九校戦の代表チームが52人に対し、論文コンペの代表は僅かに3人。比べることすら馬鹿馬鹿しいほどに規模の差がある――と思いきや、校内ではいつにも増して大勢の生徒達が1ヶ所に集まって何やら作業をしていた。あちこちから叫び声があがるその光景は、普通の高校ならば文化祭を思わせるような賑わいである。
それもひとえに、論文コンペが九校戦と同じくらい重要な行事と見なされているためである。
理由は2つ。1つは、これが実質的に魔法科高校間での優劣を競う大会だからであり、九校戦で成績の振るわなかった高校は雪辱戦のつもりで臨むからである。そしてもう1つは、代表に選ばれなかった生徒でも直接関わることのできる機会に恵まれているからだろう。
論文の発表に“実演”が含まれている以上、張りぼてでは評価されない。魔法装置の設計、術式補助システムの製作、システムを制御するソフト、搭載するボディ、テスト要員と補助要員、安全確保のためのシールド精製要員と、その作業は多岐に渡る。
また製作作業だけでなく、それらプレゼン用の機材やデータ、さらにはプレゼンターを警備するために風紀委員や部活連の有志が駆り出されるし、少し関係が薄いところを挙げるならば、作業に携わる生徒達のために女性生徒有志による飲み物・お菓子の差し入れ部隊まで組織されている。そしてその部隊の中には、ロボット研究部が有する人型家事補助機械・3H(Humanoid Home Helper)まで導入されるという総力戦ぶりである。
しかし、賑わいの原因となっているのが彼らの声や作業の音だけかと言われると、必ずしもそうではなく――
「あ、いたいた! おーい、達也くーん! エリちゃーん!」
エリカが大きく手を振りながら、作業している生徒達の中心にいた達也とその傍にいたエリの下へと駆けていった。ちなみに彼女についてきたレオと幹比古は少し離れた所で他人の振りをしており、美月は顔を真っ赤にして「邪魔しちゃ駄目だよ……」と恥ずかしそうに注意していた。
彼女の性格をよく知っている達也は、作業の手を止めて苦笑いを浮かべていたし、エリは単純に友人の顔を見られて嬉しそうだった。しかし、必ずしも好意的な反応をする生徒ばかりではない。
「こぉらっ、千葉! おまえ、ちょっとは空気読めよ! 今達也が作ってんのは論文コンペのキモ、一番大事なところなんだからよう!」
「あ、さーやも見学?」
熱弁を奮っている男子生徒を無視して、エリカはその隣にいる紗耶香に話し掛けた。彼のこめかみに、くっきりと血管が刻まれる。
「おい千葉! 無視すんな、こら!」
「えーっと、どちら様ですか?」
「桐原だよ! おまえ、わざとだろ!」
「エリカは見学じゃなさそうだな、何か用か?」
桐原が本格的に怒る前に達也が話を切り出すと、エリカもそれを悟って「美月が美術部としてお手伝いに呼ばれたから、その付き添い」と簡潔に答えた。
「エリカ、こっちにいらっしゃい。面白いものが見られるわよ」
と、そのとき、達也たちの輪の中に入ってきた深雪の言葉に興味を惹かれたエリカは、そのまま彼女に腕を引っ張られる形でこの場を離れていった。そのとき、深雪は達也や桐原の方を向いて申し訳なさそうに頭を下げていた。
「……おまえの妹、本当にできた奴だよな」
「ええ、同感です」
腕を組んで真面目な表情で深雪を眺める桐原と達也に、紗耶香は思わず吹き出してしまった。
エリカが深雪に連れられた先にあったのは、台座と4本の腕で支えられた直径120センチほどの透明な球体だった。それを見たエリカの第一印象は「でっかい電球?」というものであり、すでに電球というものが一般家庭からほぼ姿を消して久しいために、たまたまそれを聞いていた美月にはその例えが伝わっていなかった。
「あれはプレゼン用の常温プラズマ発生装置よ」
「常温? 熱核融合ですよね?」
未だに深雪と話すときに丁寧語になる癖が抜けない幹比古の問い掛けに、深雪は自分の頭の中から記憶を引っ張り出して答える。
「熱核融合というのは反応の1つであって、超高温であることは必ずしも必要ではないみたい。……ごめんなさい。私も詳しいことはよく分からないから、後でお兄様に訊いてみる方が良いと思うわ」
「深雪が聞いても分かんないものが、私達に理解できるとは思えないけどなぁ」
エリカの呟きに、深雪は否定するように苦笑いで首を横に振っていた。ちなみにレオは、先程から興味津々といった感じで実験装置に釘付けになっていた。
と、そのとき、周りが途端に静寂に包まれた。多くの視線を集める中、五十里が鈴音に目で合図を送り、達也がモニターする据置型の大型CADへ鈴音がサイオンを注ぎ込む。身につけて携行する小型CADよりも遙かに高速な術式補助機能が発動し、行程が幾重にも積み重なった複雑な魔法式が発動した。
高速の水素ガスがプラズマ化し、分離した電子が発光ガラスに衝突して光を放つ。高い電圧を掛ければ簡単に引き起こせる現象も、魔法だとエネルギー供給無しに電子を分離して電気的引力に逆らって電子を外側に移動させるという操作を持続的に行う必要がある。
その光景を目の当たりにした生徒達は「やった!」とか「第一段階クリアだ!」などといった歓喜の声をあげていた。その声が大きかったおかげで、エリカの「やっぱ電球じゃん」という失礼な呟きが掻き消された。
「皆さん、お疲れ様でした。引き続き、よろしくお願いします」
達也の声に生徒達は応え、再び元の作業へと戻っていった。あくまでこれは数多くある装置の1つに過ぎず、残っている作業はまだまだたくさんあるのだ。
『達也』
とりあえず作業が一段落したことにホッと胸を撫で下ろしていた達也の耳に、ココアの声が聞こえてきた。達也の右耳にはワイヤレスのイヤホン(耳の穴に装着するタイプなので、傍目にはつけていることが分かりにくい)が嵌められており、そこから常時ミルココの声が聞こえるようになっている。
『達也から見て左後ろ、ちょうど人垣がある所に例の生徒がいるよ。達也に悪意を向けてるし、手に何か機械を持ってる』
「機械?」
自分の声は向こうに届かないことを知っていながら独り言を呟いた達也は、言われた通りの場所へ視線を向けた。彼が視線を向けた瞬間、人垣の内の1人が踵を返して逃走を図るのが見えた。
即座に達也もその人物を追って駆け出した。「どうした、達也!」と桐原・エリカがすぐさま彼の後を追い、1拍遅れてレオ・紗耶香がその後を追う。深雪は目を丸くして彼らを見送り、少し離れた所でそれを見ていたエリは右耳に手を遣りながら彼らから視線を逸らして別の方へと向いた。
「そこの女子生徒、止まれ!」
達也の鋭い声に、全速力で逃げていたその生徒が咄嗟に足を止めた。声に驚いて体を強張らせてしまったのか、逃げられないと悟って諦めたのかは分からないが、彼女の逃走劇は芝生の敷き詰められた中庭で幕を下ろし、その間にエリカ達が2人に追いついていた。
「1年G組、平河千秋だな。今ポケットに隠したデバイスを出してもらおうか」
「……何のことですか? 私にはさっぱり――」
「エリカ」
「オッケー。さて平河ちゃん、ボディチェックのお時間ですよー」
「……分かりましたよ。出せば良いんでしょ?」
ふてぶてしい態度を崩すこともなく、その女子生徒――千秋は、普通の人間には見覚えの無い携帯端末を取り出した。
しかしそれに見覚えのある人物が、達也以外にもう1人いた。
「無線式のパスワードブレーカー……」
憤りが籠もった声が、紗耶香の口から漏れた。そんな彼女に、桐原が心配そうな視線を向ける。
「目的は、論文コンペのデータか?」
「……だったら、どうするつもり?」
「外部に情報を漏らす可能性のあるおまえを、風紀委員権限で拘束する」
「――はっ。そうやって、また優越感に浸るつもり? 私のことを馬鹿にして」
鼻で笑ってそう吐き捨てた千秋の言葉に、達也だけでなく他の面々も首をかしげた。
「どうせあんたは、代表を自分から退いたお姉ちゃんのことも内心嘲笑ってるんでしょ! 自分からは何もしていなくても、向こうから勝手に代表の座を譲ってくれたことで優越感に浸ってるんでしょ!」
「……何を言っているんだ?」
「本当はあんた、普通に一科生になるだけの実力があるんでしょ! なのにわざと二科生で入学して、自分の方が上だと思ってる奴らのプライドを踏みにじるのが快感なんでしょ! 九校戦のときだって、技術スタッフとして自分が裏で牛耳ってるのはさぞ楽しかったでしょうね! モノリス・コードで一条家の御曹司を公衆の面前で倒したときなんて、小躍りしたくて仕方がなかったんじゃないの!」
「……あんた、さっきから聞いてれば――」
エリカが怒りを顕わにして千秋に詰め寄ろうとするのを、達也が腕を真横に伸ばして制した。
「そのことが、どうして論文コンペのデータ漏洩に繋がる?」
「別にデータが目的じゃなかったわ。プレゼン用のプログラムを書き換えて使えなくできれば、それで良かった」
「プレゼンを失敗させることが目的か?」
「まさか。どうせあんたなら、その程度のハプニングはカバーできちゃうんでしょ? でも本番直前でプログラムが駄目になったら、少しは慌てるんじゃないかしら? 何日も徹夜してダウンしちゃえば、いい気味だって思った。……私はただ、あんたの困った顔が見たかった」
今にも泣きそうな表情で声を絞り出す千秋の姿に、達也の後ろで話を聞いていた面々は、彼女の話を聞いていたときの“違和感”の正体に気づいた。
彼女の言葉は達也を責めているようでいて、その実彼を絶賛しているものだった。彼の実力を信じて疑わないからこそ、達也が実力を隠して他人のプライドを踏みにじっている、という考えが成立するのである。
おそらく彼女は、達也に憧れていたんだろう。そして自分の大好きな姉が達也に代表の座を譲ってしまったことで、裏切られたと感じてしまった。せっかくの名誉を手放さざるを得なかった姉の無念を自分の頭に作り上げ、それを達也にぶつけていたのである。
ただこの場合、本当に彼女は自分1人の意思でその“無念”を作り上げたのだろうか。
「……平河さん、あなたが持ってるそのデバイス、どこから調達したの?」
達也の隣に移動した紗耶香が、千秋に問い掛けた。
「……借りたものです」
「誰から?」
「……誰だって良いじゃないですか」
所在悪そうにあちこちに視線をさ迷わせる千秋に、紗耶香は溜息を吐いて口を開いた。
「平河さんだからこそ、教えるね。――あたしも、スパイの手先になったことがある」
「――――!」
紗耶香の言葉に、千秋はハッとなったように彼女へと顔を向けた。
「だからこそ忠告するわ。今すぐそいつらと縁を切りなさい。長引けば長引くほど、後で苦しむことになるわよ」
「……先輩には、関係の無いことです。放っておいてください」
「放っておけるわけないでしょう! あれから半年経ったけど、私は今でも体の震えが止まらなくなるときがあるの! 自分でも気づかない内に唇を噛み切ったこともあるし、掌に爪を食い込ませたときだってある! あなたには、あたしのような想いを味わってほしくないの!」
「だから! そんなの、先輩には関係無いじゃないですか!」
千秋のその言葉は、明確な拒絶を意味していた。しかし紗耶香もここで諦めるわけにはいかない。もしここで彼女を踏み留まらせることができなかったら、彼女はもう二度と“こちら側”へは戻ってくることはできない。
紗耶香の意志を感じ取ったのか、桐原もエリカもレオも戦闘態勢に入った。生憎得物は無かったが、武道の心得の無い彼女を取り押さえるくらいは訳無いだろう。
そして千秋も、相手がそう思っていることは織り込み済みだった。だからこそ彼女にとっては、ポケットに忍ばせている閃光弾が何よりの切り札になる。
一触即発。まさにそんな状況のとき、
ごすんっ!
鈍い音を響かせて頭をグーで殴られた千秋は、痛みのあまりその場に蹲ってしまった。そして緊張感がピークに達していた紗耶香達は、見事にその雰囲気を粉砕してしまったその生徒へと呆然とした表情を向ける。
その生徒とは、千秋の姉にして達也に代表の座を譲った張本人・平河小春だった。
「ごめんね、達也くん、みんな。妹が迷惑掛けて」
「……いや、あの、それは――」
「お、お姉ちゃん! なんでここに!」
「論文コンペの手伝いをするからに決まってるでしょ。いくら代表を辞めたからって、そのまま知らんぷりするわけないんだから。特に達也くんには私の雑務を押しつけちゃった形なんだから、お手伝いしないといけないでしょ」
「な、なんでお姉ちゃんがそんな奴の手伝いなんてしてるの! お姉ちゃんはあいつに――」
ごすんっ!
千秋の主張を遮るように再び頭にげんこつを食らわせた小春は、蹲る妹をむりやり立たせると「はい、ごめんなさいしようね」と彼女の頭をむりやり下げさせた。彼女は未だに文句を言っているが、誰もそれに耳を傾けられる状況ではない。
「んで、達也くん。風紀委員に突き出すのは、少し待ってもらえないかな? せめて私達で“家族会議”を行ってからってわけにはいかない?」
「……いえ、別に構いません」
「うん、ありがと。それじゃ達也くん、ついでで悪いんだけど、急用ができたからもう帰るってことを市原さんに伝えてくれないかな?」
達也が首を縦に振って了承すると、小春は千秋をむりやり引っ張ってこの場から離れていった。途中千秋が何度も声を荒げて振り解こうとするが、小春がそれに堪える様子は微塵も無かった。
「……作業に戻るか」
「そうですね」
2人の背中を見送った桐原の言葉に、その場にいた全員が同意した。
達也がその場を離れたことで、彼が操作していたキーボードの前に人の姿が無くなった。そのディスプレイには、論文コンペに使用する術式の原データが表示されている。
そのディスプレイの近くを、1人の生徒が通り掛かった。その人物はディスプレイの前でふいに立ち止まると、興味深そうな表情を浮かべてそのデータに顔を近づけていく。
「あれ、関本さん? 何してるの?」
そのとき、横から声を掛けられたその生徒――関本は、びくっ! と体を震わせてそちらへと振り向いた。そこには純粋な疑問の目を向けるエリの姿があった。
「ああ、エリちゃんか。いや何、論文コンペの中身がどんなものか、少々気になったものでね」
「だったら鈴音さんに教えてもらったら? ――鈴音さーん! 関本さんが論文の中身を教えてほしいってー!」
「ちょっと、エリちゃん!」
離れた所にいた鈴音に呼び掛けるエリに、関本は慌てふためいていた。口を塞ごうと手を伸ばしかけて、年下の異性に触れる自分の姿を想像したのか即座に引っ込めた。
と、そんなことをしている間に、鈴音が2人の下へとやってきた。いつも以上に無表情を貫いて近づいてくる鈴音に、関本は最初は気まずそうにあちこちに視線を遣っていたが、大きく1回咳き込んで気を取り直すと嫌みったらしい自信満々な笑みを浮かべた。
「やぁ、市原」
「関本くんは、このような実用的なテーマには興味が無いと思っていましたが」
その表情に違わぬ冷たい声に、しかし関本は怯む様子は無い。
「基本コードのような基礎理論や術式そのものの改良を重視すべきという意見は変わっていないが、応用技術に興味が無いわけではない」
「基礎理論を軽視しているわけではありません。実用化に伴うリスクを軽減するためには、理論のための理論を研究するよりも、厳格な基礎理論の検証が必要ですから」
「検証と研究は違う。研究は創造だ。検証だけでは前進が無い」
「人間の役に立たない理論に価値はありません。実用化されてこその理論です」
「今は役に立たないように見えても、基礎理論の研究は未来により大きな果実をもたらす」
「未来の大きな果実は、現在の小さな前進を否定する根拠にはなりません。未来とは現在の積み重ねの上にあるものです」
冷静に、しかし頑なに自分の主張を続ける2人の上級生に、エリは1人納得していた。
論文コンペの校内選考会にて、関本は鈴音に次ぐ2位だった。普通ならばここで関本が鈴音のサブにつくはずなのだが、実際にはサブどころか代表からも外されている。それを聞いたときは疑問に思ったエリだったが、ここまで基本スタンスが違えばそれも当然だろう。
と、そのとき、
「エリちゃん。あなたはどう思いますか? 基本理論ばかりにかまけて実用化のリスクを想定しないのは、あまりにも無責任に思えますよね?」
「エリちゃん、君はどう思う? 技術革新というのは、新たな理論によって形作られるものだ。基礎理論の解明無くして、新たな世界を拓くことなどできない」
互いに顔を突き合わせて喧嘩していた2人が、同時にエリの方を向いて意見を求めてきた。というよりも、自分の意見に同意するように求めてきた。
「……どっちも大事、じゃ駄目なの?」
「別に基礎理論を蔑ろにしているわけではありません。あくまで“どちらを優先すべきか”という問題でしかないので、エリちゃんは気軽に答えてくれて結構ですよ」
「僕だって、市原の言う検証が駄目とは言っていない。それだけにかまけることなく、基礎理論の研究を優先させるべきだ、という意見でしかないよ。だからエリちゃんも、市原のことは気に掛ける必要は無い」
「そうです、エリちゃん。関本くんのことを心配する必要はありませんよ。現実的で理論的な考えをするエリちゃんならば、当然私の意見に賛同してくれますよね?」
「現実的で理論的だというのなら、なおさら僕の意見に賛同してくれるだろう。どのような革新的な技術も、それを支える基礎理論が無くては誕生することはないんだからな」
「その革新的な技術が本当にリスクの無いものなのか、充分に検証する必要があるんです。新しいからと飛びついた結果甚大な被害をもたらした事例は、過去に何度も報告されています」
「リスクを恐れるあまり自由な発想ができなくなってしまったら、それこそ人類の未来にとって大きな損失になってしまう。リスクの無い発展など夢物語でしかないのだからな」
「ですから――」
「だから――」
再び始まってしまった喧嘩に、エリはうんざりした表情を隠すことすらしなかった。大きく溜息を吐いて2人から視線を逸らしたそのとき、不審な生徒を追い掛けていった達也たちが戻ってくるのが見えた。
そして、達也と目があった。彼はエリを見遣った後、すぐ傍にいる鈴音と関本が言い争っているのを見て、すぐに状況を悟ったのかエリに同情的な視線を向けた。『助けて』と視線で訴えるエリに、達也は軽く首を横に振って『諦めてくれ』と返した。『裏切り者』と口を尖らせるエリに、達也は『俺も自分の身が可愛いのさ』と自嘲的な笑みと共に返す。
騒がしく言い争う2人に、言葉無く言い争う2人という光景を見せながら、その日の作業は終わりを告げた。
* * *
達也はまだ作業の途中だったが、美月は美術部の手伝いが終わらず、幹比古も用事ができたとのことで、レオとエリカは一緒に下校することとなった。しかしレオには一緒に下校しているという感覚は無く、駅までのルートは事実上一本道で、エリカを抜かして歩くほど急いでいないだけだ。
「レオ、今日これから時間がある?」
なのでエリカから声を掛けられたとき、レオは咄嗟に反応することができなかった。そして彼が言いあぐねている間に、エリカがこちらへと振り向いた。
これからデートにでも誘うかのような甘さも、悪友らしい悪ふざけの欠片も無い、今にも斬りつけてきそうな鋼色の気迫に包まれていた。
「……おう」
「だったら、ついてきて」
エリカはそう言って前を向くと、再び歩き出した。
それをじっと見つめながら、レオも歩みを進める。先程までとまったく同じ光景だが、レオの意識はまるで違っている。
そして気配だけでレオがついてきていることを感じ取ったエリカが、レオの方を向くことなく話し始めた。
「あんたは、どう思う?」
「何がだよ」
「エリちゃんのことよ。昨日のあのスパイから聞かされて、あんたはどう思った?」
「……正直、突拍子が無くていまいち信用できねぇな。エリちゃんに世界をひっくり返す力があるとか言われても、全然説得力がねぇだろ。そりゃまぁ、ただの女の子だとは思ってねぇけどよ」
「そうね。確かに突拍子も無ければ現実味も無い。――でもあたしは、あのスパイの話をデタラメだと一蹴することはできない」
エリカの言葉に、レオは信じられないと言いたげに彼女の背中を睨みつけた。
「……エリカ、おまえ、何を言ってるんだ?」
「だったら、レオはエリちゃんや厚志さんのことをどこまで知ってるの? あの人達がなんで一緒の家に暮らしていて、いったいどういう人達なのか。レオだって、あの人達が何かを隠していることくらい気づいているでしょう?」
「……おまえは、厚志さん達が信用できないっていうのか?」
「信用しているわ。あの人達が自分の意志で世界をどうこうしようなんて考えるような人じゃないことくらい、この半年間あの人達と付き合ってきたあたし達にはすぐ分かる。でももしあの人達にそんな力があるんなら、あのスパイが言っていた通り、その力を利用しようとする輩に付け狙われる可能性だって充分にあるし、現に付け狙われているかもしれない。そしてそんな奴らは、どんな非道な手を使ってくるか分からない」
エリカの話を聞きながら、レオはその声の端々に覚悟のような強い意志が見え隠れしているのが感じ取れた。
「……エリカ、何を企んでいるんだ?」
「企んでいる、だなんて人聞きが悪い。あたしはただ、今の心地良い生活がずっと続けば良いって思ってるだけよ。少しでも長く、達也くんや厚志さん達の傍にいられるように」
「……成程。ようやく話が見えてきたぜ。つまり、あの人達を付け狙う奴らが現れたときのために、少しでも力をつけておこうって魂胆だろ?」
「ええ、その通り。あんたは?」
その問い掛けは短いものだったが、レオにとってはそれで充分だった。
「良いぜ、乗ってやる」
にやりと人の悪い笑みを浮かべるレオに、エリカもちらりと振り返って同様の笑みを見せる。
しかしすぐに、エリカは表情を引き締めた。
「だったらあんたには、これから身につけるべきものがある」
「……身につけるべきもの?」
「そう。――レオ、あんたの歩兵としての潜在能力は一級品よ。短銃やナイフを使用した接近戦闘なら、おそらく服部先輩や桐原先輩よりも素質は上だと思う。素質って点ではミキも相当だと思うけど、有視界戦闘に絞ればあんたの方が勝ってるでしょうね」
「……な、何だ急に」
普段の態度からは考えられない高評価に、レオは喜ぶよりも訝しむよりも呆気に取られてしまった。とはいえ、思考停止に陥ったのは僅か数秒のみだった。
「……素質はある、ってことは今の能力に問題があるってことか?」
「ええ。能力といえば、能力でしょうね。――あんたには、“人を殺すための技術”が無い」
「……人を殺す、技術か」
「そう。もしも相手と対面したとき、相手を殺さなきゃ自分が死ぬってとき、一瞬の躊躇いで逆に追い詰められるって状況が存在する。そういうときに“相手を殺すための技術”を用意するのとしないのでは、いざというときの心構えが全然違うの」
そう言って、エリカは振り返った。矢で射抜くかのような鋭い視線が、まっすぐレオを捉える。
「あんたに、その覚悟がある? 自分の手を汚す、覚悟が」
「――愚問だぜ」
そしてレオは彼女の視線から一切視線を逸らすことなく、簡潔に答えた。
「んで、俺は何を身につければ良いんだ? エリカがそう言うってことは、ひょっとして何か新しい武器でも授けてくれるとか?」
「確かにあんたの戦術は硬化魔法を使った白兵戦だから、武器を使った新技を身につけることも1つの方法ではある。でも今回はあくまでも“相手を殺す覚悟”を身につけるためのものだから、今の戦術を“発展”させる形での修行を課すことにするわ」
「成程な。もしかして、エリカが教えるのか?」
「いいえ、あたしは紹介をするだけ。とはいっても、あたしも行くのは初めてだけどね。だからまぁ、せっかくだからあんたと一緒に修行するのも、それはそれで良いかもしれないわね。――ほら、あれよ」
エリカが指差した先にあったのは、木造の平屋だった。前世紀からほとんど変わらない、“道場”と聞いて真っ先に思い浮かべるような建物がそっくりそのままそこに存在していた。
そして門の柱に書かれていたのは、
「……『大江山流護身術道場』?」
それを読み上げたときのレオの声は、明らかに訝しむものだった。