第14.5話 『昔自分も同じ嫌な想いをしたはずなのに、なぜ親は子供に対して勉強しろとうるさく言うのだろうか』
入学早々に起きたテロリスト乱入事件から、およそ1ヶ月。
「おはよー、雫さん! ほのかさん!」
「おはよ、2人共」
1-Aの教室に入った深雪とエリは、自分の席に荷物を置くと真っ先にほのかと雫のもとへ歩いていった。すっかりクラスの人気者となっている2人は道中何度もクラスメイトに声を掛けられ、それに律儀に応えながら歩みを進めていく。
「おはよ、深雪、エリちゃん」
声を掛けられたほのかは、にこりと笑顔を添えて2人に返した。この1ヶ月で随分2人と親しくなった彼女は、最初の頃はさん付けだった深雪も呼び捨てで呼ぶようになった。ちなみにこれは深雪から提案したことであり、エリは年下ということもあり未だにちゃん付けのままだった。エリの方も、ほのかが呼称で仲の良さを区別するようなタイプではないと分かっているので、あえてそのままにしている。
しかし、ほのかから返事を貰った2人は、不思議そうに首をかしげていた。別に彼女がおかしな言動をしたからではない。
いつもは返ってくるもう1つの声が、聞こえてこないからである。
「雫さん、何だか元気が無いね。どうしたの?」
いつも無表情で必要最低限のことしか喋らない雫であったが、友人からの挨拶に返事をしないほど無口ではない。変に思って彼女を見てみると、彼女は机に突っ伏した格好で何やら唸り声をあげていた。ほとんど隠れて見えない表情を覗き込んでみると、普段とほとんど同じ無表情でありながらどこか悩んでいるような色が見て取れた。
こうして彼女の表情が読み取れるほどに、2人も雫との仲を深めているということである。
「……あ、エリに深雪、おはよう……」
どうやら2人の存在に気づいていなかったようだが、一応挨拶をした後も彼女の様子が戻ることはない。2人が説明を求めるようにほのかへと視線を向けると、それに気づいた彼女も苦笑を浮かべて、
「それが雫、もうすぐ試験があることをすっかり忘れてて……」
「試験って、期末試験のこと?」
エリの質問に、雫は重い頭をゆっくりと縦に振った。
いつの時代も変わらない学生特有の悩みに、2人は納得したように頷いた。
「でも雫が勉強のことでミスするなんて、随分珍しいじゃない。何かあったの?」
「普段はそうなんだけど、“九校戦”のことで頭がいっぱいになってたみたいで……」
「ああ、それで……」
期末試験の後に訪れる夏休み、そしてその最中に行われる一大イベントの名前に、そういえばもうすぐその季節か、と深雪は今更になって思い出した。
「雫さんって、九校戦が好きなの?」
「お父さんの影響もあるけど、雫は毎年九校戦を観に行ってるんだ。特に“モノリス・コード”がお気に入りなんだよ」
「それに今年は選手としても出ることになると思うから、各校の有力選手をチェックしてたんだけど……、その前にもう1つ大きな“イベント”があることを忘れてた……」
ほのかの説明に補足を加えたのは、ここにきてようやく会話に参加できるほどにまで回復した雫だった。とはいえ、発言が終わるや力尽きるように再び机に突っ伏してしまったのだが。
「期末試験かー。テストってきらーい」
子供っぽく口を尖らせて不満を漏らすエリに、ほのかはくすりと笑って、
「でもエリちゃん、学年でも深雪に次ぐ2位じゃない」
「成績が良くたって、嫌なものは嫌なんだよ。それに私はみんなとは違って、ここに入るためにむりやり知識を詰め込んだみたいなものだし」
「? ……ふーん、そんなもんかぁ。深雪はどう? 試験対策は進んでる?」
「私はいつも授業の復習はしてるから、特別テストの準備をすることはないけど……」
優等生特有の、ともすれば嫌味にも取られかねない答えだったが、彼女本人の人徳と本気でそう考えていることが分かるその表情に、ほのか達は特に気分を害することなくむしろ感心していた。
「雫ならば今からでも充分に間に合うと思うけど……、そんなに不安なら私の家で勉強会でもする?」
「深雪の家で?」
その言葉に食いついたのは、雫本人ではなくほのかだった。“友人”と呼んで差し支えないほどにまで深雪と親しくなったほのかだが、入学当時から持っていた深雪への憧れは微塵も変わっていない。
「ええ、私も人に教えられるほど理解できてるかどうかは分からないけど……、分からないところがあったらできるだけ教えてあげられるし、みんなでやった方が捗るかと思って……」
――それは人それぞれなんじゃないかな?
エリは内心そう思ったが、せっかくなので黙っていることにした。彼女としても、友人と勉強会なんて楽しいイベントをふいにする理由は無いのである。
「行く行く! 雫も行くよね!」
「……うん、私も行く」
あれ、これって私のための勉強会だよね? という雫のもっともな疑問は、喜びを顕わにするほのかを前に霧散していった。
ちなみに、それとほぼ同時刻。
「頼む、達也! 俺に勉強を教えてくれー!」
「分かったから、そんなに泣きつくな。正直周りからの視線が痛い」
「……まったく、レオは何やってんだか」
「あはは……」
1-Eの教室でも、ほぼ同じような遣り取りが行われていたことを、このときの深雪は知る由もなかった。
* * *
結局勉強会は、A組の深雪・エリ・ほのか・雫の4人に加え、E組の達也・レオ・エリカ・美月の計8人によるなかなか大規模なものとなった。いくら司波兄妹の家が一般平均と比べてもかなり大きいとはいえ、さすがに8人が並んで勉強できるほどの余裕は無い。
というわけで、勉強会は隣の家である厚志宅で行われることとなった。本人はジムに行っていて不在だが、電話で確認したところ快く承諾してくれた。
「はーい、麦茶ですよー」
「おお、ありがとうございます、モカさん! よし、ちょっと休憩だ!」
「こら、レオ! さっき休憩したばっかりでしょ! そんなんじゃ、今度のテストも赤点よ!」
「“も”って何だよ! 赤点なんて取ってねーから!」
「エリカ、そういうあなたも、さっきから手が動いてないわよ?」
「い、いやー、深雪、これはじっくりと問題に向き合っていたと言いますか……」
「エリカもレオも、少しは美月を見習ったらどう?」
「へっ? わ、私っ?」
「――というわけで、この問題はこの答えが当て嵌まるということになる。分かったか?」
「はい、とても分かりやすかったです! さすが達也さんですね!」
「いや、特に凄いと言われるほどのことではないと思うのだが……」
「大丈夫、気にしないで。ほのかのは“いつものこと”だから」
「?」
厚志の家の居間は現在、勉強の最中とは思えないほどに賑やかなものとなっていた。主に達也と深雪が他の面々の教師役となっているからであるが、集中力が切れ始めているからかレオ達の私語が多くなり始めているのも大きな要因ではあった。
ちなみに司波兄妹の教師としての評判は、上々であった。入試試験でのペーパーテストで1位と2位を取ったその頭は伊達ではなく、教材の内容を充分に理解したうえでそれを分かりやすく噛み砕いた説明は、他の面々が疑問に思った箇所を丹念に潰していっている。
なお、同じく3位の成績であるはずのエリだが、教師という点では些か不満が残る結果となっていた。理解自体は充分できているのだが、それを他人に説明する際にどうしても過程を端折りすぎてしまうきらいがあったのである。なので彼女は先程から、自分の課題を解くのに専念していた。
「いやー、相変わらず騒がしいねー」
「ははは、若いって良いわー」
そんな光景を目に、ミルココはここ最近よく口にするようになった愚痴を零していた。それを聞いていたエリが「お母さんも最近同じことを言ってたよー」と言ってきて、それがますます2人の気分を降下させる。
それにしても、
「みんな、随分と集中力が切れてるな……。さっきも休憩したというのに……」
「はいはーい! 甘いものが無いからだと思いまーす!」
挙手と共に述べられたエリカの言葉に、達也は成程と思った。頭が疲れたときには甘いものが良いというのは、他人と比べて“特殊な”事情を持つ達也にも理解できることだった。とはいえ、彼自身はさほど甘いものを積極的に食べることはなく、せいぜい深雪が作ってくれたものを食べるか、彼女の機嫌が悪くなったときに詫びの気持ちも込めて買ってくるくらいなのだが。
「確かにエリカの言うことにも一理ある。よし、ここは俺が買ってくるか」
「いやいや! さすがにそこまで達也には頼めねーよ! ここは俺が――」
「いえいえ! レオなんかに任せてたら、どんなセンス悪いやつを買ってくるか分からないじゃない! だからここはあたしが――」
「レオ、エリカ。とりあえず2人はここに残れ。今2人を外に出したら、そのまま戻ってこない可能性も充分にありうる」
「な、何を言ってんだ達也……。そんなわけねーじゃんか……」
「そ、そうよ達也くん……。まったく、冗談が上手いんだから……」
「そうか。それなら、なんで2人共俺と目を合わさない?」
達也の問い掛けにも、2人は乾いた笑い声をあげて彼から目を逸らすばかりであった。あまりにもあからさまな2人の態度に、彼は思わず溜息を漏らした。
と、そのとき、
「ただいま! みんないるかい?」
玄関から厚志の声が聞こえてきて、台所にいたモカが小走りで玄関まで駆けていく。居間にいる面々も声のした方へと顔を向けていると、居間と廊下を繋ぐ襖が開かれて、厚志が姿を現した。そこに一番近い場所にいたほのかが、身長2メートルで筋肉もりもりの厚志の姿が突然現れたのを間近で見て、思わず「ひぃっ」と小さな悲鳴をあげていた。
「はは、やってるねぇ! ほら、お土産のケーキだ」
「おおう! ありがとうございます、厚志さん!」
「やったー! 甘いものー!」
厚志が右手に持っていた袋を掲げるや、レオとエリカは同時に立ち上がって彼へと駆け寄ると、2人同時にその袋を掴んで戻っていった。
中を開けると、苺のショートケーキという王道からフルーツたっぷりのケーキまで、実に様々な種類のケーキがぎっしりと詰まっていた。勉強で脳内に深刻なダメージを負っていた彼らにはそれがまさしく宝石箱に見え、途端に誰がどれを食べるかの大論争に発展していった。そしてその中に、なぜかミルココやモカも含まれていた。
「ありがとうございます、厚志さん。わざわざケーキまで買ってきてくれて」
「ははは、別に気にすることじゃないよ。ちょうど勉強で集中が途切れている頃だろうと思ってね」
そんな喧騒から離れて、達也と厚志が話していると、
「あ、あの! 厚志さん! ケーキ、ありがとうございます!」
いち早くケーキ争奪戦を勝ち抜いたのか、それとも運良く誰も希望しなかったケーキを希望したのか、喧騒から抜け出したほのかがチョコレートケーキを持って厚志達の所へやって来た。厚志は気にするなと手を横に振るジェスチャーをしたのだが、ほのかはじっと厚志を見つめたまま動こうとしない。
「……どうしたんだ、光井さん?」
「へっ? あ、ご、ごめんなさい! 凄い体だなーって思って……」
申し訳なさそうにほのかはそう言ったが、厚志はむしろ喜ばしかった。元々人に見せるために鍛えるのがボディービルなので、実際に見られて褒められるのは嬉しいのである。
「ありがとう! 君もボディービルに興味があるのかい!」
厚志の質問は、別に本気ではなかった。少しでも体を鍛えることの楽しさを知ってもらおうとする、いわば駄目元の勧誘みたいなものだった。
しかし、
「うーん……、やっぱり私も鍛えた方が良いのかな……」
その反応が意外だった厚志と達也は、互いに顔を見合わせた後、達也が代表で話し掛けることにした。
「光井さん、何か悩んでいるのか?」
「……あの、私って他の子と比べても体力が無いんです。体力と魔法力は別物だっていうのは分かってるんですけど、達也さんとか他の運動系クラブの人とか見てると、やっぱり少しは動けるようになった方が良いと思って……」
「ふむ……、確かに魔法に運動能力が直接関わらないとはいえ、動けるに越したことはないだろうな。魔法だけに頼るのは、不測の事態のときに対処できないかもしれない」
「魔法については専門外だからあまり言えないが、魔法というのは使用者の精神状態にも大きく左右されるものなんだろう? 体を鍛えることは、すなわち精神を鍛えることだ。体を鍛えることで魔法そのもののレベルアップにも繋がるかもしれないぞ?」
「……そうですよね! 厚志さん! 厚志さんのジムって、女の人でも入ることはできますか!」
「もちろん可能だ! それにボディービルのような筋肉を魅せるための鍛え方ではなく、実戦を視野に入れた鍛え方も教えられる! 君にとって無理のない範囲で筋肉をつけ、体力を向上させることも可能だぞ!」
「わ、分かりました! 頑張ります!」
部屋の隅で突然燃え始めた厚志とほのかに、ケーキ争奪戦を繰り広げていた面々は呆気に取られた表情をしていた。
「お兄様、ほのかはなぜあんなに燃えているのでしょうか?」
「ああ、体力の低さを改善するために、厚志さんのジムに通うことにしたんだ」
「ほのかが? 厚志さんみたいな筋肉ムキムキになったらどうしよう……」
エリカの言葉に、厚志の体にほのかの顔をくっつけた姿を想像したのか、部屋のあちこちで笑い声が漏れた。
「いや、厚志さんのことだ。きっと彼女に合った実戦的な体作りを提案してくれるだろう。――それにしても、光井さんはなんで急にそんなことが気になったんだろう……」
「おそらく、九校戦」
達也の疑問に答えたのは、雫だった。
「九校戦?」
「ほのかの成績だったら、まず間違いなく新人戦のメンバーに選ばれる。そのときに足を引っ張らないように、と感じてるんだと思う」
「……そうか、そういえばそんなイベントがあったな」
毎年夏は“恒例のイベント”が入っていた達也にとって、九校戦というのは魔法科高校に入った人間としては珍しいほどに関心の薄いものだった。しかし今年からは、そんなことも言っていられないだろう。
なぜなら、ほのかが代表に選ばれるということは、必然的に彼女よりも上位の深雪やエリも選ばれるということだからである。
「今の内にでも、ある程度考えておかないといけないか……?」
ぽつりと呟いた達也の言葉は、ケーキを食べるのに忙しい面々のざわめきに紛れて消えていった。