魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第56話 『いつの時代にも“数の暴力”が付き纏う』

 現代における電車事情についてだが、21世紀中盤までは常識だった“時刻表”というものはすでに消え去って久しくなっている。現代では2人乗り、あるいは4人乗りの小型なリニア式車両(一般的にキャビネットと呼ばれている)が駅のプラットホームに常駐しており、待合タクシーのように乗った傍から発車するようになっている。路線全体をネットワークで管理することで待ち時間を極力無くし、満員電車という概念が消失したことで快適な電車移動を満喫できる。

 月曜日の、登校や出勤の時間と照らし合わせれば“早朝”という表現がなされてもおかしくない時間帯、前に少女3人、後ろに少年1人と少女1人を乗せた2つのキャビネットがとある駅で停車した。そこは第一高校の最寄り駅であり、その5人のグループも第一高校の制服を着用している。

「ふあぁ……、さすがに眠い……」

 5人の中でも明らかに最年少の少女――エリが大きなあくびをしながらそう言うと、一緒に乗っていた少年――達也が苦笑いを浮かべた。

「悪いな、エリ。本番までいよいよ1週間だからな、朝からやることがたくさんあるんだ」

「だからって、なんで私達も一緒に……」

「司波くん達が護衛してくれるんだから、一緒に行動しないと駄目でしょ、千秋」

 達也の言葉に、別のキャビネットから降りてきた少女――千秋がエリと同じく眠い目を擦りながら愚痴を零すと、彼女とよく似た顔立ちをした少女――小春が口を尖らせて注意をした。それによって千秋が一応は反省の態度を示したため、最後にキャビネットを降りた少女――深雪の周辺の温度をにわかに下降させていた氷結魔法が停止した。

「――ん?」

 と、そのとき、何かを見つけたらしい達也が疑問の声をあげた。それに釣られて4人も同じ方へと顔を向け、エリと深雪は「あっ」と珍しそうにそれを眺め、小春と千秋はピンと来ないのか揃って首をかしげていた。

 達也たちを乗せた2つのキャビネットから少し遅れて到着したキャビネットに、レオとエリカが乗っていた。朝早くにうら若き男女が2人きりで相乗りという、ミルココ辺りなら生き生きとした表情でからかうこと必至なシチュエーションに、フロントガラス越しに達也たちの存在に気づいた2人がぎこちない愛想笑いを浮かべていた。

 やがてキャビネットが駅に到着し、レオとエリカが降りてきた。

「よ、よう達也……。随分と早いな……。論文コンペの準備か?」

「そんなところだ。レオ達はどうしたんだ? いつもはもっと遅いじゃないか」

「い、いや、それはだな……」

「や、やだなぁ達也くん! あたしは大抵早起きだけどぉ!」

 レオは明後日の方に視線を飛ばして言い淀み、エリカは不自然に明るい声と引き攣った笑みを浮かべて答えた。

「そう? じゃあ、今朝は西城くんの方が早起きだったのかしら?」

「ちょっと、深雪! その言い方は止めて! 何か、まるであたしが毎朝こいつを起こしてるみたいじゃない!」

 エリカがムキになって声を張ると、レオがそれに乗っかった。

「そうだぜ! どっちかというと、今日は俺の方が早かったんだからな!」

「あっ」

 そして本人が無自覚に放った失言に、聞いていたエリの方が『しまった』いうニュアンスの声を漏らした。

「…………」

「…………」

「ああ、あの2人ってそういう……」

「ふーん、まぁお似合いなんじゃないの?」

 レオのせいで変な空気が流れ出した中、達也と深雪はポーカーフェイスを貫き、小春は2人の関係を盛大に勘違いした独り言を呟き、千秋も勘違いした上で勝手に2人を評価していた。

「……ちょっと2人共、何黙ってるのよ?」

 恥ずかしいような恨めしいような居たたまれないような表情で顔を真っ赤にするエリカの呟きに、F・L・T所属の開発者として世渡りが同世代よりも上手いはずの達也は「まぁ“早起きは3文の徳”だからな……」と下手な話題逸らししかできなかった。

「あれ? そういえば、そこにいるのって……。なんで2人が達也たちと一緒にいるんだ?」

 そんな中、この空気を作り出した張本人であるレオは、そんなことなどまったくお構いなしに平河姉妹の方を向いてそう尋ねた。普通ならばその空気の読めなさを非難されるところだが、一刻も早く逃れたいと思っていたエリカにとっては有難かった。

「そ、そうよ! なんで2人がこんな朝早く、達也くんたちと一緒に登校してるのよ!」

「2人とは偶然顔を合わせてな。せっかくだから一緒に登校することにしたんだ」

 達也の言葉は一見自然なように聞こえるが、しかしよく考えてみるとおかしかった。それほど親しくない人間ならば、たとえ顔を合わせたとしても一緒に登校することにはならない。そしてエリカ達の知る限り、達也たちと平河姉妹は論文コンペ絡みでの騒動以外特に接点は無かったはずだ。

「あ、そうだ」

 しかしエリカ達がそれを指摘する前に、ふいに小春がパチンと手を叩いて千秋へと顔を向けた。

「ほら、千秋。2人に何か言うことがあるんじゃない?」

「……うん」

 最初は迷っていた素振りを見せた千秋だが、小春による(精神的にも物理的にも)後押しを受けてレオとエリカの前へと足を進めた。そしていきなりのことで身構える2人の前で、

「……この前の妨害工作の件は、本当に申し訳ございませんでした」

 千秋はゆっくりと頭を下げた。声に少し拗ねているようなニュアンスがあるものの、その雰囲気からも本気で反省していることが伺える。

「い、いや、別に俺らはあの現場に居合わせたってだけだし……」

「そうそう。工作自体は未遂だったし、当の被害者がこうして許してる以上は、ね」

 2人としてもいつまでも遺恨を残すほどのことでもなかったので、あっさりと彼女の謝罪を受け入れた。

 そんなことよりも、2人には気になることがあった。

「ところで達也、俺達が学校に来なかった間に大変なことになってたらしいじゃねぇか」

「大変なこと……?」

「ほら、関本先輩のことよ」

 エリカの言葉に、達也は「そういえばそんなこともあったな」くらいの感覚で頷いた。彼としてはすでに解決したことだったので、咄嗟には思い出せなかったのである。

「それにしても、随分と耳が早いな」

「幹比古から電話で聞いたからな。――随分と悠長に構えてるじゃねぇか」

「犯人は捕まったしな」

「あんなの、単独犯なわけないじゃない。背後にどんな組織がついてるやら……」

「っと、そういえばここに重要参考人がいるじゃねぇか」

 レオが思い出したかのように千秋へ顔を向け、彼女はぴくりと体を震わせた。

「彼女にはすでに事情聴取した。確かに20歳前後の若い男が接触してきたが、自分のことはほとんど話さなかったから詳しいことは分からないそうだ」

 レオの視線を遮るように千秋の前へ躍り出た達也の言葉に、レオとエリカは驚いたような目を見開いた(2人の場合、彼の言葉よりも行動に驚いたのだろうが)。達也に守られる形となった千秋は、自分が恨んでいた相手に守られるという状況に複雑な表情を浮かべていたが、ほっと胸を撫で下ろしたのもまた事実だった。

「つーことは、その関本先輩に事情を聞けたとしても無駄骨かもしれねぇな」

「でも、聞いてみる価値はあるでしょ? 確か今は特殊鑑別所にぶち込まれてるのよね。ようし、こっそり忍び込んでみようじゃないの」

 いつの間にか関本と面会する気マンマン(しかもかなり物騒な方法で)の2人に、さすがに達也も「おいおい」とツッコミを入れざるを得なかった。

「そんなことをしなくても、学校の委任状があれば普通に面会できるぞ。関本先輩も、今はまだ一高生なんだからな」

「その委任状って、実質的には風紀委員が管理してるんだよね?」

 エリカの問い掛けに、達也は首肯した。社会的に希少な逸材である魔法師の卵は、魔法犯の実行犯にでもならない限り、そう簡単には退学にならない。関本のような未遂犯の場合は特殊鑑別所に送られ、改心の度合いを見て処分を決定する。その度合いを確認するための代理人として、風紀委員がよく面会に訪れるのである。

「……まぁ、確かに達也くんとエリちゃんがいるし、忍び込むよりは簡単か」

 しぶしぶ、といった感じだがエリカが自身の提案を取り下げ、レオも納得したように頷いた。

 

 

 

 そして時間は一気に飛んで、放課後の風紀委員本部。

「駄目」

 関本への面会申請に訪れた達也・エリ・レオ・エリカの4人は、風紀委員長である花音からシンプルな答えを突きつけられた。

「なぜですか?」

「駄目なものは駄目よ」

「だから、なんでよ! 最終的な決定権は学校にあるんでしょ! 理由も無しに門前払いなんて横暴でしょ!」

 テーブルをバンッ! と叩きながらのエリカの抗議に、花音は何かを言いたげに彼女を睨みつけたが、すぐさま達也へと視線を戻して口を開いた。

「……だって、どう考えても面倒なことになるでしょ」

「そんなことありません。関本先輩から話を聞くだけです」

「司波くん自身はそうかもしれないけど、君はいつもトラブルに巻き込まれてるでしょ! 司波くんはトラブルに愛されてる体質なんだから、ただでさえ忙しいこの時期に仕事を増やさないで!」

 その理由は実に理不尽なものだったが、達也本人どころかエリカやレオもそれを否定することができなかった。普段から理論的に物事を判断するエリでさえ、いや、何年も彼と一緒に過ごしているエリだからこそ、花音の言葉に反論することができなかった。

 しかし、助け船は思わぬところから飛び出した。

「花音、さすがにそれは達也くんたちが気の毒だ」

 引退した身のはずなのに頻繁に顔を出す摩利が、苦笑気味に花音を窘めた。

「何せ達也くんは当の被害者だからな、自分の耳で事情を聞きたいという気持ちも分かる」

「でも、摩利さん!」

「まぁまぁ。ちょうど明日、あたしと真由美で彼の面会に行くところだったんだ。それに同行する、という形でなら良いんじゃないか?」

「それなら――いや、でも……、うーん……」

 特別仲の良い先輩からの提案でも、花音はなかなか首を縦に振らなかった。それほどまでに自分の信用は無いのだろうか、と達也が秘かに己を省みていると、

「それじゃ花音さん、達也さんの代わりに私が行くってのは?」

「エリちゃんが? それなら構わないよ」

 あれだけ渋っていたのにエリがそう提案したらあっさり快諾した花音に、達也は何か言いたげに彼女をじっと見つめていたが、やがて諦めたように溜息を吐いて視線を逸らした。

「あたしとしても、エリちゃんがついてくるのは構わない。しかし、さすがに千葉や西城も一緒に連れて行くというのは無理だな。さすがに大所帯すぎる」

「……まぁ、あたしとしても関本先輩からの話が聞ければ、それでも別に……」

「そうだな。俺達の分まで、しっかりと聞いてくれよ、エリちゃん」

「うん、分かった!」

 レオの言葉に、エリは胸をドンと叩いて元気よく返事をした。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして次の日、10月25日火曜日の放課後。

 エリと真由美と摩利の3人は、関本が拘留されている八王子特殊鑑別所に向かった。入口でこそ色々な手続きがあったが、一旦中に入ると拍子抜けするほどにフリーだった。案内用の端末を渡されただけで職員の同行すらなかったのは、おそらく真由美が“七草”の名前を使ったからだろう。

 “拘留”と表現されているものの、彼がいるのは牢屋ではなかった。隣の部屋からマジックミラー越しに中の様子を窺い知ることのできるその部屋は、少々狭いビジネスホテルのようである。関本自身も拘束されている様子は無いが、病院の検査着のような格好からして、当然ながら武器やCADの類は持っていないようだが。

 真由美とエリは隣の部屋に入り、関本には摩利1人で相対する。関本程度の腕ならば万が一にも摩利には敵わないし、それに彼女には“あれ”がある。

「……渡辺、何しに来た?」

 ベッドに座っていた関本は、摩利が部屋に入ってきた途端に驚愕の表情を浮かべ、そして不審と警戒を顕わにして睨みつけた。無意識に左手首をさすっているのは、没収されたCADを探っているのだろう。

 そんな彼に、摩利はにやりと不敵な笑みを浮かべて、

「もちろん、事情を聞かせてもらいに来た」

「――こ、ここでは魔法は使えないぞ!」

 焦るように声をあげる関本の言葉通り、ここには魔法の使用を探知する装置が至る所に設置されており、一度魔法が発動されれば無効化ガスが噴射されたりゴム弾の銃座が形成されたり、アンチィナイトを身につけた警備員が駆けつける手筈となっている。

 ただし、それはあくまでも“通常の場合”である。

「なぁ、関本。あたしは今日、誰と一緒に来たと思う? ――真由美とだよ」

「――――」

 その瞬間、関本は自分の意識が遠くなるのを感じた。咄嗟に呼吸を止めるもすでに手遅れで、彼の意識は霞が掛かったように曖昧になっていき、やがて彼は焦点の合ってない目を俯かせた。

「あまり時間は無いからな。要点だけ聞かせてもらおう」

 彼をじっと見つめながら、摩利は彼に話し掛けて――いるように見える独り言を呟いた。

 

 

 

「へぇ、匂いを使って意識を操るんだ」

 その様子を興味深そうに眺めていたエリが、ふとそんなことを呟いた。匂いが情緒や記憶に密接に関係することは前世紀から知られていること(アロマテラピーが最も分かりやすい例だろう)であり、現在摩利が行っているのは、複数の香料を強制的に嗅がせて心理的抵抗を薄れさせることで自白剤と同じ効果を生み出す魔法である。

「エリちゃんは、この魔法を見るのは初めて?」

「うん。普段の活動で、自白剤が必要になるときなんて無いから」

「ふふ、確かにそうね」

「それにしても、真由美さんも悪い人だね。洗脳にも使える魔法の使用を黙認させるなんて、さすが十師族」

「あら、エリちゃんはそういうの嫌い?」

「ううん。使えるコネは何でも使え、ってタイプ」

「そう。良かったわ」

 朗らかに真っ黒な会話を交わしている間にも、関本の“自白”は続いていた。

『それで関本、何が目的でデモ機にハッキングを仕掛けたんだ? わざわざ催眠ガスまで使って』

『……デ、デモ機のデータを吸い上げるため……』

『それだけか?』

『……司波の、あいつの私物も調べるつもりだった……!』

「――――!」

 その言葉に、真由美とエリが揃って反応した。摩利も真相に近づく重大な秘密だと悟ったのか、彼に顔を寄せて先程よりも強い口調で尋ねる。

『達也くんの私物に何があるんだ! 答えろ!』

 すると関本はベッドに体を倒して、まるで窒息でもしているかのように苦しい表情を見せた。僅かに残っている自我と摩利の魔法との板挟みでもがき、そして最後に残っていた自我をも消失させて口を開いた。

『……宝玉の聖遺物(レリック)、だ……!』

「レリック! エリちゃん、達也くんはそんなものを持ってるの!」

 それを聞いた真由美は、即座に隣のエリへと顔を向けて尋ねた。

 しかしエリはそれを聞いても、真由美から尋ねられても、不思議そうに首をかしげていた。

「ううん、それは勘違いだよ」

「でも――」

「前々から“賢者の石”絡みでレリックのことを調べてたらしいから、多分それを勘違いしたんじゃないかな?」

「……勘違いって、それにしては随分と大胆じゃない? 催眠ガスまで使うなんて、まるで達也くんが持ってるのを確信しているような行動だと思うんだけど」

「そう言われても、私には関本さんの考えてることは分からないもん」

「…………」

「…………」

 真剣な表情でじっとエリを見つめる真由美の目は、もはや“睨んでいる”と表現しても差し支えないほどにまでなっていた。そしてそんな視線を、腕を伸ばせば普通に届く至近距離から受けているエリは、それでも表情を一切変えずに平然としている。

 そして真由美が再び口を開きかけたそのとき、鑑別所中に警報が鳴り響いた。摩利は咄嗟に意識が朦朧としている関本をベッドに倒して部屋を飛び出し、それと同時にエリと真由美も隣の部屋から出て天井のメッセージボードへと視線を遣る。

「侵入者だって」

「……一体、どこの命知らずだ……?」

 摩利が戦慄を含む呆れ声をあげても無理はない。犯罪を犯した魔法師が一時的に拘留される施設だけあって、その警備体制は普通の鑑別所の比ではない。そんな場所に白昼堂々襲撃を掛けるなど、よほどの馬鹿か、あるいはそれほど実力に自信のある者だけだ。

「……エリちゃん、侵入者はどこにいると思う?」

 真由美に尋ねられたエリは、咄嗟に案内用の端末を開いた。現在避難ルートが立体表示されているそれを参考に、襲撃者がどこから侵入したか、そして警報の鳴った時間から逆算して現在位置を割り出す。

「侵入したのは屋上。今は東階段の3階辺り」

「……さすがね、エリちゃん。大当たり」

 エリの回答に真由美は感心したように呟き、それによって正解であることを知った摩利は驚きの表情を浮かべていた。ちなみに真由美は現在虚空に焦点の合ってない目を向けており、おそらく知覚系魔法“マルチスコープ”を使用していると思われる。

「侵入者は全部で4人、対物魔法障壁に対抗してハイパワーライフルを使っているわ。警備員が階段の踊り場でバリケードを作って応戦してるところ」

「ハイパワーライフルなんて、そこら辺のテロリストが用意できる代物じゃないぞ」

「確かに。でも警備員が応援に駆けつけてるし、だんだん侵入者が圧されてるようね。これなら鎮圧するのも時間の問題ね」

「そうか。それならひとまずは安心だな」

 真由美の言葉に摩利はホッと胸を撫で下ろし、エリが案内端末でも天井のメッセージボードでもない方を見つめていることに気がついた。

「残念。本命は“こっち”だ」

 そして視線を固定したまま呟かれたエリの言葉に、摩利と真由美が一斉に彼女の見ている方へと視線を遣り、そしてその表情に緊張が走った。

 警報が鳴った鑑別所で堂々とこちらに向かって歩いてくるのは、灰色のスポーツスラックスに同色のジャケット、その下には黒っぽいトレーナーという至って平凡な服装をした、特別ハンサムでも醜くもないありふれた顔立ちをした、引き締まった体をもつ大柄な東洋人だった。しなやかな大型肉食獣を彷彿とさせる彼の姿に、彼の正体を知らない真由美達でさえ息を呑んで身構える。

「……くそっ、まさか関本と繋がっていた組織の人間か?」

「本来は逃げるのが正解なんでしょうけど、少し遅かったみたいね」

 1歩1歩確実に近づいてくる男――呂剛虎(リュウ・カンフウ)に、真由美と摩利の2人は自然とエリの前に並ぶ陣営を取った。この中でエリが一番の年下であり、年長者として彼女を守らなければならないという使命感が働いたからだろう。

 しかし次の瞬間、真由美や摩利、そして呂の3人が思いも寄らない出来事が発生した。

応答剣(アンサラー)

 エリがぽつりと呟いた途端、何も無かった空間に綺麗な装飾の施された金色の剣が突然現れ、それがまるで矢のように真っ直ぐ呂へと飛んでいった。しかもそれは1本だけではなく、ざっと見ただけで10本以上はある剣が一斉に彼へと襲い掛かった。

「え――」

「ちょ――」

「――――!」

 真由美と摩利が愕然とした表情を浮かべ、呂も突然の攻撃に目を見開いたものの咄嗟に回避行動を取った。飛んでくる剣の隙間をかいくぐり、そのままの勢いで3人の下へと駆け寄っていく。

 しかし最後の剣を避けた次の瞬間、突如背後から至近距離で気配を感じた呂は、正面の3人にも構わずに後ろを振り返った。そこには正面にいたはずの一番背の低い少女――エリが、不敵な笑みを浮かべながら彼に殴り掛かろうとしている真っ最中だった。

 剣を避けるときから呂を注視していた真由美と摩利は、その一部始終をすべて見ていた。空間を貫いて呂へと飛んでいった剣は彼と擦れ違った瞬間に光の粒へと変化し、まるで最初から無かったかのように忽然とその姿を消していた。しかし最後の剣だけは、彼と擦れ違った瞬間にエリへと姿を変え、空中で180度方向転換をして彼に襲い掛かってきたのである。

「何だ、あれは――!」

 摩利は目を丸くして、即座に背後に視線を遣った。そこには先程と変わらずエリの姿があり、そして再び正面を向くとそこにもエリの姿がある。そのときになってようやく摩利は、九校戦のモノリス・コードでエリが見せた偽物の達也を作り出す魔法の存在を思い出した。

 ――あの魔法は、人物以外の姿にもなれたのか……。

 摩利がそんなことを思う間にも、事態は急速に動いていく。

 殴り掛かってくるエリの攻撃を、呂は剛気功(ガンシゴン)の鎧で対応しようと身構え、しかし彼女の拳が当たる寸前で第六感が働いたのか即座に避けの動作に移った。彼女の拳が呂の顔を掠め、直撃したわけでもないのに鈍器で殴られたかのような衝撃が彼の頭に伝わった。

 そのことに驚きを隠せない呂の前で、床に着地したエリが再び襲い掛かってきた。拳を力強く握りしめ、その際に拳がほんの少しだけ光った。

 その瞬間、呂は自身を防御する魔法を切り替えた。今までは高密度のサイオンを皮膚上に流すことで構造情報を強化していたのに対し、今は対物障壁魔法のように何層ものサイオン情報体を構築して全身を覆っている。そうしてエリの攻撃に備えていた呂は、突如感じた“幾つもの気配”を感じ取って周囲に視線を遣る。

 そしてその光景に、呂は驚愕の表情を浮かべた。

 目の前にいるエリとまったく同じ姿の少女5人が彼の周りを取り囲み、それぞれが拳を光らせて彼に襲い掛かってきたのである。上を除く全方向から繰り出される攻撃を、呂は避けながら、いなしながら、彼女へとカウンター攻撃を加えていった。

 しかし彼の攻撃は、その悉くが彼女へと当たる直前に半透明のシールドによって阻まれた。それは厚志と戦ったときのシールドに酷似しており、自分が名も無き相手に遅れを取った悔しさが蘇ってきたのか、彼の表情はみるみる険しくなっていく。

 しかし表情が険しくなるのは、何もそれだけが理由ではなかった。いくら彼の白兵戦の技術が大亜連合随一とはいえ、複数の人間に四方を囲まれての攻撃をすべて防ぎきることは不可能だ。幾つかの拳が彼を纏うサイオンの層に激突し、1発1発が車にぶつかったかのような衝撃と共にサイオンの鎧を削り取っていく。それを修復しながらの戦いなので、彼のサイオンの消費も著しかった。

 そしてとうとう、彼の体を纏っていた鎧が弾け飛んだ。そこから先は早かった。見た目には中学生の少女でしかないエリ達から繰り出される超重量級の拳が、鍛え上げられた彼の体にダメージを刻み込んでいく。

 同一の少女の集団によるリンチの果てに、呂は意識を手放して床に倒れ伏した。

「…………」

「…………」

 結局最後まで戦闘に加わることができなかった真由美と摩利は、その壮絶な光景を目の当たりにして完全に言葉を失っていた。そして呂の周りにいたエリが彼の気絶を確認して、役目は終わったとばかりにさっさと光の粒になって消失したのをきっかけに、恐る恐るといった感じにゆっくりと後ろを振り返った。

 最初に自分達が庇ったときのまま、“本物の美咲エリ”は1歩も動かずにそこにいた。呂と対面したとき以上に緊張感を漂わせる2人のすぐ傍で、エリは年相応のあどけない笑みを浮かべていた。

 と、そんなとき、警備員がようやく姿を現した。彼らは床に倒れる男の姿に驚愕したものの、その正面に立つ第一高校の制服を着た少女達の姿を見つけるや、得心がいったとばかりに頷いて男の拘束に掛かった。

 おそらく彼らの誰もが、七草の直系である真由美か、あるいは彼女の隣に立つ摩利が彼を倒したと思っているだろう。恐怖に震える後輩の少女を守りながら、勇敢にも侵入者に立ち向かって撃退したのだ、と。

 実際に男を倒したのは後輩の少女であり、先輩の2人が彼女に恐れを抱いていたとしても。

 

 

 

 警備員によって呂が連れて行かれるのを見届けた3人は、鑑別所のゲートを潜って最寄り駅までの道を歩いていた。3人共口を閉ざしたままなので、一切の会話が無い。しかし普通の表情をしているエリに対し、真由美と摩利は彼女をちらちらと見遣りながら口を開くタイミングを伺っているように見えた。

 やがて意を決したように、摩利が口を開いた。

「……エリちゃん、さっきの戦闘について訊きたいことがあるんだけど、良いかな?」

「うん。何?」

 あまりにもあっさりとそう言ったエリに、自分から言い出したはずの摩利の方が面食らってしまった。おそらく、断られるかはぐらかされると思っていたのだろう。

「……さっきのエリちゃんの偽物は、九校戦のときに見せた“ドッペルゲンガー”という魔法で合ってるかな?」

「うん、そうだよ。アンサラーに化けたドッペルゲンガーを発射して、あの人が避けたタイミングで私に変身させるの」

「そうか……。エリちゃんは、一度に何体まで操ることができるんだ?」

「さぁ、分かんない。でも“あれくらい”だったら、別に何てことないよ?」

 彼女の口振りからして、本当に何てことはないのだろう。古式魔法には使い魔を操る魔法があるというが、当然ながらその数を増やせば増やすほど操作が散漫になってくる。しかし先程の戦闘では、5人のエリはその動きに一切淀みが無く、自分達の後ろにいるのが本物だと分かっているのに見間違えてしまいそうになったほどだ。

「ねぇ、エリちゃん。そのドッペルゲンガーには、本物よりも身体能力を強化する能力があったりするのかな?」

 真由美が普段よりも少々固い笑みを浮かべて尋ねると、エリは首を横に振った。

「ううん、違うよ。あれは魔力を“集中”させたの」

「魔力を集中、か……。さっきの男も、サイオンを集中させて防御魔法を展開していたようだが」

「さっきの人とは方法が違うけどね。えっと、こうやって――」

 エリがそう言って拳を握ると、彼女の拳が先程と同じように光り出した。まるでその拳に吸い込まれそうな、それでいて今にも弾き飛ばされてしまいそうな力強さに、間近でそれを見た2人の背筋に寒気が走った。

「……ははは。今のエリちゃんからは、まるで歴戦の兵士のようなプレッシャーを感じるよ」

 摩利は努めて明るく笑って恐怖を誤魔化そうとしていたが、その効果は芳しくないようだった。

「エリちゃん。その魔法、あまりみんなに知られない方が良いかしら?」

 心配そうな表情で尋ねる真由美に、エリは「うーん」と唸り声をあげて、

「別にそんなに知られて困るわけじゃないけど、あんまり人に言い触らされても困るかなぁ?」

「分かったわ、それじゃ内緒にしておく。別に私達としても、人の魔法を無闇に言い触らすような性格じゃないしね」

「それにしても、エリちゃんはまだその歳なのに随分と実戦慣れしているな。実力も申し分ない。あたしも実戦魔法師として身を立てようと思っているんだが、もしエリちゃんが実戦魔法師を志望しているとしたら、かなり強力なライバルになるだろうな」

 ようやく恐怖が収まってきたのか、いつもの調子を取り戻してきた摩利が感心したようにそう言った。真由美も笑顔でそれに同意する中、エリはなぜか不思議そうに首をかしげた。

「え? 私は魔法師にはならないよ?」

「――――え?」

 エリの意外すぎる言葉に、真由美と摩利が揃って口をぽかんと開けた。

「え、そうなの? 魔法科高校に入ったから、てっきり魔法師志望なのかと……」

「それじゃ、エリちゃんは将来何になるつもりなんだ?」

「和菓子屋さん!」

「はぁっ!」

 魔法師の“ま”の字も無い職業がエリの口から放たれ、2人は思わず叫び声を出してしまった。

「和菓子屋って……、魔法と全然関係無いじゃないか! 魔法師にならないのか!」

「魔法師になったら、苺大福作れないじゃん。――あのね、苺で大福なんだけどクリームが入ったやつ作りたい」

「まぁ、可愛い。でもそれじゃ、どうして第一高校に入ったの?」

「達也さんたちが魔法科高校に入学するって聞いて、どんな感じなのか興味が出てきたから『じゃあ私も一緒に入学しよう』って感じで」

「かるっ! 入学の動機が軽すぎる!」

「魔法科高校に入りたくても入れないって子が大勢いるのにねぇ……」

 “純粋に学びたいから”という、学問の基本中の基本でありながら学生のほとんどが忘れている理由で魔法科高校に入学したエリに、真由美と摩利は苦笑いを浮かべていた。

 いつの間にか、彼女に対する恐怖はどこかへと消えていた。

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