司波兄妹の家から少し離れた所に、鬱蒼と生い茂る森が存在する。それに隠れるようにしてひっそりとある長い石階段を昇った先に広がっているのは、伝統的な建築技術で建てられた建物に、四方を森に囲まれた開放的でありながらどこか閉鎖的な雰囲気が漂うという、まさに“寺”と聞いて浮かぶイメージそのままの場所だった。何百年、下手をすれば千年以上もの激動の時代を乗り越えてきた文化からすると、たかが魔法が現代社会の主流になってからの数十年など、本質を変えられるような大したものではないのだろう。
そのような場所を、達也と深雪の2人が訪れていた。普段から静かなこの場所だが、現在は夜もすっかり更けた頃ということもありさらに静まり返っている。
「こんばんは、師匠。もしかしてお休みでしたか?」
「いやいや、まさか。連絡を貰っているのに、そんなことはしないさ」
達也の言葉にそう返したのは、狐のように細い眼をし、頭を綺麗に剃り上げた男――九重八雲だった。ひょうひょうとした佇まいながら、甚平の下から覗く体は鍛え上げられて引き締まっている。
「しかし、明かりが点いていませんが……」
「まぁ、僕らは“忍び”だからね。習慣になっているのさ」
21世紀もそろそろ終わりに向かっている現代において“忍び”など時代錯誤も甚だしいように思えるが、司波兄妹は顔色一つ変えることはなかった。つまりそれは、彼らが昨日今日の関係では無いことを意味している。
「それにしても、いつ見ても君達の“霊気”は見事だねぇ。眩いばかりに輝いて尽きることのない深雪くんに、それとは対照的に1滴も無駄にしていない達也くん。そして2人を繋ぐ――」
「師匠」
「おっと、ここから先は禁句だったね。――それで、今日はいったい何の用かな?」
「1つ、調べていただきたいことが。実は現在第一高校で、反魔法活動団体が暗躍しているのですが……」
「……それは確定しているのかい?」
「はい。反魔法政治団体“ブランシュ”の下部組織である“エガリテ”です」
「君達がそれを調べることができたのは、“彼ら”のおかげなのかな?」
八雲の問い掛けに、達也は黙って頷いた。
「成程、相変わらず彼らの能力は常軌を逸している。それで、僕に調べてほしいことって?」
「第一高校で実際に生徒を煽動しているのが、剣道部主将の司甲です。おそらく彼はブランシュとも繋がっていると考えているのですが、彼を通じて奴らが何を企んでいるのかお分かりになりませんか?」
「もちろんその程度のことなら調べられるけど、“風間くん”にでも頼んだ方が良いんじゃないのかい?」
「“少佐”に頼むと、叔母が良い顔をしませんので」
「確かに、それなら仕方ないね」
八雲はそう言うと、おもむろに話し出した。
「司甲の旧姓は鴨野甲、陰陽師の大家である“賀茂家”の傍系である鴨野家の出身だ。彼の近親者には魔法的な因子は発見されなかったから、彼の“目”は先祖返りと言えるだろうね」
それを聞いて、達也は納得した。彼の掛けていた眼鏡はやはり伊達などではなく、いわば美月と同じような症状を抱えていたということだ。
それにしても、
「……俺が司甲の調査をすることが分かっていたんですか?」
「いやいや、彼は元々知っていたんだ。僕は今は坊主だけど、それ以前に忍びだからね、
「……俺達のことも、ですか?」
「いや、そのときは分からなかった。君達に関する情報操作は完璧だよ。――逆にこちらが拍子抜けするほどに呆気なく判明したのは“彼ら”だね。まぁ、判明した“後”が大変だったんだが」
常に笑みを浮かべていた八雲だったが、このときの彼の口元は若干引きつっていた。
「それで先生、司先輩とブランシュの関係については……?」
「ああ、ごめんね深雪くん。――司くんの母君の再婚相手の連れ子、つまり義理の兄なんだが、彼がブランシュの日本支部リーダーを務めている。表向きだけでなく裏の仕事も取り仕切ってる、正真正銘のリーダーだよ」
「……つまりそいつが、司甲を実質操っていると」
「まぁね。とはいえ、そいつが何を企んでいるのかまでは、残念ながら分からないな」
「そうですか……。――ところで師匠、司甲の目はどの程度の性能なのでしょうか?」
「うーん、放出された霊気の波動を認識できる程度かな。内に秘めた霊気を読み取るほどの力は無いはずだ。少なくとも、達也くんのクラスメイトほどに強力な霊視力は持っていないと思うよ」
「――美月のことを、もう調べているんですか!」
「君も興味があるんだろう? だが結論から言えば、君のその“心配”は杞憂だと思うよ? あの子では君の霊子を理解することはできないし、もしできるのなら自分の目に振り回されることはないはずさ」
それは言ってみれば、達也が魔法師としての定型から外れた“規格外”であることを意味している。
と、そのとき、達也のズボンのポケットにしまっていた携帯端末に着信があった。取り出して画面を覗いてみると、昼間に番号を交換したばかりの名前が映し出されていた。
「もしもし、どうかしましたか? ――壬生先輩」
『達也くん? ごめんね、こんなに遅くなっちゃって。どうしても、周りに聞かれるわけにはいかなかったから』
「……その口振りからすると、エガリテに関することですか?」
達也の言葉に、傍で聞いていた深雪と八雲の目の色が変わる。とはいっても、八雲は相変わらずの狐のような細い目をしていたので、色を窺い知ることはできなかったが。
『明日のお昼頃、放送室を占拠して校内放送でエガリテの主張を流すつもりよ。……それで、ごめんなさい。私も実行犯の1人として動くことになっちゃったの』
「いえ、先輩は気にしないでください。下手に断ろうとして怪しまれるとまずいので。――それよりも先輩、くれぐれも気をつけてください。周りの人間にあなたが寝返ったことがばれたら、何をされるか分かりませんよ?」
『ふふ、心配してくれてありがとう、達也くん。でも大丈夫よ、信頼できるボディーガードがいるから』
「ボディーガード?」
紗耶香の言葉に、達也が首をかしげていると、
『あ? 誰と電話してんだ? 達也って聞こえた気がしたが……』
『ええ、そうよ。話したい?』
『は? いや、別に俺は――』
『達也くん。今、桐原くんに代わるから』
『おい、壬生! 代わるなんて一言も――』
しばらくの間電話越しに聞こえてくる騒々しい声に、深雪と八雲は苦笑いを浮かべていた。
やがて、
『……おう、司波達也か?』
「桐原先輩、壬生先輩のボディーガードをやってるんですね」
『言っておくが、別に疚しい理由があってそうしてるわけじゃねぇからな! 俺はただ純粋に、壬生の身の安全を思って――』
「別に最初から、そんなことは思ってないのですが」
『…………』
「先輩って、本当に小学生みたいですね」
『うっせぇ!』
ぶちんっ! と豪快な音と共に電話が切られた。
「……今のは、友人かい?」
「いいえ、協力者です」
真顔ではっきりと言い切る達也に、八雲はそれ以上何も言うことができなかった。
* * *
『全校生徒の皆さん! 僕達は、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です!』
校内放送でこの声が届けられたのは、翌日の放課後になってからだった。突然の放送に生徒達は戸惑いの声をあげ、一科生からは“差別”という言葉に反応して怒りを見せている。
『僕達は生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します! この要求が受け入れられるまで、僕達は放送室から出るつもりはありません!』
しかし、この放送に対してまったく驚いていない面々がいた。
「いつ来るのかと思ったが、まさか放課後とはな」
「授業を抜け出す度胸が無かったのか? 別に講師とかいねーんだから、抜け出したって文句言われねーと思うんだけどな」
「つまりそれだけ、彼らは真面目な性格だということでしょうか?」
「あー、確かに考えられるわねー」
ここ1-Eにおいては、達也とレオと美月とエリカの4人だった。つまり昨日、エガリテのメンバーだった紗耶香がこちら側に寝返ったことを知っている面々であり、今朝の内に達也から放送室占拠の計画を知らされていた面々でもある。
「よし、それじゃ行ってくる」
「達也、あいつら捕まえんのか?」
「形式上はな。まぁ、この計画を知っていて放置したのは俺達だからな、てきとうに落としどころを見つけることになるだろう」
達也はそう言って、教室を出ていった。先程から胸につけている風紀委員用の連絡無線が鳴っているが、放送室前に招集が掛けられているであろうことは、わざわざ出なくても分かっている。
というか、すでにこの騒動への対処は打合せ済みだったりする。紗耶香から聞いた計画については、今朝早くに真由美、摩利、克人にはすでに伝えていた。そのまま放送室の警備を強化して騒動を未然に防ぐこともできたのだが、たいして被害が出ないであろうこと、そして何よりブランシュ日本支部に強襲を掛ける“理由”を作り上げるためにも放置することを選択したのである。
そして実際に騒動が発生したら、放送室前に集合の後、中にいる紗耶香に電話を掛けて交渉についての打合せをするという名目で扉を開けさせ、中にいる生徒達を拘束するという手筈になっている。ちなみにこの電話を掛ける役目は、一度彼女と公の場で接触しているために番号を知っていても不思議ではないという理由で達也が選ばれた。
なので、この一連の騒動に関する描写は省略する。過程も結果も、打合せ通りのものだった。
しかしここで、1つ問題が発生する。
仮にここで生徒全員を拘束し、この騒動を解決させたとしよう。しかしこれでは、次にエガリテ――ひいてはブランシュが次にどういう動きをするのか分からない。そもそも今まで潜伏していたエガリテがこうして表立って出てきたということは、彼らの活動方針が強硬手段に切り替わっていることを意味している。そうだとすると、次こそ怪我人が出るような事態になりかねず、そのときに相手の動きを読めないというのはかなり痛い。
なのでここは、真由美発案のアイディアを採用することにした。
「風紀委員のみんな、せっかく取り押さえたところ悪いけど、彼らを解放してくれないかしら?」
放送室に突入し、紗耶香以外を取り押さえたタイミングで、真由美が颯爽と現れた。もちろん、彼女は今まで別室で待機していた。
「学校側は今回の件を、生徒会に委ねるそうです。――壬生さん、私達生徒会はあなた達有志同盟の主張をこれから聞こうと思うんだけど、ついて来る気はある?」
「もちろんです! 私達は逃げる気はありません!」
真由美の言葉に、紗耶香は彼女を睨みつけながらそう言った。もちろん、全部演技である。達也や摩利など真相を知っている者は彼女を見て、洗脳されてエガリテに入ったとはいえ元々入り込みやすい性格なんだな、と内心思っていた。
そして真由美と紗耶香の交渉(と見せかけた単なるお茶会)の末、生徒会と有志団体との公開討論会が決定した。開催は2日後、有志団体は数名参加するのに対し、生徒会は真由美1人だけである。場所は入学式にも使われた講堂であり、他の生徒は基本的に参加を呼び掛けられている。
なぜ突然決まったことにも拘わらず、生徒全員を参加させることにしたのか。
それは、おそらくブランシュがここを狙って来ると思われるからである。場合によっては、武装したテロリストが校内に侵入してくる可能性も充分に考えられる。そのときに生徒達がそれぞれの場所に散らばっているよりも、どこか一ヶ所に集中してくれた方が対処がしやすいのである。
もちろん、実際に相手がどのような手段でやって来るかは分からないし、そもそも本当にその日を狙って来るかも分からない。なので紗耶香にもできる限りで情報を集めるようにし、さらにはダッチによる亜空間からのブランシュの監視を逐一行うことにした。ちなみにそのことに関してダッチは面倒臭そうにしていたが、この件が無事に終わったら厚志がご飯を奢ることを約束したことで何とか了承してもらった。
何はともあれ、2日後の公開討論会が正念場となるに違いない。
次の日、つまり公開討論会を明日に控えたその日の放課後、真由美は夕日の差し込む窓を背に、1人黙々と事務仕事をこなしていた。他の生徒会役員はすでに帰っており、今は彼女1人だけが残っている。
そのとき、部屋の入口とは別にある扉が開き、中から摩利が顔を出した。
「真由美、まだ帰らないのか?」
「あら、摩利もまだ残ってたの? 私はもうちょっと仕事をしてから帰るわ」
そう言って画面に視線を戻した真由美に、摩利は静かに近くの椅子を引いて腰を下ろした。
しばらくの間、真由美のキーボードを打つカタカタという音(本来ハード部分の無くなったキーボードが鳴るがはずないのだが、先代の役員の趣味により音が設定されている)だけが部屋に鳴り響く。
すると、おもむろに摩利が口を開いた。
「……明日のこと、緊張してるのか?」
「……そんなことないわよ。私の魔法なら他の生徒を守れる自信もあるし、何より摩利や達也くん達が守ってくれてるもの。これほど頼りになる仲間もいないわ」
「それもそうか。――それにしても、今日は一段と騒がしかったな」
生徒会と有志同盟との公開討論会が決定したと全校に伝えられた今日1日、あちこちで参加を呼び掛ける生徒の声が聞こえてきた。「君も日頃から二科生の待遇に疑問があっただろう!」だの「同盟に参加して学校に変革を!」だの「これを期に魔法による差別を撤廃しよう!」だのといった声に、一科生からは不満の声が、二科生からは戸惑いの声が生まれている。
ちなみにその呼び掛けている生徒はもれなく、手首に例のリストバンドをつけていた。そして昼休み終了直前、授業のために教室を移動していた真由美が道行く生徒に必死に呼び掛ける紗耶香の姿を見たときは、心の底から彼女に同情したものである。
「でもまぁ、それもきっと明日で終わるだろう。何せ達也くんからの情報で、連中が明日に仕掛けてくることはほぼ確定的だしな」
実は今日の放課後すぐになって、達也が今回の作戦の参加メンバーを呼び出し、ブランシュが明日の公開討論会を狙って襲撃してくるという情報を伝えてきたのである。講堂や実技棟など様々な場所を襲撃するらしいが、その本命は図書館にある学校貯蔵の秘密文献なのだそうだ。
ちなみに参加メンバーは、司波兄妹にエリ、レオ達二科生3人と、真由美達三巨頭の計9人だ。ほのかと雫は一連の騒動に深く関わっていないので、下手に巻き込む必要は無いと判断し呼び掛けなかった。
「…………」
摩利の言葉に、真由美の手が止まった。
「……ねぇ、摩利。あなたは気にならない? どうして一介の学生でしかないはずの達也くんが、反魔法政治結社の存在に気づき、アジトを突き止め、今回の計画をこうして事前に知ることができたのか」
「確かに気になるな。もしかしたら、達也くんは私達も驚くような経歴を抱えているのかもしれないし、ひょっとしたらビッグな協力者がいるのかもしれない。――しかし達也くんが私達に話そうとしないんだ、無理に聞き出すわけにもいかないだろう?」
「……こうは考えられない? 実は達也くんは奴らの一員で、私達に協力するふりをして本当の目的を達成しようとしている」
「ふふふ、確かに考えられるな。明日の朝てきとうな理由をつけて達也くんを呼び出して、自白剤でも嗅がせてみるか?」
「……いいわ、止めておく。どうせ本気で考えてるわけじゃないし」
おどけたように両手を挙げてそう言った真由美に、摩利はほんの少しだけ眉を寄せて、
「……真由美、何を心配してるんだ?」
「…………」
「おまえがどれだけ大きなものを抱えているのか、多分私は完全に知ることなんてできないんだろう。今から言う一言も、多分おまえには無責任に聞こえるかもしれない。でも言わせてくれ。――何か悩みがあるなら、遠慮無く周りを頼ってくれ」
「……無責任だなんて、そんなわけないじゃない。ありがとう、摩利」
真由美はそう言うと席を立ち、「せっかくだから一緒に帰りましょう」と帰り支度を始めた。
――結局、頼ってくれないか……。
摩利は内心で溜息をつくと、静かに「ああ」と返事をした。
「……結局、出番は無かったかぁ……」
電気を点けないせいでほとんど真っ暗になっている保健室で、この学校のカウンセラーである女性がぽつりと呟いた。