勝利の女神:NIKKE ~Silent/Ratio~ 作:zaq2
朝、目を覚ました時、最初に覚えたのは違和感だった。
[(静かすぎる……)]
昨夜の時点で、あの清掃端末が妙に黙ったままだとは思っていた。
だが、今朝になってもそれは変わっていない。
部屋の隅にいる小型端末は、そこにある。
灯りも落ちていない。停止しているようにも見えない。
わずかな駆動音すら完全に消えたわけではなく、内部では何かがまだ動いているようにも思える。
それなのに、先日のような起床を急かすように鳴るはずの音もない。
[……やはり、壊れたか?]
叩いたら直るか、と一瞬思った。
だが、そんなことをして余計に壊してもまずいだろうと、そう判断して、部屋を後にした。
* * * *
通路の照明は、朝の明るさへ切り替わっていた。
そのままレストルーム前の簡易待合所へ向かうと、そこにはすでにカウンターズの三人が集まっていた。
「あ、指揮官様、おは……ふあぁぁ」
「おはようございます。指揮官」
「おはようございます、師匠」
[ああ。おはよう。ところで、何かあったのか? 複雑な顔をしているが……]
「師匠、聞いてください。アニスが、あの端末にたたき起こされる前に起きてやる、とか言いだして」
[……それで?]
「真っ先に起きてやったわ」
「アニスに無理やり起こされました」
「いいじゃない、あんな起こされ方をされるよりは」
昨日の起こされ方はいったいどういうものだったのだろうか……。
「で、今日に限ってちょっと変だったのよ」
[変?]
「昨日はあれだけうるさかったのに、今日はいつまで待っても静かなのよ」
[それで?]
「ウントモスントモ言ってこないから、思い切って叩いてやったら、バチッっていって沈黙しちゃったみたいで……」
「ピクリとも動かなくなったわ」
「アニス、それは“壊れた”というより、“壊した”と言うのでは……」
[……]
「うっ……」
アニスが気まずそうに目を逸らした、その時だった。
「ん? なんだ、お前ら今日は早いな?」
待合所の奥から、姉妹が姿を見せた。
先に気づいたのはロージィだった。
「やっぱ起こされたか?」
[いや、今日は起こされなかった]
「?」
「静かなものでしたよ。……そうですよね? アニス」
「うんうん、そうね。静かだったわ!」
アニスは笑顔で頷いてみせたが、人差し指を口に当てて“黙ってて”とでも言いたげな仕草をする。
その仕草を尻目に、こちらは端末が動かず、起こされることがなかったとだけ伝えた。
[……という感じで、今朝は端末が起こしてくれなかった。こちらの部屋のものは、故障したのかもしれない]
「あー……とうとうきたのかな」
ロージィは少しだけ眉を寄せ、それから肩をすくめた。
「最近、ああいうのもガタきてるのがあるからなぁ」
「……老朽化が進んでいるの。端末ごとの補修の差もあるし……そろそろ、そういう不調があってもおかしくはないわ」
スノーウィの声は淡々としていた。
けれど、その言い方には少しだけ重さがあった。
単なる機械の不具合というより、この施設そのものの寿命を見ているような響きだった。
アニスが小さく息をつく。
「……なんか、そういうの聞くと急に現実味出てくるわね」
「現実味、ですか?」
「だって、こんなとこでも結局、ずっとそのままってわけじゃないんでしょ」
「……ええ、そうね」
静かな沈黙が流れたが、スノーウィが話を変えるように視線をむけた。
「皆さんに連絡です。食事のあとで、お母様が……いえ、M.O.T.H.E.R.が、みなさんと直接お話ししたいと」
その場の空気が、わずかに変わる。
「直接?」
「M.O.T.H.E.R.が?」
[急だな]
ネオンとラピの言葉に、ロージィが軽く肩をすくめた。
「ま、呼ばれたってことは、何かあるってことなんだろ」
「まずは朝食を。話はそのあとで」
そう促され、意識の底には昨日 M.O.T.H.E.R. が語ったことを思い出していた。
* * * *
朝食は、これまでと同じく簡素だった。
だが、やはりちゃんと朝食の形をしていた。
それが妙にありがたく感じられたのは、今朝の空気が少しだけ違っていたからかもしれない。
食事の間、無駄話は少なかった。
ロージィもまったく黙るわけではなかったが、いつもの軽さは少しだけ薄い。
スノーウィは、なおさら口数が少なかった。
そして食後、一行はこれまで案内されていなかった区画へ通された。
あの、昨日は禁止と呼ばれた扉の先へ。
いままでの通路とは異なり、人が通り過ぎる程度の幅しかない、施設内の廊下とでもいう狭い通路を進んだ先へと案内される。
辿り着いた先は、制御室と呼ばれる場所だった。
それまで見てきた生活区画とは、明らかに空気が違う。
壁面モニター、制御卓、幾筋もの表示光。
装飾らしいものはない。だが、ここだけは施設全体の鼓動が、かろうじて残っているようにも感じられた。
その中央に、M.O.T.H.E.R.のホログラムが現れる。
『おはようございます』
穏やかな声音だった。
だが挨拶はそれだけで、彼女はすぐに本題へ入った。
『早速となりますが、まずは現行アークの状況についてお聞かせください』
彼女が問うたのは、地上の戦況、アークの情勢、人の営み、そして地上奪還の進捗だった。公開できる範囲で、それらに答えていく。
だが、彼女の問いはそこで終わらなかった。
『では、タイラント級や、それ以上の脅威に対しての対応状況をお願いします』
"それ以上の脅威"
そう言われ、一瞬だけ迷いが走る。
そこから先は、秘匿情報の区分にも入るからだ。
カウンターズの面々は、表情だけでこちらに判断を委ねてきていた。
答えるかどうかは、こちらに委ねられていた──どうするべきか。
しばし考えた末、
──意を決して口を開く。
[……それ以上の脅威。ヘレティック級も、退けたことはある]
アニスが露骨に「そこまで言っていいの?」とでも言いたげな顔をした。
だが、ラピが続けて補う。
「退けただけではありません。捕獲後、封印処置まで持ち込んだ事例もあります」
『そうですか……封印まで』
その返答を受けて、M.O.T.H.E.R.はわずかに目を伏せた。
沈黙は短かった。
だが、そのわずかな間に、何かを計算し、何かを諦め、そして何かを決めたようにも見えた。
スノーウィがその変化に気づいたのか、かすかに表情を曇らせる。
「お母様……」
M.O.T.H.E.R.は、すぐには答えなかった。
やがて静かに視線を上げる。
『来訪者をこの施設が迎え入れたのは、おおよそ一世紀ぶりです』
『現在のアークの情報と、対ラプチャー戦力の現状を確認せずに、当施設の機密を開示することはできませんでした』
ロージィがわずかに目を細めた。
スノーウィは何も言わない。
『この施設は、老朽化が進んでいます。維持に必要な機材や資材も不足しつつあり、限界が近づいています』
スノーウィが一歩だけ前へ出る。
「それでも――」
『わかっています、スノーウィ』
M.O.T.H.E.R.は彼女の言葉を遮らず、それでも先に受け止めた。
『あなたが何を案じているかも、何を言いたいかも理解しています。ですが、もうその段階ではありません。本施設だけでは……もう……』
スノーウィは唇を引き結んだまま、何も言い返さなかった。
納得しているわけではない。
だが、理解はしている。
そんな沈黙だった。
そして、M.O.T.H.E.R.は改めてこちらを見る。
『この施設には、人の手によって生み出された忌まわしい異物が眠っています』
「お母様!」
スノーウィの声が、思わず上ずった。
制止というより、その言葉がついに口にされたことへの反射だった。
M.O.T.H.E.R.はそれを咎めず、ただ静かに受け止めた。
『いいのです。もう──』
「っ……」
「……」
『その忌まわしい異物への対応および協力を、お願いしたいのです』
[忌まわしい異物?]
『はい。人が造り出した……造り出してはいけなかった、有を無に帰すほどの兵器です』
[それはいったい……?]
短い沈黙。
制御室の空気が、ひどく重くなる。
カウンターズも、姉妹も、誰もすぐには言葉を挟まなかった。
やがてM.O.T.H.E.R.は、ゆっくりと口を開いた。
『……人工ヘレティック。識別名「ニュートリンデ」』
(前章 終)
作者からのこめんと:
To Be Continued...