皇女のかけがえのない騎士   作:ラインズベルト

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泥にまみれた姉妹、偽りの平穏

 帝都を脱出して数日。追っ手の目を逃れるため、二人は街道を避け、険しい山道を辿っていた。

 

「……お、お腹が空きましたわ。もう一歩も動けませんわ……」

 

 ミーアは湿った地面に座り込み、情けない声を上げた。

 空腹は限界だった。喉は焼け付くように乾き、お気に入りのドレスは泥と返り血で汚れ、もはや雑巾のようになっている。

 

「……少し、待っていてください」

 

 シルヴィアが、蒼白な顔で立ち上がった。ディオンに刻まれた左肩の傷は、不十分な手当てのせいで熱を持ち始めている。それでも彼女は、震える手で自作の罠を確認しに行った。

 

 やがて戻ってきた彼女の手には、一匹の野うさぎが握られていた。

「……。……。取れました」

 

 手際よく捌き、焚き火で焼く。味付けなど何もない、ただ焼いただけの肉。

 普段のミーアなら「こんな野蛮なもの、食べられませんわ!」と放り出していた代物だ。だが、今の彼女にそんな贅沢を言う気力はない。

 

「……いただきますわ」

 

 熱い肉にかじりつく。

 硬い。血の匂いが鼻をつく。けれど、噛み締めるたびに溢れ出す脂の味が、震える体に染み渡っていく。

 

「……おいしいですわ。……おいしいですわ、シルヴィア」

 

 涙がこぼれ、肉の熱さと混ざり合う。

 シルヴィアは自分は一口も食べず、ただ竹筒に汲んできた川の水をミーアに差し出した。

 

「……これを。川の水ですから、少し土の匂いがしますが」

 

「……。……」

 

 ミーアは無言でそれを受け取り、一気に煽った。冷たい水が、渇いた喉を潤していく。

 ふと見れば、シルヴィアは木の幹に背を預け、苦しそうに呼吸を整えていた。

 

「シルヴィア。……その、提案がありますの」

 

 ミーアは水を飲み干し、決心したように口を開いた。

 

「これからは、正体を隠すために……わたくしたち、姉妹ということにいたしましょう」

 

「……姉妹、ですか?」

 

 シルヴィアが不思議そうに首を傾げる。

 

「ええ。追っ手から逃れるためですわ。高貴な姫と騎士という組み合わせでは、目立ちすぎますもの。だから、今日からわたくしはあなたのことを……『シルヴィア姉さま』と呼びますわ」

 

 それは半分は保身、そしてもう半分は、耐え難い孤独への恐怖だった。

 この地獄のような逃避行の中で、自分を唯一見捨てないこの女性を、何かの繋がりで繋ぎ止めておきたかったのだ。

 

「……畏まりました。ミーア様がそう仰るのであれば」

 

「いいえ! 『ミーア様』も禁止ですわ。姉妹なのですから、あなたはわたくしを『ミーア』と呼びなさい。これは命令……いえ、わたくしからのお願いですわ」

 

 シルヴィアは一瞬、戸惑ったように視線を落とした。

 だが、やがて。

 その薄い唇が、微かに、本当に微かに綻んだ。

 

「……わかった。それじゃあ、よろしくね。ミーア」

 

「……っ!」

 

 呼び捨てにされた瞬間、ミーアの胸の奥が熱くなった。

 不敬だと怒るどころか、その響きが、何よりも確かな「絆」のように感じられたからだ。

 

「ええ、ええ……! よろしくお願いしますわ、シルヴィア姉さま!」

 

 暗い森の中、パチパチとはぜる焚き火の音だけが響く。

 それは、滅びゆく帝国の片隅で生まれた、あまりにも儚く、けれど美しい偽りの家族。

 

(……ああ。もし、もしもいつか平和な時が来たら。本当にこうして、二人で笑って暮らせる日が来るのかしら……)

 

 泥だらけの顔で、ミーアはシルヴィアの膝を借りて目を閉じた。

 シルヴィアの冷たい手が、愛おしそうにミーアの髪を撫でる。

 それが、二人の人生で最も幸せな、最後のひとときだった。

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