「……安心してください、ミーア様。道は、私が開けます。ただ、そのために」
概要
ティアムーン帝国の皇女ミーア・ルーナ・ティアムーンに仕える専属近衛騎士。
姓を持たない孤児の出身でありながら、その卓越した剣の才覚によって頭角を現した。ブロンドの長い髪を後ろで束ねた凛とした美貌の持ち主。常に冷静沈着で、主の一歩後ろから状況を把握し、盾となって守り抜くことに特化した「完成された騎士」。
本作のタイトルである**『皇女のかけがえのない騎士』**その人であり、ミーアにとっては「過去の喪失」と「現在の希望」を象徴する、最も重要な人物の一人。
人物像
性格: 寡黙でクール。感情をあまり表に出さず、基本的には敬語で話し、必要以上に口を挟まない。しかし、その内面にはミーアに対する底知れない忠義と情を秘めている。
意外な一面: 実は料理が得意。前の時間軸の過酷な逃亡生活でも、彼女が振る舞う食事がミーアの数少ない救いとなっていた。
対人関係: ミーアの「わがまま」の本質を(良い方向に)見抜く、非常に高い「ミーア・フィルター」の持ち主。
能力
剣技: 帝国最強のディオン・アライアが認め、後に「剣聖」と称される域に達する。
判断力: 戦況・危険察知ともに優秀。主の安全確保を最優先とし、捨て身の特攻すら厭わない。
作中における役割
■ 前の時間軸
孤児だった自分を拾ってくれたミーアのため、その命を捧げた。
帝都崩壊の際、深手を負いながらもディオンを退け、一ヶ月にわたりミーアを逃がし続けた。しかし、革命軍に包囲された末に致命傷を負い、
「あなたは……生きて」
という言葉と、最初で最後の穏やかな微笑みを遺して息絶える。彼女の亡骸は埋葬すら許されず、その最期はミーアの心に消えない絶望の傷を刻みつけた。
短編:墓標なき剣聖に捧ぐ
ティアムーン帝国の崩壊から数ヶ月。
かつての栄華は灰燼に帰し、大陸には冬の足音が近づいていた。
帝都から遠く離れた名もなき村。その外れにある粗末な宿で、二人の男女が偶然の再会を果たした。
一人は、泥にまみれた眼鏡を拭い続ける元文官、ルードヴィッヒ・ヒューイット。
もう一人は、やつれた顔を隠すように頭巾を深く被った元侍女、アンヌ。
「……アンヌ殿、ですか。まさか、このような場所でお会いするとは」
「ルードヴィッヒさん……。はい、私も驚きました」
二人の間には、重苦しい沈黙が流れた。
彼らが仕えた主、ミーア・ルーナ・ティアムーンは、既に断頭台の露と消えている。
アンヌの手には、一冊の古い日記帳が握られていた。処刑の後、憐れんだ兵士から「お前の主人の遺品だ」と手渡された、血の滲んだ手記。
「ルードヴィッヒさん、これ……。ミーア様が最期まで大切にされていた日記です。私、どうしても確かめたいことがあって」
ルードヴィッヒは、アンヌから手渡された日記を震える手でめくった。
そこには、震える筆跡で、ある一ヶ月の記録が綴られていた。一人の騎士と共に過ごした、泥まみれの、けれど光に満ちた逃亡の日々。
「……『私の姉、かけがえのない騎士シルヴィア』……。やはり、ここだったのですね」
ルードヴィッヒは眼鏡の奥の瞳を険しくさせた。
シルヴィア。
姓を持たぬ孤児でありながら、その実力で「剣聖」とまで謳われた近衛騎士。ディオン・アライアと互角に渡り合い、主を連れて帝都を脱した伝説の騎士。
日記の記述から推測するに、彼女の最期の地は、この村のすぐ近くの森であるはずだった。
「行きましょう、アンヌ殿。我々にできる、最後のご奉公です」
冬枯れの森は、静まり返っていた。
生い茂る木々の隙間、陽の当たらない根元に、それはあった。
冷たい地面に横たわる、白骨化した遺骸。
傍らには、刃の欠けたボロボロの剣が転がっている。それはかつてミーアが「剣聖になったお祝いですわ」と、気まぐれに特注した名剣の成れの果てだった。
そして、髑髏のすぐそばには、土にまみれた小さな髪飾りが落ちていた。
「……これ、ミーア様がお下がりでシルヴィアさんにあげた……少し色の褪せた髪飾りです」
アンヌが膝をつき、その髪飾りをそっと拾い上げる。
ミーアにとっては、いらなくなったガラクタの一つだったかもしれない。
けれどシルヴィアにとっては、命を懸けて守り抜くべき「絆」のすべてだった。
ルードヴィッヒは帽子を脱ぎ、静かに目を閉じた。
帝国最強の騎士の一人が、埋葬すらされず、誰に知られることもなく、野ざらしにされていた。そのあまりにも残酷な現実に、唇を噛みしめる。
「……シルヴィア殿。貴女の忠義を、私は決して忘れない」
二人は、村から持ってきた道具で穴を掘った。
シルヴィアの遺骨を丁寧に納め、彼女が愛用したボロボロの剣を副葬品として添える。
アンヌは汚れを拭った髪飾りを、遺骨の胸元にそっと置いた。
盛り土をし、近くの川原から運んできた手頃な石を置く。
ルードヴィッヒはナイフを取り出し、その墓石に言葉を刻み込んだ。
後の世に、誰が彼女であったかを知らしめるために。
『ティアムーン帝国皇女専属近衛騎士、シルヴィア。ここに眠る。
彼女は剣聖であり、そして――最期まで皇女に寄り添った、かけがえのない騎士であり、姉であった』
作業を終えた頃、森には夕闇が降りていた。
アンヌは完成した小さな墓標に手を合わせ、静かに涙を流した。
「シルヴィアさん……。ミーア様は、地下牢でもずっと、あなたの名前を呼んでいましたよ。……もう、寂しくありませんね」
ルードヴィッヒは、森の奥へと続く道を一瞥した。
帝国は滅びた。主も、その騎士も、もういない。
けれど、この名もなき森に刻まれた忠義の証だけは、冬の寒さの中でも、確かにそこに息づいていた。
「行きましょう、アンヌ殿。我々も、生きなければなりません。彼女が遺したミーア様の日記を、未来へ繋ぐために」
二人は一度だけ振り返り、小さな墓標を背にして、灰色の空の下へと歩き出した。
その背後で、枯れ葉が風に舞い、墓標に刻まれた「剣聖」の名を優しく隠していった。