九校戦、3日目。
今日も会場では観客の声援が響き渡り、普段は静かな富士もこのときばかりは熱狂の渦に包まれている。
しかし、場所を同じくしながらそんな喧騒とは無縁の部屋が存在する。観客席のさらに上に位置する、遮音魔法の掛かった防弾ガラス越しに会場全体を見渡すことのできるそこは、最高級のカーペットで床を覆い、体を優しく包み込むソファーがでんと置かれた、いかにも選ばれた人間しか入れないような部屋だった。喧騒や人混みとは無縁で観戦できるだけでなく、専属のボーイ(ここでは基地の兵士がその役割を担っている)に頼めば料理や飲み物も持ってきてくれるという、何とも至れり尽くせりな場所である。
そうやって聞くといかにも贅沢三昧しているように思えるが、この部屋に入れるような立場の人物にとっては必要な措置である。なぜなら九校戦中は様々な人間が出入りしており、いつどんな奴に命を狙われるか分からない、そして実際に命を狙われたとあっては大問題に発展しかねないので、こうした安全な場所に閉じ込めてしまった方がどちらにとっても都合が良いのである。
そんな部屋に入ることのできる存在の1人――シャルエルも、頭の中ではそのことを重々分かっていた。しかし、理解するのと納得するのは別問題である。
「魔王様、昨日のようなことは二度としないでいただけますか? ここは我々が普段暮らしている“南の国”とは勝手が違うんです」
「もうエミリオ、そんなことくらい分かってるわよ! でもせっかく人間界に来たのに、達也ちゃん達に会えないなんてつまらないじゃない!」
「だからといって、私の目を盗んで達也様に会いに行くのは止めてください。そうでなくとも、開会前に賊がこのホテルに侵入しているんです。魔王様は、どこでどんな奴に命を狙われてもおかしくない立場におられるんです。少しはその自覚を持ってください」
「でもでも、その賊は達也ちゃんと厚志ちゃんがやっつけちゃったんでしょ? それに今ここには優秀な魔法師がいっぱいいるんだし、そんなに心配しなくても大丈夫よ。それに私、たとえ殺されても死なないから」
ああ言えばこう言う、といった感じで聞く耳を持たないシャルエルに、エミリオは額に青筋を立てて頭を抱えていた。
と、そのとき、
「おや、随分とご機嫌斜めなようですね」
苦笑を浮かべながら部屋に入ってきたのは、九島烈だった。付き人らしき人物を部屋の脇に据えさせ、彼はシャルエルの隣へと座った。
「あら烈ちゃん、おはよー!」
「……未だに、その呼び方は慣れませんな」
傍目には二十代前半でも充分通じるシャルエルが90歳近い烈をちゃん付するのは、相当違和感があった。烈もまさかこの歳でちゃん付けされるとは思いもしなかったのだろう。
「ところで先程の口振りからすると、シャルエルさんはその“達也”という人物と随分仲が良いのですね。ひょっとして、今回の大会に出場しているのですか?」
「正確には選手じゃなくてエンジニアだけどねー。でも達也ちゃんは天才だから、きっと担当した選手はみーんな優勝させちゃうんじゃないかな?」
「ほう、そんなに凄い人物が参加しているのですか。それはぜひとも見てみたいものですな」
「でしょでしょ? 確か新人戦を担当するって言ってたから、何なら一緒に観る?」
「何とも光栄なお誘い、喜んでお供させていただきましょう」
紳士的な振る舞いで頭を下げる烈に、シャルエルも高貴な人間らしい丁寧な所作でお辞儀を返した。
そんな彼女に、エミリオが耳打ちする。
「魔王様、あまり達也様のことを吹聴なさらない方が宜しいですよ。彼が目立つのは色々と問題がありますし、何より彼自身が目立つのを好みません」
しかしシャルエルは、悪戯っぽくにっこりと笑うと、
「大丈夫よ、エミリオ。だって烈ちゃん、達也ちゃんのことは前から知ってるもん」
その言葉に、烈の肩がぴくりと跳ねた。
「……シャルエルさん、その情報はいったいどこから手に入れたものですかな?」
「んっふっふー、ひ・み・つ!」
「……成程、見た目には可愛らしいお嬢さんだが、やはりあなたも“魔王”ということですか」
「あら、可愛らしいだなんて嬉しいわ。でもそういうあなただって、90歳近いとは思えないほどに若々しいわよ? ひょっとして、“あっちの方”もまだまだ若々し――」
「魔王様! 時と場を弁えてください!」
変な雰囲気になりかけたVIP部屋は、エミリオの一喝により何とか元の空気を取り戻した。
一方、そんな遣り取りが行われているとは露とも知らない達也たちは、間もなく始まる女子バトル・ボードの準決勝を観客席にて見守っていた。現在摩利はコース上でスタートの準備をしており、大本命の選手が姿を現しているだけあって観客席はまさに熱狂に包まれている。
準決勝は、3人でレースを行う。彼女の相手は三高と七高であり、不敵な笑みを浮かべて前を見据える摩利と比べて、この2人は緊張で顔を強張らせていた。このレースの勝者1人が決勝進出となる。
「それにしても、去年の決勝カードがここで見られるとはな」
「渡辺先輩が本命ならば、あの七高の選手は対抗」
達也の言葉に、この中では一番の九校戦フリークである雫が答えた。先程彼が言った“去年の決勝カード”という情報も、彼が元々知っていたのではなく雫からの情報である。
「何々? あの選手って、そんなに凄いの?」
そんな遣り取りを後ろで聞いていたミルクが、興味津々な顔で体を乗り出してきた。
「七高は瀬戸内海に近い場所に設立されていて、海上で有用となる魔法を通常のカリキュラムとは別に教えているんだ。だから別名“海の七高”とも呼ばれている」
「へー。ということは、ひょっとしたらひょっとするかもしれないってことだねぇ」
番狂わせを期待するようなココアの言葉は、あくまで一高の人間ではない彼女だからこそのものだった。司波兄妹やエリなどの自分と親しい人物が籍を置く一高が活躍してほしいという気持ちももちろんあるが、彼女達が本当に楽しみにしているのは現代魔法による“熾烈な”競争なのである。1人の有力選手が他を圧倒するような試合は、彼女達にとっては“つまらないもの”という認識なのかもしれない。
そんなことを達也が考えている間に、『用意』というアナウンスの声が会場中を駆け抜けた。摩利を始めとする選手達は一斉に構えの姿勢に入り、観客達はスタートの瞬間を見逃さないように口を閉じて見守っている。
会場が、しんと静まり返る。
それを待っていたかのように、スタートの合図であるブザーの音が鳴り響いた。
3人の選手が一斉にスタートするが、先頭に躍り出たのは摩利だった。しかしさすが準決勝、そのまま一方的な試合展開にはならず、七高の選手がぴったりと彼女の後ろにつけてきた。2人の間にある水面は、互いに魔法を撃ち合っていることで大きく波立っている。普通ならば前を走る摩利が引き波の相乗効果で優位に立つのだが、七高の選手は巧みなボード捌きでそれを補っている。
観客席前の長い蛇行ゾーンを通り過ぎても、2人の差はほとんど変わらない。ここを過ぎると、最初の難関である鋭角カーブに差し掛かる。ここからは観客席からコースが見えなくなるので、観客はモニターでその様子を見守ることになる。
達也も他の観客と同じように、大きなモニターに映し出された鋭角カーブの映像に目を向ける。他の観客が選手の様子に目を奪われている中、達也はコーナーの出口辺りに何と無しに目を遣り、
「――むっ?」
おそらく彼でなければ分からないほどに小さな“違和感”に、目を奪われた。
なので、その瞬間を見逃した。
「あっ!」
観客の1人があげたその悲鳴に、はっと我に返った達也が選手へと目を向けた。
今からカーブに差し掛かるというのに、七高のボードは猛スピードで水面を走っていた。それに乗っている選手は、大きく体勢を崩している。
「達也くん、少し様子がおかしくないかい!」
「……はい、明らかにオーバースピードです」
若干焦った声の厚志に、達也は抑揚を抑えた声で答えた。七高の選手は、モニター越しでも分かるほどに動揺していた。まさか、制御ができないのだろうか。
もはやスピードを出しすぎているせいで水面も掴めていないそのボードは、その勢いのままフェンスに激突しようとしていた。
前を走る摩利を、巻き込もうとしながら。
「――――!」
ちょうどフェンスの方へ体を向けていた摩利だったが、異常に気づいたのか後ろを振り返った。猛スピードでこちらに突っ込んでくる七高の選手の姿を見るや、フェンスからの反射波も利用して素早くボードを反転させると、七高のボードを移動系魔法で吹き飛ばし、残った選手を待ち構えるようにその場に踏み留まった。
「おい、まさか選手を受け止める気か!」
「無茶よ! そんなことしたら、受け止めた衝撃で摩利もフェンスに激突するわ!」
レオとモカが顔を青ざめて叫ぶが、達也が冷静な表情のまま2人に話し掛ける。
「問題無い。加重系の慣性中和魔法を自分の体に掛けている。あれならば選手が激突してきても、渡辺先輩の体は1ミリたりとも動かない」
「そ、そうか……。なら安心だ――」
レオがほっと息を吐こうとした、そのとき、
摩利の足元の水面が、大きく沈み込んだ。
「――――!」
発動しかけていた慣性中和魔法は、ふいに浮力を失ったボードに体勢を崩されたことで不発、そしてそのまま七高の選手と激突した彼女はその衝撃に大きく吹き飛ばされ、そのままもつれ合うように後方にあるフェンスに激突した。どう見ても受け身が取れたようには見えず、摩利が起き上がる様子は無い。
会場中にブザーが鳴り響き、レース中断を知らせる旗がばさばさと振られている。
「達也! 先に行ってる!」
知らず知らずの内に立ち上がっていた達也たちの中で、真っ先に動いたのはダッチだった。彼女は達也にそう告げると、観客がモニターに目を奪われている隙にその体を地面に潜り込ませた。
「俺も行ってくる! 深雪達はここに!」
達也はそう言い残して、人で溢れかえる観客席をするすると擦り抜けていく。
「分かりました! ――みんな、今は落ち着いてここから動かないで!」
「お、おい! ダッチの姿がどこにも見えないんだけど! もしかして迷子か!」
「何言ってるの、レオ! ダッチちゃんならちゃんとここに――いない!」
「あ、あの! モニターに映ってるあの女の子、もしかしてダッチちゃんじゃない?」
「ええっ! な、なんであんな所にいるの! ここからあそこまで、結構距離があるよね!」
思わぬアクシデントとダッチの謎の移動により、深雪の声が届かないほどに混乱していたレオ達だったが、
「みんな、とにかく落ち着くんだ。ダッチちゃんのことも摩利ちゃんのことも、今は達也くんに任せよう」
厚志の低く落ち着いた声に、彼らの動揺が目に見えて収まっていった。彼らは静かに元の席に着き、事の成り行きをモニター越しに見守る。
――それにしても、今のは……。
未だ目の覚める気配の無い摩利を見つめながら、厚志は真剣な表情で何かを考え込んでいた。
* * *
「――ここは?」
摩利が目を覚ましたとき、目に移ったのは身に覚えの無い天井だった。体に重くのし掛かる倦怠感からか、頭に靄が掛かったように現状を上手く把握できない。
「摩利、私が分かる?」
そのとき、聞き覚えのあるその声に、彼女はそれに縋るように顔をそちらへと動かした。
そこには、心配そうな表情を浮かべる真由美がいた。
「真由美……、ここは病院か」
「ええ、裾野基地の病院よ。あ、まだ動いちゃ駄目」
体を起こそうとする摩利を、真由美が止めた。
「肋骨が折れてたのよ。今は魔法で繋いでるけど、まだ定着していないわ」
現代魔法の発達は、医療技術にも多大な恩恵を与えた。つい100年ほど前とは比べ物にならないほどに技術は進歩し、昔なら全治に何ヶ月も掛かるような大怪我すら簡単に治してしまう。とはいえ、あくまで魔法治療は応急処置であり、完全に骨が定着するには1週間ほど掛かるのだが。
「1週間って……! それじゃ――」
「ええ、ミラージ・バットも棄権ね。仕方ないわ」
「……レースはどうなった?」
「七高は危険走行で失格、一高は二高と3位決定戦よ」
「……他の選手は?」
「はんぞーくんが決勝進出。ピラーズ・ブレイクは、十文字くんと花音ちゃんがそれぞれ決勝リーグに進出したわ」
「……成程、私だけが“計算違い”というわけか」
右手で目元を隠しながら、摩利は悔しそうに歯噛みした。
「でも摩利のおかげで、七高の子は大した怪我も無かったわ。もしあのままフェンスに激突していたら、魔法師生命を絶たれるほどの大怪我だったでしょうね」
「……それで自分が大怪我をしてたら世話無いがな」
悪態をついてみせる摩利の偽悪的な態度に、真由美はくすりと笑みを漏らした。
「でも摩利がそれくらいの怪我で済んだのは、あのときにきちんと応急処置がされたおかげなのよ? 後で達也くんとダッチちゃんにお礼を言わないとね」
「なぜその2人の名前が出てくるんだ? まさかその2人が、私の怪我の応急処置をしたと言うんじゃないだろうな? 達也くんはともかく、ダッチがそんなことをできるとは思えないんだが?」
「でも、本当のことよ? 特にダッチちゃんなんて、摩利が怪我をしてから本当にすぐにやって来たんだから。しかもその場で応急処置も始めたときには、モニターで見てた私も本当にびっくりしたのよ? しかも達也くんも達也くんで、救護班よりも早く駆けつけたかと思ったら、あなたを持ち上げてダッチちゃんと一緒にさっさとここまで運んできちゃうし。後でやって来た救護班の人達、自分達の仕事が無くなって呆然としてたわよ?」
「……いったい何者なんだ、あいつらは?」
摩利のその呟きは、感心を通り越してもはや呆れに近かった。真由美もそれに同意するように苦笑いを浮かべていたが、ふと真面目な表情になると摩利に向き直った。
「――摩利、あのとき、第三者による妨害を受けなかった?」
その言葉に、摩利の表情に緊張感が走る。
「……どういうことだ、真由美? 確かにボードが沈み込んだとき、足元から不自然な揺らぎを感じたが……」
「そう。私もモニターで見ていたとき、魔法特有の不連続性があったように感じた。だけどあなたも七高の選手も、そんな魔法は使っていない。残る可能性があるとすれば、第三者による魔法での妨害しかありえない」
はっきりと言い切った真由美に、摩利は緊張したように唾を呑み込んだ。
「今、達也くん達が大会委員会から事故の映像を借りて解析してるところよ。もし本当に第三者による妨害があったとしたら、もうこれは一高の順位だけの問題じゃない。九校戦全体、ひいては魔法科高校全体に関わる問題なんだから」
真由美の目には、見えない“敵”に対する怒りで充ち満ちていた。
一方その頃、達也は卓上用の小型ディスプレイ(小型といっても20インチほどはある)の画面を2分割して、原因の究明に当たっていた。1つは事故の瞬間をそのまま記録した映像が、もう一方はそれをワイヤーフレームに変換したシミュレーション映像が映し出されている。
彼が現在いるのは、厚志達が泊まっているスイートルームだった。秘密裏に行いたいという達也からの要望に応えた形であり、ここならば通常の部屋よりもセキュリティが厳重なためである。なので現在この部屋には彼だけでなく、この部屋に泊まっている厚志・ミルココ・モカ・ダッチ・リカルド・マッド・レオ・エリカ・美月・幹比古、そして解析結果が気になる深雪とエリとほのかと雫もこの部屋にいた。
「それにしてもあなた達、随分と良い部屋に泊まってるのね。千葉家のコネって、ここまで凄いものなの?」
「いやいや、この部屋はあたしが用意させたものじゃなくて、厚志さんの部屋にあたし達が転がり込んだんだよ。むしろこの部屋を用意してもらえる厚志さん達が何者って感じなんだけど?」
「何者っていや、なんでダッチが怪我人の応急処置なんてできるんだよ? それと、渡辺先輩の所までどうやって移動したんだ? まっすぐ飛んでいったって、あんなに早く辿り着けないだろ?」
レオの問い掛けに、ダッチは気まずそうに視線を逸らしていた。何とかフォローしないと、とモカが口を開きかけて、
「みんな、喋っているところ悪いが、解析結果が出たぞ」
達也のその言葉によって、会話は中断された。皆が彼の元へと集まってくる。
「結論から言うと、第三者の介入があったとみて間違いないだろう。誤差では片づけられない力が、“水中”から掛けられている」
「――水中?」
その言葉の不可解な点に真っ先に気づいたのは、厚志だった。
「ええ。俺も最初は、外部から高圧の空気塊を水面に叩きつけたのだと思っていました。まぁ、そんなことをして渡辺先輩が気づかないはずがないので、あくまで低い可能性でしかなかったんですが。――しかしこの映像を見ている限り、水面を陥没させた力は水中に生じています」
「でも外部から水面に向かって魔法を掛けたら、間違いなく監視装置に引っ掛かるよね?」
「ということは……、水中に誰かが潜んでいたとか?」
「いやいや、それこそあり得ないでしょ」
「あるいは、事故のときよりもずーっと前に魔法を掛けておいて、ちょうど摩利が来たタイミングで発動させたとか? 現代魔法って、確かそういうこともできたよね?」
「確かにそれは可能だけど、そんなことをしたら前のレースで走っていた選手が気づかないはずないんだよね……。遅延魔法を仕掛けるってことは、そこに魔法式の情報を書き込むってことだから、痕跡はちゃんとそこに残っているんだよ」
「じゃあ、やっぱり水中に誰かいたってことか? 姿を消す魔法か何かを使ってさ」
「そんな魔法、聞いたことないけど……」
達也以外の面々が、あーでもないこーでもない、と議論をしていると、
「……いや、待てよ? そうか、何も“人間”が潜んでいるとは限らないのか……」
はっと気づいたように声をあげたのは、幹比古だった。
「どういうことよ、ミキ?」
「だから僕の名前は――っと、今はそんな場合じゃなかった。普通の人間には知覚できない存在を水中に潜ませておけば、誰にも知られることなく魔法を発動させることができる。――例えば、僕の使う“精霊魔法”みたいに」
「――――!」
その場にいた全員が驚きの表情を浮かべて、幹比古へ顔を向けた。
「数時間単位で特定の条件に従って遅延魔法を発動させることは、精霊魔法を使えば可能だ。今回ならば、渡辺先輩のレースの開始時間を第1の条件、水面上を誰かが接近することを第2の条件にすれば、後は術者が任意のタイミングで精霊に命令すれば魔法は発動できる」
「それって、幹比古くんにもできるんですか?」
「準備期間によるかな。今すぐには無理だけど、半月くらい掛けて会場に何度か忍び込むことができれば可能だ」
「ってことは、ホテルに侵入したあの賊もそれが狙いだったのか?」
「ひょっとしたら、そうかもしれない。けど……」
幹比古はそこまで言ったところで口を閉じると、悩ましげに顎に手を当てて何やら考え込む。
「どうした、幹比古?」
「いや、自分で言い出しといて何なんだけど……。そんな術の掛け方では、ほとんど意味のある威力は出せないんだよ。精霊は術者の思念の強さに応じて力を出してくれるものだから、そんなに時間を掛けてたらせいぜい水面の選手を驚かせる程度の猫騙しレベルにしかならないと思う」
「……多分、そのレベルで充分だったんだろうね」
ぽつりと漏らしたように放たれたその言葉に、皆が一斉にそちらへと顔を向ける。
厚志だった。
「確かに単体で見ると、猫騙しレベルでしかないんだろう。だけど猫騙しっていうのは、使うタイミングさえ考えれば想像以上の効果を得られるものなんだ。――例えば、予期せぬアクシデントで焦っているときとか」
「――――!」
厚志の言葉を聞いた(達也以外の)面々が、それを聞いて目を丸くした。どうやら彼の言葉の真意を、皆しっかりと理解したらしい。
その真意とは、事故の直前に起きた七高のオーバースピード騒ぎも仕組まれたものだ、ということである。
「みんな、これを見てくれ」
達也がそう言って指し示したのは、先程まで解析に使っていた小型ディスプレイだった。今はちょうど、七高の選手がカーブに差し掛かる場面が映し出されている。
その映像をコマ送りで再生しながら、達也が横から説明を入れる。
「本来ならこのタイミングでスピードを落とさなければいけないのだが、この選手はあろうことか更に加速をしている」
「本当だ。レースの専門家じゃなくても、カーブのときはスピードを落とさなきゃいけないって分かるぜ?」
「“海の七高”って言われてるほどの高校の選手が、こんな初歩的なミスをするとは思えない」
「ということは、この選手のCADに細工がされていたってこと?」
「減速の起動式と加速の起動式を入れ替えれば、間違いなくこのコーナーで事故を起こすだろう。去年のこの選手と渡辺先輩の記録を考えれば、最初のカーブまではほとんど差がつかないことも充分予想できる。優勝候補2人がもつれ合ってるんだ、ここを狙えば優勝候補2人を一気に脱落させられると考えても不思議じゃない」
「とはいっても、CADの細工なんてそう簡単にできないよ? 競技用のCADは、各校が厳重に管理してるんだから。考えられるとすれば、七高の技術スタッフに裏切り者がいる場合だけど……」
「ううん、細工できるタイミングはあるよ」
ふいに口を開いたエリの言葉に、今度は皆の視線が彼女へと集まる。
「競技に使われるCADは規定内のものか検査するために、一度大会委員に引き渡される」
「――――! それって、犯人は大会委員の中にいるってこと!」
信じられない、と言いたげな口調だったが、現時点での情報から考えるとそれが最も自然だ。
「だとすると、犯人の狙いは何だ? こんなに入念に下準備をしてまで、いったい何が目的なんだ?」
「こういうときは、その事故が起きて一番“得をする奴”を疑うのがセオリーだけど……。今回の事故の場合は、三高の選手か? あの選手だけスタートに遅れてビリだったのに、結局前の2人が事故って決勝進出だろ?」
「情報が少ない今の段階で犯人を絞り込むのは、逆に危険だな……。どんな事態にも対処できるよう、警戒を怠らないようにしなくては……」
達也の言葉に、その場にいた全員が真剣な表情で頷いた。