ご注意ください。
ムーンライト/ロストルーム
様々なうわさが飛び交う一室に、オルガマリーと立香は足を踏み入れた。
大小様々なミスもあるかと思われますが、多めに見てください。
「……嘘でしょ。嘘よね、これ。施錠をしてない、魔術も使われていない。――ただの自動ドアなのよ? それが、こんな……なぜ開かないのかすら、わからないなんて――」
オルガマリーの声が、埃っぽい倉庫の中に虚しくこだました。
それは、閉ざされた基地にあふれた、ありえないはずの明日の光だった。
ムーンライト/ロストルーム。
今はなきカルデアスの裏側に位置する、何かと噂の絶えない部屋。
『午前0時に入ると失われたものを見る。あるいは失うものを見る』だとか。
「所長として、把握できていない区画があるのは見過ごせないわ」
そんなこんなで視察に来たオルガマリーと、何か予感があり案内役を名乗り出た立香。
いつものような軽口。仕事というよりは友人との外出のような雰囲気で、目的の部屋の前にたどり着く。
巨大なガラスの壁とも言える大窓と、カルデア唯一の天窓を持つ部屋。いつもと変わらない、世界からはじき出された暗闇が、そこに映っているはずだった。
しかし、扉を開いた直後に、二人はこの部屋の異常性を目の当たりにした。
――見てしまったのだ。あるはずのない、本物の空を。
南極の地平線を舐めるように這う太陽。
現在のカルデアは2019年12月31日23時59分。
付け加えるのであれば、2019年最後の1秒で2020年との境目にいる。
本来の南極であれば晴れていれば白夜と呼ばれる、太陽の沈まない一日が観測できる時期だ。
何らおかしなことはない。……本来であれば。
「……立香、貴女は今の状況を説明できるかしら?」
「……カルデア基地の外が見えている、ですか……?」
「及第点ね。要点は押さえられているからギリギリ合格にしといてあげる」
人理を救ったマスター。何がおかしいのかをしっかり理解をしているようだ。
「……念のための確認よ。 現在、カルデア基地は、物理的・時間的に極めて特殊な状況に置かれています。ダ・ヴィンチによればこの状態は『時間神殿と同じ』とのことらしいわ」
時間神殿。
それはかつてゲーティアが「宙の外」と表現した場所であり、外界の物理法則から隔絶された領域を意味している。
すなわち、そこにいる場合、領域外部の事象について観測を行うことはできないはずなのだ。
「カルデア基地の外には何もないはず……なのに、景色がある」
「その通りよ。時計が役に立たないから、外の時間はわからないけれど、方角と太陽の位置を見れば大方予想はできるわ」
「流石天体科のロード!そもそも太陽が動くかもわからないですけどね」
「調子いいんだから……どうせ、よくわからずに言ってるんでしょう」
まんざらでもなさそうに、窓際を歩きながら方角を確かめるオルガマリー。
久しぶりに見た自然の風景。それも、南極でしかお目にかかれないような絶景。
一面の白銀の世界が、あたたかな暖色を反射している。
「どうですか?所長?」
「少し待ってなさい……そう、そこに立っていて」
立香の影を基準に、印をつける。太陽が動いているなら、印から影が離れるはずだ。
「……貴女の髪は、沈む夕日の色によく似ているわね……」
「どうしたんですか所長?」
「別に、しばらくはできることもないし、職員と親睦でも深めようと思って」
「……所長は、オレンジが好きなんですか?」
「どうしてそう思うのかしら?」
「いや、私物に多いし、差し色として衣服や小物によく取り入れてるじゃないですか」
「……私の瞳の色だから、ファッションとして取り入れやすいのよ」
「今度ミス・クレーンとかにおそろいの服とか作ってもらいませんか?」
「……貴女、普段サーヴァントにどんなことをお願いしてるの?」
他愛のない会話で時間が経つのを待つ。
静寂が、否応なく与える思考の時間。
事態をまともに考えるのが、二人には少し恐ろしかった。
「待って……太陽は、動いているわ……2019年12月31日の23時59分うんぬんは置いておいて、真夜中であることに間違いはない。多分通常と同じ速度で、時間が流れている……」
「それってかなりやばくないですか?!」
2019年と2020年の狭間であることがビースト案件、今回のカルデアの仕事として重要だったはずだ。
「個人的な考察にはなるけれど……おそらくそこまで問題ではないわ。ロストルームのうわさに照らして『失われたもの』を見るというのであれば、外の景色が仮に世界そのものであっても、それはどちらかというと過去のものであるというニュアンスが強いはず」
「原因不明の事故でいきなり詰んでしまったわけではなさそう、って感じですかね」
「まぁ、その認識で大丈夫よ……多分」
「よかった」
「ただし、外の世界の時間が現在……2019年と2020年の狭間に到達した後は、どうなるかわからないわ。そして、そうなるまでおそらくそこまでの時間はないと思う。白夜が観測できるということは、南極12月下旬であることも間違いないし、こんな状況をそう何日も前から作り上げているとは思えない」
「…………なるほど」
二人そろってため息が出る。
どうしようもなくなったわけではないが、面倒ごとであることは間違いない。
本来ないはずの世界が、目の前にあるのだから。
魔術素材の入った戸棚、使われていないティーテーブル、レイシフト用のコフィン。おそらく、試作タイプ。
そのほか立香にも投げ込んだ覚えがある強化素材なんかが詰め込まれていた。
雑多な品の数々が、沈まない太陽に照らされている。
「とりあえず、急いでみんなと話し合いましょう。管制室に戻るわよ」
「はーい」
窓から離れて、部屋の出入り口の前に立つ。
誰のものでもないこの部屋に、ロックはかかっていない。
しかし扉が開くことはなかった。
「どうしたんですか?所長?」
「ドア、開かないのよ……」
「? 私が行ってみますね」
立香は扉につけられたセンサーの前に立つ。
しかし、扉は微動だにしなかった。
「電力不足ですかね?手で動かして大丈夫ですか?」
「許可します。まぁ、普通の扉だから、特に何もないはずよ」
とりあえず壁と並行にドアをスライドさせようとする。
察してはいたが、ピクリとも動かない。
「――所長、礼装の使用許可を。何なら、魔術で私を強化してください」
即断即決。最前線での経験が垣間見られる判断のスピードと的確さ。
どう考えても異常事態。加えて、超重要人物が二人、巻き込まれている。
扉を壊してでも、今は外部と連絡を取れるようにするべきだろう。
重心を下げて、利き手を引き、ドアに狙いを定める立香。
オルガマリーには素人ながらも、その姿勢が洗練されたものであることは見て取れた。
「っ――えいッ!」
ドゴォ!!
振りぬかれた拳がドアと衝突する。
どう考えても人体から鳴ってはいけない音が出ていた気がするが気にしても仕方がない。
「うーん、駄目みたいですね……」
けろっとした様子の立香を見て、オルガマリーは若干引いていた。
「貴女、なかなか……その、武闘派なのね……?」
「いや、使える技はこれだけです。サーヴァントのみんなからいろいろ教えてもらったけど、基礎体力以外は一瞬だけでも時間を稼ぐことに労力を費やすべき、ということで」
つまりは、初見殺し上等の一撃を保険代わりに習得した、とのことだった。
彼女の戦闘力にハッタリでも警戒心だけでも抱かせれば、その間にも時間を稼げる可能性がある。
一般人はおろか、魔術師であっても不意を突かれれば危うい切り札であることは間違いない。
一撃必殺。無論、立香は殺しをしたことなど全くないが、拉致された時などは自力で解決できるのであればそれでもいい。
数多の死線を潜り抜けてきた知恵がそこにはある。
オルガマリーは心の中で彼女の評価を上方修正した。
「礼装と所長の強化もあったんで、多分電柱くらいならへし折れるはずなんですけどね……」
おそらくドアの破壊による脱出は不可能だと考えるのが正しそうだ。
それはそれとして、目の前の彼女は殴ったほうの手をプラプラさせている。
誤魔化してはいるが、やはり痛かったのだろう。
「回復をしておきなさい。体が一番の資本なんだから」
「ありがとうございます」
その後も、双方持っていた端末で外部との連絡を行おうとするも、失敗。
ドアが無理なら窓を破壊して一度外に出るかを考えるも、その時は南極の気候が容赦なく牙をむくだろう。
万策尽きた、打つ手なし、といった状態だった。
「……最悪だわ。視察なんて、来るんじゃなかった」
「まぁ、過ぎたことは悔やんでも仕方ないですよ」
気まずい沈黙が二人の間で滞留する。
オルガマリーの心境は、立香に対して面倒ごとに巻き込んだ申し訳なさであふれていた。
一方で立香は、自分が近くにいることができてよかったとも思っていた。
もしも、所長が一人でこの状況に陥ったら、いや、誰であってもきっとつらい思いをすることにだっただろうから。
「もし、カルデアに変化がなければ、ロストルームに向かったことは伝えているので、しばらくすれば誰か来てくれると思いますよ」
などと考えていたが、しばらくすればそんな余裕も二人からは消えてしまっていた。
「……カルデア側、廊下からなら、このドアって開くんですかね?」
「おそらくね。『失われたものを見る。あるいは失うものを見る』というのであれば、おそらく今回は、この景色こそが、『失われたもの』なんでしょう。『失われたもの』が世界だったから、逆にロストルームだけが引っ張られてしまったと考えられるわ」
「それって、カルデア側からでも開かないんじゃないですか?」
「……今回の事例は結構特殊なのよ。もともとはカルデアスの影響でこの部屋の怪談ができたのでしょう?原因の無い今はこんな不思議現象なんて起こるはずないのよ」
「言われてみれば確かに」
「……おそらくは、カルデアスに取り込まれていた私がいるから、こんな事態になっているの」
「噂の説明はカルデアスの圧倒的な情報密度ゆえの特殊な磁場とかでしたっけ?……確かに、大統領ボディは超新星級……いろんな意味で」
「ぶっ飛ばすわよ?」
「あはは……」
「……で、要するに、私がいる状態で物理的に部屋が外部と遮断されたことが問題だったのよ」
「つ、つまり?」
「儀式の発動条件が整った……この状態で、私たちが失った世界そのものをロストルームが映す……結果的に、映した世界に引っ張られてこの部屋自体がカルデア基地と位相がずれて孤立してしまった……んじゃないかしら?」
「それってやばいんじゃないですか?部屋ごとなくなった世界に引っ張られてレイシフトしたみたいな?」
「少し違うけど、まぁおおむね近いかもね。そして扉の向こうがカルデア基地なのは間違いないと思うわ。中央管制室の裏側がロストルームなんだもの」
「場所が大切な話でしたね」
「引っ張られて位相がずれてしまった私たちはカルデアを観測することができない。よってドアを開けられない」
「そこだけ聞くとどうしようもないですよね」
「だけどカルデア基地の特定の座標にあることが重要だから、カルデアの廊下からなら部屋で成立した儀式を物理的に解除……ドアを開けることができるはずだわ」
「なるほど……?」
「推察の域を出ない話だけどね。考えたところで、私たちがどうにかできる問題ではないし」
「何か他に思いつかないか考えてみますね。食料や水が無いというのも困りますし、時間の猶予もあまりあるとは思えない」
「ええ……」
しばらくの間、両者沈黙をして、思考にふける。
静寂を切り裂いたのは、立香の声だった。
「……これ、使えるかもしれませんよ?」
「何か思いついたの?」
「はい。それ、形は少し違うけれど、レイシフト用のコフィンですよね」
「貴女まさか……」
「同時代、場所のみを移動するレイシフトは実際にやっていますし、解決策足りえるんじゃないですか?」
それは、魔術素人にして、人類最後のマスターだからこそ出た発想。
存在証明なしの単独レイシフトでカルデアに移動するというものだった。
「……不許可よ」
「所長?」
「その案は却下と言ったの。成功率が低すぎます」
当然である。管制室の設備なしでのレイシフトは素っ裸の人間を大海原に投げ出すよりもリスクの高い行動だからだ。
オルガマリーはカルデアの所長として優秀な職員にそんな仕事を押し付けるわけにはいかなかった。
「ほかに、何か手があるんですか?」
「……思いつかないわよ、そんなの」
「なら、やるしかないじゃないですか」
「けれど、手段がないことと、職員に自殺行為を進めることは別問題よ」
「ここで止まっていたら、どちらにしろ詰みます」
「だからって、そんなバカな賭けに出る理由にはならないわ」
正解の見えない衝突。
どちらの言い分も大体があっていて、何かが間違っている。
「……今までも、そうしてきました」
「知ってるわ。けれど、それとこれとは話がちがう!」
「違いません。状況はいつだって最悪でした」
「今回は質が違うのよ!設備がほとんどない状態でのレイシフトだなんて――待っていれば、誰か来るかもしれないのに……」
「……やったことはあります。それこそ、冬木へのレイシフトが――」
「――ッ! ふざけないで! あれはたまたま――」
「ふざけてません!」
「――っ」
互いに譲らず、にらみ合いが続く。
視線を先に外したオルガマリーは諭すような口調で語り掛けた。
「……貴女、自分が何を言ってるかわかってるの?」
「わかってます。成功率が100ではないことも、失敗したら……どうなるかも」
「なら――」
「でも、やらなきゃ終わりです」
「……っ」
「所長だってわかってるはずです」
「……」
「外の時間、止まってないんですよね」
「ええ」
「だったら、ここで何もしないのは、より大きなリスクだと思います」
残りどれだけの時間ビーストが待っているのかは向こうからの接触待ちだが、今の状況だとそれもどうなるかわからない。
「……カルデア側が、スタッフやマシュが気づく可能性はある」
「もちろんあります。でも、間に合う保証はない。ビーストの案件がどうしようもなくなったら、どのみち終わりです」
「……」
「動くしか……ないんです」
「それで貴女が消えたらどうするの」
「……」
「答えなさい」
「……マイルームのデスク。鍵のかかる引き出しの奥が……」
目を伏せ、極秘情報の所在をなんでもないことのように語る彼女。
「立香ッ!」
「…………所長」
「私の目を見て話しなさい!貴女がいなくなったら、人理はどうなるのよ!」
「……それでも、やらない理由にはなりません」
「なるわ!」
「なりません」
一瞬。両者ともに息が詰まる。
相手の気持ちが痛いほど伝わってくるからだ。
「……っ、どうしてそんなことが言えるの……?」
ゆっくりと息を吸って、立香の口が開かれた。
「……カルデア側の時間が、進んでいるのかわからないですよね」
「……!」
それは、うすうす懸念していた最悪のケースの一つ。
ビースト案件でもなく、ただここで水も食料もなく、腐り落ちる状況。
「こちらで過ごす1日が、向こうでは1秒かもしれない」
「否定は……できないわ」
「仮にここの時間が通常通りだとして、比較した場合に向こうの時間は、相対的に止まっているも同然です」
「……その通りよ」
2019年と2020年の狭間。どれだけの冒険を行っても、向こうの時間は1秒も進まないのだ。
それがこの乖離の間で、これがどう作用するのかがわからない。
「私が不安にならないように、黙っていただけで……助けが来ないかもしれないことも、実はわかってたんじゃないですか」
見透かしたことをいう。
そして、それは……間違いではない。
「…………貴女はいなくてもいい人間じゃないのよ」
「はい」
「代わりなんていないの。理解してるでしょう」
「してます」
「なら――!」
「だからこそです」
「……え?」
「私が行くしかない」
力強く飛び出した言葉に気圧される。
数多の修羅場を超えた人間が持つ、特有の圧がそこにはあった。
「これが、私の仕事です」
「……現場の責任者気取り?」
「はい。現場のトップなので」
「……本当に、可愛げがないわね」
「よく言われます」
同じ色の瞳が交錯する。
逸れたのは、オルガマリーのものだった。
「……」
「所長」
「何」
「所長は、止めますか」
「……」
「それとも、やらせてくれますか」
「……止めるわよ。危険と分かっている現場に、職員を送ることはできません。これが、所長としての責任であり、仕事です」
「所長」
「……わかってるかしら?カルデアの所長としても、私個人としても貴女はかけがえのない人間なのよ」
「……所長」
「………………成功させる自信はある?」
「ありません」
「……最悪よ?貴女」
「でも、成功させます」
「根拠は?」
「今まで全部、そうしてきたので」
「……どうしようもない説得材料ね」
「でも、嘘じゃないです」
「……信じるわよ?」
わずかな諦観と、そしてかすかな、希望や救いを求める目。
「……本当に、行くのね」
「はい」
不格好だけど。
時には間に合わなかったけれど。
でも……。
ずっと、それに応えてきた。
「うまくいったら端末であなたと連絡を取ってみるわ、おそらく、遮断されるだろうけど」
カルデアとの通信はすでにできないことを確認済み。だから、何かつながりが欲しかった。
「……生きて帰ってくる保証は?」
「作ります」
「どうやって?」
「所長が、掴んでください」
「……!」
「あなたが見失わないでくれれば、私は戻ってこれます」
「……貴女、自分で何を言っているかわかってる……?」
管制室の作業員の人数はレイシフト中10人を超える。
それでも、場慣れしたスタッフにとって、なお激務である。
数値の確認だけでそうなのだ。
それを、観測まで含めて一人でやれと?
「詳しくは全く分かりません。でも所長ならできます」
「めちゃくちゃね……」
「信じてますから」
「……ずるい言い方」
「……最悪の場合でも、きっとサーヴァントのみんなが、私をつなぎとめてくれます」
「……観測や存在証明の強度は上がる……悪くない話ね」
「ええ。お願いします」
「……」
「所長」
「……条件があるわ」
「はい」
「絶対に戻ってきなさい」
「はい」
「それが守れないなら、許可しない」
「守ります」
「……いいわ、それから……」
「……?」
「絶対に離さないから」
「……!」
「やりましょう。それは普段あなたが使っているものと同じように開くはずだわ」
「ありがとうございます、所長」
「ただし、これは命令よ」
「命令?」
「成功させなさい」
「了解です」
「……準備に移るわ」
「はい」
「コフィンに入りなさい」
「了解」
「レイシフトそのものの魔力供給も、細かい調整も私がやる。貴女は余計なことを考えないで」
「任せます」
「……その前に」
「?」
「はいこれ」
手渡されたのは、普段彼女が髪につけていたリボン。
モノクロの生地に、オレンジのラインが印象的だ。
「所長の髪飾り……追跡用ですか?」
「ええ。髪の毛を数本、魔術で編み込んでおいたから、目印になるはずだわ。」
「じゃあ私も」
「何?」
「これ、交換しません?」
「……は?」
「私の髪飾り」
手渡されたのは、橙色のシュシュ。
「今これをやる意味ある?」
「ありますよ」
「どこに」
「帰ってくるための目印です」
「……非合理ね」
「でも、必要です」
「……」
「所長?」
「……いいわよ」
「ありがとうございます」
「絶対に、取りに来なさい」
「はい」
「最後の確認です」
「はい」
「できるだけ、事件の概要について話さず、扉を開けてもらうこと。外部からの実証が行われると、事象としての強度が上がる可能性を忘れずにね」
「わかりました」
「それと、時間をかけるほど観測に入り込むノイズも増えるわ。私の集中力や魔術の精度も落ちる。最速で、貴女が一番信頼しているサーヴァントに声を掛けなさい」
「はい!」
「観測開始……位相補正……っ……!」
「所長?」
「喋るな……集中してる……!」
「了解」
「……カルデア……どこがいい?」
「……食堂にはいつもサーヴァントがいるはずです」
「……見つけた……!」
「見えてます?」
「ええ……私を……誰だと思ってるの……?」
「よかった」
「存在証明、仮固定……アンカー接続……!」
「――みんな、ちょっとだけ力貸して……」
「……繋がった……!」
「大丈夫ですか?」
「そんな派手な色を見失うわけないでしょ?」
「……どういう意味です?」
「――うるさい!カウントいくわ!」
「はい!」
「3」
「……」
「2」
「……」
「1――」
「レイシフト、開始!」
――ズズ、ザザザ――……。
立香のバイタルデータの計測を開始する。
存在証明は、行き先がカルデアだから、そこまで気にしない。
とにかく、彼女を見失わないように渡した髪と魔力を必死に手繰り寄せる。
「はぁ、ぁあ……あ、あああッ!!」
……熱い……。 脳が焼ける。
ほどけた白髪を、後ろに結びあげる。
魔術回路を動力源兼演算機代わりに酷使する代償として、鼻から鉄の匂いが立ち上った。
端末が示す立香の位置情報がノイズの海に現れては消える。
オルガマリーは今、怪談により逆説的に存在が証明されている『カルデアス』の跡地に向けて立香を投射している。
本来ならそのまま虚無へ溶けて消えるはずの彼女を、サーヴァントとの縁、そして「アニムスフィア」の執念だけで、無理やり現実へとドロップアウトさせる。
「……早く、しなさいッ!」
握りしめた端末と、指先に絡まるオレンジ色のシュシュ。
触れているはずのそれは、魔術回路の過熱によって、溶けた金属のように熱い。
それでも、彼女は決して手を離さなかった。
『……先輩!? どうしてこんな状態に……っ』
通信越しのマシュの悲鳴。
食堂の喧騒や食器の割れる音がノイズ交じりに聞こえてくる。
『マシュ、お願いがあるの。聞いてくれる?』
『今は安静にしてください!今すぐに医療室へ!』
『いいから、ついてきて……』
立香の端末の反応が、途切れながらも食堂から廊下へと移動してくる。
その反応が、突如消失した。
いや、戻ってきたのだ。ここに。
立香の体に集中していたあまり、端末そのものがはじかれてしまったのだろう。
肝心の彼女のシミュレートや観測も、まだ完璧ではない。
私が、力不足なばっかりに。
「……ぅぐっ!」
1秒が、際限なく伸びている。
次の一瞬がいつまでもやってこない。
伸ばした手がひたすらに空を切るような、終わりのない停滞。
それでも、私の役割は、立香をここで待つことだ。
部屋を染め上げた、毒々しい茜色が溶け落ちるまで。
二人のつながりが、確かに彼女に告げていた。
「そこに――いるのね?」
空が消える。
こんなにも安心する暗闇は、初めてだった。
扉が開く。
同時に、レイシフトに使っていた魔力の供給を遮断した。
「先輩?!」
逆光の向こうで、マシュにもたれかかっていた立香の姿が光の粒となって霧散する。
特殊事象が修正され、彼女の実体がコフィンの中に戻ったのだろう。
「所長命令です。マシュ、そこを動かないで」
「所長ですか?!いま、先輩が消えてしまって……」
「大丈夫よ。立香は最初から、ここにいるわ」
「ごめんねマシュ。心配をかけて……」
コフィンから、立香が起き上がる。
乱れた髪のまま、どこか誇らしげに笑う彼女の腕には、オルガマリーのリボンがしっかりと結ばれていた。
マシュが部屋の照明をつける。
人工的な白い光が、ようやく部屋を、『ただの倉庫』へと引き戻した。
「……一度、ここを出ましょう」
どちらともなく起き上がり、出口に向けて歩き出す。
「あなたってば本当に問題児ね。今回の件、反省文を書かせるから」
「えー、ひどい! 命がけだったんですよ、私!」
「だからよ、所長として軽率に職員を死なせるわけにはいかないの」
二人は笑いながら、同時に外に踏み出した。
「お二人とも、詳しい事情は分かりませんが……あまり無茶はしないでください。心臓に悪いです」
マシュのあきれたような、でも心底安心したような声が、冷えた廊下に響く。
「ごめんね、マシュ」
「あなたもこれまで大変だったわね……」
「……先輩の無茶は今に始まったことではありません」
「もっと言ってやんなさい!」
「……あはは」
「けれど……」
一呼吸して向き合う。
「暗くなった部屋から、あなたが扉を開けた時、それはどんな光よりもまぶしい朝日のようにも見えたわ」
交換した髪飾りを握りしめて、二人はこぶしを突き合わせた。
おまけ
「お二人はどのような事故に巻き込まれていたんですか?」
「所長の都合で魔力供給しないと出られない部屋に閉じ込められちゃってね」
「……ゲホッ! ゴホッ! ……な、なななななによ急に! 変な俗称を持ち出さないでくれる!?」
「どういうことですか?! 先輩!!」
「聞いてマシュ。二人っきりの密室で、私たちが外に出るには、お互いに魔力を供給する必要があったの」
「理屈はそうだけど! 語弊があるでしょうが、語弊が! 普通その言葉から連想されるのは、もっとこう……肌色成分が多めで、もっと……こう……潤いのあるイベントのはずでしょ!?」
「え、所長、詳しいですね。そういうの期待してました?」
「期待してないわよッ! 私が言いたいのは、実態は『鼻血出しながら脳を焼くデスワーク』と『シミュレート不足でちぎれた身体を引きずる肉体労働』だったのに、呼び方だけピンク色なのが納得いかないってことよ!」
「……所長、私にも先輩の反省文見せてください。むしろ、所長からの報告書の提出も求めます」
「……げ」
「それから、二人とも医務室へ。聞いている限りでも、ひどい無茶をしていることはわかりました」
「……マシュ?私にはまだまだやらなきゃいけない仕事があるの」
「知りません。婦長と交渉してください。先輩も、端末はお持ちしますので反省文以外の活動はできないように見張っておきます」
「そんなぁ……」
fin
別サイトには「ぐだ子と所長と魔力供給しないと出られない部屋」として投稿しました。
もともとエイプリルフールネタとして用意したものでしたが、遅れすぎたのでここでは本来のタイトルをつけています。