「まず大前提として、達也が“魔法師としては”落ちこぼれであることは、純然たる事実です」
数秒くらい何かを考える素振りを見せたお母様は、その台詞を皮切りに説明を始めました。
「達也は生まれつき、2種類の“魔法のようなもの”しか使えません。
「それでは“魔法師”とは呼べないのですか?」
モカさんの質問に、お母様は首を横に振りました。
「我々の定義する魔法とは、“情報体を改変して事象を改変すること”です。どれほど些細なものであっても、魔法と定義されるものには必ず“事象の改変”が伴います。しかし達也のできることは、情報体をバラバラに分解することと、情報体を再構成することだけ。本当の意味での魔法を使うことのできないあの子は、魔法師としては紛れもなく“欠陥品”です」
実の息子をまるで物か何かのように扱うお母様に怒りが湧き上がってきますが、今ここでそれを問い質したところで意味がありません。私達は、お兄様が抱えているものを知りたいのですから。
「でも、さっき深雪を生き返らせたのを見てると、あっちの方がよっぽど“魔法”って感じがしねぇか? ぶっちゃけ“俺達の中”でも、死人を蘇らせることなんてまず不可能だぜ?」
あまりにストレートなリカルドさんの物言いに、お母様はフッと笑みを漏らしました。
「ええ、確かに。もし達也が別の家に生まれていたら、それこそ“奇跡の子”なんて呼ばれてたかもしれないでしょう。――でもあの子が生まれたのは、十師族という“魔法師のコミュニティの頂点”に君臨する一族の中でも、最も力を持っていると言っても過言ではない“四葉家”。そんな一族の中に、魔法の使えない人間がいるのは都合が悪いのですよ」
もしお兄様が普通の家に生まれていたら、それこそ“優等生”の評価を欲しいままにしていたことでしょう。今みたいに実の妹のガーディアンなんて立場に甘んじることもなく、両親から正当な愛情を注がれて育つ健全な子供時代を過ごすこともできたでしょう。
しかしそれは、“もしも”でしかない意味の無いこと。現にお兄様が生まれたのは四葉家であり、お兄様の存在は一族の者には疎まれるものでした。
「そこで私達は7年前に、魔法が使えるようになることを目的に“或る実験”を達也に施しました。もっとも、目的はそれだけではなかったのだけど」
「実験? どんな?」
ダッチちゃんの質問に、私は固唾を呑んでお母様の言葉を待ちます。
「“人造魔法師計画”。魔法師でない人間の意識領域に、人工の魔法師演算領域を植え付けて魔法師の能力を与えるプロジェクト」
お母様のその言葉は、私の心をざわつかせるのに充分な不穏さを孕んでいました。
「実験の結果は、成功であり失敗でもありました。確かにそれのおかげで達也は“普通の魔法”も使えるようになりましたが、人工魔法演算領域の性能は本来のものに比べて著しく性能が劣っていました。だから結局達也は、ガーディアンという立場でしか四葉にいられないのですけど。――それに、重大な副作用も発生しましたし」
「――副作用?」
お母様の口から出たその単語は、本人にとってはついでに付け足したようなものでしかありませんでしたが、私には聞き捨てならないものでした。
「改造手術を達也に施した結果、あの子の“感情”に欠落が生じました」
「――――!」
お母様の言葉に、私は息を呑みました。
「いえ、この場合は“衝動”と言った方が正しいかしら? 強い怒り、深い悲しみ、激しい嫉妬、怨恨、憎悪、過剰な食欲、行きすぎた性欲、盲目の恋愛感情――。そういう“我を忘れる”ような強い感情を“1つの例外”を除いて失ってしまったのです」
「そんな……」
つねに無表情で歳不相応に落ち着いていて、まるで人形かアンドロイドのように感情の見えないお兄様。
今までの私がお兄様に対して抱いていた様々な感情が、かちり、と何かに嵌ったような音をたてたように感じました。しっくり来た、という表現がぴったりな感覚を抱くと同時に、今まで自分がいかに何も知らなかったのか改めて思い知り、私は背筋に寒気が走ったように自分の体を抱きしめました。
そして、私は尋ねました。
「……なぜ、お母様はそんなことを……?」
「理由は、さっき話したはずよ。なぜ私が担当したのか、という意味なら、その実験が私にしかできなかったからです」
確かにお母様は、かつて
しかし、私はそんなことが訊きたいのではありません。
「お母様にとって、お兄様は実の息子ではないですか……。お母様はどのようなお気持ちで、その実験を行われたのですか……? 実の息子に対して、どうしてそのような非道な真似ができるのですか……? 自分の息子の精神を書き換えることに、戸惑いは無かったのですか……!」
「深雪ちゃん」
どんどんヒートアップしていく私を止めたのは、いつものように穏やかな表情をした厚志さんでした。私は咄嗟にその怒りを厚志さんにぶつけそうになり、眉間に皺を寄せて小さく首を横に振る厚志さんに私は口を噤みました。
そして私は、モニターの画面を投影したガラスへと視線を移しました。その映像に映るお兄様は、体格で勝る大人達に囲まれていました。おそらく相手は、大亜連合の上陸部隊でしょう。
思わず声をあげそうになりましたが、次の瞬間、その敵兵達がまるで霧のように消え失せてしまいました。もしかして今のが、先程説明のあった“分解魔法”なのでしょうか? 血の1滴も残さずに塵となって消えてしまうその光景は、映画のCGであるかのように現実味の薄いものでした。
よく見てみると、お兄様へと向けられた攻撃のどれもが、お兄様に届く前に消え去っていました。魔法も銃弾も砲撃も、お兄様がCADを向けるだけで嘘のように消え失せ、そしてそれらの攻撃を仕掛けた兵士達が次の瞬間には塵となって消えてしまいました。
と、そのとき、お兄様の近くで共に進軍していた兵士の1人が腹を撃たれ、その場に倒れてしまいました。お兄様はそれに気づくと、地面に血溜まりを広がらせて今にも事切れようとしているその兵士にCADを向けます。そして引き金を引いた次の瞬間、兵士の腹に空いた穴がみるみる塞がり、兵士は何事も無かったかのように起き上がりました。こちらは先程私にも施した“再成魔法”でしょう。
自分達の攻撃は届かず、せっかく倒した兵士も次の瞬間には起き上がる。
向こうからしてみたらとんでもない悪夢だろうな、と思いながら、映画でも観るようにぼんやりとその映像を眺めていると、
「深夜さん、訊きたいことがあるんですが」
ふいに厚志さんが、そう話を切り出しました。私は映像から目を離し、お母様を見つめる厚志さんへと視線を向けます。
「さっき達也くんが魔法で女の子を生き返らせていたときに気になったことだけど、達也くんの使う“分解”と“再成”の魔法には何かリスクがあるのでしょうか?」
「……へっ?」
「…………」
思わぬ言葉に私は変な声をあげ、お母様は意味ありげな沈黙で応えました。
「いえ、再成魔法を使ったときの達也くん、ほとんど表情には出していませんでしたが、何か我慢していたような気がしていたもので。もしかして、体に大きな負担の掛かるものじゃないのかと思ったのですが」
……そんなこと、お兄様をじっと見ていたはずの私でも気づかないことでした。いえ、結局私は“今までと同じく”何も見ていなかったのでしょう。何も成長していない自分に、私は何度目になるか分からない自己嫌悪に陥りました。
そんな中、お母様は厚志さんの質問に、しばらく何かを逡巡するような仕草を見せ、
「これは達也の訓練を担当する魔法師の見解ですが……」
噛みしめるようにゆっくりとした口調で、お母様が話し出しました。
「“再成”のメカニズムは、情報体の変更履歴を最大24時間遡り、外的要因によって損傷を受ける前の情報体をフルコピーし、現在の情報体に上書きするというものです。通常は情報体自身に復元しようとする力が働き、だからこそ通常の治癒魔法には永続性は無いのですが、この場合は上書きされた情報も本人由来の物なのでその力が働くことなく定着します。ですが――」
お母様はここで一旦言葉を区切り、大きく息を吸い、再び話し出しました。
「情報体をフルコピーするためには、そこに記録された情報を読み取っていく必要があります。そしてその情報の中には、対象者が味わった“苦痛”が含まれます」
「――――!」
その単語を聞いた瞬間、私は悟りました。悟ってしまいました。
「苦痛という感覚が、神経を通る電子信号としてダイレクトに流れ込んでくるそうです。脳を介した情報としてではなく、精神に直接認識されます」
「ま、まさか、そんな……」
ということは、
「達也が情報体をフルコピーするために情報を読み解く時間は、およそ0.2秒。達也はこの僅かな時間の間に、対象者がそれまでに味わった苦痛を凝縮して味わっていることになります」
お兄様は、
「その苦痛は、傷を受けてから魔法を掛けられるまでの時間が長いほど濃くなります。もし魔法を掛けられるまでに30秒経っていたら、時間にしておよそ150倍。1時間ともなれば、およそ1万倍以上にもなるでしょう」
私を生き返らせたときも、女の子を生き返らせたときも、今この瞬間に兵士達を生き返らせているときも、
「普通ならば痛みのあまり、魔法を使用した瞬間に精神が吹き飛ぶでしょうね。達也はこれまでの訓練で精神を鍛え、そして自分自身にプログラムされた自己修復術式によって意識を保つことができますが、それでも感じる痛みを軽減することはできませんから」
そのような想像も絶する苦痛を味わって、なおも平気な顔をしていたというのですか……!
「――――!」
と、そのとき、私は思い出しました。
あのときにお兄様が女の子を助けることになった、消し去ることのできない厳然たる理由を。
先程のお母様の説明なら、あのまま女の子が死んだとしてもお兄様は何も感じなかったはず。気の毒に思うことはあっても、それによって自分の心が押し潰されるようなことにはならないはず。だとしたらあのときお兄様には、女の子を助ける積極的な理由は無かったはず。
そう。お兄様が女の子を助けたのは、私がそうしてほしいとお兄様に頼んだから。
私のわがままのために、お兄様は味わう必要の無かった苦痛を味わって、あくまで赤の他人だった女の子を助け出すはめになったのです。
すべては、私のために。
「……お母様、お尋ねしても宜しいですか?」
呟くように問い掛けた私の声を、お母様は聞き漏らしませんでした。こちらに視線を向け、「何ですか?」と尋ねてきます。
「先程お母様は、お兄様が“1つの例外”を残して情動を失った、と仰いました。……その“1つの例外”とは何ですか?」
「……達也の心に残った、たった1つの情動。それは――
――深雪、あなたを愛し、護ろうとする、いわば“兄妹愛”です」
お母様の答えに、私は耳を塞いでしまいたい衝動に駆られました。
しかし、私にそれが許されるはずがありません。
今までお兄様に向き合おうともせず、お兄様に護られていたことすら知ることもせず、あまつさえお兄様のことを疎ましく思っていた私に対する、当然の報いなのですから。
「……お母様は、そうなることを意図的に選ばれたのですか?」
「いいえ。でもキャパシティの関係で1つだけ残せるとしたら、それであるべきだとは思っていました。私よりもあなたの方が、達也と共にいる時間は長いのですから」
「……そのこと、お兄様には?」
「もちろん言いました。親に愛情を抱けない、なんて“つまらないこと”で思い悩む必要はありませんから」
そのときのお母様の言い方には、なぜか“苦悩”や“悲哀”といったものが込められていたように思いました。もしかしたらそれは、世間一般の親が子供から愛されなかったときに感じるであろう感情をお母様にも抱いていてほしい、という私の個人的な願望がそう思わせただけかもしれません。
「まだ何か、訊きたいことはありますか?」
「……いいえ、ありがとうございました」
私はお母様の答えを聞いて、ひどく後悔しました。
知らなければ良かった、ではなく、今まで知らなかったことを後悔しました。
スクリーンに目を向けると、お兄様は先程と同様に戦場で八面六臂の大活躍をしていました。自分に対する攻撃を完全に防ぎ、相手をその存在ごと消し去り、傷ついた仲間を治して立ち上がらせる。その全てが、私が撃たれたことに対する報復によって引き起こされていることです。
そんなお兄様に対して、私は一体何をお返しすれば良いのでしょうか?
今の私は、この命ですら、お兄様から頂いたものだというのに。
「……まずいな」
と、私がそんなことを思い悩んでいると、厚志さんの口からそんな言葉が漏れました。厚志さんの見ている先はお兄様の映っているスクリーンであり、お兄様の身に何か起きたのかと危惧した私は、即座にお兄様を隅々まで観察し始めました。
しかしそこに映っていたのは、先程と変わらず敵を屠っているお兄様の姿でした。特に怪我をした様子も無く、味方が敗走しているといった様子もありません。
ひょっとしてまた私だけが察していないのか、と不安になっていると、
「厚志さん、何かまずいことでもあるのですか?」
お母様がコテンと首をかしげてそう尋ねました。娘の私から見ても可愛らしいその仕草を見て、私は人知れずホッと胸を撫で下ろしました。
「今の深夜さんの話を聞くに、達也くんが本当に大事に想っているのは深雪ちゃんだけってことになりますよね?」
「――――!」
厚志さんの言葉に、私はそんな状況ではないと知りながらも顔が紅くなるのを抑えられませんでした。
「もしそんな大事な存在が死の淵に立たされたら、そしてもし深雪ちゃんを助けることができなかったら、と考えてみると、今の達也くんの精神状態はかなり危険だと思うんです」
厚志さんが説明する間にも、スクリーンでは状況が進行していきます。お兄様によって海辺に追い詰められた侵攻部隊は、撤退を決めたのか次々と舟らしきものに乗り込んでいきます。
「達也くんにとっては、他の人の死に対してそれほど恐怖を感じることはないでしょう。だからこそ余計に、深雪ちゃんの死に対する恐怖が鮮明になってくると思います。それこそ、自分そのものが壊れるくらいの感情は持ってても不思議ではないくらいに」
一時的に攻撃の手が止んだ侵攻部隊に、お兄様を始めとした空挺隊が足を止めました。そして一瞬の空白の後、空挺隊は何列かに分かれて横に並び、一斉に侵攻部隊へ向けて銃を構えました。後で厚志さんに訊いたところ、それは“斉射陣営”と呼ばれるものだそうです。
「だから今の達也くんは、傍目には冷静に見えてもかなり激昂している状態だと思います。一切の躊躇いなく攻撃を仕掛け、効率的に敵を殺すことだけを考えている」
「あら、でもそれは兵士としては重要なことではなくて?」
しかし次の瞬間、侵攻部隊が乗り込んでいた舟周辺の光景が一瞬歪んだかと思うと、すでに乗り込んでいた兵士ごと舟が塵となって消え去っていました。
そして残った兵士は皆一様に恐怖の表情を浮かべ、そして武器を捨てて両手を挙げました。中には大きな白旗を掲げて振り回し、自分達が降参したことを主張している者もいます。
「ええ、その殺意が“理性によって制御されている”ならば、ですけどね。――はたして今の達也くんに、相手の降伏を受け入れるだけの余裕があるでしょうか?」
厚志さんがそう言った次の瞬間、スクリーンの中ではお兄様がまさに白旗を掲げていた兵士にCADを向けようとしている光景が映し出されていました。
「おいおい、達也! まさかそのまま攻撃を続けるつもりか!」
「相手に戦闘の意思は無いよ! それ以上やったら、ただの“殺戮”になっちゃう!」
リカルドさんとマッドさんが声をあげて慌て、ダッチちゃんとモカさんが鋭い目つきになります。桜井さんも両手を口に当てて表情を引き攣らせ、お母様も「あらあら」とでも言いそうな表情を見せています。
そして皆の見ている中、お兄様はCADの引き金を引く――直前、味方の兵士に投げ飛ばされて地面に押さえ込まれてしまいました。そしてその兵士によって何か言葉を掛けられ、お兄様はCADの引き金から指を離してゆっくりと立ち上がりました。
その映像に、部屋中がホッと胸を撫で下ろす雰囲気になりました。
「危ないなぁ、達也。今のは下手したら懲罰対象だよ?」
「まぁ、敵の中にまだ武器を捨ててない奴がいた、って言い訳できなくもないか。まさか達也、それを見越したうえで攻撃を仕掛けようとしたわけじゃないよね?」
ミルココちゃんの物騒な会話が聞こえてきましたが、私は心の中でホッと息を吐きました。私なんかのために、お兄様がこれ以上重荷を背負う必要など無いのです。
とにかくこうして侵攻部隊が投降した以上、この戦争も終結まであと一息といったところでしょう。スクリーンに映っている兵士達にも安堵感が漂っていることが目に見えて分かります。
しかし、
「まだだよ」
私のすぐ隣にいたエリちゃんの、短くて的確な一言により、私は安心しきっていたその心を再び引き締めました。小学4年生の女の子の言葉に何を、と何も知らない人なら思うでしょうが、彼女がただの小学生ではないことはこの短い沖縄旅行で何度も経験していました。
そして彼女が、このような“実戦”に慣れていることも。
「どういうこと、エリちゃん?」
「簡単だよ。向こうが上陸部隊だけ揃えて、他に何も用意してないなんて有り得ないってこと。わざわざ潜水艦まで出して下見してたくらいに準備してきた作戦だよ? たかが侵攻部隊が投降した程度で『攻撃やーめた』なんてするわけないよ」
確かに、エリちゃんの言う通りです。“勝って兜の緒を締めよ”なんてことわざもあるくらいですし、むしろここで安心しているようでは駄目なのでしょう。
すると、
「……何だこの反応? ――こ、これはっ!」
エリちゃんの台詞に合わせるように、司令部の1人が血相を変えました。現場だけでなく司令部にも漂っていた安堵感は、瞬く間に刺すような緊張感へと塗り替えられていきます。
そして司令部の掴んだ情報は、現場の通信兵への伝達という形で私達の耳にも届けられます。
「司令部より伝達! 敵艦隊別働隊と思われる艦影が、
「艦隊って――!」
それは今までの侵攻部隊などとは比べ物にならない、威力も物量も圧倒的な兵器が投入されたことを意味します。当然ながら現在出動している空挺隊では対処のしようがなく、戦略的撤退もやむなしと判断されてもおかしくありません。
司令部からの伝達を受け取ったのか、スクリーンに映った兵士達は即座に内陸部への避難を始めます。その中には、先程投降した敵兵の姿もありました。というよりも、空挺隊よりもそちらの方が多いくらいです。これだけの数の捕虜を連れて、移動用の車両も無い中で、はたしてどれだけ逃げられるのでしょうか。
と、そのとき、
「――お兄様! 何を……!」
次々と撤退していく兵士達の中で、なおもその場に留まっている兵士が3人いました。
そしてその中に、お兄様の姿もありました。いくらスモークバイザーに顔を隠され、アームスーツで全身を覆っていたとしても、今の私にお兄様を見つけられないはずがありません。
「何をしているんだ、君達! 早く逃げたまえ!」
「こちら恩納空軍基地! 至急応援求む!」
オペレーターが必死にお兄様達に訴えかける隣で、少佐の階級章をつけた男性の将校が通信機に増援を呼び掛けています。おそらく相手は、ここから近い九州地方の基地でしょう。しかしいくら近いとはいえ、今から準備を始めて出撃したのでは到底20分後の攻撃には間に合いません。
「お兄様……」
押し潰されそうなほどの不安に私が手を握りしめていると、ぽんぽん、と後ろから軽く肩を叩かれました。
桜井さんです。
「深雪さん、達也くんが心配なんですよね」
「……はい」
にっこりと優しい笑みを浮かべる桜井さんに、私は素直に頷いていました。
「おそらく彼は、艦隊を迎撃するつもりなのでしょう。普通ならば有り得ないと思いますが、深雪さんを生き返らせるほどの規格外な力を持つ達也くんなら、艦隊を攻撃する魔法を持ってても不思議ではありません。そしてあの2人は、達也くんに付き添ってサポートするつもりだと思います」
「で、でも……! もし艦隊から狙われたら……!」
「ええ、それだけの大掛かりな魔法を使おうとするならば、さっきみたいに片っ端から銃撃や砲弾をまとめて消し去るなんて真似はできないでしょう。あの2人がどれほどの腕前か分かりませんが、艦隊からの集中砲火を防ぎきれるかどうかは分かりません」
「だったら――」
「でも、大丈夫」
今にも飛び出していきたい気持ちになってきた私を抑えるように、桜井さんは茶目っ気たっぷりにウインクしてみせました。
そして、自信満々にこう言います。
「私ならば、達也くんを護りきってみせます」
それを聞いて、私は思い出しました。
桜井さんを始めとした調整体魔法師“桜”シリーズの特性は、強力な対物・耐熱防御魔法にあります。伝え聞く十文字家の“ファランクス”のような高度にテクニカルな魔法は使えないものの、1つ1つの単純な防御力は、魔法技術において先進国である日本においてもトップクラスの代物だと聞いたことがあります。
そして桜井さんはその中でも、若い頃からその才覚を開花させた優秀な魔法師だったそうです。だからこそ、四葉家現当主の実妹という重要人物のガーディアンに選ばれたのですから。
桜井さんは優しい手つきで私の頭を撫でると、その柔らかな笑みを真剣なものへと変えて、お母様の傍まで歩み寄ります。
「奥様、お願いがございます」
「何かしら?」
微笑を携えてそう尋ねたお母様は、桜井さんがこれから何を言おうとしているのか、全て分かっているような雰囲気でした。