「司波さん、北山さん、明智さん。本当によくやってくれました」
ホテルにある第一高校のミーティングルームにて、ピラーズ・ブレイクの選手である深雪・雫・英美の3人と、彼女達のエンジニアである達也の4人は、真剣な表情を浮かべる真由美の話を聞いていた。
「決勝リーグを同一校で独占するのは、今回が初めてです。この快挙に対して、大会委員会から提案がありました。順位に関わらず一高に与えられるポイントは同じなので、決勝リーグを行わずに3人を同率優勝としてはどうか、と」
「……それはまた」
達也が思わず呟いた。大会委員会は楽をしたいのか、と思っても仕方のない提案だった。
真由美が先程話した通り、女子ピラーズ・ブレイクは第一高校の3選手がトップ3を独占するという前代未聞の結果となった。ほのかも決勝戦に進んでおり、第一高校女子は“快進撃”と表現しても差し支えない。
しかしその反面、男子の成績はぱっとしなかった。本来なら女子とそれほど見劣りしない成績を残せるはずの彼らだが、女子の快進撃(の裏に隠れた達也の活躍)を意識するあまり、気合いが空回りしてミス、そしてますます焦りを募らせるという悪循環に陥っていた。
「大会委員会の提案に乗るかどうかは、皆さんの意思に任せます。しかしあまり時間がありません、今ここで決めてください」
真由美の言葉に、英美がそわそわと目を泳がせていた。
それをちらりと見た達也が、口を開く。
「エンジニアとしての立場から言わせてもらいますと、明智さんはこれ以上の試合は避けた方が良いコンディションでしょう。先程の試合は激闘でした、1時間や2時間で回復できるものではありません」
「……明智さん、あなたはどうですか?」
「……私は、会長のお話を伺う前から棄権しようかと思ってました。最終的には、司波くんに相談して決めようかと……」
少し遠慮がちに英美がそう言ったのは、大会委員会の思惑に乗っかるのと、それを自分から切り出せなかったことがずるいと思ったからだろうか。それを感じ取った真由美は、彼女を気遣うようににっこりと笑って頷いてみせた。
「私は……、戦いたいと思います」
そんな中、ぽつりと呟くように、しかしはっきりとした声で雫がそう言った。
「本気で深雪と戦える機会なんて、この先何回あるか分かりません。私はこのチャンスを逃したくありません」
「そうですか……。深雪さん、あなたはどうですか?」
「北山さんが私との試合を望むなら、私も全力でそれにお応えしたいと思います」
普段から礼儀正しく(達也のことがなければ)気を荒立てることのない彼女だが、実はかなり負けず嫌いで気の強い性格である。こう答えることが分かっていた真由美、そして達也は、彼女の答えにふっと笑みを漏らした。
よって英美は棄権、雫と深雪の2人で決勝戦を行うこととなった。
* * *
観客席は、超満員だった。わざわざ他の競技と時間をずらして行われることとなった女子ピラーズ・ブレイク決勝戦は、一般席だけでなく関係者席までもぎっしりと観客が詰め掛ける事態となった。そしてこれは一般的には知られないことだが、VIPルームでもシャルエルと烈の2人がフィールドを真剣な表情で見守っている。
達也の姿は、関係者席の最後方にあった。深雪にも雫にもつかないという彼の意思の表れであるが、何を思ってか、逆に何も思っていないのか、彼の両脇を真由美と摩利が挟んで座っていた。
「達也くん、本当は深雪さんの傍にいたかったんじゃないの?」
「ええ、そうですね」
「……随分とあっさり認めるんだな。もうちょっと抵抗してくれても良いんだぞ?」
「試合で肉親を応援することは、至極当然のことですからね」
「あらら、聞いたかしら、摩利? この子ったら、シスコンなのを開き直っちゃったわよ?」
「うーむ、これはかなりの重症だ。完治の見込みはないかもしれん」
やたらと深刻そうな表情を浮かべてそんなことを話す2人に、達也は大きな溜息をついて無視を決め込んだ。
一方、一般席の中には厚志達の姿があった。ミルココとモカの姿は無く、その代わりに桐原と紗耶香の姿がある。モニター越しではなく生で観たいと言う桐原に紗耶香がついていき、偶然厚志達と顔を合わせたためである。
「それで、厚志さんはどっちが勝つと思ってるんですか?」
「うーん、深雪ちゃんだろうねぇ」
桐原の質問に、厚志は即座に答えた。傍にいるリカルドやマッド、そしてエリとダッチが頷いていることからも、彼らが深雪の勝利を信じて疑っていないことは明白だった。
「あの……、北山さんが勝つという可能性は無いんでしょうか?」
このままでは雫の立場が無いと思ったのか、紗耶香が厚志にそう尋ねた。
「確かに雫ちゃんも優秀な魔法師だよ、それは間違いない。――だけどね、深雪ちゃんは“別格”なんだ」
「別格……?」
厚志の言葉に、紗耶香は苦い顔をした。4月の事件から完璧に立ち直っている彼女だが、元々一科生に対する劣等感を抱えていたのは事実である。“別格”という言葉を、彼女がネガティブに捉えるのも無理はない。
「ま、何事にも“絶対”は無いからね。実際にはやってみなきゃ分からないさ」
厚志はそう言って、フィールドへと目を向けた。そこには2つの櫓が建っており、片方には白の単衣に緋の袴を着た深雪が、もう片方には水色の振袖を着た雫が向かい合わせに立っており、互いをじっと見つめている。
そして、始まりを予告するランプが点灯した。会場中の観客が、固唾を呑んでそれを見守る。
やがて開戦を告げるランプが点いたその瞬間、
「――うおっ! いきなりかよ!」
リカルドが、興奮のあまり大声をあげた。
深雪の陣地を極寒の冷気が、雫の陣地を灼熱の炎が包み込んだ。しかし雫の氷柱は、彼女の“情報強化”によってその熱に耐えている。それと同時に深雪の陣地に地鳴りが襲い掛かるが、深雪はそれを自陣全域の振動と運動を抑えるエリア魔法によって鎮圧する。
2人はそれぞれ、相手の魔法をブロックしながら魔法の手を相手の氷柱へと伸ばしている。魔法について知識のある者ほど熱中する、実に玄人好みの試合と言えるだろう。
「すげぇな、2人共! 互角じゃねぇか!」
目の前で繰り広げられる新人戦とは思えないレベルの高い攻防に、桐原も鼻息を荒くする。
しかしその隣で、エリは眉間に皺を寄せていた。
「互角、ねぇ……」
「どうしたの、エリちゃん? 私には、2人がそれぞれの攻撃を防いでいるように見えるけど」
「深雪さんは雫さんの“共振破壊”を完全にブロックしてるけど、雫さんはそうじゃない。“情報強化”で防げるのはあくまでも魔法による情報の書き換えであって、物理的なエネルギーを防御することはできないんだよ」
エリの言う通り、雫の陣地にある氷柱は徐々にだが融け始めていた。
「ということは、このまま行けば北山が負けるってことか?」
「うん、“このまま行けば”ね」
桐原の質問に、エリは含みのある答えをした。
「雫ちゃんのエンジニアでもある達也くんが、それを見越していないはずがない、ということさ」
疑問の表情を浮かべる桐原と紗耶香に、厚志がにっこりと笑ってそう言った。
雫が勝負を仕掛けてきたのは、まさにそのときだった。
CADを嵌めた左腕を右袖に突っ込んだかと思うと、そこから拳銃型のCADを取り出してきたのである。
その光景を見た深雪の表情に、一瞬動揺が走る。複数のCADを操作する技術は達也の得意技であり、深雪自身も彼から勧められてやってみたものの、サイオンの完璧な制御を必要とするために結局挫折したものだったからである。
そんな技術を、目の前の少女は会得していた。彼女はサイオン波の混信を起こすことなく、2つ目のCADによって起動式を完成させた。まっすぐに、深雪の氷柱へと銃口を向ける。
そして、今までの3試合、傷1つつけられることのなかった深雪の氷柱が、初めてまともなダメージを負った。氷柱の1つから、昇華を示す蒸気が上がっている。
「あれはもしかして、“フォノン・メーザー”?」
雫の魔法を見て、真由美が思わず呟いていた。“フォノン・メーザー”とは振動系魔法であり、超音波の振動数を上げて量子化することで熱線を放つ高等魔法である。
「ええ、その通りです。さすが会長ですね」
「ふふ、達也くんに褒められ――どうしたの、達也くん? そんな冴えない顔して」
真由美の質問に、達也は小さく首を横に振って、
「何でもありませんよ。ただ、やはりこの程度では深雪の牙城を崩すことはできないのか、と思いまして」
「それはどういう――」
真由美が達也の真意を尋ねようとしたそのとき、目の前のフィールドにてその“真意”が形となって表れた。
深雪の氷柱から上がっていた蒸気が、ふいに止まった。つまりそれは氷の昇華が止められたことを意味しているが、それは熱線化した超音波射撃を止めたからではない。
雫の“フォノンメーザー”による加熱以上の勢いで、冷却が起こっているためである。
深雪の陣地に先程以上の冷気が立ち上り、それはもはや“霧”と表現して良いものだった。その霧が、雫の陣地を呑み込もうとするかのように、ゆっくりと迫ってくる。雫は“情報強化”の干渉力を上げてそれに対処しようとするが、その霧自体には何の魔法力も無いただの冷気であるため、彼女の魔法で防げるようなものではない。
「おいおい、“ニブルヘイム”だと……? どこの魔界だ、ここは……?」
摩利の呻き声にも似た呟きに、達也は何も答えなかった。
広域冷却魔法“ニブルヘイム”。領域内の物質を比熱・
冷気の塊が、雫の陣地を通り過ぎて唐突に消える。雫の氷柱には表面にびっしりと液体窒素が付着し、足元には水溜まりができている。
そして次の瞬間、深雪の“インフェルノ”が再び発動した。雫の“情報強化”は元々そこにあったものに対して行われる魔法であり、後から付随してきた液体窒素や足元の水溜まりには作用しない。
よって、液体窒素や足元の水溜まりが一気に気化して体積を膨張させた。
その膨張率、実に700倍。
雫の陣地にある氷柱が、大きな音をたてて1つ残らず崩壊した。
* * *
試合後のメディカルチェックを終えた雫が部屋に戻ると、一足先に戻っていたほのかが彼女を出迎えた。
「おかえり、雫」
「ただいま、ほのか。――優勝おめでとう」
「うん、ありがとう。……雫は、残念だったね」
「うん、悔しいよ」
ほのかの言葉に、雫はそれだけ答えた。淡々としたその態度は本当に悔しいのか分かりにくいが、長年彼女の親友をやってきているほのかはけっして解釈を取り違えたりしなかった。
「……最初から、勝てるとは思わなかった」
「うん……」
「でも、ここまで手も足も出ないとは思わなかった。――悔しいよ」
「……ねぇ雫、お茶にでも行こっか? 私、お腹空いちゃった」
重苦しくなりそうな雰囲気を、ほのかは努めて明るく振る舞うことで取り払っていく。その気遣いがひしひしと伝わってきて、雫は嬉しいやら恥ずかしいやらでぎこちない笑みを浮かべていた。
2人でティーラウンジに向かうと、そこには達也と深雪とエリの3人が円形のテーブルに着いていた。いつもなら迷うことなく彼らと一緒に過ごそうとするであろうほのかだが、今は状況が状況なだけに足を止めて立ち尽くしてしまう。
「一緒に座っても良い?」
しかし一番複雑な気持ちであろう雫は、すぐさま彼らに近寄ってこう言った。3人はそれを快く了承し、深雪とエリはすぐさま立ち上がって2人分のスペースを確保し、達也は他のテーブルから椅子を1脚持ってきた。
ほのかと雫が席に着く。5人で座っているために微妙に向かい合わせにならない構図だが、雫の座っている席は深雪の向かいと言っても差し支えない場所だった。
「ほのかさん、優勝おめでとう」
「おめでとう、ほのか」
エリの笑顔はいつもと変わらなく見えたが、深雪の笑顔は華やかさの陰にどことなくぎこちなさがあった。普段のように接することができないのは、彼女も同じようである。
「優勝と準優勝のお祝いだ。ここは俺がご馳走しよう」
「ああっ! 良いな良いな! 私優勝したのに、達也さんに奢ってもらってない!」
「分かった分かった、エリも深雪もご馳走するよ」
「ありがとうございます、お兄様!」
3人の会話に、最初は緊張した様子だったほのかと雫もふっと笑みを漏らした。店員を呼んで飲み物と軽食を頼み、それをつまみながら何てことない会話を楽しむ。
しばらくして、ふいに達也がこんなことを言った。
「雫には、悪いことをしたな」
その言葉に、当の雫はきょとんとした表情で首をかしげた。
「勝敗はともかく、本来ならもっと拮抗した試合になるはずだったんだ。たった2週間で“フォノン・メーザー”を物にしようなんて、俺の考えが甘かった」
「ううん、そんなことない。達也さんは全然悪くない。あれが無かったら、そもそも深雪に反撃すらできなかったんだから。私があれを使いこなせてたら、もっと良い試合になったのに。――深雪もごめんね、歯応えの無い相手で」
「そんなことないわ、あのときは本当にびっくりしたんだから。いきなりあんな高等魔法が、しかも複数のCADを同時に操作しながら出てくるんだもの。――お兄様、あれは本気で私を負かそうとしましたね」
深雪はそう言って、達也のことを睨みつけた。もちろん本気などではなく、冗談めかしたものである。
「俺はただエンジニアとして、両方の選手に最善を尽くしただけさ」
「私知ってるよ! そういうの、“女誑し”って言うんだよね!」
「……エリ、怒らないから誰から聞いたのか言うんだ」
まるで本当の兄妹であるかのような会話に、その場にいた全員が思わず笑みを零した。達也としては少々不本意ではあったが、結果的に場が明るくなったので良しとする。
和やかな空気が、5人を優しく包み込んでいた。
* * *
そして、5人が仲睦まじくティータイムを楽しんでいたのと同じ頃。
ホテルの廊下を、思い詰めたような表情を浮かべる風間が早足で歩いていた。そこは1日目の昼に達也たちが風間達と会ったときにも使われた、軍の関係者しか立ち入ることのできないエリアだった。
廊下に並ぶドアの内の1つで立ち止まると、こんこん、と軽くノックをした。
「はいはーい、モカの“能力”は解除されてるから、入ってきても大丈夫だよー」
中から聞こえてきたのは、年端もいかない少女のような声だった。友人を招き入れるかのような軽いものだったが、風間は表情を崩すことなくその場で何か考えるように動きを止め、そして覚悟を決めるようにドアノブを握って勢いよく開けた。
そして中の光景を見た瞬間、風間は顔をしかめた。
部屋に敷かれたカーペットには、おびただしい量の紅い液体が染みとなって付着しており、それに混ざるように複雑な色をした染みも散見される。部屋中に鉄の匂いと鼻を刺すような酸っぱい匂いが立ち籠め、彼でなかったら思わず鼻と口を押さえてその部屋を立ち去ってしまいたいと思うほどだろう。
しかし何よりも目を惹くのは、部屋の片隅に無造作に転がされている“それ”だろう。
「……彼は、生きているのか?」
風間は“それ”から目を逸らすことなく、部屋の中にいる3人の人物にそう問い掛けた。
その3人とは、深雪達の試合を観ることなく姿を眩ませていたミルココにモカだった。
「耳を澄ませてみてよ、ちゃんと声が聞こえるでしょ?」
にこにこと笑いながら答えたミルクの言葉に、風間は“それ”に近づいて耳をそばだてる。今にも消え入りそうな掠れた声で「殺してくれ……」と何度も呟くのが聞こえた。
「……こういうことは、あまり勝手にやられると困るんだが。それに随分と部屋を汚してくれたね、掃除をするのは誰だと思っているんだい?」
「ごめんごめん。でもさ、現代魔法ならこれくらいの汚れは一発なんでしょ? 深雪が時々服の汚れを魔法で取ってるのを見てるよ」
ココアの言葉に、風間は大きな溜息を吐いた。
「……まぁ良い。それで、何か分かったことは?」
「風間さん達の読み通り、こいつは“無頭竜”の一員だったよ。“電子金蚕”って魔法を使って、本戦のバトル・ボードで七高の選手のCADに細工をした」
「“電子金蚕”か……。確か東シナ海諸島部戦域で広東軍が使用していた魔法だったな。だが一連の事件が、すべてこいつの手で行われたわけではないんだろう? 他に何か分かったことは?」
「残念ですが、それ以外は何も。彼は組織の中でも下っ端であり、他の仲間については何も聞かされていませんでした。おそらく、それぞれ個別に命令をされていたのでしょう。上層部の人間には会ったこともないようなので、彼から組織の上層部について何か探ろうとするのは無理でしょう」
モカの答えに、風間は困ったように顎に手を当てた。部屋を汚してまで手に入れた情報がそれだけでは、確かに割に合わないかもしれない。
「んで、そいつどうする? こっちで“処分”しても良いけど」
「いや、我々で引き取ろう。こちらとしても、完全に使い道が無くなったわけじゃないからね」
風間はそう言って、ドアの向こうに呼び掛けた。おそらくずっと待機していたであろう部下が数人部屋に入ってきて、部屋に転がっていた“それ”を部屋の外へと運んでいく。“それ”がいったいどこへ行き、どんな運命を辿るのか、そんなものは彼女達3人にはもはや何の興味も無かった。
「それにしても、君達はよく奴が犯人だと分かったな」
「そりゃまぁ、摩利が怪我をしてから一高の出る試合はそれとなーくチェックしてたからね。CADを検査するときに、“悪意”を持ったスタッフがいないかって」
「……そうか、相変わらずだな。――後始末はこちらで引き受けよう。君達も早く彼らの元へ戻ると良い、今頃は仲間の優勝を祝している頃だろう」
「あー、そういや深雪とほのかが優勝したんだっけか」
「結局生で観られなかったねー。深雪と雫の試合、秘かに楽しみにしてたんだけど」
「まぁまぁ、記録用に映像を撮ってるだろうし、後でそれを見せてもらえば良いじゃない」
まるで仲の良い女友達と喋っているような(実際その通りなのだが)雰囲気で、ミルココとモカは血液と吐瀉物に塗れた部屋から出ていった。
後には、風間1人だけが取り残された。彼女達がフロアから完全にいなくなった後、彼は肺中の空気を全部吐き出しそうな勢いで大きな溜息を吐いた。
そして、呟いた。
「――まったく恐ろしいな、“邪眼の病魔”」