その日の夜。場所は、横浜の中華街。
そこに軒を連ねる店の1つ、満漢全席とまではいかないが一般の食卓ではまずお目に掛かれないであろう中華料理が並ぶフルコースが円卓上に敷き詰められ、それらの料理を陰鬱で苛立たしげな表情が取り囲んでいた。赤と金の色彩豊かな内装と相まって、彼らの顔色の悪さが際立っている。
「……どういうことだ? 新人戦は、第三高校が有利ではなかったのか?」
彼らの内の1人が口にしたのは、英語だった。とはいえ、それはネイティブのものではなく、どことなく東アジア系のイントネーションが混じっている。
「女子の“早撃ち”では一高の選手が1位から3位までを独占、女子の“クラウド”でも結局一高の選手が優勝してしまったではないか。飛び級とはいえ年下だから放っておいても平気だ、と言ったのは誰だ?」
「せっかく本戦の“波乗り”で一高の選手を棄権に追い込んだというのに、このままでは結局第一高校が優勝してしまうぞ」
「それはまずい。本命が優勝してしまっては、我々胴元の一人負けだ」
「今回の客は大口ばかりだ、配当額は相当なものになる。間違いなく、今期のビジネスに大きな穴を空けることになる」
「そうなれば、我々全員が粛正対象となるぞ。損失額によっては、ボスが直々に手を下すこともあり得る」
男の1人が、空中でうねり渦を巻く竜(胴体だけで頭部は無い)が金糸で刺繍された掛け軸を見遣り、ぶるりと体を震わせてそう言った。
「――死ぬだけなら、まだ良いが」
ぽつりと呟かれたその声は、震えていた。しばらくの間、彼らのいる部屋を沈黙が包み込む。
やがて、彼らの内の1人が意を決したように口を開いた。
「……こうなったら、仕方がない」
「何か仕掛けるのか?」
他の男が問い掛けると、彼は重々しく頷いた。
「――明日の“波乗り”で、もう一度仕掛けよう」
* * *
九校戦6日目。新人戦3日目。
本日行われる競技は、男女バトル・ボードの準決勝から決勝まで、男女ピラーズ・ブレイクの予選から決勝リーグまでである。前者はほのかが出場するし、後者は深雪と雫が出場する。どちらも離れた会場でほぼ同時に進行するため、2つの試合を同時に観るには第一高校の天幕に設置されたモニター以外に手は無い。
しかしながら、あくまでただの観客である厚志達やレオ達では天幕に入ることはできない。よってどちらか片方を選ぶしかなく、厚志達は昨日観戦していないピラーズ・ブレイクへ、レオ達はバトル・ボードへ行くこととなった。
というわけで現在、ピラーズ・ブレイクの会場であるここには、厚志・エリ・ダッチ・リカルド・マッドの5人がいた。――少し顔触れが少ない気がするが、彼らは特にそれを不思議に感じている様子は無い。
「それにしても、随分人が多いな! 新人戦って、凄い人気なんだな!」
「それはどうなんだろ……? 男子の方は、まだ結構余裕があるように見えるけど……」
厚志達は結構余裕を持って会場に入ったはずなのに、女子ピラーズ・ブレイクの観客席はほとんど埋まりかけていた。運良く4人分の空席を見つけたものの、少しでも入るのが遅れたら座れなかったに違いない。
「どうせ深雪が目当ての奴らばかりだろ? まったくミーハーな奴らだなぁ、可愛い女の子がやってるとすぐこれだから」
「兄者……、人のこと言えないでしょ……」
「いや、ミーハーな一般客だけとは限らないよ。ざっと見渡しただけだけど、大学や企業の関係者らしき人達も結構いるみたいだ」
厚志の言葉通り、興奮した様子で試合を待つ一般客に紛れて、スーツをしっかりと着て真剣な表情でフィールドを見つめる者の姿が何人か目に入った。
不思議そうに周りに目を遣る厚志達に、エリが口を開いた。
「ああ、深雪さんが昨日の予選で“
「へぇ、あれってやっぱり凄い魔法だったんだな。いや、確かに凄い魔法だってことは一目で分かったけど、深雪は何てことないみたいに使ってたから、実は現代魔法にとっては大したことないんじゃないかって思ってたわ」
「私も真由美さんに頼んで映像を見せてもらったけど、あのときの“インフェルノ”って深雪さんの本気じゃないよね? 陣地をはみ出して魔法を使ったらルール違反だから仕方ないけど、いつも見慣れてる私達からしたら『そんなに騒ぐことかな?』って思っちゃうよね」
「ははは、まぁ深雪ちゃんも達也くんも優秀だからね。彼女達を基準にして考えたらいけないね」
仲睦まじく談笑している彼らだったが、もしその会話の内容を真由美ら魔法科高校の面々が聞いたら、きっと頭を抱えて蹲ってしまうに違いない。両方の競技を同時に観るために一高の天幕に詰めていることを、このときばかりは感謝しなければいけないだろう。
時間は、ピラーズ・ブレイクの選手控え室に達也と深雪が赴いた頃まで巻き戻る。
2人が控え室へ向かうと、その部屋の前に2人の男子生徒が立っていた。紅蓮色のブレザーに黒のズボン、胸に八芒星のエンブレムが刺繍されているその制服は、第三高校のものである。1人は身長も肩幅も達也とほぼ同じ(しかしルックスは完全に向こうが勝っている)少年、もう1人は小柄だが鍛えているためにひ弱な印象は感じない少年だった。
こちらが彼らの存在に気づくと、向こうもこちらに気づいたのか視線を向け、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。その目はどちらも、老若男女問わず人目を惹く深雪ではなく、その隣の達也へと向けられている。
「第三高校、一条将輝だ」
身長の大きい方の少年が口を開いた。初対面の人間に対してあまりに横柄な口調だったが、不思議と不快感は無かった。リーダーとして振る舞うことが相応しいと思わせる風格を、将輝と名乗る少年は備えていた。
「同じく第三高校、吉祥寺真紅郎です」
一方、小柄な方の少年は丁寧な口調だった。しかし達也をまっすぐ見据えるその視線は、もしかしたら将輝以上に挑発的かもしれない。
「第一高校、司波達也だ。それにしても“クリムゾン・プリンス”と“カーディナル・ジョージ”の2人が、わざわざ試合前に何の用事だ?」
「……ほう、俺だけじゃなくジョージのことも知ってるとはな」
「しば・たつや。聞いたことのない名前ですが、もう忘れることはありません。おそらく九校戦始まって以来の天才技術者である君の顔を見に、試合前で失礼とは思いましたが来させていただきました」
歯に衣着せぬ物言いだが、逆上している様子は無い。
おそらく偵察だろう、と当たりを付けた達也だったが、このまま彼らの思惑に乗っかるのも癪だと思い、ほんのちょっと“揺さぶり”を掛けてみることにした。
「若干13歳にして、“
「……何?」
瞳に闘志を漲らせながらも極力無表情を貫いていた将輝に、初めて疑念の色が浮かんだ。
「――3年前、美咲エリが世話になったようだな」
「――――!」
「…………?」
そして達也の口から放たれたその言葉に、将輝が明らかに動揺する反応を見せた。隣の真紅郎はそんな彼を見て一瞬不思議そうな表情を向けるが、達也が何か仕掛けたのだと察したのか先程よりも露骨に達也を睨みつけるようになった。
将輝も同じように達也を睨みつけるが、その目にはほんの少しだけ恐怖の色が浮かんでいた。
「……おまえは、いったい何者だ?」
「その質問に答える義理は無いな。――それで、用事は済んだか? さっさと控え室に入りたいんだが」
「……僕達は、“モノリス・コード”に出場します。君はどうなんですか?」
「そっちは担当しない」
「そうですか……、残念です。いずれ、君の担当する選手とも戦ってみたいですね。無論、勝つのは僕達ですが」
おそらく挑発であろうその言葉に反応したのは、達也本人ではなくその隣にいる深雪だった。ざわり、と空気が揺らめくのを達也は感じた。
「時間を取らせたな。次の機会を、楽しみにしている」
早いところこの場を切り抜けなくては、と達也が適当な言葉を探していたそのとき、将輝がそう言って達也の横を通り過ぎていった。それに付き従うように、真紅郎も達也の横を通り過ぎる。
達也と深雪は振り返ることもせず、控え室の中へと入っていった。
「宣戦布告、ですね」
その瞬間、今まで無言を貫いていた深雪が口を開いた。それを聞いた達也は、きょとんとした表情で彼女をじっと見つめている。
「……信じていらっしゃいませんね?」
「いや……、俺は選手ですらないんだぞ? すでに学生の枠を超えて魔法師の世界で評価を確立している2人が、俺に対して敵意を向けるとは思えないんだがな」
「……お兄様。この場合におけるご自分の過小評価は、戦況の誤認に繋がります。ご自分がどれだけ他校から注目され、意識されているのか、もう少し客観的に判断なさるべきだと思いますが」
深雪のその言葉に、達也は思わず目を白黒させていた。基本的に自分に反抗することのない彼女による非難に、完全に面食らった形となっている。
しかしながら、彼女の普段の行動を見るに、この非難もある意味平常運転なのかもしれない。
彼女が最も感情を高ぶらせるのは、決まって達也が不当に貶められたときである。たとえそれが誰であろうと、彼女は兄を貶める者を許すことはない。
たとえそれが、達也本人であっても。
* * *
深雪がピラーズ・ブレイクの会場にて、美貌と実力の両方で観客を魅了している頃。
バトル・ボードの会場では、まもなく女子準決勝の第1レースが始まろうとしていた。選手が次々と水路に現れ、スタートの準備に入っている。
「……いやぁ、いくら何でもこれは……」
「何というか、本当に達也の思う壺だなぁ……」
その光景を見ていたレオとエリカの正直な感想に、幹比古・美月・雫の3人も無言で頷いた。
第1レースには、ほのかが出場する。ほのか以外の2人の選手も、すでに全員揃っている。
そしてその2人の選手は、どちらも濃い色のゴーグルを掛けていた。おそらく、というか間違いなくほのかが予選で見せた目眩ましを警戒してのことだろう。
「さて、ここまでは達也くんの思った通りの結果になってるけど、いったいどんな手を使うのかしらね?」
「そうだな……。ゴーグルを利用して水飛沫で目潰し、というのも単純すぎる……」
エリカがにこにこと楽しそうに言い、幹比古も顎に手を当てて真剣な表情で考え込む。
「美月ちゃんはどう思う?」
「えぇっ! わ、私?」
エリカが隣にいる美月に話を振ると、彼女は明らかに慌てふためいていた。
「別にそんな深刻に考えなくていいの、単なるクイズみたいなもんよ」
「うーん、そうですね……」
エリカにそう言われて、美月はしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「相手の選手は、ほのかさんの光振動魔法による目眩ましを警戒して、光を通しにくい濃い色のゴーグルを掛けているんですよね? つまり今の2人は、普段よりも視界が暗くなっている状態ってことですから……、ひょっとして“そこ”を狙ってくるのかもしれませんね」
「成程……、ほのかは光振動魔法が得意だもんね。水飛沫の目眩ましよりは可能性があるか」
と、そのとき、周りの観客が途端に静かになった。スタートが近づいたためであり、彼女達も会話を止めてコースへと注目する。
やがて会場中の観客の見守る中、スタートのブザーが鳴り響いた。直後の閃光は、無かった。
「あっ! ほのかが出遅れたぞ!」
「いや! ちゃんとついていってる!」
ほのかが2番手でスタンド前の蛇行カーブを進む中、トップの選手が最初の鋭角カーブへと突入していった。
と、そのとき、
「……ん?」
おそらく観客全員が感じたであろう違和感に、皆が首をかしげた。
トップを走っていたその選手は、コースの“中央”を“ゆっくり”と曲がっていった。普通ならば減速してインぎりぎりを攻めるか、なるべくスピードを落とさずにアウトを進むかのどちらかだ。
そしてトップの選手がコースの中央を曲がっている間に、ほのかがインぎりぎりを曲がってその選手を追い越してトップに躍り出た。
「……何かあの選手が曲がるとき、コースに影が落ちた気がしたんだけど」
エリカのその呟きに、他の面々が神経を集中させてコースに注目する。
ほのかの後ろを走る2選手が次のカーブに差し掛かったとき、コースにくっきりと影が落ちて明暗ができた。そして2人の選手はちょうど影に触れないように大きくコース取りをして、先頭を走るほのかとますますその差を広げていった。
「成程、そういうことだったんですね」
「柴田さんの予想が当たったってことだね」
「ねーねー、どういうことよ? 私達にも分かるようにちゃんと説明してよ」
「おいエリカ、さりげなく俺も分かってないことにすんな。……確かに分かってないけど」
レオの言葉に幹比古は思わず吹き出し、すぐさま気を取り直して説明を始める。
「単純なからくりさ。光波振動系の魔法でコースに明暗を作り、実際よりも狭く見せているんだよ。頭ではこんなにコースが狭くないことは分かっているけど、人間は目からの情報になかなか逆らえないからね。恐怖の方が勝っちゃって、どうしてもスピードを出すことができなくなるのさ」
「ふーん。でもそれってさ、ほのか自身は引っ掛からないの?」
「普通だったら、術者本人は影響を受けないって安心しそうだけど……」
「達也くんだったら『コースの幅は一定なんだから体で憶えろやゴラァ!』って言いそうだよね」
本当の達也なら絶対に言わないであろう口調で彼の真似をしてみせるエリカに、3人は思わずお腹を抱えて笑ってしまった。おそらく彼女達の頭の中では、夕日をバックに竹刀を振り回してほのかに熱血指導する達也の姿が浮かんでいるのかもしれない。
コース上では、ほのかが3週目に入っているところだった。他の2選手とは決定的な差がついており、ほのか本人が脱落しない限り勝利は確実となっている。
「決まったな」
レオのその言葉は、このレースに限ったことではなかった。そして他の3人はその意味を正しく理解して、深く頷いた。
結局のところ、ほのかは他2人の選手を完全に置いてけぼりにしてぶっちぎりでゴールした。
* * *
さて、ここで1つ疑問が生じる。
ピラーズ・ブレイクの会場にも、バトル・ボードの会場にも、ミルココとモカの姿が無かった。エリや知り合いの試合は今まで欠かさず観てきた彼女達が、今更深雪達の試合をすっぽかしてどこかへ遊びに行ってしまうとは思えない。
では彼女達は、いったいどこに消えたのか。
それを解明するために、ほのかの試合が行われるちょうど1時間前にまで遡ることにする。
そのときあずさは、ほのかが試合で実際に使用するCADを持って大会委員のテントへ赴いていた。試合直前に行われるレギュレーションチェックのためである。
「こちらになります」
「はい、確かに。それではチェックをしますので、今しばらくお待ちください」
あずさがCADの検査機の前で待機していた係員にそれを渡すと、係員は検査機にそれをセットし、コンソールを操作し始めた。ここでCADが規定内のものであることが分かれば、CADはあずさの元へと返される。すでに何回も行われていることなので、あずさもすっかり慣れた様子でそれを見守っている。
と、そのとき、
「あ、もしかしてあずさ? 久し振りー」
「あれ、ミルココちゃんにモカさんですか? お久し振りです」
にこにこと笑いながらテントに入ってきたミルココとモカに、あずさは驚いたような表情を浮かべた。4月の事件のときには面識の無かった彼女達だが、その後に深雪を通じて厚志達は鈴音とあずさの2人と顔見知りとなっていた。
「どうかしたんですか? こんな所にまで来て」
「いやいや、CADの検査がどういった感じなのか、ぜひとも見学してみたくって」
「ねぇねぇ、見てって良いでしょ? あ、それとも関係者以外立ち入り禁止とか?」
「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。自由に見学していってね」
ちょうどほのかのCADを検査していた係員が、優しい笑顔をミルココに向けてそう言った。彼女達の見た目から、年端もいかない子供だと思って接しているのだろう。
ミルココは興味津々な様子で、彼女達と係員を隔てているテーブルに身を乗り出して、彼の操作をじーっと観察している。モカは彼女達の後ろでじっとそれを眺め、あずさは検査が終わるまで暇なのでその光景をぼんやりと眺めている。
「へー、その機械で検査をするんだね」
「そう。大会ではCADに制限があるからね、こうして検査してちゃんとルールを守っているか調べているんだ」
「ふーん。その制限って、中身にもあるの?」
「いいや、そんなことはないよ。制限があるのはハード――機械の部分だけで、そこに記録されている中身の部分には一切の制限が無いんだよ」
てきぱきと手を動かしてコンソールを操作しながら、係員はミルココの質問に答えていく。
「そっかー。てことは、お兄さんはCADの機械の部分だけチェックすれば良いんだよね?」
「ああ、そうなるね」
「だよねー。それじゃさ、お兄さん。
――今、ソフトに何を仕込んだ?」
「ぐがああぁっ!」
それはまさに、突然の出来事だった。
ミルココの雰囲気が一変したかと思うと、彼女達は突然係員の袖を掴んでこちら側に引っ張り出し、地面に叩きつけてその上に馬乗りになった。叩きつけられた衝撃からか、係員が腹の底から絞り出すような悲鳴をあげた。
その悲鳴を聞き、近くにいた警備員が怒号をあげながら駆けつけてきた。
「――全員動くな」
しかし彼らは、ミルココのすぐ傍にいるモカから放たれた、見た者が思わず体を強張らせて動けなくなってしまうほどに圧倒的な殺気にあてられ、その足をぴたりと止めてしまった。
そしてその殺気は、実際に向けられたわけでもないスタッフ、さらにはあずさまでをも恐怖に染め上げた。
「ミルココ、もう大丈夫」
そんな中、モカがミルココにそう呼び掛けると、2人はあっさりと係員の体の上からどいた。当然ながら、彼はすぐにその場から立ち上がろうと体に力を――
「お――おいっ! 何だよ! なんで体が動かねぇんだよ!」
彼は依然として地面に俯せになりながら、半ばパニックになったように叫び声をあげた。何物にも押さえつけられていない人間が、体を動かせないと必死に叫ぶその様子は、普通に考えたらとてもおかしな光景である。
しかし九校戦という魔法を駆使した大会のスタッフとして働いている周りの人間は、何が起こっているかを瞬時に理解し、ミルココとモカに怯えたような視線を向ける。
「えっ――えっ?」
そして同じように彼女達の行動を目の当たりにしたあずさは、目の前で何が繰り広げられているのかまるで理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。それほど親しいという間柄でもなかったが、彼女達のことをとても好ましく思っていたあずさは、たとえ目の前で彼女達が係員に危害を加えている光景を目撃したとしても、それを信じたくなかったのである。
しかし3人はそれに構うことなく、地面に俯せになる係員に話し掛ける。
「まったく、単なるスタッフの癖に、なんでそんなに敵意を振りまいていたのかなぁ?」
「ただのコンピューターウイルスだったら分からなかったけど、魔法を使ってくれて助かったよ。さぁてお兄さん、自分の口からどんな魔法を使ったのか喋ってくれないかな?」
「ぐ……」
「そっかー、答えたくないかー。ひょっとして“
「――――!」
ココアの口から放たれた魔法の名前らしき単語に、係員の両目が限界まで見開かれた。
「プログラム自体を改竄するんじゃなく、出力される電気信号を改竄する能力かー。OSの種類やアンチウイルスプログラムの有無に関わらず電子機器の動作を狂わせるなんて、確かに軍の人間が知ったら喉から手が出るほど欲しくなるだろうねー」
「SB魔法ってことは、幹比古と同じ系統ってことかー。でも摩利が事故に巻き込まれたときの水面の操作は、この魔法じゃ実現できないよね?」
「そうだねー。この魔法はあくまでも、電子機器に対して効果を発揮する魔法だしねー」
ころころと弾んだような声で会話を交わすミルココだったが、その会話の内容、そして2人の足元で大の男が地面に俯せになりながら体を震わせる光景と相まって、周りの人間は得も言われぬ恐怖を味わっていた。
するとミルクが、何かを思いついたようにぽんと手を叩いて、
「よし! この人をどっかに連れて行って、ゆっくりと話を聞かせてもらおっか! 他にも色々と訊きたいことがあるし!」
「分かったわ、ミルココ。――さあ、一緒に行きましょうか?」
モカがそう言って係員に手を触れると、先程まで地面から離れることのなかった彼の体があっさりと起き上がった。しかし背中に触れるモカの手から離れることはなく、ぎこちなく歩みを進めるその光景は、まるで見えない糸に縛られて操られるマリオネットのようだった。
と、そのとき、2人と一緒にその場を離れようとしたミルココが、ふいにあずさの方を向いた。彼女達と目を合わせたあずさは、思わずその体をびくっ! と跳ねさせる。
「あ、ごめんあずさ。ほのかのCADの検査がまだ終わってなかったね」
「っていうか、そのCADはもう使わない方が良いからね。達也に電話すれば、代わりのCADを用意してくれると思うから」
「え……あ、ありがとうございます……?」
あずさは戸惑いながらも、ポケットから携帯端末を取り出した。おそらく今から達也に電話を掛けるつもりなのだろう。
「あ、そういえばあずさ」
「ひゃいっ! な、何ですか!」
「そんなに怖がらなくても……。とりあえずさ、今起こったことは他の人には内緒にしてくれないかな? 何かあったら、こっちからみんなに伝えるからさ」
「は、はい! 分かりました!」
あずさの返事にミルココはにっこりと笑って頷くと、モカと係員の背中を追い掛けていった。目の前で人を連れ去られた形となった警備員だが、誰も彼女達の後を追い掛けようとはしなかった。
そして、何もかも説明されないまま置いてけぼりとなったあずさは、
「――い、いったい何がどうなってるの?」
ただただ、戸惑うしかなかった。