魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第44話 『忍耐強い人間でなければ、女性の買い物に付き合うことはできない』

 夏休みもそろそろ終わりが見え、二学期がすぐそこまで迫ってきているという頃。ミルココとエリの3人は、所要時間20秒を掛けて司波兄妹の家へとやって来た。

「達也さーん、深雪さーん、遊びましょー!」

 玄関のチャイムを鳴らすや大声でそう呼び掛ける声に応え、玄関のドアががちゃりと開かれた。

 しかしそこから顔を出したのは、深雪1人だけである。

「……あれ? 達也さんは?」

「お兄様は学校に行ってるわ」

「学校? 夏休みの宿題が終わってない……ってわけじゃないよね?」

 たとえどれだけ時代が進もうと、長期休暇の学生にとって“宿題”というのはけっして切り離すことのできない“試練”と言えるだろう。達也たち魔法科高校の面々も、世間一般の学生の例に漏れず夏休みの課題をたんまりと課せられていた。「普段全然俺らのことを見ていないのに、こういうときだけ平等なのは如何なものか」というのは、単純に宿題に対して嫌悪感を表していたレオやエリカの言葉である。

 しかし達也の場合、他の学生とは些か事情が違った。夏休みの前半は九校戦でほとんど潰れてしまった(たとえ代表選手になったとしても、宿題が免除になることはない)うえに、F・L・T開発第3課で行われる飛行デバイスの商品化に向けての会議、さらには独立魔装大隊の野外演習及びミーティングにも参加していたため、宿題に充てる時間が他の学生よりも極端に限られていた。

 とはいえ、それで音を上げるほど達也は柔ではない。彼はいつも夏休みの前半くらいには余裕で宿題を終え、終わり頃にはのんびりと自宅で妹の作ったお菓子をつまんで優雅にお茶会に興じていたはずである。

「お兄様は学校の図書館で、自分の研究を進めているところよ。あそこには外部に持ち出し禁止の資料とかもあるから」

「ああ、いつものね。そりゃまた、勉強熱心なことで」

「ん? でもそれじゃ、なんで深雪は一緒について行かなかったの? 愛しのお兄様にべったりの深雪が珍しいじゃない」

「べ、別にいつもべったりってわけじゃ……。私もお兄様について行こうとしたら、お兄様が『そろそろエリ達が俺達を遊びに誘うだろうから、俺の分まで楽しんでおいで』と仰ってくれて」

「さすが達也、見事に私達の行動を読んでいたってわけか」

「それじゃ深雪さん、一緒に買い物行こうよ! いつものショッピングタワーで!」

「ええ、構わないわ。今から準備するから、中で待っててね」

「はいはーい、お邪魔しまーす」

 深雪に誘われる形で、エリ達3人は家の中へと入っていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 学生の姿をほとんど見掛けない夏休みの校内、その中でも一際人の少ない図書館に達也の姿があった。

 現在の図書はほとんどがデジタル化されており、オンラインで閲覧すればわざわざ図書館に足を運ぶ必要が無い。しかし魔法科高校で所蔵している図書の中には館外に持ち出し厳禁のものもあり、そういう場合は図書館内にある個室型の閲覧ブースにある機械から閲覧する必要がある。

 そして達也が現在いるのは、そんな図書の中でももう1段管理の厳重なものが所蔵されている、地下2階資料庫である。ここにはオンライン化が不適切であると判断されたものが、紙媒体の図書という形で残されている。扱いによっては危険度の高いもの、主流の理論から外れすぎて学生に悪影響を与えかねないものが魔法大学から運ばれ、通信妨害の施された部屋の中でのみ閲覧を許されている。もちろん持ち出しは禁止だし、情報端末にこっそりコピーなんてこともできない。

 このような資料が授業で使われることもないので、ここを利用しようと思う物好きな学生はまずいない。利用者数ゼロという日も珍しくないが、ここしばらくは達也が足繁く通っているのでその記録は回避されている。この日も達也は、書物に書かれた文字と数式の世界に没頭していた。

「あら、司波くんではないですか」

 なので達也には珍しいことに、すぐ後ろに誰かがいても話し掛けられるまで気づかなかった。少々驚いたように達也は後ろを振り返り、その人物の姿に達也は再び驚いた。

「市原先輩と、……平河先輩ではないですか」

「はい、お久し振りです」

「はは、良かった。名前、憶えてくれてたんだね」

 そこにいたのは、生徒会会計である鈴音に、九校戦で技術スタッフとしても活躍していた平河小春だった。2人共九校戦が終わってからは顔を合わせていなかったが、たかだか10日程度の日数を“久し振り”と称するのはどうなのだろう、と達也は思ったが口にはしなかった。

「先輩達は、どうしてこちらに?」

「私達は今度の“論文コンペ”に向けて資料を集めていたところです」

「……ああ、そういえばお2人共、代表に選ばれていたんでしたね」

「はい。司波くんは調べ物ですか?」

 鈴音はそう言いながら、達也の手元を覗き込んだ。パッと見ただけでは何について書かれたものかを読み取るのは難しいが、鈴音はその一瞬の間で中身をしっかりと把握する。

「“エメラルド・タブレット”に関する文献ですか……。錬金術に興味でも?」

「知りたいのは錬金術そのものではなく、“賢者の石”の性質と製法ですけどね」

「何々? 司波くん、物質変換にでも挑戦するの?」

 にやにやと笑いながら尋ねる平河に、達也も少しだけ笑みを浮かべて首を横に振った。

「そういうわけではないですよ。賢者の石に備わっていたと見られる“魔法式の保存機能”に興味がありまして」

「――魔法式の、保存?」

 達也の一言に、鈴音の目の奥がきらりと光った。

「“エリクシール”と区別して定義する場合の“賢者の石”は、卑金属を貴金属に変換する魔法に使用する触媒の役割があります。触媒というからにはそれ自体が材料ではなく、術式を発動させるための道具と見ることができます」

「……成程、他に魔法的なプロセスを必要とせずに石だけで物質変換魔法が使えるのであれば、賢者の石そのものに物質変換の魔法式が保存されていると見るのが自然ですね」

 達也の説明の冒頭部分だけで彼が次に言おうとしていることを正確に読み取ってみせた鈴音に、達也は相手が上級生であることも忘れて、先程とは種類の違う素直な驚きの表情を浮かべていた。ちなみに鈴音の後ろで同じ説明を聞いていた平河は、眉間に皺を寄せて首をかしげていた。

「……それで司波くん、仮にその魔法式保存機能があったとして、それを“重力制御”に応用することは可能だと思いますか?」

「重力制御、ですか? なぜそのようなことを?」

「私達が現在論文コンペで発表しようとしていることと関係あるからです」

「……失礼ですが、先輩達が現在研究していることは?」

「“重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性”です」

「――――!」

 鈴音から放たれたその言葉に、達也は目を丸くした。

「……その反応からするに、司波くんが研究していることと同じようですね」

「……はい、その通りです。――結論から言いますと、おそらく可能でしょう。変数を僅かずつ変更しながら魔法を連続発動する技術は、つい最近F・L・Tが開発した飛行魔法の実現によって確立されています」

「つまりそれを使用すれば、核融合を維持することができるということですね。しかし維持するために魔法師が付きっきりで魔法を掛け続けるのは合理的ではない。だからこそ魔法師がいなくても魔法が発動するシステムとして、賢者の石のような魔法式を保存する機能に目をつけたということですか」

「さすが市原先輩」

「いえ。魔法師をシステムに縛り付けないように、という考えは持っていましたが、具体的な方法については思いつけなかったので。重力制御魔法式熱核融合炉を実現したとしても、魔法師をそれに縛り付けてしまっては、魔法師は“兵器”から“部品”に変わってしまっただけで根本的な解決にはなりませんからね」

「……根本的な解決?」

 達也の問い掛けに、鈴音は小さく頷いた。

「私の夢は、魔法師の地位向上です。それも政治的な圧力ではなく、経済的必要性によって。魔法を経済的に必要不可欠な要素とすることで、兵器として生み出された魔法師の宿命を本当の意味で解放できる。重力制御魔法式熱核融合炉は、そのための有力な手段になると思っています」

「……まさか、そのようなマイナーな考えを持っている人が、こんな身近にいたなんて」

 そう呟く達也の表情は、表情筋がほとんど動いていないものの喜びを隠しきれていなかった。まるでアングラな趣味のせいで理解者を得られなかった者が、偶然自分と同じ趣味を持つ人物を発見したときのような喜びを感じているのかもしれない。

「……ということは、司波くんも?」

「はい。――すみません、市原先輩。先輩達の研究を、俺にも見せてもらえませんか?」

「ええ、もちろんです。――平河さん、構いませんか?」

「え? は、はい、司波くんだったら、私も構いません……」

 礼儀正しく「ありがとうございます」と頭を下げる達也に、手を横に振って「気にしないでください」と声を掛ける鈴音。

「…………」

 そんな2人が並ぶ光景を、平河はどこか苦しそうな表情で眺めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そろそろランチの時間ということもあり、深雪達4人はショッピングタワー内にあるパスタハウスへと入っていった。普段深雪が外食をするときは、周りの視線を気にして個室かテーブル間に仕切りのある店にするのだが、女性向けの店が並ぶ場所柄女性やカップルが多いということでそれほど酷いことにはならないだろうということで、この店を選んだのである。

 しかしその考えは、はっきり言って甘かった。深雪が店に入ってきた途端、客の喧騒が一瞬で途切れ、ウエイターまでもが息を呑んで立ちすくんだほどである。ミルココの2人が堪えきれずに笑いを漏らしたことで我に返ったウエイターは、大慌てで彼女達を席に案内した。

「アッハッハッ! 相変わらずだね、深雪は」

「もう、そんなに笑わなくても良いじゃない。私はじろじろ見られて、あんまり良い気分じゃないのよ」

「いやいや、でも良かったじゃない。そのワンピースが似合ってるってことじゃない?」

 ミルクがそう言って指差したのは、深雪が今着ているノースリーブワンピースとも称される膝丈のサマードレスだった。肩紐はフリルレースで縁取られた幅広の帯で、胸元や裾にもふんだんにレースが施されている。露出が多めの割にはエレガントな印象があり、細やかな虹色水玉模様が年相応の可愛らしさも演出している。

 家を出たときには着ていなかったはずのその服は、つい1時間前に同じ建物内の店で買ったものである。3D映像ではなく実物を展示している店では買った商品に着替えるというのは珍しくないのだが、それが“店員からお願いされたこと”だとすれば非常に珍しいだろう。おそらく彼女に簡易的なモデルになってもらい、店の宣伝をしてもらおうという魂胆だろう。写真を撮られるわけでもないので特に迷惑な話でもなく、値段を勉強してくれるということで(主にミルココが悪ノリして)着替えることが決定した。

「これだけ注目を集めるほど似合ってるんだから、達也もきっと褒めてくれるでしょ」

「そ、そんな、お兄様に褒めてもらうだなんて……」

 “達也”の名前が出た途端、頬に手を当てて体を捻りながら悶絶している深雪に、彼女に注目していた周りの客がほぅっと溜息をついていた。そして一番近くにいるミルココとエリは、別に何を着ても達也は褒めるだろうけどね、と思ったが口にはしなかった。

 

 

 

 その男がその店に入ったのは、簡単に言えば“自慢したいから”だった。有象無象に自分の“アクセサリー”を見せびらかし、皆がそれに見惚れるのを眺めて悦に入るという下衆な欲求を満たすためである。

 彼が連れているその女性は、少女を卒業したばかりの瑞々しさと薔薇の花束のような豪奢な色艶を兼ね備えた美女だった。それもそのはず、彼女は芸能界にデビューしてから5年で確固たる地位を築いてきた女優であり、彼はそんな彼女が所属する芸能プロダクションの3代目社長だった。

 “3代目”という肩書きからも分かる通り、彼は親からその地位を譲り受けただけで、エンタメ業界の厳しさというものをその身で感じたことなど1度も無い。彼にとって社長の椅子は刹那的な虚栄心を満足させるための手段でしかなく、プロダクションに所属するタレント達は単なる商品であると同時にアクセサリーでしかない。

 彼が今連れているその女性は、彼が最近の中で最もお気に入りのアクセサリーだ。元々は顔が良いだけの大根役者だったのをここまで育てたのは自分だと思っており、その労力に対する正当な報酬として“良い想い”をするのは当然だと考えている。つまりはまぁ、そういうことだ。

 そんな考えを持っているだけあって、彼はタレント達を“宝石”だと考えている。自分の手で原石を丹精込めて磨き上げるという意味でもそうだし、たとえ他の職人が磨いたものでも金さえ積めば買い取れる商品という意味でもそうだった。

 しかし現在、彼の脳内のほとんどを占めているその“少女”は、金を出せば買えるような代物ではないと直感で理解した。いわば“偉大なアフリカの星”(ザ・グレート・スター・オブ・アフリカ)のような値段のつけられない原石であり、だからこそ彼は少女を自分のコレクションに加えたいと強く熱望した。幸いにも彼女の連れは年端もいかない少女3人だけであり、その頃の少女というのは“芸能関係者”を匂わせるだけでコロッと引っ掛かるような連中だ。問題は無い。

 唯一問題があるとすれば、今目の前に座っている女優のことだろう。事務所の稼ぎ頭である彼女の機嫌を損ねるのはさすがに好ましくないのでどうしようか、と考えていたそのとき、何とその彼女から「あの子を新作映画にスカウトしたら」と提案してきた。おそらく彼女もその少女のことが気に掛かり、そして何かしらの結論に達してそのような行動に出たのだろう。

 どういう意図かは不明だが、こちらとしては少女に声を掛ける絶好の理由が転がり込んできたのだ。それに乗らない手は無い、と男はあくまで女優の我が儘に付き合うという形で席を立った。

 

 

 

「君、ちょっと良いかな? 邪魔をして申し訳ない」

 ミルココやエリと談笑していた深雪だったが、突然割り込んできた男の言葉にふと笑顔を消した。言葉の割に口調が無遠慮で馴れ馴れしく、テーブルの脇という至近距離でジロジロと見つめてくるのが深雪にとって(というか、ほとんどの人間はそうだろうが)不快なのだろう。

「僕はこういうものです」

 そう言って男が渡したのは、チップが内蔵されているわけでもない、ただ文字列を印刷しただけの昔ながらの名刺だった。一応深雪はそれを受け取ったが、ちらりと、たったそれだけで中身を読み取れるのかと疑問に思うくらいに一瞬だけ目を遣ると、すぐさまそれを向かいに座るココアへと渡した。ココアがそれを受け取って、興味深そうに覗き込むミルクとエリと共にそれに目を通す。

「へー、芸能プロダクションの社長だって」

「なんで社長がこんな所にいるの?」

「お金無いのかな?」

 思い思いのことを呟くエリ達にこめかみをピクピクさせる男だったが、意識的にそれを無視して深雪に話し掛けた。

「君、映画とか興味無い? 君にぴったりの役があるんだけど」

 しかし深雪はそれに反応することなく、言葉無しに拒絶している雰囲気を醸し出していた。それでも男はそれにめげることなく、少し屈んで深雪の顔を覗き込むように体を近づける。

 すると、ついに深雪が男へと視線を向けた。その瞳に宿る冷たい光に男は一瞬たじろぐ様子を見せるも、すぐさま気を取り直して作り物の笑顔を貼りつけると、「名前を教えてくれないかな」と彼女に向かって手を差し伸べてきた。

 と、そのとき、

「はいはーい、お兄さん、そこまでにしようね」

 あと少しで深雪に触れるというところで、男の手首を掴んで動きを止める者がいた。

 ミルクだった。

「お嬢ちゃん、今僕達は大事な話をしてるんだから、邪魔しないでもらえるかな?」

「話? お兄さんが一方的に喋ってただけに見えたけど?」

「……君達も、お姉さんがテレビで活躍するのを観たいよね?」

「いやぁ、別に興味は無いかなぁ? わざわざテレビに出なくても、こうして“面白い”ものは見られるし」

 ミルクの言葉に、男は明らかに苛々していた。どうやらこの男も、若くして苦労せずに社会的地位を手に入れた者にありがちな、自分より立場の弱い(と思っている)人間に対して感情のコントロールができないという悪癖を持っているようだ。

「……とにかく、僕の邪魔をしないでくれ」

 とうとう痺れを切らしたのか、男は乱暴な手つきで自分の手首を掴むミルクの手を払い除けた。

 すると、

「うぎゃあああああああ! いたあああああああああい!」

 突然ミルクはその手を押さえて床に転がると、叫び声をあげてのたうち回った。

「ミルク、どうしたの!」

「この人が私の手をむりやり払ったせいで、もの凄く手が痛いのぉ! もしかしたら、骨が折れたかもしれなーい!」

「何だって! それは大変だ! 急いで病院に連れていかないと!」

「うわあああああん! 痛いよおおおおおお!」

「え? え?」

 叫ぶミルクに近寄っていくココアの遣り取りを眺めながら、男は困惑の表情を浮かべていた。もちろん男には、骨が折れるような力で払い除けた憶えは無い。

「おいおい兄ちゃーん、どうしてくれんだよぅ。ウチの大事な妹分に怪我させてくれてよぅ」

 すると今度は、両手をポケットに突っ込んだエリが男に詰め寄ってきた。やたらと唇を突き出して柄の悪い感じを演出している様子は、どう見ても演技しているようにしか思えない。

「ああああああ、痛いなあああああ! こりゃ確実に骨折れてるなあああああ!」

「何だってー! そりゃ大変だー! 治療費がもの凄く高くなるぞー!」

「おうおう兄ちゃん、どう責任取ってくれんだ、おーん?」

「な、なんだこれ……」

 目の前で少女3人が繰り広げているお遊戯会に男が困惑していたそのとき、椅子の脚と床が擦れる音が響き、彼の連れだった女性がヒールをかつかつと鳴らして足早に店を出ていってしまった。その間、女性は1度も男へ視線を向けることはなかった。

 それと同時に、ウエイターが2人こちらに向かって急ぎ足で近づいてきた。そして彼らは床に転がって騒ぐミルク――ではなく、それを困惑した目で眺めていた男へと近寄り、本人にしか聞こえない小声で何やら囁いた。それを聞いた男が声を荒げて「俺を誰だと」とか「騒いでるのはあっちだ」とか言っているが、何を言っているのか分からないし、分かる気も無かった。

 とにかく、彼はほどなくして店を出ていった。身体的な強制力は無かったものの、大の男2人に挟まれて色々言われる心理的な圧迫感はなかなかのものだろう。彼は非常に憤慨した表情を浮かべながら、時折ミルク達の方を睨みつけながら姿を消した。

 そして、いつの間にか静かになったミルクの下へ深雪が歩み寄る。

「ミルク、手は大丈夫かしら? 病院に連れてく?」

「ううん、大丈夫。何か知らないけど、治った」

「そう、それは良かったわ」

 ミルクが床から起き上がって服を軽く手で払い再び席に着いた頃、今度は白い調理服を着た40歳前後の男性が深雪達のテーブルへと近づいてきた。

「皆様、この度は不快な想いをさせてしまい、誠に申し訳ございません」

 どうやらこの店の店主らしいその男性は、深雪達に向かって深々と頭を下げた。

「こちらこそ、騒ぎを起こしてしまい申し訳ございません」

「滅相もありません。こちらのお子様は、あちらの方を追い払おうと必死だったのでしょう」

 ミルクのことを“お子様”と称したことに深雪は思わず笑いを零しそうになったが、すんでのところで堪えることができた。

「店員の対応が遅れたため、このようなことになってしまいましたが、宜しければ引き続き当店の料理をお楽しみください。無論、お代は結構ですので」

 店主はそう言って頭を下げると、深雪が何か言おうと口を開く前に厨房へと戻っていった。

「良かったね、深雪。お昼代が浮いたよ」

 面白そうにそう言ったミルクに、深雪は彼女を非難するように軽く睨みつけた。

「ミルク、いくらあの人を追い払うためとはいえ、あんなふざけたことをするのは止めてよね。――ココアとエリも悪ノリしないの。いったいどこであんな言葉を憶えたのかしら」

「はーい、ごめんなさーい」

「ごめんね、深雪さん」

 見た目相応の年齢らしく謝ってみせるミルココに、さすがに冗談が過ぎたと反省しているエリに、深雪は深い溜息をつきながらも口元に笑みを浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 と、ここで終わればこの一連の出来事も“夏の思い出”として笑い話の1つにでもなったのかもしれない。

 しかしそうあっさりと終わってしまってはつまらない。“誰にとって”かどうかは置いといて。

「さっきはよくも恥を掻かせてくれたな」

 店を後にして再びショッピング街に戻ろうとしたその道中、先程の芸能プロダクション社長が歪んだ笑みを浮かべて待ち構えていた。店で一緒だった女性の姿は無く、その代わり人相が悪く体格の良い男性が4人、お供として彼の周りを取り囲んでいた。

「何だこのテンプレ」

 そんな彼らの姿を見たココアが、思わず呟いた。

「土下座して詫びを入れるなら、今の内だぞ?」

「おおっと、ここで畳み掛ける!」

 本人としてはいたって真面目に脅したつもりだったが、結果的にはミルココをさらに楽しませるものとなってしまった。まるでスポーツ実況のように力強く叫ぶミルクに、エリと深雪が思わずぷっと漏らし、男はますます顔を真っ赤に染め上げていく。

「てか、こんな所で騒ぎを起こして良いの? パパラッチとかに見つかったらまずいでしょ?」

「だまれ、人間もどきの魔法使いの分際で。――ちくしょう、どっかで見た憶えがあると思ったんだよ。九校何チャラだっけか。でっかい原石を見掛けたと思ったら、とんだイミテーションだったわけか」

 魔法師を取り巻く都市伝説の中に、“魔法師は遺伝子操作で作り出された人造人間”というものがある。一時期よりも減ったとはいえ、そういうことを頑なに信じ込んでいる人間がいることは聞いたことがあるので、深雪達は彼の言動を意外に思うことはなかった。

 まぁ、確かに4人中2人は人間ではないので、彼の言うことも“半分”当たってはいるのだが。

「嘘だね」

 ミルココの2人が即座に言い切り、男が動揺を見せる。

「どうせさっき、そこの取り巻きにでも教えてもらったんでしょ? あんたみたいな性格の人間があの中継で深雪を観たんだったら、間違ってもこうやって喧嘩を吹っ掛けることはないよ」

 ミルクの言葉と共に、まるで一点の曇りも無い鋼の刃のような冷えきった空気が辺りに漂う。その迫力に男は圧倒されかけるが、男は周りの取り巻きに視線で合図をすると、取り巻き達が一斉に1歩足を踏み出した。プロのボディーガードほどの練度は感じないが、街の喧嘩屋レベルでの場数は踏んでいるのだろう。もしかしたら暴力団の類かもしれない。

 深雪が表情を引き締めて、1歩足を踏み出――

「私が行く」

 そうとしたそのとき、深雪と同じように真剣な顔つきとなったエリが1歩大きく前へ出た。

「おいおい、お嬢ちゃん? 何を無理してんだ? お漏らしする前に帰ったらどうだ?」

 おそらく優秀な魔法師である深雪でもなく、何やら得体の知れない雰囲気を醸し出すミルココでもなく、どこからどう見ても普通の少女にしか見えないエリが出てきたことで、男は明らかに馬鹿にしたような表情で挑発してきた。取り巻き連中も、彼女を見てフッと鼻で笑っている。

 しかし、大の男4人に迫られているにも拘わらず、エリは一切怯えるような様子を見せずに、取り巻き達に向かってその足を進めている。どこからどう見ても普通の少女にしか見えないエリから放たれるプレッシャーに、チンピラとはいえ組織戦闘の訓練を施されている(一般市民でも自警団を形成するのが当たり前の時代では、犯罪組織だろうと戦闘訓練を積んでいないと稼ぎもままならない)はずの取り巻き達が及び腰になっている。

「おまえら、何をビビってんだ! 街中で魔法師は魔法を使えないようにできてんだ!」

 魔法師を取り巻く都市伝説の中に、“魔法師は街中では、精神操作や機械制御によって魔法の使用を制限されている”というものがある。魔法の使用を制限しているのはあくまで法律的な理由であり、必要とあれば普通に魔法が使用される。例えば、こうして襲われているときには正当防衛として魔法の使用が認められる。

 取り巻き連中は男ほどその話を信用しているわけではなく、腰に手を当てたままエリの様子を伺っている。おそらくそこに折り畳み式のナイフを仕込んでるんだろう、とエリは当たりをつける。

 そしてとうとう痺れを切らした取り巻き達が、一斉にナイフを抜いてエリに襲い――

 

「何してんだ、おまえら」

 

 4発。

 目にも留まらぬ、というより誰も目を向けていない角度から飛んできた拳が正確に取り巻き達の急所を狙い撃ち、彼らはたちまちの内に床に転がる羽目となった。

「な、何だ! 何してんだ、てめぇら!」

 男は突然のことにパニックになりながら、目の前にいるエリへ視線を向けた。腕を伸ばしても取り巻き達に届かない位置にいるはずの彼女のどこを見渡しても、魔法を行使するときに使用するはずの小型機器が見当たらない。

 と、男はエリがにこにこと笑いながら自分の後ろの方を眺めていることに気がついた。

 恐る恐る、ゆっくりとした動きで後ろを振り返る。

「おいおい兄ちゃーん、どうしてくれんだよぅ。ウチの大事な妹分に喧嘩売ってくれてよぅ」

 にやにやと獰猛な笑みを浮かべて男に迫るのは、黒い髪を無造作に跳ねさせている、いかにも現代の若者といった感じの青年だった。普通にしていればなかなか整った顔立ちをしているが、まっすぐに目の前の男を睨みつける瞳の奥で輝く光は、まるで熱を帯びた鋼の刃のようにギラギラと獲物を狙っている。

「やっほー、桜。ナイスタイミングだね」

「おう。何か随分と騒がしいと思ってよ、もしかしたら喧嘩かと思って見に来たんだよ」

 ココアが親しげにその青年――桜に話し掛けると、彼はそのギラギラした敵意をふっと消して彼女へと顔を向ける。

 その瞬間を狙って、男はこの場を離れるため地面を強く蹴った。

「はい、逃げなーい」

 そして桜と擦れ違った瞬間、桜は男の膝裏を強く蹴りつけ、男は顔から思いっきり床に転がった。その拍子に鼻の骨を折ったらしく、彼はぼたぼたと大量の血を鼻から吹き出しながら、上半身を起こして恨みの籠もった視線を桜へと向ける。

「――やる気か?」

「……ひ、ひぃっ!」

 そして桜の敵意をもろに受けてしまい、男は顔面の激痛も忘れて背中の怖気が全身に走って震え上がった。血で真っ赤に染まった顔を青ざめて、まるで生まれたての子鹿のようにぶるぶると足を震わせながら立ち上がり、そして床に血の跡を点々と残しながら走り去っていった。床に転がっていた取り巻き達も、慌てて立ち上がって彼の後を追い掛けていく。

 そんな男と擦れ違い、驚きの表情を浮かべながらこちらへと近づいていく1人の女性がいた。

「……何なの、今の人。ていうか桜、私が買い物してる間にどこほっつき歩いてたのよ!」

「あぁ? おまえの買い物が長すぎるんだろうが」

「やっほー、アクア。桜とデート?」

「せ、先輩! 別に私達はデートとかじゃなくて、ただみんなの分まで買い出しに行ってるだけというか――」

 人目を惹く水色の髪を三つ編みにした眼鏡の女性――アクアは、ミルクの問い掛けに顔を真っ赤にしてあたふたと慌てて否定する。そんな彼女の可愛らしい様子に、ミルココとエリと深雪は“ほっこり”という擬態語が似合いそうな暖かい笑みを浮かべていた。

「んで、買い物は終わったのか?」

「え? ま、まぁ……」

「うし、んじゃさっさと帰るか」

「えぇ? せっかく会ったんだから、私達の買い物にも付き合いなさいよ」

「そうそう。これからエリちゃんの希望で、3階の本屋に行くところなんだけど」

「うん! 何か話題になってる経済書があって、1回は目を通しておきたいなって思って」

「エリは1回本屋に行ったら山のように本を買うからね。荷物持ちお願いしますね、桜さん?」

「……深雪まで何なんだよ、面倒くせぇな……」

 口ではそう言いながらもきちんとついてきてくれる桜に、ミルココ達は互いに顔を見合わせて笑いながら共に歩き出した。

 床に点々とこびりつく血の跡を踏みつけながら。

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