第68話 『“今”とは、膨大な“過去”の積み重ねである』
この世界には人間の他に、“天使”や“魔族”といった存在が住んでいる。
天使や魔族が集まると、その空間にズレが生じる。最初は“遠くからでは分からない”程度のズレも、多く集まったり激しい戦闘が行われることでズレが大きくなり、やがて元の空間と完全に分離する。そういった異空間が、天使や魔族の生活拠点となる。
そして魔族の住む魔界は、100年ほど前までは“大戦期”と呼ばれる混乱の時代だった。幾つもの国が生まれては消えを繰り返していったが、後に“東の国”の初代魔王となるジロウ=スズキの働きかけにより、魔界は東西南北の4大国による4竦みの状況となり“大戦期”は終わりを告げた。
そんな魔族だが、彼らは一欠片の希望を胸に現世へと這い上がる。しかし魔族は常に魔界からの重力に引っ張られるため、そのままでは現世で存在を保つことができない。そこで彼らは人間の負の思念と魂を“身代わり”として魔界に落とすことで、その反動で自分の存在を保ってきた。
だからこそ、天使は“魔を討つ正義”という悪意を胸に現世へと降臨する。ちなみに天使はただ空から落ちるだけなので、現世に留まる際に身代わりを用意する必要は無い。
しかしその関係性も、30年ほど前の“発明”によって大きく変わった。
先程も登場したジロウ=スズキによって発明された、人から生まれる負の思念を自動的に収集する魔術装置。これによって、魔族は人を襲うことなく現世に留まることが可能となった。そして人を襲う理由の無くなった魔族は、それを知って「もう人を襲わなくて済む」と泣いて喜んだ。
しかしそれでも、天界が“魔族殲滅”を取り下げることはなかった。その姿はもはやカルト教団の域に達しており、元々天使だったミルココの2人はそれが原因で天界と袂を分かつこととなる。
ちなみに、人間界の一部の有力者が魔界や天界の存在に気づいたとき、当時の人間には彼らに対抗するだけの実力が無く、天界や魔界には人間界を積極的に支配するだけの理由が無かったため、互いに過度の干渉をしないことが取り決められた。せいぜいが、魔族や天使が人間界で何かしらの犯罪を犯したときに捜査協力と犯罪者引渡しを行うくらいである。
こうして彼らの存在は、現在でも人間界のごく一部にしか知られずに今日まで続いている。
* * *
「――という感じなんだけど、ここまでで何か質問はある?」
部屋全体を見渡しながら問い掛けたミルクの言葉に、答えられる者はいなかった。皆が口をあんぐりと開け、呆然とした表情で先程までの話を聞いていた。
今日は、例の横浜事変が集結してから初めての日曜日である11月6日。あの日、厚志がプリティ☆ベルと呼ばれる魔法少女に変身する(ツッコミを入れてはいけない)ことが皆にバレたことで、いっそ全部説明してしまおうということでいつもの面々が招集された。
ちなみに魔法科高校側のメンバーは、レオ・エリカ・美月・幹比古・ほのか・雫の1年生メンバーである。厚志が変身した場面に居合わせなかった美月とほのかも選ばれているのは、単純に仲間外れにするのは良くないという感情からだった。
そして彼らに説明するのは、ミルココ・エリ・ダッチ・モカ・リカルド・マッドの7人だった。まずは自分達が普通の人間ではないことを証明するために全員が変身をし、能力を発動しても問題無い者は実際に能力を彼らに披露した。そして目の前の光景を唖然とした表情で見ていた彼らに対して、続けざまに冒頭の説明を簡単にぶつけていったのである。
怒濤の情報ラッシュに頭が混乱していた彼らだが、最初に意識を取り戻したのはエリカだった。
「……さっきのみんなの姿を見て、確かにその話も信じざるを得ないって感じではあるけど……。正直なところ、実感が無くてピンと来ないっていうのが正直な感想かな……?」
「まぁ、そりゃそうだよね。――だったら今度の休みに、魔界の国へ旅行にでも行く?」
「えっ、そんな簡単に行けるのか? というか、ミルココって天使なんだろ? 大丈夫なのか?」
「天使っていっても、今は“堕天使”だからね。逆に天界に行くのがちょっと……って感じだよ。それと、魔界に行くのは案外簡単だよ。専門のゲートを使わないと行けないから、人間がうっかり迷い込むっていうのはまず無いと思うけど」
ココアの言葉に、彼らは明らかに魔界に興味のある態度だった。互いに顔を見合わせてヒソヒソと話し込むその口元には、ほんの微かに笑みが浮かんでいる。
「あっ、ちなみに安全面での心配はいらないよ? 魔界っていっても治安の悪い場所ばかりじゃないし、何なら“魔王”の紹介で観光できるようにしておくから」
「えっ! ミルココ達って、魔王と知り合いなの!」
「そうだよ。っていうか、みんなも会ったことあるよね? ほら、九校戦で一緒の部屋になったシャルエルさん」
「あの人、魔王なの! 何か魔王のイメージと全然違うんだけど!」
知らない間に世界の秘密の片鱗に触れていたという事実に驚きを隠せない面々を尻目に、ミルココ達は「だったら観光は南の国が良いかな?」とか「東のイカタさんも多分協力してくれると思うよ」と話し合っている。
そんな中、幹比古が手を挙げた。
「ミルココ達がそこまで魔王と親しいのは、やはり“プリティ☆ベル”が理由だったりするの?」
その問い掛けに、他の魔法科高校の面々も真剣な表情となってミルココ達に向き直った。
或る意味、ここが今回の話でも最も重要な部分だからだろう。
「うーん、そうだねぇ……。それじゃまずは、プリティ☆ベルの簡単な歴史から教えていこっか」
ミルクのその言葉に、ココアやモカ達も同意するように首を縦に振った。
「最初にプリティ☆ベルが現れたのは、今から30年くらい前。当時生まれたばかりの新米天使だった私とココアは――」
「ちょ、ちょっと待った! 話の腰を折って悪いんだけど、ミルココって30歳超えてんの?」
「え? そうだけど?」
「嘘ぉ!」
平然とした表情で答えるココアに、何気に今日一番のリアクションで驚きの声があがった。
「うちら、今年で36歳だからね」
「えっ? 確か厚志さんが38歳だよね? 嘘、厚志さんとほとんど変わらないの?」
「その身なりで36歳……。むしろ何百歳とかだったら逆に吹っ切れるけど、36歳って妙に生々しいわね……」
「うっさい! 話を戻すよ!」
顔を紅くして声を荒げたミルココに、皆が口を噤んで真剣な表情へと戻る。
「魔族とも天使ともつかない不思議な波長を察知してね、現場に急行してみたら“彼女”はいたわ。まるでアニメから飛び出したかのような魔法少女の格好をして、傍らにペガサスを従えていた彼女こそ、初代魔法少女の
「みゆき……って、深雪と同じ名前なのね」
「それほど珍しい名前じゃないとはいえ、凄い偶然ですね」
「まぁね。――彼女は少し病弱で、1人で本を読んだりアニメを観たりするような女の子だった。だけどその本がね、普通の子とはかなり違ったのよ」
「違った?」
「幻獣を集めた辞典、古事記、ギリシャ神話、北欧神話、クトゥルフ神話、インスマス、ラヴクラフト――。元々はおじいちゃんの物だったらしいんだけど、それを見ては色々と空想する毎日だったみたい。――そしてある日、寝ているときに光る玉が部屋の中に入ってきて、触ってみたらリィン・ロッドになったらしいわ。」
「つまり、それは元々天界の武器だったわけじゃないってことか?」
「そう。小学生とは思えない知識量と小学生らしい想像力が合わさって生まれたのが、リィン・ロッドなの」
「その光については、何か分かることはないんですか?」
「今のところは、全然」
首を横に振るココアに、レオ達は納得しがたい表情を浮かべた。
「それで、そんな不思議な力を手に入れたその子はどうしたの?」
「当時はまだ“
「エリちゃんが九校戦とかで使っていた“ドッペルゲンガー”も、その幻獣の1つってことですね」
美月の確認とも取れる質問に、エリはにっこりと笑って頷いた。そして美月の隣でエリカが、4月の新入生勧誘期間でエリが見せた金色の剣を思い出し、1人納得していた。
「今考えてみたら、よく人間界の奴らに目つけられなかったなと思うわよ。まぁ、魔王達には早々に存在がバレちゃって、結局は相互不可侵ってことで決着がついたけど、本当にあのときは肝が冷えたわぁ」
「人間界の方も、結局はその後に起こった“事件”のせいで知られちゃったけどねぇ」
「事件?」
ミルココの口から飛び出した何やら物騒な単語に、エリカが首をかしげて尋ねた。
「“這い寄る混沌”ナイアルラトホテップ」
その言葉に魔法科高校の面々は不穏な雰囲気を感じ取って表情を強張らせ、モカ達は何かを堪えるように苦々しい表情を浮かべる。
「そいつの手によって、世界は1度滅亡手前まで追い込まれた。そして美雪ちゃんは、見事にそいつをやっつけて世界を救い出した。――自分の命と引き替えに」
「――――!」
部屋の空気が、魔法も使っていないのに完全に凍りついた。
「そりゃ当時は子供が死ぬのなんて当たり前の時代だったけどさ、顔も知らない人達を救うために小学生の女の子が死ななきゃいけないなんてさ、普通に考えておかしいでしょ。――結局最後に残ったのは、石になって冗談みたいに浮かんでいるリィン・ロッドだけだった」
「そしてリィン・ロッドは、適合者が現れる度に復活してプリティ☆ベルを生み出し、その度に人類滅亡の危機レベルの大事件が起こり、そしてその度にプリティ☆ベルがそれを解決してきたの。んで、私とミルクが歴代プリティ☆ベルのサポートをしてきたってわけ」
「歴代の……ってことは、まさか景さんって――!」
ピンと来たように手を叩いて叫ぶレオに、ミルココはにやりと笑って、
「そう。論文コンペのときに会った洋子は2代目、景は3代目、沙希は4代目のプリティ☆ベルよ。何度も変身して体に能力が馴染んでくると、変身しなくても能力を使えるようになるのよ。とはいっても全部の幻獣を召喚できるわけじゃないし、かなり劣化してるけどね」
ミルクの説明に、顎に手を当てて納得する素振りを見せていたのはエリカだった。
「成程、景さんがあんだけ強いのは、プリティ☆ベルの能力の影響だったのね」
「いや、護身術に関する実力は、プリティ☆ベル関係無い純粋なものだからね」
ココアの反論に、エリカは力無くぐったりと頭を垂れた。
「そもそも景は、初陣のときから異常だったからね……。景がプリティ☆ベルになったのは9歳のときなんだけど、上級魔族1人と中級魔族3人を相手に、ハルピュイア2体とアンサラー1本だけを送り込んで抹殺、しかも本人は1度も相対することなく部屋で学校の宿題をしてたからね……」
「……とても9歳の所業とは思えないわ」
「そんな奴が主人公のアニメがあったら、間違いなく打ち切りだわ」
実際に修行したことのあるエリカとレオが、ミルココの話す“大田景伝説”に感心を通り越して呆れ果てるような反応を見せた。
「んで、5代目が厚志さんってことか……。あれ? でもエリちゃんも幻獣を召喚できるんだよね? エリちゃんもプリティ☆ベルだとして、5代目は2人いるってこと?」
「そこなんだよねぇ……。リィン・ロッドが2人同時に反応するのも、ましてや男に対して反応するなんて初めてのことでさぁ……。正直どう対処して良いか分かんないんだよねぇ……」
「本当、最初にマッチョなおっさんが魔法少女になったときなんか、これからどうしようかって思ったよ……」
遠くを見る目で溜息を吐くミルココに、その場にいた全員が同情するような目を2人に向けた。
と、ふと思い出したようにエリカが部屋中を見渡した。
「そういえば厚志さんがいないけど、ジムに行ってるの?」
「いいえ、今日は厚志さん、ジムで指導する日じゃなかったと思いますけど」
「さすがほのか、好きな人のスケジュールは把握してるってわけね」
「そ、そういうわけじゃ――!」
顔を真っ赤にして慌てるほのかを眺めながら、そういえば彼女的に変身した厚志はどうなんだろう、と部屋にいる全員が素朴な疑問を持ったが、正直確かめる勇気は無かったのでその件に関しては何も言わない気がした。
その代わり、エリカの質問に答えることにする。
「厚志さんは、達也と深雪と一緒に出掛けてるよ」
「達也と深雪さん? 何だか珍しい組み合わせだよね」
「確かに。大体は兄妹だけか、あるいはもっと大勢で出掛けてる印象がありますね」
「3人で出掛けてるって、どこにだ?」
レオ達の質問に、
「……まぁ、たまには3人で旅行することもあるよ」
ミルクは苦笑いにも似た笑みを浮かべて、実に曖昧な答えを返した。
* * *
大きめの武家屋敷調日本家屋。これが、門の外から見た四葉本家の特徴だった。
一般家庭に比べたら確かに広く、“お屋敷”という表現してもしっくり来る。しかし七草家や一条家といった大邸宅と比べたら、質素でこじんまりとしている印象は拭えない。
しかしそれは、四葉家の“秘密主義”が大きく関係していた。普通なら様々な要人を招く機会の多い十師族だが、四葉家ではそのようなことは無い。つまり普段から住む者とその親類くらいしか訪れる人がおらず、大邸宅ではかえって持て余すと考えていてもおかしくない。
他人事のようにそう思う達也と深雪、そして実際に他人事の厚志の3人は、重厚な門を潜って四葉本家へと足を踏み入れた。
外から見たら武家屋敷だが、中は近代的な洋風のデザインとなっている。3人は屋敷の執事によって、充分すぎるほどに広い応接室へと案内された。達也の話では、ここはプライベートに使用される応接間ではなく、公的な場合に使われる“謁見室”と呼ばれる部屋らしい。
つまり今回3人を呼び出した四葉真夜は、叔母としてではなく“四葉家当主”として呼び出したことを意味する。
「叔母は一体、どのような用事で呼びつけたのでしょうか……」
今まで真夜は、親族一同が揃う慶弔の場を除いて、何だかんだ理由をつけて達也と顔を合わせることをしなかった。にも拘わらず、深雪や厚志といった第三者がいるとはいえ、このタイミングで3年ぶりに兄と間近で顔を合わせることになる。深雪が不安に思うのも仕方のないことだ。
「それにしても、やっぱりここは凄い所だね」
そしてそれを知っていながら、厚志はあえて話題を変えて達也に話を振った。
「やはり、厚志さんには分かりますか?」
達也もそれに気づき、厚志に問い掛けることで話に乗る。
「敷地の中に入るまでは分からないし、見た目には何でもないように見えるけど……。何て言うのかな……、“死の匂い”みたいなものをかなり濃密に感じるね」
「ここは悪名高き“第四研”の跡地ですからね」
達也が言っているのは、“魔法技能師開発第四研究所”のことである。今よりも魔法師の人権が軽視されていた現代魔法新興期では、魔法師の人道・人命を無視した研究が多く行われていた。その中でも第四研究所は特にその傾向が強く、研究内容の機密性という理由で所在すらも明らかにされないまま、閉鎖されたことのみが発表されたという経緯がある。
そしてこの研究所で開発された魔法師こそが、研究所由来の一族では唯一“四”の番号を与えられた四葉である。
「施設自体は地下にありましたから、言うなればこの村自体が施設を隠すためのカモフラージュなんですよ」
「らしいね。私も真夜さんから初めて聞いたときは、さすがに耳を疑ったよ」
2人の会話を聞きながら、深雪は苦しそうに表情を歪めた。彼女も初めてその話を聞いたときは、思わず耳を塞いでしまった。今では正面から受け止めることもできるが、胸に突き刺す痛みは今も消えることはない。
いや、消えないでほしいと深雪は思っていた。
なぜならこの痛みは、いわば自分の“罪”。
何も知らずに生きてきて、自分勝手な振る舞いをしてきた自分に対する“罰”。
深雪はちらりと盗み見るように、達也と厚志へと視線を向ける。
そして、脳裏に思い起こす。
今や自分にとって人生の指針ともなっている、“頼れる大人”との出会い。
そして自分が胸に秘めていた“実兄への愛”を気づかせてくれるきっかけとなった、3年前の夏の日を。