目の前が地獄でも、もう引き返せません。
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ジープベニザクラが地下バ道を通る数分前。
雨音以外は静まり返った地下バ道で、靴音を響かせながらアールライズは小原トレーナーの下へ歩いている。
恐らく誰も聞いていないだろうが、今やアールライズはその靴音だけで周囲を震えがらせることすらできるだろう。
アールライズの控室が見えてきたところまで歩くと、その扉の前に人影が見えた。
その人影の主こと小原トレーナーは、アールライズにバサッとタオルを1枚放り投げる。
「ようアール。今日もやりやがったな」
「いつものこと」
アールライズが受けた泥汚れは他のウマ娘によって蹴り上げられたわずかなものだけ。
10秒と経たずに顔を拭いたアールライズはタオルを頭にかぶせる。
「……いつもならこんな話しねえがよ。少しヒヤッとしたか?」
小原トレーナーは少し話を切り出しにくそうにしながらもアールライズに問いかけた。
小原トレーナーの予想通り、その質問を受けたアールライズは少しだけ不機嫌になる。
「……ええ」
なぜアールライズが不機嫌になったか?
これまで危なげない圧勝ばかりを重ねてきたアールライズ。
そんなアールライズにとっては、今日手にした"辛勝"ですら気に入らない。
ヒヤッとさせられることまでジープベニザクラに近づかれた、それだけでアールライズにとっては屈辱を感じたのだ。
「けれど面白いものが1つ見れた」
アールライズはすぐに機嫌を直すと、先ほどまで通ってきた地下バ道を振り返る。
「ベニザクラか」
「ええ……"秋に桜の花見"ができるなんてね。思ったよりは綺麗だったわ」
「フン、相変わらず詩人だぜ」
小原トレーナーは寄りかかっていた壁から離れると、アールライズに手招きをした。
「帰るぞアール。どうせ今日もライブを見たいという奴などいないだろうしな」
アールライズは小さく頷いて小原トレーナーの後に続いた。
実はアールライズが1着を取った6戦はレース後にウイニングライブが行われていない。
なぜか?
出走したウマ娘はウイニングライブをしたいなんて気持ちにならないし。
観戦していた観客はウイニングライブを見たいなんて気持ちにならないからだ。
そして、アールライズ本人も乗り気でない周囲を巻き込んでまでウイニングライブを踊りたいとまでは思わない。
これは、強さのあまりあらゆる人物から恐れられるアールライズだからこそまかり通ることなのだろう。
これには流石のシンボリルドルフもほとほと困り果てているに違いない。
「やめろ!あんなバケモノがやるライブなんか見て何が楽しいんだ!?」
「嫌だ!あんなバケモノと一緒に歌いたくない!踊りたくない!」
なんてガタガタ怯える奴らを無理矢理引きずってライブを強行させるような権限は生徒会長にもないのだ。
一方そのころ。
「手酷くやられたな、アルマダ……」
膝と手袋が泥まみれになったアルマダクロックを見て原崎トレーナーは悔しそうな表情で頭をかいた。
アルマダクロックも出走して懸命にレースを走ったが。
アールライズとジープベニザクラの一騎打ちに介入することなく、大差をつけられて3着に終わっていた。
「でも、正直まだ善戦したほうだとボクは思ってる……」
そして、他の9人のウマ娘と同じく、アルマダクロックもアールライズの気迫を思い出して体を震わせていた。
完全にレースはアールライズに支配されていた。
そんな中で3着にまで漕ぎつけたのはアルマダクロックにとって可能性がある中では最高の結果と言える。
「ああ。よくやったよ、アルマダ」
「トレーナーにそう言ってもらえただけで、ボクは十分だよ……」
少なくとも、アルマダクロックと、原崎トレーナーはそう思っている。
「あーあ。このレース、なんてブン屋に書かれるんだろうな。まあ『どうせベニザクラ追いすがるもアール1強体制崩れず』、とかだろうな」
「--『"アルマダクロック"を始めとするウマ娘たちが立ち向かったが、彼女たちは2人に手も足も出なかった』」
アルマダクロックは原崎トレーナーに続けて、このレースの記事の内容を予想する。
恐らくアルマダクロックなど、アールライズ、ジープベニザクラのように大々的に書かれはしない。
せいぜい、太刀打ちできなかったその他大勢の代表として書かれるくらいが関の山だろう。
「……とか書いてもらえたら、ボクは幸せかな」
だが、彼女の名前はアルマダクロック。
どんな書かれ方だったとしても、その名前1つさえ残れば、アルマダクロックにとっては本望なのだろう。
「……ったく。こんなに懸命に走ったウマ娘がその程度でいいのかよ?狂ってるぜ、ダートの世界は」