「ねえ、メルアド教えてよ」
きっかけは、そんな一言だった。
放課後の図書室。本棚の陰。窓の外の喧騒。二人きりの静寂。長机の本に落としていた視線を上げると、同窓の少女が正面の席に座っている。肩にかからない程度に切り揃えられた髪、その毛先を弄る指先が
「……メアドじゃないんだ」
だから、口をついたのはそんな文句。
逆光で判然としなかったが、すまし顔が崩れていくのを感じて、訳の分からぬまま“マズい”という感情の波が押し寄せる。
普段のぽやぽやとした態度からかけ離れていた先の表情は、彼女が極度に緊張していたという余りに明確な証左だ。そこに思い至ってしまえば、あとは芋づる式に思考が飛躍する。自分のいる場所。少女の言葉。今の情景。込められた意図。伝わる真意。
なるほど、マズい――!!
これはマズい、ホントにマズい。あれ、マズ
思考が纏まらない。相当に勇気を振り絞っただろうに、その発言を揚げ足取り、難癖、嘲り、そのように返されるなど、少女が心に受けた衝撃は如何ほどだったろうか。思考し、思い至り、推し量り、そうやって――行動に起こそうとした時は、既に遅きに失した。
「わたしメルアドだと思ってた。どっちが正解なんだろうね?」
世に出ている物語なら、多くは泣いて走り去る展開だったと思う。
しかし現実は違う。大多数の人は展望が上手く行かなかったとき、先の日常を憂い、環境の悪化を嫌って軟着陸を選ぶ。関係性を放棄し、安寧の生活を投げ捨てるような行為を選ぶ者はそういない。泣けば状況は悪化する。逃げれば関係性が途切れる。直接的な言葉でなかったのを幸いと、できるだけ強い反発を招かないよう立ち回ることを、誰が責められるだろう。
特に、その選択を招いた本人ならば尚のこと。
「……さあ? どっちでもいいんじゃね?」
「じゃあ突っ込まないでよ」
「いまは気になったんだって」
笑う。
笑ってる。
ならこれでいいんだ――ああ、これでいいのか。
暫し談笑し図書室を後にした。
そうしているうちにぎこちなさは溶けていく。
日常に戻り、いつの間にか何もなかったように生活していた。
一年が経ち、またこの季節になる。
同じ図書室。同じ夕暮れ。同じ席。また、同じように図書室を出る。
変わらない日々。変わらない生活。変わらない日常。
ああ、また。
夏が、終わっちまった。
「お題.com」さんで「ランダムお題3つ」から、初めてのオリジナル短編に挑戦してみました。ちょっとお題からズレてる気もしますが、そこは初挑戦なのでお目こぼしを頂ければと……