魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第-95話 『腹の探り合いは、同時にノーガードの殴り合いでもある』

 あの沖縄旅行から3日経って、私達は旅行前の生活に戻りました。

 まだ夏休みの期間中なので学校には行きませんが、それでも十師族の次期当主候補たる者としての勉学は欠かせません。お母様によって用意されたカリキュラムをこなして魔法師としての腕を磨くと同時に、バイオリンなどの習い事も平行して行われます。こちらは上流階級として恥ずかしくない付き合いをするための、いわば体面的な意味合いが強いものでしょう。

 お兄様とは、あれから一度もお話ししていません。廊下で擦れ違うことは何回かありましたが、私の周りには女中や使用人などが貼りついており、たとえ現当主の甥だとしても使用人同等の扱いを受けているお兄様に、私がおいそれと話し掛けるような真似は許されません。なので私はお兄様のお顔をお見掛けしたときも、断腸の思いで無視して通り過ぎます。

 あの沖縄旅行を通してお兄様の魅力に気がつき、どこまでもついていく覚悟を決めた私ですが、具体的にどうすれば良いのかまでは思い至りません。とりあえず来るべきときに備えて力を蓄えておこうと、前にも増して魔法の訓練に力を入れてはみたものの、はたしてそれでお兄様のお役に立てるのかは少々疑問が残ります。

 しかしながら、今はそれしかできないこともまた事実。私は傍目には旅行前の生活と変わらない日常を、旅行前とはまるで違う心境でこなしながら、この3日間を過ごしてきました。

 現在、私はお母様と一緒に遅めの朝食を摂っています。旅行中はどうにもお体の優れなかったお母様ですが、屋敷に戻ってからは体調もすっかり戻ったようです。こうして2人で座るにはあまりに広すぎるテーブルに向かい合わせで食事を摂れることが、何よりの証と言えましょう。

 と、そのとき、お母様のガーディアンである桜井さんがお母様の元へと近づいていきます。

「奥様、高田厚志様からお電話です」

「厚志さんから? ――もしもし」

『もしもし、深夜さんですか? どうも、厚志です』

 電話口から微かに漏れてくるその声は、つい最近まで頻繁に聞いていた厚志さんのものでした。何だか懐かしい心地になってしまったのは、きっとそれだけあの旅行が素敵なものだったからでしょう。

『申し訳ありません。ひょっとして、食事中でしたか? また後で掛け直しますが』

「いえ、お気になさらず。他ならぬ厚志さんですから。――それで、どうかなさいましたか?」

『この前の深夜さんからの“申し出”に、答えようかと思いまして』

「――――」

 厚志さんの口から出たその単語に、私はスープを飲もうとしていた手を止めてしまいました。

 その“申し出”とは、おそらくあのとき私が盗み聞きしてしまった、お兄様をエリちゃんの婚約者にどうか、というものでしょう。せっかくお兄様のことを一端でも知ることができた矢先に、お兄様と離れてしまうかもしれないという焦りを覚えながら、私はお母様と厚志さんとの会話に耳を傾けます。

「あら、もう結論を出してくださったのですね。ありがとうございます」

『はい。それで、大事なことですので、そちらに直接お伺いして1回話し合おうかと思いまして』

「ええ、確かにそうですね。かしこまりました、楽しみにしております。――それで、日時のご希望はあるのでしょうか?」

 にっこりと笑みを浮かべながらそう尋ねるお母様に、厚志さんは間髪入れずに答えました。

 

 

『――今から、5分後に』

 

 

「……はい?」

 お母様が疑問の声をあげたのと同時、使用人の方がノックもせずに部屋の中へ入ってきました。その方は私の記憶が正しければ屋敷のセキュリティを担当している魔法師で、血相を変えて全身から汗を吹き出しながら息も絶え絶えで報告を始めます。

「し、失礼致します! ご報告します! 先程こちらに向かって猛スピードで飛んでくる飛行物体を感知しました! そのスピードは秒速2300メートルでマッハ6.8相当! その飛行物体は黒いペガサスのようにも見えます! この屋敷を目的地と仮定した場合、その到達時間は75秒後と推測されます!」

「…………、へっ?」

 マッハだの黒いペガサスだの、あまりにも荒唐無稽な報告に私は思わず間抜けな声をあげてしまいました。お母様も声こそ出していないものの、呆然とした表情を浮かべています。

 しかしお母様はそのショックからすぐに立ち直ると、先程よりも若干引き攣った笑みで厚志さんに尋ねます。

「……もしかして今、こちらに向かっていますか?」

『はい。後1分ほどといった所でしょうか? 突然のことで申し訳ないのですが、真夜さんも一緒に出席してもらえませんか? 現当主である真夜さんからも了承を得たいと思っているので』

「……ええ、かしこまりました。ですがせめて、そのまま村に突入しないでもらえますか? 認識阻害の結界を施しているもので。村の手前にトンネルがあると思うので、そこに下り立ってください。迎えを寄越しますので、その方の案内で村に入ってください」

『はい、了解です。よろしくお願いします』

 あくまで落ち着き払った声を保ったまま、厚志さんは電話を切りました。その声からは、音速を超えるようなスピードでこちらに突っ込もうとしているなんて夢にも思えません。

 というより、厚志さんはどうやって音速を超えて移動しているのでしょうか? 先程の報告の中に“黒いペガサス”という言葉が聞こえましたが、もしかしてプリティ☆ベルの能力である――

「深雪さん」

 お母様の鋭い一言で、私の意識が現実世界へと引き戻されました。

「残念ですが、朝食は中断です。今から急いで厚志さんをお迎えする準備をします。――桜井さん、屋敷にいる主だった方を全員呼んできてちょうだい。もちろん、達也も」

「りょ、了解しました!」

 桜井さんは大慌てで部屋を飛び出していきました。それを見送ったお母様の表情にも、今まで見たことのない緊張感に包まれています。

 そしてその緊張感のまま、お母様は私へと視線を向けました。

「深雪さん、私と一緒に参りましょう」

「は、はい!」

 そう言って立ち上がり部屋を出ていこうとするお母様に、私も急いで立ち上がってその後に続きます。

 そして、奥の方から今までにない喧騒が聞こえてくる中、

「深雪さん。今から向かう場では、不用意な発言は禁止とします」

 お母様は今まで聞いたこともない冷たい声で、私にそう言いました。

 その発言の意図を読み取ろうと私が黙っていると、お母様は歩きながら私へと顔を向けました。

 そして、口を開きました。

「今から行われる“会合”の結果次第では、――“戦争”に発展する可能性もあります」

 

 

 *         *         *

 

 

 桜井さんとお母様と共に、私は応接室へと向かいました。桜井さんがドアをノックして中に呼び掛け、返事が来るのを待ってからドアを開けて足を踏み入れます。

 部屋の中へ入って最初に目にしたのは、部屋の中央に位置するソファーに座る厚志さんとエリちゃんとミルココちゃん(2人は30歳を超えているらしいので、“ちゃん”だと失礼でしょうか?)の姿でした。その後ろにはリカルドさんとマッドさんとモカさんの3人が、まるで従者のように並んで立っています。ダッチちゃんの姿が見えないのは、今日はお留守番ということでしょうか。

 そして厚志さんの向かいにあるソファーにはまだ誰も座っておらず、その代わりに執事長である葉山さんがソファーの後ろに立っていました。おそらく葉山さんが厚志さん達を迎えに行って、ここまで案内してきたのでしょう。ちなみに部屋を取り囲むように、四葉家に仕える“執事”の方々が待機しています。四葉家では各業務の使用人を監督する8人の方をそう呼ぶため、ここにいるのは四葉家の使用人の中でも上位に位置する方々となります。

「どうも、深夜さん。すみません、突然押し掛けてしまって」

「……確かに、事前に連絡は欲しかったところですね。せめて1日くらいは」

 旅行で見たときとまったく同じ、眩しいほどに白い歯を惜しげも無く見せる満面の笑みを浮かべた厚志さんに、お母様が落ち着いた、しかしその端々に緊張を隠せない声で返事をしました。こんなお母様の姿を見たのは初めてですが、そうなってしまっても不思議ではないと、今の私はひしひしと感じています。

 今の厚志さんからは、とても大きなプレッシャーが放たれている気がしました。傍目には旅行のときと何一つ変わらないというのに、まるで鋭いナイフを首元に突き付けられているかのような心地です。

 今からそんな厚志さんの真向かいに座らなければいけないことが憂鬱でなりませんでしたが、今更逃げ出すわけにもいきません。私はお母様と共にソファーに座り、桜井さんは葉山さんと同じようにソファーの後ろへと移動します。

 目の前にいる厚志さんを視界に入れることができずに、私はあちこちに視線をさ迷わせていました。そうしている内に、ふと厚志さんの隣に座るエリちゃんが目に入りました。

 エリちゃんは旅行のときとまったく同じ、ニコニコと無邪気な笑みを浮かべてソファーにちょこんと座っていました。それを見て私はホッと息を吐きましたが、プレッシャーを放っている厚志さんの隣に座りながら平然と笑っていることに気づき、私は再び恐怖で背筋が凍りついた気分になりました。

 どこを見れば良いのか分からず、あちこちに視線をさ迷わせること、およそ1分、

「失礼致します」

 ノックの音と共に部屋に呼び掛けられたその声は、紛れもなくお兄様のものでした。私が咄嗟にドアへと顔を向けると、ドアを開けるお兄様に続いて真夜叔母様が部屋へと入ってきました。

「お待たせして、申し訳ございません」

 私と同じように厚志さんのプレッシャーを感じているだろうに、叔母様は普段とまったく変わらないご様子でソファーまで移動して私の隣に座りました。お母様と叔母様に挟まれ、私は何だか閉じ込められたような息苦しさを覚えます。

 そして叔母様がソファーに座る間に、お兄様はソファーの後ろへと移動し――

「達也さん、あなたも座りなさい」

 叔母様のその呼び掛けに、お兄様は目を丸くして驚いていました。確かに私は今回の話の内容を知っているので叔母様の呼び掛けも納得できますが、何も知らないお兄様からすれば、当主がお客様と話をしようというときに使用人を相席させようとするのですから驚きでしょう。

「達也さん、今回の話はあなたに関係のあることです。こちらに座りなさい」

「達也、早く座りなさい」

「……失礼致します」

 叔母様とお母様の両方から命令され、お兄様は戸惑いを隠せない様子で私と叔母様の間に座りました。お兄様と肩が触れそうな距離であることに心臓が高鳴りますが、目の前に厚志さんがいることを思い出してすぐに熱が冷えていきました。

「そういえばエリちゃん、あかねさんは無事だったかしら?」

 と、そのとき、唐突に叔母様がそう話を切り出しました。

「お母さん? うん、元気だったよ!」

 しかしエリちゃんは不思議に感じた様子も無く、笑顔でそう答えました。

「そう、良かったわ。エリちゃんのお母様が佐渡島で事件に遭遇したと聞いて心配だったの」

「大丈夫だよ! 私が行ったときには、お母さんは桜さん達と一緒に避難してたから!」

「桜さんというのは、もしかして“狂犬”と名高い彼のことかしら? それは頼もしいわね。――厚志さん、今回の佐渡侵攻事件は、あくまであかねさんは巻き込まれただけ、ということで良いのでしょうか?」

「はい。私達もあかねさんが狙われたのかと思って佐渡島に向かったのですが、どうやら偶然だったみたいです」

 叔母様達が話しているのは、おそらく私達が屋敷に戻った後に佐渡島で起こった、国籍不明の部隊が魔法関連の研究施設を襲撃した事件のことを話しているのでしょう。そしてその事件にエリちゃんのお母さんが巻き込まれ、エリちゃん達はその方を助けようと佐渡島へ向かった、といったところでしょうか。

 自分達の大切な人を助けるために戦場へ向かう、という行動を耳にし、私は目の前にいる厚志さんが3日前と何も変わっていないことに気づきました。未だにプレッシャーは感じますが、頑なに目を合わせようとしない、なんてことはありません。積極的に目を合わせることもしませんが。

「それでは厚志さん、そちらの方で導き出した結論をさっそくお聞かせ願えますか?」

 前置きは終わりとばかりに、叔母様が不敵な笑みを厚志さん達へと向けてそう問い掛けました。

 すると厚志さんはちらりとエリちゃんの方へ視線を遣り、すぐさま正面へと視線を戻すと、

「そちらからのご提案につきましては、――“保留”とさせていただきます」

「……訳を訊かせてもらっても?」

 数拍置いてそう尋ねた叔母様に、厚志さんはにこりと笑って頷き、答え始めました。

「理由は至極単純です。2週間程度の旅行では、今後の友人同士としての付き合いはともかく、将来を見据えた結婚などという重要なことを決めかねる、というものですよ」

「確かに、こちらとしても納得できるものですね。――それでは厚志さん達から見て、今後達也とエリちゃんが“個人的な付き合い”を持つことにつきましては、どのようにお考えですか?」

「それ自体は、私達としても拒否するつもりはありません。エリちゃん自身が達也くんを好ましく思っていますので、今後も交流を持つことについては構いません。――だよね、エリちゃん?」

「うん、そうだよ!」

 厚志さんに話を振られたエリちゃんは、子供らしい純粋な笑みを浮かべて元気よくそう答えました。お兄様を好ましく思っている、の辺りで不純な想像をしてしまいそうになった私は、被害妄想であることを自覚しながらも彼女の笑みから目を逸らさずにはいられませんでした。

「そう、それは良かったですわ。私達としても、厚志さんやエリちゃん達とは、これからも仲良くしていきたいと思っておりましたの。いくら魔法師が早婚を推奨されているとはいえ、この年齢から結婚について考える必要は無いですものね。友人としての付き合いを続け、後は“成り行き”に任せるというのも1つの手ですわ」

 そして叔母様はその笑みを崩さぬまま、つらつらと言葉を並べていました。叔母様の立場としては、結婚が決まらなかったことは残念ではあるでしょうが、そのまま関係が途絶えることは無くなったという、及第点程度の結果にはなったのかもしれません。

 と、このまま話が終わりになるかと思われた、そのとき、

「そこで、私の方から1つ提案があるのですが」

 厚志さんが、人差し指を立てて話を切り出しました。

「……何でしょうか?」

「確かにこれからも私達としては皆さんとお付き合いをしていきたいと考えてはいますが、片や東京、片や山梨の山奥にある村では、そうそう頻繁に顔を合わせることもできないでしょう。それではせっかくのそちらのご厚意を無駄にしてしまうと思いまして」

 厚志さんのその言葉は、確かにその通りです。地理的にはそれほど離れているわけではありませんが、土曜日にも学校に行くことが普通となっているこの時代において、たまの日曜日に数時間掛けてここまで来るのは負担が大きいでしょう。

 今日ここに来たような方法なら良いのでは、と脳裏に一瞬浮かびましたが、毎回あの方法で来られてもこちらの心臓に負担が掛かりますし、向こうとしてもそんな派手な移動手段を毎回取れるとは思えません。

 ならば一体どうするのか、と私が考えていると、

 

 

「達也くんを、私達の所に住まわせては如何でしょうか?」

 

 

「……はい?」

 厚志さんの突然の申し出に、話を振られたお兄様は困惑を隠す様子も無く怪訝の声をあげました。確かに、それは当然のことかもしれません。横で聞いているだけの私ですら、いきなりのことに頭が追いついていないのですから。

「達也を、厚志さんの家に?」

 そしてそれは叔母様も同じようで、お兄様ほどではないにしろ困惑の色を浮かべた声で厚志さんに尋ねました。

「正確には私の家ではなく、隣の家ですけどね。一緒の家で暮らすとなると、そちらとしても都合の悪いことがおありでしょう? ――やはり長い付き合いを通してお互いのことを知ることこそが最も重要なことだと思いまして。旅行から帰った後も、我々で何回も話し合ったんです」

「私も、達也さんと一緒に住むのは賛成だよ!」

 満面の笑みでそう言うエリちゃんに合わせて、ミルココ……さんや後ろに並ぶ皆さんが一様に頷いてみせます。

「失礼ですが、皆さんがこちらに引っ越す、という選択肢は無いのですか?」

「私にはジムがありますので」

 叔母様の提案に、厚志さんが即座に断りを入れました。それではエリちゃんだけでも――とはならないでしょうね。エリちゃんがプリティ☆ベルの関係で厚志さんの家に居候している以上、厚志さんには親御さんからエリちゃんをお預かりするという大事な使命がありますから。

「……ふむ。達也さん、あなたはどう思いますか?」

「……自分が、ですか?」

 叔母様から問い掛けられたお兄様は、どのように答えるべきか迷っている、という感じで黙りこくってしまいました。

 しかしそれも、無理もありません。お兄様は6歳の頃から私のガーディアンに任命され、そして今までそうして過ごしてきました。そこにはお兄様自身の意思は無く、お兄様はずっと叔母様から(ひいては四葉から)の命令を遂行することだけを考えて生きてきたはずです。今まで自分の意思で何かを決定したことが、1度たりとも無かったはずです。

 そしてお兄様は1分ほど迷いを見せた後、厚志さんの方へと向き直りました。

「……申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」

「理由は?」

 まるでそう答えるのが分かっていたように、厚志さんが間髪入れずに尋ねてきました。

「自分には、深雪お嬢様を守るという大事な使命があります。今の自分には、離れた場所から深雪お嬢様をお守りするだけの実力はありませんし、四葉家からの任務が言い渡されたときに、様々な不都合が生じると思われます。なので――」

 

 

「あら、別に構わないのですよ? 任務を休んでも」

 

 

「――――!」

「――――!」

 突然横から口を挟んできた叔母様の言葉に、お兄様は先程よりも大きなリアクションを見せました。先程は“困惑”といった感じでしたが、今回は目を大きく見開いた“驚愕”の表情を浮かべています。いえ、この表情はむしろ“恐れ”にも似たものかもしれません。

 もっとも、それは私自身が抱いている感情をお兄様にトレースしているだけかもしれませんが。

「……どういうことですか、御当主様」

「だって、そうでしょ? せっかくエリちゃんと一緒に暮らしているというのに、私達がそれを邪魔するなんて“野暮な真似”はできないわ。あなたがあちらに住むというのなら、あなたにはその間四葉家の任務から外れて、普通の中学生と同じような生活を送る“権利”を与えるとしましょう」

「ま、待ってください。自分には深雪お嬢様のガーディアンという役目があります。厚志さんの隣に引っ越すことになれば、それを遂行することが――」

「ですから、それを休んでも良いと言ってるではないですか。達也さんらしくないですね」

 お兄様が……、私のガーディアンではなくなる?

 つまりそれは……、私の傍からお兄様がいなくなる、ということ?

「達也くんの話は、深夜さんから聞いてるよ。達也くんは、妹の深雪ちゃんに対する愛情以外の情動を失ったそうだね」

「……はい」

 お兄様のことを分かろうと決心したばかりなのに……、お兄様が私の傍からいなくなる?

「私は医学的な知識が無いから、達也くんがどのような精神状態なのかを完璧に推し量ることはできない。だけど今の達也くんにとって、深雪ちゃんがどれほどの存在かはある程度想像できてはいるつもりだよ」

「それならば――」

「だからこそ、私は達也くんにもっと“別の世界”を見てもらう必要がある」

「……“別の世界”?」

 でもお兄様は今まで、私のせいで自由が無かった……。

 ならば、私がいない方がお兄様のためになるのでは……?

「1度四葉から離れてもっと広い世界を見て、様々な価値観を学ばなければいけない。君のその大きな力は、使い方を誤れば世界を破滅させてしまうものだ。今のように狭い価値観を持ったままの状態だと、“ごく一部の人間”によって都合良く乱用されてしまう」

「……自分が誰かに操られ、“マテリアル・バースト”をそいつのために使うことになると? それではお言葉ですが、厚志さん達がその“誰か”になる可能性は?」

「私達自身にそのような考えは無いが、それを判断するのは君だ。そして、その判断を養うための提案でもある。――それに“マテリアル・バースト”に限った話ではない。君のもう1つの固有魔法“再成”には、達也くん自身に痛みがフィードバックされるという効果もあるね。大人としては、君が苦しむような魔法を乱用されるのを黙って見過ごすなんてできないんだよ」

 でも、お兄様は迷いを見せていらっしゃる……。

 それは間違いなく、自惚れでも何でもなく、私が原因に違いない……。

 こんなときになってまで、私はお兄様の重荷になっている……!

「達也くん、今の君はただの“兵器”だ。“ごく一部の人間”の都合によって、世界の軍事バランスを崩壊させるほどの大火力を持った魔法を行使する兵器でしかない。――君が意思を持った“人間”に戻るためには、君は1度今の環境を離れて広い世界をその目で見ることが必要だ」

「……分かりません。なぜ厚志さんは、そんなことを気に掛ける必要があるのですか?」

「それが結果的に、世界情勢の安定に繋がるからだ。そして“ごく一部の人間”が、過剰な権力をもって世界に干渉することを防ぐためだ」

 それに仮にお兄様が私の元を離れたとして、おそらく私には次のガーディアンが選ばれることになる。

 そうすれば今度はその人が、私という存在のために自由を奪われてしまう……!

「達也さん、迷っているのかしら? それならば、期間を設けてみたらどう? そのうえで達也さん自身が必要無いと感じれば、そのときはまたここに戻って深雪さんのガーディアンを務めれば良いでしょう。それまでの間は、深雪さんのガーディアンは別の者にやらせることにしましょう」

「しかし……」

 だったら――

 

 

「待ってください!」

 

 

 突然私が大声を出したものだから、この部屋にいる全員が私へと目を向けます。聞きに徹していたミルココさん達も驚いたような表情を浮かべ、隣に座るお母様や叔母様も不思議そうに首をかしげます。

 全員に見られているという緊張感に押し潰されそうになりながらも、私は大きく深呼吸をして、厚志さんを見据えるように顔を上げました。厚志さんも私の“覚悟”を感じ取ったのか、微笑みを携えて私の視線を受け止めます。

 そして、この部屋にいる全員に聞こえるように、はっきりとした口調で言葉を告げます。

「私も一緒に、厚志さんの所へ行かせてください」

「――――!」

「ほう」

「あら」

 次の瞬間、お兄様は目を見開いて驚きを顕わにし、ミルココさん達は面白そうにニヤッと笑い、そして叔母様は意外だと言わんばかりのリアクションを見せました。

「…………」

 そして私の隣にいるお母様は、何も言わず、何の反応も見せず、ただじっと私のことを見つめています。それが他の誰よりも強い圧力となって私にのし掛かってきますが、私はそれに気づかないフリをしてお兄様へと向き直ります。

「そして、もう1つお願いがあります。――お兄様、私のガーディアンを辞めてください」

「――――!」

 その瞬間、お兄様は目を見開いて表情を歪めました。それはまるで、親とはぐれた子供が2度と会えないかもしれないと絶望するかのような、今にも消えてしまいそうな弱々しさを感じました。

 その姿を見て、お兄様の中でいかに私という存在が大きなものかを改めて感じました。胸が暖かくなるような気持ち良い心地になりかけましたが、私はそれを押し殺して普段魔法を掛けるように心を冷やします。私が本当にお兄様のことを想うのならば、今のままでは駄目なのです。

「あら、深雪さん。達也さんがガーディアンを辞めなくても済むように、達也さんと一緒に行くのではないのですか?」

「違います。私が厚志さんの所へ行くのは、あくまで今の“弱い自分”から脱却するためです。今回の旅行を経て、私はお兄様と違って“実戦”に慣れていないことが分かりました。いくら勉強ができたとしても、それが力となって身についていなければ何の意味も無いのです」

「それと厚志さんの所へ行くことに関係があるのですか? 四葉家でも充分実戦的な訓練はできますし、深雪さんが望むならばそのようなカリキュラムも用意しますが?」

「お心遣い、ありがとうございます。――ですが、それでは“同じ”なのです」

「同じ?」

 首をかしげる叔母様に、私はちらりと視線を厚志さんへと遣ります。

「厚志さんは先程お兄様に“外の世界を見ることの大切さ”を仰っていましたが、それは私に対しても同じなのです。四葉は今まで他の魔法師達と積極的に交流を持つことなく、独自に魔法を追求していった結果、今の地位を築き上げた歴史があります。それもまた、1つのやり方なのでしょう。――ですがその方法には“限界”があると、私は考えています」

「…………」

 口を挟まないということは言葉を続けても良いということ、と都合の良い解釈をして、私は改めてお兄様へと顔を向けて口を開きます。

「そしてお兄様の場合、私以上に外の世界へと出ていくことに意味があると思います。お兄様固有の魔法に限らず、お兄様のその能力は間違いなく外の世界でこそ真価を発揮するものだと思っています。ですがお兄様が外の世界へ行くのを躊躇う理由が私にあるというのなら、私はお兄様の重荷にはなりたくありません」

「ま、待ってくれ、深雪――」

「お兄様、今まで大変お世話になりました。おそらく私が知らない間にも、お兄様は陰で私を守ってくださったのでしょう。それに私が沖縄で死なずにいられたのは、間違いなくお兄様のおかげです。本当に、ありがとうございました。――これからは私のためではなく、自分自身のために生きてください」

「違う、深雪! 俺は、深雪のために生きることこそが――」

「それは本当に、お兄様が心の底から思っていることなのですかっ!」

 お兄様の言葉を遮って、私は柄にもなく大声で怒鳴り散らしてしまいました。はしたないとは分かっていますが、こうでもしないとお兄様は聞いてくれないと思ったのです。そして思惑通り、お兄様はヒュッと息を呑んで口を閉ざしました。

 お兄様がそこまで私を想ってくださるのは、実に嬉しいことです。しかしお兄様が私を守ってくれるのは、それ以外に生きる術が無かったからです。お兄様のその気持ちが本物なのか、それともお兄様の“特殊な体質”と四葉という“特殊な環境”に育ったことによる洗脳なのか、私には判断がつきません。

 結局のところ、私は怖いのです。

 お兄様の未来を潰してまで、お兄様の愛情に甘えてしまうことが。

「私は、お兄様にただ守られているだけなんて嫌です。私だって、お兄様の力になりたい。でも今のままでは、私はどう足掻いてもお兄様の重荷にしかならない。現在の“ガーディアン”と“ミストレス”という関係では、駄目なのです」

「深雪……」

 私はそこで一旦お兄様から視線を外し、今度は叔母様へと顔を向けます。私に視線を向けられた叔母様は、私が次に何を言うのか楽しみにしているかのような、面白がるような微笑みを携えていました。

「お願いします、叔母様。お兄様を、私のガーディアンから外してくださいますか?」

「……通常ガーディアンの任免は、その主に一任されます。あなたが達也さんを担当から外すというのなら、私としては異を唱えるつもりはありませんわ」

「ありがとうございます。それではお兄様と私が厚志さんの所へ住む間、お兄様を四葉家の任務から遠ざけてくださることも約束してくださいますか?」

「ええ、もちろん。私から言い出したことなのですから」

「ありがとうございます。――つまり今のお兄様は私のガーディアンではなく、四葉家から任務を言い渡されるような立場でもない、ただの“司波深夜の息子”ということで宜しいのですね?」

「……成程、そういうことですか」

 叔母様が私の“企み”に気づいたのか、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべます。企みと言っても、おそらく叔母様にとっては子供の遊びに過ぎない、とても拙いものに見えるものでしょう。おそらくその気になれば、幾らでも捻り潰せるようなものでしょう。

 しかし私には、今の叔母様はこれを否定するようなことはない、という確信にも似た自信がありました。根拠は私にも分かりません。ひょっとしたら、精神魔法の使い手が備えている“直感”が働いたのかもしれません。

 

 

「――良いでしょう。そういうことになります」

 

 

 かくして、叔母様はこの部屋にいる全員が聞き取れる大きさの声で、そう言いました。

 その瞬間、部屋のあちこち(主に執事の皆さん)から息を呑むような音が聞こえてきました。青木さんに至っては、明らかに動揺するような素振りさえ見せています。それはそうでしょう。今まで使用人のような扱いを受け、同じ使用人からも冷遇されていたお兄様が、現当主によってその身分を保障されたのですから。

 私は笑いたくなるのを堪えながら、再びお兄様へと向き直りました。お兄様は戸惑っているような、申し訳なく思っているような、そんな複雑な表情を見せていました。

「……良いのですか、深雪お嬢様。自分の妹に助けられるような情けない自分と共に、厚志さんの所へ行くなんて」

「お兄様は情けなくなんてありません。お兄様の立場を考えれば、自分で決められないのが普通なのです。今までお兄様に手を差し伸べることができなかった私の、せめてもの報いだと思ってください。――それと、もう私を“お嬢様”と呼ぶ必要は無いのです。私とお兄様は、もう“ただの兄妹”なんですから」

「……ああ、そうだな」

 そう言ってお兄様は、演技など一切感じられない自然な動きで、フッと顔を綻ばせました。あまりの不意打ちに、私はそんな場面じゃないことは分かっていながらも、顔が紅くなっていくのを止めることができませんでした。

「こほん……。えっと、そろそろ良いかな?」

「ひゅーひゅー、お熱いねぇ」

 そして向かいに座る厚志さんが困り顔で咳払いをし、ミルココさんの2人がニヤニヤと笑いながらからかうことで、ようやく私は我に返りました。先程とは違う理由で顔を真っ赤にした私は、それを誤魔化すように大きく咳払いをして厚志さんに向き直ります。

「えっと……、厚志さん達を放って勝手に話を進めて申し訳ございません。私もお兄様と一緒に、厚志さんのお世話になっても宜しいでしょうか?」

「ああ、私は構わないよ。みんなはどうかな?」

 厚志さんはそう言って後ろを振り返りました。リカルドさんやマッドさんやモカさんが、揃って笑顔で頷きました。断られるとは思っていませんでしたが、自分の我が儘が通ってホッと胸を撫で下ろします。

「それでは、話を纏めましょう」

 そして叔母様が手を叩いて皆を注目させてから、そう話を切り出しました。

「厚志さんの隣の家に、達也さんと深雪さんが2人暮らしをする。あくまで厚志さん達とは偶然隣同士になったと装ってください。その間達也さんは、四葉家からの任務を遂行する義務は無くなります。その代わりこちらからも、四葉としての干渉は極力控えさせていただきます。またそれによって達也さんはガーディアンの任を解かれ、四葉は達也さんを“本来の立場”として扱うことにします。そしてこの状態は、深雪さんと達也さんが四葉家に戻るまで続くこととします。そしてその時期を決めるのは、原則として本人達の意思とする。――こんな感じで宜しいでしょうか?」

 叔母様に問い掛けられた厚志さんはそれに答えず、お兄様と私に対して笑顔を向けました。意図を汲み取った私達は、厚志さんをしっかりと見据えて頷きを返します。

「はい、それではそのように準備を進めましょう。学校の転入手続きとか諸々ありますから、すぐに引っ越すわけにはいきませんが、それで宜しいですよね?」

「はい、構いません」

 厚志さんはそう言うとおもむろに立ち上がり、私達の傍へと歩いてきます。

 そしてその大きな手を、私達へと差し出します。

「宜しく、2人共」

「……宜しくお願いします、厚志さん」

「宜しくお願い致します、厚志さん」

 そしてお兄様と私は、順番にその手を取りました。

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして司波兄妹は、厚志家の隣に引っ越すこととなった。2人は真夜の言葉通り、厚志達とは隣のよしみで付き合うようになった、という体で交流するようになった。

 そしてそれとほぼ同時に、厚志達を巻き込んだ“或る事件”が発生した。それ自体については言及を避けるが、それをきっかけに司波兄妹の存在は天界・魔界の両方で広く知られるようになる。それと同時に達也は自分の実力不足を痛感したらしく、その頃から何度か打診のあった国防陸軍の独立魔装大隊の訓練に参加するようになった。しかし作戦メンバーとして達也を加えるためには、達也の意思、並びに厚志の了承を得なければいけないというルールが隊との間で交わされている。

 そして独立魔装大隊で戦闘力を磨く傍ら、魔工師としての技術も身につけるべきだと判断した達也は、自分の父親をおど……説得して彼が重役を勤めるF・L・T(フォア・リーブス・テクノロジー)に出入りするようになる。その際に達也はハード技術に明るいが社内で冷遇されていた牛山に目をつけ、彼が所属している開発第三課へ研修の名目で配属される。その後の活躍は、すでに知るところだろう。

 こうして達也が(あまり表舞台に立てる形ではないものの)着々と実績を挙げている間、深雪は何もしなかったわけではない。そもそもプリティ☆ベルに選ばれた人間の傍にいるということは、それだけで彼らを巻き込んだ事件に関わることを意味している。しかもそのどれもが、下手しなくても歴史の教科書に載るような大事件ばかりなのだから、達也と共にそれを乗り越えてきた深雪の実力も跳ね上がっていくことは自然の摂理だった。

 こうして、達也が外の世界で名声を獲得する、自分は兄の重荷にならないように実力をつける、という深雪の思惑は達成されることとなった。

 そして兄妹と交流するようになったエリにも、変化が表れた。彼らと付き合うようになったことで現代魔法に興味を持ったエリが、2人に頼んで現代魔法を教えてもらうようになった。そしてエリはそれがきっかけで、自宅から程近い場所にある魔法科高校に通いたいと思うようになった。

 するとそれを狙い澄ましたかのように、その魔法科高校で“飛び級枠”を試験的に導入することが決定。兄妹と一緒に通いたいと思ったエリは、必死に猛勉強して中学卒業資格を得て2人を魔法科高校に誘った。実力的にはわざわざ魔法科高校に通う必要の無い2人ではあったが、エリの要望に応える形で中学卒業後の進路を魔法科高校へと定めることとなった。

 そして2095年4月。晴れて3人は国立魔法大学付属第一高校に入学した。

 エリと深雪は一科生として。達也は二科生として。

 

 

 彼らを巻き込んだ波乱の日常は、まだまだ続く。

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