でも、その生きた証が刻まれない世界だったなら?
そんな場所で命を賭けてまで走る意味なんてあるのか?
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「おっしゃる通り、ダートの世界というのは"探そうと思わなければ"ほとんど触れることのない世界でした」
ご存じのようにメジロアルダンはガラスの脚と呼ばれるほど脆く、思ったように全力を出せない日がしょっちゅうある。
だからデビュー前の選抜レースを決めるにあたり、本来の芝2000mを走るプランAだけでなく。
プランBどころかプランCプランD、プランEくらいまで慎重に検討を重ねる癖がついてしまっている。
そのプランEあたりで明らかな適正外であるダートについて調べる機会があり、ジープベニザクラとチャンピオンズカップについて知ったのだろう。
結果的にそのプランEであるダート1200mを選抜レースとして選んでしまったことは、この時点ではまだ知る由もない。
「災厄とまで呼ばれたアールさんを、命すら捨てる覚悟を持って前を譲らなかったあなたは、本当に美しかった……」
「でも同時に私が恐ろしかったと?褒め言葉をどうも」
メジロアルダンは小さく頷いた。
ジープベニザクラのことを美しく、同時に恐ろしいと思ったのは、メジロアルダンの価値観が大きく関係している。
「私はいつ砕け散るかも分からぬ身です。仮にレース途中、直後で散ることになったとしてもその運命を受け入れるつもりでした」
「たった一瞬だけでもいい。誇り高く走ったメジロアルダンという輝きがわずかでも刻まれればと、そう思っていました」
ここだけを聞けば、メジロアルダンは選抜レースにすら出走していないのに誰よりも覚悟の決まったウマ娘だと誰もが思うだろう。
だが、ジープベニザクラというウマ娘は、そんな覚悟の決まったメジロアルダンにすら恐怖を抱かせた。
言葉にしていくうちに鮮明になってきたのか、とうとうメジロアルダンは顔を覆いだした。
「でも、あなたがいる世界は……"生きた証が残らない"!」
メジロアルダンの声がひどく震えていた。
ジープベニザクラというウマ娘は、ほとんどの人々が名前すら知ろうともしない。
事実、メジロアルダンは最近までジープベニザクラがどんなレースを走っているかすら知らなかったのだ。
曲がりなりにも4冠ウマ娘であるジープベニザクラが。
「いえ、それだけじゃありません!」
「あなたは、あなたの"生きた証を残そうとすらしない"……!!」
地獄をまき散らす災厄に打ち勝ったことで、ダートファンのことは強烈に沸かせたジープベニザクラだが。
ジープベニザクラがレースの世界を去ればその記憶は芝に比べて急速に失われていくだろう。
コノハナレッドという物語を始めたとき、今から数年後の森内トレーナーがジープベニザクラについて言った言葉を覚えているだろうか。
"今や名前も知らん奴がほとんど"だ。
それなのに。
ジープベニザクラというウマ娘は、自分が出せる100%どころか200%,300%,400%すら出すつもりで。
このまま走れば死ぬという危険信号にすら逆らって狂気的に走り続けた。
ほとんどの者はその狂気をもって得た勝利を知ってもらえないことを承知で。
ほんの一部から得られた歓声も急速に忘れ去られていくことを承知で。
「ベニザクラさん……あなたはどうして……」
「どうして……躊躇いなく死地へと飛び込めるのですか……」