呪術でワイは生き残るで!   作:ワイくん見守り隊

4 / 4
妖怪と女王、あるいは黒い剣の話

 ――最悪や。

 

 ワイはその場にへたり込んだまま、しばらく動けずにいた。

 

 頭はある。

 首もある。

 手足もある。

 

 でも、どう考えてもさっきの流れで生きてるのおかしいやろ。

 

「……いや、絶対死んだやん今」

 

 誰もおらん壊れた村の真ん中で、ワイは情けなくそう呟いた。

 

 地面は抉れ、

 家は潰れ、

 死体が転がっていて、

 空気は血と土と焼けた木の匂いでぐちゃぐちゃや。

 

 しかも、なんかヤバい男までおった気がする。

 

 気がする、というか絶対おった。

 

 でも途中から記憶が曖昧や。

 

 何かと戦ったような気もするし、

 なんかめちゃくちゃ嫌なことが起きた気もするし、

 でも細かいところを思い出そうとすると、頭の奥でつるっと滑る。

 

 まるで「そこは今いじるな」とでも言われてるみたいやった。

 

「……なんなんほんまに」

 

 そう言って、ワイはふと右手を見た。

 

 そこには何もない。

 

 何もない、はずやのに。

 

 確かに“何かを握っている”感覚だけが残っていた。

 

「……え」

 

 指を開く。

 閉じる。

 

 すると、手の中の空間がじわりと歪んだ。

 

 黒い。

 

 墨を固めたみたいな、光を吸うみたいな、輪郭だけが妙にはっきりした何かが、手のひらの中に滲み出る。

 

「うわっ!?」

 

 思わず手を振る。

 

 だが、それは消えへん。

 

 剣、に見える。

 

 見えるだけで、剣と言い切るには気持ち悪すぎる“何か”やった。

 

「……いや、なんで増えとんねん」

 

 頭吹き飛ばされて、

 知らんうちに生き返って、

 知らんうちに見えない剣まで増えてるとか、人生設計ガバガバすぎるやろ。

 

 ワイはその場で深く項垂れた。

 

 何一つわからん。

 

 わからんのに、一つだけ確信できることがある。

 

 これ、絶対やばいやつや。

 

 持ってるだけで、じわじわ何かを吸われてる感じがする。

 なのに苦しくはない。

 苦しくないのが余計に怖い。

 

 しかも、手放せる気がまったくせえへん。

 

「……なんでワイ、生きてんねやろ……」

 

 呟いた、その直後やった。

 

 ふっ、と視界が暗くなる。

 

「……え?」

 

 足元が揺れる。

 

 身体の芯から一気に力が抜けた。

 

 そこでようやく、ワイは気づいた。

 

 ――あ、これ、思ってたより消耗しとるやつや。

 

「いや待っ……こんな場所で寝たら普通に終わ――」

 

 最後まで言い切る前に、意識が落ちた。

 

 

 目が覚めた時、最初に見えたのは木で組まれた天井だった。

 

 見覚えがない。

 

 燻されたような色の梁。

 乾いた木の匂い。

 隙間から差し込む朝の光。

 草を編んだ敷物のざらつきが、じかに肌へ伝わってくる。

 

 どう考えても山の中ではない。

 

「……は?」

 

 喉がひどく渇いていた。

 

 身体を起こそうとして、頭の奥がずきりと痛む。

 

 けれどそれもほんの一瞬で、次にはもう、何かが急いで押し潰したみたいに引いていった。

 

 代わりに残ったのは、妙な気持ち悪さだけやった。

 

「……寝てたんか、ワイ……?」

 

 記憶を辿る。

 

 壊れた村。

 ヤバそうな男。

 頭が吹き飛んだ気がする違和感。

 見えない剣。

 

 そして、そこで途切れている。

 

「……いや、そんな雑に寝落ちする状況ちゃうやろ」

 

 あまりにも人生のログが飛びすぎている。

 

 脳が処理を放棄したんかもしれん。

 

 いや、むしろそうであってほしい。

 そうじゃなかったら怖すぎる。

 

 周囲を見回す。

 

 壁際には土器。

 干した草。

 編まれた籠。

 入口には垂れ布。

 

 人の住処や。

 

 しかも、かなりちゃんとしている。

 

 その事実に気づいた瞬間、背筋がぞわっとした。

 

「いや待て待て待て」

 

 人の家やん。

 

 しかも寝かされとる。

 

 つまりワイ、人に回収されとる。

 

「終わったやろこれ……」

 

 最悪である。

 

 槍トラウマ持ち妖怪が、目を覚ましたら人里の家の中。

 状況としてあまりにも詰みすぎていた。

 

 反射的に逃げようとして、身体を起こしかけ――

 

 その時、右手に違和感があった。

 

「……ん?」

 

 見る。

 

 何もない。

 

 何もない、はずなのに。

 

 何かを握っている感覚だけがある。

 

 空っぽの手の中に、確かに“重み”があった。

 

「……なんやこれ」

 

 指を開く。

 閉じる。

 

 それに呼応するように、手のひらの中で黒いものがじわりと滲んだ。

 

「うわっ!?」

 

 思わず手を引く。

 

 だが、それは消えなかった。

 

 墨を固めたような、光を吸うような、妙に輪郭だけがはっきりした“何か”。

 

 剣、に見える。

 

 見えるだけで、実際には説明のつかない何かや。

 

 しかもそれは、握っているというより――

 

 離れない。

 

「……いや待て、ほんまに離れへんやん」

 

 手を振っても、

 投げようとしても、

 意識を逸らしても、

 そこにある感覚だけがしつこく残る。

 

 しかも起きた直後の今の方が、昨日より妙に安定していた。

 

 暴れもせん。

 崩れもせん。

 ただ静かに、黒い“剣の形をした何か”としてそこにある。

 

 だからこそ怖い。

 

「……知らんうちに頭吹き飛ばされて、知らんうちに復活して、知らんうちに見えない剣まで増えてるとか、人生設計ガバガバすぎるやろ」

 

 ワイはその場でしばらく項垂れた。

 

 何一つ理解できへん。

 

 理解できへんのに、最悪なことだけはわかる。

 

 この黒い剣みたいな何か、絶対やばいやつや。

 

 持ってるだけで、じわじわ身体の奥から何か持っていかれてる感覚がある。

 それなのに、不思議と苦しくはない。

 苦しくはないけど、これが普通じゃないことだけは嫌というほどわかる。

 

 その時。

 

 入口の布が、すっと揺れた。

 

 

 入ってきたのは、一人の女だった。

 

 最初に目に入ったのは、目やった。

 

 静かな目。

 けれど冷たいわけではない。

 むしろ柔らかく笑っているのに、その奥だけが妙に澄んでいる。

 

 見た瞬間にわかる。

 

 この人、ただ者ではない。

 

 年は若い。

 せやのに、そこに立った瞬間、部屋の空気が自然とその人を中心に整う。

 

 服装も飾りも、この時代の基準で見ても明らかに良いものを身につけていた。

 けれど目立つのはそこじゃない。

 

 もっと根本的な、“この人の前だと勝手に周囲が従ってしまう”みたいな圧があった。

 

 彼女は、ワイの手元の黒い剣に一瞬だけ視線を落とし、すぐに顔を上げた。

 

 そして、笑う。

 

「起きたのね」

 

 声は穏やかだった。

 

 まるで、昨日からずっとここにおった近所の人に話しかけるみたいな自然さである。

 

 いやおかしいやろ。

 

 もっとこう、「何者だ」とか「化け物め」とかあるやん普通。

 

 なんでそんな“朝ごはん食べる?”みたいなテンションやねん。

 

「……えっと」

 

「喋れる?」

 

「喋れます……」

 

「それはよかった」

 

 彼女はそう言って、当たり前みたいにワイの前へ座った。

 

 距離が近い。

 

 普通に近い。

 

 もっと警戒せえよ。

 

 ワイ、たぶん今かなり怪しいぞ。

 

 見た目も立場も状況も全部が怪しい。

 

 なのに彼女は、こちらを見ながら少しだけ首を傾げた。

 

「痛む?」

 

「……ちょっとだけ」

 

「そう」

 

 それだけ言って、彼女は一度だけ、ほんの少し目を細めた。

 

 たったそれだけの変化なのに、ワイはなぜか背筋が冷えた。

 

 あ、この人今、何かを見たな、とわかったからや。

 

 傷や熱や顔色を見る感じではない。

 もっと別の、“中身”を見るような目やった。

 

 だが彼女はそれを何も言わず、すぐにまた柔らかい表情へ戻る。

 

「安心して。ここではあなたを害させないわ」

 

 さらっと、とんでもないことを言う。

 

「……え?」

 

「その代わり、少しだけ話を聞かせてほしいの」

 

 言い方がうまい。

 

 命令でもなく、懇願でもなく、気づけばこちらが頷いてしまいそうな絶妙な声色やった。

 

 この人、たぶん昔からこうやって人を動かしてきたんやろう。

 

 押しつけてるわけやないのに、気づけば流れができている。

 断ろうとした時には、もう断る理由の方が浮いて見える。

 

 怖い。

 

 でも、なんか嫌な感じはしない。

 

 そこが一番怖い。

 

「……ワイ、なんかしました?」

 

「したわ」

 

「えっ」

 

「かなり」

 

「えっ」

 

 終わった。

 

 ワイは心の中で膝から崩れ落ちた。

 

 やっぱりなんかやっとるやんけ。

 

 知らんうちに。

 しかも“かなり”やと。

 

「ただし」

 

 彼女はそこで、少しだけ笑みを深くした。

 

「あなたが思っているほど悪いことではないわ」

 

「……ほんまですか?」

 

「ええ。少なくとも、今この集落にいる者たちの多くは、あなたを恐れているより、恩を感じている」

 

「いや、何したんワイ」

 

「そこから?」

 

「そこからです……」

 

 自分でも情けないと思う。

 

 でもしゃーないやろ。

 記憶がないんやから。

 

 彼女はそんなワイを見て、少しだけ肩を揺らした。

 

 笑った、のだと思う。

 

 けれど、その笑い方に馬鹿にした感じはなかった。

 むしろ面白がっている。

 珍しいものを見つけたみたいな、純粋な興味があった。

 

「名前は?」

 

「……ないです」

 

「ない?」

 

「気づいたらおって、気づいたら生きてたんで……」

 

 我ながら終わってる自己紹介である。

 

 普通ならここで空気が凍る。

 

 けれど彼女は、驚きも呆れもせず、ただ一度だけ静かに頷いた。

 

「そう」

 

 それだけやった。

 

 否定しない。

 追及しない。

 でも、流しもしない。

 

 その一言だけで、「今はそこを無理に掘らない」と決めたのがわかる。

 

 この人、会話の温度調整が上手すぎる。

 

 ワイが一番話されたくないところを、一番自然に横へ置いていく。

 

 たぶんこれ、狙ってやっとる。

 

 絶対そうや。

 

「じゃあ、今はまだそのままでいいわ」

 

 彼女は言う。

 

「名がないなら、名がなくても困らない場所にいればいい」

 

 さらっとした声音。

 

 なのに、その一言だけで、妙に胸の奥が静かになった。

 

 名を持たないこと。

 どこにも属さないこと。

 何者でもないこと。

 

 それを、ここまで当然みたいに受け止められたことが、今まで一度もなかったからや。

 

 

 後に、彼は知ることになる。

 

 この女が、まだ国ですらないものをまとめ上げ、

 人の群れを“国の形”へ変えていく存在であることを。

 

 そして多くの人間が、彼女を王と呼ぶ前から、すでに彼女に従っていたことを。

 

 王だから卑弥呼なのではない。

 

 卑弥呼だから、人はその下に集まる。

 

 そういう種類の人間だった。

 

 

「私は卑弥呼」

 

 彼女はそう名乗った。

 

 その名がどれほどの意味を持つのか、その時のワイにはまだわからない。

 

 けれど、部屋の外から聞こえる人の気配が、その名だけで少し張り詰めたのがわかった。

 

 この人は、偉い。

 

 それもたぶん、めちゃくちゃ偉い。

 

「……いや待って」

 

「なに?」

 

「偉い人です?」

 

「ええ」

 

「なんでそんな人が直で来てるんです?」

 

「見たかったから」

 

「怖」

 

 思わず本音が出た。

 

 卑弥呼は、今度こそはっきり笑った。

 

 その笑顔は明るい。

 場を和ませる、太陽みたいな笑顔や。

 

 でも、ワイはなんとなくわかってしまった。

 

 この人の本質は、笑顔そのものじゃない。

 

 笑顔も、冷静さも、勢いも、全部まとめてこの人なんや。

 

 どれかが仮面なんやなくて、どれも本物。

 だからこそ底が見えない。

 

「あなた、面白いわね」

 

「ワイはあんまり面白くなりたくないです……」

 

「そういうところがよ」

 

 嫌な予感がした。

 

 こういうタイプに目をつけられるとろくなことにならん。

 経験はないけど、直感がそう言っている。

 

 逃げた方がいい。

 

 たぶん今すぐ。

 

 けど――

 

 卑弥呼の視線が、ふとワイの右手に落ちた。

 

 黒い剣。

 

 その時だけ、彼女の笑みがほんのわずかに薄くなる。

 

「それ、見せてくれる?」

 

「……これですか」

 

「ええ」

 

 ワイは渋々、右手を少し持ち上げた。

 

 黒い何かは、相変わらずそこにあった。

 

 形は剣に近い。

 でも、刃物というには静かすぎる。

 存在感があるくせに、輪郭の中身が抜け落ちているみたいな気持ち悪さがある。

 

 卑弥呼は、すぐには触れなかった。

 

 見るだけや。

 

 その目が、さっきより少しだけ鋭い。

 

 まるで水面に映った月を見極めようとするみたいに、静かに、じっと。

 

「……見えないのに、あるのね」

 

「え?」

 

「いえ、独り言」

 

 独り言の顔ではなかった。

 

 あきらかに何かを測っている目やった。

 

 ただ、それでも卑弥呼は警戒を表に出さない。

 むしろ逆に、柔らかさを崩さないまま、言葉だけを選んでいた。

 

 たぶん今この人の頭の中では、

 「これは使えるか」

 「危険か」

 「どこまで抱え込めるか」

 みたいなことが、ものすごい速さで回っている。

 

 なのに表面には、ただ“穏やかな巫女”しか出てこない。

 

 やっぱ怖い。

 

 この人、怖い。

 

 

 部屋の外では、すでに噂が走っていた。

 

 あの怪しい男は何者なのか。

 なぜ卑弥呼が自ら会いに行ったのか。

 なぜ追い出されずに生かされているのか。

 

 それぞれが、それぞれの立場で勝手なことを言う。

 

 誰もが知っている。

 

 この集落で、いや、この一帯で。

 

 卑弥呼が「置く」と言ったものは、もうそこに置かれる。

 

 それが人であれ、物であれ、運命であれ。

 

 

 取り巻きは言う。

 

「あの方が女に生まれたからこそ、今ここに座っておられるのだ」

 

「男であれば、ただの王で終わった」

 

「だがあの方は、王より上の“何か”になれる」

 

「だから皆、従うのだ」

 

 

 元敵は吐き捨てる。

 

「気に入らない女だ」

 

「笑っているくせに、一番引けないところだけは絶対に退かん」

 

「こちらが勝ったと思った瞬間には、もう全部ひっくり返されている」

 

「……だが、気づけばあれに従うのが一番早いと理解させられる」

 

 

 民は囁く。

 

「あの方がいると、不思議と明日がある気がする」

 

「神に近いからではない」

 

「むしろ、人のことを一番よく見ておられるからだ」

 

「だから皆、あの方を王と呼ぶのだろう」

 

 

 そして当の本人は、その全部を知った上で、平然としている。

 

 持ち上げられても驕らず、

 恐れられても気にせず、

 嫌われても必要なら笑って手を差し出す。

 

 そういう女だった。

 

 

「あなた、行く場所はある?」

 

 卑弥呼が、不意にそう聞いた。

 

「……ないです」

 

「帰るところは?」

 

「ないです」

 

「じゃあ、しばらくここにいなさい」

 

「……はい?」

 

 早い。

 

 話が早い。

 

 ワイの意思確認どこいった。

 

「いや、でもワイ怪しいですよ?」

 

「知ってるわ」

 

「なんか変な剣あるし」

 

「見ればわかるわ」

 

「たぶん普通じゃないです」

 

「それも見ればわかる」

 

「……なんで置くんです?」

 

 卑弥呼は少しだけ考えるように目を伏せて、それから顔を上げた。

 

「私がそうしたいから」

 

 あまりにも率直すぎる答えやった。

 

 でもたぶん、それだけじゃない。

 

 この人はたぶん、必要だから置く。

 使えるから置く。

 危険でも抱え込めると判断したから置く。

 

 全部ひっくるめた上で、それを**“私がそうしたいから”**の一言にまとめている。

 

 これが、王の言葉なんやろう。

 

 理屈を隠すことで、人は従いやすくなる。

 でも裏では、ちゃんと全部計算している。

 

 ワイは、ちょっとだけ黙った。

 

 逃げるべきやと思う。

 ほんまに思う。

 

 けど。

 

 ここで「お前はいていい」と言われることが、思ったより効いてしまっていた。

 

 名もなく、

 居場所もなく、

 山野をうろついていただけのワイにとっては、なおさら。

 

 卑弥呼は、そんなワイの沈黙を見て、答えを急かさなかった。

 

 急かさないくせに、たぶん逃がす気もない。

 

 そういう“間”の作り方をしていた。

 

「……飯、出ます?」

 

「出るわよ」

 

「寝床も?」

 

「もちろん」

 

「槍飛んできたりしません?」

 

「私がいる限りは」

 

「……」

 

 ワイは少しだけ考えて、それから深く息を吐いた。

 

「……じゃあ、ちょっとだけ」

 

 卑弥呼はそこで、満足そうにも勝ち誇ったようにも見えない、絶妙な笑みを浮かべた。

 

「ええ。ちょっとだけでいいわ」

 

 絶対ちょっとで終わらんやつやこれ。

 

 ワイはその瞬間、心の底からそう確信した。

 

 

 その日の夕方。

 

 ワイは、卑弥呼の住まいの奥にある少し広い部屋へ呼ばれていた。

 

 中には卑弥呼と、数人の取り巻きらしき人間がいる。

 全員、さりげなくワイを警戒している。

 

 そらそうや。

 

 ワイでも警戒する。

 

 部屋の中央には、鏡が置かれていた。

 

 まだ粗い造りやけど、確かに鏡や。

 金属を磨き上げた反射面が、火の光をぼんやり返している。

 

「……何するんです?」

 

「少し、あなたを見せてもらうの」

 

「言い方が怖い」

 

「大丈夫。切ったりはしないわ」

 

「それ大丈夫って言わんのよ」

 

 卑弥呼は楽しそうに笑って、それから鏡の前へ座った。

 

 鏡面に火が映る。

 人が映る。

 ワイが映る。

 

 いや――

 

「……ん?」

 

 映った、はずやのに。

 

 どこかおかしい。

 

 ワイの姿はそこにある。

 けれど、右手の黒い剣だけが、妙に“映り方”を拒んでいる。

 

 輪郭はある。

 でも、中身がない。

 いや、違う。

 

 映す側が、映していいものとして扱えていない。

 

 そんな感じやった。

 

 卑弥呼の目が細まる。

 

「やっぱり」

 

「な、なにがです?」

 

「あなた、面白いわ」

 

「その言い方ほんまやめてほしいです」

 

 卑弥呼はそこで、鏡へそっと手を添えた。

 

 空気が、変わる。

 

 部屋の温度そのものは変わっていない。

 なのに、何かが“揃う”感覚があった。

 

 火の揺れ。

 人の息。

 外の風。

 土の匂い。

 

 それらが、急に一つの場所へ集まり始めたみたいな、妙な圧。

 

 取り巻きたちの顔が少しだけ強張る。

 

 ワイにもわかった。

 

 今、卑弥呼が何かをしている。

 

 理屈はわからん。

 

 でも、わかる。

 

 これはたぶん、あのヤバい男が使っていた――

 

 術式。

 

 

 卑弥呼の術式は、鏡面集術。

 

 まだその名を持たない時代であっても、

 その性質だけはすでに彼女の中で形になっていた。

 

 映す。

 返す。

 集める。

 重ねる。

 

 人を映し、

 願いを映し、

 神を映し、

 空を映し、

 星を映す。

 

 何かをそのまま写すだけではない。

 

 “写したものを、自分の側へ引き寄せる”。

 

 それが彼女の術の本質だった。

 

 そして卑弥呼という人間は、術式の理屈より先に、その在り方そのものが術式に近かった。

 

 人を見て、

 人を映して、

 人を受け止め、

 人を返す。

 

 彼女自身がすでに、一枚の鏡だった。

 

 

 鏡面が、わずかに揺れる。

 

 卑弥呼は静かに言った。

 

「――集え」

 

 瞬間。

 

 鏡の表面に映っていた火が、少しだけ強く揺らいだ。

 

 部屋の中の気配が、一斉に鏡へ寄る。

 

 いや、違う。

 

 **“ここにあるものの輪郭”**が、一瞬だけ鏡側へ引かれた。

 

 ぞわり、と肌が粟立つ。

 

 卑弥呼の目が、鏡越しにワイの右手を捉える。

 

 その瞬間。

 

 鏡面に、ワイの持つ黒い剣の“影”みたいなものが一瞬だけ浮かんだ。

 

 取り巻きの一人が息を呑む。

 

「見えた……!」

 

「いや、待て、何や今の」

 

「黙って」

 

 卑弥呼の一言で、全員が口を閉じる。

 

 その声は静かやった。

 

 でも、一切逆らわせない声音やった。

 

 鏡の中の黒い影は、すぐにぐにゃりと歪む。

 

 輪郭が崩れ、

 像が割れ、

 映ったはずのものが、そのまま沈んでいく。

 

 卑弥呼の眉が、ほんのわずかに寄る。

 

「……だめね」

 

「えっ、何が」

 

「見えない」

 

「いや見えてましたよね今」

 

「形はね」

 

 卑弥呼は鏡から手を離した。

 

 空気が少しだけ軽くなる。

 

 けれどその目は、さっきまでより明らかに真剣やった。

 

「でも中身がない」

 

「怖い言い方やめてください」

 

「違うわ。空っぽという意味ではなくて――」

 

 卑弥呼はそこで、少しだけ言葉を選んだ。

 

「……これ、たぶん“物”じゃないの」

 

「はい?」

 

「剣の形をしているだけで、剣として扱うと見誤る」

 

 ワイは手元の黒い何かを見る。

 

 見れば見るほどわからん。

 

 剣に見える。

 でも剣じゃない。

 

 武器に見える。

 でも、たぶんそれだけじゃない。

 

「これ、なんなんですか……」

 

「それを今から考えるのよ」

 

「他人事みたいに言わんといてください」

 

 卑弥呼はそこで、少しだけ楽しそうに目を細めた。

 

「他人事ではないわ。あなたの中身は、今後私の大問題になりそうだもの」

 

「やめてくださいその言い方」

 

 不穏でしかない。

 

 

「……試してみなさい」

 

「何をです?」

 

「いつもやっていることを」

 

「いや、いつもって」

 

「物を作るのでしょう?」

 

 ワイは、そこで少しだけ固まった。

 

 昔からできた。

 

 石っぽいもの。

 刃っぽいもの。

 よくわからん便利そうなもの。

 

 ただ、だいたい形はぐちゃるし、精度は低いし、気合いで誤魔化してるだけやった。

 

「……できますけど、あんまり綺麗にはできへんですよ」

 

「いいわ。見せて」

 

「めっちゃ見るやん……」

 

 でも、この空気で断るのは無理やった。

 

 ワイは渋々、左手を前に出す。

 

 意識を寄せる。

 

 すると、手のひらの上に黒いものがじわりと滲んだ。

 

「うわまた出た」

 

 黒い塊が、ぐにゃりと形を変える。

 

 針。

 小刀。

 器の欠片。

 爪みたいな何か。

 

 定まらない。

 

 形になりかけては、ほどける。

 

 まるで粘土を雑にこね回しているみたいな、不安定な造形やった。

 

「……相変わらず下手やなワイ」

 

「でも前よりまとまってるわね」

 

「え?」

 

「昨日までなら、もっと崩れていたでしょう?」

 

「……いや、なんでそれ知ってるんです?」

 

「なんとなく」

 

「この人ほんま嫌や……」

 

 卑弥呼は、楽しそうにワイの手元を覗き込んだ。

 

 さっきまで鏡の前で王みたいな顔してたのに、こういう時だけ妙に距離が近い。

 

 そして不意に、彼女が言った。

 

「名前をつけましょう」

 

「……は?」

 

「それ」

 

 彼女の視線は、ワイの左手の中で形を変え続ける黒い塊に向いていた。

 

 今まさに“何かを作ろうとしている途中のそれ”へ向けて、はっきりと言ったのだ。

 

「名前がないと不便だわ」

 

「いやそんな急に」

 

「急ではないわ。力というものは、呼び方を得た瞬間に扱い方が少し変わるものよ」

 

 その言葉には、不思議と説得力があった。

 

 卑弥呼は、理屈で積み上げるというより、何かを先に掴んでから言葉にするタイプや。

 だからこそ雑に見えて、妙に核心だけは外さない。

 

「作る、というには違う」

 

 卑弥呼は鏡を見ながら呟く。

 

「生む、でもない」

 

「こしらえる……?」

 

「少し弱いわね」

 

「じゃあなんなんです?」

 

 卑弥呼は、そこでふっとこちらを見た。

 

「――まだ何者でもないものを、形にして連れ出している」

 

「……?」

 

「なら、“構築”」

 

 その一言が、妙にすとんと落ちた。

 

「こうちく……」

 

「ええ」

 

 卑弥呼は頷く。

 

「あなたのそれは、何かをただ作る力じゃない」

 

「形になる前のものを、無理やり形へ引っ張り出している」

 

「だからこれは、“構築”」

 

 ワイはしばらく黙って、それから黒い塊を見る。

 

「……構築」

 

 口に出すと、妙にしっくり来た。

 

 名前をもらったからか、

 それとも最初からそうだったのかはわからん。

 

 でも少なくとも、今までの「なんか作れる」よりはずっとマシやった。

 

「構築、術式」

 

 卑弥呼が言う。

 

「たぶん、それがあなたの力の呼び名よ」

 

 術式。

 

 またその言葉や。

 

 あのヤバい男が使っていたもの。

 卑弥呼が今、鏡でやっていたもの。

 他の変な力持ちたちが、たぶん無意識にやっていたもの。

 

 その総称みたいなもの。

 

「……術式」

 

 口に出す。

 

 まだ意味はよくわからない。

 でも、わからんままでも、確かに世界の輪郭が一つ増えた感じがした。

 

「よかったわね」

 

「何がです?」

 

「あなた、ようやく少しだけ“わけのわからない怪しいもの”から昇格したわ」

 

「今まで何やと思われてたんです?」

 

「わけのわからない怪しいもの」

 

「ひどない?」

 

「ひどくないわ。事実だもの」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 

 取り巻きの一人が、慎重に口を開く。

 

「卑弥呼様……その者は、本当に置いておくのですか」

 

「置くわ」

 

「しかし」

 

「置く」

 

 ぴしゃりと、卑弥呼は言った。

 

 強い口調ではない。

 怒ってもいない。

 

 なのに、その一言だけで話が終わる。

 

 取り巻きはすぐに口を閉ざした。

 

 ワイはその様子を見て、ちょっと引いた。

 

 この人、やっぱり普通に王や。

 

 いや、王っていうか――

 人の上に立つのが自然すぎる。

 

「心配しなくていいわ」

 

 卑弥呼は鏡を見つめたまま言う。

 

「危険なら、私が先に見抜く」

 

「……それは、術でですか?」

 

 取り巻きの問いに、卑弥呼は少しだけ笑った。

 

「さあ」

 

 答えになってない。

 

 でも、その答え方の方がむしろ怖い。

 

 この人、たぶん“なんとなく”で人の人生ひっくり返せるタイプや。

 

 しかも本人は、それをわりと本気で“なんとなく”やと思ってる節がある。

 

 やばい。

 

 天才系のやばい女やこれ。

 

 

「でも安心して」

 

 卑弥呼が言う。

 

「少なくとも、今のあなたはまだそこまで上手く扱えていない」

 

「安心できる要素あります?」

 

「暴発する前にこちらで観察できるもの」

 

「観察って言いました今」

 

「言ったわ」

 

「研究対象やん」

 

「半分くらいは」

 

「半分!?」

 

 ワイが思わず声を上げると、卑弥呼は少しだけ楽しそうに笑った。

 

 絶対面白がってるやろこの人。

 

 ワイの人生、たぶん今めちゃくちゃ興味の対象になっとる。

 

 けど、それでも不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 いや、嫌ではある。

 

 嫌ではあるけど、追い出されるよりはずっとマシや。

 

 少なくとも今は。

 

 

 その夜。

 

 部屋を出る前に、卑弥呼がふと立ち止まった。

 

「あなた」

 

「はい」

 

「それ、寝る時も消えないと思うから気をつけなさい」

 

「怖いこと言わんといてください」

 

「大丈夫。たぶん死にはしないわ」

 

「“たぶん”やめて」

 

 卑弥呼はくすりと笑って、布の向こうへ消えていった。

 

 あとに残されたワイは、右手の黒い剣を見下ろす。

 

 静かやった。

 

 不気味なくらいに。

 

 けれどその沈黙の奥で、何かがずっと回っている感じがする。

 

 理解できない。

 したくもない。

 

 でも、これからたぶん、無視はできない。

 

「……構築、術式」

 

 ぽつりと口に出す。

 

 名前がついただけで、少しだけ現実味が増した。

 

 ワイのわけのわからん力に。

 ワイの手から離れへん黒い剣に。

 そして、たぶんワイ自身にも。

 

 山の中をふらふらしていた頃とは、もう違う。

 

 そんなことを考えながら、ワイは天井を見上げた。

 

 木の梁の向こうには、夜がある。

 

 人の営みがあって、

 火があって、

 声があって、

 その中心に、卑弥呼という女がいる。

 

 ワイはその輪の外にいたはずやのに。

 

 気づけばもう、少しだけ中に足を踏み入れてしまっていた。

 

「……絶対ろくなことにならんやろ、これ」

 

 そう呟いて、ワイは深く息を吐いた。

 

 黒い剣は、何も答えない。

 

 ただ静かに、手の中で重みだけを残していた。

 




悪いんやけどこの話から先めちゃくちゃ書き直しまくってるから、もしかしたら変更するかもしれん
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

呪術廻戦モジュロ 〜もう1人の宇宙人〜(作者:サイドベント)(原作:呪術廻戦)

▼モジュロ完結記念に投稿▼全5話▼全て前半が掲示板形式で後半が誰かの視点の構成▼※単行本勢、未読勢はモジュロ本編のネタバレになるため読まないことを推奨する


総合評価:127/評価:-.--/短編:5話/更新日時:2026年03月17日(火) 18:00 小説情報

Re:術式が百式観音ってマ?(作者:隣の家に晩飯凸する止まらないゴルシ)(原作:呪術廻戦)

過去作のリメイクです。▼書くだけ書いてみて、投稿するか非常に迷った末に供養。▼人気が出るか気が向いたら続きを書くかも


総合評価:204/評価:-.--/連載:4話/更新日時:2026年05月08日(金) 08:36 小説情報

転生特典は“なんか良い感じの薬が作れる”ことです(作者:綾瀬~><)(原作:銀魂)

転生特典の“なんか良い感じの薬が作れる”を使って医者になった主人公が、前世でお金に苦労してきた過去を活かして色んな人(患者)からお金を巻き上げる話。


総合評価:537/評価:8.6/連載:10話/更新日時:2026年03月23日(月) 22:04 小説情報

原作を鑑賞しようとする室町時代の術師 vs 原作に干渉させてこようとする世界(作者:祝いの王)(原作:呪術廻戦)

室町時代の術師オリ主が原作時間軸に無理やり転生して原作を鑑賞しようとする話。▼なお原作キャラとはたくさんエンカウントするし、無自覚に干渉してしまう模様。


総合評価:1142/評価:7.5/連載:4話/更新日時:2026年05月04日(月) 00:56 小説情報

初期配布式神が魔虚羅だった。(作者:柴猫侍)(原作:呪術廻戦)

俺は先に逝く()▼精々頑張れ()


総合評価:2336/評価:8.64/短編:1話/更新日時:2026年02月07日(土) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>