夏休みも終わり、1学期の頃のように生徒会室でランチタイムに興じていた生徒会の面々(服部除く)プラス摩利・達也・エリは、夏休みの思い出話で盛り上がっていた。とはいっても家族との旅行話といった心温まる話などではない。話題はもっぱら“一夏のアバンチュール”だった。
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そんなこんなで、「パーカーをむりやり脱がされて」とか「もうちょっとムードが欲しかったのですが」とか「白けたので眠ってもらいました」といった話に達也が所在悪くしてたそんなとき、
「それにしても、私達も今月で引退かぁ……」
真由美のそんな独り言は、達也にとって渡りに船だった。
「そういえば、会長選挙は今月でしたね」
「ええ。選挙は月末ですが、一応の体裁を整えるためにも、来週中には選挙公示をして諸々の準備に取り掛からなければいけません」
「体裁?」
鈴音の言葉に、達也が首をかしげた。
「立候補者が複数いれば選挙が行われますが、生徒会長になろうという生徒は限られていますので、結局は身内同士の争いとなるでしょうね」
「そうなんですか?」
「過去5年間、生徒会長は主席入学だった生徒が務めています。6年前は違いましたが、それでも生徒会役員でなかった生徒が生徒会長になった例はほとんどありませんので、今回もまた中条さんと服部くんの一騎打ちとなるでしょう。そういうときは事前協議をして、どちらか1人に絞ることとなります」
「“ほとんど”無いということは、皆無ではないということですか?」
「10年ほど前に、一般の生徒だった一科生の女子生徒が生徒会長に選ばれた例があります」
「あっ、私知ってるわよ。その子って、初めて二科から一科に転籍になった生徒でしょう? 色々と伝説が残ってて、なかなか面白そうな生徒だったらしいわよー」
真由美がにこにこと笑いながらそんなことを話していると、
「私は生徒会長なんて無理です! 立候補するつもりはありませんので!」
まだ立候補すらしていないのに目に涙を溜めているあずさが、拳を握りしめて力説した。
「ということは、服部くんが生徒会長になるのかぁ……」
真由美のその言葉には、ありありと不満が滲み出ていた。確かに真由美と彼ではポリシーが違うので気持ちは分かるが、肝心のあずさ本人にやる気が無いのならば仕方ない。
と、そのとき、思わぬところから爆弾が放り込まれた。
「あれ? でも服部さんって、生徒会長にはならないんじゃなかったっけ?」
「えっ?」
エリの言葉にあずさは絶望的な表情を、それ以外は驚きの表情を浮かべた。
「そうなのか、エリちゃん?」
「うん。同じクラスの人が噂してたんだけど、服部さん、次の部活連会頭に推薦されてるんだって。本人もその気らしいよ」
「成程、確かにそっちの方が適任かもね。部活連の会頭は腕っ節が強くないと務まらないからね」
「そ、そんな……!」
すっかり顔を真っ青にしてがたがたと震えるあずさは、溺れる者が何かに縋ろうとするようにあちこちに視線をさ迷わせていた。
そして、藁どころか救命ボートを見つけた。
「み、深雪さん! 生徒会長になりませんか!」
「へっ?」
「ちょっと、あーちゃん?」
思わぬ言葉を掛けられた深雪は素っ頓狂な声をあげ、真由美は戸惑いの声を投げつける。
しかし、あずさは止まらなかった。
「深雪さんなら生徒達からの人望も厚いし、成績も申し分ありません! きっと立派に務められるでしょう!」
「あの、中条先輩……」
「そうですよ、それが良いです! 何も1年生が生徒会長になってはいけないって規則があるわけでもないですし、深雪さんはこの間の九校戦で本戦のミラージ・バットを優勝するという快挙を果たしています! 上級生にも強烈な印象を残していますし、間違いなく当選しますよ!」
「……いえ中条先輩、高校生の“実力”は魔法力だけでは計れないと思うのですが」
「問題ありません! 頭脳ならば達也くんがいるんですから! 生徒会長になれば、好きな生徒を役員に任命できますよ!」
「――お兄様、を?」
あずさの言葉に、深雪の気持ちが明らかに揺らいでいくのが分かった。
「そうです! 会長が一科生縛りのルールを排除すると仰っていますし、達也くんを二科生出身の生徒会役員第1号にしませんか!」
「……お兄様が、生徒会役員に……」
自分の補佐として働く達也の姿を想像したのか、深雪は頬に手を当てて顔を紅くしながら身悶えていた。
当然ながら、達也が黙っているはずがない。
「中条先輩、いくら何でも……」
「だったら! 達也くんが生徒会長に立候補しますか!」
「おっ、それは面白そうだな」
あずさとしては自分に厄介事が降り掛かるのを回避できればそれで良いのだが、傍で聞いていた摩利が食いついてきた。
「深雪はともかく、俺が一定の票を集められるとは思えませんが……」
「でも達也くんは、九校戦優勝の立役者ですよ!」
「……百歩譲って貢献していたとしても、裏方の仕事なんて表から見ても分かりませんし、競技も1つしか出ていないんですから」
「そんなことないですよ! 達也くんが出場したモノリス・コードは、森崎くん達には悪いですけど、当初は優勝なんて絶望的だったんですよ! それに達也くんの頑張りは代表選手のみんなにはしっかり伝わっていますし、あとは一般生徒に向けて宣伝すれば問題ありません!」
「いや、ですが――」
「深雪さんも! 生徒会長になった達也くんを見たくありませんか!」
「見たいです! お兄様が選挙に出られるなら、応援演説でもビラ配りでも何でもやります!」
すっかりあずさの言葉に乗せられてしまった深雪は、すっかり熱を帯びた表情で達也に力説していた。
「……あんなに必死になってるあーちゃん、初めて見たわ……」
「さすがあずささん、的確に相手の弱点を狙い撃ちして説得してるね」
そして真由美は初めて見る後輩の姿に困惑し、エリはあずさの説得術に素直に感心していた。
「――なんて話がありましてね」
「ははは、そりゃまた災難だったな」
その日の夜、いつものように厚志の家で夕飯をご馳走になっている司波兄妹の姿があった。食事の席で達也が生徒会室での一幕を話すと、リカルドが同情2割面白8割といった表情で笑い声をあげた。
「でもよ、魔法科高校の生徒会長なんていかにもステータスになりそうな仕事じゃねぇの? 何てったって、全国に9つしか存在しない魔法科高校のトップなんだからな。あずさは将来魔工師になるんだから、そういう仕事を経験するのもプラスになると思うんだが」
「だからこそ、いかにも面倒臭そうで無駄に責任が重そうだけどね。あずさからしたら、立候補の締切までに候補者が現れるのを祈るしかないって感じだね」
「いや、実際の締切はもっと前らしい」
ミルクの言葉に首を横に振って否定する達也に、全員が首をかしげて達也に注目する。
「できれば公示日までには、候補者の絞り込みをしたいそうだ。候補者が多すぎて収集がつかなくなるのを防ぐために」
「候補者が多くいた方が、選挙としては健全なんじゃないのかい?」
厚志のもっともな質問に、
「俺も最初はそう思って尋ねたんですが、生徒会長になろうという猛者達による魔法の撃ち合いを危惧してのことだそうで」
「……いやいや、いくら何でもそんなことは――」
「4年前、“民主的で自由な選挙”を標榜した当時の生徒会選挙では、候補者とそのシンパ達による魔法の撃ち合いが頻繁に行われていたそうだ。そして重傷者が2桁に達した時点で、生徒会は“自由な選挙”の看板を下ろし、当時の副会長を次期会長に強く推薦したことでようやく事態が収拾したらしい」
「……どこの発展途上国よ、魔法科高校は」
「魔法師っていうのは、言わばいつでも撃てる拳銃を肌身離さず持ち歩いてるようなものだからね。高校生くらいの年齢では、それだけの大きな力を完全に制御できるほどの自制心は育っていない、ということだろう」
厚志が苦笑いと共にそう言うと、他の面々は納得していないような素振りをしながらも一応頷いていた。
「それで、結局生徒会長はどうするの? 深雪がなる?」
「いいえ、私は遠慮するわ。まだ私は人の上に立てるほどの人間ではないもの」
昼間はあんなに前向きだったのに、とそれを聞いていたエリは思ったが、時間が経って冷静になったのだろう。あるいはあの後、達也によって諭されたのかもしれない。
「なーんだ、それじゃ妹が生徒会長で兄が風紀委員長っていう絶対王政は無くなったのか」
「ちょっと待って。なんで俺が風紀委員長なんだ?」
「え? だって風紀委員長もそろそろ次を決めないといけないんでしょ? 達也だったら摩利のお気に入りだし、なったとしてもおかしくないんじゃない?」
「風紀委員長については、もうほぼ決定しているよ。――2年生の千代田先輩だ。今日付で風紀委員の一員になって、俺が指導係を押しつけられた」
「千代田って、九校戦でピラーズ・ブレイクに出てた女の子だっけ? あの子がねぇ……」
「元々入っていたわけじゃないのに自分の後釜にするなんて、摩利も随分その子を可愛がってるんだねぇ」
ミルココの2人はそう言って、花音を可愛がる(意味深)摩利の姿を想像した。2人共宝塚の男役にいても違和感の無い外見をしているので、その手の趣味を持つ人々からしたら何とも絵になる光景だろう。本人が知ったら「何を不埒なことを考えているんだ!」と今にも襲い掛かりそうなほどに失礼な妄想だが。
「でもさ、生徒会のメンバーの中から会長が選ばれるっていう不文律が根付いてるんだとしたら、このままだと候補者が現れないまま締切なんてことも充分有り得るよ? もしそうなったら、多分深雪か達也が槍玉に挙げられるんじゃない?」
ココアの言葉を否定しようとした達也だが、残念ながらそれを否定するだけの根拠に乏しいことに気がついた。昼間にあずさが言った通り、1年生が生徒会長になれない決まりは無い。真由美と摩利の2人だったら、「前例は作るものだ!」とか言ってノリノリで推薦してくるかもしれない。
「お兄様……?」
「……手を打たなくてはいけないか」
まるで反魔法組織の手先や国際犯罪シンジケートと対峙するかのような真剣な表情で、達也がぽつりと呟いた。
* * *
次の日、生徒会室でのランチにあずさは参加しなかった。何か小動物的な勘で危険を察知したのか、それとも単純に用事があったからか。とにかくこのままでは放課後も休んでしまうかもしれないと考えた達也は、今日最後の授業が終わった直後を見計らってあずさの教室に乗り込んだ。
そそくさと帰り支度をしていたあずさは、にわかに騒がしい入口に目を向けて、あからさまにぎょっと目を丸くしていた。まっすぐ自分の所へ向かって歩いてくる達也(と同行しているエリ)の姿に、嫌な予感がビンビンするものの逃げるのも変だ、と迷っている内に2人は自分の目の前にまでやって来てしまった。
達也とあずさの身長差は約30センチ。普段なら威圧感を与えないように距離を取ったり腰を屈めたりしている達也だが、今回はあえて間近で彼女を見下ろしている。それから逃れるように隣のエリに目を向けるが、彼女も彼女でニコニコと貼りつけたような笑顔を浮かべるのみで、全然安心できる要素が無かった。
「中条先輩、お話があるのですが」
「……すいません、私、今日はちょっと――」
「それほどお手間は取らせませんので。5分だけで結構ですので」
「……じゃあ、5分だけなら」
キャッチセールスの常套句に引っ掛かったあずさは、前方を達也、後方をエリに挟まれる形でそのまま教室を出ていった。
力無く項垂れている彼女の様子から、その光景はまるで連行されるようだったと、後にクラスメイトは語った。
「手短に言います。生徒会選挙に立候補してください」
敷地内に設けられているカフェの片隅で、あずさ1人と達也・エリの2人が向かい合わせに座っていた。
「……もしかして、会長に頼まれましたか?」
「いえ、自主的に動いています」
「そ、そうですか……」
あずさは達也の視線から逃れるようにテーブルに目を伏せて、
「……私には無理です。生徒会長なんて大役、務まるはずがありません」
目に涙を浮かべながら、あずさは呟くように、しかしはっきりとそう言った。このまま追い詰めていくと、かなりの高確率で彼女は泣き出してしまうだろう。小動物的な見た目をしている彼女のことだ、きっと十中八九周りの人間はこちらに敵意を向けるだろう。
しかし、達也もそんなことで引くわけにはいかなかった。
「服部先輩は次期部活連会頭に推されているので、生徒会選挙には出ません。もし中条先輩が手を挙げなければ、生徒会のコントロール下に無い自由公募の選挙が行われるでしょう」
「それで良いじゃないですか。私よりも相応しい人はいっぱいいます」
居直りとも受け取れるあずさの言葉に、達也は思わず深い溜息をついた。
と、そのとき、今まで無言を貫いていたエリが突然立ち上がった。びくっ! と肩を跳ねるあずさをまっすぐ見つめるエリは、そのまま数歩歩いて彼女の後ろへと回り込む。
そして、そのまま彼女に抱きついた。
「ひゃっ」
驚いて小さく声をあげたあずさだったが、甘えるように擦り寄ってくるエリに微笑を浮かべて彼女の頭を優しく撫でた。身長的にはあずさの方が若干上で、普段は後輩からも年下に見られがちな彼女にとって、こうしてお姉さんポジションで接することができるのが嬉しいのだろう。
「ねぇあずささん、本当に生徒会選挙に出てくれないの?」
「うっ……! ご、ごめんねエリちゃん、私にはそんなの無理だよ……」
「そんなことないよ。あずささん、みんなに慕われてるからきっと上手くできるって」
「……うぅ」
「見たいなぁ、あずささんの生徒会長姿」
「……あうぅ」
頬がくっつきそうなほどに体を密着させて甘えるように話し掛けてくるエリに、あずさは先輩のお姉さんとしての感情をチクチクと刺激されながらも、首を縦に振ることができなかった。想像以上に、彼女は頑ななようだ。
なのでエリは、攻め方を変えることにした。
「そっかー、あずささんは出ないのかー。――それじゃ、4年前の悲劇の再来だね」
耳元で囁かれるエリの言葉に、あずさは一瞬だけ体をぴくりと動かした。しかし彼女の体はエリにしっかり抱きつかれてしまっているため、耳を塞いでエリの声から逃れることすらできない。
「重傷者って、10人超えてるんだよね? 私はあまりよく知らないけど、1年半役員をやってきたあずささんならよく知ってるんじゃない?」
「…………」
「当時の映像記録って、確か残ってたよね? 魔法で重傷を負った生徒の姿……、できれば観たくない光景だけど、この悲劇を繰り返さないためにも観ておく必要はあるのかもしれないね」
「あ、あの……、エリちゃん……」
「“歴史は繰り返す”ってよく言うけど、まさか身近でそんな言葉に出くわすなんて――」
「エリ、その辺で止めてあげるんだ」
あずさが顔を真っ青にして、エリが抱きついて押さえているにも拘わらず体をがたがた震わせるようになって、ようやく達也はエリを止めた。彼女は「はーい」と返事をしてあっさりあずさから離れると、そのまま数歩移動して再び元の席に着く。
「中条先輩が立候補すれば、そのような悲劇を防ぐことができます。大丈夫、中条先輩ならきっと上手くやれるでしょう」
そしてエリの言葉をそのまま受け継ぐ形で、達也が説得を再開した。
先程の言葉が効いたのか、先程よりはその頑なな態度が崩れかかっているように見えた。しかしそれでも、テーブルをじっと見つめて「でも……」とか「だって……」とか呟いている。
すると今度は、エリが突然両手を叩いた。ぱちんっ! と小気味良い音に呟きを断ち切られたあずさは、驚いたように彼女へと視線を向ける。
「そうか! あずささんはきっと、自分にメリットが無いから会長になりたくないんだよ!」
「メリット?」
首をかしげて尋ねてくる達也に、エリはニコニコ笑いながら説明する。
「魔法科高校の生徒会長って、普通の名誉職とは訳が違うでしょ? 聞いた話だと、3等勲章と同じくらいの名誉なんだって! ――だけどあずささんは、そんな“形の無い”名誉に対して価値を見出すことができないんだよ! だから生徒会長になるのを躊躇ってるんだね!」
「いや、あのエリちゃん……、私は別にそういうわけじゃ――」
「ねぇ達也さん! もしあずささんが生徒会長になったら、何かプレゼントをあげたら良いんじゃないかな!」
「プレゼント?」
あくまで疑問の表情を崩すことのない達也に対し、ぴくり、とあずさの体が反応した。
「プレゼントと言ってもな……、中条先輩を喜ばせるような物なんて持ってるはずが――」
「この前達也さん、F・L・Tから何か貰ってなかった?」
がたっ。
自身が最も大好きなCADに関連するキーワードが飛び出したせいか、明らかにあずさの表情に喜色と興味が含まれている。
「何か貰って――ああ、再来週発売される飛行デバイスのことか」
「な、何ですかその話! もうちょっと詳しく!」
とうとう興味を隠すこともせずに身を乗り出してきたあずさに、達也は平静を保ったまま、
「7月に発表された飛行魔法を最も効率的に実行できるデバイスとして開発された、シルバー・モデルの新製品ですよ。たまたま、モニター用に2つ手に入れることができまして」
「つ、つまりそれは、まだ発売されていない商品ということですよね!」
「ええ。モニター品ですので、シリアルナンバーが刻まれていない非売品ですが……」
「ふおおおぉぉ……!」
おおよそ女性が出してはいけない声を出しながら、あずさの体は先程とは違う理由でがたがた震えていた。
「……そうですね。中条先輩には日頃から深雪やエリがお世話になっていますし、そんな先輩の生徒会長就任ともなれば、これくらいのお礼をするのも或る意味当然と言えるのかも――」
「やります! 誰が相手でも絶対に負けません! 生徒会長に当選してみせます!」
まだ見ぬ対立候補の幻影にパンチを食らわせる勢いで、あずさが拳を握りしめて堂々と宣言した。つい先程まで後輩2人に脅されていたことも、自分がその職を頑なに拒否していたことも、今の彼女の頭からは綺麗さっぱり消え去っていた。
そんな彼女を眺めながら、達也とエリはこっそりとグータッチをした。
* * *
そんなこんなで時間は巡り、9月も末に入った。まだまだ残暑の厳しい季節だが、肌寒く感じるときも増えていき、いよいよ秋の匂いを感じ始めてきた頃である。
「だからといって、校内の雰囲気も熱くならないというのは如何なものでしょうね……」
「達也くん、何の話?」
今日も今日とて生徒会室で昼食を摂っていた達也がふいに漏らした一言に、真由美が首をかしげて尋ねた。
「生徒会選挙のことですよ。いよいよ明日が生徒総会、そして生徒会選挙が控えているというのに、どうにも校内の盛り上がりに欠ける気がしまして。こういうときって、あちこちで論説やアピール合戦が行われるものと思っていたのですが……」
「そうか? 高校の選挙なんて、こんなものだと思っていたが」
摩利の言葉も確かに納得できるが、それでも達也にとっては物足りないという感想が正直なものだった。特に隣に座るエリなんて、初めて参加する選挙ということもあって非常に楽しみにしていたのに、まったく盛り上がらない光景を目の当たりにして見るからに不満そうだった。
「まぁ、今回は残念ながらあーちゃん1人になっちゃったからねぇ……」
――なっちゃった? 仕向けた、の間違いではないのか?
のほほんとした笑顔を浮かべる真由美に、達也はそんな意地悪なことを考えてしまったが、わざわざ口にすることはなかった。たとえ彼女が対立候補となりそうな生徒を1人1人“説得”して回ってたとしても、自分には関係無いことだった。
ちなみに唯一の候補者であるあずさは、このような状況でも気を抜くことなく、わざわざ紙媒体に印刷した原稿を熱心に読み込んでいた。やはり事前に渡した“プレゼント”が効いたのだろう。彼女のような性格の場合、プレゼントを先延ばしにするよりも先渡しでプレッシャーを与える方がテンションを持続させやすいのである。
「でもまぁ、明日は投票前の立会演説もあるし、それなりに盛り上がるんじゃないかしら?」
「問題があるとすれば、その前に行われる生徒総会の方でしょうね」
今まで無言だった鈴音の言葉に、その場にいた全員が納得した。
「春の臨時集会であれだけ大見得切ったんだからな、今更引っ込めることはできないぞ」
「あら、摩利。今更引っ込めるつもりはないわよ?」
「それにしても、一科生の人達、思ったよりも大人しいね。てっきり闇討ちの1つや2つは起こると思ってたけど」
「ちょっとエリちゃん、物騒なことを言わないの」
「はっはっはっ、我が校の生徒に、この女に闇討ちしようなんて命知らずはいないさ」
「摩利、女の子相手にひどいんじゃない? ねぇ、深雪さんもそう思わない?」
「えっ? あはは……」
「わぁ、絵に描いたような愛想笑い」
エリのツッコミに深雪が顔を紅くして彼女を睨みつけ、部屋の中は暖かい笑い声に包まれる。
しかし、その空気を再び冷やしたのは達也だった。
「ですが、やはり用心に越したことはないですよ。いくら十師族直系といえど、会長は女性ですからね。いざとなったら集団で……なんてことも有り得なくはありません」
「やだわ、達也くん。大げさよ」
「向こうとしても、残された期間は今日と明日だけですからね。念の為、今日はお1人でお帰りにならない方が良いかと」
「もしかして、何か掴んでるのか?」
「それが分かっていれば、かえって安心なのですが」
考えすぎだとは思いますけどね、と言って達也は軽く笑ってこの話題を打ち切った。
それが単なるポーズでしかないことは、誰の目から見ても明白だった。
「達也くん」
昼休みも残り僅かとなり教室に戻ろうとしていた達也たちを呼び止めたのは、摩利だった。
「少し話があるんだ。今から本部に来てくれないか? 手間は取らせない」
「俺は大丈夫です。深雪とエリは?」
「私達も、午後は一般科目なので多少は遅れても平気です」
「すまない。ついてきてくれ」
摩利はそう言うと、3人を連れて風紀委員会の本部へと向かった。生徒会室を通れば遠回りせずに早く着けるのに、わざわざ廊下を歩いて階段を降りて向かった。
半年前とは比べ物にならないほどに片づけられた本部にて、4人はこれまた半年前には無かった応接セットに座った。司波兄妹は並んで摩利と向かい合わせに、エリは摩利の隣である。
「相談したいのは、真由美のことだ。実はあたしも、達也くんと同じ懸念を抱いている」
「委員長も、生徒会役員一科生限定廃止案の反対派が大人しすぎる、と?」
「ああ。春のときには雰囲気に呑み込まれて反対できなかったが、心情的には納得していないって奴がいてもおかしくはない。それに、一部の生徒が真由美の案を潰そうとあれこれ画策しているという噂は聞いている。功を奏していないようだがな」
「『平和的な裏工作が上手くいかないから、真由美さん自体をどうにかしちゃえ』って思っても不思議じゃないよね」
「そうだ。真由美は人が良いというかお嬢様育ちというか、他人の“悪意”に疎いところがあってな。“窮鼠猫を噛む”という心情も、おそらくあいつには理解できないだろう」
「ですが渡辺先輩、会長には“マルチスコープ”があるのではないですか?」
「確かにそれで周囲を警戒していれば、あいつが闇討ちに遭うなんてことはないだろう。だがそのためには“周囲を警戒する”という行動が必要だ。“マルチスコープ”は常にスタンバイ状態の能力ではないからな」
埒のない話だな、と摩利は一旦話題を切り替えると、改めて3人に向き直った。
「君達3人に頼みたいのは、今日は真由美と一緒に帰ってくれないだろうか?」
「真由美さんを家まで守れば良いってこと?」
「いや、別に家までは――いや、その方が良いだろうな。学校にいる間は大丈夫だろう。常に取り巻きがいるし、生徒会室には私や市原も服部もいる。一番気になるのは下校時なんだ。あいつはなぜか、学校の外では取り巻きを近づけさせないんだ」
「十師族の直系だからじゃないの?」
エリの言葉に、摩利は今まで考えもしなかったと言いたげに目を丸くした。
「……そういうものなのか?」
「そうだと思うよ? 何てったって、日本を陰で操るラスボスだもん。もしも誰かに襲われたときにみんなを巻き込みたくない、とか思ってるんじゃない?」
「成程、そういうことか……。――いや、こういうことは本来服部に頼むことなんだろうが、あいつは今部活連の方で忙しくしててな。
「摩利さんはやらないの?」
エリの何気ない一言に、摩利の表情が一瞬引き攣った。
「……本当は私もそうしたいんだが、真由美と私では関係が“近すぎる”んだ」
「近いと駄目なの?」
「エリちゃんはまだ分からないと思うが、あまりに親しくなりすぎると『その人に迷惑を掛けるわけにはいかない』っていう変な精神が働いてしまうんだ。こういうときは逆にある程度距離のある人間の方が、かえって後腐れ無く頼れるんだよ」
「えぇっ! 私と真由美さんって、距離があったの? 友達だと思ってたのに!」
「い、いや、そういう意味で言ったんじゃなくてな? 何て言えば良いのか――」
わたわたと慌てふためく摩利の姿に、達也と深雪は思わずプッと笑みを漏らした。摩利の頬がかぁっと紅くなる。
「事情は分かりました。しかし、わざわざ俺達が会長と一緒に帰る必要は無いと思いますよ」
「それはどういう意味だ?」
「十師族の直系である会長を、七草家の人間が放っておくはずがないということです。傍目には1人で帰っているように見えますが、おそらくボディーガードが会長を見守っていると思いますよ。本人が望んでいるかは別として」
「……そうか、確かに普通に考えればそうだな。――いや、別に心配しているわけじゃないぞ? ただこの時期にあいつに怪我をされるとこっちが困るというか、そもそもあいつは自分が狙われているという自覚があるのにどこか危なっかしいというか――」
「おぉ、ツンデレだ」
「エ、エリちゃんっ? 別にあたしはそういう意味で言ったんじゃ――」
再び顔を紅くして弁明する摩利の姿に、達也と深雪は互いに顔を見合わせてフッと笑った。
ちなみに、
『んじゃ、真由美が家に帰るまで私達が尾行すれば良いんだね?』
「ああ、よろしく頼む」
『はいはーい。じゃーね』
摩利と別れて自分の教室に戻る道中、達也は携帯端末でミルクとこんな会話を交わしていた。