だって、全然怖くないんですもの。
ーーー64ーーー
ゲートが開き……多くのウマ娘がゆったりとした速度でゲートから出て走り出した。
つまりは、かなりの人数が出遅れたということ。
仕方のないことかもしれない。
地面はベチャベチャの泥濘、止む気配のない雨が全身に直撃し、近くにいるバケモノは威圧感を放っている。
今日の南部杯はバッドコンディションのオンパレードだ。
「やや展開の遅いスタートか、これはスローペースになるかもしれません」
「アールライズは3番手。追走するジープベニザクラ、6番手にいます」
そんな中でも、ジープベニザクラは平常心を崩さず、好スタートで良いポジションに位置付ける。
威圧感を放っている張本人であるアールライズはまずはごくごく普通の先行策を取っている。
あれだけバケモノバケモノと恐れられてきたアールライズだが、序盤だけ見ればちょっと足に力を込めれば誰でも追い抜けそうに見える。
「……ウマ娘の平均が100だとしたら、アールは今110出して残りの90を温存しているな」
しかし、観客席にいる石原トレーナーはこれまで多くのウマ娘を見てきたベテラントレーナー。
アールライズの能ある鷹は爪を隠す作戦はレース開始から10秒と経たずに見抜かれた。
そして、アールライズが、200%のパフォーマンスを持つウマ娘であるということも。
「そんな大層なモンでもねえよ、ベニザクラと一緒で勝てる走り方を自然にやってるだけだ」
隣にいた小原トレーナーはその評価をまんざらでもないように聞いている。
レースは序盤の300mほどが終了し、中盤戦に入る。
ここまではどんなレースにもよくあるごくごく普通の、ややスローな展開。
おそらく、この展開は1200m地点くらいまでは大きく変動しないだろう。
「……ウマ娘ってのは、多かれ少なかれ皆なにかを背負ってるモンだろ」
突然、小原トレーナーは石原トレーナーにとって重めの話題を切り出した。
もちろん、それは当たり前の話だ。
全てのウマ娘は夢、目標、想い、期待など形のない様々なものを胸に秘めてレースに挑む。
もちろん、そこからくるプレッシャーや不安といったネガティブなものも少なからずウマ娘たちは背負っている。
ネガティブなものを多く支えきれないウマ娘は、それが重荷となって走りのパフォーマンスが下がっていく。
「……アールライズは、何も背負っていないとでも?」
石原トレーナーは怪訝な表情で聞き返した。
流石に石原トレーナーは勝利のためにあらゆる感情を切り捨てさせるような冷酷無比なトレーナーではない。
何も背負わず、ただ虚無感で走っているようなウマ娘がG1、3勝を含む5連勝などできるはずもなかろう。
だが。
「ご名答だ石原。ダートに飛び込む前に、アールはまず"名誉欲"を捨てた」
小原トレーナーは1本指を立てる。
それだけなら特別なことではない。
芝の有名ウマ娘ならともかく、名誉欲くらいならジープベニザクラもないようなものだ。
だが、それを皮切りに小原トレーナーは指をどんどんと立てていく。
「次に"プライド"を捨てた。"周囲の視線"も気にしなくなった」
「"友情"も捨てた。"夢"も"目標"も今のアイツにはねえ。今や"強さ"すら求めてねえ」
「そうやって、背負うモンをどんどん捨てていった結果……」
小原トレーナーは両手を使って数えようとしていたところを。
石原トレーナーが手で遮った。
「そうして生まれたのが、G1にすら退屈し、地獄を作り出すバケモノか」