バカンス中とはいえ、世間のしがらみから完全に解放されるというわけではありません。私はまだ中学生ですが、パーティーに招かれて断れない相手というのも存在します。
例えば、お母様の従兄に当たる
普通ならば同じ時期に同じ場所にいるなんて凄い偶然、と思うところでしょうが、ほぼ間違いなく黒羽のおじ様は狙ってやったことでしょう。今回のパーティーは表向き“親しい者のみで集まったささやかなもの”ということになっていますが、そのパーティーに厚志さん達も誘われているところを見ると、明らかに自分達も彼らと繋がりを持ちたくて開催したに決まっています。
現在の時刻は、午後6時。そろそろ出発しなければいけない時間ですが、どうにも気乗りのしない私は、自分の部屋でうじうじとブラッシングをしていました。
すると、
「深雪さん、用意はできましたか?」
ドアをノックしながら呼び掛けてきた桜井さんに、私は慌てたように肯定の返事をしました。すでにカクテルドレスに着替え、髪留めとネックレスを身につけ、ハンドバッグを手にしているので嘘はついていません。
しかしドアを開けて部屋に入ってきた桜井さんは、私の顔を見るなり苦笑いを浮かべました。
「そんなに不機嫌な顔をなさっては、せっかくのお召し物が台無しですよ?」
「……分かりますか?」
「私には、ですけどね。でも世の中には、私よりも鋭い“目”を持つ人はいくらでもいます。深雪さんは普通の中学生ではないのですから、隙に繋がるようなことは極力避けるべきでしょう」
桜井さんの言葉は的を射ており、反論する気にもなりません。
「それでは、どうすれば良いのでしょう?」
「気持ちというものは、どうしても目や表情に表れてしまいます。だからこそ大事なのは、自分の気持ちを上手に騙すことです」
「自分の気持ちを、騙す……?」
「はい。“建前”というのは、まず自分自身を納得させるためのものなんですよ」
「建前……」
私の不満を読み取ったのか、桜井さんは困ったような笑みを浮かべました。
別に黒羽のおじ様のことが嫌いなわけではありません。しかし奥様を早々に亡くされているからか、親馬鹿ぶりがちょっと……かなり鬱陶しいのです。自分の子供とあまり歳の変わらない私相手にも子供自慢を止めないのは、さすがにどうなんでしょうか。そういうのは、大人相手にやってほしいものです。
嫌な記憶が蘇ってきて、私は思わず溜息を吐きそうになり、
「深雪ー、用意できたー?」
ドアを叩きながら明るい声で呼び掛ける女の子の声に、私はそれを寸前で止めました。桜井さんが来客に声を掛けるとドアが開かれ、ドレスで着飾ったミルクちゃんとココアちゃんが顔を出します。ミルクちゃんが黒いドレス、ココアちゃんが白いドレスという自分の肌と正反対の色でコーディネートした2人は、整った顔立ちをしているためにとても様になっています。
「おー、さすがお嬢様、見事にドレスを着こなしてるね」
「ふふ、ミルクちゃんとココアちゃんも似合ってますよ。とっても可愛らしいです」
「あっはっはっ、ありがとねー」
そう言って桜井さんと笑い合う彼女達は、どこからどう見ても小学生(それも低学年)の女の子にしか見えません。少なくとも、厚志さんの言う33歳にはとても見えません。仮に彼女達が本当に33歳だとしたら、若さの秘訣を盗もうと世の女性達が躍起になることでしょう。
「ん? どうしたの、深雪?」
「……ううん、何でもないわ」
不思議そうな表情を向けるココアちゃんに、私はにっこりと笑って首を横に振り、取り留めの無い空想を頭の外へと追いやりました。
無人運転のコミューターを何台も走らせて、私達はパーティー会場であるホテルへと向かいます。皆がドレス、あるいはフォーマルスーツを着ているのは、このときのために桜井さんが全員分の衣装を用意してくれたからです。
ちなみにその桜井さんは、今回はお留守番です。どうにも沖縄に着いてから体調の良くないお母様が欠席することになり、お母様のガーディアンである桜井さんが傍につくことになったのです。
そうこうしていると、コミューターがホテルのエントランスへと辿り着きました。同じコミューターに乗っていた兄がキビキビした動作でドアを押さえ、私が下りるのを待っています。そして厚志さん達には、入口で待機していたホテルのスタッフがその役目を担います。
「おお……、すげー立派なホテルだな……。やっぱ金持ちは違うんだな……」
「兄者、あんまりジロジロ見てると嗤われるよ」
「ねーねー、モカ! パーティーって、美味しいものがいっぱいあるかな!」
「ええ、ありますよ。ですから、くれぐれもお行儀良くお願いしますね」
「ねぇ、厚志さん。もしかしてあの怖い人達、誰かのボディーガードかな?」
「ああ、そうだろうね。ここには要人も大勢いるだろうし」
わいわいと騒ぎながらホテルのロビーを歩くという光景は、四葉家では考えられないものでした。家族仲が悪いわけではないのですが、相手に付け入る隙を与えないためにも公の場では軽はずみな行動を取れないのです。そして、そういう注意をしなければいけないのが四葉家なのです。
それにしても、やはり厚志さんのスーツ姿は目を見張るものがあります。極限まで体を鍛え上げた厚志さんが黒い服を身に纏うと、まるで凄腕のボディーガードかその道の方と見紛うほどの迫力があります。少なくとも、私の傍を歩く兄の方が護衛対象で、厚志さんは私達に雇われたと見る方が自然でしょう。
と、パーティー会場へと繋がるドアが腕を伸ばせば届く距離にまで近づいた、そのとき、
「メンソォーレ!」
沖縄独特の挨拶と共に、そのドアが勢いよく開かれました。バァーン! という効果音でも流れそうな迫力で私達を出迎えたのは、今回のパーティーの主催であり、私達を招いた黒羽貢さんでした。……おじ様、そんなキャラでしたっけ?
「よく来てくれたね、深雪ちゃん! 他の皆様も、ようこそお越しくださいました! 私、今回のパーティーの主催を務めさせていただきます、黒羽貢と申します! 以後、お見知りおきを!」
「お招きいただいて、ありがとうございます。高田厚志と申します」
「美咲エリです! よろしくお願いします!」
厚志さんとエリちゃんが自己紹介をすると、他の皆さんも次々と自己紹介をしていきます。
それが一通り終わったところで、おじ様が私へと視線を向けました。
「ところで深雪ちゃん、お母様の具合はどうだい?」
「お気遣い、恐れ入ります。疲れが出ているだけかと思いますが、本日は大事を取らせていただきました」
「良かった、安心したよ。――おっと、こんな場所で立ち話も何ですし、中へどうぞ」
おじ様はそう言って、私達を中へと案内します。それに応えて、私達もそれに続きます。
ただ1人、兄を除いて。
「あれ? 達也は入らないの?」
それを目敏く見つけたダッチちゃんが、兄へと振り返りながら尋ねます。
「ああ、このパーティーに一般人は入れないよ。ガーディアンは壁際にでも控えさせると良い。会場の中にもボディーガードはいるから、安全面は心配いらないよ」
おじ様がそう説明しますが、ダッチちゃんは納得いかない様子。
「ねーねー、達也ー。一緒に行こうよー」
そして兄の腕を引っ張りながら、可愛らしく駄々を捏ね始めました。兄は無表情を貫いていますが、その表情にどことなく困惑が浮かんでいるのが見て取れます。どうにも厚志さん達と行動しているときの兄は、普段よりも感情が表に出やすいように思えます。
「申し訳ないんですが、彼も会場に入れてくれませんか?」
「……分かりました。どうぞ」
厚志さんの頼みに、おじ様は面白くなさそうな表情を一瞬だけ浮かべ、すぐに笑顔を取り繕って了承しました。今回のゲストの中で最も立場が上と言っても過言ではない厚志さん直々の頼みとあっては、彼らをもてなす立場であるおじ様が断れるはずもありません。
エリちゃんとダッチちゃんにそれぞれ腕を引っ張られながら、兄が会場の奥へと早歩きで進んでいきます。私達はその後ろ姿を眺めながら、その後へと続いていきます。いつも兄は私の後ろを歩いているだけに違和感が凄まじいですが、なぜか不思議と嫌な気分ではありませんでした。
そして兄を連れた2人が真っ先にやって来たのが、様々な料理が並ぶテーブルでした。
「おぉっ、凄い! 見たことも無い料理がいっぱい!」
「きれーい! このビスケットみたいなやつって、お菓子かな?」
「えー? 上にサラダが乗ってるから、おかずじゃない?」
エリちゃん、それはビスケットじゃなくてクラッカーですよ。
いくら自由に食べても良いからといって、料理に夢中になるような真似は普通しません。もし私がやればはしたないと白い目で見られるでしょうが、小さな女の子というだけで許されるのだからずるいものです。もっとも、今回の参加者には厚志さん達のことは知られているでしょうから、彼女達に文句を言う者はいないでしょうが。
「おぉ、さすが金持ちのパーティー。見るからに高い酒が並んでるぜ」
「兄者、そうやってると周りからはしたないって思われ――ちょっと何アレ美味しそう」
「お嬢、あんまり騒がないでくだ――んぐ! ……あら、美味しい」
と思いきや、いい年をした大人であるはずのリカルドさん達まで、エリちゃん達を追うように料理の方へと吸い寄せられていきました。確かに知り合いのいないパーティーで挨拶回りなどしないのは分かりますが、そこまで“花より団子”を露骨に表さなくても良いのではないでしょうか。
そして皆さんがそうしているのを、兄は呆然とした様子で眺めていました。傍目には分かりにくいですが、きっと兄の心中では、もっと静かに振る舞うように注意しようという想いと、ゲストだからあまり強くは言えないという想いとで板挟みになっていることと思われます。何だかこの短い間で、兄の感情を読み取るのが上手くなったような気がします。
と、私達が遠巻きにその光景を観察していると、
「深雪姉様! お久し振りです!」
元気いっぱいの声と共に、1人の男の子が私へと駆け寄ってきました。そして彼に付き従うように、1人の女の子がこちらを見据えながら歩いてきます。
「お久し振り、
「お姉様も、お変わりないようで。――そちらにいらっしゃるお方が、高田厚志様ですね。お初にお目に掛かります。本日のパーティーの主催を務めさせていただく黒羽貢の娘、黒羽亜夜子と申します」
「同じく黒羽貢の息子、黒羽文弥と申します。よろしくお願い致します」
完璧な所作で腰を折って礼をする2人ですが、その可愛らしい衣装に私達は表情筋を抑えるので精一杯でした。
「随分と似ているけど、2人は双子なのかい?」
「はい。深雪姉様と同じ歳ですが、学年は1つ下です」
厚志さんの質問に答えながら、亜夜子さんはちらりと私を見遣りました。そんな何気ない仕草1つからでも、私をライバル視しているのをひしひしと感じます。年齢がほぼ同じだからかもしれませんが、後継者候補は文弥くんの方なのだから競争意識を持たれても、というのが正直なところです。文弥くんは素直に慕ってくれるので、可愛らしいものなのですが。
すると、先程から私達とつかず離れずの距離を保っていたおじ様が、ここぞとばかりに厚志さんに近づいてきて2人の自慢話を始めました。亜夜子さんがピアノのコンクールで入賞しただの、文弥くんが乗馬の先生に褒められただの、私にとっては非常にどうでもいいことを、厚志さんは嫌な顔1つせずに相槌を打って聞いています。これが大人というものなのでしょうか。
と、大人の会話が始まったあたりで、2人が何やらきょろきょろと辺りを見渡し始めました。
「あの、深雪姉様……。達也兄様はどちらに……?」
文弥くんは、そして亜夜子さんも、私よりも兄の方を慕っている節があります。いえ、尊敬と言った方が正しいでしょうか。
確かに兄は魔法師としては(魔法協会の定めた基準に照らすと)才能に恵まれませんでしたが、学校の成績は飛び抜けて優秀、スポーツも超がつくほどの一流で、しかも兄には魔法師にとって天敵ともなり得る“切り札”があります。きっと男の子が憧れるヒーローというのは、兄のような者のことを指すのでしょう。
そわそわしている2人のために、私は現在パーティー会場で最も騒がしい(だからこそ、2人が真っ先に候補から外したであろう場所)を指差しました。
「達也兄様!」
「……まったく、仕方ないわね」
その途端、文弥くんはパァッと顔を輝かせて駆け出し、亜夜子さんは「やれやれ」とでも言いたげな態度で彼の後を追うように向かっていきました。亜夜子さんの歩調が若干早足ぎみになっているのは、おそらく気のせいではないでしょう。
「達也兄様、こんばんは!」
「文弥に亜夜子か。久し振りだな」
「ご機嫌麗しゅう、達也さん。普段は壁際や入口にいらっしゃるのに、珍しいですね」
「……あぁ。お転婆なお姫様にむりやり引き摺り込まれてな」
「ん? 達也の知り合い?」
「ええ。今回のパーティーの主催である黒羽家の御子息です」
「おぉっ、いかにも育ちの良いお坊ちゃまとお嬢様って感じだな」
「ホントホント、こうやって料理に群がってる私達とは大違いだわー」
エリちゃん達が2人に気づいて、周りを囲むように集まってきました。皆でわいわいと騒ぐその中心に、ちょうど兄が収まっている形となります。偶然そうなったに過ぎませんが、家では常に端っこを歩く兄の姿に慣れた私にとって、その光景は違和感の塊でした。
しかしそれ以上に違和感のある光景が、直後にやって来ました。
――あの人が、笑っている……?
普段私の後ろをついていくときは無表情を貫いている兄が、僅かに口の端を吊り上げて歯を見せて笑っていました。あんなに穏やかな笑顔を、私は今まで見ることがありませんでした。それとも、私のいない所ではあんな笑顔をよく浮かべるのでしょうか?
もしかして、兄の感情を奪っているのは――
「こらこら、亜夜子、文弥。達也くんの仕事を邪魔してはいけないよ」
と、厚志さんと話をしていたおじ様が、やれやれといった感じで兄達の傍へと歩いていきました。掌に爪を食い込ませなければ作り笑いを維持できない私と違って、おじ様の笑顔は内心を悟らせない完璧なものでした。
「ご苦労様。しっかりと勤めを果たしているようだね」
「恐れ入ります」
おじ様に声を掛けられた兄は、先程の笑みを完全に消したいつもの無表情で頭を下げます。
「あら、お父様。少しくらいは宜しいのではないですか?」
そして2人の会話に横槍を入れたのは、亜夜子さんでした。兄との会話を邪魔されたからか、その表情には若干不機嫌の色が伺えます。
「深雪お姉様は、私達が招いたお客様。ゲストの身辺に危害が及ばぬように手配するのは、達也さんではなく私達の役目ではありませんか?」
「姉様の仰る通りです! 黒羽のガードは、お客様1人守ることのできないような無能ではありません! そうでしょう、父さん!」
あら文弥くん、おじ様のことを“お父様”と呼ばなくなったのね、などとどうでもいいことを考えていると、隣にいるおじ様は少しだけ眉を寄せて困惑顔を見せました。
おそらく亜夜子さんも文弥くんも、おじ様の本音は分かっているのでしょう。
文弥くんは、四葉の次期当主を狙う候補者。
一方兄は、同じく次期当主候補者である私の、単なる護衛役。ガーディアンなどと特別な呼び方をしたところで、所詮は使用人、いわば使い捨ての道具でしかありません。道具と割り切ることができなければ、四葉の当主たり得ないのでしょう。
しかし兄は私の護衛役であり、文弥くんと兄の関係は
あるいは、厚志さんが昼間に指摘した“別の要因”が関わっているのでしょうか?
とはいえ、今回の件に関しては、おじ様の対応は失策だったと言わざるを得ません。
「別に良いじゃん、おじさーん。そんな固いこと言わないでさぁ」
「そうだよ、おじさん。私達で楽しく話してたんだからさぁ」
「私達は何とも思ってないんだからさぁ、そっとしておいてよ、おじさん」
「おじさん」
「おじさん」
たとえおじさん――じゃなかった、おじ様が兄をどう思っていようとも、今日知り合ったばかりの方々にそんな事情は関係ありません。むしろ自分達の会話を邪魔してくれた不届き者としておじ様を認識した彼女達は、おじ様のこめかみがピクピクと動くような言葉を次々と浴びせていきます。おそらく、わざとでしょう。
「……はは、確かにそうですな。余計な気を回してしまったようで、失礼致しました」
そう言って頭を下げるおじ様は、先程兄と向き合ったときのポーカーフェイスなど程遠く、口の端が不自然に引き攣った笑みを浮かべていました。おじ様のそんな姿を見た私は、はしたないと自覚しながらも胸のすく思いがしたのも否定できませんでした。
と、そんなとき、会場に優雅な音色が流れ出しました。黒羽家が用意した楽団による生演奏が始まったのです。
こういったパーティーには欠かすことのできない、ダンスの時間が始まりました。
「おぉっ! テレビで観たことあるやつだ!」
来場客の皆さんが男女でペアになって踊り出すと、エリちゃんが興奮したように声をあげていました。
するとそれに気づいたおじ様が、一瞬だけギランと目を光らせると、
「エリちゃんは初めてかな? だったら文弥に教えてもらうと良いよ。――文弥、彼女の相手をしてあげなさい」
「はい。――エリちゃん、一緒に踊ろう?」
「うん、良いよー」
仲良く手を繋いで会場の真ん中へと移動する文弥くんとエリちゃんの姿を、おじ様は満足そうに笑みを浮かべて眺めていました。少しでも厚志さん達と繋がりを持ちたいおじ様にとっては、これはまさにチャンスだったのでしょう。
「ありがとうございます、ダンスの相手をしてくれて」
「いえいえ、お安いご用ですよ。――あぁ文弥、女性をリードできるまでに成長するなんて……」
と思いましたが、おじ様は初めてのダンスに四苦八苦するエリちゃんを優しくリードする文弥くんを見て、何やら感動している様子でした。
「良いな良いなー! あたしも踊りたーい!」
「それじゃ、私と一緒に踊りましょう。私が男役になりますわ」
そして駄々を捏ね始めたダッチちゃんの相手を務めるのは、亜夜子さんでした。厚志さん達と踊るには年齢も身長も低すぎるからどうするのかと思いましたが、その手がありましたか。
「……あ、あの、厚志さん……」
と、ダッチちゃんが自分の傍を離れた途端、モカさんが顔を紅くしながらそわそわとし始め、厚志さんをちらちらと見遣りながら呟くように声を掛けてきました。そのいじらしい姿は思春期の少女のようで、私は自分のことも棚に上げて微笑ましい気持ちになりました。
「うん? モカちゃん、どうしたんだい?」
「あ、あの! わ、私達も踊りませんか!」
「私とかい? 踊りはしたことないんだけどね……」
「だ、大丈夫です! 私も経験ありませんから!」
それは大丈夫なのでしょうか、と思いましたが、今それを指摘するのは野暮というものでしょう。厚志さんは短く「そうかい」と言って、モカさんに手を差し伸べました。そしてモカさんは顔が茹で上がるほどに真っ赤になってそれを取り、2人は会場の真ん中へと歩いていくのでした。
その後ろ姿を見つめていると、ミルクちゃんとココアちゃんが意味ありげな笑みを浮かべて近づいてきます。
「深雪も踊ってくれば?」
「私? そうね……」
私も踊るとなると、パートナーを選ぶことになります。しかし現在の私は母の代理として参加しているのであり、そこら辺の方をテキトーに選ぶわけにはいきません。リカルドさんやマッドさんと踊っても良いのですが、現在料理に夢中になっている2人を誘うのは、本人には申し訳ないのですが外聞が悪いように思えます。
となると、やはりここはおじ様を相手に選ぶのが――
「ってか、達也で良いんじゃねぇか?」
「――――!」
リカルドさんの思わぬ一言に、私は思わず息を呑んで兄の方へ振り向いてしまいました。
しかし兄は、この旅行の前から見慣れたいつもの無表情で私から目を逸らし、
「ははは、使用人と主人が一緒に踊るなんて有り得ないよ。たとえ実の兄妹だろうとね」
まるで私に釘を刺すような物言いで、おじ様がやんわりとそれを否定しました。
「黒羽さん、ここは任せても良いですか? 自分は少し外を見て回りますので」
「ん、そうかい? それは立派な心掛けだ。深雪ちゃん達は私達に任せておきたまえ」
兄の突然の申し出に、おじ様はオーバーなリアクションで驚いてみせました。向こうから厄介払いの口実を提示してくれたためか、すらすらとリップサービスが出てきます。
そして兄は軽く頭を下げると、淀みない足取りで会場の外へと出ていきました。
まるで、この場から逃げるように。
まるで、自分の“役割”を忠実に果たすかのように。
兄の後ろ姿を、そして兄の出ていった入口をぼんやりと眺めていた私は、
「……おじ様、一緒に踊りませんか?」
自分に与えられた“役割”を演じるべく、おじ様をダンスに誘うのでした。