「……ん?」
駅で友人達と別れて帰路についていた司波兄妹とエリは、司波家の駐車場に車が止まっているのに気がついた。その車は“カー・シェアリング”という概念が一般化したことから街でよく見掛けるようになったシティコミューターで、達也の愛車である大型二輪とは似ても似つかない。
つまりそれは、司波家の来客が乗ってきたものということになる。それも、司波家の駐車場に勝手に車を停められる人物が。
「…………」
達也はじっとそれを見つめながら、司波家を素通りして隣の厚志家へと歩みを進めていく。彼の隣を歩く深雪も、彼の行動に疑問を持つこともなくそれに倣う。
「あれ? 達也さん、入らないの?」
普段ならば厚志の家に行くときでも、自分の荷物を置きに一旦司波家へと帰る。なので普段と違う行動をする2人にエリが疑問の声をあげるが、達也は「まぁな」と言葉少なく話すだけで取り合わない。深雪も何やら口を引き結んで表情を固くしており、これから家に帰ってリラックスするという雰囲気ではない。
不思議そうに首をかしげるエリと共に、達也と深雪は厚志家の敷地に足を踏み入れた。玄関を開けて「ただいま」と呼び掛けながら靴を脱ぐ。そしてその際、見覚えの無い地味なデザインのパンプスがきっちりと揃えられているのを見て、達也と深雪はますます表情を固くした。
そして居間の襖を開けると、
「……お帰りなさい。相変わらず、仲が良いのね」
いつもの面々に加え、髪を後ろできつく縛ったパンツスーツ姿の小柄な女性が3人を出迎えた。達也と深雪はそれに応えることもなく居間の奥へと進んでいき、エリは笑顔で「こんばんは、小百合さん」と女性に挨拶した。
彼女の名前は、司波小百合。F・L・Tで研究員をしていたときに、現・司波兄妹の実父である司波龍郎と出会い恋人となったが、彼が四葉深夜と結婚することになった後も愛人として交際を続け、2年ほど前に念願叶って正式に彼の後妻となった。ちなみに現在はそれの関係もあるのか、F・L・T本社の管理部門に異動している。
つまり達也と深雪にとっては義理の母となるのだが、だからといって2人にとってはそんな簡単に親しくなれるようなものではなかった。
「お帰り、達也くん、深雪ちゃん、エリちゃん。少し前に達也くんたちの家に来てね、せっかくだからここで待ったらどうかって誘ったんだ」
そして小百合の正面に座っていた厚志が、いつもの笑顔で2人にそう説明した。それぞれには飲みかけの湯呑みが置かれており、直前まで2人で何かを話していたのかもしれない。ミルココやリカルドやマッドに周りを囲まれながら(モカは台所で夕飯を作っているので居間にはいない)。
「そうですか。――こちらに帰るのは久し振りですね、小百合さん」
「……ええ。本社に近い方が便利だから、仕方ないわね」
「ええ、そうですね」
たとえ小百合が家に来たとしても、彼女が寝泊まりできる部屋も寝具もこちらには無い。そもそも龍郎と結婚して以来ずっと彼と2人で住んでおり、住民登録がこちらにあるだけで一度もこちらに住んだことがない。それを分かったうえでの達也の台詞であり、それを分かったうえでの小百合の台詞である。
「モカ、手伝うわ」
「あら、深雪ちゃんありがとう。それじゃ、サラダを作ってくれないかしら?」
「ええ、分かったわ」
そしてその間に、深雪は小百合の方を見ることもなく台所へと逃げるように移動し、モカと一緒に夕飯作りを始めていた。
「では、話を伺いましょうか。まさか俺達の顔を見るためだけに来たわけではないんでしょう?」
達也は深雪をちらりと一瞥し、小百合の正面(つまり厚志の隣)にどっかりと腰を下ろした。義理とはいえ母親に対する態度ではなかったが、厚志もミルココ達もそれを咎めることはしない。
「……相変わらず、あなた達は私のことが気に入らないのね」
「深雪はそうでしょうね。自分が生まれる前から愛人関係だったんですから、多感な年頃の深雪が嫌悪感を抱いたとしても不思議ではありません」
「達也さん、あなたはどうなのかしら?」
「俺は別に何も。“そういう風に出来ています”から」
「……そう」
互いにさっくばらんな態度で接する達也と小百合に、居間の雰囲気が冷え冷えとしたものになっていく。リカルドとマッドは居心地悪そうにあちこちに視線をさ迷わせ、ミルココに「別に嫌なら外に出てても良いんだよ?」とツッコまれていた。ちなみに達也たちと一緒に帰ってきたエリは、平然とした表情でミルココの傍に座っている。
「それで、用件は何ですか?」
「……単刀直入に言うわ。あなたに本社の研究室を手伝ってほしいの。できれば高校を中退して」
「お断りします。深雪が一高生でいる間は俺も一高の生徒である方が、何かあったときに色々と都合が良いので」
達也の言葉に、小百合が訝しげな表情を浮かべる。
「……別に今のあなたは、あの子の護衛をする必要は無いんでしょう?」
「確かに義務ではありません。深雪の傍にいるのは、俺の意思でやっていることです」
「……あなたのような優秀な人材を遊ばせておく余裕は、うちの会社には無いんだけれど?」
「遊んでいる、とは心外ですね。先日、USNAの海兵隊から飛行デバイスの注文が大量にありましたよね? あれだけでも、昨年度の利益の20パーセントにはなったと記憶しているのですが」
「…………」
挑発的とも取れる達也の言葉に、小百合は悔しそうな表情を浮かべた。彼の言葉は紛れもない事実であり、反論の余地は無かった。
そもそも魔法工学関連の部品メーカーだったF・L・TをCAD完成品メーカーとして一躍有名にする立役者となったのが、達也の開発したシルバー・モデルだ。特に今回の飛行デバイスは、F・L・Tを特化型CADメーカーとして世界トップレベルに押し上げると予想するアナリストもいるほどの画期的な新商品であり、研究員としてはいまいちパッとしなかった彼女からしたら嫉妬せずにはいられないだろう。
「まぁまぁ、小百合さん。“学生”というのは今しか体験できない貴重な経験ですし、この頃の経験が人間としての大きな成長を促します。小百合さんからしたら遊んでいるようにしか見えないのかもしれませんが、この経験が司波達也という人間をより成長させると考えれば、結果的にあなた方にとってもプラスになると思うのですが」
今まで口を噤んで黙っていた厚志が口を開くと、小百合はまるで睨みつけるようにその鋭い視線を彼へと向けた。
「これは家族の問題です。口を挟まないでいただけませんか?」
「ははは、そういうわけにもいきません。小百合さんも知っているでしょう? 我々と四葉家の間に結ばれている“条約”を」
「……ならばせめて、こちらの用件は引き受けてもらうわ」
小百合はそう言って大きめの鞄から宝石箱を取り出すと、慎重な手つきで蓋を開けた。中には赤味を帯びた半透明の玉が1つあった。達也だけでなく、その部屋にいた全員が遠巻きにそれを覗き込む。
「……これは、
「へー、綺麗じゃん」
達也が言った“レリック”とは、魔法的な性質を秘めるオーパーツを意味している。人工物とは断定できなくても、自然にできたとは考えにくい物質に対してはこの定義に当て嵌まり、例えばキャスト・ジャミング効果を持つアンティナイトもレリックに分類される。
「達也さんには、このレリックの解析をお願いするわ」
「……どこで出土されたんですか?」
「知らないわ」
「成程、国防軍絡みですか。まさかとは思いますが、瓊勾玉の複製を請け負ってたりはしてませんよね?」
達也の言葉に、小百合は明らかに動揺を見せた。「ああ、請け負っちゃったんだ」というミルクの言葉に肩をビクッ! と跳ねさせたのを見て、達也は呆れたように深い溜息を吐いた。
「……現代技術で複製することが難しいからレリックに分類されると、小百合さんなら分かりますよね?」
本来オーパーツとは“出土した時代の”技術水準を超えるものを指すのだが、レリックに関しては“現代技術をもってしても”再現が困難な物を指す。だからこそ“聖遺物”なんて仰々しい名称がついている。
「国防軍からの強い要請を、私達が断れるわけがないでしょう」
絶対的に人口の少ない魔法師を相手に商売を続けていられるのは、国による全面的なバックアップに依るところが大きい。“魔法を振興する”という政策上高価にするわけにはいかず、国からの補助金が不可欠となるからだ。だからこそ、F・L・Tを始めとした魔法工学関係の企業は政府に逆らうことができない。
「そういうときのために、魔法工学のノウハウを活かした一般人向け商品の開発に力を入れるべきなのに」
ぽつりと呟かれたエリの言葉に反応する余裕は、今の小百合には無かった。
「しかし国防軍といえども、レリックと呼ばれる所以は知っているはずだ。それを承知で複製を依頼してきたということは、それでも挑戦するメリットがあるってことじゃないのかな?」
厚志の言葉に、部屋にいる全員の視線が小百合へと向く。7人分の視線を一身に浴びながら、彼女は1呼吸以上の間を置いて口を開いた。
「……瓊勾玉には、魔法式を保存する機能があるそうよ」
小百合の発言は、達也の表情を崩すほどの効果があった。
「それって実証されてるの?」
いかにも胡散臭そうだと言わんばかりのココアの声が、今の達也には有難かった。彼女のおかげで、自分が今レリックに強く心を惹かれている事実に気づかれずに済んだのだから。
「まだ仮説の段階だけど、軍を動かすには充分な観測結果が出ているわ」
もしそれが事実だとしたら、確かに軍としては無視できないだろう。もし魔法を保存するシステムが確立すれば、半永久的な魔法装置を開発することもできるし、魔法師のいない部隊に魔法兵器を配備することもできる。
そして何より、達也の目指す“常駐型重力制御魔法式熱核融合炉”の実現にも大きく貢献する。
「でもさ、今のF・L・Tの業績を考えれば、わざわざそんな高いリスクを負う必要は無いんじゃないの? 引き受けておいて『できませんでした』じゃ済まないと思うけど」
「すでに賽は投げられているわ」
「何の勝算も無く?」
「いいえ、勝算ならあるわ。達也さんの魔法ならば、解析は可能よ」
小百合の本音が見え見えの言葉に、達也はフッと鼻で笑ってしまった。つまり必要としているのは達也の頭脳ではなく、彼の“異能”のようだ。いつものように。
「複製できる保証はありませんが、どうしてもと言うなら第三課にサンプルを回しておいてください。あそこなら、俺も頻繁に顔を出すので」
「……悪いけど、それはできないわ」
達也の提案を、小百合は苦しそうな表情を浮かべて拒否した。
「なんでできないの? 達也さんに調べてほしいんでしょ?」
そしてそんな彼女に対し、エリが子供らしい純粋な声でそう尋ねてきた。
それに答えたのは、訊かれた小百合ではなく隣にいたミルクだった。
「それはねエリちゃん、本社と第三課との派閥争いがあるからよ」
「派閥争い?」
「そう。達也のいる開発第三課は、今やF・L・Tの主力とも言える大活躍でしょ? 第三課ばかり名を上げて、本社の立場が弱くなっちゃうのが我慢ならないのよ」
「それに本社で研究してもらった方が、いざ達也が成果を上げたときに横取りできるでしょ? 第三課の人達ってみーんな達也の大ファンだから、そういう裏工作もできなくなっちゃうもんね」
にこにこと笑いながらエリに説明を入れるミルココに、小百合は冷や汗を流して居心地悪そうにそわそわしていた。その態度が、彼女達の言葉が図星であることを何よりも物語っている。
「それとも、そのサンプルをお預かりしておきましょうか?」
「――結構です! あなたに頼ろうとしたのが間違いだったようね!」
達也の言葉に癇癪を起こした小百合は、瓊勾玉の入った宝石箱を鞄にしまうとその場で立ち上がった。
「おや、お帰りになるんですか? もうすぐ夕飯が出来ますので、良かったら一緒に食事を――」
「結構です! そこまでお世話になるわけにはいきませんので!」
「それならば、せめて駅まで送りますよ。貴重品を持っているんですから」
「結構です! 失礼します!」
乱暴に言葉を吐き捨ててそのまま玄関を飛び出していった小百合に、厚志は機嫌を害した様子も無くぽりぽりと頭を掻いていた。
「厚志さん、申し訳ありませんでした。義理とはいえ、母が失礼なことを」
サラダを持って居間に入ってきた深雪の謝罪に、厚志は気にしていないと主張するように首を小さく横に振った。
「さてと……、どうしますか?」
ミルクが厚志にそう尋ねると、彼は少しの間考える素振りを見せ、
「まぁ、見て見ぬ振りはできないよね」
基本的にお人好しの面が強い厚志は、にかっと白い歯を見せて笑みを浮かべた。
* * *
――やってしまった……。
自動運転のコミューターの中で、小百合は後悔と自責の念に駆られていた。管理部門に移ってから衝突事は日常茶飯事のはずなのに、達也を前にすると平静を保てなくなってしまう。
それは彼が憎きあの女性の息子であり、技術者として自分よりも遥かに高みにいる才能と実績、そして全てを見透かそうとしているかのようなあの視線が原因だった。最後に関しては自分達が彼を道具としか見ていないという感情が作り出した鏡像なのだが、さすがに彼女もそこまでは気づいていない。
とはいえ、自分が癇癪を起こしたせいで彼の協力を得るのが難しくなってしまった、ということは彼女には分かっていた。だからこそ彼女はこうして落ち込んでいるのであり、彼女は大きな溜息を吐いて窓の外へと視線を向けた。
と、そのとき、まだそれほど遅い時間でもないのに、周りに車の姿がまったく無いことに気がついた。コミューターのパネルに交通情報を映し出してみると、故障車を避けるために迂回路を通っている旨が知らされ、小百合はほっとしたように座席に深く座り直した。
すると今度は、背後から管制下に無い自走車が接近していることを知らせるアラームが鳴り響いた。しかし小百合は、この時代にもドライブを趣味とする人が少なからず存在しており、そういう人物は自分の車に交通管制システムの干渉を拒否する改造を施していることも珍しくないことを知っていた。
よって今回もその類だろうと思い、彼女は耳障りなアラームの音を切った。少し経って、黒いワゴンタイプの車が後ろから小百合の乗るコミューターを追い越していく。
そしてその車は突如ドリフトをして反転すると、コミューターの行く手を遮るように割り込んできた。コミューターの衝突回避システムが作動し、減速しながら街路樹へと突っ込んでいく。もちろんエアバッグが作動しているので、乗っている小百合に怪我はまったくない。
しかしその車から男が2人降りてきてこちらに向かってきているという状況に、小百合はそれどころではなかった。1人の手に銃が握られているのを見てしまえば尚更である。
「さっさと降りろ。抵抗すれば――」
「君達。ちょっと良いかな?」
突然背後から声を掛けられ(しかも声の出所から考えてかなりの至近距離)、男達は驚愕の表情を浮かべて振り返った。
そこにいたのは、2メートルという尋常でなく大柄な体躯に、人間はここまで鍛えられるのかと男ならば思わず惚れ惚れとするような筋肉、さらにそれを魅せるために黒々と日に焼けた肌、それとは相反した真っ白な歯、そして綺麗に揃えられた角刈りの頭をした大男だった。
そしてそんな筋骨隆々の大男が着ているのは、女児アニメでよく見る“魔法少女”が着るようなデザインの格好だった。服が体に合っていないのか、少女が好きそうな可愛らしい服は筋肉に押し上げられて今にも破けそうだし、スカートは短すぎてもはや常時パンチラ状態といっても過言ではなかった。
つまり、
「うわああああああああ! 変態だああああああああ!」
銃を持った1人が叫び声をあげながら、防衛本能で反射的に彼へ向けて銃を放った。銃口が触れるほどの至近距離で眉間を狙い、撃った本人すら反応できないほどの早業で発砲したのだ。その大男が避けられるはずがない。
確かに、その男はその銃弾を避けることはできなかった。
というより、避ける必要が無かった。
なぜなら銃弾は彼の眉間に当たる直前、複雑な魔法陣の刻まれた半透明のシールドに阻まれて彼に届かなかったからである。しかも銃弾はそのまま跳ね返り、発砲した男の頬を掠めて明後日の方へ飛んでいった。
「――――へっ?」
「ダブル・バイセップス!」
何が起こったのか分からず素っ頓狂な声をあげる男に、その大男――高田厚志は胸を大きく反らしながら腕を肩の高さまで上げて肘を上に曲げる、ボディービルの中でも有名で基本的なポージングである“ダブル・バイセップス”を行った。すると厚志の体からレーザー光線のような光が飛び出し、それに包まれた2人の男は糸の切れた人形のように気を失ってその場に崩れ落ちた。
「大丈夫ですか、小百合さん?」
「ひいいいいいいいい! 変態いいいいいいい――って……、ああ、厚志さんだったのね」
厚志の姿をうっかり至近距離で見てしまった小百合は叫び声をあげていたが、すぐにそれが知り合いであることに気づいて静かになった。彼の姿には思いっきり引いたままだったが。
「小百合さん、体の調子はどうですか?」
「え? え、ええ、大丈夫、だと思うわ……」
「そうですか。念の為に、後で精密検査をしておいた方が――」
『厚志さん!』
その声は、通話状態のままポケットに忍ばせていた携帯端末から飛ばした音声が、厚志の右耳に装着されたイヤホンを通じて聞こえてきたものだった。声の主はココアであり、その声は非常に切迫したものだ。
そしてそれと同時に、厚志は自身の背後から針で刺すような鋭い殺気を感じた。
そして次の瞬間、厚志達のいた場所で爆発が巻き起こった。
周辺の家屋にはぎりぎり届かなかったが、近くにあった街路樹は爆発の炎をもろに受けてごうごうと燃えさかっていた。炎がまるで生き物のように木々を呑み込み、真っ赤な光と真っ黒な煙を吐き出している。
そして爆発のすぐ傍にいた厚志と、小百合の乗っていたコミューターは、まるで無傷だった。
厚志はコミューターの傍で、上半身を90度捻り、片方の手でもう片方の手首を握りながら全身に力を込めて筋肉を盛り上がらせていた。胸の厚みや腕・脚の太さを強調する“サイド・チェスト”と呼ばれるボディービルのポージングである。
しかしプリティ☆ベルになった厚志がそれをやると、先程銃弾を防いだときに見せたシールドが彼の周辺を取り囲み、オートガードよりも数段優れた防御力を発揮するようになる。その範囲はある程度調節可能で、今は小百合の乗っているコミューターごとシールドで覆ったことで、爆発に巻き込まれることもなく今でも健在なのである。
「ミルココ」
『そこから1キロ南に向かった所にあるビルの屋上。銃弾に魔法が仕込まれていました』
「――見つけた、あそこだ」
その瞬間、厚志はまるでミサイルのような速度で空を飛び、ミルクの指示通りの場所にあったビルへと下り立った。そこにはコートを頭からすっぽりと被りゴーグルをつけた男がおり、厚志のことをゴーグル越しでも分かるほどに呆然とした表情で見つめていた。そして彼の近くには狙撃ライフルが転がっており、どう考えてもこの男が先程の狙撃犯で間違いないだろう。
「君、訊きたいことがあるからちょっと来て――」
厚志が男に笑顔でそう呼び掛けた次の瞬間、男はにやりと笑みを浮かべて自身の首に手を遣った。そこには銀色に光る首輪が装着されており、ピピピ、と微かに電子音が鳴っていた。
「――――!」
その瞬間厚志の顔から笑みが消え、即座に男に走り寄って胸倉を掴み挙げると、そのまま男を空高く放り投げた。数十キロはあるであろうその男は、まるで野球ボールか何かのように軽々と上空へと飛んでいった。
そして数秒後、空のど真ん中で激しい爆発が起こった。それはちょうど男が飛んでいった方向で、打ち上げ花火のように地上を明るく照らし、そしてすぐに消えていった。
『厚志さん。大丈夫でしたか?』
「ああ、私は大丈夫だよ。狙撃犯は死なせてしまったけどね」
『そうですか。小百合さんを襲った2人も、先程魔法で車に放り込まれてそのまま逃走しました。こっちは幾らでも追う手段があるので平気ですが』
「そうか、分かったよ。私は小百合さんを駅まで送ってから帰るから」
ミルクが『分かりました』と言ったところで会話は終わった。しかし通話状態はそのまま続けている。
――狙いは間違いなく、レリックだろうね……。
厚志は真剣な表情を浮かべて、狙撃犯が散っていった空をぼんやりと眺めた。
ひらひらと、可愛らしいスカートを靡かせながら。
* * *
「あ、お帰り、厚志さん」
「お帰りなさい、厚志さん」
厚志が家に戻ってきたとき、ちょうど全員が居間に集まって夕飯を摂っている最中だった。その中には司波兄妹の姿もあり、達也の食事を甲斐甲斐しく世話する深雪の姿が見られるが、皆とっくに慣れたことなので無視している。
「ただいま。駅まで行ったついでに、ケーキ屋に寄ってきたよ」
「おおっ! ありがとうございます、厚志さん!」
厚志が白い紙製の箱を見せると、司波兄妹以外の面々が目の色を変えて一斉に集まった。彼からひったくるように箱を手にすると、蓋を開けてどれを自分の取り分とするか熱い議論が始まった。
そんな彼女達の声を聞きながら、達也が厚志の傍に歩み寄る。
「ありがとうございました、厚志さん。こちらの問題なのに、俺の代わりに出向いてもらって」
「構わないさ、達也くんの魔法がカメラに残るのは色々まずいからね。その点、私ならそんな心配も無い」
記録映像に残るとまずい秘密を多く抱える達也にとって、街路カメラの前で魔法を使うことは避けたいことだった。しかし厚志ならば、プリティ☆ベルとして戦うときは周りの空間が時空の歪みを起こすため、記録映像として残らないという利点がある。
「それにしても、随分と思い切りの良い相手でしたね。まさか街中でライフルを使うとは」
「ああ。しかも1キロの狙撃を魔法無しで成功させている。なかなかの手練れだよ」
「先程、風間少佐から連絡がありました。例の車が見つかったそうです。あれだけのスナイパーを調達できる組織はそうそう無いでしょうし、案外早く敵の正体が分かるかもしれませんね」
達也も厚志も、基本的には“平和主義”だ。争い事なんて無い方が良いと思っているし、何事も無く暮らせるならばそれに越したことはない。
しかしけっして勘違いしてはいけないのは、たとえ自分達の平和を脅かす存在がいたとしても極力争い事を避けるようにする、という意味ではない。もしもそいつらの首を刎ねることで自分達の平和が約束されるのならば、彼らは何の躊躇いも無く即座に首を刎ねるだろう。
「それで、お土産はケーキだけですか?」
「ああ。達也くんには、特別にもう1つあるよ」
厚志はそう言って、ポケットから宝石箱を取り出して達也に渡した。中を確認すると、先程小百合が持ってきたレリックが入っている。
「やはり、押しつけられましたか」
「あんな目に遭えば仕方ないと思うけどね。――本当に、魔法式を保存する機能があるのかな?」
「どうでしょうね。ですが、正直なところ興味はありますね」
魔法式を保存するということは、魔法の効果を保存するということを意味する。数百度からマイナス数十度まで温度を一定に保ち続けることもできるし、擬似的な永久機関を作り出すことも可能だろう。
「魔法式を保存するだけでは魔法師の代わりは務まりませんが、魔法を機械的に発動させるためには必要不可欠です。勾玉の複製なんてものには興味無いですが、もし本当にそんな機能があるのならば、ぜひともそれを解き明かしてみたい。――そしてそれが、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実現にも繋がります」
瞳の奥にふつふつと闘志を漲らせる達也に、厚志はフッと笑みを漏らした。
そしてそんな会話を交わす2人の後ろで、
「ちょっとミルク! 私がいつもチョコレートケーキを選んでいるのを知ってるでしょう!」
「ジャンケンで負けた深雪が悪いんじゃーん。敗者は常に勝者から何もかも奪われる運命にあるのだよ」
高校生とは思えないほどに子供っぽい負けず嫌いを見せる優等生と、そろそろアラフォーが視界に入ってくるのに未だに子供っぽい堕天使が、デザートのケーキを巡って激しく言い争っていた。