今回視点変更を示す感じのやつを特殊タグで追加してみたのですが、見にくかったりはしないでしょうか?
――私は悪ではない。
ゴクチョーにそう啖呵を切ったのはヒロだった。
桜羽エマの幼馴染、二階堂ヒロ。
彼女はある出来事を境にエマとのあらゆる交流を絶った。
可愛さあまって憎さ百倍と言えばいいか、その件を機に彼女はエマに深く失望し、積極的に嫌悪しあらゆる関係性から疎斥し始めた。
エマの中学校時代を暗黒に染めた、幼馴染。
実際に今、そのビシリと突き示した人差し指を以て、感情的に彼女を【魔女】と糾弾している事実は、彼女のエマに対する驚異的なまでの悪感情を掲示している。
しかし、ことエマ当人に彼女が嫌悪する理由を説明することはできない。できるわけがない。
そんなことをするのは、彼女の【禁忌】に触れる行為だから。
困惑するエマをよそに毅然とした様子のヒロは、その指をわざとらしくおもむろに下げ、そして後ろの暖炉付近から火掻き棒を取り出した。
エマの表情が強張る。
一際ドスの利いた、毅然とした声で。
長年エマを忌み嫌って仕方がないような彼女がついに物理的な威嚇と殺意を滲ませた。今の彼女にどんな声をかけても賽の河原だと、その敵意に満ちた真紅の瞳が物語る。
殺意を孕んだようなおぞましい紅色の双眸に怯えて、地が蹴られた音と共に、エマは自身の瞼をふさいだ。これから自らの身に起こる苦しみに耐えるように力を込めて。
しかし。
迫真。鈍器のように重苦しい、猟奇的な騒音。
ガシャガシャと鉄スクラップと肉を相混ぜにしたものを叩き潰すかような、不快で暴力的な衝撃音と共に、
そしてそれらが、エマの耳をつんざくのだ。
何事かと思ってエマが目を見開くと、視界には雪崩れ込んできた光と共に——
体長は2mほどまで届くであろう怪物、看守へその火かき棒を狂乱したかように叩きこむヒロの姿が映った。
その場にいる皆、一切がその凄まじい有様に近づくことはできず、ただ固唾を飲んで見張るばかりだった。もう少し遠くにいたセリアのなぜか悔しそうに張り詰めた唸りが、小さくエマの耳に届いた。
ヒロは幼馴染だ。エマはその狂気と不気味な殺意に満ちた行動の仕組みを知っていた。
ヒロは何よりも「正しいもの」を好む。自身の「正しさ」が指標である彼女にとって、【魔女】、【なれはて】、そんなものは正しくない間違ったもの、【悪】なのだ。
ラウンジの中でひときわどの生命体にも類似していない現実味のない化け物、そんな看守は彼女の眼鏡には排除すべき悪に映ったのだ。
彼女の使命はこの世界から【間違ったもの】を消すこと。であれば、それが
音を立てて血を漏らしながらその体を崩していく看守、その血を浴びてなお嘲るような笑みで看守を殴り倒していくヒロ。
その壮絶な光景に、全員がただ見ていることしかできなかった。
刹那——。
——シャキン
という鋭い異音と共に看守のものではない血が辺りを汚した。
看守の鎌が立っていた。
それを持っているのはボコボコと身体を回復させていく看守の、その腕。
鈍い音と共に、エマの目の前に何かが弧を描いて降ってきた。
それはヒロの生首だった。
頭を切り離された体は火かき棒を握りしめながら逡巡し、その後ふらふらとあてもなく周囲を歩き回ってから、バタリと倒れた。
その瞬間、皆がその死を前にして顔を蒼白にした。
ハンナの甲高い悲鳴と共に各々がその死体を認識し始める。
人死にだ。人死にがでた。
この残酷な死が、どこか楽観的でいた少女達の表現し得ない心の内を、永遠に変えてしまったのだ。
涙が溜まって
エマは頬に涙をこぼしながら、無意味にその首へ話しかけた。
頭を眺めるエマの視界のふちに、キラキラと反射するものがあった。
それは赤い【万年筆】で、胴体の方から衝撃で落ちたものなのだろう。
エマはそれを咄嗟に広い、そして少し握りしめた。
エマはその【万年筆】を衣装のポケットにしまった。
それはエマにとっても大切なものだから。
その軽薄な言葉がエマに届く。その腹の内が釜茹で地獄のように煮えて怒りを滾らせる。
涙を拭ったエマがその死に無頓着なゴクチョーを強く睨み上げる。
そんな彼女を後目にゴクチョーは粛々と解説をつづけた。
隣のシェリーがセリフの単語を切り取って不謹慎に明るい表情を浮かべる。
そういってゴクチョーは早々と通気口へ入っていってしまった。
エマは自身の手を見下ろす。そこにはヒロの血で赤く汚れた両の掌があった。
——よくできましたね。
聞こえた声にハッと驚いてエマは周囲を見渡したが、別に傍に誰かいるわけではない。
その声に心当たりがありつつも、それはただの幻聴だと振り切って、声の主を探すのを止めた。
エマ達の、先行きの暗い獄中生活が今始まった。
その有様は眼をそむけるに余りあった。
死体の切断された肉から背骨が見える。
切断された所から血液がとめどなく染みて漏れる。
その遺体を先ほどまでズタズタにされていたはずの2mの怪物がウネウネと回収する。
そしてその遺体は先ほどまで活発に生きてい
異様で、猟奇的な光景だ。少なくとも齢15の思春期少年に見せることは推奨されない絵面。
だが……彼女の死が必要な犠牲だったことも知っている。
というのも彼女は、恐らく彼女自身の魔法で生き返り、そして時は戻されもう一度やり直せる。
私のなけなしの記憶から推測できるのは、彼女が時空を超えてそれを可能にする【死に戻り】の持ち主だということ。
彼女はリセットで、今から先は戻される猶予期間。
それに、これはまだ峠どころか峰も尾根も超えていない。
これから先に築かれるのは他でもないこの囚人達による血生臭い死体の山。
彼女が死んだ後の牢屋敷の環境はやはり陰鬱で、怒号や侮蔑が飛び交うストレスフルな悪夢。
惨劇はできる限り回避されるべきだ。
そのためにも【山場】を失敗してはならない。すなわち、最初の殺人事件。
初めはレイアに働きかけるか、ノアに働きかけるか……これが難所になるだろう。
薄暗い牢の中で私は考え込んでいた。幸いこの牢には壁に木製のテーブルが取りつけられていたので、肘を付けて悩むにはうってつけだった。
思い出す。
あれからアリサの窮地にレイアが立ち向かう、ココが吐く、皆がレイアの言葉でスマホに気付く、ヒロに死をきっかけにレイア派・エマ派・中立の三者に囚人が分断される、など。私というイレギュラーを除いてはおおよそ前世通りだった。
あのときのエマの、毅然とした反抗の目を思い出す。
前世では大きな液晶でしか見られなかったそれを、実際にこの目で動的な、生々しい事実として見ると、なんだか不思議な気分になる。
この世界は私がいる世界。
私は
だがこの前世の記憶は、明らかにこの世界をまるごと俯瞰して何かの映像作品やゲームかのように扱っていた。
前世とこの世界。モノを知っていくたびに考えてきたことで、実は私達の世界は物語なのではないかと。
でもそういうことを考えると途端に圧倒的な無力感と強烈な焦燥感に駆られて動悸が激しくなる、宇宙的恐怖とでも呼べばいいのか……それとも別の恐怖か……。
だから、こういうことを考えるのは嫌いだ。分からないものは探って見つけたいのに、【私】とは、人間とは、そういう性なのに、自分の脳にだけ区切られた屁理屈以上に何も明かすことができないようなものは。
奥の固くて重苦しい感情を吐きだそうと、大きいため息が漏れた。
【現実】を舐めていた。私は圧倒的に舐め腐っていた。
ヒロを止めようとする足を、その命の最後までついに上げることができなかったのだ。
私があの悪趣味なラウンジで見た景色は、一人の人間の暴力的な狂乱と、その暴力が打ち負かされ人が死ぬ様子であって、液晶に映る舞台ではなかった。
息巻いた心が最後まで動悸を早め汗を流すこと以外に何ら効果を示さなかったことが、どれだけ情けないことだろうか。
……それでも、私はやっぱり醜聞を書きたくない。
というのも、次に起こることがある。
レイアによる、ノアの殺人事件。これには二つの動機が存在する。
一つは【レイアが主導する秩序への外れ者】としての側面。
ノアはアンアンと同室でありながらそのじつ絵を描くことに執着して、結果的にアンアンをそのスプレーのシンナーによって苦しめる結果となってしまう。誰一人としてその純粋に絵を楽しもうとする努力に押し負けて口に出すことができないか、あるいは興味が無いか。
もう一つは【レイアよりも話題性のある世界的有名アーティスト】としての側面。
実はもっとも重要なのがこれで、彼女は自身の過去の経験……そしてそのトラウマによって目立つことに執心している。
ある時からノアが世界的アーティストであるとバレると、現役芸能人の彼女よりも周囲の人々の視線はそちらへ向かっていってしまい、さらに最初の側面も含め彼女に対するストレスが溜まり、結果的に【誰かの人押し】がきっかけとなって殺意に飲まれてしまう。
細かくどのように殺したかは忘れてしまったが、これが次に起こる大方の筋書きである。
何度も言うように、私に醜聞を書くつもりなど毛頭ない。
ヒロは死んでしまった。それでもまだ思い出す猶予も供給可能性もあるはずだ。
さあ、これから始める新聞業は——
【君はそんな簡単に切り捨てられない。】
【君はヒロを止められなかった。】
これは自分の言葉。
心に反響する諦観した意思の部分。
どうしようのないことを増幅させて脳の中で木霊させている。
【運命を変えるには力不足だ。】
【死も、心の中でうねる恐怖も、克服できない。】
【本当に変えられるのか?】
(……大丈夫。元々【そこに自分はいなかった】から)
【違う。】
【
【どれだけ超然として、飄々としていても逃げられない。】
「(——違う!それでも)」
【もしかしたら自分だけ死ぬかもしれない。】
【もしくは見た通りになって、ひとりぼっちで飢えるかもしれない。】
「(待って……!!!ちがっ……!)」
おかしい。今までこれほどまで気持ちが高ぶってたまらないことがあっただろうか。
目の前が眩む。頭がケルビンの最低値を行くように血の気ごとごっそり失せていく。
【思い出してないことがあるかもしれないでしょ?】
「(やだっ!やめてッ……!)」
【どんな誤差があるかも分からないでしょ?】
【だから。】
全身が凍えるように冷え、悪寒と身震いが止まらなくなる。
頭が回らなくなって四肢は血の巡りが悪くなったかのようにジンジンと感覚が薄れていく。
この衝撃的な恐慌を、一線の人生で
それでも、この【前世】を考える度に、心の中のこの【
自分がちゃんとすれば防げる。大丈夫だ。もしものときは
そう、でしょ……?
机で突っ伏して頭を抱えるそんな私の心に木霊する、今まで存在しえなかったはずの言葉。
命の危機と【物語】のはざまで板挟みにされた心を偶然上手くつかみ取るような……
誘いの言葉。
みんなを殺しておかないと、
後から自分が殺されちゃうよ?
だから。
「私」は——
ダンッ!!
両手で力強くテーブルを叩き、その重い頭を思い切り
後ろから小さな悲鳴が上がる。声の主はメルルだった。
……自分の世界に入り浸りすぎて誰かと居を共にしていたことを忘れていたみたいだ。
メルルがその思い切り立ち上がった私を、今にも泣きだしてしまいそうな怯えた目で見つめる。
メルルは囚人達の中でも随一臆病で、その実献身的だ。
彼女を泣かせることがどれだけのディスアドバンテージを孕んでいるのかは想像もしたくない。
そんな妙に打算的な考えを脳の隅に追いやって彼女に謝罪すると、メルルはその緊張で張り詰めた驚嘆の顔から少し相好を崩した。
急に立ち上がったせいだろうか、立ち眩み、というか船に酔ったような気持ち悪さが喉元に襲い掛かる。
そのままやや覚束ない足取りで二段ベッドの下へするりと入り込んだ。
それでもまだ吐き気のない貧血のような状態は続いていた。だが、人が一人でもいるとそれだけで心細い気分が少しだけ満たされるような気がした。
寝転ぶ私の傍でメルルが語りだす。
慈愛に満ちた微笑みをセリアに向ける。
そんなメルルの触ったら崩れてしまいそうな献身性に押されてか、私も少し口角が上がっている気がする。
牢屋敷での予想図で話が盛り上がる昼過ぎ頃。
昼過ぎというにはこの監房は薄暗過ぎるけれど、いつの間にか会話は弾んで一抹の悩みも少しほぐされた気がした。心に血を通いなおすような感覚がする。
……何か忘れていることがある気がする、とも脳裏に浮かんでいた。
【万年筆】
二階堂ヒロが持っていた万年筆。