論文コンペまで、あと8日。魔法科高校では週休2日制を採用していないので、たとえ土曜日だとしても普通に授業が行われる。
しかしそれを差し引いても、校内は稀に見る喧騒に満ちていた。プレゼンのバックアップは“学校一丸”という表現が誇張でない体制にまでなっている。
発表に使う実験装置は一通り完成しているが、より効果的な演出と確実な動作を目指す技術系スタッフのこだわりは留まるところを知らず、再三に渡る駄目出しと見直し・改良・調整が続けられていた。九校戦では出番の無かったインドア派の生徒、さらには二科生の中にも、舞台上の演出をプランニングしたり客席の効果的な応援を指導したりといった役目が与えられていた。
また女性生徒を中心として結成された炊き出し隊も、ここに来てフル稼働の様相を呈してきた。論文コンペに汗を流す生徒のため、お弁当作りにあちこち走り回っている。そしてその中には、美月の姿もあった。
さらに体育会系の生徒も、論文コンペに向けて準備に余念が無かった。このような文化系のイベントで彼らの出番があるのか、と疑問に思うかもしれないが、おそらく彼らが一番汗を流していると言っても良いだろう。
現在彼らがいるのは、学校に隣接された丘を改造した野外演習場。魔法科高校は軍や警察の予備校ではないのだが、そちらの方面に進む生徒も多いため、このような施設が屋内屋外問わず充実している。
その人工林で息を潜めるのは、幹比古だった。訓練相手である上級生を伺い見ると、彼は木々が疎らになってできている空き地にその姿を晒していた。隠れる様子も無い堂々とした佇まいに、思わず幹比古の心臓も脈を早めていく。
その人物とは、十文字克人だった。彼は今回の論文コンペにて、九校が合同で組織する会場警備隊の総隊長を務めることになっている。他校の代表と会合を持つ傍ら、こうして自ら訓練の矢面に立つことで同じく警備部隊に抜擢された生徒の士気を高めていくのである。
幹比古が彼の練習相手に選ばれたのは、九校戦での活躍が認められたからである。しかし彼1人で克人の相手をしているわけではなく、幹比古の他にも9人の生徒が彼の練習相手を務めている。つまり現在は1対10の模擬戦闘を行っており、幹比古はその10人の内の1人だった。
しかし最初は10人だった彼らも現在は3人にまで減っており、何回か遠距離攻撃を仕掛けただけで直接戦闘は1度も無いはずの幹比古は背中にびっしょりと冷や汗を掻き、克人から放たれるプレッシャーに押し潰されそうになっていた。
――早まったかもしれない……。
最初練習相手の話が来たとき、幹比古は二つ返事で了承した。十文字家の次期当主と手合わせできるなんてそうそう叶うものではないし、現代魔法との戦い方を貪欲に学び取ろうという意志でここにやって来た。
しかし幹比古は先程から何回も、このまま殺されてしまうんじゃないか、という思念に駆られていた。倒された7人も気絶しているだけで大した怪我もしていないことからも、克人がちゃんと手加減していることがよく分かる。それが分かっていてなお、彼は本能から湧き上がってくる恐怖で今にも体が動いてしまいそうだった。知らず知らず呼吸が可聴域にまで大きくなり、幹比古は慌てて自分の口を押さえる。
室内ですら1メートルも離れれば聞こえなくなるほどの大きさでしかなかったはずなのに、克人の体は幹比古の隠れている木に正確に向けられた。そのままゆっくりと歩を進める克人に、幹比古は止まっていた呼吸を無理矢理再開して、触覚と聴覚に神経を集中させる。居場所がばれていることは分かってるのに、魔法的な探知も顔を覗かせることもできなかった。というより、する勇気が無かった。
耳を澄ませて空気の流れを掴み、地面につけた膝から僅かな振動を感じ取り、目で気流の変化がもたらす僅かな光の屈折を見分け、鼻と舌で空気中の微量な化学物質の比率の変化を分析する。1つ1つは曖昧なデータであるそれを総動員することで、直接確認することなく克人の現在位置を割り出していく。
そして克人が或る地点に到達した瞬間、幹比古は仕掛けていた魔法を発動させた。地中を介した実体の無い導火線にサイオンを流し、地面に仕掛けた条件発動型魔法がそれをトリガーに効果を発動する。
「――――!」
克人を取り囲むように正方形に配置された土柱が噴き上がって姿を現し、克人の立つ地面がすり鉢状に陥没する。
発動した魔法の成果を確かめる暇も惜しんで幹比古が逃げた数秒後、土煙が晴れたその場所には、円形に押し潰された地面と円環状に降り積もった土砂と、土埃1つついていない克人の姿があった。
彼の防壁魔法は幹比古の魔法を完璧に防いだものの、視界を遮られてまんまと逃げられてしまったのもまた事実。
克人はにやりと笑みを浮かべて、防壁魔法の反発力で僅かに浮き上がっていた体を地面に下ろし、再びゆっくりと足を踏み出した。
* * *
幹比古が克人相手に己の腕を磨いている頃、学校外の道場でも己の実力を高めるべく修行に励む若者が2人いた。
「――っだぁ! 悪い、少し休憩させてくれ!」
レオはそう叫ぶと、大の字になって思いっきり床に転がり込んだ。それを見ていた少女3人組は呆れたような視線を向けるが、仕方ないとばかりに溜息を吐いて奥の部屋へと姿を消す。
いくら数で不利とはいえ、相手は自分よりも年下の女の子、しかも魔法の使用が自由となれば大して勝負にならないだろう、とレオは高を括っていた。しかし現在の彼が全身に汗をびっしょりと掻き、床に寝そべって息も絶え絶えに胸を上下させていることから、どうやら事は彼の思い通りにはいっていないようだ。
しかしそれも当然だろう。なぜなら彼女達はこの道場で、あらゆる場面を想定した護身術を学んでいるのである。その中には魔法師を相手にした場合もあり、女性でも簡単にダメージを与えられる急所の攻撃や鮮やかな動きによる不意打ち、さらには市販の防犯グッズから明らかに命を取りに来てるだろうとツッコミたくなるほどの武器まで使って、臨機応変にレオの動きに対応しているのである。
途中から本気の顔になったレオも、彼女達に何度も苦痛を味わわされながら徐々に動きが良くなっていった。最初の頃は自分から突撃して返り討ちに遭う光景が何度も見られたものの、時間が経つにつれて待ちの姿勢になることが多くなり、自分の頭の中で様々な危険に対してシミュレーションをするようになっていった。
「レオくん、今は休憩の時間?」
「あ、景さん。まぁ、そんなところです」
そんなレオの傍に景が歩み寄り、手を伸ばせば届く距離で腰を下ろした。道場はレオ達が使っているため、景とエリカの2人は外で修行をしていたはずだ。しかしレオがちらりと景を見遣るも、彼女には特に疲れた様子も無ければ汗が滲んですらいない。
つまりそれは、楽々とエリカの修行相手をこなしていることを意味する。
「……あの、景さんも休憩ですか?」
「ええ、まぁ。本当はそのつもりじゃなかったんだけど、うっかりあの子を気絶させちゃってね。目を覚ますまでは休憩にしてるわ」
「……そ、そうですか」
普段から彼女と口喧嘩の絶えないレオだったが、彼女の実力だけは素直に認めていた(口にすると付け上がるので絶対に言わないが)。そんな彼女と1対1でぶつかり、まったく苦にすることなく気絶させてしまったというのだろうか。
「景さん。あなたは一体何者なんで――」
「レオさーん! 飲み物持ってきたよー!」
上半身を起こして景に尋ねようとしたそのとき、飲み物が注がれたコップを乗せたお盆を持つ少女3人組が奥の部屋から姿を現した。出鼻を挫かれた形となったレオだが、確かに喉がカラカラだったので有難くそれを受け取った。本当はオレンジジュースではなくてスポーツドリンクとかを飲みたかったのだが、せっかく持ってきてくれた好意を無碍にするわけにはいかない。
レオは勢いよくオレンジジュースを飲み、
「――――ぐはぁっ!」
それと同じくらい勢いよく、オレンジジュースを吐き出した。口を押さえて何度も咳き込むレオに、少女3人組は腹を抱えて笑い声をあげている。
「あっはっはっ! レオさん、油断しすぎ!」
「お、おまえら……! ジュースに何を入れた……!」
「大丈夫だよ、ただのお酢だから。――でもレオさん、今のがもし毒だったら、レオさんは今頃地獄行きだったんだからね?」
「さらりと俺を地獄行きにするんじゃねーよ……! ていうか、いきなり毒を飲まされるシチュエーションなんかそうそう無いだろうが……!」
「あら、そんなことないわよ? テロを起こそうと考えてる連中にとっちゃ、飲み水に使われている井戸や浄水場とかに毒を仕込むなんてのは常套手段だしね。少なくとも、初めて来た場所で人から出された飲み物を無闇に口にするのは止めた方が良いわね。いくら二科生とはいえ、あなたは曲がりなりにも魔法師の卵っていう、軍事的にも政治的にも重要な人材なんだから」
もっとも、景の言うような事態にならないように、現代の浄水場にはちょっとした部隊レベルで警備員が配置されているし、最新鋭のセキュリティシステムを備えて24時間監視している。なのでそうそう毒を仕込まれるなんてことはないだろうが、重要なのは“そうなるかもしれない”という可能性を常に想定して警戒することである。
「さてと、今のリアクションを見ている限り、レオくんはまだまだ動けそうね。――というわけで、練習再開」
「はーい」
「えっ、ちょっと待って。まだ疲れが取れて――って、おい! 何だよその武器! 本当に護身術だよな! まさかこのまま
再びどたどたと床を踏み荒らす音とレオの叫び声と少女達の楽しそうな声に、景はフッと笑みを漏らして外へと足を進める。
おそらく今も地面に転がっているであろうエリカを起こしに。
* * *
皆が修行パートに突入しているからかどうかは分からないが、達也と深雪とエリの3人も八雲の寺を訪れて、実弾による魔法射撃の訓練を行っていた。八雲から「“遠当て”を想定した練習場を作ったので試してみないか」と誘われたからであり、クラブに所属していないので学校の練習場をそれほど自由に使えない3人にとっては渡りに船だった。
練習場は本堂の地下に広がっており、正方形の部屋の壁3面と天井に無数の穴が空いていた。その穴から標的が発射されるのだが、壁4面でないのは“敵に囲まれて孤立する”というシチュエーション自体が現実的ではないからである。
練習方法は至ってシンプルで、穴から撃ち出された標的を狙い撃つだけである。ただし標的は一度に幾つも出現する上に、たった1秒でその姿を隠してしまう。そして撃ち漏らした数に応じて模擬弾が発射されるという、これを設計した奴は絶対に性格悪いだろ、と悪態を吐いてしまいそうなシステムだった。
「――はいっ、止め!」
八雲の合図と共に装置が停止し、部屋の中にいた深雪は気が抜けたのかその場に座り込んでしまった。薄手のトレーニングシャツにスパッツという珍しい姿をした彼女は今、全身から汗をびっしょりと掻き大きく息を荒げていた。
元々深雪は点を狙うよりも面を塗り替える性質の魔法が得意であり、射撃に関しては(“彼女にしては”という注釈付きで)あまり得意とは言えなかった。撃ち漏らしも所々で見られ、模擬弾自体は魔法で全てブロックしているものの、攻撃と防御を同時に行うことで足元が疎かになり転倒する、という光景が何度も見られた。
「お疲れ様、深雪」
「……あっ、お兄様。申し訳ございません」
達也からタオルを受け取り、深雪は謝罪の言葉と同時にそれで汗を拭った。そんな仕草だけでも妙な色っぽさを見せる彼女だが、今ここにいるのは彼女と付き合いの長い面々ばかりなので、特に見惚れるといったことはなかった。約1名鼻の下を伸ばしている僧侶がいるが、完全無視である。
深雪に怪我が無いことを確認した達也は、言葉も無く部屋の中央へと移動した。愛用のCADを胸の前に掲げ、肘を折り曲げた待機姿勢のままじっと待つ。
そして深雪が部屋から引いた途端、何の前触れも無く装置が動き出した。3面の壁から同時に12個のボールが飛び出し、そして一瞬の内に粒と化して消えていった。次の瞬間に倍の24個が飛び出し、一切のタイムラグも無く同時に霧散していった。
原因は達也による分解魔法だが、彼はそれぞれ1回しか引き金を引いていない。そもそも彼は、どれか1つのボールに照準を合わせるといったことすらしていない。
ボールの材料である合成樹脂の粉末を避けながら、達也はカチッ、カチッと引き金を引いていく。その頻度が徐々に狭まっていき、もはや部屋にボールが飛んでいない時間が無いくらいに次々とボールが撃ち込まれていくのだが、撃ち漏らしのペナルティである模擬弾が発射されることはなく、床に合成樹脂の粉末を雪のように薄く降り積もらせていくだけだった。
「――止めっ」
深雪のときよりも悔しさの滲んだ声で八雲がそう言うと、装置は途端に静まり返った。ほぅ、と息を吐く達也に向かって、満面の笑みを浮かべた深雪が飛びつくような勢いで走り寄る。
「お兄様、素晴らしいです! いつの間に同時照準を36にまで増やされたのですか!」
「やれやれ、これでも完全クリアか……。少し難度を抑えすぎたかな?」
「いえ、これでも結構ギリギリでしたよ。あんな嫌らしいタイミングで攻めてくるアルゴリズムは、もしかして風間少佐が組んだものですか?」
「制御式は風間くんから貰ったものだけど、作ったのは真田くんだよ?」
「ああ、成程……」
独立魔装大隊の中でもトップクラスに腹黒い素顔を人当たりの良い笑顔の裏に隠す技術士官の名前に、達也は納得したような表情を見せた。
と、そのとき、
「ねぇねぇ、八雲さん。次は私がやってもいーい?」
「ん? ああ、構わないよ。というか、ぜひともエリちゃんにやってほしいね。エリちゃん用に特別に難易度を設定してあげるから」
八雲はそう言うと、部屋の傍に置いてあるコンソールをいじり始めた。先程“難度を抑えすぎた”と言っていたのは、どうやらハッタリではないらしい。しかし実際に体験した達也も傍で見ていた深雪も、先程の難易度で充分すぎるほどに難しいことは分かっている。あれ以上に難しくしたら、それこそ人間にはクリア不可能になるのではないだろうか。
「八雲さーん、準備できたよー!」
「はいはーい、それじゃ始めー」
八雲の気の抜けた声と共に、装置が動き出した。
そして、
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド――
「――ちょ、ちょっと師匠!」
「エリ!」
彼らの目に映っているのは、もはや“同時”だとかそんな問題ではないほどにボールが飛び交う光景だった。全ての穴から際限なく、あまりに連続しすぎてもはや1つの長い音に聞こえるほどに矢継ぎ早にボールが撃ち出されるその光景は、まるで何百丁ものマシンガンで集中砲火をしているようだった。
さすがにまずいと思って目を丸くする達也と深雪だが、コンソールをじっと見つめていた八雲は口元の笑みをヒクヒクと引き攣らせて冷や汗を掻いていた。
「……まさか、ここまでとはね」
彼の呟きに興味を惹かれ、2人も同じようにコンソールを覗き込んだ。そこには発射されたボールがいつどのように撃ち抜かれたのか、または撃ち抜かれなかったのかが一目で分かるようになっている。
そして2人はその画面を見て、絶句した。
土砂降りの雨のように降り注ぐボールを、エリはただの1つも取り零すことはなかった。しかも使用しているのはプリティ☆ベルの魔法ではなく、現代魔法による初歩中の初歩であるごく単純な空気砲だった。達也特製のシルバー・モデルによるループ・キャスト・システムで実現させたマシンガンのような空気砲で、数百、あるいは数千ものボールを1個ずつ撃ち抜いているのである。
先程深雪は同時照準を36にまで増やした達也を賞賛していたが、これだけのボールを撃ち込まれたらその程度では絶対に間に合わない。少なくともその10倍は無ければ、たちまちの内に今度は模擬弾の嵐に巻き込まれるだろう。
「……プリティ☆ベルの魔法は、基本的に空想世界の生き物などを召喚する魔法だ。召喚して使役するからには、召喚したそれら全ての状況を把握していなければいけない。だからこそ彼女の感覚は、我々とは比べ物にならないほどに研ぎ澄まされているのだろうが……」
彼女が今使っているのは、自分達にとって馴染みの深い魔法だ。それがプリティ☆ベルという異質の力が加わると、ここまで性能が変質してしまう。それは自分達にとって『現代魔法はここまでの域に到達できる』という“希望”と共に、いとも容易く別次元の領域へと足を踏み入れてしまう彼女の理不尽さを目の当たりにした“絶望”をも感じさせる光景だった。
「……止め」
八雲の声と共に装置が止まり、あれだけ激しく部屋に撃ち込まれていたボールが影も形も無くなった。そして部屋の中央にはまったく堪えた様子の無いエリが平然と立っており、部屋中の床には合成樹脂の粉末が数センチもの厚さで積もっていた。そしてその粉末は、彼女の周囲1メートルの範囲内には1粒たりとも落ちていなかった。
「……相変わらず、彼女の実力は底が見えないね」
「……そうでしょうね。何せ、いつも一緒にいる俺達ですら、おそらく厚志さん達ですら、彼女の“本気”を見たことがないのですから」
「そうかい……。彼女の本気を見られる日が来ないことを祈るよ」
普段は飄々としている八雲だが、このときの声は切実さを帯びたものだった。
床に積もった合成樹脂の粉末を触って遊ぶエリの姿を眺めながら、達也と深雪も無言で頷いた。
* * *
「ふん――ふん――ふん――」
現在厚志は自分のジムにて、ベンチプレスを行っていた。棒の両側に重りをつけたバーベルを仰向けに寝そべって持ち上げるアレである。上半身に思いっきり負荷を掛けるためか、10秒くらい掛けてゆっくりとバーベルを上げて、また10秒くらい掛けてゆっくりとバーベルを下ろす、という作業を何十回と繰り返している。
これだけならば、ジムでよく見掛ける有り触れた光景である。厚志はプロのボディービルダーでもあるので、こうして日常的にトレーニングしなければいけないのだから充分理解できる。
しかし、棒の両端についている重りが左右合計で20個もついていなければ、という注釈付きだが。しかも小さい重りが20個ではなく、“普通の重り”で換算すると100キロくらいはあってもおかしくない大きさばかりである。
『どうよ、厚志さん? なかなかのモンだと思うんだけどよ』
厚志の傍に置かれたモニター(仰向けになっている厚志のために、モカが見やすい位置に調節してくれている)から聞こえてきたその声は、今にもケタケタと高笑いしそうなほどに軽薄でどこか“壊れている”という印象を与えるような声だった。画面に映っているのは、普通にしていれば結構なイケメンなのに、ニヤニヤと浮かべる歪んだ笑みとグルグル眼鏡のせいで台無しになっている青年だった。
彼の名前は、ガリレオ。人間界でこの名前を聞くと真っ先に数百年前の物理学者・天文学者の人物が頭に浮かぶが、魔界でその名前を聞くと誰もが真っ先に彼の顔が頭に浮かぶ。
彼は魔界の西軍に所属しており、西の国のベルベリオンから専用の研究所と国家予算レベルの研究費用が与えられている。それはひとえに彼が“天才”の称号を欲しいままにしている発明家であり、西軍の武力を大きく飛躍させる要員となった“レッグストライカー”という高機動空戦装備を開発したりと、その功績は間違いなく歴史に名前を残すほどである。
しかし彼はかなりの気分屋で、自分が興味を持ったものしか発明しないという悪癖があった。なのでどのタイミングで何を発明するのかまったく分からず、上層部としては手綱を握れないため目障りだが、魔王のベルベリオンからは気に入られているうえに有能なので扱いに困っている、といった感じの人物である。
「うん、確かに今までの金属とは体に掛かる負荷がまるで違う。さすがだね」
そんな彼が厚志とモニター越しに会話をしているのは、今厚志が使っているバーベルの重りがガリレオの作ったものだからである。
『そりゃあ、今まで一番密度の大きかったオスミウムなんか比較にならないほどの密度だからな。しかも今回はバーベル用に、使用者以外には一切負担を与えないように特別な魔法を施してあっから、安心してバリバリ使うと良いぜ』
「ありがとう。あまりに重りをつけすぎると、床とかが壊れちゃって大変だったんだよ」
厚志がガリレオに重り製作を依頼したのは、自身の体に宿るプリティ☆ベルの力が原因だった。
プリティ☆ベルに変身できるようになって一定期間が経つと、能力が体に馴染むことで通常時でも部分的に能力を使うことができるようになる。だからこそエリや景は、劣化版とはいえ通常時でも武器や生物を召喚することができるのである。
しかし召喚能力が使えない厚志の場合、それに関しても少々異なる現象となる。純粋に身体能力が上がって頑丈になるだけでなく、魔力を集中させることで飛躍的に攻撃力・防御力を上げることができる。生身の体でもちょっとした魔王クラスなら簡単に屠れるし、ちょっと走っただけであっという間に音速の壁を超える。
なので人間の頃には普通にやれていた負荷トレーニングも、プリティ☆ベルの能力が体に馴染んでからはまったく効果が無くなってしまったのである。なにせ普通の人間が音を上げるようなベンチプレス用のバーベルを、醤油でも取るかのような気軽さでひょいと持ち上げてしまうからである。なので厚志は自然と人前で本気のトレーニングをしなくなり、人目のある場所では相手の指導に集中するようになった。
しかしたまには本気のトレーニングをしないと、体が鈍ってしまう。そこで厚志はガリレオに依頼して、周りに負担を掛けないように本気を出せるトレーニングの機材を開発してもらったのである。駄目元で頼んでみたのだが、厚志には世話になっているのと本人が興味を持ってくれたことで引き受けてくれた。
『それでよう、厚志さん。こうやって協力してやったんだからよ、厚志さんとこの達也って奴をここに連れてきてくんねーかな?』
「ははは、残念だけどそれはできないよ。だって君、達也くんに対してアレコレやる気だろう?」
『良いじゃねーか、どうせ“再生”しちまうんだからよ。あいつの魔法って便利だよなぁ、あの魔法を解明できたら絶対に革命が起こるぜ? なぁ、厚志さん。「僕と一緒に異世界で革命起こそうぜ」ってあいつに言っといてくんねぇ?』
「まぁ、伝えるだけ伝えておくよ。――それじゃ、報酬は最初に聞いた口座で良いのかな?」
『おう。僕としても結構楽しかったし、開発したときにできたこの金属で色々できそうだから、報酬は8割で良いぜ。そんじゃな』
ガリレオはそう言って、一方的に回線を切断した。しかし厚志はそれを気にする様子も無く、再びゆっくりとバーベルを上下させるトレーニングへと戻っていった。
そして自分の体をさらに磨き上げる厚志の姿を、モカが傍で恍惚とした表情で眺めていた。