日本からアベンジャーズ入りしました。尊敬する人?五代さんと一条さんです 作:ken4005
緊張感の足りない雰囲気を切り替えるように、フューリーが咳払いをする。
「それで? USBが示した場所は?」
ナターシャが手元の端末を操作し、画面をフューリーへ向けた。
「ニュージャージー州。キャンプ・リーハイ。」
その名前を聞いた瞬間、自分の表情が変わったのが分かった。
「……キャンプ・リーハイ?」
「知ってるの?」
忘れるはずがない。七十年以上前。まだ僕がキャプテン・アメリカになる前、兵士として訓練を受けた場所。そして……ペギーと出会った場所でもある。
「どうして、そこが……。」
「だから調べる。」
そう言って、フューリーが懐へ手を入れ、見慣れない端末を取り出した。スマートフォンに似ているが、黒銀色の金属で作られ、表面には薄い金色の紋様が走っている。
「……何だ、あれは?」
訝しげに眉を寄せると、フューリーは当然のように答えた。
「アスガルド製の連絡端末だ。」
「アスガルド製?」
サムが目を丸くする。
「地球の通信網とは完全に別系統で動いている。こいつの欠点は、地球産の通信機器とは直接連絡が取れんことだ。」
「それ、かなり不便じゃないか?」
「その代わり、地球側から盗聴も傍受もされない。位置の特定も困難だ。今みたいな状況では便利極まりない。」
「……そんな物まで持ってるのか。」
思わず呆れた声を出してしまう。
「色々あった。」
「色々で済ませるのか?」
「済ませろ。」
フューリーが端末を操作し、数秒後、金色の紋様が淡く発光した。
「俺だ。」
誰かと繋がったらしい。
「ああ、始まった。」
全員の視線がフューリーへ集まる。
「いや、待て。まだ来るな。」
『――――』
「先に相方に、今から指示する場所を調べさせろ。」
『――――』
フューリーの眉間に皺が寄る。
「……何?」
『――――』
「怒られる?」
ナターシャが僅かに口元を緩め、ロキは既に笑っていた。
「お前が怒られることで危険が減るんだ。大人しく怒られろ。」
『――――!』
「文句を言うな。」
『――――!!』
「調べた後は、しばらく待機だ。必要になれば呼ばせてもらう。すまんが、いつでも出られるように――」
『――――!』
「だから待機だ!」
フューリーの怒鳴り声が倉庫に響き、通信が切れる。
「……誰に連絡したんだ?」
「協力者だ。」
「随分と仲が良さそうだったな?」
「気のせいだ。」
ロキが堪えきれず笑っている。
「相変わらずだな。」
「黙れ。」
肩をすくめるロキを無視して、フューリーは話を進める。
「正確には、協力者を直接向かわせるわけじゃない。遠距離から特定の場所を調べる手段を持つ者がいる。」
「遠距離から? 何を調べる?」
フューリーがナターシャの端末に表示されたキャンプ・リーハイの位置を見る。
「事前情報で、ここに何があるのかは分かっている。」
思わず目が細くなる。
「知っていたのか?」
「ああ。だから確認するだけだ。本当にそれがある――いや。」
訂正する。
「今も、そこにいるのかを、な。」
「いる?」
サムが聞く。
「誰が?」
「アーニム・ゾラ。」
「……何?」
「アーニム・ゾラだ。」
一歩前へ出て、フューリーの言葉を否定する。
「ゾラは既に死んでいるはずだ。」
「肉体はな。戦後、S.H.I.E.L.D.はペーパークリップ作戦で多数のドイツ人科学者を受け入れた。その中にはゾラもいた。」
顔が険しくなっているのが分かる。
「S.H.I.E.L.D.がヒドラの科学者を?」
「そうだ。そして、それがヒドラにS.H.I.E.L.D.へ入り込む足掛かりを与えてしまった。加えて、ゾラは病で肉体を失う前、自分の意識をコンピューターへ移した。」
サムが目を瞬かせる。
「意識を?」
「ああ。」
「そんなことできるのか?」
「できたらしい。」
フューリーが淡々と答える。
「だから正確には生きているとは言えん。だが、稼働している。」
「俺が行く。」
「却下だ。」
……即答された。
「ニック。」
「やることが多い。」
「ゾラだぞ。」
「分かっている。」
「なら――」
「ロジャース。」
フューリーが、まるで言い聞かせるように、
「お前はバーンズに集中しろ。」
あまりに意外な対応をされ、表情にも『意外だ』と出ていると思う。
「……何だ。」
「本当にフューリーか?」
フューリーの眉が動き、僕は思わずロキの方を見る。
「やはりロキの幻影じゃないのか?」
一瞬の沈黙。そして、
「ハハハハハ!」
ロキが腹を抱えて笑い始めた。
「やはり貴様も同じ反応をされるではないか!」
「黙れ。」
「私だけではなかったな!」
「黙れと言っている。」
「『正直』になった結果がこれだ!」
「ロキ。」
「何だ?」
「黙れ。」
ロキはまだ笑っており、フューリーは露骨に不機嫌そうな顔をしながら、全員を見る。
「いいか。まず前提条件として……S.H.I.E.L.D.は一度、崩壊させる。」
驚き、目を見開いてしまう。ナターシャの表情からも笑みが消え、サムは意味を理解するまで数秒かかったようだ。
「……崩壊?」
「ああ。」
「自分の組織なんだろ?」
「だからだ。」
フューリーは即答する。
「もうヒドラだけを切除する段階は過ぎた。どこまで入り込まれているのか分からん。誰がヒドラで、誰がS.H.I.E.L.D.なのか。組織図を見ただけでは判別できん。」
「だから全部壊すのか?」
「そうだ。」
迷いのない返答だった。
「再建には時間がかかるだろう。世界各国から非難もされる。俺も責任を問われる。だが、このまま腐った土台の上に組織を残すよりマシだ。」
「その後は?」
「必要なら作り直す。」
フューリーはそれだけ言った。以前なら、S.H.I.E.L.D.という巨大組織そのものを守ろうとしたはずだ。けれど今は違う。何かが変わっている。
「……それで、どうする?」
フューリーが端末を机へ置く。
「まずヒドラの構成員を一人確保する。」
「誰を?」
「ジャスパー・シットウェル。」
ナターシャが頷いた。
「確実?」
「ほぼな。」
「吐かせる?」
「吐かせる。」
サムが少し引いた顔をする。
「怖い言い方するな。」
「慣れろ。」
「慣れたくない。」
「奴からインサイト計画の進捗状況、標的選定方法、ヘリキャリアの発進時刻、ヒドラ側の指揮系統を聞き出す。」
「分かった。」
「それから。」
フューリーはサムを見る。
「ウィルソン。」
「サムでいい。」
「ならサム。」
「一気に距離が詰められたな。」
「ふざけるのはそれくらいにしろ。……協力してくれると考えていいんだな?」
サムは一瞬だけ僕に視線を送ってから、フューリーに視線を戻し、
「もちろん。」
「なら、よろしく頼む。」
「……あっさり信用するのね。」
ナターシャが意外そうに言う。その横でロキが口元を歪めた。
「おそらく勘が働いたんだな。」
フューリーの片目がロキへ向く。
「黙れ。」
「図星だろ。」
「彼の影響は恐ろしいな。」
「黙れ!」
再びフューリーの怒声が倉庫へ響き、こちらの作戦は始まった。
ーーーーー
「ジャスパー・シットウェルだな。」
あるビルの屋上で、男の胸ぐらを掴み、そのまま建物の縁まで押し込む。
「知っていることを全部話せ。」
「何の話だ?」
「インサイト計画。」
シットウェルの表情が僅かに動く。
「知らないな。」
そうか、と躊躇いなく手を離す。
「うわあああああああっ!?」
シットウェルの身体が重力に従い、落ちていく。
――バシュッ!
ファルコンの翼を展開したサムが空中でシットウェルを回収し、そのまま屋上へ投げ戻した。
「はっ……はっ……!」
地面に転がりながら、シットウェルが息を荒らくしている。僕はしゃがみ込み、目線を合わせる。
「もう一度聞く。インサイト計画について話せ。次は拾わないかもしれない。」
シットウェルは震えながらこちらを見て、そして吐いた。アルゴリズムによる標的選定。三機のヘリキャリアによる数百万人規模の潜在的脅威を、一斉に排除する計画。そして、アーニム・ゾラのアルゴリズムについても。
「ゾラは人間の過去を分析する!」
シットウェルが叫ぶ。
「学歴、医療記録、銀行口座、投票傾向、SNS! 人間が何を考え、これから何をするかを予測する! ヒドラにとって将来脅威になる人間を、事前に消すんだ!」
僕の顔は険しくなっているだろうし、サムの顔からも表情が消えている。
「狂ってる。」
「ヒドラにとっては秩序だ!」
「その秩序のために人間を殺すのか。……十分だ。」
シットウェルを拘束し、移動を開始する。その途中、ロキから預かっていた小型端末を取り出す。事前に聞いている通りに金色の紋様へ触れ、操作していく。
「よく使えるな、そんな面妖なもの。」
「僕からすればスマートフォンも十分面妖なものだよ。……こちらロジャース。」
『聞こえている。』
フューリーの声。
「シットウェルを確保。インサイト計画の詳細も聞き出した。」
『分かった。こちらも動く。』
「ゾラは?」
数秒、間があった。
『確認済みだ。キャンプ・リーハイ地下に奴はまだいる。協力者……の相方が確認した。』
「……そうか。」
『だが言ったはずだ。そっちはそっちの目的に集中しろ。』
「分かってる。」
『本当か?』
「信用ないな。」
『他者を信用しないようにしてきた。』
通信が切れる。サムが笑う。
「『してきた』ね。今は違うってことか?」
「どうだろうな。だが初対面の頃とは随分と印象が変わったよ。」
ナターシャが先を歩き、三人で車へ乗り込む。ついでに拘束したシットウェルも放り込む。
車を出して数分後、
――ドォンッ!!
車体が大きく跳ねた。
「伏せろ!」
銃弾が飛び交い、爆発も起き、周囲の車が次々と破壊されていく。
「来たわね!」
ナターシャがドアを蹴り開け、外へ飛び出し、サムも反対側へ。僕はシットウェルを確認しようとして、
――ガァン!!
咄嗟に盾で弾丸を防御する。盾越しに襲撃者を見据える。黒い戦闘服、長い髪、左腕は金属。そして、口元を覆うマスク。事前に聞いていた特徴と一致する。
何より、分かってしまった。七十年経っても、どれだけ姿が変わっていても。
「…………バッキー。」
男は答えない。無言で銃口を向けられ、
「バッキー!」
――ダダダダダッ!!
盾で防ぎながらも声をかけ続ける。
「僕だ! スティーブだ!」
銃撃に耐えながら距離を詰めると、バッキーが銃を捨て、腰からナイフを抜いた。
――ギィン!!
盾とナイフが激突する。
「バッキー!」
僕は拳を叩き込むが、バッキーが金属腕で受け止め、そのまま握り潰すように力を込めてくる。
「ぐっ……!」
無理やり蹴りを放つと、バッキーが後ろへ跳んで回避する。着地の瞬間を狙って盾を投げつける!
――ギィン!!
金属腕で弾かれたか!
「バッキー! 思い出せ!」
反応はない。
「俺だ!」
繰り出される拳を避けながら、声を張り上げる。
「ブルックリンだ!」
肘打ちを抑える。
「お前と――!」
直後に腹へ蹴りを受け、吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ!」
「スティーブ!」
サムが援護しようとしてくれる。だが、ヒドラの部隊に進路を塞がれてしまう。サムが翼を展開し、空へと舞い上がる。
――バシュッ!
ヒドラ兵の銃撃を旋回しながら避け、上空から撃ち返すサム。ナターシャも車両を遮蔽物にして応戦している。向こうも余裕はなさそうだな。
「バッキー!」
――ガァン!
「聞いてくれ!」
――ギィン!
「僕は――!」
バッキーの金属腕が盾を掴んでくる。凄まじい力だが、負けじと押し返す。互いの顔が近づき、マスクの向こうに感情のない瞳だけが見えた。
「……君を、連れて帰る。」
これ以上、親友を一人にしてたまるか!
――バヂィッ!!
炸裂音と共に、バッキーの身体が跳ねた。
「何だ!?」
再度、銃声とは違う、何かが空気を裂く音が響くと、少し離れた場所で、ヒドラ兵が一人倒れた。
――バヂィッ!
もう一人。
――バヂィッ!
さらに一人。
「狙撃!? どこからだ!?」
サムが上空から周囲を探すが、見当たらない。相当な遠距離から撃っているようだ。しかも、
「死んでないわ。気絶してるだけ!」
ナターシャが倒れたヒドラ兵の首筋に触れ、生きていることを確認する。装備に残された痕跡には、焼け焦げたような小さな跡があった。
――バヂィッ!
「ぐっ!」
ヒドラ兵がまた倒れる。正確すぎる狙撃が続く。一発で一人、確実に意識だけを刈り取っていく。
「誰だよ!?」
サムが叫び、ナターシャは一瞬だけ考え、
「味方よ!」
「それは結果を見れば分かる!」
そして、
――バヂィッ!!
今度の一撃は、再びバッキーに命中する。
「っ!」
金属腕への直撃。流石のバッキーも、訓練された成人男性を一撃で気絶させられる威力の攻撃を二度も受ければ、身体が一瞬硬直する。その視線が狙撃してきた方向へ向いた僅かな隙は、僕には十分なチャンスだった。
「バッキー!」
一気に踏み込む。全身を勢いよく回転させ、加減は一切なしの、全身全霊の拳をバッキーに放った。
――ドゴッ!!
顎を正確に打ち抜くことで、バッキーの身体が浮き、そのまま地面へ倒れる。
「…………。」
動かない。
「バッキー!」
急いで駆け寄り、状態を確認する。……生きている。気絶しているだけだ。
「…………。」
手が震えているのが分かる。
「見つけた。」
七十年前、列車から落ちた親友。死んでしまったと思っていた親友。ずっとヒドラに奪われ続けていた親友。その身体を抱き起こす。
「……やっと。やっと見つけたぞ、バッキー。」
ーーーーー
そして、世界の安全保障を根本から変える新たな防衛システムを始動するために、世界安全保障理事会のメンバーが、トリスケリオンへ集められた。少なくとも、表向きには。
「予定通り、ヘリキャリアを発進させる。」
アレクサンダー・ピアースが言う。
「フューリーの死は残念だ。しかし計画を止める理由にはならない。」
理事たちは資料を見ていく。その中の一人が質問する。
「キャプテン・アメリカは?」
「現在逃亡中です。」
「ブラック・ウィドウも?」
「同様に。」
ピアースは平然と答える。
「彼らはS.H.I.E.L.D.に対する重大な脅威となった。」
「なら俺もか?」
予想外の声が聞こえ、ピアースの表情が止まる。同時に扉が開く。
「久しぶりだな、ピアース。」
「……ニック。」
「幽霊でも見たような顔だな。」
扉からニック・フューリーが現れる。その隣にはナターシャ。理事たちがざわつく。
「フューリー長官は死亡したはずでは?」
「公式にはな。」
「どういうことだ! 説明を――」
「後で説明する。」
フューリーが室内へ入ると、ピアースの表情から笑みが消えた。
「何のつもりだ?」
「終わらせに来た。全てを。」
その瞬間、館内放送が切り替わった。
『S.H.I.E.L.D.全職員へ。』
スティーブの声がトリスケリオン全域に響き、職員たちが足を止める。
『こちらはスティーブ・ロジャース。今、S.H.I.E.L.D.内部にはヒドラがいる。』
ざわめきもそこそこに、空気が凍る。
『少数じゃない。何十年もかけて、この組織の中に入り込んできた。』
ピアースが叫ぶ。
「通信を切れ!」
『誰が味方なのか、簡単には分からない。隣にいる人間がヒドラかもしれない。上司がヒドラかもしれない。』
S.H.I.E.L.D.職員たちが互いを見る。
『でも、だからって何もしなければ、今日、数百万人が殺される。俺は命令しない。』
スティーブの声が続き、
『ただ、選んでほしい。』
ピアースが歯を食いしばる。
『何を守るのかを。』
放送が終わり、会議室は静まり返っていた。
「……ある少年に言われた。」
そして、フューリーが口を開いた。この声も館内に流れており、ピアース、理事たち、そしてS.H.I.E.L.D.という巨大組織そのものに語りかける。
「私は――」
一度、言葉を切る。
「いや。」
訂正する。
「我々は、『世界を救う専門家』なんだそうだ。」
ナターシャが僅かに目を細める。フューリーは続ける。
「随分と大きく出た言葉だと思った。」
ニューヨーク。アスガルド。宇宙。神。怪物。ヒーロー。
この数年で、世界は変わった。そして……自分自身も。
「だが……その通りだ、とも思った。俺たちの仕事はS.H.I.E.L.D.を守ることじゃない。世界を守ることだ。」
ヒドラでない職員たちの心に、火が灯り始める。
「ならば世界を救うために、組織に執着する必要はないはずだ。」
ピアースの顔が一気に引きつる。
「何をするつもりだ。」
「言っただろう。」
フューリーが答える。
「全部終わらせる、と。」
ナターシャが端末の前へ座り、キーボードを操作する。画面に現れたデータが視界に入り、ピアースは息を呑んだ。
「待て、やめろ。」
大量のデータの正体は、S.H.I.E.L.D.が設立されてから現在に至るまで蓄積してきた機密情報、作戦記録、諜報活動、潜入工作、監視記録、政治工作、兵器開発……ヒドラの活動。そして……S.H.I.E.L.D.自身が行ってきた、決して表には出せない行為の数々。
その全て。
「それを公開すれば、ヒドラだけでは済まないぞ!」
「ああ。S.H.I.E.L.D.も終わる。」
「世界中の情報機関が我々を敵視する!」
「その通りだ。」
「協力者も工作員も危険に晒される!」
「可能な限り退避させた。それに、全員優秀なエージェントだ。自力でなんとかしてもらうさ。」
「お前自身もだ!」
「分かっている。」
「正気か!?」
フューリーは答えず、代わりにナターシャを見る。
「ロマノフ。」
「何?」
「最後に決めるのはお前だ。」
ナターシャの指が止まる。
「俺は公開すべきだと思っている。だが、実行するかしないかはお前に任せる。」
「ニック。」
「お前自身の情報も入っている。」
ナターシャは黙った。
ナタリア・アリアノヴナ・ロマノヴァであり、ブラック・ウィドウ。レッドルーム、KGB、暗殺、潜入、そして破壊工作。過去に自分が何をしてきたのか、誰を殺したのか、何を奪ってきたのか。S.H.I.E.L.D.に入る以前の過去まで、それらが世界へ晒される。
「止めても構わん。」
フューリーが言う。
「重い決断ですまんが、最後の判断は任せる。」
ナターシャは画面を見つめる。ほんの数秒だけれど、彼女にとっては長い時間だった。ずっと、過去を消そうとしてきた。帳簿についた赤を消そうとしてきた。S.H.I.E.L.D.に入り、フューリーに拾われ、クリントと出会い、アベンジャーズになった。
……それでも過去は消えない。それなら、
「……そうね。」
ナターシャが呟く。
「そろそろ隠すのも飽きたわ。」
フューリーの口元が僅かに動いた。
「いいのか?」
「最後は私に任せるんでしょ?」
「ああ。」
「なら――」
ナターシャの指がキーへ触れる。
「私が決める。」
――Enter。
次の瞬間、世界中へS.H.I.E.L.D.の全機密情報が放出された。ピアースが呆然と画面を見る。止められない。既に世界各国のサーバーへ、報道機関へ、ネットワークへ、膨大な情報が流れ出していく。
ヒドラの秘密も。S.H.I.E.L.D.の秘密も。ニック・フューリーの秘密も。ナターシャ・ロマノフの過去も。全てだ。
「……やったな。」
フューリーが言う。
「ええ。」
ナターシャが椅子から立ち上がる。
「これで私、世界中の情報機関から嫌われるかしら。」
「元からだろ。」
「酷い。」
「事実だ。」
「あなたもよ。」
「知っている。」
二人は僅かに笑う。その向こうで、S.H.I.E.L.D.という巨大な組織が、音を立てて崩れ始めていた。
けれど、それは敗北ではない。
ヒドラに奪われた盾を守るために、世界を危険に晒すくらいなら。盾そのものを捨てればいい。
ある少年が言った通り、自分たちは『世界を救う専門家』なのだから。ならば、守るべきものを間違えてはいけない。
S.H.I.E.L.D.はこの日、自らの手で、その歴史に一度、幕を下ろした。