魔法科高校に鐘が鳴る   作:ゆうと00

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第85話 『念ずれば通ず』

 2月14日。言わずと知れた“ふんどしの日”であり、“煮干しの日”でもある。また期間で言えば“血栓予防月間”の最中でもあるし、“建設産業の労働時間短縮推進キャンペーン”という非常に重要な取り組みを行っている最中でもある。

 あと、ついでに付け足すならば“バレンタインデー”でもある。

「先生にとっては異教の風習かと思いますが、ぜひお受け取りください。先生には兄がいつもお世話になっておりますので」

 そんな2月14日の早朝。達也と深雪の姿は、八雲の寺にあった。達也は日常的に行っている鍛錬のためであるが、深雪の場合は昨日の内に作ったチョコを八雲に渡すためである。

「いやいや、異教の風習であろうとも、良い物はどんどん取り入れていかなければ」

 そして八雲は“にんまり”といった笑顔を浮かべながら、深雪からのチョコを受け取った。ちなみに深雪が彼にチョコを渡したのはこれで3回目であり、八雲がこの台詞を言ったのも同じく3回目である。

 そしてそれに気づいたのは、深雪の隣で見ていた達也だけでなく、遠巻きにそれを眺めていた八雲の弟子達もだった。

「師匠、皆が見ていますよ」

「良いんじゃないかな? 修行の励みにもなるし」

「色欲は戒律に触れるのでは?」

「肉欲に結びつかなければ構わないんだよ」

 口では飄々とした感じで受け答えているが、顔は相変わらずだらしなくにやけたままだった。処置無しだな、と達也が軽く肩を竦めるのを、八雲の弟子達が無言で同意した。

 そんな遣り取りを交わしている最中に、深雪は本堂の縁側に置いた鞄の脇にある紙袋を取りに行き、元の場所へと戻ってきていた。

「それと先生、こちらはエリ達の分です。お受け取りください」

 深雪の言う“エリ達”とは、エリとミルココ、そしてモカのことである。朝早いということもあって彼女達の分は纏めて贈られるのが通例であり、

「これはこれは。こんなにチョコレートを貰えるなんて、きっと日頃の行いが良いからだね」

 八雲がしれっとした態度でそんなことを言うのも、また通例だった。そんな彼の姿に、弟子は表情に出さずに呆れ果てていた。

「皆さんの分もありますので、ぜひどうぞ」

 しかし深雪のこの一言によって、結局彼らも八雲と同じように喜びを顕わにしていた。男という生き物が如何に単純であるかを痛感する瞬間である。

「まったく、彼らにも困ったものだね」

 浮かれた様子で深雪からチョコを受け取る弟子達を眺めていた八雲の言葉に、おまえが言うな、という想いを隠すこともない達也の視線が降り注ぐ。

 そしてそれを知りながら、八雲は達也を完全無視した。

 

 

 *         *         *

 

 

 時刻表に則って運行する多人数輸送型電車から、時間を気にせずに乗れる小型電車(キャビネット)に転換してから久しい。様々な点で便利になったキャビネットだが、“到着駅で待ち合わせをする”という点では少し不便になった。渋滞の概念が無いために到着時刻が大幅に遅れることは無いが、レール内での法定速度が無いために予定より早く到着することは充分に有り得るからである。

 なので最初の頃は駅で合流してから学校へ向かっていた達也たちも、今ではすっかり教室で顔を合わせるようになっていた。

「よっ、達也」

 1年E組の教室に足を踏み入れて自分の席へと歩いていた達也は、その近くに見知った顔――しかしここ最近は学校で見なかった顔に気づいて、軽く顔を挙げながら彼に近づいていった。

「よう、レオ。昨日退院したばかりだっていうのに、随分と元気じゃないか」

「体自体はとっくに元通りだったからな。医者がなかなか退院させてくれなかっただけで」

 吸血鬼に襲われて昨日まで入院していたレオは、あっけらかんと笑いながらそう言った。とはいえ当初の診断では回復までにあと1ヶ月は掛かるはずであり、その常識外れな回復力に医者が懐疑的になるもの無理はない。

 しかし体に異常は見られないし、何より本人が退院を希望している以上、いつまでも病院に留めておくことはできないため、今日から復帰の運びとなったのである。

「おはよう、2人共。レオもすっかり元通りだね」

「おはよう。レオくんは今日から登校なんだね。元気になって良かったです」

 レオと達也がお喋りをしていると、幹比古と美月が揃って教室に入ってきた。“揃って”という辺りで邪推したくなる欲求に駆られるが、達也はともかくレオも()()()()そのような野次馬根性を発揮することはないため、この場ではそれを追及することはなかった。

「あっ、そうだ。3人に渡したい物があるんです」

 と、そのとき、美月がそう言って鞄の中に手を突っ込んだのもあった。そして掌に収まるほどの小箱を取り出すと、それを3人に手渡した。勿体ぶった様子も緊張した様子もない彼女の態度は、年中行事だと割り切っていることを表している。

「ありがとう」

「サンキュー」

「……ありがとう」

 約1名若干の不満顔を浮かべた者がいたが、本人はポーカーフェイスを保っているつもりらしいので、2人はそれを指摘することはなかった。武士の情けというヤツだ。

 ちなみにレオは、美月から貰った小箱を珍しそうに眺めていた。どうやら身内以外からチョコを貰ったのが初めてらしく、傍目には割と整った容姿である彼にしては意外だと2人は思った。

 しかし2人がそれを口にするよりも前に、レオに対して横から口を挟む者がいた。

「あらレオ、チョコを貰って良かったわね。頑張って早く退院した甲斐があったじゃない」

「何だとエリカ!」

 教室に入ってきたばかりのエリカに、レオは椅子を蹴る勢いで立ち上がって反論してきた。そんな過剰な反応をすれば図星なのを誤魔化しているようにしか見えず、案の定エリカにそれを指摘されていた。レオは「ぐぬぬ……」と悔しそうに歯噛みしながら腰を下ろした。

「今日は遅かったんだな、エリカ」

 代わりに達也がそう声を掛けると、エリカはうんざりといった感じに溜息を吐いて席に着いた。その表情には、まだ朝だというのに疲れが見え隠れしている。

「さっそく作ったチョコをお弟子さんに渡してきたのか?」

「まぁね。昨日はとにかく大量生産で大変だったのよ。工場に置いてある機械の気分だったわ。――それに今朝は今朝で、手作りのチョコは初めてだとか言って大騒ぎしちゃってさ」

「それでも喜んでくれたんだから、良かったんじゃないの?」

「喜び方が問題なのよ。何か『自分に気があるんじゃないか』とか言ってくる馬鹿も出てきたし。まぁ、そういう馬鹿は念入りに叩き潰してやったから良いけどね」

 ニカッと眩しい笑顔で物騒なことを口にするエリカに、レオと幹比古と美月は若干引いたように苦笑いを浮かべ、達也は常の無表情で小さく頷いていた。

 1人だけ周りと違う反応をすると、エリカの目にはとても目立って映る。なのでエリカは彼に狙いを定め、ニヤリと笑みを浮かべた。

「んで、達也くんはどれくらいチョコを貰ったのかなぁ?」

 エリカの質問は他の3人も気になったのか、一斉に彼へと視線を向けて耳を傾ける。そんな彼女達の行動に、達也は呆れ果てるように大きな溜息を吐いた。

「おまえ達は、俺に何を期待しているんだ……?」

「いやぁ、達也くんって本人の知らない内に、フラグをバンバン立てるようなイメージあるから」

「どんなイメージだ……。とりあえずエリとミルココとモカ、それとさっき美月から貰ったが、別にそれは普通のことだろ?」

「いやいや、もしかしたら放課後辺りに色んな人からチョコを貰うかもしれないよ? ――というか、深雪ってまだチョコ渡してないの? 深雪なんか真っ先に渡してそうなイメージだけど……」

「さぁな、その辺りについては俺も分からん。――そうだ。エリ達がレオと幹比古にもチョコを用意しているらしい。『放課後に渡すから楽しみにしててね!』と言ってたぞ」

「おおっ、まじか。やったな、今年はチョコ沢山貰えそうだぜ!」

 素直に気持ちを表すレオに対し、エリカは「やっぱチョコが目当てじゃん」と呟いた。

 反応しなかったことから本人には聞こえなかったようだが、たまたま聞こえた達也はそれを否定することができなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 学校生活においてチョコを渡すタイミングを考えると、登校してから1時限目の授業が始まるまでか、全ての授業が終わった放課後に限られるだろう。昼休みという時間帯も考えられないでもないが、昼食に次の授業の準備と意外にやることが多い昼休みでは、色々と時間が限られて余韻に浸る暇も無い。

 なので授業中は静まりかけていた浮ついた空気も、放課後となったことで一気に噴出した。

 例えば風紀委員長の千代田花音は、重箱ほどの大きさの入れ物いっぱいに詰め込んだ粒チョコレートを持って生徒会室に押し掛け、許嫁である五十里啓にその場で食べるように笑顔で圧力を掛けていた。料理の腕自体は良いし、啓も彼女に好意を持っているので、結果的にはバカップルの空気が部屋中に充満していたが。

 また別の場所では、普段なかなか入りづらい一科生の教室に押し掛けた二科生の女子生徒(剣道が得意)が、リボンの掛かった赤い箱を男子生徒(剣術が得意)に押しつけていた。ちなみに男子生徒は今にも小躍りしそうな自分の体を理性で抑えつけながら、いかにも自分は冷静ですといった感じに受け取っていた。

 そしてその浮ついた空気は、一科生の中でも成績優秀な生徒達が集められた1年A組の教室にも浸食していた。

「エリちゃん、それがみんなから預かったチョコ?」

「うん! 今から教室を回って配るつもり!」

 そう言ってエリが鞄から取り出したのは、百貨店で買い物をしたときに貰う紙袋だった。そこには可愛くラッピングされた小箱がぎっしりと詰まっており、ミルココ達の分も預かっているからとはいえ、あまりの数にほのかが驚きで目を丸くした。

「そっか、大変だね。私も手伝おうか?」

「ううん、大丈夫だよ。直接手渡すのだって、楽しみの1つだからね! ――それにほのかさんは、()()()()()をした方が良いんじゃない?」

「……そうだね。それじゃエリちゃん、頑張ってね」

 激励の言葉を残して教室を後にするほのかを、エリは満面の笑みで大きく手を振って見送った。

 そして彼女の姿が見えなくなった頃、エリは振っていた手を紙袋に突っ込んで小箱の1つを取り出すと、それを持ったまま教室の端の方へと歩いて行った。

 そして、

「はい、バレンタインチョコ」

「――――えっ?」

 その小箱を、今まさに荷物を纏めて教室を後にしようとしていた森崎へと差し出した。まったく予期していなかった出来事に、当の森崎は間抜けな表情を晒したまま、その視線をエリと小箱の間で行ったり来たりさせている。

「……えっと、エリちゃん。僕にチョコをくれるのか?」

「うん。森崎さんには、色々とお世話になったし」

「いや、むしろ世話になったのは僕の方――いや、分かった。有難く受け取らせてもらうよ。ホワイトデーは期待していてね」

 最初は戸惑っていた様子の森崎だったが、やがて落ち着いた表情になってエリのチョコを受け取った。チョコが彼の手に収まったのを見て、エリはにっこりと笑顔を浮かべる。

「それじゃ、森崎さん。じゃあね!」

 そしてエリはその笑顔のまま、右手にいつもの鞄を、左手に中身の詰まった紙袋を持って教室を後にした。

 森崎は彼女の背中を見えなくなるまで見つめ、そして自分の手に握られている可愛くラッピングされた小箱へと視線を移した。自然と、彼の口元が緩くなる。

「――ロリコン」

「ちょっ……! 誰だ今言ったのは! 出てこい!」

 そして教室のどこかから聞こえてきた言葉に、顔を真っ赤にして反応していた。

 

 

 

「あ」

 用事があるらしい先輩方の代わりに(体よく押しつけられたともいう)風紀委員の巡回当番を引き受けていた達也の目の前に現れたのは、彼にとって因縁浅からぬ関係でありながらここ最近はめっきり顔を合わせなくなった姉妹――平河小春と平河千秋だった。

 小春の方は愛想良く笑って頭を下げたが、千秋の方は「げっ」とでも言いそうなほどに顔をしかめて達也から視線を逸らした。しかしながら、彼女の頬はほんのりと紅く染まっている。

「何だか久し振りだね、達也くん」

「そうですね。やはり学年が違うと、そうそう顔を合わせなくなりますね」

 小春が達也に近づいていくと、千秋も彼女の背中にぴったりと寄り添って歩いてきた。気まずそうな表情を浮かべてはいるものの、できるだけ達也に近づきたくないという訳でもなさそうだ。

「10月の論文コンペのときには色々お世話になったし、迷惑も掛けちゃったね。そのお詫びって訳じゃないけど……。――はい、どうぞ」

 前置きの時点で何となく予想はついたが、小春が鞄から取り出したのは予想通りチョコだった。おそらくデパートか何かで買ったのであろうチョコの詰め合わせを、達也は「ありがとうございます」とシンプルな言葉と共に受け取った。

 すると小春は突然クルリと体を回転させ、自分の後ろに隠れる千秋と入れ替わるようにして、彼女を達也の方へと押し出した。

「ちょっ! お姉ちゃん!」

「はいはい。良いから良いから」

 慌てたように小春の手から逃れようとする千秋だったが、それでも小春はグイグイと強引に彼女をその場に押し留まらせた。しばらくは(文字通りの)押し問答が続いたが、やがて諦めたのか千秋が大きな溜息を吐いて動きを止めた。

 その代わりに、自分の鞄から小箱を取り出した。ラッピング自体は可愛らしいものだが、所々皺が出来ていたりと詰めが甘い印象がある。そのことが、外側も中身も手作りであることを匂わせていた。

「……まぁ、アンタには色々と世話になったし、確かに迷惑……どころじゃないこともしたと思うし……。だから……、はい」

 真っ赤になった顔で達也を睨みつけながら差し出されたそれを、達也は「ありがとう」と小春のときよりもタメ口の分だけ短い返事で受け取った。別に笑顔の1つでも浮かべた方が良いのだろうか、と達也は真顔のままそんなことを考える。

「……じゃ! そういうことだから!」

 しかし達也が脳内で結論を出す前に、千秋が捨て台詞のようにそう言い残して走り去っていった。小春は妹の姿に苦笑いを浮かべ、達也に軽く手を振って彼女の後を追い掛けていった。

 どういうリアクションをしたものか、と達也が2人の背中を見送っていると、

「おやおや、図らずも青春の1ページに遭遇してしまったようだね」

 そんな気障(きざ)ったらしい台詞を口にしたのは、まさしくどこぞの歌劇団にでもいそうな美少年然とした少女――里美スバルだった。そして彼女の後ろには、ルビーのような鮮やかな髪が目にも眩しい少女――明智英美もいる。

「どうしたんだ、2人共」

「どうした、とはね。この日にわざわざ声を掛ける用事なんて、1つしかないだろう?」

 スバルはそう言って、手に提げた布バッグを軽く掲げた。その中には、色取り取りの包装紙に包まれた小箱が幾つも入っている。

「今日は随分と芝居がかってるな、里美」

「さすがのボクでも、素面(しらふ)では些か恥ずかしいんだよ。――九校戦1年女子チームからのお礼だ、受け取ってくれると嬉しい」

「あっ! とはいっても、深雪とほのかの分は入ってないけどね。2人は直接渡すだろうし。――その代わり、雫の分は入ってるから、後でちゃんとお礼を言ってあげてね」

 英美の言葉に達也が頷いて答えると、2人は「それじゃ、ボク達はこれで」と言い残してその場を去っていった。先程の千秋ほどではないにしても若干早足だったのは、やはり恥ずかしかったからだろうか。

「それにしても……」

 そう呟いて、達也は手元に視線を下ろした。昨年は妹とエリ達からしか貰えなかった自分が、まさかここまでの量を貰うことになろうとは。この1年で急激に広がった交友に、達也は今更ながらに感嘆を禁じ得なかった。

 とりあえず巡回を続けるか、と達也は1歩足を踏み出し――

 

 

「――あら、達也くん」

 

 

「――――!」

 穏やかな声が背後で聞こえた瞬間、達也はなぜか背筋に寒気が走った。戦闘中でも余程のことが無い限り起らないような現象に、達也はギギギと金属が軋んでいるようなゆっくりとした動きで後ろを振り返った。

 そこにいたのは、もしそれを向けられれば惚れない男はいないであろう素晴らしい笑顔を浮かべた真由美だった。しかし幼少期から実戦的な訓練を重ねてきた達也の本能が、今の彼女に近づくことに対して警鐘を鳴らしている。

「こんな日にまで風紀委員の仕事なんて、感心ね」

 しかし真由美はそんな達也の心情を知っているかのように、スッと彼の傍まで歩み寄った。もはや自然な動きで彼女から離れることは叶わなくなった。

 そして彼女が近づくのと同時に、大量のエスプレッソを床にぶちまけたかのように強烈なコーヒー臭が漂ってきた。身だしなみに人一倍気遣う彼女がそれに気づかないはずが無く、現に彼女の笑顔はどこか仮面を貼りつけたかのように不自然だった。

「そうだ、達也くんに渡したい物があるのよ。――はい、これ」

 綺麗にラッピングされた片手サイズの紙袋は、今日だけで何回も見たものだった。それを女子の手から渡されたとなれば、そこに何が入っているのかは実際に見なくても明らかだ。

 明らか、のはずだ。

「…………、これは?」

「いやねぇ、達也くん。決まってるでしょ?」

 いや、決まっていない。鞄の中から出した途端に鼻を刺すようなコーヒー臭のする物体を“チョコレート”だとは認めない。

 正直にそう言ってしまおうかと思ったが、真由美の笑顔の圧力に屈した達也はそれを受け取るしかなかった。板チョコの5倍はあろうかというズッシリとした重量感に、いったいどこで彼女の恨みを買ったのだろう、と達也は今までの出来事を思い返してみた。結構あった。

「ねぇ、食べてみてくれる?」

 来たか、と達也は思った。なぜかは知らないが、おそらく彼女はチョコを食べたときのリアクションが見たいのだろう。もしかしたら受験勉強のしすぎで幼児退行しているのかもしれない、と思いながら達也は丁寧に包装紙を剥がした。チョコというより、もはや“真っ黒の物体”だった。

 そういえばチョコレートは元々薬として使われてきたんだったな、と達也はチョコの歴史に想いを馳せながらそれを一口食べた。

 その結果は、真由美が満足げに微笑んだ、とだけ記しておく。

 

 

 

「…………」

 カフェテリアの片隅にある、簡単なパーティションで区切られただけの簡易なミーティングスペースが並んでいるエリア。

 そのテーブルの1つで、元生徒会副会長の服部が力尽きたように突っ伏していた。

「……どうした、服部?」

 しかし頭上から掛けられた、聞く者の耳に強く残る低音の声に、服部はほとんど反射的に体を起こしてそちらへと顔を向けた。

「じゅ、十文字先輩?」

 そこにいたのは、間違いなく十文字克人だった。しかし服部の声が疑問形になってしまったのは、あまりにも彼に似つかわしくない可愛らしいラッピングの施された袋が、彼の右手に提げられていたからだった。

「……先輩、女子生徒からのバレンタインですか?」

「ああ、美咲エリから貰った」

「――――えぇっ!」

 十文字がチョコを貰うこと自体は想定内だったが、その相手が完全に予想外だった服部は思わず大声をあげてしまった。周りの生徒達が一斉に彼らの方を向き、服部は気まずそうに体を縮こまらせた。

 しかし克人は周りには一切頓着せず、テーブルの上に置かれた食べかけの手作りチョコに目を向けていた。

「服部も、チョコを貰ったのか?」

「……えぇ、七草先輩から」

 おおよそ女子からチョコを貰ったとは思えない、苦虫を噛み潰したような服部の表情に、

「……成程」

 克人はそれだけで、大体の事情を読み取った。

 普段からほとんど感情を表に出すタイプではない彼だが、そのときの目は同情的だったという。

 

 

 *         *         *

 

 

 口から胃袋にかけて苦い塊がへばりついているような感覚に襲われながら、達也は深雪と共に自宅へと帰った。玄関を潜った途端、深雪にチョコを奪い取られたが、思ったよりも冷静な対応だったな、と達也はむしろホッとしていた。

 妹の手によってチョコが冷蔵庫に放り込まれるのを眺めながら、『そういえば今日は厚志家で夕食を摂らないのか?』と秘かに疑問を感じていたそのとき、

「お兄様、すぐに夕食の準備に取り掛かりますので、しばらく部屋でお待ちください」

 深雪がクルリと振り返って、不自然なまでの笑顔で達也にそう言い放った。意訳すれば『呼ばれるまで見に来るな』という彼女の言葉に、達也は去年までと違う展開に一抹の不安を覚えながらも大人しく自室に籠もっていた。

 そして約1時間後、深雪に呼ばれてダイニングに下りた達也は、

「……成程、こう来たか」

 目の前に広がる光景に、達也は思わず呟いていた。

 ダイニングに充満する甘い匂いは、真由美作のチョコもどきとは訳が違う正真正銘のチョコレートだった。その匂いを発生させている数々の“料理”を前に、深雪は(今度は自然な)笑顔で達也を出迎えた。

 メインの肉料理は、牛フィレ肉のチョコレートソースがけ。

 付け合わせは、ナッツぎっしりクッキーのチョコレートフォンデュ。

 デザートはフルーツの、ブランデーを加えたホワイトチョコレートフォンデュ。

 誇張抜きのチョコ尽くめな料理は、一緒に住んでいる深雪にしか用意できないバレンタインチョコレートと言えるだろう。

 しかし達也の戸惑いはチョコ料理そのものよりも、それを用意した()()()()にあった。

「……深雪。その衣装はどこで手に入れたのかな?」

「衣装ですか? これは単なる給仕用ですが……。似合っておりませんか……?」

 深雪の衣装はパフスリーブのブラウスに、胸元が編み上げになったジャンパースカート、フリルたっぷりのエプロンという、所謂チロリアンドレス・スタイルであり、ある種の趣味人が集うレストランでよく見られるものだった。

 しかし“絶世の美少女”という呼称がまったく誇張にならない深雪がそれを着ると、まるで完成された芸術品であるかのような、それこそ二次元の存在がそのまま具現化したかのような錯覚すら引き起こすほどの完成度だった。

「いや、似合っているよ。とても可愛い」

 ただでさえそんな彼女に対して、ましてや達也にとっては“特別な存在”である彼女に『似合ってない』などと言えるはずもなく(そもそも“似合ってない”などと考えるはずもなく)、達也は戸惑いを彼方に追いやってそう答えた。

「本当ですか! ありがとうございます!」

 そして心の底から嬉しさを表現するようにパァッと晴れやかな笑顔を浮かべる深雪に、妹が喜んでくれるなら良いか、と達也は満足げに頷いた。

 

 

 

 こうして様々な想いを巡らせながら、2月14日は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして一夜明けて15日の早朝、達也たちが昨日と同様に八雲の寺で特訓を行っている頃。

「それじゃ、行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃい」

 普段ジムで着ているスポーツウェアを身につけた厚志は、モカに見送られて家を出た。まだ太陽も姿を表さず人通りもほとんど無い道を、厚志は一定のテンポで地面を蹴って走っていく。

 鍛え上げられた筋肉が躍動し、身長2メートルの大柄な体が軽快に風を切る。ちなみに今日のルートは厚志の家から第一高校の正門まで、徒歩とキャビネットによる移動で30分ほど掛かる距離である。

 厚志の仕事は“スポーツジムの運営”兼“エアロビや筋トレの講師”兼“ボディービルダー”という、体が物を言う職業ばかり(スポーツジムの運営は一見無関係に思えるが、代表が太っていたりガリガリのジムでは体裁が悪い)である。そうでなくても厚志は体を鍛えること自体が好きなので、朝から晩まで体を動かしまくっている。

 しかし今のランニングに限って言えば、体を鍛えることは“第一の目的”ではなかった。

「――厚志さん!」

 その声が聞こえてきたのは、達也たちの通う第一高校の正門に差し掛かった所だった。

 真冬の厳しい寒気の中、太陽もほとんど昇っていない薄暗い道の向こう側から姿を現したのは、桜色のスポーツウェアを着たほのかだった。頬がスポーツウェアと同じ色に染まっているのは、先程まで体を動かして血行が良くなっているからか、それとも冷たい空気に晒されているからか、それともまた別の理由によるものか。

「えっと……。ごめんなさい、こんな朝早く……」

「構わないよ。この時間は、私はいつも起きているから」

 厚志の真正面で立ち止まったほのかは、耳まで真っ赤に染まりながら俯いていた。そのせいで厚志からは彼女の表情が見えない――とはいえ、身長2メートルの厚志では、元々真正面に立ったほのかの顔を見ることはできなかった。

 しかし、いつまでもそうしている訳にはいかない。ほのかは意を決したようにがばりと顔を上げると、体に固定していたポーチに手を突っ込んで、綺麗にラッピングされた小箱を取り出した。

 そして

「あの、あちゅ――!」

 ほのかは、思いっきり噛んだ。彼女の口はフリーズしたまま動かなくなり、小箱を持つ両腕が小刻みに震え、心臓がバクバクと音を立てている。もし感情を波形で表せるとしたら、今の彼女の感情は一定のリズムで大きく揺れ動いていることが分かるだろう。

「……ほのかちゃん、ありがとう」

 しかし厚志が優しい声色で彼女に話し掛けた瞬間、彼女の時間が再び動き出したようにピクリと反応した。

 そしてその声色と同じように優しい表情を浮かべながら、厚志は彼女の両手から、形を崩さないように小箱をスッと抜き取った。その際に厚志の手がほのかの手に掠るようにして触れ、彼女の体が一瞬ビクンッ! と強張った。

「ありがとう、ほのかちゃん。ほのかちゃんの気持ちに応えられない私のことを、それでも好きでいてくれることがとても嬉しいよ」

「――厚志さん、こちらこそ、ありがとうございます。厚志さんへの気持ちを嗤うことなく、真摯に受け止めてくれる厚志さんのことが、私は、大好きです」

 耳まで染め上げていた赤色が首にまで浸食しているほのかは、涙で潤んでいる瞳をまっすぐ厚志へと向けて、にっこりと笑顔を浮かべた。

 それは何の濁りも無い、一切他の感情の混じっていない純粋な“愛情”だった。

 

 

 

「――やっぱり、そういうことだったのね」

 そんな2人の遣り取りを数百メートルほど離れたビルの屋上から眺めていたのは、先程厚志の家で彼を見送ったばかりのモカだった。

 今の彼女は普段時の人間にしか見えない姿とは違う、彼女の武器であり拘束具でもある“自在鉄布”を身に纏った、すなわち“戦闘時”と同じスタイルだった。そのせいか魔族や天使相手の戦闘と同じように、無意識の内に迎撃も逃亡も即座に対応可能な距離をほのか相手に保っている。

「わざわざ当日を避けて、しかも人目を避けるような真似までして……。ほのかが自分で考えたのかしら……? それとも、誰かの入れ知恵かしら……?」

 顔を紅くしているほのかを相手に、モカは戦闘時と遜色ないレベルの“殺気”を放っていた。言葉の端々にドス黒い感情が漏れ出ており、彼女の周りの空気だけ肌を刺すようなピリピリとした雰囲気が漂っている。

「ふふふ……。別に良いのよ、ほのかが厚志さんにチョコを渡そうと……。それに対して恋人でも何でもない私が嫉妬するなんて、凄くおかしいことよね……。分かっている……。分かっているはずなのに――」

 傍目には仲睦まじく見える厚志とほのかを見つめながら、むりやり笑顔を作ろうとして口元を不自然に吊り上げ、無意識に動こうとする右腕をもう片方の腕で押さえつけるモカ。

 それは何の濁りも無い、一切他の感情の混じっていない純粋な“嫉妬”だった。

 

 

 *         *         *

 

 

 ベクトルは違えど、2人の思念は純粋であるが故に強烈だった。

 それは“この世のものならざるモノ”にとっては、自分をこの世界に引き摺り込んだ“波動”に似た性質のものだった。

 だからこそ、意思の無い人形の中で眠りについていた()()()()は、祈りにも似たその力強い感情によって新たな自我を獲得し、再構築された。

 意思無き人形に、意思が宿った。

 

 

 

「目覚めたか。――よし、行こうか」

 どこかの街で、誰かがそう呟いた。

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