私達を乗せた飛行機は、予定通りのルートを通って沖縄へと向かっています。那覇空港に到着した後は、私達が滞在する予定である
本当はホテルでも良かったのですが、お母様が人の多い場所が苦手という理由で父が急遽手配したのです。父は相変わらず、お金で愛情を購えると思っているようです。もっとも、そのお金もお母様を娶って手に入れたものですが。
父も昔は魔法師としても規格外のサイオン保有量を誇り、その潜在力を高く評価されてきました。四葉もそれを目当てに、お母様の結婚相手として父を選んだようです。しかし技術の発達によって、より少ないサイオン量でより大規模な魔法を展開できるようになると、単純なサイオン保有量では実力を計れなくなってきました。父も結局はその力を顕在化させることができず、現在は四葉が作った会社の役員に収まっています。
確かに父にも同情する余地はあるようですが、しかし私達や実家に隠すことなく堂々と愛人を作っている以上、私が父に親としての情愛を向けることはないでしょう。
……せっかくのバカンスに、思い出すようなことではないですね。私は首を横に振って記憶を掻き消すと、自分の隣に座る女の子へと顔を向けました。
「エリちゃん、何か飲み物でも頼もっか?」
「ううん、大丈夫。ありがと!」
小学4年生の女の子――美咲エリちゃんは、にっこりと笑ってそう答えました。短いツインテールをぴょこぴょこ動かして動き回るその仕草は、学年で3つしか離れていない私でも“母性”というものを自覚せずにはいられない可愛らしさがあります。
私達が現在座っているのは、座席の1つ1つが卵形のカプセルシートになっていて、ゆったりと落ち着いて空の旅を満喫できるエグゼクティブ・クラス――ではなく、隣の客と肘がぶつかり合うほどの至近距離で座席が何列にも詰め込まれているノーマル・クラスです。普段ならば迷うことなくエグゼクティブ・クラスを選ぶのですが、厚志さん達が「道中みんなと話すのも旅の醍醐味ですから」という理由でノーマル・クラスを希望し、ホストである私達がそれに合わせたからです。
最初にそれを聞いたときは、知らない人と肩を付き合わせることに対して憂鬱な気分になりましたが、厚志さん達は皆が私にとって好ましい性格をしていたので、普通にお喋りを楽しめる程度に仲を深めるのにさほど時間は掛かりませんでした。
私は3人掛けの座席の真ん中に座り、右隣にエリちゃんが、左隣にお母様が座っています。ミルクちゃんとココアちゃん(他の皆さんはこの2人を“ミルココ”と縮めて呼んでいるそうです)やモカさんやダッチちゃん、そしてリカルドさんやマッドさんは私達の後ろの席に座っています。
ここまでは、良いのです。
問題なのは、私の視界に入る位置に兄がいるということです。普段ならば私達がエグゼクティブ・クラスだとしても兄だけはノーマル・クラスなのでそんなことは無いのですが、今回は私達がノーマル・クラスに来たことで兄と同じ空間で過ごすこととなったのです。
しかも現在兄が座っているのが、私達と同じ列で通路を挟んだ窓際の2つ席であり、そして厚志さんの隣の席なのです。ちなみに兄が窓側、厚志さんが通路側です。
厚志さん達に合わせてノーマル・クラスに座るのは良いとして、なぜお母様は兄を厚志さんの隣に乗せたのでしょうか? 使用人がゲストの隣に座るなんて、普通に考えても有り得ないことだというのに。
「厚志さん、随分と体を鍛えられているようですけど、何かスポーツをやっているんですか?」
「ああ、私はプロのボディービルダーなんだ。後は自分のジムでエアロビを教えているよ」
「ボディービルダーですか。食事制限がきついとお聞きしていますが、厚志さんも?」
「まぁね。油物は極力控えているし、どうしても食事は味気ないものになってしまうね。でも自分が好きでやっていることだし、モカちゃんが来てからは随分と助かってるよ」
「モカは調理師免許も持ってるんだよー。モカの作る料理は、機械なんかよりもずっと美味しいんだから!」
「も、もう! 厚志さんもお嬢も、止めてください!」
厚志さんとダッチちゃんの賛辞に、モカさんは顔を真っ赤にして照れていました。
それにしても、モカさんはダッチちゃんを“お嬢”と呼ぶのですね。最初に会ったときは姉妹かと思いましたが、モカさんは彼女の従者なのでしょうか? だとしたら、そんな2人がどうして厚志さん達と一緒にいるのでしょうか?
それ以外にも、彼らには不思議なことが多いように思えます。そもそもこのグループ自体、普通に生活して形成されるようなものではありません。あるいは、叔母様の言う“プリティ☆ベル”が関係しているのでしょうか? 気になるところですが、そういったことに踏み込めるほどには親しくないので訊くことができません。
「ねぇねぇ! 深雪さんって、どんな魔法が得意なの?」
すると、私の隣に座るエリちゃんがキラキラと目を輝かせて、そんなことを尋ねてきました。
何だか妹ができたような心地になった私は、姉にでもなったかのような気分で答えます。
「私は“振動系魔法”が得意よ」
「振動ってことは、物をブルブル震わせるってこと?」
「それだけじゃくて、物の振動を抑えることもできるの。私はどちらかというと、そっちの方が得意かな? だから私が得意な魔法は、物を凍らせたりするようなものが多いの」
本当は精神系の魔法も得意だったりするのですが、この魔法は私自身があまり好ましく思っていないので、このときには挙げることはありませんでした。
ちなみにエリちゃんは私の答えに、「じゃあ暑くてもすぐに涼しくなれるから便利だね!」と言いました。実に子供らしい感想に、私も自然と笑みを浮かべました。
「現代魔法って、CADってのを使うんでしょ? 今持ってるの?」
「ええ、持ってるわよ。見る?」
私が尋ねると、エリちゃんは嬉しそうに首を何度も縦に振っていました。ちらりとお母様に目を遣り、特に何も言わないのを確認して、私は手に持っていた荷物からCADを取り出しました。ごく一般的な汎用型ですが、エリちゃんにはそれすらも珍しいらしく、興味津々な様子でそれに魅入っていました。
そして通路の向こう側にいる厚志さん、さらには後ろの列に座っている皆さんも同じようにCADを覗き込んでいるのに気がつきました。そういえば彼らは叔母様曰く“世界を救った英雄”であるはずなのですが、現代魔法に欠かせないCADにそのような反応を見せるのはなぜでしょうか?
「エリちゃんは、CADを見たことが無いの?」
「うん、初めて見た! 私達の周り、現代魔法を使える人がいなかったから」
「エリちゃんは……その、プリティ☆ベル? なんでしょ? 魔法はどうやって使うの?」
「深雪さん。場を弁えなさい」
私がプリティ☆ベルについて言及すると、今まで無言を貫いていたお母様が冷たい声で注意してきました。確かにこのような公共の場では、誰が聞き耳を立てているか分からないでしょう。
正直なところ、プリティ☆ベルにそれほどの秘密があるなんて未だに実感が湧きませんが、お母様が忠告している以上は止めるべきでしょう。私はエリちゃんに「ごめんね」と言って、そこからは学校のことなどの取り留めの無い話題に終始しました。
そうこうしている内に、南国の海特有のコバルトブルーが窓の向こう側に見えてきました。沖縄に近づいてきた証です。
するとミルココの2人を始めとして、皆さんがはしゃぎながら厚志さんの所に殺到して窓を覗き込んでいました。窓際に座っていた兄が、何も言わないものの若干苦しげな表情を浮かべていたのが印象的でした。
四葉の人間が“接待”するほどの相手なので、こういったことには慣れていると思っていたのですが、案外そうでもないのでしょうか?
* * *
「いらっしゃいませ、皆様。お待ちしておりました」
別荘に着いた私達を出迎えてくれたのは、一足先にここに来て諸々の準備をしてくれた桜井穂波さんです。
彼女はお母様の“ガーディアン”であり、魔法資質を強化された調整体魔法師“桜”シリーズの第1世代です。20年戦争の末期に研究所で作られ、生まれる前から四葉に買われた魔法師ですが、普段はそんな生い立ちを感じさせない明るくさっぱりとした性格です。
そして女性ということもあり、本来ガーディアンの仕事ではないお母様の身の回りの世話もしています。本人曰く「家政婦の方が性に合っている」らしく、今回もお母様の護衛を兄に任せて現地の情報収集などをしていました。私としてはその役目こそ兄にやってほしかったのですが、兄ではお客様や私達の世話をするための準備はできないので仕方ないのでしょう。
「色々と準備させてしまったようで、申し訳ありません」
「いえいえ、皆さんはお気になさらないでください。私が好きでやっていることですので。麦茶を冷やしておきましたが、お茶をお淹れした方が宜しいでしょうか?」
「では、せっかくなので麦茶を」
「あ、じゃあ私達もー」
「はい、畏まりました。――深夜様は、如何なさいますか?」
「それじゃ、私もそれで」
と、桜井さんが次々と訊いていく中、
「深雪さんと達也くんも、麦茶で宜しいですか?」
「……はい、ありがとうございます」
「お手数をお掛けします」
私が桜井さんに対して唯一不満を抱いているとすれば、兄をお母様の息子として、つまり私の兄として扱うことでしょう。いえ、実際にそうなのですし当たり前のことなのですが、当時の私にはその当たり前のことができなかったのです。
「それでは皆さん、皆さんの泊まるお部屋をご案内致します」
「やっほーい! あたし、いっちばーん!」
「ああ、ダッチ! 私が一番なんだからねー!」
桜井さんの言葉に真っ先に反応したダッチちゃんが駆けていき、エリちゃんが彼女を追い掛けていきました。モカさんが「お嬢もエリちゃんも、家の中で走っちゃ駄目ですよー!」と呼び掛けながら後を追い、ミルクちゃんとココアちゃんが面白そうに笑いながらその後に続きます。
「すみません、騒がしくしてしまって」
「あら、子供はあれくらいの方が良いですわ」
「そうですね。達也くんも深雪ちゃんも、家の中で走り回るような子供じゃなかったから、あれくらいの方が子供らしくて微笑ましいですよ」
苦笑いで頭を下げる厚志さんに、お母様と桜井さんはにこやかに笑ってそう言いました。私も普段とは違う騒がしい家に、不思議と不快感はありませんでした。お母様と桜井さんも、どこまで本音かは分かりませんが、少なくとも嫌がっているといった様子はありません。
と、お母様達と同じようにエリちゃん達を眺めていた厚志さんが、ふいにお母様へと顔を向けました。
「深夜さん、この後の予定はどうなっていますか? できれば、少し散歩に出たいのですが」
「あら、そうですか? でしたら、この後は例のパーティーがありますので……、準備の時間も考えて5時までには戻ってくだされば大丈夫ですよ」
「そうですか。それでは、少し歩いてきます」
「あ、あの! 私もご一緒して良いですか?」
そのまま入口へと体を向けようとしていた厚志さんに、私は慌てたように呼び掛けました。ちょうど自分も外に出たい気分だったというのもありますが、純粋に厚志さんともう少しお話がしたかったのです。
「うん、私は構わないよ。――深夜さん」
「それじゃ、私からもお願い致しますわ」
厚志さんがお母様に顔を向けると、お母様もにっこりと笑って了承してくれました。
そして私へと顔を向けて、
「深雪さん、達也を連れていきなさい」
別に兄がいなくても大丈夫だとは思いましたが、お母様に余計な心配を掛けたくなかったのと、厚志さんの手を患わせることになればそちらの方が面倒になるでしょう。
「……分かりました」
私は自分の感情をできるだけ押し殺し、声が鋭くならないようにすることで精一杯でした。
「いやぁ、風が気持ち良いね」
「本当ですね」
私達は現在、別荘の近くにあるビーチの遊歩道を歩いています。日差しは相変わらず厳しいですが、海からの風が吹いているので心地良く、また出掛けるときに桜井さんに手伝ってもらって露出している肌に隈無く日焼け止めを塗ってもらったので、日に焼ける心配もありません。
私はちらりと、隣を歩く厚志さんを見遣りました。昔クラスメイトから「雪女みたい」と評されたことがあるほどに肌の白い私と違って、厚志さんの肌は元々黒人の血が混じっていたのかと思うほどに真っ黒です。黒い肌の方が筋肉をより立体的に見せられるからだそうで、そこまでストイックに自分を磨いている厚志さんに尊敬の念を禁じ得ません。
「どうしたのかな、深雪ちゃん?」
そうやって盗み見るような真似をしていると、厚志さんに見つかってしまいました。私は慌てて手を振って邪な感情は一切無いことをアピールしながら、
「いえ、その……! もの凄く体を鍛えられているから、単純に凄いなって思って……!」
「ははは。確かに初めて見た人からは、よく興味津々な目で見られるね。――でも私から見れば、達也くんもなかなか鍛えられていると思うよ」
兄の名前が出てきたことで、私は意識して頭から追いやっていた存在を改めて認識することになりました。
ちらりと後ろを振り返ると、私達から一定の距離を空けてついてくる兄の姿があります。
耳を澄ませても足音は聞こえませんし、気配も感じません。後ろを振り返らなければ、本当に人がそこにいるのかすら分かりません。確かにそれは、ちょっとやそっと習った程度でできるような芸当ではないのでしょう。
しかし兄は、四葉の中では“魔法を満足に使えない落ちこぼれ”という烙印を押されています。一応私の“ガーディアン”ではありますが、私と1歳しか違わない兄に何ができるのか疑問です。
それでも厚志さんは、そんな兄を見て「なかなか鍛えられている」と評しました。子供に対する社交辞令かもしれませんが、もし厚志さんが兄の中に何かを見たとするのなら――
「達也くん、君も一緒にこっちに来て散歩しないかい?」
私がそんなことを考え込んでいる間に、厚志さんが後ろを振り返って兄にそう呼び掛けました。
私は思わず厚志さんを止めようと口を開きかけて、
「いえ、申し訳ありませんが、自分はここで結構です」
兄は一切表情を動かすことなく、きっぱりとした口調で厚志さんの誘いを断りました。
「まぁまぁ、そう遠慮しないで」
「いえ、自分はお嬢様の“ガーディアン”ですので、お気遣いは無用です」
厚志さんが再び誘いますが、兄はその姿勢を崩すことはありません。
「ふむ、そうかい……。それじゃ、代わりに質問しても良いかな? 飛行機の中で聞きそびれちゃったことなんだけど」
「何でしょうか?」
「“ガーディアン”というのは、ボディーガードとは何が違うんだい?」
「っ――」
厚志さんの質問は、私の心をキュッと締め付けるようなものでした。
なぜならそれこそが、兄がどれだけ家の者から冷遇されようが不満を言うことが許されず、そして私の傍から離れることが許されない“元凶”だからです。
「一言で表現するならば、ボディーガードは“仕事”で、ガーディアンは“役目”です」
しかし兄は、まるで他人事のように自分の境遇を話し始めます。
「ボディーガードは護衛対象を命懸けで護衛し、その報酬として金銭を得ます。警察のSPのように職務で行う場合もありますが、その職務によって報酬を得ているという点では同じでしょう。――しかしガーディアンには、そのような報酬がありません。衣食住は確保され、必要なときには金銭が支給されますが、それはあくまでも護衛としての力を維持するためのコストでしかありません」
例えるならば、ボディーガードは食べるために護り、ガーディアンは護るために食べる、といったところでしょうか。
「我々ガーディアンに、私生活はありません。我々の全ては、“マスター”あるいは“ミストレス”と呼ばれる護衛対象に捧げられています。深雪お嬢様のガーディアンになったその日から、自分はこの命が尽きるか、あるいは深雪お嬢様に解任されるまで、“四葉現当主の姉の息子”ではなく“時期四葉当主候補のガーディアン”として生きていくことになります」
「普通にボディーガードを雇うのでは、駄目なのかい?」
「自分も詳しくは知りませんが、30年ほど前に“事件”が起こったのを切っ掛けに、四葉の血を守ることを目的に定められたのが“ガーディアン”だそうです。普通のボディーガードでは、金銭的な理由やそれ以外の要因でいつ裏切られるか分からないため、まず裏切ることがないであろう身内から選定されるようになったそうです」
「今までのガーディアンの中に、解任をされてガーディアンを辞めた者はいるのかい?」
「1人もいません。今までガーディアンになった者は、例外なくガーディアンとして一生を終えています」
兄が私のガーディアンになったのは、兄が6歳のとき。その頃から、まったく同じ親から生まれた兄妹は、“
私はそれを、当然のこととして考えてきました。私だけでなく、一族の全員がそう考えています。そう考えられなければドロップアウトするしかないのが“四葉”なのです。
しかし普通の人から考えれば、個人の意思を蔑ろにした差別的なものだと考えてもおかしくないでしょう。現に厚志さんは兄の話を聞いてから、真剣な様子で考え込んだまま黙り込んでいます。
やがて、厚志さんが口を開きました。
「だとすると、少し奇妙だね」
「奇妙?」
てっきり非人道的だとして非難する言葉が出てくるものと思っていた私は、厚志さんの言葉を反芻して首をかしげました。兄も同じようで、言葉を反芻して首をかしげるような真似はしないものの、訝しげに眉間に皺を寄せていました。
「“四葉”っていう家の特殊性から、ガーディアンという発想になるのは分かる。是非はともかくとして、そういう謂われだから家の人間から冷遇されるというのも分かる。――でも、達也くんの扱いはそれとはまた違う気がするんだよね」
「違う?」
何を言っているのか分からず、私は首をかしげるしかありませんでした。
「私は真夜さんや深夜さんとも何回か話したことがあるし、四葉の本家にも来たことがあるんだけど――」
話の本題ではないことは分かっているのですが、厚志さんのその言葉に私は驚きを抑えられずにはいられませんでした。十師族の中でも秘密主義として知られる四葉とそこまでの関わりを持つということは、それだけ四葉が厚志さんに対して強い働き掛けがあったことを意味します。今回の旅行自体がまさにその一環だとは理解しているつもりでしたが、私は改めてその重大さに驚かされました。
しかし今は、厚志さんの話が先です。
「そのときにガーディアンらしき人達を何回か見たけど、確かに使用人のような扱いこそ受けているが、あからさまに冷遇されているといったことは無かった。そもそも上流階級の間では、使用人は“存在しないもの”として扱うんだろう? だったらガーディアンに対して“冷遇する”という対応自体がおかしいんだ」
「――――!」
確かに、言われてみればその通りです。兄以外で最も身近なガーディアンといえば桜井さんですが、彼女はお母様からも他の人達からも、特別冷遇されているようには思えません。
兄に対してだけ、お母様を含めた皆が冷たい視線を向け、侮蔑を込めた表情を浮かべるのです。
「……つまり俺は、俺がガーディアンだからという理由以外の理由で、周りの人達から疎まれているということですか?」
「そういうことだね。――何か心当たりは?」
厚志さんの質問に釣られるように、私は兄へと視線を向けていました。
しかし兄は、普段と何ら変わらぬ無表情のままで、
「いいえ、何も」
まっすぐ厚志さんを見据えて、はっきりとした口調でそう言いました。
「本当に? どんな些細なことでも、何の確証も無いことでも良いんだよ?」
「いいえ、何も」
先程の答えと一字一句、イントネーションも変わらぬ答えが、再び返ってきました。
厚志さんはしばらく黙ったまま、じっと兄を見つめています。
そして、口を開きました。
「それじゃこちらからも、秘密を1つ教えよっか」
にかっと、眩しいほどに真っ白な歯を惜しげも無く見せる満面の笑みで、厚志さんはそう言いました。
そして私と兄が訝しげな表情を浮かべる中、
「私の連れにミルクとココアという、小学生の女の子に見える2人組がいただろう? ――彼女達は、実は33歳なんだ」
「――――は?」
「――――へ?」
突拍子も無いその告白(?)に、私も兄も思わず間抜けな声をあげてしまいました。兄のそのような反応は初めて見たのですが、私はそれを珍しがる余裕もありませんでした。
「そして彼女達には、或る特殊な“能力”がある。
「…………」
厚志さんの言っていることは、まるで意味が分かりませんでした。まるで子供の拙い妄想のようなその内容は、知らない誰かが言っているのであれば鼻で笑って切り捨てるようなものでしょう。
しかし、お母様や叔母様が“世界を救った英雄”とまで言ってのけたグループのメンバーの話だとしたら……?
そして、このタイミングで“嘘を見破れる者がいる”と告白したということは……?
「さて、達也くん。もう1度訊くよ。――何か、心当たりはあるかい?」
「……いいえ、何も」
「…………」
「…………」
至近距離でじっと見つめる、厚志さんと兄。息を呑む緊迫した空間に、私も自然と息苦しくなっていきます。
そして、1分とも10分とも感じる沈黙が流れた末に、
「そうかい、分かった。――そろそろ戻ろうか」
厚志さんはにっこりと、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言うと、元来た道を戻っていきました。兄はその場から動かずじっとしていましたが、私が慌てて厚志さんの背中を追い掛けると動き出し、来たときと同じように私達の後ろを歩き始めました。
その後私達は、誰かに絡まれたりストリートファイトをするようなこともなく、別荘へと戻っていきました。