西暦2092年8月11日。
ちょうどみんなで揃って朝食を食べ終えたとき、全ての情報端末から緊急警報が流れました。警報の発信元は国防軍であり、桜井さんが即座にテレビのスイッチを入れます。
『本日早朝、沖縄諸島沖にて所属不明の潜水艦が出現し、国防軍の警備艦が攻撃を受けて沈没しました。即座に国防軍は迎撃態勢を固めましたが、敵艦隊はなおも侵攻を続けており、現在
「まさか……、戦争が始まるのですか?」
テレビでは警備艦がみるみる沈没していく映像が流れているというのに、私にはどこか非現実的に思えてなりませんでした。これがフィクションでも何でもないことは分かっているのですが、いきなり近くで戦争が始まったと言われても、即座に受け入れることができなかったのです。
「便宜を図っていただけるよう、真夜様にご依頼します!」
「ええ、お願い」
しかしさすが桜井さん、焦りを隠せない表情ながらも即座に行動を開始します。それに答えるお母様の声色も、このときばかりは緊張気味でした。
ふと周りを見渡してみると、兄はテレビよりも詳細なデータが配信される小型ターミナルを、動揺や焦りなどといった人間的な感情が欠落したアンドロイドのようにじっと見つめています。
そして厚志さん達といえば、
「厚志さん、私達はどーするの?」
「ミルココ、どうだい?」
「“人間以外”の反応はありません」
「分かった、今回は出張らないでおこう。あくまで“人間同士”の遣り取りだからね。もちろん、自分達に危害が降り掛かりそうだったら例外だけど」
「了解」
厚志さんの呼び掛けに、皆さんが一斉に返事をしました。まるで訓練された軍隊のように統率の取れた行動に魅入っていましたが、会話の端々にある“人間以外”とか“人間同士”という言い方が妙に気になりました。
と、そのとき、僅かな振動音がどこからか聞こえてきました。そちらに目を遣ると、兄がサマージャケットの懐から携帯端末を取り出していました。
「はい、司波です。――風間大尉?」
思わぬ電話の相手に、私は目を丸くして兄に注目します。
「いえ、先日はありがとうございました。……基地へ、ですか? 有難い申し出ですが……、はい、母と相談してみます。……はい、後ほど」
兄の通話に注目していたのは私だけではなかったようで、部屋にいる全員が兄へと視線を向けていました。兄は通話を切ると、お母様の座るソファーに近づき、一礼してから口を開きました。
「奥様。恩納空軍基地の風間大尉より、基地内のシェルターに避難してはどうか、との申し出を頂きました」
「えっ!」
思わず声をあげてしまい、私は咄嗟に両手で口を覆いました。たった2回しか会っていないのに、なぜそのような申し出をするのか分からなかったのです。
しかし、このような緊急事態には、通常では有り得ないことが幾つも起こるようで、
「奥様。真夜様からお電話です」
コードレスの受話器を差し出しながらの桜井さんの台詞に、私は驚きの声をあげることすらできませんでした。普段の生活ですらほとんど会話を交わすことのない叔母様――四葉家当主からの電話に、私は自然と背筋を伸ばしていました。
「もしもし、私よ」
しかしお母様は、億劫であることを隠すこともなくその電話に出ました。
「そう、あなたが手を回してくれたのね。……でもかえって危険ではなくて? ……そうね、分かったわ、ありがとう」
お母様はその言葉を最後に、受話器を桜井さんに差し出しました。
「国防軍のシェルターに匿ってもらえるよう、真夜が話を通したそうよ」
「さっきの達也くんの電話は、そういうことだったんですね。ですが、かえって危険なのではないですか?」
「私もそう言ったのだけどね……」
2人共やけに消極的ですが、ここよりも軍のシェルターの方が頑丈そうで安全なのではないでしょうか?
私が疑問の表情で厚志さんへと視線を向けると、それに気づいた厚志さんがお母様達に聞こえないように小声で説明をしてくれます。
「たとえ敵国への攻撃とはいえ、“通常ならば”民間地よりも軍用施設を優先的に攻撃するのがセオリーだからだよ」
成程、そういうことだったんですね。
……通常ならば?
「相手は多分、大亜連合でしょ? 明確な敵対状態でもないのに奇襲攻撃を仕掛けるって時点で、戦争のセオリーが通用しそうにないからねぇ」
「そもそも“戦争のセオリー”なんて破られるのが戦争のセオリーだからねぇ」
ミルココちゃんの説明に私は感心して頷いていましたが、自分よりも年下(厚志さんの言葉を信用するならかなり年上だそうだが)に教えてもらっている状況が恥ずかしくなり、私は咄嗟に周りを見遣りました。どうやら理解できていなかったのは私だけであり、エリちゃんですら厚志さんの説明を聞かずに小型ターミナルの情報を見つめています。
「大尉さんに『お申し出を受けます』と連絡して、迎えをお願いしてちょうだい」
「かしこまりました」
兄はそう言って、電話を掛け始めました。実の子なのにまるで使用人のような扱いに、本当に今更ながらに胸の締め付けられる心地がします。
「…………」
そしてそんな兄を、厚志さんがじっと見つめています。
* * *
私達を迎えに来たのは、桧垣さんでした。桧垣さんは最初兄に対して親しげな態度を取っていましたが、お母様の睨みつけるような視線に気づいてすぐさま姿勢を正しました。なぜお母様がそのような態度を取ったのか分かりませんが、身内よりも打ち解けた様子の兄に苛々したなんてことは少なくとも無いでしょう。
道路は避難する住民で溢れかえり、車のクラクションと怒号で混沌としている……なんてことはありませんでした。まるでゴーストタウンのように街が静まり返り、暗い色をした軍用車両が走っています。
「状況を教えてください」
車に乗って走り出すや、桜井さんがすぐさま桧垣さんにそう言いました。
「国防軍は現在、敵潜水艦隊と交戦中です。敵軍の詳細は未だに判明していませんが、水際で食い止めていることには成功しています」
「つまり、陸上では戦闘は行われていないと?」
「恐らくは。しかしゲリラの可能性もありますので、皆さんには基地に到着次第シェルターに避難してもらいます」
桧垣さんの言う通り、私達は道中敵に襲われるようなこともなく基地に到着しました。てっきり基地に避難したのは私達だけかと思いましたが、意外なことに他にも民間人の姿がありました。ざっと見積もって100人ほどでしょうか。
そしてそのまま地下シェルターへ直行――かと思いきや、私達はシェルターへ向かう地下通路に繋がる部屋へと一旦案内され、その場で待機となりました。その部屋には私達以外にも、家族と思われる5人の民間人がシェルターへの案内を待っています。
車に乗ってから沈黙を貫いていた厚志さん達は、興味深そうにその部屋を眺めていました。基地の施設だけあってその壁は見るからに分厚く、ちょっとやそっとの攻撃じゃびくともしないように思えます。
しかし“外から攻められにくい”構造の建物は、同時に“中から脱出が困難”な構造でもあります。もしここに敵が攻めてきたとしたら――
「私達も戦わなきゃいけない状況になるのかしら……?」
「民間人に協力を仰ぐような状況になった時点で、ほぼ敗北が決定してるようなもんだよ」
不安に押し潰されそうな私の独り言に、近くにいたミルクが丁寧に返事をしてくれました。とはいえ、それは私の不安を払拭してくれるようなものではありませんでしたが。
私は落ち着きなく視線をさ迷わせ、ふと隣に座る兄を見遣りました。兄の懐には二丁拳銃ならぬ2機のCADを忍ばせてあり、いつでも使用できるようにしてあります。普段と何ら変わらぬ平静を保ったその態度は、今までに重ねてきた実戦経験や本格的な訓練の賜物でしょう。
そんな兄を眺めていたおかげか、私の心を占領していた不安が少しだけ和らいだ気がしました。ゆさゆさと落ち尽きなく揺らしていた体が止まり、常に感じていた息苦しさも若干楽になったように思えます。
と、そんな私を見透かすかのようなタイミングで、兄が私へと顔を向けました。
安心感を与えるような、柔らかい笑みと共に。
「大丈夫だよ、深雪。――俺がついている」
なっ――!
完全な“不意打ち”を食らってしまった私は、現在の状況を分かっていながらも顔が真っ赤になるのを止められませんでした。こんなの所詮吊り橋効果よ、ホラーハウスよ、ストックホルム症候群よ、と若干ずれたような言葉を心の中で自身に浴びせますが、その効果も虚しく顔はみるみる熱を帯びていきます。
そしてそんな私を前に、兄は疑問を表すように眉を寄せて首をかしげていました。本人には私をナンパしようなんて気がさらさら無い(実の妹だから当たり前なのだが)どころか、私のリアクションの意味すらよく分かっていないということが、私をさらに苛立たせました。
「ちょっと、2人共。よくこんな状況でラブコメできるね」
「そ、そんなわけないじゃない!」
だからこそ、ココアにそんなことを言われた私は思わず大声で否定してしまい、そしてお母様や一緒の部屋にいる民間人に白い目で見られてしまいました。先程よりも真っ赤な顔を俯かせる私に、厚志さん達が苦笑いを浮かべているのが見なくても分かります。
――それもこれも、全部兄のせいよ!
そんな理不尽な想いを胸に兄を睨みつけた、そのとき、
「ん――?」
エリちゃんが疑問の声をあげ、
「この音は――」
厚志さんがドアの方へ視線を向けて、
「――――!」
兄と桜井さんが、ほぼ同時に椅子を蹴って立ち上がりました。民間人の方々は特に最後の2人に驚いたようで、ビクビクしながら2人を見つめていました。
「今の音って、銃だよね?」
「そうだね。しかも拳銃じゃない、フルオートのライフルだ」
呑気にも聞こえるエリちゃんの問い掛けに、厚志さんが真剣な声で答えました。兄と桜井さんも厚志さんに同意らしく、険しい表情で壁際へと歩いていきます。
「達也くん、状況は分かる?」
「いいえ、残念ながら。どうやらこの壁には、魔法を阻害する効果があるみたいです」
「見たところ、古式魔法の結界術式みたいね。それもこの部屋だけじゃなくて、建物全体がその術式に覆われてるみたいね」
「ということは、この部屋では魔法を使うことができないんですか?」
「いえ、中で使う分には問題無いみたいですね」
そんな魔法の存在に気づかなかった私が驚いている中、厚志さんは冷静に桜井さんと情報を遣り取りしていました。ここ数日の沖縄旅行では“気の置けない大人の男性”という印象の強い厚志さんでしたが、ここに来て私は厚志さんが“世界滅亡の危機を救った英雄”であることを思い出しました。やはり、こういった状況には慣れているのでしょうか?
「お、おい! 君達は魔法師なのか?」
すると、そんな厚志さんとは雲泥の差であるビクビクした様子で、同じ部屋にいる民間人の1人である中年男性が問い掛けてきました。身なりの良い格好をしていることから、社会的地位のある裕福な生活をしているように思えます。そんな彼の後ろには、彼の家族と思われる女性と子供達が身を寄せ合っていました。
「はい、そうですが」
「だったら、今すぐ外の様子を見てきたまえ!」
男性のその言葉は、私達を使用人か何かと勘違いしているようなものでした。当然ながら私は気分が悪くなりましたが、それだけでは終わりません。
「君達は魔法師なんだろう! だったら、我々“人間”に奉仕するのが義務だろう! 君達魔法師は、我々を奉仕するために作られた“物”なんだからな!」
「――――!」
その言葉を聞いて、私は頭が真っ白になるほどの怒りを覚えていました。彼は平然と魔法師の人権を無視する暴言を、あろうことか魔法師に向かって浴びせたのです。
しかし彼の言葉は、魔法師でない普通の人が少なからず抱いているものであり、そして間違いなく事実の一端ではありました。だからこそ私は、彼の言葉に怒りを覚えたものの反論することができませんでした。
「おじさん、それは違うよ」
だからなのか、エリちゃんが私の代わりに彼の言葉を否定してくれました。
「な、何だおまえは! おまえも魔法師か?」
「ううん、魔法師じゃないよ。でも、おじさんのさっきの言葉は違うってのは分かるよ」
「な、何が違うというのだね! 魔法師が人間のために作られたことは、魔法の歴史から見ても明らかだ!」
「そこがそもそも違うんだよ。魔法師が奉仕するのは、人間じゃなくて“人間社会”だよ。だからおじさん1人のために達也さん達が動かなきゃいけない道理は無いんだよ」
エリちゃんの言葉に、私はハッとしました。確かに“国際魔法師協会憲章”にも『人類社会の公益と秩序に奉仕する存在である』という、魔法師以外にもよく知られたフレーズがあります。
「そんなの、ほとんど同じじゃないか! 人間がいなければ、社会は成立しないんだぞ!」
「逆だよ。社会が無ければ、人間が成立しないんだよ。人間がまだ猿とほとんど同じだった頃から、“群れ”という社会を形成して外敵から身を守ることで生き延びてきたんだよ。――そして“社会の公益”と“個人の利害”が衝突したときは、間違いなく“社会の公益”の方が優先されるんだよ。そうしなければ社会が崩壊して、結果的により多くの人間が犠牲になるから」
「――き、貴様! そんなの、ただの屁理屈だ!」
今にもエリちゃんに食って掛かりそうな雰囲気になったその男性を止めたのは、彼の目の前にヌッと姿を現した厚志さんでした。突然壁が迫ってくるような威圧感に、男性は「ひぃっ!」と情けない悲鳴をあげていました。
「まぁまぁ、不安な気持ちになるのは分かりますが、ここはひとまず落ち着いてはどうでしょうか。お子さんが不安がっていますよ」
厚志さんの言葉で、男性は思い出したようにバッと後ろを振り返り、そして実の子供から年相応の潔癖さで軽蔑の眼差しを向けられました。その視線に勢いが完全に萎んでしまった彼は、そのまますごすごとソファーに座り直しました。
こうしてちょっとした騒動が完全に収まったのを見計らったかのようなタイミングで、
「達也、外の様子を見てきなさい」
今までの遣り取りが全部台無しになるような命令を兄に下しました。
「しかし外の状況が分からない以上、この場に危険が及ぶ可能性を否定できません。今の自分の技能では、離れた場所から深雪を守りきれるか――」
「“深雪”? ――達也、身分を弁えなさい」
そのとき私は、あくまで優しい声色のままだったお母様の声が、とても恐ろしいものに感じました。心の奥底を凍りつかせるような、聖母のような笑みを浮かべながらナイフを突き立てられるような感覚に、私はお母様に反論するという発想すら思い至りませんでした。
「深夜さん」
「……申し訳ありません、厚志さん。お見苦しいところを見せてしまいましたね」
厚志さんの呼び掛けに、お母様は謝罪の言葉を口にしました。それが単なる言葉だけのものであることは、私には容易に分かりました。おそらく、厚志さんも同じでしょう。
「分かりました。外の様子を見てきます」
「待って、達也くん。私も行こう」
部屋を出ていこうとする兄の背中に、厚志さんが呼び掛けました。兄は意外そうな表情で振り返り、お母様はちらりと厚志さんへ視線を向けます。
「厚志さん、達也の心配なら無用ですよ。“アレ”は厚志さんの思っているよりも、それなりに使えますから」
「子供に危険を冒させて自分は呑気に助けを待つ、というのがどうも性に合わないもので。達也くんほどではありませんが、私も少しは腕に覚えがありますよ」
「……達也、そういうことですので」
「……分かりました、行きましょう」
「ああ。――それじゃみんな、エリちゃん達を頼む」
厚志さんの呼び掛けに、ミルココちゃんを始めとした皆さんが「分かりました」と力強い返事をしました。そして厚志さんは兄と横に並び、爆竹を鳴らしたような音が飛び交う部屋の外へと出ていきました。
「……大丈夫かしら?」
「まぁ、兄貴と一緒ならそうそう問題が起こることはないだろ」
「そうそう、相手はただの“人間”だしね。――ミルココ、人間以外の気配は無いんだよね?」
「うん、さっきから探知をしてるけど、引っ掛からないね」
私の呟きに、リカルドさんが励ましてくれ、マッドさんがミルココちゃんに尋ね、ミルクちゃんがよく分からない答えを返しました。時々皆さんはこうして、あたかも人間以外の何者かが存在しているような口振りで話していることがありますが、まさかそんなことはありませんよね? しかし魔法だってつい100年ほど前まではお伽噺の産物だと信じられてきたし、もしかしたら――
「――――!」
と、そのとき、桜井さんが突然入口のドアに警戒を向けました。ドアの向こうから聞こえてくる銃撃の音に紛れて幾つもの足音がドアに近づき、そして立ち止まったからです。
そしてドアが開かれ、中に入ってきたのは、
「失礼します! 空挺第2中隊の金城一等兵であります!」
マシンガンを抱えた金城さんが、他に3人の若い兵士(全員レフト・ブラッドだ)を引き連れて部屋の中へと入っていきました。そのマシンガンに熱が籠もっているのは、敵と銃火を交えながらここまで来てくれたおかげでしょう。
「皆さんをシェルターにご案内します! ついてきてください!」
その言葉は予想通りのもので、先程までは待ちに待っていたものでしたが、今の私は躊躇わずにはいられませんでした。その理由はもちろん、兄と厚志さんがまだ部屋の外で様子を伺っているからです。
「すみません、連れの1人が外の様子を見に行っておりまして」
桜井さんがそう言いますが、金城さんは難色を示しました。
「しかし既に、敵の一部が基地の奥深くに侵入しております。ここにいるのは危険です」
「あれ? 敵は水際で食い止めてたんじゃなかったっけ? ゲリラでも発生したの?」
金城さんの言葉に、エリちゃんが首をかしげて尋ねてきました。金城さんはその質問に一瞬目を丸くしますが、すぐに気を取り直して、
「……はい、そうです。突然蜂起したゲリラ達が基地に襲撃を始めました。ここはすでに危険です。他の皆さんもすでにシェルターへ避難を開始しました。我々についてきてください」
金城さんの言葉通りならば、今すぐにでも避難しなければいけない状況なのでしょう。それに私達は魔法師とはいえあくまで民間人、そんな人達が安全も保障されていない場所にいられたら彼らも困るに違いありません。
なのでここは金城さんの言葉に従うのが良いのでしょうが、私はどうしてもそうすることができません。
兄や厚志さんが戻ってきていないという理由もそうですが、こういった事態には慣れていると思われるミルココちゃん達が動こうとしないことが、私に危機感を抱かせるのです。
「君、金城くんと言ったか! あちらは知り合いを待つと仰っているのだ、我々だけでも先に案内したまえ!」
すると、先程私達に失礼なことを言ったあの男性が、恐怖で顔を青くしながら金城さんに詰め寄ってきました。金城さんは険しい表情で、他の兵士達と小声で会話を交わします。
そして金城さんは、その男性へと向き直り、
「やはり今の状況からして、ここに民間人の方を置いていくのは危険です。お連れの方は我々が責任を持ってご案内しますので、皆さんは我々についてきてください」
「おい、君達! 私達はこれ以上ここにいるのは我慢できない! 君達の都合で、私達まで危険に晒す気か!」
男性は怒りの矛先を金城さんから私達へ向けて、唾を飛ばしながら訴えてきました。先程の会話で悪印象が拭えませんが、それでも男性の言っていることは間違っていません。
と、そのとき、
「おじさん、止めた方が良いと思うよ」
今まで事の成り行きを見守っていただけのココアちゃんが、ここで初めて口を開きました。
皆が注目する中、今度はミルクちゃんが口を開きます。
「だってその金城って人、さっきからずっと私達に“敵意”を向けてるもん」
「――――!」
その瞬間の金城さんの表情を、私は見逃しませんでした。
ほんの一瞬だけのことでしたが、そのときの金城さんは、怒りに打ち震えた醜悪な表情を浮かべていました。
そして金城さんと他の兵士が、マシンガンを持つその手に力を込めたそのとき、
「――ディック!」
入口から呼び掛ける聞き覚えのある声に、金城さんは何の前触れも無しにいきなりそちらへ向けて発砲を始めました。間隔が短くて1つの長い音に聞こえる発砲音に硝煙の匂い、そして火花を散らしながら壁にぶつかって反射を繰り返す銃弾と、私達の目の前ではまさに戦場そのものの光景が繰り広げられていました。
「な、何なんだ一体!」
「ほら、離れちゃ駄目よ!」
先程の男性とその家族は、ソファーの後ろに隠れて身を縮こまらせていました。母親に抱きしめられる子供達も、突然のことに震えながら体を小さくしています。
「ここは私に!」
桜井さんがそう言って、私達の前に躍り出ました。そしてスタンバイ状態になっていたCADを起動して、魔法式の展開を始めます。しかし起動式を見ただけでは、兵士を止めるための攻撃魔法なのか、跳弾を防ぐための防御魔法なのか判断がつきません。
そしてその魔法の正体が明らかになる直前に、突然私達に襲い掛かったサイオン波によって、桜井さんの起動式が吹き飛ばされました。それと同時に私の中から倦怠感が生まれ、その場に立っているのもやっとな状態になりました。
そのサイオン波が生み出される場所には、
「ほいっと」
次の瞬間、信じられない出来事が起こりました。
入口に向かってマシンガンを発砲し、私達に向けてキャスト・ジャミングを仕掛けていた金城さん達が、突然体のあちこちから血を吹き出して倒れ込んだのです。あれだけ喧しかった発砲音はその瞬間に途絶え、私の体を襲っていた倦怠感も嘘のように消え去りました。
そして彼らの近くの床から、まるで植物が生えたかのようにダッチちゃんが姿を現したのです。その背中にはまるで悪魔のような大きな翼が生え、見るからに切れ味の鋭そうな先端には赤い液体が付着しています。
ダッチちゃんが見たこともない魔法を使ったことにも驚きましたが、今の状況から推測して、彼らを仕留めたのがダッチちゃんだということの方が衝撃的でした。下手をすれば幼稚園児だと言われても納得できる見た目をした彼女が、こうもあっさりと人に手を掛けることができるなんて――
「うぐっ――」
と、私がショックを隠しきれないでいると、床に倒れている金城さんが微かに呻き声をあげました。彼の体からも血がどんどん溢れてきて、医学的な知識の無い私でももう長くはないことが分かります。
「……ディック、なぜだ? どうして軍を裏切った?」
マシンガンを抱えながら入口から姿を現したのは、やはり桧垣さんでした。桧垣さんは悲痛な表情を浮かべながら、今にも息絶えそうな金城さんを見下ろしています。
「……ジョー、おまえこそ……なぜ日本に義理立てする……?」
「何を言ってるんだ、ディック。日本は俺達の祖国だろう?」
「その日本が、俺達をどう扱った……? こうして軍に志願し……日本のために働いても……、結局俺達は
「ディック、俺達の片親は間違いなく余所者だったんだ。たった1世代暮らしたところで、それが完全に拭い去れるものじゃないだろう。それに軍は、純日本人の上官や同僚も、俺達を戦友として迎え入れてくれたじゃないか。仲間として受け入れてくれたじゃないか」
「ジョー、確かにおまえに対してはそうだろう……。でもそれは……、おまえが“魔法師”だからだ……。おまえに利用価値があるから……、軍の連中はおまえに良い顔を見せる……」
金城さんはそこまで言うと、ゴボリ、と口から大量の血を吐き出しました。
桧垣さんは悔しそうな表情で奥歯を噛みしめ、金城さんに話し掛けます。
「……ディック、『自分達がレフト・ブラッドだから余所者扱いされる』と憤っていたおまえが、魔法師だからという理由で俺を区別するのか? 俺のことを『仲間じゃない』と言うのか?」
「…………」
その言葉に、金城さんは今までで一番大きく目を見開きました。しかし口から溢れてくる血のせいで、これ以上言葉を紡ぐことができません。金城さんはこれ以上何も言うことなく、ゆっくりと目を閉じ――そのまま息を引き取りました。
桧垣さんは床に膝をついて金城さんに近づくと、その手で金城さんの顔に触れて彼の目を閉じました。
「ディック、俺とおまえは仲間だった。おまえがその胸に暗いものを抱えてたというのなら、遠慮無く俺にぶちまければ良かったんだ……。そうしてくれりゃ、少なくともこんなことには……」
けっして涙は流しませんでしたが、桧垣さんの声は弱々しく震えていました。
そして、部屋中が重苦しい空気に包まれる中、
「――お、おい! 君は裏切り者ではないんだろう! だったら早く、私達をシェルターへ連れて行け!」
今までソファーの後ろで震えていた男性が、大声で怒鳴り散らしました。……別に民間人なのですからその反応でも構わないのですが、何だかとても納得がいきませんね……。
しかし桧垣さんもプロの軍人、そこは個人的な感情を表に出さずに「分かりました。皆さんも早く行きましょう」と部屋中に呼び掛けました。今度はミルココちゃんにも引っ掛からなかったようで、全員が避難を始めようと動き出しました。
いえ、全員ではありませんでした。先程まで母親に抱きしめられていた子供の1人、小学校低学年くらいの女の子が、床にうずくまったままこの場を動こうとしません。先程の銃撃戦で恐怖のあまり固まってしまったのでしょう、無理もありません。
「さぁ、早く安全な場所へ行きましょう」
私はなるべく優しい声を心掛けて女の子に呼び掛けながら、ゆっくりと近づいていきました。女の子の肩に手をやって立ち上がるように促しましたが、それでも女の子はびくともしません。
「悪い人達は、もうやっつけちゃったわ。だから早くここから避難して――」
「深雪! そいつから離れて!」
私が説得している最中に、ミルクちゃんの切迫した叫び声が私に呼び掛けました。
「えっ――」
私がそれの意味を理解する間も無く、
「――くくっ」
女の子から笑い声が漏れ、私がそちらへ目を向けると、女の子の手にはピンの抜かれた手榴弾らしき物が――
「待ってたぞ、司波深雪」
次の瞬間、手榴弾が爆発しました。