魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

60 / 105
第59話 『脆いようで脆くない、ちょっと脆いもの』

 午前9時。何の面白みも無い開会の辞が終わり、第二高校によるプレゼンが始まった頃。

 遥は近くにある喫茶店でだらけていた。魔法技術そのものには関心が無く、達也とその周辺の監視にも効果があまり期待できない以上、どうせなら喫茶店で時間を潰した方がマシだと考えたからである。

 コーヒー1杯で20分というのは、喫茶店からしてもあまり良い客とはいえない。そろそろ何か別のものを頼もうか、と遥が考えていたそのとき、

「すみません、相席しても宜しいでしょうか?」

 突然声を掛けられた遥は咄嗟にそちらへと顔を向け、そして彼女の心臓は一瞬停止した。そして次の瞬間には、その空白を補って余りあるほどにフル回転を始めていた。どちらも彼女自身による錯覚だが、つまりはそれほど驚いていたということである。

 なぜならそこにいたのは、達也たちを調べる際に一緒に調査対象となっていた者の中でも中心的な人物・高田厚志だったからである。2メートルにもなる体躯に目の前まで迫られることによる物理的なプレッシャーだけでなく、調査対象に向こうからコンタクトを取られたという精神的なプレッシャーが、元来気の強い方ではない遥の背中を冷や汗でびっしょりに濡らしていく。

 しかし遥はここで、或る事実を思い出した。九校戦の前、八雲の神社でミルココに姿を見られた際、当然ながら厚志にも話は届いているはずだ。だから彼がこちらの存在を知っているのは当然である。にも拘わらず今日までこちらに対して働きかけが無かったということは、自分はまだ“敵”とは認識されていないと見ることもできる。

 脳をフル回転させてそんなことを考えた遥は、表向きは平静を装ったまま口を開いた。

「……他にも席は空いていますよ。わざわざこちらに座らなくとも――」

「そうなんですが、私はあなたと話がしたいと思いまして。――“ミズ・ファントム”」

「――――!」

 その二つ名は、世間一般に広まっているようなものではない。非合法の諜報活動を行う者同士だけで囁かれる、正体不明の女スパイに対するコードネームだ。八雲の神社ではそこまでバラしてはいないので、別ルートからその情報を知ったことになる。

 そもそもこの男は、調べれば調べるほど不信感の募る人物だった。

 彼らの家に住む者達は、エリを除いて皆が国のデータベースに個人情報が載っていなかった。最初は密入国者かとも思ったが、そんな人物を国が放っておくはずがない。そしてそんな彼女達を自分の家に同居させている高田厚志は、国のデータベースでは何の変哲も無いごくごく普通の一般人でしかなかった。

 その事実が、遥の所属する部署の面々を混乱させることとなった。普通そういう人物というのは、何かしら怪しいと思う経歴があったり、あるいはデータベースを改竄した痕跡が残るものである。にも拘わらず、彼にはそれが一切無い。つまり何の変哲も無い人間が、怪しいことこの上ない身の上の彼女達を同居させていることになる。まさか彼女達に脅されているのかと思ったが、監視している限りそんなことはなく、むしろ厚志は皆から絶対の信頼を寄せられているように感じる。

 自分の真正面に腰を下ろしてコーヒーを頼む厚志を眺めながら、遥は彼の正体について自分なりに考えていた。

 すると、

「……あの、そんなに警戒されるとさすがに傷つくのですが……」

 心の底から本当にそう思っているような苦笑いを浮かべてそう言う厚志に、遥は「すみません、急だったもので」と謝罪を口にして、しかし心の内では警戒心を解くことはなかった。

「それで、今回はどのようなご用件でしょうか?」

「私達を調べるのをやめていただけませんか?」

 あまりにも単刀直入な物言いに、遥は言葉を発するのが1拍遅れた。

「……確かに数ヶ月前には、私も達也くんたちを調べていました。しかしそれもすでに終了しています。今回はただ純粋に、論文コンペに興味があったので来させていただいただけですよ」

「そうだったんですか。それならば一緒に発表をご覧になりましょう。もう第二高校の発表は始まっていますよ、早く戻らないとせっかくの発表を聞きそびれてしまいます」

「…………」

 自分が今どこにいるのかさえ失念してしまったことに、遥は心の中で舌打ちをした。

「……高田厚志さん、でしたっけ? お気持ちは大変有難いのですが、せっかく気心の知れた方々といらっしゃっているようですし、私のような部外者がいては迷惑でしょう?」

「いえいえ、そんなことはないですよ。みんな歓迎しますよ」

 厚志はそう言って店員が運んできたコーヒーを一口で飲み干すと、おもむろに立ち上がった。

「それでは行きましょうか」

「……え? どこに、ですか?」

「もちろん、会場ですよ。発表を観に来たんですよね?」

 厚志はそう言って、その大きな手を遥に差し伸べた。その行動が意味することは、遥にもきちんと伝わっている。伝わっているからこそ、遥はその手をじっと見つめながら迷いを見せ、

「……ありがとうございます」

 感謝なんてちっとも感じていないであろう声色でそう言って、その手を取って席を立った。

 

 

 *         *         *

 

 

 第一高校にとって今日の主役である鈴音が到着したのは、3番目の発表校である第五高校のプレゼンが始まった直後、予定より1時間早い午前11時過ぎだった。

「早く来ちゃった」

 あんた一体幾つだよ、とツッコミをしたくなる衝動を抑えながら、達也は真由美・摩利・鈴音の3人を控え室に招き入れた。遅刻は問題だが早く来るのは迷惑ではないし、職人肌の上級生がプレゼン用機材をごそごそといじくって作業している現在では、人が3人増えたところでさして問題ではない。

「それにしても、予定が繰り上がったのは何か理由があるんですか?」

「ああ、予定よりも早く尋問が終わってね」

「……尋問? まさか、関本のですか? なんでまた今日に……」

 呂剛虎(リュウ・カンフウ)の襲撃事件があった後、関本は一時期錯乱状態に陥っていた。摩利は自分の魔法によるものではないと断言していたことから、呂の最終的な目的が自分の命だと気づいてパニックになったのだろう。あくまで彼は犯罪組織の人間ではない以上、精神的な問題を持ち出されては“七草”の名前でゴリ押しして尋問することもできない。

「君らしくもない楽観論だな。平河も関本も、狙いは論文コンペの資料だった。実際にはそれ以外にも目的はあったようだが、背後の組織がコンペ当日の今日に何かしらの行動に移る可能性は低くないだろう」

「……可能性としては、あるでしょうね」

 達也の煮え切らない返事に、摩利は首をかしげて隣のエリへと尋ねた。

「エリちゃんはどう思う?」

「今日情報を掴んだとしても、それに対抗するだけの準備をする時間が無いよ。国家組織だって、いざ戦争が始まるってなって初めて準備をしてたんじゃ間に合わないでしょ? だからこそ克人さん達が会場警備隊を組織してるんだし、関本さんから何か聞かされたとしても、結局は事前に用意した戦力で賄うしかないよ」

「……うーむ、確かにその通りだ。さすがエリちゃんだな」

「本当に、エリちゃんはその歳なのに色々考えられるのね。何か特別な勉強でもしてるの?」

 摩利が感心したように頷き、真由美が不思議そうに尋ねてきた。それに対してエリは「普通に本とかで勉強しただけだよ」と返事をしていたが、国家のトップである魔王やその側近から実践も交えて直接的に教わっているのを知っている達也からすれば、その言葉は何とも白々しいものでしかなかった。

 とはいえ、それをわざわざ指摘するような真似はしない。

「それで、何か情報は掴んだのでしょうか?」

「ああ。――関本は、マインドコントロールを受けていた形跡があった」

「……本格的ですね」

 この情報には、達也も素直に驚いた。

「メンタルチェックには引っ掛からなかったの?」

 エリの言うそれは、春に紗耶香がマインドコントロールによってテロ組織の手先になってしまったことを受け、一高の生徒を対象に月1度受診することが義務づけられたものである。将来的に治安や国防の中軸を担う魔法師が洗脳されて外国の手先になっていた、では洒落にならない。

「メンタルチェックは月の初めに行われるから、関本はその直後にマインドコントロールを受けたということになる」

「そこまで劇的に効果を得られるとなると、薬物の類ですか?」

「そこまでは分からんよ。あたしも専門家じゃないからな」

 摩利の言葉に、達也とエリ、そして先程から聞きに徹している深雪は揃って『本当か?』と疑いの眼差しを向けていた。

「まぁ、いくら強力な精神干渉魔法があったとしても、秘術者に“下地”が無ければそうそう上手くはいかないけどな」

「下地、ですか」

 人間の精神力というのは、脆いようで案外強い。普段から指向性の定まらない感情や衝動ならともかく、明確な行動原理に干渉するというのは生半可なことではない。

「関本は元々、魔法が国家によって秘密裏に管理されていることに不満を抱いていた。世界中で魔法に関する知識が共有されてこそ、魔法の真の進歩があると考えていた。いわゆる“オープンソース主義者”だな」

「学問的には間違っていないでしょうけど、国家間での争いが厳然と存在していて、しかもそれの中心に魔法があることを考えると、あまり現実的とはいえないわね」

 真由美の苦笑混じりの言葉には、その場にいた全員が同意だった。

「とにかく、関本はそういう理想主義的なところを突かれたらしい。魔法後進国に優れた研究成果を伝導することが魔法先進国の義務だ、と思い込んでいるようだ」

「魔法後進国って、具体的にはどこ?」

 エリが間髪入れずに尋ねた。その頭の回転の早さに摩利は驚いたように目を丸くし、そして残念そうに頭を掻きながら彼女の質問に答える。

「残念ながら、聞き出すことはできなかった」

「つまりそれは、意識にロックが掛かってるということですか?」

「その通りだ。――連中は思ってる以上に過激な方法を採ってくるかもしれない。鈴音には引き続きあたし達がついているから、服部には会場に目を光らせるように伝えておいた。達也くんたちの方でも注意してくれ」

「気をつけます」

「はーい」

 摩利の言葉に達也は真剣な表情で、エリは笑顔を浮かべて手を挙げて、深雪は最後まで口を開かずに頭を下げて返事をした。

 ちなみに達也たちがそんな会話を交わしている間、鈴音は平静な表情を崩すことなく原稿をチェックしていた。

 そして説明を摩利に任せていた真由美は、エリをじっと見つめながら何か考え込んでいた。

 

 

 

 一方その頃、同じ建物内の通信ブースでは、緊急コールを受けた藤林がその内容に驚きを顕わにしていた。

「呂剛虎に逃げられた! 失礼ですが、確かな情報ですか!」

『信じたくない気持ちは分かるが、事実だ』

 電話の主・風間は、こんな質の悪い冗談を言う人間ではない。そもそもそんな冗談を言うために、緊急コールは存在していない。

『横須賀に向かっている途中の護送車が襲撃を受けた。生存者はいない』

「なんで今日に限って護送なんて――」

『所詮は高校生レベルのイベント、と思ったのだろうな』

「……失礼しました」

 思わず零してしまった愚痴に丁寧に返す上司に、藤林は慌てて身を引き締めた。

『しかし“今日を選んで”という君の言葉も理解できる。向こうが“今日に間に合うように”奪還作戦を行ったということから、何かしらの意図があるものと考えて行動することにする。幸いにも明日保土ヶ谷(ほどがや)で行われる新装備テストのおかげで出動準備は整っている。出発を繰り上げて今からそちらへ向かう。到着予定は一五〇〇(ヒトゴーマルマル)だ』

「……了解しました。私はこのことを、厚志さんに報告します」

『頼むぞ。場合によっては、大黒特尉にも出動を要請することになるからな。――彼自身の協力も得られれば、尚良い』

 風間の言葉に、藤林は相手に見えないことを分かっていながら敬礼をした。

 

 

 

 真由美達から仕事内容の変更を言い渡された服部は、合わせて聞かされた尋問結果を報告するために、桐原と共に克人の下を訪れていた。ちょうど食事中だった克人は2人に相席を指示し、簡単につまめるサンドイッチを片手に2人からの報告を聞いていた。

「分かった。服部と桐原は2人1組で会場外周の監視に当たってくれ」

 迷いを見せず、克人は2人に指示を出した。通常ならばそこで終わりである。

「服部、桐原。現在の状況について、何か違和感を覚えた点はあるか?」

 しかし今日に限って、下級生に意見を求めるという滅多に無い例外が行われた。

「……横浜という土地柄を考慮しても、外国人の数が多すぎるように思われます」

 最初に答えたのは服部だった。生真面目な彼は今回の警備に先駆け、先週と先々週の2回も会場近辺を下見している。それに比べて、明らかに外国人の数が多かった。

「確かにそうだな。――桐原はどうだ?」

「……申し訳ございません。外国人の件は気づきませんでした。ただ……」

「遠慮はいらない」

「はっ。会場よりも街中の雰囲気が、妙に殺気立っているように思われます」

「ふむ、確かに」

 頷いたきり、克人は黙り込んだ。その時間は10秒にも満たないほどに短いが、それを眺める服部と桐原にとっては何十倍にも感じられるほどに重い沈黙だった。

「2人共、午後の見回りからは防弾チョッキを着用しろ」

 目を見開く2人をよそに、克人は近距離無線のハンドセットを手に取り、共同警備隊全員に先程と同じ指示が送られた。克人は無線機を置いて腰を下ろすと、2人をその場から下がらせた。

 1人になった克人は、深刻な表情で何かを考え込むように黙り込んでいた。

 

 

 *         *         *

 

 

 昼の休憩を挟んで、午後のプレゼンが予定通り1時から始まった。

 壇上では高校生による初々しい発表が行われていたが、客席の最上段辺りに集まっていた集団の中でそれをきちんと聞いていたのは、多くて半数程度といったところだろう。その内の何人かは高度すぎる発表内容に頭がパンク寸前になり、残りの何人かは発表以外のことに気を取られているからである。

「なぁ、景ちゃんの中で今のところ優勝候補ってどこなんだ?」

 集団の中でも比較的前の席に座っている洋子が、隣に座る景にそんな質問をぶつけていた。

「うーん……、やっぱり四高かしらね。今年も随分凝った仕掛けを作ってたし」

 景の答えに、洋子と挟むようにして隣に座る沙希が反応した。

「四高って、確か2番目に発表した学校ですよね? 確かに他の学校と比べても難しそうな感じがしましたね」

「えー? 私は何か、少し奇を衒いすぎているように思えたけどなー」

「確かにそう見えなくもないですけど、それでもあれだけ複雑な魔法の組み合わせを1つのシステムに破綻無く纏め上げるってのは凄いことですよ。やっぱり、私が学生だったときよりも確実にレベルが上がってますね。私の頃だったら、あのレベルなら文句なしでトップでしたから」

「へぇ……。景ちゃんは、論文コンペに代表として参加しなかったのか?」

「私はそういう技術屋じゃなかったですから。九校戦も私が卒業した後に始まったから、今の学生が羨ましいですよ」

「もし景さんが九校戦に出てたら、ますます“伝説”に磨きが掛かってたでしょうね」

「……止めてよ。若気の至りだったのよ……」

 沙希のからかい混じりの言葉に、景は頬を紅く染めて彼女を睨みつけた。

 そんな彼女達のほのぼのとした会話の後ろで、現役生徒達の面々は、

「幹比古、どうだ?」

「今のところ、異常は無し」

 幹比古が会場に忍ばせている探査用の精霊からの情報をレオに伝え、

「美月、どんな感じ?」

「……変なものは見えないよ」

 眼鏡を外した美月が会場をざっと見渡して答え、再び眼鏡を掛け直した。

「……あなた達、少しは発表に集中したらどうなの?」

「その通りだ。そもそも会場は十文字先輩を筆頭に、九校から選りすぐった生徒達によって警備されている。君達が見ただけで分かるような不審者が、警備隊に分からないわけがないだろう」

 そしてそんな彼らを、遥と森崎が冷ややかな顔で眺めていた。

 2人の言葉に、エリカは(特に森崎に対して)鋭い視線を向けて、

「今日までの間に色々事件が起きたのよ。万が一のことが起こらないとも限らないでしょう。それに備えて注意することの何がいけないっていうの?」

「注意するのは良いけど、それで神経をすり減らしてたら、いざというときに動けないかもよ?」

 エリカにそう声を掛けるミルクの言葉は、声色こそからかい混じりのものだったが、その中身は至極まともなものであり、エリカやレオ達も理解できることだった。

「つってもよぉ、何もしないでただ敵が来るのを待ってるだけっていうのは……」

「何もしていないわけじゃないさ」

 レオの不満そうな言葉に答えたのは、厚志だった。

「この日のためにレオくんとエリカちゃんは、来るかもしれない敵を想定して修行を課した。幹比古くんも会場警備隊の訓練に参加することで、自分の実力を高める努力をした。今こうして会場全体を見渡せる位置に座るのも、いざというときのための備えと言える。――みんなはすでに、来たる敵に備えてなすべきことはやったんだ。後はただ悠然と座って、何かが起こったときに即座に動けるようにしておけば良いのさ」

「…………」

 厚志の言葉を、その場にいた全員が聞き入っていた。遥や森崎でさえ彼に対して畏怖にも似た感情を浮かべて見つめていたし、ほのかに至っては顔を紅潮させて目をキラキラさせている。

「……さすが厚志さん。何か厚志さんが言うと、他の人が言うよりもすんなり入る感じがするわ」

「厚志さんって、俺の両親より全然頼りになるわ」

 感心したように呟くエリカとレオの言葉に、他の面々が一斉に頷いていた。周りから尊敬の眼差しを向けられ、厚志は居心地悪そうに苦笑いを浮かべていた。

 と、そんな彼らに近づく者がいた。

「厚志さん、お久し振りです」

 そう声を掛けられた厚志だけでなく、周りの者も一斉にそちらへと顔を向けた。そしてその中の1人・遥は、想像もしていなかった人物の登場で息を呑んで目を丸くしていた。

 そこにいたのは、街にいてもまったく不自然に感じないカジュアルな服に身を包んだ、しかし若手秘書を彷彿とさせるきっちりとした身のこなしが印象的な美女だった。

「……ああ、お久し振りです。ええと、確か結婚して名字が変わったんですよね?」

「ええ、現在は“米田”と言います」

「米田さんでしたか。申し訳ございません、ご無沙汰しています」

「ええ、厚志さんもお変わりなく。積もる話もありますので、できれば場所を変えたいのですが宜しいですか?」

「はい、構いませんよ。――それじゃみんな、ちょっと席を外すよ」

 厚志はそう言って立ち上がると、突然現れたその女性と共にホールの外へと歩いていった。

 それを見送ったエリカ達は、2人の姿が見えなくなった後、互いに顔を寄せ合っていた。

「ちょっと何よ今の人! まさか厚志さんの彼女とか!」

「いや、でもさっき『結婚して名字が変わった』とか言ってたから、昔からの知り合いとかじゃないのかい?」

「でも厚志さんの仕事って、ボディービルダーとジムの経営でしょ? 仕事関係って線は薄そうだよね」

「学生時代、にしては歳が離れてると思う」

「だよねぇ……。――ねぇミルココ、みんなは何か知らないの?」

「いやぁ、私達も厚志さんの全部を知ってるわけじゃないからねぇ……」

 厚志の噂話で盛り上がる中、あまりよく知らないために話の輪に入ることのできない森崎は、同じく会話に入っていない遥へと何と無しに視線を向けた。

「……小野先生、どうかしましたか? 何だか顔色が悪いようですが」

「いえ、何でもないわ……」

 明らかに何かありそうな感じで遥はそう答えたが、森崎としては変に首を突っ込むのも悪いと思い、それ以上問い質すことはなかった。

 

 

 

「それにしても厚志さん、随分と機転が利きますね。結婚して名字が変わった、という名目で名前を聞き出すなんて」

「まぁ、おそらく“藤林さん”は本名を名乗りたくないと思いまして」

 ホールを出てロビーを歩く厚志と藤林は、にこやかな表情でそんな会話を交わしていた。“美女と野獣”と形容されそうなアンバランスなコンビだが、こうして話していると何だかしっくり来るから不思議なものである。

「それにしても、随分と大所帯になりましたね。まさか“ミズ・ファントム”まで自分の傍に置いておくなんて」

「まぁ、どこか知らない場所で自分達を探られるくらいなら、目に見える場所にいてくれた方が良いと思いまして」

「成程、会場にいたスパイもそういう意図で引き入れたんですか?」

「……目敏いですね。気づきましたか?」

「ほんの微かにですが、普通の人とは雰囲気の違う方がいましたもので」

「うーむ……、さすがプロですねぇ……」

 厚志が感心した様子で頷いていた、そのとき、

「えっ……! もしかして、響子さん……?」

 背後から聞こえた驚いたような声に、藤林と厚志が同時に後ろを振り返る。するとそこには、第一高校の中で最も有名であろう真由美と克人の姿(克人は午前中では見掛けなかった防弾チョッキを着用している)があった。こちらは先程の2人と違って、同世代で十師族の直系ということもありお似合いのツーショットだった。

「あら、お久し振りね、真由美さん」

 にっこりと笑みを浮かべて挨拶する藤林に、厚志が「彼女とは知り合いなんですか?」と尋ね、彼女は「ええ、昔からのね」と短く答えた。

「どうしたんだい、2人共」

 厚志が2人に尋ねると、未だに驚きから立ち直っていない真由美の代わりに克人が1歩前に躍り出た。

「……厚志さん、大事な話があります。ここでは話せない内容なので、できれば場所を移動したいのですが」

「ふむ、私は別に構わないんだけど、藤林さんとの話があるからねぇ……」

 厚志がそう言って藤林に視線を向けると、彼女は含みのある笑みを浮かべて、

「それならば、私もそこに同席しても良いかしら? ――おそらく、話の内容は同じでしょうし」

「――――!」

 その言葉に、真由美と克人が同時に目を細めて表情に緊張を滲ませた。

「分かりました。それじゃ2人共、案内してくれるかな?」

 そして厚志は普段とまったく変わらない様子で、2人にそう呼び掛けた。

 

 

 

 会場の裏手にあるその場所は、普段は関係者以外滅多に人が立ち入らない場所だった。当然ここも会場警備隊の警備区域なのだが、現在は隊長である克人の指示により移動しているため、ここには厚志達以外の姿は無い。

「さてと、それじゃまずは誰からの話を聞こうか?」

 厚志の呼び掛けに真っ先に手を挙げたのは、藤林だった。

「本来ならこれは口外できるようなものではないのですが、皆さんを信頼して伝えることにします。なので2人には、このことを口外しないようお願い致します」

 藤林の言葉に真由美と克人が頷くのを確認し、彼女は言葉を続けた。

「先程、特殊鑑別所に襲撃した罪で拘留されていた呂剛虎が、逃走しました」

「逃走って……! まさか、彼の組織が……!」

「確定したわけではありませんが、ほぼ間違いないでしょう。今回の件に論文コンペが密接に関わっている以上、彼らの組織が今日を狙って何らかの行動を起こす確率は極めて高いです。我々もこの事態を重く受け止め、こちらへ向けて“出撃”を行っている最中です」

 彼女が“出撃”という単語を用いた以上、それはこの地で戦闘が行われる可能性が高いことを意味している。自分達だけでなく多数の人間が集まっているここで戦闘が始まるかもしれないという事実に、真由美も克人も知らぬ内に息を呑んでいた。

「あなた方が十師族の直系であり、このタイミングで2人揃って厚志さんと接触を図ろうとしたという事実を鑑み、あなた方に質問をします。

 

 ――あなた方は、厚志さんの正体を知っていますね」

 

「…………」

「…………」

 真由美と克人はその質問に、一旦厚志へと視線を向け、すぐさま藤林へと視線を戻した。

 そして、口を開く。

「……はい、知っています。厚志さんだけでなく、彼の家に住む者達の正体も把握しています」

 真由美が重い声で告白をした後も、厚志の表情はぴくりとも動かなかった。まるで、最初からそのことを分かっていたかのように。

 それを悟った克人が、真由美の言葉を引き継いだ。

「本日午前、七草真由美は事件の重要参考人である関本勲を尋問し、そこで彼がマインドコントロールを受けていることを突き止めました。よって背後組織がこの論文コンペを狙う可能性が非常に高いと判断し、万が一戦闘に突入することになった際に厚志さん達の協力を得たいと考え、協力を打診するために彼の下を訪れた次第です」

「私が厚志さんに“お願い”しようと思った内容も、彼とほぼ同じです。先程も申しましたが、この街が戦闘区域になる可能性が非常に高くなりました。なので戦闘に突入したときは、我々に協力していただけませんか? もちろん、“彼”も一緒に」

「…………」

 3人からの視線を受けながら、厚志はなおも口を開こうとしない。開いているのかもよく分からない細い目からは、彼の感情を窺い知ることができない。そんな彼を、藤林だけでなく真由美と克人も固唾を呑んで見守る。

 そして厚志はちらりと真由美と克人を見遣り、悩みに悩んだ末、重々しく口を開いた。

「……分かりました。ですが、他のみんなは――」

「ええ、分かっています。本当に、ありがとうございます」

 返事を聞いた瞬間、藤林は顔を綻ばせて頭を下げた。もはや敵が攻めてくることを前提で話を進めていく2人に、真由美と克人はより一層その表情を引き締めていた。

 “七草”に“十文字”。

 彼らの名字に刻まれた数字が、その体に重くのし掛かっていく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。