8月1日。いよいよ九校戦の会場である富士演習場へ向けて出発する日がやって来た。遠方の学校は早めに現地入りするのだが、会場に一番近い第一高校は例年このくらいの時期に現地へと向かうことになっている。
選手もエンジニアも機材もバスに乗り、第一高校代表組は意気揚々と現地へ向けて出発――していなかった。
「……遅いな」
「ですね」
真夏の炎天下にて、予定の時間から1時間半近く経っても現れない1人の生徒を待つ摩利と達也が、疲れを紛らわすようにぽつりと呟いた。摩利は額に滲む汗を懸命に拭っているが、達也は1滴の汗も掻かずに平然と佇んでいるように見える。
と、そのとき、
「遅れてごめんなさーい!」
サンダルのヒールをかつかつと鳴らしながらやって来たのは、真っ白なサマードレスと幅広のつばを持つ帽子を身につけた真由美だった。達也はその姿を見て、手に持っていた端末に表示されていたリストにある真由美の欄にチェックを入れた。これで全員の欄にチェックが入れられたことになり、ようやくバスは出発できることになる。
「ごめんなさい、達也くん、摩利。私のせいでこんなに待たせちゃって」
「いえ、事前に事情は聞いていますので。それにこうして会長を待っていたのは、皆さんの総意でしたので」
「ふふ、ありがとう。――ところで、達也くん。これ、どうかな?」
“これ”というのは、自分が今着ている服のことだろう。
「とてもお似合いです」
「ありがとう。でももうちょっと照れながら褒めてくれると、言うこと無かったんだけどなー」
指を絡めた両腕を腰へと伸ばしたせいで、平均より小柄ながら平均並みの大きさをした彼女の胸がくっきりと谷間を刻んでいた。口を尖らせながら上目遣いで擦り寄る彼女の姿は、思春期真っ只中の男子ならばドキドキせずにはいられない魅力を放っているに違いない。
だが、達也はその“思春期真っ只中の男子”の範疇外だった。
「大変だったんですね、会長。心中お察しします。バスの中でも、少しは休めると思いますよ」
「え? ちょっと、達也くん? 何か勘違いしてない?」
「ほら、真由美。みんな待たせてるんだ、いい加減に乗るぞ」
何か言いたげだった真由美を引っ張って、摩利はバスの中に入っていった。
それを見送った達也は、彼女達とは違う作業車に乗った。
「もう、達也くんは私を何だと思ってるのかしら? 隣に誘おうと思ったのに、さっさと行っちゃうし!」
会場へ向かうバスの中、隣に座る鈴音が冷ややかな目を向けていた。いや、彼女はいつも無表情を貫いているので、ひょっとしたら彼女なりに暖かい視線を向けているのかもしれないが。
「的確な判断だと思われます。会長の美貌の“魔力”に耐えられる男子生徒など、ほとんどいないのですから。もっとも司波くんは相手の魔法を無効化する技能に長けていますので、通用しないのかもしれませんが」
「もう、リンちゃんまで……」
鈴音の言葉に真由美は悲しそうな声を出して、彼女に背を向けて体を丸めてしまった。これが彼女なりのコミュニケーションなので、鈴音は特に心配する素振りも見せずにじっと彼女を見つめている。
しかし中には、そのような冗談の通じない真面目な生徒もいるようで、
「会長、大丈夫ですか? やはりご気分が悪いのでは……?」
服部だった。
「あ、ええと……。別にそういう訳じゃないのよ。ごめんね、心配掛けて」
「そんな気遣いは無用です! 我々を心配させまいと無理をなさって体調を崩されてしまっては、元も子もありません! 何かあれば、遠慮無く私に!」
胸に手を当てて力説する服部だったが、その視線が少し下を向いたとき頬を紅く染めた。おそらく彼女がだらしなく座っているせいで、サマードレスの裾から太股が覗いているのをばっちり見てしまったからだろう。
「副会長、どこを見ているのですか?」
「市原先輩! わ、私は別に何も! ただ会長にブランケットでもと思いまして……!」
「副会長が、会長にブランケットを掛けて差し上げるのですか? それでは、どうぞ」
わざわざ席から立ち上がって促す鈴音に、上目遣いで恥ずかしそうに胸元を隠す真由美。2人の先輩の悪ふざけに、真面目な後輩である服部はすっかり体を固くしてしまった。
「いや、あの、会長! 私は――!」
――まったく、あいつらは何をしているんだ?
そんな3人の遣り取りを、摩利は呆れ顔で眺めていた。注意してやろうかとも考えたのだが、それで真由美の気分が晴れるのならと、あえて無視を決め込むことにした。
その代わり、先程から自分の隣で溜息ばかり吐いている女子生徒へ視線を向けた。
「
摩利のその言葉に、ボーイッシュなショートヘアを持つ凛々しい顔つきの少女――千代田花音は、彼女の言葉がスイッチとなったのか、途端に不満を爆発させる。
「私だって、2時間や3時間ぐらいは待てますよ! でも今回は啓も技術スタッフとして選ばれて、すっごい楽しみにしてたんですよ! 今日もずっとバスの中では一緒だと思ってたのに! ――なのになんで、技術スタッフは作業車なんですか!」
彼女の言う“啓”とは、技術スタッフに選ばれている五十里啓のことである。実はこの2人は許嫁同士であり、そのラブラブっぷりは校内でも割と有名だったりする。
「バスの席だってまだ充分にあるし、足りなければ2階建てでも3階建てでも持ってくれば良いんですよ! どうせ移動中は作業なんてできないんですから! ああもう、納得いかーん!」
「毎度のことながら、おまえは五十里のこととなると人が変わるな……」
すぐ隣でわんわん騒ぐ花音に、摩利は頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てていた。
しかしながら、技術スタッフが別移動であることに納得していないのは、ここにもう1人いた。
「ええと……、深雪? お茶でも飲む?」
ほのかが恐る恐る水筒を差し出すと、深雪はにこりと笑って、
「ありがとう、ほのか。でもごめんなさい、私そんなに喉が渇いてないの。――だって私はお兄様と違って、この炎天下にわざわざ外で立たされてたわけじゃないんだもの」
魔法が発動されているわけでもないのに、ほのかは自分の体が凍りつくような気がした。
「何してるの、ほのか。お兄さんを思い出させたら意味無いでしょ」
「今のは不可抗力だよ……」
ひそひそと話す雫とほのかを余所に、窓の方を向いている深雪の呪詛のような呟きは続く。
「まったく、誰が遅れて来るのか分かってるのだから、わざわざ外で待つ必要なんて無いというのに……。なんでお兄様がそのような辛いお役目を……。しかも機材で狭くなった作業車で移動だなんて……。せめて移動の間くらいは、ゆっくりとお休みしていただきたかったというのに……」
「エ、エリちゃん! 助けて!」
ついにほのかは恐怖に耐えられなくなったのか、後ろの席に座っていたエリに助けを求めた。現代の子供らしく携帯ゲームに勤しんでいた彼女だったが、今にも泣きそうなほのかを見て、ゲーム機を鞄の中にしまって深雪の隣へと移動した。
「まぁまぁ、深雪さん。そうやって誰もやりたくない仕事を率先して引き受けるのが、達也さんの良いところでしょ?」
彼女のその言葉に、深雪がちらりとこちらを向いた。誰に向けるでもない不満や怒りで溢れていた彼女の目に、自分の兄が褒められたことへの嬉しさがほんの少しだけ見え隠れしていた。
ここがチャンスだ、とばかりに雫が畳み掛ける。
「そうだよ、深雪。バスの中で待っていても文句を言う人はいなかったと思うけど、達也さんは“選手の乗車を確認する”という仕事を立派にやり遂げたんだよ。どんな仕事でも手を抜かずに、しかもそれを当たり前のようにこなすなんて、なかなかできることじゃないよ」
「そうだよ! 達也さんって、本当に素敵な人だよね!」
雫の言葉に乗っかる形で、ほのかも加勢に入った。その甲斐あってか、深雪の表情は明らかに上機嫌なものとなり、「お兄様は変なところでお人好しだから……」と照れ臭そうに呟くその姿からは、つい先程まで無自覚に振りまいていた威圧感は完全に消え去っていた。
ほのかと雫は、ほっと溜息を胸を撫で下ろした。
「そうだ! せっかくこうして4人集まったんだからさ、ゲームでもしようよ! 私、4人分持ってきたんだー」
エリがにこにこと満面の笑みを浮かべて取り出したのは、先程彼女が遊んでいたゲーム機だった。現代のゲームはダウンロードでソフトを購入するのが一般的になったが、多機能端末が主流となった今でも、ゲームプレイに特化した専用のゲーム機は根強く残っている。
「そうだね、やろうやろう!」
何か別のことで遊んでいれば深雪の気分も紛れるだろうと、ほのかはエリの誘いに真っ先に乗った。雫も同じ考えなのか、それとも単純にゲームに興味があるのかその誘いに乗った。そして深雪も誘いに乗ったため、現在流行しているアクション型対戦ゲームを4人でプレイすることにした。
そして1時間後。エリにぼこぼこにされた深雪は、再び不機嫌そうに窓の景色を眺めていた。
もっとも、先程のような威圧感を振りまくものではなく、いわば拗ねているだけなのでほのか達も放っている。
* * *
その電話は、不機嫌になった深雪が早々に抜け、走行中の車内でゲームをしたことで気分が悪くなったほのかが抜け、雫と2人でゲームをしていたときに掛かってきた。
白熱したタイマン勝負の末勝利をもぎ取った雫にエリが再戦を申し込もうとしたとき、ポケットに入れていた携帯端末が震えた。彼女がそれを取って画面を見ると、そこにはミルクの名前が浮かんでいる。
「もしもし、どうしたの?」
『エリちゃん。そっちのバスに、悪意を持った人間が運転する車が近づいてきてる。反対車線を走る、大型のオフロード車。達也にはココアが伝えているから、そっちでも注意して』
「うん、分かった」
エリは電話を切ると、窓際に座る深雪の体を押し退けて窓を睨みつけた。ただならぬ彼女の様子に、深雪と雫、さらには気分を回復させていたほのかが彼女を見遣る。
「エリ、どうしたの?」
「……いた。あの車――!」
エリが反対車線にいるオフロード車を見つけて大声をあげた次の瞬間、その車が急ブレーキを掛けながら蛇行し始めた。路面に火花を散らしながら中央分離帯のガード壁に激突した。しかし車はそこで止まらず、車はその勢いのままふわりと宙に浮き上がり、宙返りをしながらこちらの車線に飛び込んできたのである。
「あの車、このバスを襲う気だよ!」
エリがそう叫んだのと同時に、その車はバスの真ん前に落ちた。そして次の瞬間、その車から火の手が上がる。
「きゃああああああ!」
バスが咄嗟にブレーキを掛け、シートベルトをしていなかった生徒から悲鳴があがった。しかしスピードの乗っていたバスが急に止まれるはずもなく、このままでは燃えさかる大型車に激突してしまう。
「吹っ飛べ!」
「消えろ!」
「止まって!」
だからだろう。バスにいた何人かの生徒が、自分の魔法で事態をどうにかしようとそれぞれ動き出し、そして一斉に車へ向けて魔法が掛けられた。
「馬鹿、止めろ!」
しかしこの行動が、事態をより悪化させた。同じ物に対して無秩序に魔法を重ね掛けしてしまうと、それぞれのサイオン波が干渉を起こしてしまい、魔法による事象改変力が弱まってしまう。いわばキャスト・ジャミングと同じことが起きてしまうのである。
この状況を打破するには、今あるすべての魔法を圧倒できるだけの事象改変力を持った魔法が必要になると判断した摩利は、即座に後ろの方の席に座る克人へと視線を向けた。彼も同じことを考えていたようで、すでにCADを構えて起動式を展開している。しかしキャスト・ジャミングにも似た状況下で炎と衝撃の両方に対処するというのは、さすがの克人でもかなり厳しいものに思える。
「私が火を消します!」
しかしそのとき、深雪が座席から立ち上がってCADを構えた。そのときにはすでに魔法の発動準備を終えていて、それを見た克人は即座に防壁の起動式を構築する。
「無茶だ、司波! いくらおまえでも、こんなサイオンの嵐の中――」
摩利が何かを言おうとした次の瞬間、彼女は自分の目の前の光景を信じられず、思わず絶句してしまった。
無秩序に発動していた魔法式の残骸が、1つ残らず消失したのである。
そして次の瞬間、深雪の魔法が発動した。冷却魔法により、燃えさかる車が一瞬で常温へと戻り、鎮火した。
その直後、克人による防壁魔法がバスを包み込んだその瞬間、バスと車が正面衝突した。車はバスが突っ込んだ勢いで潰れていくが、魔法に守られたバスには傷どころか衝撃すら伝わってこなかった。
「みんな、大丈夫?」
やがてバスが完全に停止した頃、真由美がバスにいる生徒全員に呼び掛けた。急ブレーキの衝撃で軽い怪我を負った生徒はいたが、幸いにも大会に影響するほどの怪我を負った者はいなかった。
「ありがとう、十文字くん! 深雪さんも、あの緊急時に適正かつ適度な魔法を構築するなんて、私達3年生でも難しいことよ」
「光栄です、会長。ですが上手く対処できたのは、市原先輩がバスに減速魔法を掛けてくださったおかげです。市原先輩、ありがとうございました」
深雪が頭を下げると、鈴音も口元に笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「それに比べて、千代田! おまえは何だ! 真っ先に場を引っかき回して!」
「でも、私が1番早かったんですよ!」
「早ければ良いってもんじゃないだろ! あのときは周りに声を掛けて、魔法の相克が起こらないように注意すべきだ! そうでなくても、相克が起こった時点で魔法の発動をキャンセルする必要がある! おまえは2年生なんだから、そういう判断をするべきだろ!」
「うぅ……、すみませんでした……」
すっかり落ち込んでしまった花音を、摩利はそれ以上責めることはしなかった。
そんなことよりも、彼女には気になることがあったからである。
――あれだけの魔法式を消したのは、いったい誰だ……?
摩利はその人物が真由美ではないかとも考えたが、すぐさまそれは否定された。彼女も魔法式をキャンセルする魔法を使えるが、彼女の場合は魔法式を撃ち抜く形式である。けっして今回のように、何の前触れも無く魔法式が霧散する方式ではない。
可能性があるとすれば、最高難度を誇る“あの魔法”しか考えられない。
そしてもう1つ、気になることがあるとすれば、
――エリちゃんはおそらく、あの車が異常な行動を起こす“前”に気づいていた……。
彼女が窓際に移動して何かを探していたのは、少し離れた席に座っていた摩利も気づいていた。あのときは単純に外の景色を見たいのかと微笑ましい気持ちで眺めていたのだが、車が異常な動きを見せたときの彼女の行動を考えると、自分達に危険を伝えようとしていたと考えるのが自然だ。
様々な考えを頭の中で巡らせていた摩利は、ふと窓の外へと目を遣った。あの車の傍に技術スタッフの乗った作業車が隣接され、生徒達が救助活動として車のドアを切り取っていた。とはいえ、あれだけの横転事故の末の炎上なのだから、ドライバーの生存は絶望的だろうが。
そしてそんな救助活動の後方で、現場記録のためにビデオカメラを回す達也の姿と、いつの間にかバスを下りて彼の傍までやって来ていたエリの姿が目に入った。作業を眺めながら、達也とエリは何やら会話を交わしている。
――まさか、な。
ふと頭を過ぎった考えを、摩利は鼻で笑って否定した。
『成程、やはりさっきのは事故じゃなかったんだね』
「うん。達也さんの話だと、魔法は3回使われてる」
警察や救急も到着し、騒然となる事故現場にて、その喧騒から逃れるように道路の端へ移動していたエリは、自身の携帯端末で厚志と会話をしていた。
『3回、か。ミルココの感知とも一致してるね。タイヤがパンクしたときと、車体がスピンしたときと、車体が壁を越えて飛び上がったとき、で合ってるかな?』
「そう。しかもその魔法は“車内から”行使されていたんだって。つまり、運転手の自爆攻撃だね。達也さんの“能力”で初めて分かったくらいに小規模な魔法が、残留サイオンも分からないように発動されてたみたい。これだけ優秀な人を“使い捨て”にするなんて、随分と贅沢な使い方だよね」
エリの口振りからは、犯人にそのように命令した首謀者への怒りも、ましてや犯人に対する同情すらも感じられなかった。
『ふむ……、首謀者はいったい何が狙いなんだろうね……? 他の高校に対しては、そういった事故の話は無いんだろう?』
「そうだね。もし起こってたら、私達に知らされないはずがないし……。これって、私達が狙われてるって見て間違いないのかな?」
『“第一高校”か“第一高校の中の誰か”かは判断できないが……、少なくとも今は自分達が狙われてると思って行動した方が良いだろうね。とはいえ、他の生徒に無闇にそれを伝えるのはまずい。下手に混乱を招きかねないからね。真由美ちゃんや摩利ちゃん、克人くん辺りに知らせて、他の生徒には“大会に集中するために、無闇に外出するのは控えるように”といった感じにさりげなく忠告させる方が効果的かもしれない』
「分かった、そうする。ありがとう、厚志さん」
『こちらからも警戒しておくよ。だからそっちも、気をつけてね』
厚志との通話が切れた直後、自分を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、真由美が手を振りながらこちらへと駆けてくるのが見える。
「エリちゃん、こんな所にいたのね。そろそろ出発するから、バスに戻りましょう」
「うん、分かった!」
エリはにっこりと笑みを浮かべて、彼女の言葉に答えた。そして彼女と競走でもするように、駆け足でバスまで戻っていく。
ホテルに着いた後にこっそりと伝えることにしよう、と心の中で秘かに思いながら。