魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第41話 『能ある鷹は、そもそも自分が鷹であることを悟らせない』

 夏休みも後半に差し掛かる第一高校の敷地内は、人の姿もほとんど見掛けない閑散とした光景だった。夏の一大イベント・九校戦が終了したことで、スポーツ系のクラブも充電期間に入っている。教師達も夏休みなので学校には顔を出さず、彼らの指導を目的に学校に来る真面目な生徒もいない。

 しかしまったくの無人というわけではなく、自主トレに来ている生徒の姿もちらほら見受けられた。特にそれは1年生に多く、普段は上級生に気を遣ってあまり施設を利用できない彼らが存分に練習に打ち込める良い機会とも言える。

 その1年生の中に、森崎の姿もあった。閉所戦闘練習場で先程までトレーニングをしていた彼は、コンバット・シューティング部の練習用ユニフォームに身を包み、額どころか全身から汗を滲ませていた。そして彼の右脇腹には、ゴム質の赤いペイント弾がべっとりと貼りついている。

 彼が先程まで行っていたトレーニングは、ゴム弾を発射する自動銃座の攻撃をかいくぐりながら、迷路のように入り組んでいる暗がりの通路(所々に障害物あり)を走り抜けるというものだ。そして彼の体にそのゴム弾が貼りついているということは、つまりそういうことだろう。

 森崎は少々苛立った表情を浮かべながら、準備室の扉を荒々しく開けた。その衝撃に、中で操弾射撃用のランチャーを整備していた1年の滝川が目を丸くして振り返る。

「……荒れてるね、森崎」

「滝川か。こんな所で何してるんだ?」

「随分とご挨拶ね。内蔵CADの部品を分けてもらいに来たのよ。そっちの部長さんにはちゃんと話は通してあるわ。――そっちは、またトレーニング? ここ最近ずっとじゃない、今日はもう上がった方が良いんじゃないの?」

「……心配してくれるのは有難いが、そういうわけにもいかない。少しでも早く実力をつけないと――」

「だったら尚更今日は上がりなさい。がむしゃらにやってりゃ実力がつくわけじゃないでしょ? 勉強もトレーニングも、結局は“効率”の問題なんだから」

 森崎は反論しようと口を開きかけたが、滝川の言うことももっともだったので何も言わずに口を閉じた。その代わりに悔し紛れに彼女を一睨みすると、男子更衣室へと消えていく。

「森崎があそこまで焦ってるのって、やっぱり九校戦で司波くんが活躍したからかしら……? まったく、これだから男の子ってのは……」

 滝川は呆れたようにそう吐き捨てると、再びランチャーの整備へと没頭した。

 自分の考えが完全に外れていることにも気づかずに。

 

 

 

 一度自宅に戻った森崎だったが、そこで寛ぐこともほとんどせずに家を後にした。しかし別のトレーニングへ向かったわけでなく、カジュアルな服に身を包むその姿は単純な気分転換を思わせる。滝川の言う通り、今日のトレーニングはやめることにしたのだろう。

 ――やはり1週間のブランクは、そう簡単に無くなるものじゃないか。

 だが、彼の心を巣くう“焦り”は未だに消えていなかった。九校戦で負った重傷(普通ならば最低1ヶ月は掛かるほどの怪我を、魔法治療によって1週間で完治させた)はとっくに消えているが、それによってなまった体はまだまだ完全に元通りというわけにはいかなかった。少なくとも、森崎の感覚では。

 ――九校戦、か。

 あの一大イベントは、間違いなく自分にとって大きな転換となっただろう。それまでは達也に対して劣等感にも似た“焦り”を感じていた彼だったが、エリの言葉によってそれから解放され、あまり得意ではないスピード・シューティングで準優勝という結果を残すことができたのだから。

 しかしそのエリによって、彼はまた別の“焦り”を感じることとなった。

 自分があれだけ優勝を渇望していたモノリス・コードでの不慮の事故、それによってエリと達也が代わりに出場することとなり、あの三高のクリムゾン・プリンスやカーディナル・ジョージを破って見事優勝してみせた。それだけならば彼も素直にエリを祝うことができたのだが、彼女はそのことに対して何の感慨も抱いていなかったのである。

 レベルが違いすぎる、と彼はそのとき思った。自分が必死になって掴もうとしていたものが、彼女にとっては取るに足らないレベルのものでしかなかったという事実が、今まで自分の魔法技術に誇りを持っていた彼に重くのし掛かってくる。そしてそんな彼女に対して、チームメイトとして相応しい活躍を見せた達也の存在も、彼の心を陰鬱にさせる原因となっていた。

 自分と同じ歳の少年が、自分よりも年下で自分よりも圧倒的な実力を持つ少女と肩を並べて歩いている。

 その事実が、森崎の心に“焦り”を生んだ。彼女の隣に立つとまではいかなくても、せめて背中を視界に捉えられるくらいには、せめて足手まといにはならないくらいには実力をつけなくては――

「って、いやいや! なんで僕が彼女の隣に並ぶという前提で考えているんだ! これは純粋に、自分の実力を伸ばそうとしているだけのことであって――」

 別に誰かから指摘されたわけでもないであろうに、森崎はそんな言い訳をぶつぶつと呟いていた。ともすれば周りの人間に変人扱いされかねないが、幸いにも彼らは自分のことに夢中で森崎に気がついていなかった。

 と、周りに人がいることを思い出した森崎は、呟きを止めると何と無しに周りへと目を遣った。

 CADのホルスターを忍ばせるために前開きジャケットを羽織っている森崎に対し、周りの人間はタンクトップやミニスカートなどの必要最低限の布しか使われていないような服装をしていた。つまりそれは、彼のような魔法師が絶対的に“少数派”であることを意味していた。

 とはいえ、昔ならそれを誇りに思っていたであろう森崎だが、今はとてもそんな気分に浸る余裕は無かった。そもそも、自分を“特別”だなんて思えなくなっていた。

 ――喉が渇いたな、何か飲むとするか。

 森崎はそう思って、真っ先に目に着いた喫茶店へと歩いていった。ログハウス風の外観、白木を使った椅子にテーブルと、店の主人の趣味を思わせるなかなかオシャレな店だった。外のテラス席も日除けのパラソルを差しているだけで、屋外用の空調設備などは置かれていない。もっとも、今日みたいに日差しの強い日はそれが仇となり、テラス席の埋まり具合は疎らなものだったが。

 彼はそのテラス席に腰を下ろすと、テーブルのタッチパネルでアイスコーヒーを注文した。程なくしてそれがやって来て、彼はそれを片手に道行く人々を何となく観察する。半分がカップル、もう半分の内9割ほどがグループ、そして残りの1割が森崎と同じソリスト(気分としてはワンマンアーミーの方が近いか)だった。

 そんな中、森崎は1人の女性に注目した。

 髪型は肩に掛かるほどのショートヘア、半袖のワイシャツにネクタイを緩く締め、タイトスカートから覗く脚は黒のストッキングに包まれている。眼鏡の奥にある両目は半目ともジト目とも言われる半開きで、全身の力を抜いたような気怠さが感じられる。

 森崎がなぜここまで彼女のことを詳しく観察しているかというと、先程から彼女がこちらに近づいているからである。しかも店に用事があるというよりは、森崎と完全に目が合っていることから考えると彼自身に用事があると考えて良さそうだ。

「ここ、空いてる?」

「……わざわざここに座らなくても、他にいくらでも席は空いているのですが」

 言外に「嫌だ」と言っているにも拘わらず、その女性は森崎が答えている真っ最中に向かいの席に座った。慣れた手つきでタッチパネルで注文し、少ししてフルーツとアイスが山盛りになったパフェが運ばれてきた。本格的にここに居座るつもりだ。

 だったら自分が去れば良い、と森崎が席を立とうとするが、即座に女性の手が伸びて彼の手首を掴んだ。振り解こうと腕に力を込めようとする森崎だったが、あまりに彼女がまっすぐな目でこちらを覗き込んでくるので、彼は気を削がれてしまい、そのままゆっくりと元の席に着いた。

「……まったく、何なんですか、あなたは……」

「いやいや、せっかくの休日に街を1人寂しくブラブラと歩いていたときに、何やら悩んでいる様子の少年を見掛けたものだからついね」

「要するにただの暇潰しじゃないですか……。いつもそうやって知らない人に声を掛けているんですか?」

「そういうわけじゃないわよ。ただ“先輩”として、未来ある“後輩”にアドバイスでもと思ってね」

「先輩?」

 首をかしげる森崎に、女性はパフェを口にしながらこう言った。

「そう。――そのジャケットの裏に隠してるの、CADでしょ?」

「――――!」

 その瞬間、森崎の表情が真剣なものとなり、思わずがたりと音をたてて立ち上がってしまった。周りに白い目で見られてしまったためにすぐに腰を下ろしたが、それでも女性は平然とした表情でパフェを食べ続けている。

「……ということは、あなたも第一高校出身ということですか?」

「そう。今はしがない小学校教師だけどねぇ」

「……そうですか」

 第一高校で優秀な成績を残した者は、魔法大学や防衛大学、あるいは魔法関連の企業に就職などといった進路につく。魔法とまったく関連性の無い職業についたということは、学生時代の魔法の成績はそれほど芳しくないものだったんだろう、と森崎は結論づけた。

「あ、今『何だこいつ、大したことねーな』とか思ったでしょ?」

「――――! そ、そんなことはけっして!」

 動揺することが何よりも雄弁に物語ることを知りながら、森崎はそれを抑えられなかった。

「まぁまぁ、とにかくお姉さんに話してみ? 事情を知らない赤の他人の方が話せることもあるでしょ?」

「……僕は入学時、実技の成績が4位でした」

 女性に促されるまま、森崎はぽつぽつと話し始めた。彼女の言うことを正しいと思ったのか、それともこのまま見ず知らずの人間と何も話さず過ごすのが息苦しいと思ったのかは定かではない。

「僕の家は百家の一員ですが、数字付き(ナンバーズ)ではないので魔法の才能は平凡なものでした。でも自分の技術を磨いて、自分では必死に努力しているつもりで鍛錬を重ね、数字付きの人間にも引けを取らないほどにまでなったという自負がありました」

「へー、凄いじゃない。私なんて、入学したときは二科生よ?」

「……ですが、その想いは打ち砕かれました。実技の成績が4位ということは、僕よりも上の人間が3人しかいないことを意味していた、はずです。しかしその内の2人は、僕なんかじゃまるで話にならないほどに実力差がありました」

「ははーん、上には上がいるってことを知って、打ちのめされちゃったのね」

「それだけではありません。二科生の中に新入生総代の兄がいるんですが、そいつの実技の成績は二科生の中でも低い部類に入るのに、いざ実戦となるとその2人と引けを取らないほどの活躍を見せるんです。そうなると、今まで僕が誇りに思っていた“一科生”そのものに疑問が出てきて……」

「あー、確かにいるわねそんな奴。テストでは赤点ぎりぎりの癖に、勉強以外のこととなると途端に頭の回転が速くなる奴とかね」

「……だから少しでもその差を埋めようと、色々とトレーニングをしているんですけど、何だか無意味なことのように思えてきて……」

「まぁ、そういう努力ってなかなか結果として見えてこないからねぇ。――でもまぁ、テストの成績がその人の全てを評価するわけじゃないんだし、そういうこともあるって割り切った方が良いでしょ。逆に言えば、テストの成績もその人を評価する材料の1つであることに間違いはないわけだし、あまり深く考えない方が良いんじゃない?」

「……やはり、あなたに話したことは無駄だったようですね」

 所詮は二科生出身だから自分の悩みなんて分からないだろ、というのは寸前で呑み込んだ。彼女のことだから、もしかしたら気づいているかもしれないが。

 しかし幸いにも、彼女は森崎ではなく道路の方へ視線を向けていた。森崎は首をかしげて彼女の視線を追う。

 そこにいたのは、ハイネックのノースリーブシャツに膝丈のプリーツスカート、素足にサンダルという普通の格好をしていながら、それを身につけているのは10人中9人が美形と称するほどの美少女だった。少々吊り上がった目としなやかな動きが、ネコ科の大型獣(とりわけ豹といったところか)を彷彿とさせる。

 森崎はその少女に釘付けとなった。美少女であることもそうだが、彼女からは魔法師であるために気づけた“違和感”があった。

 そして何より、自分達と同じように彼女を目で追っている気配があることに気がついた。彼女に見惚れているとかナンパを狙っているといった下心ではない、はっきりと表現するならば“害意”が伝わってくる。それは彼がときどき手伝っている“家業”故の直感だった。

「すみません。用事ができたので、これで失礼します」

「あの子に関わるつもり?」

 森崎が席を立とうとした次の瞬間、女性が即座に彼に呼び掛けた。完全にこちらの意思を読んでいるかのような行動に、彼は一瞬だけ表情を強張らせるが、すぐさまそれを無視して立ち去ろうとする。

「手柄を立てたいって思うのは分かるけど、軽はずみな行動をすると死ぬわよ?」

「……手柄だなんて、そんなことは考えていません。僕はただ――」

「さっきのあなたの悩みって、結局は“自分は成長している”って実感が欲しいってだけでしょ? 自分では実戦的な経験を積んで強くなりたいって思ってるだけだろうけど、あなたが本当に欲してるのは“実力”じゃなくて“結果”なのよ。そこを履き違えてあの子に関わったら、本当に大事なことにも気づけずにただ命を落とすだけよ」

「……あなたには、関係の無いことでしょう」

「あなただって、あの子とは関係無いでしょう」

 女性の言葉に、森崎は何も反論を思いつかないのか(“思いつく”という発想をしている時点で、自分の考えが間違っていることを認めたようなものだが)悔しそうに唇を噛んだ。

 と、そのとき、今度は女性が席を立った。テーブルのタッチパネルで勘定を済ませると、両手をスカートのポケットに突っ込みながら先程の少女が去っていったのと同じ方へと歩き出す。

「……ど、どこに行くんですか?」

「どこって……元はといえば、あなたがやろうとしてたことでしょ?」

「え? でも――」

 困惑する森崎に対し、女性はにこりと笑みを浮かべて、

「男が女を守ろうとする理由なんてね……、“惚れたから”で充分なのよ」

 

 

 *         *         *

 

 

 少女は公園地区から離れて倉庫街の方へと歩いていった。彼女と距離を置いて後をつける森崎と女性は、周りの通行人の数がだんだんと少なくなっていることに気がついた。いくら公園やアミューズメント施設と方向が違うとはいえ、偶然で片づけるには少々できすぎている。

「どうにも人の減り方が“不自然”ね」

「ええ。おそらく、魔法師の仕業でしょう。彼女が魔法を使った様子は無いので、おそらく別の何者かでしょう」

「それじゃ、そいつらが人目を無くしてまでやろうとしていることは?」

「……誘拐か、強盗か、それとも強姦か。少なくとも、暗殺ということはないでしょう」

「まぁ、そうね。暗殺が目的だったら、わざわざこんな回りくどいことしなくても、離れた場所から魔法でも実弾でも何でも良いから狙撃すれば済むんだもの。彼女と接触しなきゃいけないことをやろうとしてるのよ」

「……問題は、相手が何人かということですが」

「1人や2人ではないわね。人の無意識に働きかけて特定の場所から遠ざける魔法なんて、よっぽど広範囲に掛けなきゃ意味が無いんだから。そうなると、正面からやり合うのは愚行ね」

「ええ。相手が行動に出た瞬間を狙って奇襲、一時的に無力化した隙に彼女を連れて逃走、といったところでしょうか」

「ええ、良いんじゃない?」

 2人はそんなことを話しながら、少女の後をつけていく。途中、倉庫エリアに入っていくと思われた少女は急な方向転換をし、レインボーブリッジ(2代目)方面へと歩いていった。いくら人目が無いとはいえ表通りには街路カメラがあるため、さすがに賊もここで襲撃を仕掛けるとは森崎も思っていなかった。

 しかし、すべてが予想通りにはいかないものである。

「あ、あなた達、何者なの!」

 人通りと車通りが完全に途絶えたその瞬間、今までずっと感じてきた視線が6人の男となって姿を現した。突然その男達に周りを取り囲まれた少女は、動揺しながらも彼らを睨みつけて叫び声をあげた。男性ですら得体の知れない恐怖に身を竦ませて声が出なくなってもおかしくない状況で、彼女のその反応は気丈なものだった。

 少女がパニック状態に陥っていないことを確認して、森崎は街路樹の陰に隠れた。CADを構えるその手は小刻みに震え、こめかみに冷たい汗が一筋流れる。そしてそんな彼の様子を、女性が平然とした表情でじっと見つめている。

「――って、あなたも手伝ってくださいよ!」

「何、あなた私に危険な目に遭えって言うの? 女の子を守りたくてここに来たんでしょ? だったらついでに私のことも守りなさい」

「いや、あなたは勝手についてきただけ――ああもう、良いですよ! 僕1人でやりますから!」

 森崎はそう吐き捨てると、その勢いのまま街路樹の陰から飛び出した。

 そのままCADの引き金を引いて2発。相手が懐に手を伸ばしたのを見て、前方へ身を投げ出しながら空中で1発、転がり込みながら1発、体を起き上がらせながら1発。

 森崎が使用したのは、後方と前方の加速を瞬時に切り替える2工程の加速魔法であり、計5発の魔法は寸分違わず5人の男に作用し、脳と内臓を揺さぶられた彼らはその場に崩れ落ちていった。

 そして6人目に狙いを定めようとして、森崎の心臓は大きく脈打った。

 そいつの手に握られているのは、サプレッサー付きのオートマチック拳銃――実弾銃だった。魔法で反撃してくるものだと思っていた森崎は、実弾を防御する術を持ち合わせていない。今から魔法を構築していたのでは、実弾に間に合わない。

 何とか射線から逃れようと森崎が脚に力を込めた、次の瞬間、

「な、何だ!」

 男と森崎の間に、突然大きな鳥らしきものが下り立った。その鳥は男の視界を遮り、しかし森崎の視線は遮らない絶妙なコースを飛びながら、素早い動きで男へと迫ってくる。

「こ、この!」

 鳥に襲われると思った男は咄嗟にそいつに銃口を向け、その瞬間に鳥はばさりと翼をはためかせて空へと飛び立っていった。

 そして、

「うぐっ――!」

 森崎の6発目が彼に命中し、彼は苦悶の表情を浮かべながらその場に崩れ落ちていった。それに引っ張られるように、少女も路上に座り込む。

「立てますか? とにかくここから離れましょう。こいつらも人目を憚るようですし」

 そしてすぐさま森崎が彼女の下へと駆け寄り、返事も待たずに彼女の手を取った。彼女も最初は戸惑っていたが、泣き出すこともパニックになることもなく、彼の言葉に頷いて立ち上がった。

「こっちです」

「ありがとう」

 少女と手を繋いだまま、森崎は駅方面へと走り出した。高いヒールのサンダルで懸命に走る彼女の姿に、そして手から伝わってくる彼女の小さく柔らかい手の感触に、彼の中に眠る騎士道精神が掻き立てられる想いがした。

「ひゅーひゅー、なかなかやるじゃないの」

 しかし、いつの間にか2人の横を並走していた女性のからかうような言葉に、森崎は何だか気分が降下していく心地になった。

 

 

 

 森崎が駅に向かうことを提案したのは、単純に人通りが多いために襲われる可能性が低いことの他に、いざとなれば公共の交通機関で遠くまで逃げられるからである。もちろん、一旦バスや電車に乗ってしまうと行動が著しく制限されてしまうため、使いどころは見極めなくてはいけないが。

 ところが、どこか遠くへ逃げるという提案は、他ならぬ少女自身によって却下されてしまった。

「ちょっと待ち合わせをしててね、ここを離れるわけにはいかないのよ」

「だったら相手にメールでもすれば――」

「ちょっと訳ありでね。こっちからメールできないの」

 上目遣いで困惑気味の笑みを浮かべる少女に、森崎は自身の頬が紅くなる自覚がした。“訳あり”だなんて重要なワードが聞こえてきたが、すでにこの少女に対して騎士めいた義務感を抱いていた森崎は、少しでも長くこの少女と一緒にいるためにそれには触れないで――

「訳ありってどんな?」

 一切のオブラートにも包むことなく、女性が少女にそう尋ねてきた。あまりにもはっきりと言うものだから、少女だけでなく森崎も一瞬表情を固まらせてしまう。

「ちょっと! 今はそんなことを訊いてる場合じゃないでしょう!」

「何言ってんの、そんなことを訊いてる場合でしょうが。もしこの子が何か重大な犯罪を犯していて、あいつらが警察か何かだったら、私達はむしろ犯罪の片棒を担いでいることになるのよ?」

「この子が誰であろうと、あいつらが警察などといったまともな人間であるはずがありません。街中で平気で銃を撃とうとしていた連中ですよ?」

「だったら尚更この子のことを知っておく必要があるわよ? 相手がどんな人間なのかを知る意味でもね。――というわけであなた、自己紹介をよろしく」

 突然会話を振られて少女は「えぇっ!」と驚いた様子だったが、すぐに気を取り直して2人に向き直った。

「……えっと、私はリン=リチャードソン。カリフォルニアの大学に通っていて、今は旅行中なの。リンって呼んでね」

「僕は森崎駿といいます。よろしくお願いします」

「よろしくね、リンちゃん。――で、あなたは何者?」

 またもや真正面からぶつけられた女性の質問に、リンは気まずそうに視線を逸らして、

「……ごめんなさい。言えないの」

「そう。それじゃ、さっきの奴らに心当たりは?」

「……ごめんなさい」

「……そう」

 みるみる体を小さくしていくリンを、女性は何を考えているのかよく分からない目つきでじっと見つめている。

 それを責めていると勘違いしたのか、森崎はリンを庇うように女性の前へ躍り出た。

「そんなに怖いのなら、あなたはここで帰っていただいても結構です。後は僕が1人でリンさんを守りますので」

「……守る? あなたが、私を?」

 森崎の言葉に答えたのは女性ではなく、彼の後ろにいるリンだった。

「はい。この国には“袖振り合うも多生の縁”という言葉があります。僕があなたの誘拐未遂に居合わせたのも、きっと何かの縁でしょう。あなたの知り合いが迎えに来るまでの間、僕にボディーガードを務めさせていただけませんか?」

「ちょっと腕っ節が強いだけじゃ、ボディーガードは務まらないわよ?」

 女性のからかうような声に、森崎はキッと女性を睨みつけて、

「ご心配なく。家業の手伝いで、2年のキャリアがあります」

「家業の手伝いって……ああ、“あの”森崎だったのね」

 またもや、直接言われたわけでもないリンが彼の言葉に反応した。それは目の前の彼と百家の“森崎”が繋がったことによるものであり、同時にそれはリンがボディーガードというものに馴染みのある立場の人間であることを意味している。

「でも私、今手元に持ち合わせが無いし……」

「お金を取ろうなどと思っていません。僕はただ、知らぬ振りをしたくないだけです」

「ふふっ、紳士なのね」

 くすりと笑みを零すリンに、森崎は気恥ずかしさで彼女から目を逸らした。女性が後ろで「そりゃ自分で後をつけたんだから、知らぬ振りなんてできないわよねぇ」と言っていたが無視した。

「それじゃ、お願いしちゃおうかしら? ――あ、でも次から私のことは“リン”って呼んでね? 今度“リンさん”なんて呼んだら、その場でバイバイしちゃうんだから」

「はい、分かりました」

 リンの申し出に森崎は頭を下げて了承すると、とりあえずこの場を離れることを提案した。何人に狙われているか分からないこの状況で、襲われた場所の周辺でずっと留まっているのは得策ではない。

 そういうわけで、3人は人通りの多い場所を目的地として歩き出し――

「……いや、なんであなたもついてくるんですか?」

「あら、私だって知らぬ振りはできないわよ? 特に誰かさんみたいに、1人で飛び出してって拳銃で撃たれかけるような男の子とか」

「……どうぞ、ご勝手に」

「あら、ボディーガードは1人でも多い方が心強いものね。ぜひお願いするわ!」

 不満を隠そうともしない森崎に対し、リンは嬉しそうに手を叩いていた。

「っと、そういえばあなたの名前を聞いてなかったわね」

「あら、そうだった? まぁ、別にわざわざ教える必要も無いんだけど、このまま“女性”で通すのも読者が混乱しそうだしね」

「……何を言ってるんですか?」

 森崎のツッコミにも反応することなく、女性は2人に向き直って口を開いた。

 

 

「大田景よ。気軽に“景ちゃん”って呼んでね」

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