今日は論文の原稿とプレゼン用データの提出日である。とはいえ、代表の3人はギリギリまで原稿をチェックする主義ではなく、提出用データは昨日の内にすでに仕上げている。遙のアドバイス通り原稿は物理メディアに記録しており、昼休みに3人で集まって最後の点検をすると、メインである鈴音が代表して廿楽の所へと持って行った。
それを終えた達也が教室に戻ると、彼の席にはエリカが座っていた。彼が戻ってきたことに気づいたエリカはすぐさま立ち上がるが、そのまま達也のテーブルの隅に腰掛けるのを見て、彼は何か言いたげに口を歪め、結局何も言わなかった。
「達也くん、美月ちゃんが話したいことがあるって」
「美月が? どうした?」
達也が隣の席の美月へと視線を向けると、確かに彼女は不安そうな表情をしていた。というより、何かを怖がっているように見える。
「えっと……、視線を感じるんです」
「視線?」
「そう……。今朝からずっと、何だか物陰からこっちを見ているような気味の悪い感じで……」
「ストーカーの類か?」
「そんな! 私をストーカーする人なんて! ――何て言うか、個人の誰かを狙ってるっていうよりも、もっと大きな網を構えているような……」
美月の言葉に、達也の目がスッと細められた。
「すみません、私の勘違いかもしれないけど……」
「いや、勘違いじゃないよ。今朝から校内の精霊が不自然に騒いでいる。多分誰かが式を打っているんだろう」
自信なさげな美月をフォローするように現れた幹比古に、今まで黙っていたレオが口を開く。
「シキっていうのは、式神とかいうスピリチュアル・ビーイングか?」
「そう。僕達とは術式が違うから詳しいことは分からないけど、誰かが探りを入れてることは間違いない」
「でもそれって、珍しくないんじゃないの? 魔法科高校なんて、スパイにとっちゃ格好の標的だろうし」
「確かにそうだけど、普通なら外壁の防御魔法に阻まれたらその日は諦めるような輩ばかりだ。何度撃退されてもしつこく攻めてくるほど執拗なのは、少なくとも僕が入学してからは初めてだよ」
エリカの言葉をやんわりと、しかしはっきりと否定した幹比古に、達也が尋ねる。
「幹比古、自分達と違う術式と言ったな? それは“神道系とは違う”という意味か? それとも“日本の古式魔法とは違う”という意味か?」
達也のその問い掛けに、幹比古は表情を引き締めて答えた。
「……日本の術式じゃない、と思う」
「つまりそれって、外国のスパイってことか?」
目を丸くして驚くレオの隣で、エリカは溜息混じりで憤りを顕わにする。
「そういうことでしょうね。――まったく、“警察”は何をしてるのかしら?」
* * *
その頃、横浜の山手の丘中腹辺り。
「――はっくしょい!」
「大丈夫ですか、警部? この忙しいときに、仮病に罹らないでくださいね」
「……稲垣くん、君は少し階級秩序というものを意識した方が良いと思う」
おまえがそれを言うか、という表情をする部下を放っておいて、千葉寿和は横浜の山手の丘を歩いていく。
「それで警部、このまま聞き込みを続けますか? これ以上粘っても目撃者は出てこないと思うんですが」
「分かっているさ。だからこうして、ここにやって来たんじゃないか」
千葉が指差す先には、山小屋風のデザインをした落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。全開になっている観音開きの鎧戸から、芳醇なコーヒーの香りが漂ってくるのが分かる。
「……警部、いくら成果が無いからってサボりは無いでしょう」
「別にサボろうとしてるわけじゃないからね! こういうときは蛇の道は蛇よろしく、“蛇の巣穴”に潜り込んでみるのが一番なのさ」
「……ということは、ここはもしかして――」
「いや、別にここのマスターは犯罪歴とかは無いよ。ただ普通の人より“情報網”が広いだけで」
「……我々に尻尾を掴ませないほどの大物、ということですか?」
「大物と言うより、職人だけどね」
千葉は呑気にそう言って、“ロッテルバルト”と書かれた扉を開いて中へと入った。
ランチタイムは過ぎているが、結構客は入っていた。観光地が近くにあるからかとも思ったが、店内に賑わいは無く、静かにカップを傾ける年配者が多い。おそらく観光客よりも常連客の方が多いのだろう。
2人がカウンター席の端に座ると、千葉がブレンドを2つ注文した。
「警部、話を聞き出さなくて良いんですか?」
「まぁまぁ、そう焦らない。ここのマスターはどちらの仕事にも手を抜かない職人気質でね、ああしてコーヒーを淹れている間は何を訊いても答えちゃくれないよ」
と、そのとき、彼の2つ隣の席に女性が腰を下ろした。パッと見ではそれほど人の目を惹くほどの印象は無いが、よく見ると顔立ちは整っているしスタイルも良い。人目を惹かないためにわざと地味なメイクをしているのでは、と千葉は思わず勘ぐってしまった。
あまりジロジロ見るものではない、と千葉は視線を正面に戻して、コーヒーを淹れているマスターの様子をじっと眺めていた。
ふいに、くすくす、と隣で笑い声が聞こえた。視線を向けると、例の女性が肩を震わせて口元に手を当てている。
「ごめんなさい。いつ話し掛けてくるか待っていたのに、ずっと前を向いたままなんですもの。女性は苦手ですか? ――千葉の御曹司」
「――――!」
彼女の言葉に、千葉の目がほんの僅かに見開かれた。千葉一門の総領であることは別段秘匿していることではないが、名前も顔も弟の方が売れていることを考えると、一目見て千葉寿和だと分かるのは犯罪者と警察関係者以外では実戦魔法に生きる者に限られる。
そして彼女の次の一言が、彼をますます驚かせる。
「初めまして、千葉寿和警部。私は藤林響子と申します」
「まさか、藤林家の……」
息を呑む千葉と同じく、隣に座る稲垣もその意味を理解していた。
古式魔法の名門、藤林家。
そして現在の藤林家の令嬢は、十師族にして日本魔法界の長老、世界最強の魔法師に数えられる“九島烈”の孫娘である。
* * *
達也が代表に選ばれてからというもの、9人で一緒に帰る機会はめっきり減っていた。校門を潜って学校前の商店街を歩くその集団は、久し振りに中心人物が顔を出したことで浮き足立っているように見える。
「それで達也さん、論文コンペの準備はもう終わったんですか?」
「一段落、といったところかな。リハーサルとか模型作りとかデモ用術式の調整とか、細々としたものはまだ残ってるけど」
「そういえば、美月のところで模型作りを手伝ってるんだっけ?」
「うん。中心となってるのは2年の先輩だから、私は何もしてないけど……」
「模型作りは五十里先輩に任せっきりだからな。自然とそうなるんだろう」
「ん? じゃあ、達也は何してるんだ?」
「俺はデモ用術式の調整だ」
「普通、逆じゃない?」
「そうか? 物作りに関しては俺よりも五十里先輩の方が数段上だと思うが――」
「まぁ確かに、五十里先輩は“魔法使い”っていうより“錬金術師”のイメージだよねぇ」
「何々? RPGの話?」
エリカの発言に真っ先に反応したのは、この中では一番ゲームをしているであろうエリだった。
「五十里先輩が錬金術師なら、達也くんは何になるかな?」
「そりゃ、マッドサイエンティストでしょ」
「それはちょっと、世界観が違わない?」
「それじゃ、山奥で秘術を伝授してくれる賢者とか?」
「賢者っつーには、武闘派な気がするけどな」
「じゃあいっそのこと、世界征服を企む悪の魔法使いとか!」
「それならいっそ、魔王とかで良いんじゃないかな?」
「達也くらいになれば、主人公と一緒に魔王を倒した後に『実は俺が真の魔王だったのだー!』って立ち塞がる真の黒幕くらいは普通にやりそうだよな」
言いたい放題な友人達を前に、達也はさすがに顔をしかめて頭に手を遣っていた。
「おまえ達の中で、俺はどんなイメージなんだ……」
「もしかして達也さん、正義の味方に憧れてたりするの?」
エリが首をかしげて尋ねると、達也は少しだけ考える素振りを見せて、
「……いや、考えてみれば、俺は正義の味方なんて柄じゃなかったな」
「いいえ、お兄様! 力こそが正義です! お兄様の歩いた大地に、正義の道ができるのです!」
「うわ、さすが魔王様の妹」
「とりあえず深雪さんは、魔王のために自ら進んで命を投げ出す側近役だね。かなり狂気に満ちた感じの」
「――ちょっと2人共!」
エリカとエリを追い掛ける深雪に、皆が笑い声をあげた。達也も会話の内容はともかく、この時間を皆と過ごすこと自体は楽しんでいた。
「…………」
だからこそ、その時間を邪魔する無粋な輩が気になって仕方がなかった。
「エリ、気づいているか?」
「へ? 何を?」
達也が周りに聞こえないように小声でエリに話し掛けると、彼女は首をかしげて疑問符を浮かべた。エリが気づいていないということは、この前の平河千秋とは違う“プロ”の人間だということを意味する。
――ミルココからの連絡は無い。危険は無いと判断したか、まだ泳がせているだけか……。
どちらにしろ、このまま尾行をされ続けるというのは宜しくない。
「みんな、ちょっとここに寄ってかないか?」
そう言って達也が指差したのは、喫茶店“アイネブリーゼ”だった。
「さんせーい!」
「達也はまた明日から忙しくなりそうだしな」
「そうだね。少しお茶でも飲んでいこうか」
エリカとレオと幹比古が真っ先に賛同し、それに釣られるように他の面々も賛同を示した。
中に入った彼らは、いつも使っている4人掛け席二続きが空いていなかったために、カウンターとテーブルに分かれて座ることになった。エリ・達也・深雪・美月・ほのかの順でカウンター、残りのエリカ・レオ・幹比古・雫の4人がテーブル席である。つまり、このまま見れば達也は女の子4人を侍らせているモテ男ということになる。
「やぁ、いらっしゃい達也くん。相変わらずモテモテだね」
すっかり顔なじみとなったマスターからのからかいに、達也は苦笑いを浮かべて返した。
9人中8人がコーヒー、残りの1人がココアを注文すると、達也たちは会話を再開した。その内容はもちろん、達也が代表に選ばれた論文コンペについてである。
「へぇ、達也くんが代表に選ばれたのか。凄いじゃないか」
コーヒーとココアを運んできたマスターが、そのまま会話に加わった。
「今年は確か横浜だったかな? 会場がいつも通り国際会議場なら、その近くに僕の実家があるんだよ。実家も喫茶店をやっててね、山手の丘の中程にある“ロッテルバルト”って店なんだが」
「実家も喫茶店なんですか」
「時間があったら寄ってみてよ。親父と僕のコーヒーどっちが美味いか、忌憚のない意見を聞かせてくれると嬉しいな」
「おおっ! マスター、商売上手!」
エリの言葉(からかいの意図は無く、ただ純粋に感心していた)に、カウンターとテーブル席から笑い声が起こった。
そうやって会話も進み、達也のコーヒーが残り3分の1にまで減ったとき、エリカがくいっとコーヒーを一気飲みしてカップをソーサーに置いた。少しも音をたてていないところに、彼女の育ちの良さが滲み出ている。
そして彼女は、スッと立ち上がった。
「どうしたの、エリカちゃん?」
「ちょっとお花を摘みに」
彼女が店の奥に消えたのとほぼ同時、今度はレオがポケットに手を入れたまま立ち上がった。
「わりぃ、電話だ」
そのまま店の入口へと消えていくレオの背中を見送って、達也は幹比古の手元に注目した。メモ帳というより小さめのスケッチブックを広げて、何やら幾何学的な模様を描いている。
「幹比古、何してるんだ?」
「ん? いや、忘れない内にメモしておこうと思ってね」
「そうか。――あまりやり過ぎるなよ」
苦笑いを浮かべる幹比古を尻目に、達也は何事も無かったかのようにコーヒーを口につけた。
喫茶店から数軒挟んだ所にあるその小道は、昼間でも人通りがほとんど無い。その小道に、テイクアウトの飲み物を片手に建物の壁に身を預けるように立つ1人の男がいた。彼の視線は、その喫茶店の入口で固定されている。
と、そのとき、
「おじさん、あたしとイイコトしない?」
後ろから突然声を掛けられ、男は思わず飲み物を落としそうになるのを寸前で堪え、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこにいたのは、先程店に入った高校生グループの中にいた、“美少女”と呼ぶことに何の躊躇いも必要ないポニーテールの少女だった。男は即座に脳内の記憶にアクセスし、彼女が周囲の友人にエリカと呼ばれていたことを思い出す。
入口から出た形跡は無いから店の裏口から回り込んだのか、と男は思いながら口を開いた。
「大人をからかうもんじゃない。今日はもう帰りなさい。こんな人通りの少ない場所にいたら、通り魔に襲われてしまうぞ?」
「通り魔ってのは、例えば俺みたいな奴のことか?」
背後から聞こえてきた少年の声に、男はバッと後ろを振り返った。
そこにいたのは、エリカと同じくあのグループの中にいた少年(名前は確かレオだ)だった。彼は闘志を顕わにした獰猛な笑みを浮かべて、黒い手袋を嵌めた拳を掌に打ちつけている。
じゃきんっ、と背後で音がしたので男が振り返ってみると、エリカの右手には伸縮警棒が握られていた。
その瞬間、男は「助けてくれ! 強盗だ!」と叫びながらその場から逃げ出そうとした。大の男にしては随分と情けない行動だったが、レオもエリカも戦闘態勢を崩す様子は無い。
「無駄よ。ここら辺には結界が張ってあるから、誰もここには近づけないし声も届かない。あたし達の“認識”を要にして作り上げてるから、あたし達を気絶させない限りここから脱出できないよ」
「――ちっ」
男が舌打ちをしたその瞬間、男はエリカとの距離を一気に詰めて拳を鋭く突き出した。普通の人間だったら反応することすらままならない攻撃を、エリカはスッと体を僅かに移動させることで難なく避けた。
そしてその隙に、レオが背後から彼に襲い掛かる。男は即座に反応して振り返ると、彼の拳を片腕だけで受け止めた。互いの袖口が高速で擦れ、摩擦熱で一時的に高温となる。
「……あまり怪我をさせたくなかったのだが、仕方がない」
男はそう呟くと空いていた左手を握りしめてレオに向けた。レオは咄嗟に腕でガードをするも、そこからは男による一方的なラッシュとなった。1秒間に何発も繰り出される拳に、レオは反撃もままならずガードするに留まっている。
やがてそのガードも度重なる攻撃で緩くなり、とうとうガードを突き抜けた男の拳がレオの顔面を捉えた。ぱぁん! とまるでゴム風船でも破裂したかのような音を響かせて、レオの体が後ろに吹っ飛んで建物の壁に激突した。
「レオ!」
思わず名前を叫ぶエリカに、男は振り向きざまにダガーナイフを投げつけていた。遠心力を利用した高速のナイフが、まっすぐエリカへと突っ込んでくる。
しかしそれは、エリカが内側から外側へ払った警棒によって阻まれた。男が僅かに驚いたような表情を浮かべる。
すると、
「おらぁっ!」
先程吹っ飛ばしたはずのレオが、男にショルダータックルをお見舞いした。背中にもろに食らった男は、その勢いのまま顔面を地面に激突させる。痛みで顔をしかめる男だったが、不利な状況と判断したのか即座にその場から逃走しようと体を僅かに起こした。
そして次の瞬間、レオの蹴りが男の腹部に深々と突き刺さった。目や鼻や口から液体を垂れ流すほどの衝撃を受けた男は、そのまま地面に蹲って激しく咳き込んでいる。
「……おー、いってぇ。こいつ、ただの人間じゃねぇな? 機械仕掛けってわけでもなさそうだし、ケミカル強化ってところか」
「いや、そういうあんたこそ、あんな攻撃受けといてなんでピンピンしてるのよ」
「俺のじいちゃんは“実験体”だったからな。俺も4分の1はそれを受け継いでるってことさ」
エリカとレオがそんな軽口を叩いていると、男が咳き込みながらも立ち上がった。
「……まったく、降参だ。そもそも私は君達の敵ではないのに、こんな所で死んでは割に合わん」
「よく言うぜ。あんたの攻撃、俺とこいつじゃなかったら死んでるぜ」
「それはお互い様だ。私じゃなかったら、あの蹴りで内臓が破裂しているぞ」
「そりゃ、強化されてるって思っててやったからな」
一切悪びれる様子の無いレオに、男は深い溜息をついた。
「んで、俺達の敵じゃないっていうなら、あんたは何者なんだよ」
「……私の名前は、ジロー・マーシャル。いかなる国の政府機関にも所属していないし、先程も言った通り君達と敵対するつもりもない」
「何の目的で、あたし達を尾行していたの?」
「…………」
「おい、まさかこの状況でだんまりを決め込むつもりじゃねぇだろうな?」
「……分かった。機密情報に抵触しない範囲で話そう。――私の仕事は“或る人物”とその周辺を監視して、万が一そいつが戦闘準備に入った場合は依頼主に報告、場合によっては対処することだ」
「或る人物? それって、達也くんのこと?」
エリカの質問に、ジローは答えなかった。知らない振りをするというよりも、それを伝えても良いか迷っているといった感じだった。
「おい、自分が今どういう状況か分かんねぇのか? もう一度蹴り飛ばしても良いんだぜ?」
「……良いだろう、教えてやる。――美咲エリだ」
「――――!」
ジローの口から飛び出した思いも寄らない名前に、エリカとレオは揃って目を丸くした。
「……おい、テキトーなこと言ってんじゃねぇぞ! エリちゃんがそんなわけねぇだろ!」
「確かに信じられない話だろう。何せ彼女は、まだ中学生になるかどうかという年齢なんだからな。しかし現実として、美咲エリには世界をひっくり返すほどの“力”がある。そして、その力をどうにかして利用したいと考えている連中も大勢いる。私の任務には、そういう奴らへの対処も含まれている」
「おい、てめぇ。嘘をつくにしてももっとマシな――」
「レオ、多分本当よ」
今にも掴み掛かりそうな雰囲気のレオに対し、エリカは冷静な声で彼の肩を掴んで止めた。レオが反論しようと彼女へと顔を向けたが、彼女があまりにも真剣な表情を浮かべていたせいでレオの勢いも萎んでいった。
おそらく彼女は現在、4月の新歓のときに剣術部の生徒を止めるときにエリが見せた金色の剣を思い浮かべていることだろう。いや、それだけではない。九校戦のときにはダッチが亜空間なる場所に潜り込む能力を持っていることが判明したし、それ以外にも彼女達は時々不可解な行動を取っているように思える。
思い返してみれば、自分は彼女達とそれなりに長い付き合いをしている自負はあるが、彼女達のことについて実は何一つ分かっていない。彼らが何者なのか、どういう集まりなのか、そして自分達の裏で何をしているのか。
「……仮にてめぇの言ってることが本当だとして、なんでおまえの依頼主はそんなことをしてるんだ? 少なくとも、この国の関係者じゃないんだろ?」
「……やはり、君達には分からないか。世界の軍事バランスは、一国だけの問題ではない。ほんの些細なミスによって、世界を大混乱に陥れる可能性だって充分にあるんだ。もし彼女達が何らかの組織に属していた場合は、あるいはここまで気を揉まなくても良かったのかもしれないが、奴らは必要最低限の規模でしかないグループだ。決断から実行までの期間が恐ろしく短い以上、僅かな情報の遅れが即命取りになる可能性だってある」
「……たとえエリちゃんが強大な力を持っていたとして、それだけで世界がどうにかなるもんじゃねぇだろ。たかが“個人”じゃねぇか」
「……“個人”、ねぇ」
含みのある笑みを浮かべてジローはそう呟くと、右腕をスッとエリカへと向けた。掌に隠れるほどに小さな拳銃が、まっすぐ彼女へと向けられている。
「君達は納得できないだろうが、私にとってはこれでも話しすぎた方だ。そういうわけで、そろそろ帰してもらおうか」
「てめぇ……」
「おっと、動かないでくれよ。それとも、君達の魔法構築スピードは私が引き金を引くよりも早いのかね?」
「――ミキ」
エリカが周りに呼び掛けるように呟いた瞬間、彼らを取り巻く空間が僅かに揺れた。幹比古が張っていた結界が解かれたのだろう。
「最後に1つ、君達に助言をしておこう。私以外にも、彼女達を監視している輩は大勢いる。彼女らの力を利用しようとする輩と同じくらいにね。君達が彼女達と付き合っている限り、君達の身の安全は保障されないものと考えてくれたまえ」
ジローは最後にそう言い残して、ジャケットの裏から取り出した缶のようなものを投げつけた。
レオとエリカが後ろへ跳び退いたのと同時、軽い爆発音を起こして缶から白い煙が吹き出した。毒を警戒して口や鼻を押さえていた2人がそれを解いたときには、ジローの姿はすでにどこかへと消え失せていた。
* * *
横浜・山手の喫茶店“ロッテルバルト”では、藤林と千葉が仲良くお喋りに興じていた。彼女の話術は巧みで知識も豊富なため、千葉も彼女との会話を心の底から楽しんでいた。どれくらいかというと、マスターから事件について話を切り出してもいないことを全然気にしていない程度には。
と、そのとき、藤林のハンドバッグから着信音が聞こえてきた。携帯端末を取り出して画面のメッセージを目で追った彼女は、すぐさまそれをバッグにしまうと千葉に向けてにこりと笑みを浮かべた。地味目のメイク程度では隠しきれない顔立ちの良さに、年甲斐も無く千葉の心拍数が跳ね上がる。
「すみません、警部さん。少し席を外させていただきますね」
「はいはい、どうぞご遠慮なくー」
申し訳なさそうな表情で店を出ていく藤林に、千葉はご機嫌なのを隠す様子も無くひらひらと手を振った。
「…………」
そんな上司の姿を、稲垣は呆れ果てた表情で眺めていた。
現代の車には、ハンドルが無いものも珍しくない。パームレスト型のコントローラーで操作するタイプの車では、運転席前のダッシュボードがすべてコンソールパネルに取って代わられている。
カスタム次第では家庭用の情報端末レベルの機能と使い勝手をそのまま持ち込むことも可能だが、藤林の愛車はさらにそこから数段飛ばしで高性能の情報端末機能がこれでもかと詰め込まれていた。そこに藤林の“魔法技能”が加われば、もはや“電子戦車”と呼んでも差し支えない電子戦能力を発揮することができる。
「『達也くん』のお友達、『吉田幹比古』……。吉田家の元・神童が一皮剥けたみたいだけど、もうちょっと街中ってことに気を配ってほしいところね」
傍目には独り言に聞こえる藤林の台詞だが、明確な意図をもって呟かれた言葉は独り言とはいえないだろう。名前は実体の象徴であり、実体を特定する鍵となる。自分と精神的に近しい人間を基点として固有名詞・状態・行動を口にすることで、魔法を行使する対象に焦点を合わせていく。
「古式魔法とはいえ、監視システムの記録には残るのよ」
古式魔法はあくまでも“術者の特定が現代魔法よりも難しい”というだけで、システムの記録としては魔法の痕跡はしっかりと残る。こうやってわざわざ藤林が記録の改竄に乗り出さなければ、いずれあの場所で魔法が使われたことがばれてしまう。
「そうなっちゃったら、達也くんの周りに不必要な注目が集まっちゃうでしょ。“本命”が警戒しすぎて達也くんに近づいてこなくなったら、こっちとしても困るのよ」
藤林のこの言葉に関しては、完全な独り言だった。彼女の発言を考慮すると、つまり彼女達は達也を餌に不穏分子を誘き出そうとしているということになる。
「達也くんを囮にしてるなんてばれたら、厚志さん達に怒られるかしら……? まぁ、達也くんなら“万が一”なんて起こらないでしょうけど」
胸に湧き上がる罪悪感と恐怖心をむりやり抑えつけながら、“電子の魔女”藤林響子は持ち前の希少スキルを発動した。
* * *
レオとエリカから逃げおおせたジロー・マーシャルは、周りの人間に見られるリスクを犯してまで競走馬に匹敵するスピードで疾走していた。普通の人間がどれだけ鍛えようと絶対に出せないスピードで走る彼に、追いつくことのできる人間なんているはずが――
「…………」
そのとき、ジローが突然立ち止まった。身の安全を確保したと判断したためではない。むしろその逆、自分にぴったりと貼りついてくる気配があったからだ。その正体をまだ確認していないが、彼はそれが自分と同じ“人間”であることを信じて疑わなかった。
相手が魔法師であれ強化人間であれ、自分を追い掛けてくる以上は敵だ。彼は基本的に1人で行動するタイプの工作員であり、予定外のバックアップが派遣されるときは同士討ちを恐れて事前に連絡が来るはずだ。
ジローは警戒レベルを最大にまで引き上げて、周囲に神経を集中させた。自分を尾行している人間が堂々と姿を見せているはずがなく、間違いなく物陰に隠れてこちらの様子を伺っているだろうと判断したためである。
だが、その予想は大きく外れた。
ふいに大きな気配を感じてジローが顔を上げると、彼の正面10メートル先に“その男”は立っていた。2メートルという尋常でなく大柄な体躯に、人間はここまで鍛えられるのかと男ならば思わず惚れ惚れとするような筋肉、さらにそれを魅せるために黒々と日に焼けた肌、それとは相反した真っ白な歯、そして綺麗に揃えられた角刈りの頭。
その人物はまさに、自分が監視の対象としていた人物の内の1人、高田厚志だった。事前の情報にあった魔法少女のスタイルではなく、タンクトップというごく普通の格好をしていた。
「君、ちょっと良いかな?」
満面の笑みをまったく崩すことなく、厚志はジローにそう呼び掛けると1歩足を踏み出した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は君達の敵では――」
「それはこちらが判断することだ。というわけで、君の話をゆっくり聞くために場所を変えようじゃないか」
その瞬間、厚志はジローの目の前に立っていた。一瞬たりとも目を離していなかったはずのジローでさえ、彼がどのタイミングで地面を蹴って近づいてきたのか分からなかった。
そしてジローがそれに気づく前に厚志は彼の体にその太い腕をがっしりと絡め、ジローが振り解こうと厚志の腕に触る前に2人の姿がその場から忽然と消え去った。
一連の光景を見届けていたのは、ことごとく破壊された街路カメラだけだった。