魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第55話 『どれだけ武道を極めていようと、後ろからバットで殴られたらどうしようもない』

 一高で強盗騒ぎが起こっているその頃、一高の制服姿で通りを歩く1人の少女がいた。その少女は周りを気にするようにきょろきょろと辺りを見渡しながら、ゆっくりとした足取りで歩を進めていく。

 その少女は、平河千秋だった。パスワードブレーカーを手に論文コンペを妨害しようとしたあの日から、彼女の足は自然と学校から遠のいていた。しかし今日はコンペの準備を手伝う姉の顔を見に行くという名目で、久し振りの学校へと向かっているところである。時々周りを気にする素振りを見せるのは、自分のことを噂しているのではないかという、犯罪をした人間特有の自意識過剰から来るものだろう。

 と、そのとき、ふいに彼女の足が止まった。

 彼女の頭に浮かんだのは、論文コンペを手伝う姉に会えば必然的に顔を合わせることになるであろう“彼”のことだった。

 その“彼”とはもちろん、司波達也のことである。

 元々彼女は、秘かに彼に憧れていた。自分と同じ二科生なのに風紀委員に任命され、一科生にも引けを取らないどころか一科生を凌ぐ活躍を見せ、しかも九校戦の技術スタッフにも選ばれて担当選手を表彰台に導くだけでなく、自身もモノリス・コードの選手としてあの“クリムゾン・プリンス”を倒すという快挙を成し遂げた達也は、魔法工学を得意とする彼女にとって理想の姿だった。

 しかし、ある日のこと。いつもより元気の無い姉に何かあったのか尋ねると、論文コンペの代表の座を司波達也に譲ったのだという。当然彼女は驚いて訳を尋ねると、彼と自分の才能の差を目の当たりにしてすっかり自信を無くしてしまった、という答えが返ってきた。そのときの彼女の乾いた笑みが、達也と同じくらい姉に憧れていた彼女に暗い影を落とすこととなった。

 そんなときに偶然出会ったのが、びっくりするほどに綺麗な顔をした青年だった。なぜ彼と知り合いになったのかはよく憶えていないが、彼に自身の悩みを打ち明けたことは憶えている。

 そのとき、彼はこう言った。

 ――「彼はもしかしたら、本当は普通に一科生になれるだけの実力を持っていて、わざと二科生として入学したのかもしれないね。自分の方が上だと思ってる一科生のプライドを打ち砕き、絶望に打ちひしがれる彼らの顔が見たいがために」

 それをきっかけに、今までは憧れだった司波達也が途端に胡散臭く思えてしまった。彼が何かしらの活躍をする度にその言葉を思い出し、そしてあのときの姉の笑顔がその言葉に説得力を持たせていく。

 そして彼に対する憧れは、その純粋さを保ったまま憎悪へと変化した。最愛の姉を代表の座から引きずり下ろし、そして自分は何食わぬ顔で代表の仕事をこなしているのが我慢ならなかった。たとえ姉の方から代表を譲ることを提案しており、そして本人はその選択自体に後悔は無かったとしても、口ではそう言っているが実際は違う、と彼女は自身の願望を込めた妄想でそれを塗り潰していく。

 そんなある日、例の青年からパスワードブレーカーを渡された。それを使って彼に一泡吹かせてやれば良い、という助言つきで。そして彼女はその通りの行動を起こし、そして彼にばれて最愛の姉にこっぴどく怒られた。

 本気の表情で自分を怒る姉の姿を見ながら、彼女はここで初めて疑問が湧き上がってきた。ひょっとしたら、自分は大きな思い違いをしているのではないか、と。今日学校に足を運ぶ決心をしたのも、それを確かめたかったからである。

「……大丈夫、お姉ちゃんの顔を見に行くだけだから」

 自分を奮い立たせるように独り言を呟いて、千秋は再び足を踏み出した。

 

 

 

 そんな彼女から数十メートル後ろを歩く、1人の若者がいた。

 灰色のスポーツスラックスに同色のジャケット、その下には黒っぽいトレーナーといういたって平凡な服装をした、特別ハンサムでも醜くもないありふれた顔立ちをした、引き締まった体をもつ大柄な東洋人だった。そんなありふれた外見のためか、道行く者も彼のことなど気に留めることなく擦れ違っていく。

 千秋との距離を一定に保ちながら歩いていると、彼女がふいに横道へと入っていった。学校までの近道として生徒達の間でよく利用される道だということは、事前の調べによって分かっていたことである。そしてその道が、他の人にはほとんど使われないために人通りが極端に少ないことも、彼には分かっていた。

 彼は先程よりも歩くスピードを上げて、その横道へと入っていった。音をたてないぎりぎりの速さで徐々に彼女との距離を詰めていく。その大柄な体の割にはやけに気配が希薄なせいか、後ろから近づいているのに彼女がそれに気づく様子は無い。

 そして大股で数歩進めば手が届く距離にまで近づいた、そのとき、

「――やぁ、彼女に何か用かね?」

 ふいに後ろから声を掛けられたその若者は、バネでも仕込んでいるかのように素早い動きで体を回転させて後ろを振り返った。

 そこにいたのは、自分よりもさらに大きな体をした男だった。10月も後半だというのに薄着の格好でいるそいつは、黒々とした肌のおかげで強調された筋肉を惜しげもなく披露しながら、真っ白な歯を見せる満面の笑みを浮かべている。

 そんな彼を見て、若者――呂剛虎(リュウ・カンフウ)は何も言わずに臨戦態勢を取った。彼にとって目の前の男は、自身の上司によって監視を命じられているターゲットの1人・高田厚志だったからである。

 そして次の瞬間、呂は厚志との距離を一気に詰めて、爪を立てた右手を突き出してきた。普通の人間だったら目視することすら叶わない速さで突き出されるそれは、単なる張り手とは訳が違う。“剛気功”(ガンシゴン)と呼ばれる魔法の一種で、体術である気功術を発展させることで皮膚の上に鋼よりも硬い不可視の鎧を形成する。気功を纏った手は防御だけでなく攻撃にも優れ、ただ爪を立てて引っ掻くようにしか見えなくとも実際に当たれば骨ごと肉体を抉り取るほどの威力がある。

 そんな彼の攻撃を厚志は“目で追って”、そして“避ける動作すらしなかった”。呂の手は厚志の体に到達する直前、ばちんっ! という大きな音と共に何物かによって阻まれた。その大きな音によって前を歩いていた千秋が怪訝な表情で後ろを振り返り、そして至近距離で向かい合う大男2人に驚愕の表情を浮かべる。

 ターゲットに姿を見られた呂だが、今の彼はそんなことを気にしている場合ではなかった。相手を仕留めるつもりで突き出した右手は、厚志を守るように突然現れた半透明のシールドに阻まれ、どれだけ力を込めてもそれ以上は動かなかった。予想外の事態に、呂は驚きを隠せないでいる。

 しかし一方の厚志も、内心驚いていた。彼のシールドはプリティ☆ベルの能力の1つであるオートシールドであり、これには受けた攻撃を増幅して跳ね返す性質があった。つまり先程の攻撃も増幅されて彼の手に襲い掛かっていたはずなのだが、彼の手にはそんな攻撃を受けた様子も無くぴんぴんとしていた。

「へぇ、なかなかやるようだね」

「厚志さん、気をつけてください! そいつが例の呂剛虎です!」

 至近距離で呂と睨み合う厚志の後ろから声を掛けたのは、コート姿の男――ジロー・マーシャルだった。

「ここは私が引き受けよう。マーシャルくんは、彼女の身の安全を確保して」

「了解しました! ご武運を!」

「えっ? 何? えっ?」

 ここまで来てようやく自分の命が狙われていた事実に気づいたようで、千秋は軽いパニック状態になっていた。ジロー・マーシャルはそんな彼女の手を取って、他に襲撃者がいないか辺りを警戒しながらこの場を離れていく。ちなみに親しい人間は名前で呼ぶ厚志がジローのことを姓で呼ぶのは、名前で呼ぶと“別の或る人物”が頭を過ぎるからなのだが、これは完全な余談だろう。

 呂としては、ターゲットにこのままいなくなられるわけにはいかなかった。(チェン)から彼女の暗殺を命じられた以上、何としてでも果たさなければいけない。呂はターゲットに向かって大きく足を踏み出し――

「私が、それを許すと思うのかい?」

 姿を現したときからずっと変わらぬ満面の笑みを浮かべる厚志が、自身の横を通り過ぎようとする呂の前に立ちはだかり、そして右腕を彼に向かって突き出してきた。先程の呂の攻撃と遜色ない速さのそれを、呂は本能に従って後ろに飛び退いて避けた。そのときに彼の体を纏う気に触れたのか、ばちっ、と火花が散るような音が響いた。傍目には単なる突きのようにしか見えない攻撃が、である。

 厚志との距離が離れたことで仕切り直しとなったが、呂の得意としている間合いは自身の腕が届く超至近距離である。相手の実力はまだ未知数だが、少なくとも自分の得意でない間合いで戦うのは得策ではない。よって呂は着地した瞬間、再び厚志に肉迫する。

 空気を切り裂くような鋭い突きを、厚志は今度は軽く横にはたくことで受け流した。厚志の体を掠めて呂の右手は地面へと向かい、それに釣られるように彼の体が左へと流れ、彼の右半身が厚志の目の前に晒される形となる。当然厚志がそれを見過ごすはずもなく、まるで樹齢数十年の大木のような厚志の腕が彼めがけて振り下ろされる。

 しかし呂はむりやり体を回転させてそれを避けると、その回転による遠心力に乗せて爪を立てた右手を厚志の顎めがけて突き上げた。厚志はゆっくりと、上半身を僅かに反らすという最低限の動きでそれを避け、それと同時に右脚を振り上げて呂の腹に突き刺した。しかし厚志の足は呂の体を纏う気に阻まれて、呂に決定的なダメージを与えるには至らなかった。

 しかしダメージが無かったとはいえ、呂の体に大きな衝撃が伝わったのは確かである。たとえ防弾チョッキを着ても着弾の衝撃で肋骨が折れることがあるのと同じで、苦悶の表情を浮かべる呂の様子から確実にダメージは受けていることが分かる。

「やはり“白兵戦では大亜連合一”と言われるだけはあるね。動きに無駄が無いし、私の攻撃もなかなか通らないようだ」

 余裕の態度でそんな感想を述べる厚志に、呂は忌々しそうに舌打ちをした。最初に自分の攻撃を防いだシールドは気になるが、それ以降は特にこれといって魔法を使った様子は無い。にも拘わらず、自身が得意とする白兵戦で遅れを取ってしまっていることが彼には我慢ならなかった。しかも彼の様子からしてまだまだ本気ではないというところが、ますます彼の神経を逆撫でさせていく。

 しかしながら、ここで怒りに身を任せて特攻を仕掛けるほど、彼の精神力は脆弱ではない。確かに彼は頭脳を駆使して策謀するよりも力で圧倒する戦いの方が得意だが、だからといって戦闘においてまったく頭を働かせないわけではない。引き際は、ちゃんと弁えている。

 次の瞬間、呂はポケットから小さなボールを取り出すと、それを厚志に向かって投げつけた。厚志の数メートル前方の空中で破裂したボールは、もの凄い勢いで白い煙をもうもうと吐き出し、あっという間に厚志から呂の姿を隠してしまった。

 しかし厚志はその煙に臆することなく、悠然と煙の中に突っ込んでいった。目の前以外何も見えないはずのその空間で、彼は普通の道を歩くのと変わらないスピードで突き進んでいき、呂がいた場所から数メートル後ろにあった曲がり角へと差し掛かる。

 曲がり角の先には、誰もいなかった。

「……ふむ」

 呂に逃げられてしまった形となった厚志だが、慌てることなくポケットから携帯端末を取り出すと、おそらくこの3年間で最も多く掛けたであろう電話番号を選んで電話を掛けた。すぐさま通話が繋がった。

『はいはーい、ちゃんと追えてますよー。どうやら仲間の車に乗ってるみたいです』

「そうか。分かったよ」

 相変わらず頼りになる仲間の策敵能力に厚志は笑みを浮かべ、通話を切ってその場を離れた。

 

 

 

「……出過ぎた真似、でしたでしょうか?」

 高級乗用車を運転する(チュウ)青年は、後部座席に座る呂をバックミラー越しに見つめながらそう問い掛けた。呂は正面を見据えたまま口を閉ざしたままだが、ピリピリと肌を焼くような剣呑とした空気を振りまいている。

 しかし周青年はそれに気を悪くすることも怯えることもなく、屈託の無い声を彼へと向ける。

「それにしても驚きました。呂大人(たいじん)が、まさか手傷を負われるとは。しかも相手はどこの誰とも分からぬ者となれば、その驚きもひとしおと言えましょう」

 失態をあげつらっているとも受け取れる彼の言葉にも、呂は眉一つ動かさない。

「――あいつが追ってこないのは、貴様が遁甲術を使ったからか?」

 その代わり口にしたのは、自身の逃走を手助けした彼の魔法についてだった。

「いや、お恥ずかしい。陳閣下の御技に比べたら、手遊びに毛が生えた程度のものでして。皆様にお見せするほどのものではないので、今まで言わなかっただけのことですよ」

 呂の鋭い睨みを後ろから感じながら、周青年はその笑顔を微塵も崩すことなく答えてみせる。そんな彼に呂は油断無く睨みを利かせ、そしてふいに窓から見える景色が見覚えの無いものであることに気づく。

「……おい、アジトに向かうんじゃないのか?」

「彼“ら”と接触してすぐにアジトに戻るのは危険ですよ。どこに“眼”があるか分かりませんから」

「……何?」

「それほど時間は掛かりませんよ。人混みに紛れながら一晩経てば、その“眼”もすぐに諦めてくれると思います」

 “思います”という言い方でありながら断定的な力強さを持つその言葉に、呂はますますその両目を鋭くした。

 

 

 *         *         *

 

 

 現代ではほとんどお目に掛かることが無くなった純和風の佇まいを見せる大江山流護身術道場の門前に、1人の青年が立っていた。その涼しげな眉目は世間一般でいう“美男子”の形容そのものであり、その細身で引き締まった体はスポーツというよりも武術の類で鍛え上げたものだった。

 そんな彼は道場を見上げて緊張したように何回も深呼吸をすると、やがて意を決したように門を潜って入口へと歩いていった。

 そして入口の扉に手を掛けようとしたそのとき、青年は第六感のような身の危険を察知して飛び退くように扉から距離を取った。

 すると、

「ぐあああああああああああ! やりやがったなああああああ!」

 両手で顔を押さえながら叫び声をあげる少年が、もの凄い勢いで扉を開けて門の外へと走り抜けていった。少年の背中を困惑の表情で見送った青年だが、そのまま中に入ろうとしてすぐさま異変に気がついた。

 道場の中から微かに漂ってくる煙が青年の目に当たり、ぴりぴりと痺れるような刺激が伝わってきた。ほんの少し気になるだけで普通に我慢できる程度だが、もしもこの煙をもろに食らったら先程の少年のように叫び声をあげても不思議ではないだろう。

 青年が中に入ると、道場の真ん中に立っていた3人の少女が一斉にこちらを振り返り、そして晴れやかな笑みを浮かべて駆け寄ってきた。

「いらっしゃい、修次(なおつぐ)さん! 今日はどうしたの?」

「そんなの、先生に会いに来たに決まってるでしょ! 修次さんったら、情熱的ー!」

「先生は今、外でお稽古をしています。もう少ししたら戻ってくると思うので、中でお待ちになってください」

「ああ、そうさせてもらうよ……」

 有無を言わせぬ強引さで、少女達はその青年――修次を道場の真ん中へと引っ張っていった。座布団を出してそこに座らせると、少女の1人が飲み物を用意しに奥へと消えていく。

 修次は落ち着きなくきょろきょろと辺りを見渡しながら、少女達に囁くように問い掛ける。

「……ところで、さっきの少年は一体何だったんだい? ただならぬ様子だったけど」

「ああ、あれ? 先生からの指示でね、私達があの人を鍛えてるの。さっき外に出ていったのは、“これ”を顔に思いっきり浴びちゃったから」

 少女がそう言って取り出したのは、防犯グッズとしても有名な催涙スプレーだった。唐辛子にも含まれているカプサイシンが主成分で、人の目に触れるとびりびりとした痛みが走り、涙が止まらなくなるという代物である。

 そしてそれは、修次にとっても苦い思い出の品だった。彼がここに初めて来たときに、不審者と勘違いした目の前の少女にいきなり顔に吹きつけられたことを思い出した。その頃にはすでに海外でも高く評価されるほどの魔法師になっていた彼が、年下の少女に完全に不意を突かれたその経験は、自身の修行不足を嘆くと同時に大江山流護身術の神髄を垣間見た瞬間であった。

 少女が持ってきたお茶を口にしながら、修次は先程の彼女達の言葉を思い返した。

「そういえば、景さんは外で稽古なんだっけ? 景さんがマンツーマンで指導してるってことは、見所のある門下生なのかな?」

「よく分からないけど、先生がそうしてるってことはそうなんじゃないかな?」

「確かにエリカさん、レオさんよりは強そうな感じだったもんねー」

「そういえば、エリカさんって剣術をやってるみたいだよ? 先生が話してた気がする」

「……エリカ? 剣術?」

 少女の口から飛び出した言葉に、修次が怪訝な表情を浮かべていると、

「――次兄上(つぐあにうえ)! なんでここに!」

 聞き覚えのある声に修次が入口へと顔を向けると、驚愕の表情を浮かべたエリカと目が合った。全身を土埃と汗で汚した彼女は、そんなことを気にする余裕も無く彼の下へと駆け寄っていく。そして、汗1つ流していない景が彼女に続く。

「……エリカ、まさかここで教えを請うていたとは」

「そんなことはどうでもいいです! 兄上、なぜこのような場所にいらっしゃるのですか! 兄上は明日からグアムで合同訓練のはずです! 準備はしなくても宜しいのですか!」

「大丈夫だ、準備はもう済ませているよ。今回は10日間の短期研修だからね、荷物も大したことはない」

「……だから海外に発つ前に、愛しの女性に会いに行こうと?」

「エ、エリカ……。“愛しの”だなんてそんな……」

 まるで初心(うぶ)な少年のように顔を真っ赤にする修次に、エリカの機嫌はみるみる下降していった。

 千葉修次。エリカの兄であり、千葉寿和の弟である。防衛大学に在籍中の身でありながら、3メートルの間合いならば世界でも十指の内に入ると言われる“千葉の麒麟児”である。――中学生の少女に催涙スプレーを吹きつけられた、という説明の後では説得力が無いかもしれないが。

「エリカちゃん、あまり彼を責めたら可哀想よ。彼だって、忙しい時間の合間を縫って来てくれたんだから」

「景さん……!」

「まぁ、だからといって私が相手するとは限らないけど」

 景の辛辣な言葉に、修次はがっくりと項垂れていた。最初は不機嫌な表情だったエリカも、彼のそんな姿に何だか同情の色が見え隠れしていた。

 今までの様子からも分かる通り、彼は景に惚れていた。警察の魔法師に剣術を指南する千葉家と、警察の一般警官に護身術を指南する大江山流。傍目にはライバルのように思われる両者だが、少なくとも修次にはそんな気は一切無く、それどころか時々道場に顔を出しては護身術を指南してもらっていた。そしてそのとき指導をしてもらった景にいつの間にか惚れてしまい、道場へ顔を出す頻度もどんどん上がっていった。

 とはいえ、今のところ彼の想いは一方通行のようだった。景の態度からは彼に対する恋愛的な感情は一切無く、せいぜい“からかい甲斐のある年下の男の子”程度だろう。

「それにしても、エリカが大江山流護身術に興味を持ってくれるなんて、僕は嬉しいよ」

「……別にそういうわけではありません。今のままでは、守れないと思ったからです」

「守れない? 一体何を?」

 修次がエリカに尋ねるが、彼女は言いにくそうに口を閉ざしたまま答えない。おそらく秘密にしなければいけないことなのだろう、と修次はそれ以上訊くことはなかった。

 その代わり、彼女の後ろで遣り取りを見守っていた景に視線を移し、

「マンツーマンで指導しているあなたから見て、エリカはどうですか?」

「……そうね。やっぱり千葉家で剣術を学んでいるだけあって、基本的なことはしっかりできているわよ。実戦経験も豊富みたいだから、危険に対する心構えも一通りはできているし」

「……成程、“一通り”ですか」

「まぁ、私としてもそう簡単に越えられるわけにはいかないからね。大人の意地ってやつ?」

 おどけたように笑ってみせる景に、修次は素直に笑みを零していた。そんな風に仲睦まじく話している2人に、エリカの表情が再び不機嫌に染まっていく。

 そして修次も、妹のそんな様子に気づいていた。

「……よし! 僕も稽古に参加しよう!」

「えっ! でも兄上、明日から合同訓練が――」

「今までだって、遠出のときにはエリカに稽古をつけていたんだ。僕も景さんほどではないけど護身術を指南することはできるし、久し振りに景さんとも手合わせしたくてここに来たんだから」

「私は別に構わないわよ? 1人が2人に変わったところで、大して違いは無いでしょうし」

 仮にも“千葉の麒麟児”である修次と、諸事情により知名度は無いが間違いなく千葉家の人間であるエリカを前にしてそう言い切る景に、修次は苦笑いを、エリカは持ち前の負けん気で彼女を睨みつけていた。

「ははは、景さんは相変わらずだなぁ」

「その余裕な態度を叩き折ってやる……」

 道場の真ん中でエリカと景が睨み合い(景はただ彼女を見つめているだけだが)不穏な空気を醸し出しているそのとき、

「……ちくしょう、やっと痛みが引いてきた――」

「あ、レオさん。今シリアスな空気だから」

「あああああああああ! 目があああああああああああああ!」

 入口ではレオと少女達が、また何やら騒いでいた。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日予定していた論文コンペの準備をすべて終えた頃には、空はすっかり暗くなっていた。達也は深雪とエリと一緒に家路を歩き、一旦司波兄妹の家へ寄って荷物を置いた後、すぐさま隣の厚志の家へと向かっていった。

 我先にと玄関へ駆けていったエリに続いて、まるで自分の家のように自然に玄関を潜った達也と深雪に、わざわざ玄関まで出迎えてくれたモカが「お帰りなさい」と笑顔で声を掛けた。「ただいま」と短く言って靴を脱いで居間へと向かうと、テレビゲームをしていたミルココとダッチを後ろから眺めていたリカルド・マッド・厚志の3人が一斉にこちらを向いた。

「おう、お帰り」

「さてと、達也くんたちも帰ってきたころだし、そろそろ夕飯の時間にしようか」

 厚志のその言葉を皮切りに、皆が一斉に夕食の準備を始めた。ミルココとダッチの3人はゲームの電源を切って片づけ、モカとジローは台所から全員分の料理を運んできて、残りの面々がそれを手伝う。

 そして全員分の夕食が出揃ったところで、

「お風呂の掃除が終わりました。お湯を入れ始めたので、夕飯が終わる頃には入れますよ」

 居間に入ってきた平河姉妹がそう言いながら席に着き、「それじゃみんな、頂きます」という厚志の言葉と共に夕食が始まった。

「……また増えてる」

 達也と深雪がちらちらと平河姉妹の方を見遣りながら、呆れたように呟いた。ちなみに妹の千秋は、先程から達也を睨みつけながらも気まずそうに視線を逸らす、というのを繰り返していた。

「達也くんにも連絡したけど、昼間に千秋ちゃんが襲われてね。また襲われるといけないから、こうして私達の家に泊まってもらうことにしたんだ」

「いえ、それは普通に納得できることなんで良いんですけど……。その襲撃者の行方は?」

 達也がミルココへと視線を向けて問い掛けると、2人は揃って溜息を吐いて、

「それがさぁ……。さっきまで私達が追ってたんだけど、どうにもそいつらアジトに帰らずに人混みに紛れちゃったみたいでさぁ、見失っちゃったんだよねぇ……。とりあえず見失った地点の街路カメラを調べてくれって響子には言っておいたんだけど……」

「そっちから素性が割れる可能性は低い、ということか」

「そういうこと。やっぱり“人間”相手だと、こういうのも限界があるよねぇ」

 口では何てことないかのように振る舞っているが、本当にがっかりしているようだ。

 そんな彼らの会話を、小春が戸惑うように眺めていた。

「ねぇ、司波くん……。随分、この人達と仲が良いんだね……。親戚か何か?」

「親戚ではないが、昔からの付き合いであることは確かだな」

「最初の頃は、そこまで仲良くなかったからねぇ。特に達也なんて、それこそ反抗期の中学生って感じで――」

「やめろ、ミルク」

 ぶっきらぼうに吐き捨てる達也の姿に、小春は学校で見る彼とは違う印象に戸惑いと物珍しさを感じていた。

 そしてそれは、彼女の隣に座る千秋も同じだった。何もかもが自分と違うと思い込んでいた少年の、まるで自分達と変わらないその姿に、自分の心に巣くっていた“想い”にヒビが入っていく心地がした。

「とにかく、これからしばらくは達也たちと一緒に登下校してもらうから。良いね?」

「……はい、分かりました。私としても、また千秋が誰かに襲われでもしたらって心配で……」

「大丈夫大丈夫。誰が相手でも、達也ならちゃーんと守ってくれるから!」

「ココア、またおまえは勝手なことを……」

「でも、守るんでしょ?」

「……自分の目の前で襲われているのを、黙って見過ごすわけにはいかないからな」

「……あんた、私のことを守ってくれるの? 色々ひどいことしたのに」

 今にも消え入りそうな声でぽつぽつと囁くように尋ねる千秋に、

「それとこれとは、別問題だからな」

「……そっか」

 簡潔にそう答える達也に、千秋は顔をほんのり紅く染めて俯きながらそう答えた。

 そしてミルココとダッチと小春が、にやにやと笑みを浮かべながら彼女のことを見つめていた。

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