁の相手であるナイアルラトホテップ、そして新たな波乱を巻き起こしそうなスノウについては、感情をあまり表に出さないタイプの彼女ですら驚いていた。

 そうして互いにお喋りを楽しんだ後は、アイネブリーゼの主人特製のケーキや簡単な軽食に舌鼓を打った。別に日本食という訳でもないが雫はやけにこの料理を懐かしんでおり、「やっぱり日本人の作る料理は繊細で量も普通だ」と感慨深げに呟いていた。いったいどんな食生活を送っていたのだろう。

 そんな中、達也がトイレのために席を立った。店の奥にある化粧室へと移動し、そこで用を済ませると特に長居することなく入口のドアを開ける。

 今日の主役である雫が、ドアの外に待ち構えていた。

「……どうした、雫?」

「聞いてほしいお願いがある」

 わざわざ達也が1人になったときを狙って話を切り出したこと、そして彼女の真剣な眼差しに、達也の表情も自然と鋭さを増していく。

「……何だ?」

「私が向こうにいたとき、レイっていう生徒が色々と仲良くしてくれたの」

「レイ?」

 達也のオウム返しに、雫がこくりと小さく頷いた。

「レイモンド・S・クラーク。達也さんが私に吸血鬼事件の捜査を依頼してきたとき、その人が色々と手伝ってくれたの。あの子がいなければ、あそこまで正確な情報にはならなかったと思う」

「……成程」

「それで帰国する直前、レイに伝言を預かってきたの。達也さんに伝えてほしいって」

「俺に?」

「そう。――近い内に、私の家まで来てくれる?」

「……北山家に、か」

 これが単なる一般家庭ならば達也も深く考えずに首を縦に振っただろうが、日本を代表する大実業家である北山潮(きたやまうしお)(ビジネスネーム“北方潮”)の私邸となれば話は変わってくる。日本経済の一翼を担い、政治にも少なからぬ影響を及ぼす北山家を訪れるのは、いくら達也たちが表立って四葉家の人間として振る舞っていないとはいえ、四葉家にとってもけっして無視できない行為である。

 とはいえ、北山家は実娘が魔法科高校に通っていることもあって、魔法師やそれを取り巻く諸々に関しては好意的どころか協力的だ。なので達也たちが足を運んだとしても、本家からの圧力が掛かるような事態にはならないだろう。

 それに、前々から秘かに気になっていた者からの伝言というのも、非常に興味を惹かれるものがある。

「このようなタイミングで話を持ち掛ける時点で察しはつくが……、他の誰かを一緒に連れて行くのは避けた方が良いんだな?」

「うん。達也さんだけじゃないと駄目って訳じゃないけど、できるだけ少人数の方が良い」

 それはまた随分と込み入った話をするつもりなんだな、と達也は率直に思った。これはますます、北山家へ赴かなければならないだろう。今後の行動方針を決めるためにも、重要な情報は仕入れておいた方が良い。

「分かった、お邪魔するとしよう。深雪達には俺の方から話す」

「うん、分かった。ありがとう」

 雫はそう言って軽く頭を下げると、皆の下へと戻っていった。何やら邪推した様子のエリカにからかわれているが、彼女は相変わらずのポーカーフェイスでそれを受け流しているのが見える。

 そしてそんな彼女達に混じって、深雪が心配そうな表情を達也に向けていた。

 そんな深雪に、達也は『心配するな』という意味合いを込めて首を横に振った。

 

 

 *         *         *

 

 

 今日はもう何も起こらないだろう、と思っていた達也だが、どうやらそうは問屋が卸さないらしい。まさか自分には“フラグ”なるものを引き寄せる力があるのか、とそのときの彼は本気で悩みかけたという。

 それが起こったのは、雫の帰国祝いも終了してそれぞれ帰路に着き、司波兄妹も厚志家での夕食を終えて自宅に戻った後のことだった。

 ぴんぽーん、と玄関のチャイムが鳴り、深雪がそれに応対すべく玄関へと歩いて行った。こんな時間に来客なんて珍しいな、と達也は思ったがそれ以上の感想も無く、彼は携帯端末で主だったニュースをチェックする作業に戻る。

 玄関から深雪の驚く声が聞こえたのは、それから数秒後のことだった。

「あの、お兄様……。お客様なのですが……」

「どうした? 俺が出ようか?」

「いえ、それには及びませんが……。お客様は、桜井さんと瓜二つの女の子で……」

「……何だって?」

 深雪の言葉に、達也は厚志から聞いたスノウのことが頭に浮かんだ。まさかこの短期間で、再びルラが仕掛けてきたというのか。

 そう思いながら達也が招き入れたその客人は、自分達の母親である四葉深夜のガーディアンを務める調整体魔法師・桜井穂波と実にそっくりだった。彼女が十代の頃はこんな感じだったんだろう、と思えるほどに。

「……私はスノウと名乗る例のパラサイトとは無関係です」

 あまりにも2人の目つきに警戒心が滲み出ていたのだろう、その少女――桜井水波(さくらいみなみ)はそのように前置きしてから、達也に1通の封書を差し出した。水波に座るように促してから自身もソファーに座り、封を切って中の手紙に目を通す。

 差出人は、四葉真夜だった。

 決まり文句である時節の挨拶の後には、こんな文章が続いていた。

 

 

 この手紙を持って達也さんたちの家にやって来たのは、桜井水波ちゃんです。遺伝子上は、深夜のガーディアンである穂波さんの姪に当たりますね。

 そんな水波ちゃんですが、この春から第一高校へ通わせることとなりました。ついては達也さん、あなた達の家に水波ちゃんを住まわせてあげてくださいな。

 彼女には住み込みのメイドとして働くように言い含めてありますので、家のことを遠慮無く言いつけてください。2人共、高校2年生ともなれば色々と忙しくなるでしょうし。

 それから、彼女には将来的にガーディアンとしての仕事を憶えてもらうつもりです。

 今はガーディアンの仕事を一時的に休んでいるとはいえ、達也さんは彼女の先輩です。色々と教えてあげてくださいね。

 

 

 なぜだろうか。達也はこの手紙を読んで、真夜の高笑いが聞こえてくるような気分になった。

「未熟者ではございますが、よろしくお願い致します。奥様のお言いつけ通り、精一杯務めさせていただきます」

 達也から手渡されたその手紙を深雪が読み終わったタイミングで、水波が立ち上がって深々と頭を下げた。

 そんな彼女を再び座るように促してから、達也は質問のために口を開いた。

「……第一高校への進学は、いつから決まっていた?」

「初めて私の耳に入ったのは、入学試験よりも3週間ほど前のことです」

「するとそれまでの間、第一高校の受験勉強はしてこなかったということか。大変だっただろう」

「私めに対してのお心遣い、誠に嬉しく存じます。ですが、試験に必要な知識は全て()()()()()()()()()()おりますので、ご心配には及びません」

 達也や深雪はもちろん使ったことはないが、四葉家には洗脳装置のノウハウを利用して本人の意思に拘わらず情報を記憶させる装置が存在する。全国の勉強に悩む学生には喉から手が出るほどに欲しい代物だろうが、1週間は寝込むほどに神経を消耗させる副作用があると聞く。

「手紙には、将来的にガーディアンとしての仕事に就くと書かれている。どんな魔法が得意だ?」

「はい。手前味噌で大変恐縮ですが、“桜シリーズ”の例に漏れず対物耐熱障壁魔法を得意としております」

 確かに、穂波もそれが得意だった。なので納得できる。

「実力はどれほどのものだ?」

「もちろん、深雪様や達也様には遠く及びません。しかし事前の訓練において、葉山氏より“及第点”との評価を頂いております」

 その言葉に、2人は素直に驚きの表情を浮かべた。屋敷の使用人全員を統括する“執事長”としての彼は、おおよそ身内を褒めるような言葉を滅多に使うことはない。そんな彼が“及第点”とまで評価するのは、字面以上に重い意味を持っている。

「お兄様……」

 達也の横で、深雪が心配そうな表情を向けている。

 今回の真夜の手紙は、言ってみれば“強引なお願い”だ。現在達也は四葉家と厚志達との間に交わされた“取り決め”によって、深雪のガーディアン及び四葉家からの任務を受ける義務から解放されている。しかし今回の手紙は文面上命令の形を取っておらず、真夜に問い詰めても『達也に事前の許可を貰うことを忘れていた』と白を切られてしまうだろう。

 それに達也には、見極める必要があった。

 厚志家の隣で2人暮らしを始めてから3年ほどが経ったこのタイミングで、使用人とはいえ本家からの人間を送り込んだ真夜の“真意”を。

「――分かった。これからよろしくな、水波」

 新年度は今まで以上に波乱を巻き起こしそうだ。

 そんな有難くもない予感が、達也の胸にこびりついて離れようとしなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 日本から遠く離れた海の深く、常人にはけっして知覚できない空間にその巨大な生物がいた。それはタコのような無頸椎生物に近い外見をしており、その背中にはガラスのように透明な膜がドーム状に膨らんでいた。

 そして驚くべきことに、そのドームの中には“街”が広がっていた。普通の街と同じように石や煉瓦で道路や建物が整備され、ちょっとした広場には噴水などのオブジェも備えつけられている。

 そして普通の街と同じように、そこには人が住んでいた。“海魔族”と名付けられたその人々は、体の所々にエラや鱗など魚に見られる部位が備わっており、その外見に違わず泳ぎがとても得意である。なので彼らの主食は魚であるが、その街には至る所に畑が耕されているし、牧場などの畜産も盛んである。

 そんな街の中央には、まるで女の子が好みそうなファンタジーの城が堂々と鎮座していた。まるで街の支配者でも住んでいそうなその城には、実際に街の支配者が住んでいた。

 そして現在、その城の中はちょっとした騒ぎとなっていた。

「えっと……、どうかな?」

「おぉっ! よく似合ってるじゃないか、綾香ちゃん!」

 カーテンを開けて姿を現したのは、中学生ほどの年齢である長い黒髪に太い眉が特徴の少女だった。そしてそんな少女を出迎えるのは、普段とは違う彼女の姿に拍手喝采の大人達だった。その光景はさながらファッションショーである。

 この少女こそが、この城の主にしてこの街の支配者――夜元綾香(やもとあやか)である。

 元々はエリと同じクラスで彼女とも親友だったのだが、母親が連れ込んだ男に虐待されていた綾香に目を付けたルラによって、家庭問題の解決手段として“魔女っ娘”の力を与えたことで大きく人生が変化することとなる。

 彼女の武器は、空間を切り裂くことで魔界の力を顕現させる“ヨグ=ソトースの鎌”。これを用いた様々な攻撃はルラの想定をも超えてみるみる成長を重ね、ついには世界を滅亡の危機に陥れるほどに強大なものへと変貌を遂げた。

 結果的には世界の滅亡は回避されたが、世界を混乱させた責任を感じた彼女は、様々な事情により抹殺すら検討されていたルルイエの国民を引き取り、多くの政治のプロから力を借りながら国家運営を進めてきた。この模様については、この場では関係の無い話なので割愛する。

 そんな彼女だが、今着ているのは普段の魔女っ娘然としたものではなく、白と緑を基調とし、白のワンピースの上から胸下辺りまでの丈しかないブレザー、そしてそこから伸びるキャミソールタイプのレースが施されたもの。きっちりしたそのデザインは、何かの学校の制服を彷彿とさせる。

 事実、左胸にあしらわれた八枚花弁のエンブレムが示す通り、それは学校の制服だった。

「へぇ、それが魔法科高校の制服なのか。初めて見たけど、なかなか可愛いデザインだな」

「私達の国にも学校はありますけど、こんなに凝ったデザインではないですからね。さすが人間の世界はレベルが高いわ」

「綾香ちゃんも、よく似合ってるよ。心なしか大人っぽくなったみたいだ」

 その後も口々に綾香を褒める言葉が続き、彼女は「えへへ……」と顔を紅くして照れている。

「それにしても、綾香ちゃんは本当によく頑張ったと思うよ。ルルイエの運営の傍ら中学卒業の資格を得て、普通の高校よりもハイレベルな学力が問われる魔法科高校に見事合格したんだから」

 大人達の中でも中心的な役割を果たし、この3年間綾香を支え続けてきた男性・カッチェの言葉に、彼女は気の抜けた笑顔から真剣な表情へと変えて彼らに向き直った。

「……皆さん、私の我が儘のために色々とご迷惑を掛けることになると思います。もちろんルルイエのことが第一ですので、何か問題が起こったときは遠慮無く呼びつけてください」

 綾香はそう言って、腰が直角に曲がるほどに深いお辞儀をした。

「そんなの、綾香ちゃんは気にしないで! エリちゃんとは1年ズレちゃったけど、せっかくの学校生活なんだから存分に楽しんできてね」

「この3年で、ルルイエもある程度まで安定してきたんだ。何かあったときは戻ってきてもらうことになると思うけど、俺達だけでも充分やっていけることを証明して、将来の足掛かりにしていかなきゃな」

「――ありがとうございます! 行ってきます!」

 力強い彼らの言葉に、綾香はその長い髪を振り乱すようにして再び大きく頭を下げた。

 

 

 

「――何も起きなきゃ良いけどな」

 そんな光景を遠くからつまらなそうに眺めていた、痩せ形で眼鏡を掛けた男・マイヤーの呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。

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