日本時間、1月15日1時30分。
かつてない疲労を抱えたリーナは、ベッドに潜り込んでぐっすりと眠っていた。
あの後厚志達の家で夕食をごちそうになったリーナだが、結論から言えば何も無かった。厚志やエリ、さらには同居しているミルココやリカルド達も普通にリーナを迎え入れ、日本料理を味わってほしいというモカの気配りによって美味しい和食に舌鼓を打ち、その後にエリやミルココ達と日本のテレビゲームに興じた後、達也によって最寄り駅まで見送ってもらって帰路に着いた。
もしこれが普通の留学生ならば、良い思い出として記憶のアルバムに大切に保管されるであろう時間だったに違いない。しかし生憎普通の留学生ではないリーナにとって、厚志達との時間はまるで生きた心地がしなかった。
いつ彼らが牙を剥いて襲い掛かってくるのか、仮に襲い掛かってきたときにどのような逃走ルートを採るか、といったことを頭の中で考え続けていたために疲労感が半端ではなく、キャビネットに乗った瞬間に思わず座り込んでしまったほどである。おそらくそれは、人知れずバックアップを行っていた彼女の部下達も同じであろう。
なのでせめて今日くらいは、何も考えずにぐっすりと眠っていたかった。
だというのに、同居人のシルヴィアがこんな真夜中に突然叩き起こしてきた。一瞬その手を払い除けようかと思ったリーナだったが、正規の軍人になって3年以上、スターズの総隊長になって1年半が経った彼女の体は、こういう非常事態にすぐさま意識を覚醒するようにできていた。
リーナはベッドから起き上がると、すっかり覚めたクリアな表情でシルヴィアに問い掛ける。
「何事ですか、シルヴィ」
「カノープス少佐から緊急の連絡です」
彼はスターズの中でも屈指の常識人で、日本とアメリカの時差を充分理解している。そんな彼がこんな時間に連絡してきたという事実だけで、リーナの表情が緊迫の色に染まった。
「ベン、お待たせしました。音声のみで失礼します」
『こちらこそ、お休み中に申し訳ございません』
「構いません。何が起こったのですか?」
『先月脱走した者達の行方が分かりました』
カノープス少佐の報告に、リーナの目が大きく見開かれた。
先月に発生したスターズ一等星級、アルフレッド・フォーマルハウト中尉の脱走事件は記憶に新しいが、USNA軍首脳部にも大きな衝撃を与えたその事件は、リーナの手によって本人が“処分”されたことで終わりではなかった。同時に7人もの魔法師や魔工師が脱走し、その中には最下級の
「どこです、それは!」
『それが……、日本です。しかも横浜に上陸後は、東京に潜伏しているものと思われます』
「なぜ日本……、しかもこの東京にですか!」
『統合参謀本部は、追跡者を追加派遣することを決定致しました。日本政府には極秘で、です』
外国領土内での諜報活動と、戦闘行為を伴う脱走者の追跡作戦では、相手国政府に対する心証がまるで異なる。主権に対する重大な挑発行為として国交断絶に発展する恐れすらある決定を下したことに、ペンタゴンがいかにこの一件を重大視しているかリーナは改めて思い知った。
『参謀本部からの指令をお伝えします。アンジー・シリウス少佐に与えられた現任務を優先度第2位とし、脱走者の追跡を最優先せよ、とのことです』
「了解しました、と本部に伝えてください」
『了解です。総隊長、お気をつけて』
その言葉と共に、通信は途切れた。
今夜はもう眠れないな、とリーナは思った。
『――という感じで、今のUSNA軍はてんやわんやの大忙しなんです』
「成程。脱走者ってだけでも大問題なのに、それが日本に逃げ込んだともなれば血の気が引く思いでしょうねぇ」
1月15日の昼下がり、休日ということもあって厚志を除く全員が外に出掛けていた。司波兄妹の2人もそれに付き合っており、現在家には厚志1人だけが残っている。
そして厚志は現在、家の固定電話を使って先程のような会話を交わしていた。
電話の相手は、四葉家当主・四葉真夜。普通の魔法師ならば震え上がるような超大物だが、厚志にとってはお預かりしている子供の叔母、という立ち位置でしかなかった。もちろん、彼女の日本国での政治的立場を理解したうえで、である。
『というわけで、彼らに日本をどうこうしようという意思を感じなかった以上、積極的に彼らの入国を妨げる理由はありません。なので今回は、彼らを見逃すことにしたのです』
「ですが真夜さん、我々の傍でスターズの人間が嗅ぎ回っていることには変わりありません。あなた方としても、達也くんの正体を悟られるのは都合が悪いのでは?」
『あら、私は厚志さん達を信用しているんですよ? その程度のことでどうにかなるほど、あなた方の脇は甘くないですよね?』
「しかし万一のことがあったとき、私達は力を隠すことに躊躇はありません。それでもよろしいのですか?」
『ふふふ、それを含めて“厚志さん達を信用している”と言ったんですよ? あなた方なら、たとえバレたとしても
「買い被りのような気もしますが……」
真夜の言葉に、厚志は苦笑いで答えた。それを感じ取ったのか、電話口からも真夜の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
『そうそう。そういえば、面白いことがあるんですよ』
「面白いこと?」
厚志は今までに何回も真夜と会話をしたことがあるが、彼女は余計な会話をしない性格だ。世間話のように思わせておいて、実際にはそのときの“本題”と繋がっていたりする。
『厚志さん、今朝のニュースはもうご覧になりました?』
「今朝のニュースというと、ひょっとして“吸血鬼事件”のことですか?」
国内で2位の規模を誇るニュースサイトでスクープ記事として配信されて以降、様々な報道機関がこぞってその“都内連続猟奇殺人事件”を報じていた。殊更にオカルト面を強調したセンセーショナルな報道によって、瞬く間に日本中へと広まっていった。
そしてそれが広まるにつれて、日本中で推理合戦が始まった。プロの犯罪組織による犯行説、臓器売買ならぬ血液売買のブローカー説、あるいは本当に
『厚志さんはこの事件、どう読んでいるのですか? 人間界に流れてきた“天使”や“魔族”の犯行とは考えられますか?』
「可能性はあるでしょうね。魔族の生態については本人達もまだまだ把握しきっていないところがありますので、そういう“種族”がいたとしても不思議ではありません。まぁ、決めつけることもできませんが」
『でしょうね。――ちなみにこの事件、アメリカでも起こっているようですよ』
「……アメリカでも?」
『えぇ。場所は中南部のダラスを中心とした地域。ちょうどスターズの脱走者がシリウスによって処刑された場所ですね』
厚志が即座に反応したからか、それに答える真夜の声からほんの少し嬉しさが滲み出ているような気がした。
そして厚志は真夜の言葉を聞きながら、おそらくUSNA軍がひた隠しにしているであろうその情報をどうやって手に入れているのか非常に気になった。
『USNA軍から脱走者が現れて日本に流れ着き、それとほぼ同じタイミングで、アメリカで起こっていた猟奇殺人事件が日本でも起こるようになった。――これを偶然として片づけるには、少々出来過ぎている気がしませんか?』
「その脱走者が、この事件の犯人ということですか?」
『さぁ、そこまでは。もしかしたら本当に偶然ということもありますし、情報の少ない今は様々な可能性を考慮するべきでしょう。――しかし私としましては、遠く離れた場所で暮らす甥や姪が
「…………」
白々しい、と厚志は思った。おそらく真夜自身も、厚志がそう感じるであろうことを分かったうえで発言したのだろう。彼女は厚志と会話をするとき、このような“腹の探り合い”を楽しんでやっているような節がある。
『私が知っているのはここまでです。――参考になりましたか?』
「はい、とっても。ありがとうございます」
『いえいえ、他ならぬ厚志さんからのお願いですから。達也さんたちにも伝えてあげてください。――あ、そうそう』
何かを思い出したように声をあげた真夜だが、先程よりも少しだけトーンが低いように思える。
『もし七草家の長女が何か尋ねてきたとしても、今のことは絶対に教えないでくださいね』
「真由美ちゃん、ですか? なんでまた……」
『私にも色々あるということです、よろしくお願いしますね。それでは』
その言葉を最後に、真夜は電話を切った。電話口の向こうから、プープー、と気の抜けた電子音が聞こえてくる。
「ふむ……、どうしようか……」
受話器を置いて、厚志は独りごちた。
誰もいないので、当然返事は無かった。
* * *
次の日、月曜日。
まだ授業が行われている時間だが、3年生は既に自由登校となっている。まだ下級生が教室や実習室に拘束されているのを尻目に、3年生の男女2人が誰もいない部室でこっそりと顔を合わせていた。
しかしながら、そのシチュエーションを聞いて当然のように想像される甘い雰囲気は、この2人の間には皆無だった。いくらこの2人――七草真由美と十文字克人がそれぞれの親からいずれ結婚相手にと考えられているとはいえ、本人達には関係の無いことだった。
「なんで私達がわざわざこんな所で、とは思うけどね」
「すまない、人目につかない場所が良いと判断した。今四葉を刺激することは、十文字家としても避けたい」
「ウチと四葉家が冷戦状態なものだから……。まったく、あの狸親父は余計なことを……」
「七草でも、そういう言い方をするんだな」
「あら、はしたなかったかしら? オホホホホ」
芝居っ気たっぷりにしなを作る真由美に、克人が僅かに苦笑を浮かべた。
「おまえの相手をしていると、男扱いされてないように感じるときが時々あるぞ」
「あら、そんなことないわよ? 十文字くんは私の知ってる限りでも、ピカイチに男らしいわ。入試のときから3年間ずっとライバルだったから、今更そういうことを意識できないだけ」
真由美はそう言って一頻り笑うと、途端にその表情を真剣なものに変えた。とはいえ、笑っている間もその雰囲気にはどことなく重苦しいものがあったので、“スイッチを切り替えた”というほどではなかったが。
「七草家当主・七草弘一からのメッセージをお伝えします。――七草家は、十文字家との共闘を望みます」
「穏やかではないな。“協調”ではなく“共闘”とは」
克人が目線で続きを促すと、真由美はそれを感じ取って口を開いた。
「“吸血鬼事件”について、どの程度知ってる?」
「報道されている以上のことは知らん。当家は手駒が多くないのでな」
「十文字家のモットーは“一騎当千”だものね。無駄に数だけ多い七草家で分かってる限りでは、吸血鬼事件の犠牲者は報道されている数の3倍、昨日の時点で24人の犠牲者が確認されているわ」
さすがの克人もその新事実には驚きを隠せなかったようで、僅かに目を見開いた。
「……東京近辺のみで、か?」
「正確には、都心部のみで、よ」
「警察が把握していない被害者を、七草家が把握している。しかも被害が発生しているのは、限られた狭い区域内……。もしや被害に遭っているのは、七草の関係者か?」
「半分正解。警察が把握していない被害者は、全員ウチと協力関係にある魔法師よ。それ以外の被害者も、魔法師あるいは魔法の資質を持っていた人だと判明している。魔法大学の学生とかね」
「……つまり犯人は、魔法師を狙っているということか……!」
その瞬間、克人の表情に凄みが増した。普段から高校生とは思えない威圧感を放っている彼がそんなことをするものだから、至近距離でそれを見ていた真由美が表情を引き攣らせて僅かに後ずさった。
「……十文字くん、ちょっと怖いんだけど」
「むっ、すまん」
「……犯人が単独か複数かは分からないけど、少なくとも魔法師を狙っていることは確かよ。時系列的には魔法大学の学生や職員が最初に被害に遭って、それを調査していた七草の関係者が返り討ちに遭って、そして被害はなおも拡大しているって感じなんだけど」
「何か手掛かりは無いのか? 七草の魔法師を害するほどの実力とすると、
克人の質問に、真由美は残念そうに首を横に振った。さすがにそれくらいのことは思いついていたのだろう。
「その時期に入国してきた外国人といえば、USNAから来た魔法師の留学生や魔法技術者かしら。当校にも1人、留学生がいるわね。――彼女、どう思う?」
「怪しいとは思うが、犯人とは思えない。むしろその犯人を追っている、と考えるのが自然だ」
「だとしたら……、犯人が“天使”や“魔族”という線は考えられないかしら?」
真由美がその考えを口にするのに躊躇っているような雰囲気があったのは、おそらく彼女の頭にミルココやモカ達のことが浮かんでいたからだろう。彼女達自身を疑っているわけではないが、彼女達と同じ種族を疑うというだけで申し訳なくなってくるのかもしれない。
「それこそ分からない。彼女達を見ていると“何でもあり”のように思えるが、そういった者達が関わっていることを示す根拠が無ければどうしようもない。――だからこそ、そういった者達に最も関わりのある四葉と協力すべきだと思うのだが」
「本当は私もそう思うんだけど……。
「今回の件で協力を仰ぐのは難しい、か……。弘一殿と真夜殿との“確執”を考えれば分からなくもないが、四葉がここまで態度を硬化させるのも珍しい」
四葉は取り憑かれたように自らの性能アップのみに邁進し、“他の家が何をしていようが知ったことではない”というスタンスを取ってきた。他の家が多かれ少なかれ政治的な駆け引きを加味したうえで十師族に残っているのに対し、ただその実力のみで十師族の座を守り続けているというのは、十師族の中においてもひたすら異端である。
だからこそこうして、明確な対立姿勢というものを四葉が取ってきたことは無かったはずだ。
「……いったい何をしたのか、訊いても良いか?」
「私も詳しくは知らないんだけど、四葉の息が掛かっている国防軍情報部の某セクションに、あの狸親父がこっそり割り込みを掛けたみたいで……」
本当に余計なことをしてくれやがって、とでも言いたげに真由美の表情が険しくなっていった。少なくない時間を掛けて平静を取り戻した彼女は、改めて克人へと向き直って口を開いた。
「それで、如何でしょう。十文字家は、七草家と共闘していただけませんか?」
「協力しよう。十文字としても、この事態は放置しておけないからな」
相変わらず即断での頼もしい言葉に、真由美は感心したように何度も頷いていた。
頭の中で誰と比べていたのかは、あえて追及しないでおこう。
* * *
十師族の直系2人の会話の中にほんの少しでも話題に挙がっていた留学生・リーナは、学校へ行かずにUSNA大使館を訪れていた。通信回線越しに話すことができない重要案件についてミーティングを行うためである。
「つまりフレディ……いえ、フォーマルハウト中尉の大脳皮質には、普通の人間にけっして見られないニューロン構造が形成されていた、ということですか?」
「“普通の人間”では語弊があるかもしれません。“魔法師を含めたこれまでの人間”としましょう」
リーナの質問に答えたのは、白衣こそ着ていないものの科学者然とした外見の男だった。
「解剖の結果、フォーマルハウト中尉の大脳には、これまで観察例の無かったニューロン構造が発見されました。具体的には、前頭前皮質に小規模の
曖昧な表情を浮かべる参加者(リーナもその1人だ)が多いことを受け、その男が大学の講義のように説明を始めた。
人間の大脳は大きく2つに分かれており、“右脳”と“左脳”と名付けられている。もちろんこの2つは完全に分離しているわけではなく、それぞれの中心部を架け橋のように繋ぐ組織が存在する。これが“脳梁”である。
つまり、普通の人間の大脳は中心部にしか左右を繋ぐ組織が無く、表面部分である前頭前皮質に脳梁があるはずがない。
「そこに脳梁があったとして、どのような機能を果たすと考えられるんだ? 前頭前皮質というと、思考力や判断力と密接な関係のある部位だと聞いたことがある。そこに新たな脳細胞が形成されるということは、思考力に影響があるということか?」
向かい側に座っていた高級武官からの質問に、科学者は愛想笑いを浮かべて首を横に振った。
「我々USNAの魔法研究者の間では、大脳は独立した思考器官ではなく、真の思考主体であるプシオン情報体――いわゆる“精神”からの情報を肉体に、肉体からの情報を精神に送信する通信器官である、という仮説が支持されています。この仮説に従うならば、フォーマルハウト中尉の大脳に形成された新たなニューロン構造は、従来ダウンロードされることのなかった未知の精神構造とリンクするものである、と考えられます」
仮説に基づく理論というのは、どうにも抽象的で雲を掴むような話になりがちだ。参加者の顔にまたしても途方に暮れる表情が浮かぶ中、考え込んでいたリーナが発言を求めて手を挙げた。
「少佐、何か?」
科学者に発言を促されても、リーナはなかなか言葉を発しない。そんな状況ではないと分かっていながらも目を惹かれずにはおけない彼女の唇が動いたのは、それから3秒ほど経ってからのことだった。
「ドクター、その未知の精神機能が、外部から意識に干渉する未知の魔法という可能性はありますか?」
「フォーマルハウト中尉が何者かに操られていた、という可能性を指しているのだとしたら、残念ながらその可能性はありません。仮説ではありますが、肉体と精神は1対1で対応するものと考えて間違いありません。他者の精神に介入できたとしても、それが大脳の組織構造にまで影響することは無いでしょう」
間髪入れぬ科学者の返答に、リーナは目に見えて落ち込んだ。
それを気の毒に思ったのか、その科学者は即座に言葉を続けた。
「もっとも、他者の精神構造そのものを作り替えるような強力な魔法ならば、それも可能かもしれませんが」
「精神構造、そのものを……」
そのフレーズから、リーナは1人の魔法師を思い浮かべた。
今から30年ほど前、当時十代だったその少女が引き起こした数々の所業は、当時の魔法師や各国有力者を恐怖に震え上がらせた。精神構造そのものを作り替え、小国ならばたった1人で落とすことも可能な彼女は、スターズにおいても“伝説”として語られている。
しかし彼女は、20歳を超えた辺りで表舞台から突如姿を消し、それ以降の消息については何も明かされていない。死亡したとの情報は流れていないのでまだ生きているのかもしれないし、もしかしたら結婚して子供もいるのかもしれない。
――もし“彼女”が犯人だとしたら、そのときは……。
その伝説の魔法師“四葉深夜”の名前を思い浮かべながら、リーナは1人覚悟を決めた。
「……あら? ひょっとして、眠っていたのかしら?」
「はい、深夜様。それはもう、ぐっすりと」
外の冷気を内部に一切伝えることなく、太陽の光によって発生する熱を蓄えるサンルームは、冬場でも心地良い暖かさに包まれている。そのような場所で読書をすれば、穏やかな陽気によって眠気を誘われること請け合いだろう。
事実、自然の光を照明と暖房代わりにして読書をしていた四葉深夜(つい数年前までは司波深夜だったが、離婚した現在では四葉姓に戻っている)は、いつの間にか夢の世界へと旅立っていた意識を現実世界へ引き戻し、隣で紅茶の用意をしていた桜井穂波が微笑んで彼女を出迎えた。
深夜は両腕を挙げて大きく伸びをすると、ふわぁ、と大きなあくびをした。かつて世界中を震え上がらせた“精神構造干渉魔法”の世界唯一の使い手だとはとても思えない、彼女のガーディアンである桜井ですらほのぼのとしてしまう姿である。
「……ここはいつも平和ね。東京とは大違い」
「達也くんたちは、大丈夫なんでしょうか?」
2人の頭の中には、現在東京にて極秘任務中のスターズ、そして彼らの来日とほぼ時期を同じくして発生した“吸血鬼事件”が思い浮かんでいた。
「桜井さんは、今回の事件の犯人をどう見るかしら?」
その口振りは事件が発覚してから推理遊びをして楽しむ様々な人間達のようだったが、その目つきだけは獲物を探す肉食獣のようにギラリと鈍く光っている。
「そうですね……。外傷も無しに血液が抜き取られているなんて真似、普通の人間にできるなんて思えません。ひょっとしたら、本当に“吸血鬼”の仕業かもしれません……。“天使”や“魔族”の方達なら、そのような種族がいても不思議ではありませんし……」
「そうね。
「……ということは、深夜様はそうお考えではないと?」
「考えてないわけではないわよ。“別の可能性”があるというだけで」
「別の可能性?」
桜井が首をかしげると、深夜はその不敵な視線を彼女へと向けて口を開いた。
「例えば……、ターゲットを
「……中から、ですか?」
「ええ。操られていたと考えればUSNA軍の兵士達が突然脱走した理由も説明できるし、外的要因でないから外傷が無いことにも説明がつく。そうね……、血液の一部が無くなっているのは“相手の精神を乗っ取るための材料”なんて考えられるわね」
「……そのような魔法、有り得るのでしょうか?」
「どんな魔法も、有り得ないなんてことはないわ。そもそも魔法は属人的なところがあるし、今まで考えられなかった魔法が開発されてもおかしくないわ。――それに、私だってできるわよ」
その言葉に、桜井はハッとなった。自分が仕えているこの女性は、精神構造そのものを作り替える強力な魔法の使い手だ。既に表舞台を退いて久しい彼女だが、その実力は未だ衰えておらず、実の息子の無意識領域に人工の魔法演算領域を構築するほどである。
「それにしても、もしその精神魔法にターゲットの血液が必要不可欠なんだとしたら、その魔法師は“未熟”と言わざるを得ないわね……。私だったら、血液すら必要としないでターゲットを完璧に操ってみせるわよ」
深夜はそう言って笑みを浮かべると「さて、どこまで読んだかしらね……」と途中になっていた本をパラパラと捲り始めた。
それを横で眺めながら、桜井は背筋が寒くなるのを抑えることができなかった。