魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第-100話 『どのような人生を歩んだとしても、人は必ず何かを“後悔”しながら生きている』

 到着当初は波乱含みだったバカンスも、ここのところは平穏そのものといった感じです。それは裏を返せば“退屈”と言えなくもないですが、それでもトラブル続きで気疲れするよりは遥かにマシです。

 現在私はエリちゃんと一緒に、私の部屋で現代魔法についての教材を一緒に読んでいます。エリちゃんが現代魔法について興味を持ったため、とりあえず簡単な理論だけでもと私がエリちゃんくらいの歳から使っていた教材を渡し、疑問に思った箇所を私が教えていくことになりました。

 しかしながら、エリちゃんはかなり飲み込みが早いです。現代魔法が高校過程で学ばれることからも分かる通り、現代魔法を理解するには最低でも中学卒業レベルの理系知識は必須であり、小学生のエリちゃんではせいぜい基礎中の基礎レベルまでしか理解できないと思っていました。しかしエリちゃんは教材の知識をスポンジが水を吸うようにどんどん身につけていき、彼女からぶつけられる疑問もどんどん深い知識にまで突っ込んでいきます。エリちゃんに教えるつもりが、何だか自分が試されているような気分になります。

 そして現在エリちゃんが読んでいるのは、私ですら四苦八苦するような魔法の解説書です。わざわざ紙媒体に印刷されるようなものはそれだけ専門性が高く、例えば加重系魔法の技術的三大難問の1つである“慣性無限大化における疑似永久機関の実現とそれにおける問題点の解決について”といったものに関しては、さすがのエリちゃんも頭を悩ませているようです。

 さすがにそれを理解されてしまったら年上の面目丸潰れなのでホッとしましたが、昼食のときに厚志さん達から訊いたところ、現在エリちゃんが取り組んでいる夏休みの自由研究のテーマが“群れの規模に比例する全体視難度と政治的混乱の関係性についての考察とその応用”という、私ですら理解できないものであることを考えると、ひょっとしたらそれも時間の問題かもしれません。

 ――それとも、あの人ならば理解できるのかしら……?

 頭の中に兄の姿を思い浮かべ、私は途端に胸が苦しくなる心地になりました。

 あの組み手の後、兄は大尉さん達の案内で研究室らしき部屋へ連れられました。そしてそのとき兄は、軍で開発したという特化型CADを貰いました。おそらく向こうとしては、先行投資のつもりなのでしょう。

 そして兄は現在、ワークステーションに向き合ってそのCADのシステムを弄っています。

 普段はまるで感情の無い人形のような言動をしている兄ですが、あのときの兄は信じられないくらいに感情を顕わにしていました。様々な機器や装備が並んでいた研究室を感動したように眺め、感触を確かめるように熱心にCADを構える兄の姿が印象的でした。

 しかしそれも、当然のことです。兄も人間である以上、感情も好奇心もあるに決まっています。

 だとしたら、兄は私のことをどう思っているのでしょうか?

 愛されている、とか、好意を持たれている、なんて自信はあるはずもなく、たとえ憎まれていたとしても不思議ではありません。なぜなら兄を、優秀な学生であり、一流のアスリートであり、即戦力として通用する軍人にもなれる兄の自由を奪っているのは、紛れもない私なのですから。

「どうしたの、深雪さん?」

 心配そうな声にハッと我に返った私は、その声の主であろうエリちゃんへと視線を向けました。彼女は私から渡された教材から顔を上げ、眉を寄せて心配そうに私を見つめていました。

 私は慌てて「何でもないわ」と答えました。頭の良いエリちゃんを誤魔化せたかどうかは定かではありませんが、エリちゃんはそれ以上追及することもなく「そっか」と納得したように頷いて教材を閉じました。

 そして、こんなことを訊いてきました。

「ねぇ、達也さんって今、CAD? のチューニングをしてるんだよね?」

「――に、兄さん?」

 今まさに悩みの種だったその名前に、私は心臓を鷲掴みにされたかのような気分になりました。

「ええ、そうだけど。どうしたの?」

「それって、後ろから見てても大丈夫な作業?」

「……えっと、私は詳しくは分からないけど、兄さんが許可するなら大丈夫じゃないかしら?」

「そっか。んじゃ、見せてもーらお」

 エリちゃんはそう言うとスクッと立ち上がり、足取り軽やかに部屋を出ていこうとしました。

「ま、待って!」

 そして私は、咄嗟に彼女を呼び止めてしまいました。

「深雪さん?」

「えっと、その……。そ、そう! わ、私も一緒に行くわ! 興味があるし!」

「うん、分かった。一緒に行こー」

 こうして私はエリちゃんと一緒に、兄の部屋へ行くこととなりました。

 

 

 

「たーつやさーん、あーそびーましょー」

 歌を歌うように部屋の中へ呼び掛けながらノックするエリちゃんの横で、私は心臓がバクバクと脈を打っているのを押さえるので精一杯でした。なぜ実の兄に、しかも普段は私自身が冷たい態度を取っている相手にそんな反応を抱かなければいけないのかは分かりませんが、私だけだったらノックする勇気は無かったのでエリちゃんに感謝です。

 そんなことを考えていると、ドアががちゃりと開かれて兄が顔を出しました。自分の作業を邪魔されたであろうに、兄は顔色一つ変えずに私達に応対します。

「何かご用でしょうか?」

「CADの調節をしてるんだよね? 見せてー」

「……了解しました。どうぞ」

 あまりにもストレートな言い方に、兄は一瞬面食らったような表情を見せ、すぐに気を取り直して部屋の中へと案内しました。その際、一瞬だけ私の方をちらりと見てすぐに目を逸らしたとき、なぜか私の胸がちくりと痛みました。

「おー、こうやって調整するんだー。これって、パソコン?」

「パソコンとは少し違います。CADを調整する機能に特化した、ワークステーションです」

「ふーん……。うへぇ、文字がいっぱい……」

 エリちゃんの言う通り、半分解状態のCADが剥き出しのコードで繋がれているワークステーションのディスプレイには、アルファベットと数式の羅列で画面が埋め尽くされていました。

 兄がCADの調整をしていると聞いたとき、私は正直スイッチの割り当てを変える程度だろうと高を括って居ました。しかし、まるで以前にフォア・リーブスで見たことのあるCADの開発ラボのような光景に、私は度肝を抜かれていました。

「CADの調整って、こんな沢山の文字を見てなきゃいけないの?」

「いいえ、これはCADから読み取った情報の原データです。本来ならここからグラフや表に置き換えるのでしょうが、自分は原データから置き換える方が性に合っているので」

「ふーん、今は何をやっているの?」

「自分の使う魔法の起動式を、このCADに最適化されるように調整しているところです」

「CADによって、最適な起動式が違うの?」

「例えるならば、ネットのサイトを見るときに、携帯端末で見るときと据え置きのパソコンで見るときで表示形式を変えるようなものでしょうか。実際にはそこまで大きな違いは無いので、そこまで拘りが無いのなら調整しなくてもそれほど問題はありません。しかしコンマ数秒の差が明暗を分ける戦闘においては、スムーズに魔法式の展開まで進むように最適化を行う必要があります」

「成程ー。それじゃ――」

 エリちゃんは次々と疑問を兄にぶつけ、そして兄はそれに淀みなく答えます。まるで優秀な教師と生徒のような遣り取りを眺めながら、私は何だか仲間はずれにされたような気分になり、どんどん気持ちが沈んでいくのを自覚します。

「あれ、深雪さん、どうしたの?」

 するとそれに気づいたのか、エリちゃんが首をかしげて私に尋ねます。私は即座に「大丈夫よ、心配しないで」と答えましたが、自分で言っといて若干早口で不自然に思えました。

 そしてそれを受けて、兄が私へと視線を向け、

「大丈夫ですか、お嬢様? ご気分が優れないのでしたら、部屋にお戻りになった方が――」

「お、お嬢様なんて呼ばないでくださいっ!」

 気がついたら、私は大声でそんなことを叫んでいました。エリちゃんがびっくりしたように目を丸くしていましたが、おそらくエリちゃん以上に自分自身が一番驚いています。

 だって、そのときの私の声は、今にも泣き出しそうなほどに悲痛なものでしたから。

「……あ、えっと……、そ、そう! 普段から慣れておかないと、思わぬ所でボロを出すかもしれないでしょう!」

「……はぁ」

 兄は“驚愕”から“不審”に表情を変えて、私を見つめています。

「……で、ですから! 私のことは“深雪”と呼んでください!」

 そして私はその視線から逃れるように、ギュッと目を閉じてしまいました。まるで叱られるのを恐れている幼い子供のように。

 そんな私に返ってきた言葉は、

「――分かったよ、深雪。これで良い?」

 とても優しい、大人に向けた堅苦しい言葉遣いではない、学校の友人にでも話し掛けるような砕けたもの。おそらく兄が、私以外の学友や下級生に向けて話すときの口調。そして私が顔を上げたときに向けていた、微笑みを携えて優しい眼差しで見つめる柔らかい表情。

 それを見て、私は確信しました。

 

 ――ああ、これも“演技”か。

 

 普通の兄妹で、兄が妹に対して向けるであろう台詞も、この人にとっては冷たい計算の結果をアウトプットしたものでしかないのでしょう。

 おそらく、私に対しての愛情も――

「達也さん、深雪さん」

 と、私が胸の張り裂けそうな想像へと至る直前、エリちゃんがふいに声をあげました。

 私と兄が、同時にエリちゃんへと視線を向けます。

「せっかく良い天気なんだから、出掛けようよ」

「……うん、分かったわ」

「……はい、了解しました」

「あ、達也さん。深雪さんだけじゃなくて、私達に対しても敬語は止めてね。何だか他人みたいで嫌だから」

「了か――分かったよ、エリ」

「よし」

 力強く頷いて眩しい笑顔を見せるエリちゃんに、私の心に巣くっていた暗い感情が洗い流されていくような心地になりました。

 同じくエリちゃんの笑顔に柔らかい笑みを浮かべる兄は、どう思っているのでしょうか?

 

 

 *         *         *

 

 

「よう、おまえら。偶然だな」

 私とエリちゃんと兄の3人で海沿いの道を歩いていると、桧垣さんが後ろから声を掛けてきました。兄が咄嗟に私達を庇うように前へ躍り出ますが、桧垣さんは「もう襲いやしねぇよ」と苦笑いを浮かべていました。

「あのときは悪かったな。上司にしごかれて苛々してたんだ」

「私達は、もう気にしていませんので」

「そうか、なら良かった。お詫びと言っちゃ何だが、俺達に案内させてくれないか? ガイドブックにも載ってない穴場を知ってるぜ」

「――ん? 俺“達”?」

 エリちゃんが首をかしげると、桧垣さんは自分の後ろを指差しました。私達と少し距離を置いた所に、桧垣さんの連れであるその人はいました。

 その男性は桧垣さんと同じく軍服を着ていて、桧垣さんと同じように外国の血が色濃く反映された外見をしていました。私達と目が合っても特に反応する様子は無く、つまらなそうに私達を一瞥して視線を逸らすのみです。

「こいつは金城ディック。同じ隊に所属してるダチでな」

「……よろしく」

 桧垣さんに紹介され、その人――金城さんはようやく言葉を発しました。

「しかしまぁ、今日は一段と暑いなぁ……。嬢ちゃん、知ってるか? 昔はこの沖縄も、こんなに雪が積もってたときがあったんだぜ?」

 桧垣さんはエリちゃんにそう話し掛けると、自分の腰辺りの高さで掌を水平にしてみせました。

「教科書で見たよ! それって、半世紀前の寒冷化が原因なんだよね?」

「ああ。まぁ、嬢ちゃんが生まれた頃には、もう元に戻ってたけどな」

「私は今の方が好きだなぁ。やっぱり南の島は暑くなくっちゃ!」

「あっはっはっ! 確かにな。でも普段から南の島に住んでる俺としちゃ、もう少し過ごしやすい気温になってくれても良いと思うんだがなぁ」

 私達よりも少し前を歩くエリちゃんと桧垣さんは、和気藹々とお喋りを楽しんでいました。こうやって後ろから眺めていると、まるで古くからの友人であるかのように見えます。桧垣さんが元々面倒見の良い性格であることもそうですが、エリちゃんが誰を相手にしても物怖じせず、知らない人でもすぐに仲良くなれることも大きいでしょう。

 と、そのとき、

「こらっ! 近づいたら危ないでしょ!」

 桧垣さんのすぐ脇を通り過ぎた女の子が、母親に小声でそう注意されていました。本人は小声のつもりでしょうが、距離が近いこともあって桧垣さんだけでなく、私達の後ろを歩く金城さんにまで届いていました。

 そしてよく辺りを見渡してみると、私達の周りにいる人達は皆一様に、桧垣さんや金城さんのことを恐れるような目で見ていることに気がつきました。一定の距離を保ったまま近づこうとしてこないため、まるで私達の周りだけぽっかりと穴が空いたように人がいません。

 しかし桧垣さんはも金城さんもそれに対して憤るような態度は見せず、「こっちに人がほとんど来ない絶景スポットがあるんだ」と笑って歩き出しました。

「…………」

 なので私達は、金城さんの周りを見る目がやけに鋭かったことを気にすることもなく、桧垣さんの後をついていきました。

 

 

 

「ほらよ、奢りだ」

「ありがとうございます」

 桧垣さんのお勧めスポットを一通り見て回った私達は、屋台でかき氷を買って近くのベンチで食べることにしました。とはいえ、実際にベンチに座っているのは私とエリちゃんと桧垣さんだけで、兄は近くの木に、金城さんは近くの看板に寄り掛かってかき氷を食べています。

 最初はたわいのない話をしていた私達ですが、ふいに桧垣さんがこんな話題を振ってきました。

「なぁ、嬢ちゃんは“取り残された血統”(レフト・ブラッド)って知ってるか?」

 先程の女の子の反応がフラッシュバックした私には、その話題をどうしても明るいものには思えませんでしたが、下手に気を遣うと逆効果だと思ったため正直に頷くことにしました。

「俺達の素行が悪いって、ガイドブックにすら書かれていることも?」

「……はい」

「まぁ、確かにその通りだしな。実際に俺達のダチの中には、何度も暴行事件を起こしては警察の厄介になってる奴もいる。――でも俺達には、“故郷”って呼べる国が無いんだ。日本では余所者扱いだし、ましてUSNAには戻れない。もちろんそれが暴行しても良い理由なわけがないんだが、そんな環境で育ったせいで心が荒んじまった奴もいるってことは、頭の片隅にでも留めておいてほしいんだ」

「……はい、分かりました」

 人間にとって“故郷”というのは、アイデンティティの中でも重要な位置を占めていることは分かります。同郷出身というだけで見知らぬ人と仲良くなり、出身地を褒められるとまるで自分が褒められたかのように嬉しくなり、その逆もまた然りです。

 私には“故郷が無い”なんて境遇を完全に理解することはできませんが、それでも心にぽっかりと穴が空いたような空虚感というものは、何となくですが想像できます。それはきっと、とても寂しくて心細いものなのでしょう。

 ですが桧垣さんの話を聞いて、私は或る疑問が生まれました。

「じゃあなんで桧垣さんは、軍に入ろうと思ったの? 自分を嫌ってる人達を守るんだよ?」

 するとエリちゃんが、子供らしい直球の訊き方で私の疑問を代わりに口にしてくれました。あまりに直球過ぎて一瞬ひやりとしましたが、桧垣さんは特に気分を害した様子も無く笑いながら答えます。

「さっき俺達には故郷が無いって言ったが、俺自身はこの街こそが“故郷”なんだよ。だから住んでる奴も全員家族みたいなもんだし、たとえ嫌われてても守ってやりたいって思っちまうんだ。――それに軍は俺の魔法を必要としてくれるからな、張り合いがあるってもんだ」

 桧垣さんはそう言って、にかっと笑ってみせました。真面目な話をして気恥ずかしいのか、桧垣さんは手元に視線をやって「くそぅ、かき氷が融けちまったぁ!」とオーバーなリアクションでおどけてみせました。

 なので私はCADに手を掛け、どろどろに融けたかき氷を冷やしてあげました。かき氷は屋台で渡されたときのように冷えて固まり、桧垣さんは驚いたような目を私に向けました。

「そうか、お嬢ちゃんも魔法師だったんだな。――ディック、おまえも冷やしてもらえよ」

 桧垣さんが金城さんにそう呼び掛けましたが、金城さんは鋭い目を私に向けて「結構だ……」と呟くだけでした。思わず私が体を震わせると、

「気にしないでくれ。こいつは魔法を使えないのがコンプレックスなんだ」

「……ふん」

 桧垣さんの言葉に、金城さんは否定することなく顔を背けました。

 何となく桧垣さんの態度が気に掛かった私ですが、

「深雪さーん。私のかき氷にも魔法掛けてー」

 エリちゃんにおねだりされた私は、それを頭の外に追いやってエリちゃんのかき氷に魔法を掛けました。

 

 

 *         *         *

 

 

 ちょっとした散歩を終えて別荘に戻ってきた私達は、その後は思い思いに好きな時間を過ごしました。私は本を読んで時間を潰し、兄はCADのアレンジの続きを始め、そしてエリちゃんは厚志さん達と一緒にカードゲームをしていました。途中飲み物を取りに私がリビングへ行ったとき、厚志さん達に混ざってお母様の姿を見つけたときには、思わず数秒間動きが止まってしまうほどの衝撃がありました。

 そんなこんなで時刻は夕方となり、現在は桜井さんとモカさんが台所に立って夕飯の準備をしています。機械に頼らずに手料理を振る舞う者同士気があったのか、この旅行中は2人が食事を担当しています。旅先での現地料理も確かに楽しみの1つですが、やはり彼女達の作る料理が一番だと思わせてくれます。

 そんな2人によって良い匂いの漂う廊下を歩いていた私は、ふとドアの向こうから話し声が漏れているのが聞こえました。その内の1人はお母様のもので、私は知らず知らずの内に足音を殺してドアに近づき、そっと耳を当てって会話の内容に意識を集中させます。

「どうかしら、エリちゃん? この旅行の感想は」

 どうやら会話の相手は、エリちゃんのようです。お母様が個人的に会話をするなら厚志さんだと思っていた私は、その意外な組み合わせに驚いてしまいました。何だかこの旅行は兄だけではなく、お母様の意外な姿もよく見られる気がします。

 それとも、私が何も知らないだけなのでしょうか?

「うん、楽しいよ! 沖縄なんて来たこと無いから、色々体験できて面白かったし!」

 特に変わったことが起きなかったので描写しませんでしたが、この沖縄旅行中の間にも私達は色々な場所に遊びに出掛けました。珍しい物が沢山置いてあるアウトレットだったり、着付けの体験もできる琉球舞踊のショーであったり、地元の料亭で沖縄料理を堪能したりと、まさしく“沖縄旅行の思い出”と呼べるものを沢山経験してきました。

 とはいえ、部屋で2人っきりで話す内容としては、些か不自然なようにも思えました。その程度の内容でしたら、それこそカードゲームの最中でも何ら支障はありません。

 と、私がそんなことを考えていたそのとき、

「そう。楽しんでくれたようで何よりだわ。――それで、達也についてはどうかしら?」

「――――!」

 なぜそこで兄の名前が出てくるのか。何やら胸騒ぎのする私は、離れかけていた体を再びドアにくっつけて耳を傾けます。

「達也さん? 良い人だよ。ちょっと無口だけど、こっちが何か話すとちゃんと返してくれるし」

「そうね。“アレ”はちょっと感情の起伏が少ないけど、感情が無いわけではないから」

 実の子供に対するものとは思えないその呼び方に、私は胸がちくりと痛くなりました。この旅行で一緒になるまで兄のことを人形か何かのように思っていた私は、傍から見るとここまで非常な人間に見えたのでしょう。

 そんなことを考えていると、お母様はエリちゃんにこんな質問をぶつけてきました。

 

「それじゃエリちゃんは達也のことを、異性としてどう思うかしら?」

 

「な――!」

 思わず声をあげそうになり、私は咄嗟に自分の手で口を覆ってそれを阻止しました。

 なぜお母様は、エリちゃんにそんな質問を?

「異性として……? それってつまり、恋人としてってこと?」

「そう。エリちゃんには、ちょっと早かったかしら?」

「うーん……、そういうのはよく分からないなぁ……」

 確かにエリちゃんはまだ小学4年生であり、恋だとかそういうことはまだ早いでしょう。もちろん、私が偉そうなことを言える立場ではないのですが。

「そうねぇ……。それじゃ、この先も一緒に暮らしていくとしたらどうかしら?」

「一緒に? ――楽しそう!」

 エリちゃんの答えは裏表の一切無い、年相応の純粋なものでした。“この先も一緒に暮らしていく”という言葉であれやこれやを想像している私とは雲泥の差です。

「ふふ、そう。それは良かったわ。それじゃ、厚志さんにもそう報告させてもらうわね」

 そしてお母様は、エリちゃんのそんな無知につけ込むかのような返事をしました。

 ――まさかお母様は、兄とエリちゃんを……?

 十師族の中でも大きな力を持つ“四葉”という家系だけあって、自由な恋愛結婚などできないことは分かっていました。お母様も元々は父の潜在能力を当てにした政略結婚でしたし、想像したくないことですが私もいつかはそうなるでしょう。

 ですが、まさかガーディアンである兄までもがその対象になるとは思いませんでした。いえ、相手が女の子だからこそ、兄に白羽の矢が立ったのかもしれません。

 でも、もし本当に兄がエリちゃんの婚約者になるとしたら、おそらく兄は私のガーディアンという任から解放されて――

 ちょんちょん。

「――――!」

 と、そのとき、突然後ろから肩を指で軽く突かれるような感触がしました。盗み聞きという疚しいことをしている負い目もあって思わず大声をあげそうになった私ですが、その直後に後ろからいきなり手がニュッと伸びてきて私の口を塞いだので、何とかそれは免れることができました。その手は私の顔を覆い隠してしまいそうなほどに大きく、そして日に焼けたように真っ黒でした。

「あ、厚志さん?」

「深雪ちゃん。夕飯の準備がそろそろできるから、リビングに行こうか」

 盗み聞きしていたことには一切触れず、厚志さんは何事も無かったようにそう言いました。私はそれに甘えて厚志さんの背中をついて行きますが、頭の中は先程の会話でいっぱいです。

 兄がエリちゃんと結婚し、四葉家を離れる。

 まだ正式に決まったことではない(はず)なのに、そんな妄想が私の胸をぎりぎりと締め付けてきます。

 ――なんで私は、そんな感情を抱いているのだろう……。

 陰鬱な感情を胸に抱きながら、私は食欲の匂いが漂うリビングへと足を踏み入れました。

 その日の食事は、兄とエリちゃんのことをまともに見ることができませんでした。

 

 

 *         *         *

 

 

 私達の運命を大きく変えたあの日――8月11日が、すぐそこまで迫っていました。

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