魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第52話 『友好だろうと敵対だろうと、大事なのは“相手の立場になって考える”ことである』

「えっと……、“先生”はちょうどシャワーを浴びてるところだから、それが終わるまで待っててくれますか?」

「うん、大丈夫だよ。ごめんね、急に押し掛けちゃった上にお茶まで貰って」

「いいえ……、ごゆっくり」

 大江山流護身術道場の扉を叩いたエリカとレオを迎えたのは、3人組の少女だった。ポニーテールの一際背の低い少女、外国人にも見える金髪のツインテールの少女、そしていかにも気弱な優等生といった感じの眼鏡の少女は、私服姿ではあるものの額から汗を滲ませて息を荒げていた。もしかしたら、組み手の類をやっていたのかもしれない。

 そして2人は現在、だだっ広い道場の真ん中で正座をしながら、少女達が一生懸命用意してくれたお茶と煎餅を口にしていた。煎餅をバリバリと食べてお茶を啜り、ほぅ、と大きな溜息を吐く。

「……なぁ、エリカ。俺達、修行に来たんだよな?」

「仕方ないでしょ、勝手にやって来たのはあたし達なんだから。待ってるしかないでしょ」

「まぁ、そうだけどよ。――それにしても、護身術かぁ……」

「何よ、レオ?」

「いや、だってよ。修行って聞いてたからさ、もっと過酷なやつを想像してたんだぜ? それこそエリカみたいに剣術をやるとか、そうでなくてももっと実戦的な武道とかをさ。それなのに“護身術”だなんて、何か出鼻を挫かれた感じだぜ……」

 レオが溜息を吐いてそう言うと、エリカがそれを掻き消すほどにさらに大きな溜息を吐いていた。そのわざとらしい雰囲気から、あえてレオに聞かせているのだろう。

「……何だよ、エリカ?」

「あんた、本当に何も分かってない。――あんた、“護身術”って何か知ってるの?」

「はぁ? 護身術って、あれだろ? 女性が暴漢とかに襲われたときに、撃退したり逃げる時間を稼ぐためのやつ」

「そう。つまり“普段の生活の中でいかに動けるようになるか”っていうのを重視しているのが護身術なの。そういう意味では、護身術はあんたの言ってた“実戦的な武道”に最も近いものなのよ」

「……そうは言うけどよ、結局は“自分の身を守る”ためのものだろ? 俺が身につけたいのは“相手を倒すための技”なんだよ。護身術なんて身につけたって、そんなの役に立つはずが――」

「それは違うよ、お兄さん!」

 思わぬ方向から反論を浴びせられ、レオは思わず体を仰け反らせて驚いた。

 声のした方へと顔を向けると、先程レオ達を迎えてくれた少女達が、頬を膨らませた不満顔でこちらを睨んでいた。レオ達に興味があって様子を伺っていたは良いものの、レオの言葉に我慢ならなくて飛び出した、といったところだろう。

「お兄さんは、護身術を勘違いしてる!」

「そうだよ! お兄さんは、護身術のことを全然分かってない!」

 まっすぐレオを見つめて叫ぶ少女達に、レオは隣でにやにやと笑うエリカのことを怒る気にもなれないほどにたじたじになっていた。

「そ、そうだよな……。悪かったよ……。護身術だって、立派な武道だよな――」

「違うよ! 護身術は“危険を察知する能力を磨くためのもの”なんだよ!」

 思わぬ言葉が少女の口から飛び出し、レオもエリカも興味を驚いたように目を丸くした。

「そう。私達がこの道場に入門したとき、一番初めにこう教わるの。――『危険な目に遭わないようにすることこそが重要で、そもそも護身術を使うようになってしまった時点で“失敗”だ』って」

「……へぇ」

「成程ね」

 少女の言葉に、そして護身術の教えに、レオとエリカは素直に感心していた。

 確かに、自分の身を守るために一番重要なことは“そもそも危険な目に遭わない”ことである。護身術というのは“万が一のときのためにとっておく切り札”であり、切り札は切らないからこそ価値があるものだ。

「だから私達は護身術以外にも、『もしも自分が不審者だったら、どんなシチュエーションで自分を狙うか』を考えて、そのシチュエーションにならないように普段の生活から心掛けてるの」

「……成程なぁ。もしかしたら、危険を察知する能力が戦闘に応用できるかもしれねぇな」

 感心したように頷くレオに、一番背の低い少女が笑顔でこう続けた。

「そうそう! 大江山流の基本は“そもそも危険に巻き込まれないこと”! “巻き込まれたら逃げるか人を呼ぶこと”! ――そして、“それでも駄目なら、ぶっ殺せ”」

「――――!」

 少女の口から突如飛び出した物騒な言葉に、レオとエリカが揃って目を丸くした。

「私達が最初に習うのは、目突きに金的蹴りに倒れた相手の下段蹴りに武器の使用。格闘技ではことごとく“反則技”と言われてるものばかりなの。――相手をただ突っ立ってるだけの“肉”にして一方的に“狩る”状況に持って行くのが、大江山流の“技”ってわけ」

「そうそう。『危機回避に“失敗”してしまったら、それを取り返すためには自分を一度“死んだ”ものと見なし、“死中に活”を見出し、“必殺”の心意気で撃退すること』――これこそが、大江山流の極意なの」

 じっとレオ達を見つめながら話す少女達の剣呑な雰囲気に、レオだけでなく、剣術を学んできたエリカでさえ息を呑んだ。それほどのプレッシャーを放っているのが、今自分達の目の前にいる少女達であることが2人には信じられなかった。

 と、そのとき、

「ねぇ、お兄さん」

 一番背の低い少女が、ふいにレオに話し掛けてきた。

「ん? 何だ――」

 そう言ってレオが少女へと顔を向けたとき、彼の視界に広がっていたのは青いハンカチだった。突然のことにレオは驚きながらも、咄嗟に手でそのハンカチを払い除ける。

 そして次の瞬間、自分の喉元に何かを当てられる感触がして、レオはその動きをぴたりと止めてしまった。

「ちょっと、あんた達!」

 エリカが顔を青くして叫ぶのも無理はない。なぜなら彼に話し掛けたその少女は今、どこからか取り出したカッターナイフを彼の喉元に押し当てているからである。もしちょっとでも少女がその腕を引けば、たちまちの内にレオの喉から真っ赤な噴水が噴き上がることだろう。

「……お兄さん、今どんな状況か分かる? もし私が暴漢だったら、お兄さん、死んでるよ?」

「……おいおい、冗談きついって――」

「冗談? なんで冗談だと思えるの? ここはお兄さん達の知らない場所で、私達はお兄さん達の知らない人なんだよ? 子供だから襲ってこない、客人だから襲ってこない、自分が魔法師だから万一襲われても撃退できる――。そう考えてる人ほど、こうやって不意を突かれるんだよ」

「ちなみに今の技は、大江山流では“叢雲”(むらくも)って呼ばれてるやつね。相手の視界を一瞬だけ隠して、その隙に今みたいに攻撃を加えるの」

 金髪の少女が解説している間に、一番背の低い少女はレオの喉元からカッターナイフを離した。緊張が解けたレオの呼吸が戻り、彼の額からドッと汗が噴き出した。

 すると、

「あらら、年下の女の子相手にしてやられたわね」

 道場の奥の方から聞こえてきた大人の女性の声に、レオとエリカがそちらへと振り返った。

 そこにいたのは、肩に掛かるほどのショートヘア、半袖のワイシャツにネクタイを緩く締め、タイトスカートから覗く脚は黒のストッキングに包まれた、眼鏡の奥から半目ともジト目とも言われる半開きの目を覗かせる、全身の力を抜いたような気怠さが感じられる女性だった。シャワーから上がったばかりなのを示すように、彼女の髪はしっとりと湿り気を帯びている。

「なっちゃん。自分が学んでるものを馬鹿にされて怒る気持ちは分かるけど、その子は暴漢じゃないんだから無闇に襲っちゃ駄目」

「……はい、すみませんでした。――ちっ」

「なぁ、今思いっきり舌打ちしたよな――はい、ごめんなさいもう何も言いません」

 思わずツッコミを入れてしまったレオだったが、自分にカッターナイフを突きつけたその少女にぎろりと睨まれ、彼はすっかり萎縮した様子で謝り倒していた。

 そんな彼を呆れ果てた様子で眺めていたエリカだったが、本来の目的を思い出したのか真面目な表情になってその女性へと向き直った。

「突然お邪魔して、申し訳ございません。私は千葉エリカ、彼は西城レオンハルトといいます」

「……ふーん、成程ねぇ。――あ、私は大田景。本当は別の人が師範をやってるんだけど、今は遠方の警察学校に行ってて留守なのよ。代わりに私がこうしてみんなに教えてるってわけ」

 その女性――景はエリカの名前を聞いて何か含みのある笑みを浮かべていたが、すぐに気を取り直して自己紹介をした。

 しかし彼女の名前に、今度はエリカ達が困惑することとなる。

「……ん? どっかで聞いたような――」

「あ」

 脳みそから記憶を引っ張り出していたレオの横で、エリカが何かを思い出したかのように声をあげた。その表情には驚きやら困惑やら、そしてなぜか怒りやらが浮かび上がっている。

「……あなたが、エリちゃんが言ってた“一高の先輩”だったんですね」

「え? ああ! 確かに“大田景”って言ってたな! へぇ、エリちゃんの知り合いとか、世間は狭いなぁ!」

「あなた達が、レオくんにエリカちゃんね。エリちゃんや達也くんたちから色々と話は聞いてるわ。――まぁ、エリカちゃんの場合は“もう1人”情報源がいるけどね」

「……今、思い出しました。私も、あなたのことを聞いたことがあります。おそらく、あなたが私の話を聞いたっていうのと同じ人から」

「あら、そうなの。ふふ、何て言われてるのかしらね」

 まるで今にも斬り掛かりそうなほどに鋭い目つきで睨みつけるエリカに、景はまったく動じる様子も無く笑顔を浮かべている。

 それを察したレオは必死に何か別の話題を探し、そして見つけた。

「そ、それにしても! 師範の方が警察学校に行ってるってことは、もしかして護身術を教えているんですか?」

 話題を逸らすための問い掛けであることはバレバレだったが、景としては特に固執するほどの話題でもなかったため彼に乗っかることにした。

「ええ。最近多くなったのよ、警察や軍に“大江山流護身術”を教えるように頼まれることが」

「……確かに、千葉の末席に身を置く私でもここの名前はよく耳に入ります」

 話題が変わっても感情の切り替えが上手くいっていないのか、エリカの声にはありありと不機嫌さが滲み出ていた。

「あら、千葉家の人間にそう言われるなんて、この道場に身を置く人間として鼻が高いわ」

「ん? ここって、そんなに有名なのか?」

 レオの言葉に、エリカは少しだけ呆れたような視線を向け、口を開いた。

「……千葉家が警察や軍の歩兵部隊に剣術を指南しているのは知ってるでしょ?」

「ああ。魔法師の半数が千葉家の教えを受けてるんだろ? すげぇよな」

「ええ、確かにそう聞くと凄いように思える。でもね、魔法師なんて組織の全体で見たらごくごく少数なのよ。そんな少数だけで、魔法師が引き起こす犯罪の全てを引き受けるのはかなり厳しいでしょうね。――だから警察も軍も、魔法師じゃない普通の人間を、魔法師相手でも引けを取らない程度に強くする必要があったの」

「つまりその解決策が、ここの護身術ってことか?」

「そういうこと。その効果は、あんたが身を以て知ってるんじゃない? 大江山流護身術を学んでる警察官や軍人の数は、ここ数年の間で急速に増えていってる。そして実際にその中には、“魔法師キラー”として魔法師の犯罪者から恐れられてるような人達がちらほらと出てるって話よ」

「護身術自体は“危険を回避するためのもの”だから、本来は柔道とか剣道とは勝手が違うんだけどね。でもまぁ、大江山流護身術は他の護身術に比べても少し“特殊”だし、危険を察知する能力は常に危険と隣り合わせの人達にとっては必須だからね、相性も良いんでしょ」

 エリカの説明と景の言葉に、レオは若干気まずそうに先程の少女達へと視線を向けた。未だに敵意の籠もった目つきで睨みつける彼女達に言いたいことは色々あったが、あんな少女達にまんまとしてやられたことを引きずっているのか、それを実際に口にすることはなかった。

「んで、あなた達はどうしてここに来たの? いや、大江山流護身術を学びに来たってのは分かるんだけど、なんで学びたいと思ったのか訊いても良いかしら?」

「そ、それは……」

 景の質問に、エリカもレオも言い淀んでいた。エリや達也たちの知り合いらしい彼女に対し、『エリ達が他国のスパイに“世界の脅威”と見なされ、彼女達の力を利用する輩を撃退するために学びたい』なんて素直に言えるはずがなかった。

 しかし、

「……もしかして、エリちゃん達のことで何か知った?」

「――――!」

 景のその言葉に、2人の目の色が変わった。

「もしかして景さん、エリちゃん達のことで何か知ってるんですか!」

「ええ、まぁ。その様子だと、知っているのは“何かある”って程度か。それで自分達と鍛えることで、少しでも有事に備えようってことね。――はっきり言うわ。やめなさい」

「――――! ……それは、私達では役に立たないから、という意味ですか?」

「護身術で最も大事なのは、身の危険をいち早く察知してその危険から離れること。その点で言ったら、あなた達にとって一番大事なのは、一刻も早くあの子達との縁を切ることよ。同じ高校に通ってるってだけでも危険が伴うのに、個人的な付き合いがあるってなったらあなた達が狙われる可能性だってある」

「だからこそ、いざというときのために俺達は鍛える必要があるんだ! 頼む、俺に護身術を教えてくれ!」

「……私だって、エリちゃん達と友達でいられなくなるのは嫌。みんなと一緒にいるのに危険が伴うって言うのなら、私達がその危険を振り払えるまでに強くなれば良いだけの話でしょ?」

「その危険が、たとえ“国家レベル”だとしても?」

「……国家レベル?」

「そう。思いつく限り凶悪なマフィアを想像してみて。そいつらを小指の先で握り潰せるほどに強大な奴らが、あの子達が想定している“敵”よ。――それでも、あなた達はあの子達に付き合うって言うの?」

「当然だ」

「当然ね」

 2人の返事は、まったくの同時だった。輝きを携えた強い眼差しでまっすぐ見つめてくる2人の姿に、景は呆れたように溜息を吐いた。それに反して、口元には笑みが浮かんでいた。

「……良いわ、教えてあげる。とはいっても、どうやら2人の実力には開きがありそうね。まぁ、エリカちゃんは千葉家の人間として鍛錬を積んでいたから、当然といえば当然だけど」

 景は2人を見比べてそう言った。“千葉家の人間として”の辺りでエリカが少し表情を曇らせたが、今はそれを指摘する状況ではないし、無闇に指摘すべきことでもないだろう。

「特にレオくんは、さっきあの子に不意を突かれたことから考えても、戦闘に関してはまったくの素人と思って良さそうね。――ねぇ、3人共」

 先程から黙って事の成り行きを見つめていた少女達に景が声を掛けると、彼女達はそれだけで理解したように立ち上がって景の傍へと歩み寄った。

「レオくん、まずはこの子達と乱取りしなさい」

「えっ? 今からですか? でもまだ着替えてないし――」

「護身術は普段の生活で暴漢に襲われることを想定しているから、普段着のまま練習してるの。だから決まった型とかも存在しないし、攻撃方法や武器の使用にも制限は無い。だからあなたも、存分に魔法を使用して良いわよ」

「ま、魔法が良いなんて……。いくら複数とはいえ、相手は魔法の使えない女の子ですよ?」

「あら? その魔法を使えない女の子に、さっきしてやられてたのはどこの誰かしら? ……それに大丈夫よ、ああ見えてあの子達はこの道場でも屈指の実力者だし、ああ見えて色々と“仕込んでいる”から」

 景のその言葉と共に、3人の少女はニィッと口角を上げた。口は笑っているのに目がまったく笑っていないその表情に、レオの心に言い様の無い恐怖が生まれる。

「というわけで、はい、スタート」

「えっ? ちょ――うわぁっ!」

 景の合図と共に、3人の少女が一斉にレオに襲い掛かった。レオは咄嗟に少女達から逃げ、少女達は嬉々とした表情でレオを追い掛け回す。

 レオの悲鳴をBGMに、景はエリカに向き直った。エリカも、景を睨みつけるように彼女を見つめている。

「……じゃあ、私達は2人でやりましょうか」

 景はそう言って、ポケットに手を突っ込んだ。普通ならばとんでもない無礼だと見なされるその行為も、普段の生活を想定した大江山流護身術では正式な構えとして失礼には当たらない。ちなみにこの状態から武器を取り出したり、逆に何か持っていると錯覚させる技も存在する。

「……よろしくお願いします」

 エリカは呟くようにそう言うと、伸縮警棒をジャキンッと伸ばして構えの姿勢を取った。

 

 

 *         *         *

 

 

「ふーん、平河先輩の妹さんがそんなことをねぇ……」

「お姉さんに対する好意がちょっとまずい形になって表れた、ってことかな」

 平河姉妹を見送った後、達也は風紀委員長の花音(と、たまたま一緒にいた五十里)の2人に事の顛末を報告していた。

「ですが先程も話した通り、平河先輩から彼女にきつく言っておくそうです。なので、おそらくはもう大丈夫かと」

「確かにそうね。それにしても、君も災難だったね」

 花音の苦笑混じりの言葉に、達也は何を言ってるのか分からないと言いたげに首をかしげた。

「いえ、別にセキュリティに関しては問題ありませんが。パスワードブレーカーで破られるほど柔な組み方をしてませんし、ロボ研の方々にも協力してもらって監視しているので」

「いや、あたしが言ったのはそうじゃなくて……。先輩からの頼み事を引き受けたばっかりに、あの子から恨まれちゃったあなたのことを言ってるんだけど」

「ああ、そっちでしたか。ですが、大したことじゃありませんよ。そもそも今回の話を引き受けた時点で一部の生徒からの反感を買うことは覚悟していましたし、今回の一件も結局未遂でしたし」

「まぁ、達也くんの手に掛かれば、大抵のことは大したことじゃなくなっちゃうと思うけどね」

 冗談交じりの五十里の言葉に、達也は居心地悪そうに口を引き結ぶだけで何も答えなかった。

 その代わりに、こんな言葉を口にした。

「それに最近周りをうろちょろしているのは彼女だけではありませんし、自分としてはそちらの方が気になりますかね」

 それを聞いた花音と五十里はハッとした表情になり、警戒心を顕わに辺りへ視線を走らせた。不審な人影は見つからなかったが、五十里は不自然なサイオンの揺らぎを感じ取った。

「……ねぇ、護衛がエリちゃんだけで大丈夫? 何なら、何人かつけようか?」

「いえ、大丈夫です。大勢いられる方がかえって動きにくいですし、それにエリは千代田先輩が思っているよりも実力者ですから」

 達也のその言葉には、エリに対する厚い信頼感が滲み出ていた。常に1人で何でも解決してしまうイメージのある彼のそんな態度に、花音と五十里は珍しいものを見るような意外感のある表情を彼に向けていた。

 

 

 

 池袋の雑居ビルでも横浜の中華街でもない品川の料亭の個室にて、四十代の男性と二十代中頃の若者のコンビが待っていると、二十代過ぎの青年が頭を下げて入室してきた。

「申し訳ございません。お待たせしてしまいましたか?」

 青年は恐縮した体を見せるがその姿に卑屈さは感じられず、柔らかい物腰と整った容姿のおかげで貴族然とした雰囲気が漂っている。

「いえ、我々も先程来たところです」

 それに対して、最年長の男性は言葉こそ丁寧だったが態度が尊大で素っ気なかった。傍らに座る若者は何も言わず、ただ黙って顔を俯かせている。

「さっそくですが(チュウ)先生、例の少女がしくじったそうですな」

(チェン)閣下のご懸念は理解しているつもりです。ですが彼女にはこちらの素性は一切明かしておりませんので、情報漏洩の心配は無いと思われます」

「ほう。それでよく、協力者に仕立て上げましたな」

「あの年頃は純粋で情熱的ですから。多くを知るよりも、多くを語ることが重要だと考えているのですよ」

 傍目には男性――陳の質問に答えていないように聞こえる青年――周の回答だが、陳はそれだけで大体のことを理解したようだ。

「周先生がそう言うのなら、間違いは無いでしょう。しかし我々としては、“万が一”のことがないようにしてもらいたいですな」

「心得ております。近日中に、彼女の様子を見に行くことに致しましょう」

 周がそう言って深く一礼するのを満足げに眺めていた陳は、テーブルの呼び鈴を振った。このような高級料理店の場合、雰囲気重視のためにアナログのシステムを採用している店は根強く残っている。

 そして陳の隣に座っていた若者――呂剛虎(リュウ・カンフウ)は、周へ鋭い眼差しを向けていた。陳はそれに気づいていながら注意する様子は無く、周もその微笑みを崩すことなく平然と座っていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日予定していた論文コンペの準備をすべて終えた頃には、空はすっかり暗くなっていた。達也は深雪とエリと一緒に家路を歩き、一旦司波兄妹の家へ寄って荷物を置いた後、すぐさま隣の厚志の家へと向かっていった。

 我先にと玄関へ駆けていったエリに続いて、まるで自分の家のように自然に玄関を潜った達也と深雪に、わざわざ玄関まで出迎えてくれたモカが「お帰りなさい」と笑顔で声を掛けた。「ただいま」と短く言って靴を脱いで居間へと向かうと、テレビゲームをしていたミルココとダッチを後ろから眺めていたリカルド・マッド・厚志の3人が一斉にこちらを向いた。

「おう、お帰り」

「さてと、達也くんたちも帰ってきたころだし、そろそろ夕飯の時間にしようか」

 厚志のその言葉を皮切りに、皆が一斉に夕食の準備を始めた。ミルココとダッチの3人はゲームの電源を切って片づけ、モカは台所から全員分の料理を運んできて、残りの面々がそれを手伝う。

 そして全員分の夕食が出揃ったところで、

「お風呂の掃除が終わりました。お湯を入れ始めたので、夕飯が終わる頃には入れますよ」

 居間に入ってきたジロー・マーシャルがそう言いながら席に着き、「それじゃみんな、頂きます」という厚志の言葉と共に夕食が始まった。

「……あの、もしかしてツッコミはしちゃいけないんですか?」

 達也と深雪がちらちらとジローの方を見遣りながら、恐る恐るといった感じで尋ねてきた。

「いや、別にそんなことはないよ?」

「むしろ、いつ達也がツッコミを入れてくるか試してた」

「そうか……。それじゃ、なんでここにいるのか訊いても良いですか? 俺の記憶が正しければ、確か以前俺達が下校しているときに後をつけてた奴だと思うんですが」

「さすが達也くん、直接顔を見たわけでもないのによく分かったね」

 達也たちが会話を交わしている間、ジローは居心地悪そうにしながらもハンバーグに箸を伸ばしていた。

「彼は私達が力を奮うことを防ぐために雇われたらしいよ。依頼主に関しては最後まで口を割らなかったけど、完全に私達の敵というわけではないらしいし、だったら私達の傍にいた方が色々と都合が良いと思ってね」

「……まぁ、厚志さんがそう決めたのなら、それで構いませんが。もしかして、ずっとここに住まわせるつもりですか?」

「いやいや、何もそこまでではないよ。この仕事も一応の期限があるらしくてね、とりあえずそれまでの間だけさ。大体10月が終わる頃くらいだっけ?」

「あ、はい、そうです」

 白いご飯を頬張っていたジローが、厚志の問い掛けに頷いた。どうやらすでにこの家の雰囲気に染まっているらしい非合法工作員(イリーガル)に、とっくに慣れたと思っていた達也は頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てていた。隣をちらりと見ると、深雪も困惑をごまかすような笑みを浮かべていた。

「でもおかげで、ちょっと面白い情報が聞けたよ」

「面白い情報?」

 厚志の言葉を達也が繰り返すと、ジローが箸を置いて姿勢を正して口を開いた。

「最近あちこちできな臭い動きがありまして、どうやらそれがこの辺りにまで波及しているようです。そしてその中に、なかなかの有名人がおりまして……」

「有名人?」

「はい。――“人食い虎”(The Man-eating Tiger)呂剛虎です」

 その名前は、達也も聞いたことがある。大亜連合軍の特殊工作部隊のエースであり、白兵戦で人を殺すことにかけては大亜連合随一とも言われている。

「大亜連合かぁ……。最近達也の周りをうろちょろしている奴らもそうなのかな?」

「人間相手だと、どうにも能力が制限されてねぇ……」

「私が今回の仕事を受けたとき、要注意人物として挙がっていたリストの最上位にいたのが彼です。そいつらだと決めつけることはできませんが、一番可能性が高いのはそいつらでしょう」

「だとしたら、狙いはもしかしてこの前のレリックとか?」

「おそらくは。しかしいくらレリックが軍事的に貴重なものとはいえ、奴らの動きはやけに大きすぎるように思えます。もしかしたら、奴らはそれ以上に大きなことをしでかす気なのではないでしょうか?」

「大きなこと、ねぇ……」

「テロか、あるいは戦争か……」

 食卓が重苦しい雰囲気に包まれる中、厚志が達也へと話し掛ける。

「ひょっとしたら、自宅に置いておくのはまずいかもしれないね。小百合さんに返すか、それが無理なら然るべき場所に移した方が良いかもしれない」

「……そうですね。近々そうする予定ではいましたが、悠長に構えられる状態ではないかもしれません」

 真剣な表情でそう言う達也を、深雪は苦しげな表情で見つめていた。そしてフラグになることを分かっていながらも、深雪はこう思わずにはいられなかった。

 何も起きなければ良いが、と。

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