魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第18話 『自分の言葉1つで数百万人を殺す立場というのは、何も国家元首に限った話ではない』

「達也くん、これが例のCADかい?」

 夜遅く、そろそろ寝ようかと思っていた厚志達の家でチャイムが鳴った。出てみると司波兄妹の2人であり、聞くところによると早急に試してほしいCADがあるというのである。

 そうして達也がポケットから出してきたのは、CADと聞いて一般的に思い浮かべるものよりも随分と簡素なものだった。掌に包めるほどの大きさをした卵型のそれは、上下の2つしかスイッチがついておらず、何かの家電を操作するリモコンのようにも見える。

「んで、そろそろこれが何の魔法に使うやつか教えてくれる? わざわざこんな夜遅くに来てまで試してほしいってことは、そんじょそこらの魔法じゃないんでしょ?」

 面白そうに笑みを浮かべてそれを眺めていたミルクが、厚志の家に来てから真剣な表情のままでいる達也と深雪に尋ねた。それは周りにいる他の面々も同じようで、皆が興味津々な感じで2人に目を向けている。

 そんな眼差しを一身に受けながら、達也は口を開いた。

「その特化型CADが使える魔法はただ1つ、常駐型重力制御魔法である“飛行術式”です」

「……それってつまり、空を飛ぶための魔法ってことか?」

 リカルドの問い掛けに、達也が静かに首を縦に振った。隣にいる深雪は口を閉ざしたままだが、心なしか自慢げな表情を見せている。

 しかしそれを聞いたほとんどの面々は、見るからにがっかりした表情を見せた。彼らにとって“飛行”というのは日常的に見掛ける行為であり、それほど珍しいものではないからである。現にこの中でも、ミルココとダッチとマッドの4人が普通に空を飛べる。

 しかし人間界の魔法を学んでいるエリ、そしてそれを聞きかじったおかげである程度は魔法の知識がある厚志は、達也の開発したこのCADの価値に気づいていた。

「凄いじゃん、達也さん! これってあずささんが昼間に話してた“加重系魔法の三大難問”ってやつでしょ!」

「成程、確かにそれは凄い。まさに歴史的快挙ってやつだね」

「はい、その通りです! 私はお兄様の妹であることを、誇りに思っています!」

 最初はリカルド達の反応に機嫌が下降していた深雪だったが、エリと厚志の反応のおかげで機嫌を戻し、にこにこと笑いながら達也の腕に抱きついた。

 達也の偉業がどれほどのものかいまいちピンと来ないミルココ達のために、エリがいかに飛行術式の実現が難しいかを説明していた。その内容は昼休みに生徒会室で話していたものとほぼ同じだったが、ミルココやモカはちゃんと理解してくれたのに対し、リカルドとマッドは彼女が説明するほどに苦しげな表情を見せていた。

「それで達也くん、このCADはどんな仕組みなんだい?」

「俺がよく使用している“ループ・キャスト”とは対になるシステムです。一度読み込んだ起動式をコピーして連続発動する“ループ・キャスト”に対し、こちらは魔法の起動時点を記録して変数のみを書き換えて起動式を連続処理する仕組みを採用しました」

「おい達也、日本語でオーケー」

「兄者、達也はちゃんと日本語を喋ってるよ。俺も何を言ってるのか分からないけど」

「つまり、効果の短い魔法をタイムラグ無しで連続発動させてるんだよ。そのときに飛行するスピードや方向だけを変えられるようにしておいて、魔法の切れ目のときにそれを調整できるようにしてるってわけ」

 エリの説明に、リカルドは納得したような表情を浮かべて「ああ、成程な。よく分かったぜ」と頻りに頷いていた。そしてそれを見ていたマッドが「兄者、本当に分かってる?」とすかさずツッコミを入れる。

 仕組みを説明したところで、一同はCADのテストを行うために庭へと移動した。

「俺と深雪で1回テストをしていますが、万が一のことがあるかもしれません。あと、サイオンの使用量は最小限にしていますが、オフにしない限り自動吸引し続けるので注意してください」

 最初にテストをするのは厚志だった。起動式を展開するなんて経験したことのない彼だったが、今回はCADに内蔵されている起動式を使用するので、プリティ☆ベルに覚醒したことで生まれた自身の魔力をCADに込めるだけで良い。

 吸収される魔力はごく微量で、厚志が普段飛んでいるときと比べても遜色ない。頭の中で自分が空を飛んでいるイメージを想像したその瞬間、実際に彼の体が地面を離れてふわりと浮き上がった。屋根の高さまで上がったところで停止すると、今度は水平に移動を開始した。徐々にスピードを上げたり方向転換したりして、普段の飛行との相違点を探る。

「どうですか、厚志さん?」

「うん、普段プリティ☆ベルに変身しているときの飛行と、それほど違いは感じないね。魔法の断続感も無いし、魔力を吸い取られることによる倦怠感も無い。――ところでこれは、もっとスピードを上げても大丈夫なのかい?」

「変数を変換することでスピードや方向を調節しているので、理論上はどんなスピードでも実現は可能です。しかしそれに応じてサイオンの吸引量が増大するので、魔法力の枯渇には充分注意してください」

「分かった。――ふぅんっ!」

 その瞬間、厚志の姿が消え失せた。凄まじい風圧が上空から地面に襲い掛かり、達也たちが咄嗟に顔を手で覆ってそれに耐え、再び上空に顔を向けたときには、ただただ綺麗な星空が広がっているだけだった。

 おそらく彼は今頃、普段と同じように音速で空を飛び回っていることだろう。普通の人間ならば生身で音速の衝撃に耐えられるはずもないが、プリティ☆ベルの力が体に馴染んでいる厚志の体は常人とは比べものにならないほど頑丈であるし、いざとなれば魔力を集中させることで盾にすることもできる。

「……この実験データは、おそらく参考にならないな」

 ぽつりと呟いた達也の言葉に、隣で聞いていた深雪が苦笑いで首を縦に振った。

 ちなみにその後厚志は何の問題無く帰還し、エリによるテストも結果は良好だった。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして次の休日、飛行術式のCADを引っ提げた達也がF・L・Tの開発センターへとやって来た。一般的なビルが幾つもすっぽりと収まりそうなほどに巨大なその建物が、いかにF・L・Tが巨大な企業であるかを物語っている。ちなみに彼の後ろには深雪だけでなく、興味本位でついてきたエリとミルココの姿もある。

 機械や人の目による厳重な警備を悠然と通り抜け、窓の無い通路を通り抜けて5人がやって来たのは、10人以上の研究員が忙しなく走り回っている、CADのテストを見守る観測室だった。

「あっ、御曹司じゃないですか!」

 達也たちが部屋に入ってきた途端、あれだけ忙しそうにしていた研究員が全員手を止めて集まってきた。その視線には媚びるような卑しい感情も、内心見下すような蔑みの感情も無く、ただ相手への尊敬や親しみが込められていた。

 そしてそんな視線を一身に受けるのは、深雪ではなく達也だった。

「お邪魔します。牛山主任はどちらに?」

“御曹司”という呼び名がこそばゆいのか、達也は苦笑いをしながら一番近くの研究員に尋ねた。

 すると、

「お呼びですかい、ミスター?」

 研究員の人垣を掻き分けて、癖の強い髪を持つ男性がやって来た。

「すみません主任、お忙しい中」

「おっと、いけませんなミスター。ここにいるのはアンタの手下ですぜ、下手に遜りすぎちゃ示しがつきませんよ」

「しかし皆さんは親父に雇われているだけあって、俺の部下というわけでは――」

「何を仰いますやら、天下のミスター・“シルバー”が。俺たちゃ全員、アンタの下で働けるのを光栄に思っているんですぜ?」

「それを言うのなら、名実共にここのヘッドはあなたでしょう? ミスター・“トーラス”」

 2人の言葉からも分かる通り、この2人こそがF・L・T躍進の原動力ともいえる“シルバー・シリーズ”の開発者である“トーラス・シルバー”の正体である。達也がアイデアとソフト部分を、牛山がハード部分を担当することで、数々の革命的なCADを世に送り出してきたのである。

「よしてくだせぇ、俺はただの技術屋ですぜ? アンタのアイディアにあぐらを掻いているだけなのに共同開発者なんて、本当は今でも恐れ多いと思ってるんですから。アンタが頑なに単独の開発者になるのを拒んでいるから、仕方なく連名ということにしていますが」

「主任のハードに対する知識と技術力が無ければ、“ループ・キャスト・システム”も机上の空論で終わってましたよ。どんな理論や技術も、製品化されて初めて意味を持つものでしょう?」

「あーもう、やめやめ。御曹司に口で敵うはずがねぇ。そんなことよりも、仕事の話をしましょうや」

「そうですね。それでは、これを」

 そう言って達也が取り出したのは、例のCADだった。それを受け取ってまじまじと見つめていた牛山だったが、やがて表情を真剣なものに変え、CADを持つ手もぷるぷると震えている。

「このデバイス……まさか、飛行術式ですかい?」

「ええ」

「テストは?」

「いつも通りに。こちらでは成功していますが、“一般的な”魔法師のデータも取りたいので」

 ごくりと唾を呑み込んだ牛山が、近くで同じようにCADを見つめている研究員へと顔を向けた。

「テツ、T-7型の手持ちは幾つだ?」

「……じ、10機です」

「馬鹿野郎! なんで補充しとかねぇんだよ! いいから全部持ってきて、今すぐこのシステムをコピーしろ! ヒロ、テスターを全員呼べ! 休みなんか関係あるか、首に縄つけて引きずってこい! 残りは全員今の作業を中断して精密計測の準備だ! 良いかおまえら、分かってんのか! 魔法の歴史が変わるんだぞ!」

 牛山の声に、観測室中にいる研究員が先程以上に忙しなく走り回った。機械に齧り付いて起動を確かめたり、相手に怒鳴りつけるような勢いで電話をしたり、とにかく観測室は混乱の極みに達していた。

 そんな中、エリとミルココは研究員の邪魔にならないように壁際に移動して、そんな混乱を楽しそうに眺めていた。

 

 

 

 結論から言えば、実験は大成功だった。

 一般の魔法師であるテスターが使っても問題無く起動し、自由に空中を飛び回る自分の体に細部をチェックするのも忘れて興奮していた。それを見ていた他のテスターも我先にとCADを装着して飛び始め、終いには予定には無かった空中鬼ごっこまで開催される始末であった。

 当然、常時サイオンを吸引し続ける魔法を長時間使えるはずもなく、ほどなくして全員の魔法力が枯渇して床にへたり込んでしまっている。幸いにも後遺症が残るほどではなかったが、牛山は呆れ果てた表情で彼らを見下ろしていた。

 牛山による超勤手当不払い宣言で巻き起こるブーイングをよそに、牛山はテスト結果を真剣な表情で見つめている達也と話し合いを重ねた。当面の課題として、起動式の連続処理による負担軽減のために、サイオンの自動吸引をハード面からより効率化する。後は他の企業に先を越されない内に飛行術式のノウハウを発表し、9月を目処に製品化することで双方の意見は一致した。

 とりあえずそれについては牛山達に任せることにして、達也たちは観測室を後にしようとする。

 そのとき、

「すみません、御曹司……。本部長も今日はこちらにいるはずなので連絡したんですが、結局お見えになりませんで……」

 申し訳なさそうにそう言う牛山に、達也は気にしていないという感じで首を横に振った。しかし彼の後ろにいる深雪は、隠しきれていない不機嫌が表情に浮かび上がっている。

 牛山と別れた一行は、来たときと同じように窓の無い通路を歩いていく。観測室にあった珍しい機械や製品化される前のCAD、そして飛行術式のテストに夢中になるテスターの様子を楽しそうに話しながら、一行は入口まであと1区画という所までやって来た。

 と、そのとき、

「これは深雪お嬢様、ご無沙汰致しております」

 男性2人組とばったり顔を合わせ、その中の1人が口を開いた。彼の視線は深雪のみに固定され、その隣にいる達也へと移る気配は微塵も無い。

 その人物とは、四葉家の執事である青木だった。財産管理の一端を任せられているほどの人物であり、そんじょそこらの執事とは格が違う。だからこそ、達也と深雪の実父でありF・L・Tの本部長でもある司波龍郎のお付きも任されているのだろう。

 一方その龍郎は、その視線を深雪と達也の間で行ったり来たりさせながら、所在悪そうに口を開きかけては閉じるを繰り返していた。

「お久しぶりです、青木さん。しかしここにいるのは、私だけではありませんが。――お父様もお元気そうで。先日のお電話、ありがとうございました。ですが実の息子には何も無かったそうですね?」

 冷えきった声でそう言う深雪に、龍郎は気まずそうに目を逸らし、青木は一切動じなかった。

「お言葉ですがお嬢様、私は四葉家でも序列4位の執事でございます。家内にも“秩序”というものがございますので、一介のボディーガードに礼を示せと仰られましても些か――」

「青木さーん! お久しぶりでーす!」

「元気そうでなによりですー!」

「龍郎さんもお変わりないようでー!」

 青木の言葉を遮るようにして飛び出したのは、先程まで司波兄妹の後ろで成り行きを見守っていたエリとミルココだった。

 そしてその瞬間、青木の表情が明らかに強張った。達也たちと顔を合わせた際も意図的にその存在を無視していた彼だったが、こうして目の前に現れてしまっては無視することができない。

「……お久しぶりでございます、エリさん、ミルクさん、ココアさん」

「そう言えば青木さーん、さっき達也のことを“一介のボディーガード”と仰いましたかー? おかしいですねー。青木さんともあろうお方が、“今の”達也の立場を理解できていないはずがありませんよねー?」

「ちょっとミルクー。いくら何でもそんなわけないでしょー? “あの同盟”から何年経ったと思ってんのー? いくら何でも、まだそれ以前の感覚が抜けきっていないなんて、そんなのあり得ないでしょー!」

 ミルココのわざとらしい会話に、青木の額に青筋が立っている。しかし彼は心に思ったことをそのまま口にはせずに、ゆっくりと深呼吸をしてから口を開いた。

「……“一介のボディーガード”という言葉は訂正致します。しかし彼が深雪お嬢様のボディーガードであることは変わらない事実。そして深雪お嬢様は、四葉家次期当主の座を家中の皆より望まれているお方。そこの者とは立場が違います」

「ん? それって、真夜(まや)さんが深雪さんを次期当主に指名したってこと?」

 突然横から口を挟んできたエリに、青木は一瞬彼女を睨みつけ、そしてすぐに自分の失言に気づいたのかはっとなった。

「あら、そうなの? だったら色々と準備もあるのだから、早く言ってくれれば宜しいのに」

「そうだよね。そんなことをわざわざ言うってことは、まず間違いなく事実なんだろうし。だってもしそうじゃないとしたら、家督相続に関する自分の思い込みでしかないことを、あろうことか次期当主候補に吹き込んだことになるんだよ?」

「ちょっとミルク、いくら何でもそれは無いでしょ。自分で家内の秩序を気に掛けてる人が、そんないかにも秩序を乱すような行動をするはずがないでしょ?」

 深雪とミルココのわざとらしい会話に、青木は顔を真っ赤に染めながら悔しそうに歯噛みして、ミルココを睨みつけた。

「……真夜様は、何も仰ってはいない。しかし共に暮らしていれば、互いの心は通じるものなのだ。貴様らのような“人間ですらない者”などには、人間の心など分かるはずもな――」

 その瞬間、青木は胸に強い衝撃を受けて背中から床に倒れ込み、体に掛かる重みと目の前に迫る切っ先に体を動かすことができなかった。その“重み”の正体はエリが彼の体にのし掛かることによる全体重での押さえ込みであり、その“切っ先”の正体はエリが右手に持つ金色の槍だった。

 つまり彼女は、青木に襲い掛かって凶器を彼の眼前に向けているということである。そんな彼女の表情は、中学生になるような年齢だとは到底思えないほどに冷えきり、その目には一切の迷いも見受けられない。

「お……おまえ!」

「や、やめるんだ、エリちゃん!」

 青木は恐怖で体を震わせ、今まで黙っていた龍郎もさすがに彼女へと声を掛けた。しかしエリが龍郎を一睨みすると、彼は彼女へと動きかけていた脚をぴたりと止め、そのまま動けなくなってしまった。

「そ、そこのおまえ達! いますぐ彼女をどかせ!」

 青木が必死になって呼び掛けるが、ミルココはまるでその声が聞こえていないかのように一切の反応を見せなかった。深雪も彼を冷えきった目で眺めるだけで、まるで動く気配が無い。

 しかし、

「エリ、その辺で止めるんだ」

「うん、分かった」

 達也が優しい声でエリに呼び掛けると、彼女はいともあっさりと青木の体からどいてみせた。その際に、彼女の持っていた金色の槍は光となって消え失せた。

「良かったですわね、青木さん。“お兄様のおかげ”で事なきを得て」

「…………」

 にっこりと笑いながらそう言う深雪に、青木は無礼だと分かっていながらも言葉を返すことができなかった。

「青木さん、失礼ながら口を挟んでも宜しいですか?」

 達也の言葉に、青木は何も答えなかった。それを肯定と受け取った達也は、そのまま話を続ける。

「あなたが今目の前にしている彼女達は、自分のような一魔法師とは訳が違います。彼女達は人間界の全国家を相手に“対等”に渡り合える、いわば“世界最大の超大国”です。彼女達と会話をするときは、国家元首を相手にした会談を想定した言動を心掛けるべきでしょう。場合によっては、あなたの不用意な言動1つで“人間界が火の海になる”ことすらもありえるということを、くれぐれも肝に銘じた方が宜しいのでは?」

「……忠告、感謝する」

 青木はちらちらとエリ達を見遣りながら、実に言いにくそうにそれだけ言った。

 これ以上何も話すことはないと、達也たちはその場を立ち去った。途中で龍郎が何かを言いたげにこちらを見ていたが、別に聞いてやるほどの義理も無いため無視した。

「……悪かった、エリ。あんなことをさせて」

「達也さんは気にしないで。私がやりたくてやっただけなんだから」

「ま、エリちゃんがやらなくても、深雪が辺り一面凍らせてたと思うけど」

「ちょ、ちょっとミルク! いくら何でも、私にだって分別ぐらいはあるわよ!」

「どうだろうなー。深雪って、愛しのお兄様のこととなるとたがが外れるときがあるしなー」

「もう、ココアまで!」

 明るい声でそんな会話を交わすエリ達に、達也はふっと笑みを浮かべ、心の中で礼を言った。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜。

 厚志は自分の家の縁側にて、静かに酒の入ったグラスを傾けていた。エリを始めとした同居人はすでに寝静まっており、彼は月明かりを照明代わりに、星空を肴代わりに、時々遠くから聞こえてくる生き物の鳴き声を呑み相手代わりにしていた。

 そろそろ自分も寝ようか、と厚志が縁側から立ち上がったそのとき、居間に置いてある黒電話が鳴った。普段ならモカが取ってくれるのだが、現在起きているのは自分しかおらず、また他の者の眠りを妨げてはいけないと思い、彼は早足で電話まで駆け寄ると受話器を取った。

「はい、高田です」

『夜遅くにごめんなさい、もう寝ていたかしら?』

 電話口の向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた大人の女性の声だった。何の抵抗も無くするりと耳に入るほどに自然な、しかし脳に強く焼き付くほどに強烈な印象を持つ、とても不思議な声だった。

「その声は……、真夜さんかな?」

『あら? 疑問形にしてしまうほどに、私の声を忘れかけていたということかしら? だとしたら、もっと頻繁に電話をしなければいけないわね』

 言葉とは裏腹に、その声は含み笑いを帯びたものだった。ころころと可愛らしく弾むその声は、先程までの大人の女性という印象からは離れているが、不思議と違和感は無い。

「それで、いったい何の用かな?」

『用が無ければ、電話をしてはいけないのかしら?』

「君は用も無いのに電話をするような性格ではないだろう?」

『ふふ、確かにそうね。――達也さんたちから、昼間のことで何か聞いているかしら?』

「昼間? 確か新しく開発した飛行術式のCADを、F・L・Tの開発センターに持って行ったんだろう? 結果については、達也くんから大まかには聞いているよ。ひとまずは成功だったと」

『そう。それは私の耳にも入っているわ、さすがは彼といったところかしら。――その口振りからすると、そのときの出来事については何も聞いていないのね?』

「……何か、あったのかな?」

『そのときに彼らの父親――司波龍郎と、彼の執事と顔を合わせたそうよ。そしてその執事の口から、あなたの所にいる天使や魔族達を冒涜するような発言をしたと聞いたわ』

「……そうか」

『本当に、申し訳なかったわ。彼には私からもきつく言っておくから、今回は許してくれないかしら?』

 十師族の中でもトップの影響力を誇る四葉家の当主が、謝罪の言葉を口にする。これは外交上においても大変重い意味を含む行為なのだが、それを受けた厚志はそのことを重々承知していながらも、けっして取り乱すようなことはしなかった。

「彼らがそのことを口にしなかったということは、彼らの中では特に遺恨の残るようなものではないんだろう。だったら“外野”の私が特に口を出すようなことではないよ」

『……そう、分かったわ』

「ただ私としては、達也くんに高校入学に関して祝いの言葉が無かったことが気掛かりかな? 彼はそういったことに頓着しない“性分”だとは分かっているが、それでも何も無いよりは嬉しいだろう? もちろん、誰かから命令されて嫌々するようなお祝いは論外だが」

『ふふ、確かにそうね。それじゃ明日にでも、私から祝いの1つでも言ってあげるとするわ。四葉家当主直々に祝いの言葉を掛けてあげるのよ、これ以上の褒美は無いんじゃないかしら?』

「ははは、そうかもしれないね」

 冗談めかしてそう言う真夜に、厚志も軽く笑って答えた。

『それじゃ、もう夜も遅いからそろそろ切るわ。また何かあったら話しましょう――厚志さん』

 その言葉を最後に、電話は切られた。プー、プー、と電子音が小さく鳴る電話口に厚志はしばらく耳を当てていたが、やがて受話器を静かに置いた。

 そして厚志は天井を仰ぎ見ると、大きな溜息をついて、小さく呟いた。

「まったく、相変わらずだな――真夜さんは」

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして様々な出来事が起こり、いよいよ九校戦が開催される。

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