魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第-101話 『格闘技とは、科学的な理屈を感覚で理解できる者が強くなる』

 バカンス3日目は、朝から荒れ模様でした。空はどんより曇っていて、強い風が吹いています。桜井さんの話によると、東の海上から熱帯性低気圧が接近しているとのことです。台風になることはないけれど、台風になる1歩手前だそうです。

 この様子では、今日はマリンスポーツに行くのは無理そうです。この天気でわざわざ外に出る気にもなれず、どうせ2週間は滞在するのだから焦ることはない、ということで、今日は大人しく別荘で過ごすことになりました。

 そして私は今何をしているのかというと、何もしていません。自分の部屋のベッドで横になり、あれこれと考えを巡らせています。

 その内容はもっぱら、昨日の兄の行動についてでした。

 対象物の構造情報に直接干渉して改変する魔法は、私の記憶違いでない限り最高難易度のはずです。少なくとも私では無理ですし、お母様や叔母様でもおそらく無理でしょう。そんな芸当を、兄はCADも使わずにやってのけたのです。

 私は、混乱せずにはいられませんでした。兄は魔法の才能に乏しかったから後継者候補から外された、と思っていたからです。だからこそ私のガーディアンとならざるを得なかった、と思っていたからです。

 もしその前提が間違っていたとすれば、私が思い込んでいた全てのことが音をたてて崩れていきます。

 いや、そもそも私は兄について、何1つ分かっていなかったのです。何も分かっていなかった、ということすら分かっていなかったのです。

 思えば兄が私の護衛になってから6年、まともに家を離れたのは今回が初めてではないでしょうか? 誘拐の可能性がある護衛対象を小学生に任せきりにするはずがないため、私は今まで兄の“本当の実力”を見たことが無かったのです。

 だとしたら、誰が兄の実力を正しく理解しているのでしょうか?

 お母様? 桜井さん? 叔母様?

 それとも、厚志さん?

 厚志さん……についてはまたの機会に考えることにして、今は兄に対する疑問の解決を急ぎましょう。

 私がそんなことを決意したちょうどそのとき、コンコン、とドアが軽くノックされました。

「お休みのところ、すみません。防衛軍の方が、お話を伺いたいとのことですが……」

「私に、ですか?」

 躊躇いがちな桜井さんの声に、私はドアを開けながら問い掛けました。正直私は何もしていませんし、私がいなくても兄ならば正確に説明してくれるでしょう。兄のような中学生の証言が不安だとしても、尚更私は不要なように思うのですが。

 とはいえ、向こうが私の同席を求めていることは事実ですし、それに対して桜井さんが申し訳なさそうにするのは不憫です。私は「すぐに向かいます」と桜井さんに話し、人前に出られる服装に着替えてからリビングへと向かいました。

 

 

 

「やぁ、深雪ちゃん。おはよう」

「……おはよう、ございます」

 リビングに行くと兄やお母様だけでなく、厚志さん達の姿もありました。厚志さんの挨拶に返事をするのが遅れてしまった私を、お母様が鋭い視線で見つめているように思いましたが、お客様を待たせているという名目で私はそそくさとソファーへ向かいました。

 私達が座るソファーの向かいには、風間玄信大尉と名乗る中年の軍人がいました。一通り自己紹介を済ませると、風間大尉は早速本題に入ります。

「……では、潜水艦を発見したのは偶然だった、ということだね?」

「はい。船長がレーダーを確認していたところ、不審な反応があったと言い出しまして」

「何か船籍の特徴に繋がるようなものには、気づかなかったかな?」

「相手は潜行中でしたし、潜水艦に詳しいわけでもないので、残念ながら」

 部屋で想像していた通り、大尉さんの質問に答えるのは兄の役目となりました。最初は大尉さんも不満そうな素振りを見せていましたが、兄が明瞭に回答する様子を見て信用に値すると判断したのか、意外にも聴取はスムーズに行われています。

 それにしても、潜水艦に最初に気づいたのは船長ではなくミルココちゃんなのですが、兄は平然と嘘を突き通しましたね。まぁ、ゲストに余計な手間を患わせる必要は無いので、わざわざそれを指摘することはないのですが。

 しかし私としては、ミルココちゃんがどうやって潜水艦の存在に気づいたのかが気掛かりです。もしかしてこれが、厚志さんが初日に仰っていた“能力”なのでしょうか?

 私がそんなことを考えている間にも、大尉さんによる聴取は続きます。

「魚雷を撃たれたそうだけど、攻撃された原因に何か心当たりは?」

 その質問に私だけでなく、横で成り行きを見守っていた桜井さんもムッとする表情を見せました。「何か余計なことでもしたんだろう?」と言いたげな物言いが、どうにも癪に障ったのです。

 しかし兄はそんなことをおくびにも出さずに、そもそもそう感じたのかすら怪しいのですが、

「目撃者を残さぬよう、我々を拉致しようとしたのではないかと考えます」

 兄は先程までの質問と同じように、はっきりとした物言いでそう答えました。

 そして大尉さんもそれを意外そうに、そして面白そうに感じて兄に説明を促します。

「その根拠は?」

「クルーザーに向けて発射されたのは、発砲魚雷でした」

「発砲魚雷って、何ですか?」

 兄の言葉に私は首をかしげ、桜井さんが兄に尋ねました。大尉さんに訊かなかったのは、まだ気持ちが収まらなかったからでしょうか?

「化学反応で大量の泡を作り出す薬品を弾頭に仕込んだ魚雷です。泡で満たされた水域では、スクリューが役に立たなくなります。仮に重心の高い帆船とかならば転覆する可能性もありますが、クルーザーならばその場に留まるだけで済むと思われます。そうして相手を足止めし、事故を装って我々を拉致するつもりだったのでしょう」

「なぜ、事故を偽装するつもりだったと?」

「クルーザーの通信が妨害されていました。事故を装うのならば、通信の妨害は必須です」

 兄がそんな軍事知識を身につけていたことにも驚きですが、あの状況で通信機器に異常があったことに気づいていたことにも驚きです。

「……兵装を断定する根拠としては、些か弱いと思うが」

「もちろん、根拠はそれだけではありません」

「ほう。それで、一体何だね?」

「回答を拒否します」

「…………」

 自分で提示しておきながら回答を拒否すると言い切った兄に、大尉さんだけでなく私と桜井さんも言葉を失っていました。ひょっとしたらこれは、先程の大尉さんの質問に対する兄なりの意趣返しなのでしょうか?

「根拠が、必要でしょうか?」

「……いや、結構だ。――それでは次に、あの潜水艦の乗組員をどのように捕縛したかについてですが――」

「大尉さん?」

 話題が次に移りそうになった段階で、自己紹介以来沈黙を貫いていたお母様が、大尉さんの言葉を遮るように発言しました。

「そろそろ宜しいのではなくて? 私達に、大尉さんのお役に立てる話はできないと思いますよ」

「……申し訳ないのですが、こちらとしてももう少しお話を――」

「お役に立てる話はできない、と思いますよ」

 先程よりもゆっくりと、強調するように話すお母様の言葉には、これ以上有無を言わせぬ迫力がありました。

 明確に示された拒絶の意思を、大尉さんはしっかりと読み取ったようで、

「……そうですな。ご協力、感謝します」

 おもむろに立ち上がって敬礼をして、そう締め括りました。

 

 

 

 大尉さんのお見送りは、私と兄で出ることになりました。表の通りに車を停めてあって、部下らしき兵士が2人背筋を伸ばして立っています。

 すると、その内の1人が兄の顔を見て目を丸くしました。

「あっ――!」

 その顔は、私もよく憶えています。昨日ビーチで私達に因縁をつけて、マッドさんの布でぐるぐる巻きにされていたレフト・ブラッドの不良軍人(確か桧垣という名前だったでしょうか)が、まさに彼でした。

「成程、ジョーの一撃を受け止めた少年というのは、君だったのか」

 彼の反応を見た大尉さんが納得したように頷き、兄へと視線を向けました。私は思わず身構えそうになりましたが、その目つきが楽しそうなことに気づき、私は警戒心を解きました。

「桧垣上等兵!」

「はっ!」

 大尉さんが空を裂くような大声をあげると、その兵士が体を震わせて返事をし、慌てたように大尉さんの傍へと駆け寄っていきました。敬礼したまま直立不動でいる彼の様子に、いかに大尉さんが部下に恐れられているかが伺えます。

「昨日は部下が、大変失礼した。謝罪を申し上げたい」

「桧垣ジョセフ上等兵であります! 昨日は大変、失礼致しました!」

 大尉さんの言葉に続き、昨日とは打って変わった礼儀正しい態度で深々と頭を下げました。そして彼の隣では大尉さんが、腕を後ろに組んで足を開いて軽く頭を下げています。

 兄はそれを受けて、ちらりと私に視線を向けました。最初はその行動の意味が分かりませんでしたが、すぐに思い至り、

「しゃ、謝罪を受け入れます」

「こちらも、謝罪を受け入れます」

 私に続いて兄も意向を示すと、その兵士――桧垣上等兵は「ありがとうございます!」と再び深くお辞儀をしました。根っからの悪人というわけではなさそうです。

 大尉さんが桧垣上等兵を従えてオープントップの大型車へ向かいましたが、3歩も行かない内に再びこちらへと振り返りました。

「司波達也くん、だったかな? 自分は現在、恩納基地で空挺魔法師部隊の教官を兼務している。都合がついたら、ぜひ訪ねてみてくれ。きっと興味を持ってもらえると思う」

 大尉さんはそう言い残すと、兄の返事も聞かずに車に乗り込んで、去っていきました。

 

 

 

「ふーん……、良いんじゃないかしら?」

 リビングに戻って兄が先程の大尉さんの言葉をお母様に報告すると、お母様は特に考える素振りも見せずにそう言いました。

「せっかくの機会ですし、誘われているのなら行ってきなさい。もしかしたら、訓練に参加させてもらえるかもしれないし」

「分かりました」

 実質見学に行くように命令された兄は、頭を下げて短くそう答えました。

 すると、

「達也さーん、私も行きたーい!」

 エリちゃんが目をキラキラさせて手を挙げて、そんなことを言い出しました。軍事基地なんて、小学生の女の子が興味を持つような場所ではないと思うのですが。

「私もぜひ見学させてもらいたいね。基地で主催している見学セミナーよりも、深い所まで見せてもらえそうだ」

「そうね、エリちゃんと厚志さんがそう仰るのなら……。達也、そういうことですので」

「分かりました」

 すると厚志さんまで見学を申し出てきて、そしてお母様はあっさりと2人を兄に同行させることを決めてしまいました。あくまで誘われたのは兄だけですので、部外者がついて行っても許可されないと思うのですが――

「あ、あの……! わ、私も、に、兄さんと一緒に行っても良いですか!」

 気づいたときには、私本人の意思とは関係無く、唇と喉と声帯がそんな言葉を紡いでいました。普段“兄さん”と呼ばないせいで噛んでしまいましたが、緊張しているわけではない……はずです。

「深雪さん?」

「あ、え、えっと……。私も軍の魔法師がどのような訓練をしているのか興味がありますし、それに“ミストレス”として自分の“ガーディアン”の実力は把握した方が良いと思いまして……!」

「……そう、感心ね」

 私の拙い言い訳を、お母様は信じてくださった様子です。口元に浮かべられた笑みが少し引っ掛かりますが、少なくとも嘘を吐いているわけではないので気にしないことにしました。嘘とかそういうの以前に、そもそも自分の本心を分かっていないのですから。

「それでは、達也。見学には深雪さん、エリちゃん、厚志さんが同行します」

「はい」

「ついては、1つ注意をしておきます。人前では、深雪さんに敬語を使ってはいけません。“お嬢様”ではなく“深雪”と呼びなさい。深雪さんが四葉の次期当主であることを勘ぐられる一切の言動を禁止します」

「……分かりました」

「え――」

 お母様の言葉に、私の頭は困惑でいっぱいになってしまいました。“候補”という単語が抜けていることもそうなのですが、それ以上に兄が私を呼び捨てで呼ぶ場面を想像してしまったのです。

「くれぐれも勘違いしてはなりませんよ。これはあくまで、第三者の目を欺くための方便です。深雪さんとあなたとの関係に、何ら変更は生じません」

「肝に銘じます」

 兄に向けたお母様のその言葉は、なぜか私に対しても向けられているように思えました。

 

 

 *         *         *

 

 

「エリちゃんは、こういったことに興味があるの?」

「うん。最近色々あって、こういう知識も身につけていた方が役に立つと思って」

 “色々あった”というのは、もしかして叔母様が仰っていた“滅亡1歩手前の危機”のことでしょうか? 危機を体験したことによって、エリちゃんは国防の重要さに気がついた、ということでしょうか? 自分よりも小さい女の子がしっかりと物事を考えていることに対して、年上の私は何だか自分が情けなくなってしまいました。

 ちなみに、私達の服装は別荘にいたときよりも露出が少なめになっています。相手は仕事中で、しかも国の機関です。失礼の無いように、それなりにフォーマルな格好で向かうのが礼儀というものでしょう。

「防衛陸軍兵器開発部の真田です」

 基地に到着すると、出迎えてくれた軍人さんがそう名乗りました。階級は中尉だそうです。

 そしてそれを聞いた兄は、驚いたように目を丸くしていました。私よりも他人の前の方が表情豊かな気がするのは、気のせいでしょうか?

「どうかしましたか?」

「いえ……、まさか士官の方に案内していただけるとは思わなかったもので。それに、ここは空軍基地だと伺っていたので」

「君は軍に詳しいんですね」

「格闘技の先生が、元陸軍の方ですから」

「成程。空軍基地に陸軍士官がいるのは、本官の専門が少々特殊で人材が不足しているからです。それと案内を下士官に任せなかったのは……、君に期待しているからですね」

 真田中尉はそう言って、人好きのする笑みを浮かべました。ハンサムというわけではありませんが、相手に警戒心を与えない愛嬌のある顔立ちだと思います。兄がその笑顔に身構えたように見えたのが、少し気掛かりですが。

「ところで、そちらの方々も見学を希望ですか?」

 真田中尉は視線を兄から厚志さん達に移動して、そう尋ねてきました。

「挨拶が遅れて、申し訳ありません。高田厚志といいます。こちらは、美咲エリです。軍に所属する魔法師というものに興味がありまして、見学をさせていただきたいと思い、やって来ました。宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろん構いませんよ。――君も、見学ということで良いのかな?」

「は、はい! 宜しくお願いします!」

 突然こちらに話題を振られて驚きましたが、何とか返事することができました。

 

 

 

 真田中尉に案内されてやって来たのは、天井がビルの5階くらいはありそうな高さのある、体育館のような場所でした。

 天井からロープが垂れていて、何人もの軍人さんがロープをてっぺんまで上ってはそこから飛び下りる、というのを繰り返しています。もちろんパラシュートなんて無いので、普通の人がやったら骨折するのが当たり前の高さだと思います。おそらく、加速系魔法の減速術式を使っているのでしょう。

 つまり、あそこにいる50人くらいの軍人さんは、全員が魔法師ということになります。レベルは特筆するほどではないと思いますが、この基地にいる魔法師がこれで全員ということはないでしょう。地方基地であるここでこれだけの魔法師を有しているとは、さすが国境最前線ですね。

 そしてその中には、桧垣上等兵の姿も見えます。あの人、魔法師だったんですね。

 私達が建物の中に入ると、風間大尉が出迎えてくれました。真田中尉が迎えに来た時点で私達の来訪は分かっているとは思いましたが、まさか訓練の監督を部下に任せて待っているとは思いませんでした。

「さっそく来てくれたということは、軍に興味があると解釈して良いのかな?」

「興味はあります。しかし、軍人になるかどうかは決めていません」

「でしょうな。まだ中学生でしたかな?」

「中学生になったばかりです」

「ほう。それにしては、やけに落ち着いている。さすがだ」

 何かしらの下心を感じる大尉さんの質問に、兄は無難な受け答えをしてみせました。兄は魔法とは関係無い分野では常に“優等生”で、同級生や後輩にも頼りにされていますし、先生方からも一目置かれています。もし兄が魔法とは一切関係の無い家に生まれていたとしたら……なんて、考えても意味は無いでしょうね。

 そうしている内に、訓練の内容がロープ上りから組手へと移りました。格闘に興味のある人ならば面白いのでしょうし、実際厚志さんは面白そうにそれを眺めていましたが、空手と拳法の区別もつかない私からしたら退屈以外の何物でもありません。

 せめて、当初の目的でもある兄の実力を確認できれば良いのですが……。

「司波くん、見ているだけでは退屈だろう? 組手に参加してみないかい?」

 風間大尉に誘われた兄は、ちらりと私を見て「お願いします」と了承しました。

 ……まさか、退屈していたのを見透かされた?

 周りの誰もが兄に注目していたので、私の顔が紅くなったのは気づかれなかったようです。

 ――兄さんなんて、こてんぱんにやられてしまえば良いのよ!

 自分でそう思いながら“兄さん”という呼び方にどこか違和感を覚えていると、30歳前後の中肉中背の軍曹さんが兄の相手として出てきました。

「司波くん、遠慮はいらないぞ? 渡久地(とぐち)軍曹は学生時代、ボクシングで国体に出た実力者だ」

 風間大尉の言葉を証明するように、渡久地軍曹はステップを踏まずに足先を滑らせながら小刻みに距離を詰めていきます。素人目ですが、ボクシングというよりは空手の試合に近い印象がありますが、これが沖縄のボクシングなのでしょうか? それとも、これが空軍流?

 と、私がそんなことに気を取られている内に、組手はあっという間に終わってしまいました。兵士さんからのどよめきに私がハッとなったときには、相手の軍曹さんは両膝をついて苦しそうな表情を浮かべている最中でした。

「あ、あの、厚志さん……。今の試合は、何が起こったんですか?」

「小刻みに距離を詰める動きのちょっとした隙を狙って、達也くんが一瞬で相手との間合いを詰めて、右で相手の鳩尾を狙い撃ちしたんだ。――それにしても、昨日のトレーニングのときにも予感はしてたけど、まさかあの年齢で“裏当て”まで習得してるとはね……」

 裏当て……とは、格闘技の用語でしょうか? 厚志さんの口振りでは、何やら高度な技術のようですが。

 私が疑問に思っていることを感じ取ってくれたのか、厚志さんが解説を加えます。

「簡単に言えば、自分の攻撃を相手の内部にまで伝える技術だね」

「……内部に伝える?」

「打撃を防御する最も単純な方法は、筋肉を固く膨張させることなんだ。だけど最初に手打ちで筋肉を押さえるように拳を出してからそのまま突き入れると、筋肉の膨張を抑えてから力を放つから、攻撃の威力をストレートに体の内部に伝えることができるんだよ。一番分かりやすい例を挙げるなら、心臓マッサージをするときに相手の胸に手を当ててから力を込めるだろう? あれと同じだよ」

 さすが厚志さん、格闘に関してはまったくの素人である私でもよく分かる解説です。

 ちなみに兄の相手をした渡久地軍曹は、現在仲間による応急措置を受けています。そして兄はそんな彼に対し、最初の位置まで下がって軽く一礼しました。倒した相手に対する敬意を示すと同時に、自分の勝利を誇示しているようにも見えました。

「これはこれは……。南風原(はえばる)伍長!」

「はっ!」

 名前を呼ばれて出てきたのは、渡久地軍曹よりも痩せた20代半ばくらいの軍人さんでした。痩せ形ですがひ弱な印象は無く、余分な物を削ぎ落としたシャープな刃物というイメージです。

「手加減を考えるな! 全力で行け!」

「はっ!」

 風間大尉の言葉と共に兄に襲い掛かった伍長さんに、私は思わず「止めて!」と叫びそうになりました。

 しかし兄は、伍長さんの猛攻を危なげなく躱しています。次々と繰り出される拳や蹴りを、余裕の間合いで避けています。

「実戦的ですね。相手が暗器を持っていることを想定した間合いの取り方です」

 大尉さんと中尉さんの会話はよく分かりませんが、兄が互角以上に渡り合っていることが分かります。その証拠に、手数では大きく勝っている伍長さんの方が焦りの表情を浮かべています。

 と、今度は兄が反撃に出ました。しかし、さすがプロの軍人。兄の攻撃を左右に上手くいなし、無防備になったタイミングでカウンターを仕掛けてきました。

 そして伍長さんの右が兄を捉える――直前、兄の体は伍長さんの脇を擦り抜けました。それと同時に兄の右手が伍長さんの右袖を掴み、それに反応した伍長さんが兄の手を離そうと引っ張り上げます。それによってがら空きとなった伍長さんの脇腹に、兄の右肘が鋭く突き刺さりました。

「そこまでっ!」

 大尉さんの合図と共に、模擬戦が終了しました。兄と伍長さんが握手を交わすと、他の軍人さんが兄へと駆け寄って手荒い賞賛を浴びせていきます。

「南風原伍長にまで勝つとは……。彼はこの隊でも指折りの実力者なのですが……」

 真田中尉はそう言って、ちらりと厚志さんへ視線を向けました。厚志さんはじっと兄を見つめて冷静を装っていますが、何だか闘志のようなものをふつふつと感じる気がします。もしかして昨日のトレーニングも、このようにして厚志さんを刺激してしまったのでしょうか?

 すると、大尉さんが顎に手を当ててこんなことを言い出しました。

「このままでは恩納空挺隊の面目が丸潰れですな……。どうですかな、司波くん? もう1手、お付き合い願えませんか?」

 こちらが承諾する義理の無い身勝手な誘い、と一蹴することもできるものですが、私は兄の実力をもっと見たいという欲求に駆られていました。しかしこの場での主役は、あくまで兄。兄の答えを優先するべきでしょう。普段とはまるで逆の、私が兄の“付属品”にでもなったかのような状況ですが、私は不思議とそれを嫌と感じることはありませんでした。

「――自分にやらせてください!」

 と、そのとき、聞き覚えのある声が辺りに響きました。

 それは、桧垣上等兵のものでした。

「桧垣上等兵、報復のつもりなら認められないぞ」

「報復ではありません! 雪辱です!」

 それは、何が違うのでしょうか? どうやら“悪い人じゃない”というさっきの印象は、私の勘違いだったようです。

 しかしそんな私の想いを余所に、兄は「お相手します」と涼しい表情で言いました。桧垣上等兵は一瞬だけ嬉しそうな顔をすると、すぐに表情を引き締めて兄と距離を取り始めました。私も含めた周りの人達が離れていき、大尉さんの合図で組手が始まります。

 桧垣上等兵は腰を落とし、両手を前に掲げて兄を伺い見るように相対しています。自分から立候補するだけあって凄まじいプレッシャーを放っていますが、兄は無表情で左足を僅かに下げて体の向きを変えるだけです。

 次の瞬間、あれだけの巨体が一瞬の内に距離を詰めてきました。咄嗟に兄は大きく後ろに跳び乗って回避しますが、さっきまでと違って体勢が大きく崩れています。そこへ桧垣上等兵が間髪入れずに再び詰め寄り、兄は自分から床を転がってそれを回避しました。

 私は桧垣上等兵のスピードに驚きました。しかしそれは、彼の身体能力に対して驚いたのではありません。

「魔法を使うだなんて、卑怯じゃないですか!」

 CADのスイッチを入れるタイミングは掴めませんでしたが、魔法を使った形跡ははっきりと感じ取れました。今の桧垣上等兵の動きは、自己加速術式に後押しされたものだと断定できます。

 私は思わず風間大尉に食って掛かろうとし、厚志さんにそれを止められてしまいました。

「厚志さん! どうして――」

「深雪ちゃん。組手に魔法を使用してはいけない、なんて取り決めは無いよ」

 ですが、と厚志さんに反論しようとした私ですが、それは意外な人から遮られてしまいました。

「深雪さん。相手は魔法師だって、最初から分かってたでしょ? だったら魔法を使ってくること自体、最初っから想定してなきゃ駄目だよ」

「エ、エリちゃん……」

 そのときのエリちゃんからは、自分よりも年下のはずなのに、なぜか歴戦の兵士のような印象を感じました。そのプレッシャーに呑まれたせいか、私はそれ以上言葉を紡ぐことができません。

「それに達也さんなら、大丈夫だよ。――ほら、反撃の用意を始めた」

 エリちゃんに促されて兄の方を見たのとほぼ同時、隣で風間大尉が「桧垣、気を引き締めて行け!」と叱咤を飛ばしました。

 私が再び目に映したときの兄は、先程とは明らかに雰囲気が変わっていました。照明が暗くなったように錯覚させるほどの視野狭窄を起こさせるプレッシャーを、兄が放っているのです。

 右の掌を相手に向けてまっすぐ右腕を伸ばし、左手を右肘の内側に添えるように掲げるあの構えは、まさか――

「――――!」

 と、私が頭に思い巡らした次の瞬間、全身の筋肉を膨張させて兄にタックルをしようとした桧垣上等兵が、まるでそのやり方を忘れてしまったかのように突然動きを止めてしまいました。それと同時に、桧垣上等兵から感じていた魔法の兆候がプツリと途切れたのです。

 やはり、兄の“切り札”である無系統魔法――“術式解体”(グラム・デモリッション)です!

 兄の腕から放出されたサイオンの嵐が、桧垣上等兵の自己加速術式をむりやりに破壊しただけでなく、肉体と精神との連結を揺るがしたのです。魔法師はその性質上、精神で肉体を直接制御することが多く、だからこそ外部から他人由来のサイオンを打ち込まれたときのダメージは大きくなります。

 ただ無防備に突っ込むだけとなってしまった桧垣上等兵の体を、兄は上から撫でるように軽く叩きました。

 そしてたったそれだけのことで、桧垣上等兵の体は空中で1回転して冗談みたいに吹っ飛んでしまったのです。ちらりと厚志さんに目を遣ると、厚志さんはすぐに「相手の運動エネルギーを殺さないように、ほんの少しベクトルを変えたんだ」と捕捉してくれました。

 そしてあえなく吹っ飛ばされてしまった桧垣上等兵はというと、

「……あーあ、負けちまったか。たとえ昨日邪魔が入らなかったとしても、おまえに勝つことは無かったってわけか」

 今まで見たことのない爽やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がっていました。

「改めて自己紹介だ。俺は国防空軍沖縄・先島防空隊・恩納空挺隊所属、桧垣ジョセフ上等兵だ。名前を聞かせてくれないか?」

「司波達也です」

「OK、達也。俺のことはジョーと呼んでくれ。沖縄に退屈したら声を掛けてくれ。この辺なら顔が利く」

「そこまでだ、ジョー。今は訓練中だぞ」

 苦笑い混じりの大尉さんの言葉に、桧垣上等兵は電気でも流されたようにピンと体を伸ばしました。大尉さんが愛称で呼ぶなんて、よほど信頼している部下なのですね。

「無理を言って申し訳ない、司波くん。おかげで部下のわだかまりも解けたようだ」

 大尉さんの言葉に、兄は相変わらずの無表情で軽く頭を下げるだけでした。

 そしてそんな2人に割り込むように、真田中尉が兄に問い掛けました。

「ところで、先程のサイオン波は“術式解体”ですか?」

「いや、それだけではなさそうだ。大陸流の古式魔法“点断”の効果も併せ持っているようにお見受けしたが」

 2人の言葉に兄は少し警戒心を強めたようで、その質問にも兄は無言を貫いていました。

「いや、探るような真似をして申し訳ない。見たところ司波くんはCADを携行していないように見えるが、補助具は何を使っているのかな?」

「特化型のCADを使ってますが、なかなかフィーリングに合うものが無くて……。僕はCADによる魔法の使い分けが苦手ですから」

「司波くん、良かったら僕が開発したCADを試してみませんか?」

 真田中尉の申し出に、兄の目の色が変わりました。

「僕の仕事は、CADを含めた魔法装備全般の開発です。ストレージをカートリッジ化した特化型CADの試作品があるんですよ」

 真田中尉の説明を聞いて、兄はみるみる目を輝かせた気がしました。普通の人と比べればかなり控えめな表現ですが、私は兄のこんな姿を見たことがありません。

「ぜひ、試してみたいです」

 そしてそれは、私が初めて聞いた兄の“願望”でした。

 

 

 ちなみに厚志さんは、兄の組手が終わったときから、

「あなたも随分と鍛えていますが、何か運動をやっていたのですか?」

「いえいえ、私はボディービルですので、皆さんのように本格的に鍛えたわけではないんですよ」

「そんな、ご謙遜を。何かしらの武道を極めているのは、雰囲気で伝わりますよ。ぜひ、1戦交えてみますか?」

「いやいや、素人の私が皆さんの期待に添えられるとは思えませんので」

 こんな感じに、軍人さんからの誘いを巧みに断っていました。

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